デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
3款 耕牧舎
■綱文

第15巻 p.506-510(DK150064k) ページ画像

明治19年5月28日(1886年)

栄一西下ノ途次、仙石原牧地ヲ視察シ、是日静岡ニ着ス。仍テ益田孝・渋沢喜作ニ書ヲ送ツテソノ情況ヲ報ジ、将来ノ計画ニ及ブ。尚栄一引続キコレガ育成ニ努ム。


■資料

渋沢栄一 書翰 益田孝・渋沢喜作宛 (明治一九年)五月二八日(DK150064k-0001)
第15巻 p.506-507 ページ画像

渋沢栄一 書翰 益田孝・渋沢喜作宛 (明治一九年)五月二八日
                    (須永一郎氏所蔵)
愈御清暢奉賀候、発途之際ハ態々御送リ被下忝奉存候
廿六日ハ御察之通リ木賀一泊、翌日仙石原ヘ廻リ椿・松村同行牧地悉く一覧仕候、新規買入之畑地ハ須永考案之通リ如何ニも薄地ニ候間、多く「ジヤガタロ」芋植付候方可然、外ニ唐モロコシと稗を少々相試候様申談置候
牛舎ハ長尾ニて松村案内ニより見込之場処一覧候得共、余リ風当リ強き地と相見ヘ候間、今一段山寄之方ニ卜し候方可然と存し、其辺両人ヘ申示し、須永帰着之上尚申談取究候筈ニ申含候、管理舎も牛舎㝡寄之方可然ニ付是又其段申談置候
洋牛五頭買入ハ至極宜敷被存候間早々御取斗可被下候、場処ハ何れとも為取斗候積、是又両人ヘ申含候
官林御払下之義ハ明細之書面さし出候様県より更ニ被相達候由ニ付、松村ニ申付戸長ヘ聞合取斗候筈ニいたし置候
松杉之林仕立方ハ後年之為メなれとも要用之事ニ付是又今一段苗木買入植付候様致度須永ヘ御申談可被下候、色々承合候ニ地味悪敷為メニ樹木無之ニハあらす全く村民不勉強と被存候
 - 第15巻 p.507 -ページ画像 
此度ハ仙石原より湖水ヘハ罷出不申、山越ニ深良と申地ヘ出、夫より佐野と申(深良佐野ハ駿州地方)地ニ掛り、沼津ヘ出申候、中々㝡上之土地ニ御坐候、三俣抔ハ村々ニ多く植付有之松杉檜抔も沢山ニ有之候、就而相考候ニ、三俣ハ少々原地ヘ相試申度ニ付、是又須永ヘ御談可被下候
右山越之際一覧候ニ巡リ屋辺ニも候哉道之右手ニ曠原多く相見ヘ候、且地味も前陳之通ニ候間此曠原中を一応為取調申度、就而ハ須永ヘ御申付此度同人原地ヘ帰リ候ハヽ都合見斗駿州地ヘ立越相当之牧地相尋置申度存候、水理さへ有之候ハヽ場処ハ㝡上と被存候、其上仙石ニハ既ニ着手候上ハ僅ニ一嶺を越し候迄ニ付所謂便ニ就候事と被存候
小生今夕漸静岡着、従是前公ニ謁し、明日ハ早天ニ出立、明後三十日参州大平村紡績場一覧之積ニ候、薄暑新緑之際旅況ハ別而㝡上之時節ニ候得共、時々雨多きニハ閉口仕候、併男子連のミニて何之面倒も無之摂生充分之事ニ御坐候、留守中万事御厚配奉祈候 匆々謹言
  四月念八《(五)》
                      渋沢栄一
    益田孝様
    渋沢喜作様


