デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
3款 耕牧舎
■綱文

第15巻 p.510-518(DK150065k) ページ画像

明治26年8月3日(1893年)

是日栄一須永ニ書ヲ送ツテ、商法実施ニ伴ヒ経営組織ハ更新サレシモ引続キ尽力アラン事ヲ望ム。尋イデ二十八年、用水問題ニテ須永拘囚サルル等ノ事アリシモ、牛乳及乳製品ノ販売ハ漸次伸張シテ東京市内ニ四ケ所ノ支店、他ニ六ケ所ノ支舎ヲ有スルニ至ル。


■資料

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛(明治二六年)八月三日(DK150065k-0001)
第15巻 p.510-511 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛(明治二六年)八月三日(須永一郎氏所蔵)
其後ハ御疎音ニ打過候得共益御清適奉賀候、然者貴方売乳之営業も昨年ハ一時之競争者現出之為幾分か妨害せられ随而本舎全体之計算も不満足千万ニ候処、本年ハ競争者も消滅し、小田原迄も当方之手ニ帰し其上沼津桃郷ニ皇太子殿下之離宮出来、其御用牛乳を引受、夫是売方も拡張之由御骨折之結果と拝謝仕候、右ニ付掛員之手配ニ差支候間、当節大鳥鉱山ヘ罷越居候福島を貴方ヘ相廻し候様可致旨来示拝承仕候大鳥も浅野と組合経営之処大ニ見込を失ひ到底廃業之外無之と存候間早々吉岡ヘ申遣し呼戻し貴方ヘ相廻候様可仕候
右売乳ハ先以積年之御尽力ニて追々都合を得候様なれとも、牧牛之一方ハ何分利益少く永年御勉強被下候効も相立不申痛心罷在候、併本年より例之商法実施之時機ニも有之候ニ付、其中益田氏と申合向後之取扱方も何とか方法相立申度と存候
東京分店も築地移転之為又経費を要し其上昨年来利益も少く困却罷在
 - 第15巻 p.511 -ページ画像 
候、乍去両方とも今日何様苦情申候とて其詮無之候間詰リハ協賛商業組合とか何とか申振合ニ規約相立、尚引続き貴台と新原氏ニ尽力相願候積ニ候、併可相成ハ此際現実之価格評定之上規約改定と共ニ財産上之評価も改定を要し候ハヽ取極候方と存候、右等も御考御申越可被下候、兎ニ角其辺ニ付而ハ近々益田氏相談之上品ニ寄貴兄御出京も相願可申と存候、右之段拝答旁申上度如此御坐候 匆々不一
  八月三日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々弊屋其他親戚中も別段異状無之候御省念可被下候、貴方も御息災と拝賀仕候也
「相州足柄下郡箱根仙石原村耕牧舎ニ於テ」 須永伝蔵様 御直展 渋沢栄一
封 「八月三日東京より」


渋沢栄一書翰 須永伝蔵宛 (明治二八年)五月二九日(DK150065k-0002)
第15巻 p.511 ページ画像

渋沢栄一書翰 須永伝蔵宛 (明治二八年)五月二九日
                  (福島三郎四郎氏所蔵)
 ○本文略ス。
  五月廿九日                  渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々水利之事其後何分好都合之場合無之御困却之由拝承仕候、野村君大臣と相成候ハ却而今日ニてハ便宜を失し候様相成候得共致方無之候、尚精々御尽力可被下候、且又水利ニ拘らす農桑之事御心配専一ニ頼上候