渋沢栄一 日記 明治一九年(DK150064k-0002)
第15巻 p.507 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治一九年 (渋沢子爵家所蔵)
    四日市伏木新潟巡回紀行
明治十九年五月廿六日午前六時深川邸ヲ発シ、新橋駐車場ニ到リ六時四十五分発ノ汽車ニ搭ス、送別ノ人十数人汽車場ニ来ル、七時半神奈川着、本山・書上等横浜ヨリ来テ送別ス、八時神奈川ヲ発シ、馬車ヲ僦フテ神奈川ヲ発シ、十一時半大磯ニテ午餐シ、二時小田原ニ抵リ、三枚橋ニテ山轎ヲ僦ヒ、午後七時仙石原着、万屋ニ投宿ス、此日須永伝蔵来リテ牧場ノ近況ヲ話ス
二十七日○五月六時万屋ヲ発シ、牧場ノ馬車ニテ牧場ニ到リ、牛馬ノ放牧シアルヲ見ル、牧舎ニテ馬ノ交接ヲ見、須永・松村ト牧場ノコトヲ談話ス、午前九時牧場ヲ発シ山ヲ下リテ深良村ヲ経テ佐野ニ抵リ、人力車ヲ倩ヒ午後二時沼津ニテ午餐ス、沼津ヲ発シテ原吉原ヲ経、富士川ヲ航シ、七時蒲原ニ抵リ柏屋ニ投宿ス、此日烟雨濛々富峯ヲ覆フ、暁ニ雨歇テ僅ニ半腹ヲ見ル
○下略


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一九年)七月三日(DK150064k-0003)
第15巻 p.507-508 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一九年)七月三日 (須永一郎氏所蔵)
益御清迪御坐可被成奉賀候小生旅行無事□《(客カ)》月廿八日帰京仕候、此度之巡回ハ諸方ニて只饗応を受候事ニ奔走いたし、実ハ有難迷惑とも可申有様ニ御坐候
先頃貴地ヘ罷出候節ハ色々御厄介ニ相成忝奉存候、其後牧場之摸様異事も無之哉、何卒㝡上之馬匹出来候ハヽ当冬ニも弐三頭東京ヘ牽出し売却仕度事ニ候
偖一事御相談申上候ハ、此度陸軍省ニ於て兵隊一同へ牛肉食料為致度との御評議ニて府下在住之牧牛家ニ種々御談も有之、且其用達之者も
 - 第15巻 p.508 -ページ画像 
出来いたし直段其外売上頭数等取調候処、代価ハ是迄之調査ニてハ百斤五円七拾銭より引下候義難出来、夫ニても頭数さへ多分ニ出来候ハハ省之方ハ随分御用可相成候得共、何分ニも少高ニて総而牛肉食料といたし候義出来兼候由、右御用達被命候大倉喜八郎氏より内話有之候就而同人より申聞候ニハ仙石牧場ニてハ一ケ年何頭之肉牛売上方引受相成可申哉、せめて年々弐三百頭も約定相成候ハヽ御省之都合も牧場之為ニも可然との注意ニ候得共、素より右様大高一時ニ引受候様之義ハ出来兼候、乍去陸軍ニて全く牛肉食料決定之上ハ牧場ニても尚考案も可有之、旁以近日主任者出京為致尚大倉とも打合候様可致と答置候義ニ候、然処昨日大倉より来状ニて来ル六日夜右肉牛之為府下之牛屋連一同大倉氏方ヘ会同之筈ニ候間、可成ハ仙石牧場主任ニも出京候様致度と申来候、依而貴兄至急御出京相成兎ニ角右会同之様子ニても聞合候方可然と存し至急ニ其段申上候義ニ候、就而ハ此状御一覧之上取急き御出京可被下候、弥以見込相立候ハヽ東京乳店ニ於て当歳之洋牡牛を安直ニ買上、睾丸を抜き牧場ニて飼養し、三年相立候ハヽ三百斤以上之肉牛ニ可相成、然時ハ拾七円以上ニ売上相成候間、或ハ計算引合可申とも存候、夫是御考之上御出張可被下候
右御出京ニ付而ハ現今存在之牛馬頭数内訳表、及馬匹之中当冬又ハ来年迄ニ東京ヘ牽出し可申と見込相立候上等之牡馬ハ何程有之候哉、其駒之毛色及種類等御取調御持越被下度候、拙宅ニても年内ニ是非一頭買入申度都合ニ付、可成ハ貴方之品牽入申度候、尚右之外ニも御出京之序御打合可申件々ハ御考之上御出掛可被下候、右至急申上度如此御坐候 匆々不一
  七月三日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々貴兄及松村とも妻子牧場ヘ引越之義何とか御工夫有之度候、右ニ付而ハ尚益田とも打合可申候得共、御出京ニ際し都合御考も有之哉と申添候義ニ候
   ○前掲(第五〇七頁)「渋沢栄一日記」ニ明治十九年五月二十六日東京発、二十六・七日仙石原耕牧舎ニ立寄リ四日市・伏木・新潟ヲ旅行スルコトミエ同年ノ「中外物価新報」ニハ、六月二十八日帰京スル旨記サレタリ。乃チコノ行ヲサスカ。仍テ右書翰ハ明治十九年ナラン。尚明治十九年七月十日「中外物価新報」(第一二七六号)ニ、牛肉兵士の食糧となる云々ノ記事アリ。
     ○牛肉兵士の食糧となる 此度陸軍省にては大に兵士の食糧を改良し毎日牛肉を供することに決定したるを以て、目下頻に各県の牧牛者と買入の約定をなし既に一万頭以上も約定済となりしやに聞へたり、左すれば是迄売口に困り居たる牧牛者の為めには実に大なる仕合せならんが、何卒此時機に乗じて妄りに其直段を引上ぐることを為さず、沢山売る工風こそ願はしけれ