渋沢栄一書翰 須永伝蔵宛 明治二八年七月二一日(DK150065k-0003)
第15巻 p.511-512 ページ画像

渋沢栄一書翰 須永伝蔵宛 明治二八年七月二一日 (須永一郎氏所蔵)
其後ハ御疎音ニ打過候得共貴牧場之近状如何ニ候哉、然者横浜在留英人アルデ・ロビソンと申人ハ拙生従来之知人ニて、昨年迄ハ横浜外国人商業会議所之会頭をも相勤候者ニ有之、此程書状ニて被申越候ニ同人所有之競走使用之馬匹歩行不自由之もの有之候ニ付仙石原牧場ニて当夏中飼養致度、就而ハ牧場掛員ヘ拙生より申遣呉候様相願度、もし承諾を得ハ其馬ハロヒソン氏より召使之者差出し貴方ヘ御打合致度と申事ニ候、右ハ飼養料之事ハ何とも不申越候得共、定而所有者ニて相弁候心得と存候間只場処を借受相応之世話相頼度と申意味と存候、右来請ニ応し御引受被成候而差支無之哉、不取敢貴方之都合相伺候上本人ヘ回答之積ニ候間至急何分之事御申出可被下候、御承諾と申事なれハ尚ロビンソン氏召使罷出可申ニ付御引合可被下候
乍序申上候ハ兼而御打合申上候水利組合ニ係る仲裁問題ハ其後如何之都合ニ候哉、富田氏ヘハ少々気を永く相待呉候様申入置候得共、余リ抛擲候様相成候而ハ不都合ニ候間もしも結局之見込無之候ハヽ早々其段御申越可被下候、又何とか御心配之途有之候ハヽ今一段御尽力有之
 - 第15巻 p.512 -ページ画像 
度候、山口氏抔同意と申義ニ候ハヽ拙生ニ於てハ折角富田氏是迄之心配も有之候ニ付打合候様企望之至ニ候、早々模様御申出可被下候
更ニ一事申進候ハ、其牧場毎季計算之事兎角報告書も決算書も御差出無之不都合ニ候、詰リ組合事業ニ付、其管理者として適当之御取扱有之度候、拙生ハ兎ニ角他之人々ニ対し余り無規律ニ相成候様之事ハ不都合ニ付為念申上候、呉々も御注意可被下候、右当用可得御意如此御坐候 匆々不一
  七月廿一日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々其中御出京も候ハヽ右等ニ付而は詳細ニ御打合も可仕と存候ニ付、御都合之際御出掛可被下候


渋沢栄一書翰 須永伝蔵宛(明治二七年カ)七月一八日(DK150065k-0004)
第15巻 p.512 ページ画像

渋沢栄一書翰 須永伝蔵宛(明治二七年カ)七月一八日
                    (須永一郎氏所蔵)
其後ハ御疎情ニ打過候得共益御清適奉賀候、然者此書状持参之少年ハ林友吉と申者ニて実ハ田中久尾之実弟ニ有之、当春来修学之為東京ニ呼寄蠣殻町ニ寄寓罷在候処、頃日来脚気病ニて医師より転地療養之義被申聞候得共少年土地不案内之者ニも有之、一人ニて温泉場抔ヘ参リ候而も却而不便ニ付御厄介なから貴方ヘ添書仕候、何卒暫時御世話被下度候、昨今之摸様ニてハ別段服薬等ニ関係ハ少く候得共第一ニ時候を替候義専一と申事ニ付、一週間も貴方ニ滞留候ハヽ必ス平癒可致と存候、何卒暫時之寄寓御許容被下度候
本年ハ暑気殊ニ強く東京抔ハ大暑同様ニ御坐候、牧場ハ如何御坐候哉且本年耕牧之実況ハ何様之都合ニ候哉、売乳店ハ何分計算不充分ニ付此程も新原・松村等ヘ色々相談し経費減少之義頻ニ工夫いたし居候、貴方之計算向も其中御詳報被下度候、右拝願まて如此御坐候 匆々
  七月十八日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
箱根 仙石原牧場 須永伝蔵様 御直展 渋沢栄一
封 林友吉 持参
   ○左掲「書翰」ノ追伸ヨリ推定スルニ明治二十七年カ。