(芝崎確次郎) 日記 明治一九年(DK150064k-0004)
第15巻 p.508-509 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記 明治一九年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
(十一月)十日 雲
○上略
新原敬三殿参《(新原敏三)》リ
 - 第15巻 p.509 -ページ画像 
 牛乳口ニテ
 金五拾円也 受取
 右耕牧舎勘定記帳致シ候コト
   ○中略。
廿一日○十二月 晴
○上略
  耕牧舎用
 馬壱頭売却代
  金四拾五円
 右猪飼詮吉殿ヨリ相届受取証差出受取置申候


竜門雑誌 旧第五号・第一〇頁 明治二〇年四月 ○雑報(DK150064k-0005)
第15巻 p.509 ページ画像

竜門雑誌 旧第五号・第一〇頁 明治二〇年四月
    ○雑報
○耕牧舎 ハ箱根千石原ニアリ、渋沢氏ノ起業ニ係ル、目下盛ンニ牛馬ノ繁殖ヲ謀リ現ニ牛馬ノ数三百余頭ニ及ヒ、頗ル良馬ヲ産出スト雖トモ未タ充分ノ利益ナク当局ノ人々モ頗ル苦心尽力セラルト云ヘハ、将来有益ナルコトハ疑ナカルヘシ


(芝崎確次郎)日記 明治二〇年(DK150064k-0006)
第15巻 p.509 ページ画像

(芝崎確次郎)日記 明治二〇年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
廿三日○三月 朝少雪降夫より雨降
○上略
本日主人より被申付候用件ハ
○中略
耕牧舎出金六百円右仕出し之事
○中略
各件尾高氏ヘ伝達候コト
廿四日○三月 雲
○上略
  本日主家用向左ニ
○中略
  耕牧舎出金
○金六百円之小切手一枚右請取置候
廿五日○三月 晴
○上略
  本日主人方用件左ニ
○中略
○耕牧舎六百円也御出金之請取証壱枚尾高氏ヘ相渡候
○下略


執事日記 明治二二年(DK150064k-0007)
第15巻 p.509-510 ページ画像

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