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治二八年)八月四日(DK150065k-0005)
第15巻 p.512-513 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治二八年)八月四日
                    (福島三郎四郎氏所蔵)
  尚々本文之義ハ今日益田君ニも相談いたし候処同人も中野知事之暴言ハ只々驚愕之至と申居候、且右様なれハ尚一段之苦配いたし貫徹致候様仕度と話合候義ニ候、御含迄申添候也
御帰場後之尊書拝見仕候、然者御帰途神奈川県ニ於て中野知事御面会
 - 第15巻 p.513 -ページ画像 
之処意外之有様ニて小生之添書も差戻し種々之悪口暴言ニ渉り候趣驚入候次第ニ御坐候、成程湖水之水相減候時ハ幾分之風致を損し可申歟乍去右等ハ地方官として第二之注意ニて、現ニ其水利ニより水下村々ニ相応之水田又ハ器械場ニても出来候ハヽ、可成其方ヘ尽力すへき職掌と存候処実ニ顛倒之挙動とも可申、乍併右様之心得方なれハ此上ハ宮内省之方ヘ歎願致し、御料局より御内意有之候様心配之外無之と存候間、其中小生岩村局長ヘ罷出御内情も相伺、もしも中野知事被申候通リ御料局ニ絶対的之故障有之候上ハ夫迄といたし可申、又幸ニ夫程ニ無之候ハヽ何とか工夫可仕と存候間、貴方ニてハ只知事之威勢ニ恐れ此儘ニ抛擲と申姿ニ不相成様御高配可被下候、いつれ近日岩村局長面会之上模様早々可申上候、右拝復まて 匆々不一
  八月四日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
  林友吉之義ニ付而ハ色々御厄介ニ相成拝謝仕候、先日出京之際更ニ学校ニ入学之事説諭候処今一回勉強致試可申との事ニて貴方ハ御免相願候義ニ御坐候、彼是御世話損と相成何共拝謝之至ニ候


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治二八年)八月一〇日(DK150065k-0006)
第15巻 p.513 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治二八年)八月一〇日
                    (須永一郎氏所蔵)
御状拝読、然者水利一条ハ到底御料局之意向如何ニ帰し候事と存候間頃日局長宅を訪問致候得共不在面会不仕候ニ付尚両三日中相伺候積ニ候、もしも同局ニて許可候様なれハ中野知事之立服《(腹)》ハ直ニ消滅可致ニ付余り御懸念ニハ不及と存候
軍馬局ニて馬匹御買上相成候ハ好都合ニ候、右様之機会ニ精々御片付可被下候、牛とても乳店必要之分を除き可成売却仕度と存候
貴兄御手代リ之人差出候様との義ハ熟考可仕候得共、書生ニては山中不便之地辛抱如何可有之哉、生意気之牧畜家ハ使用困難ニ有之候、老実ニて健康且勉強と申人ハ中々見当申間敷と存候、併必要との義ニ付益田君とも打合早々見付出し可申と存候
右拝答迄如此御坐候 匆々不一
  八月十日                渋沢栄一
    須永伝蔵様


渋沢栄一書翰 湯浅徳次郎宛(明治三一年)一月三一日(DK150065k-0007)
第15巻 p.513-514 ページ画像

渋沢栄一書翰 湯浅徳次郎宛(明治三一年)一月三一日
                     (吉沢一郎氏所蔵)
益御清適奉賀候、然者一事御心配相願度義ハ老生親戚ニて須永伝蔵と申者、此度水利訴詔之結果《(訟)》ニて名古屋ニ於て禁獄せられ候由ニ候処、右入獄中何か差入物ニても出来候ものなるや、又書状等差出候義ハ如何ニ候哉其辺早々御聞合被下御報知被下度候、差入物之義ハ幸ニ相叶候様なれハ、須永始市川○文次郎・勝間田○勝俣沢次郎と申両人も共ニ処刑を受候義ニて三人同様ニ候間、此三人之者ニ差入申度ニ付、何か御見計被下食物ニても又ハ夜具等の類ニても不自由と被思候品御見立被下度候又書信往復之都合出来候様なれハ、前書水利之事ニ付一書申遣度義も
 - 第15巻 p.514 -ページ画像 
有之候間其辺早々御申越可被下候、右監禁を受候ハ元来仙石原と申処ニて箱根湖水引用ニ付静岡県下之村々と争論相生し、訴詔之結果敗訴《(訟)》と相成終ニ右様刑罰を受候次第ニて、本人等ハ頻ニ其事ニ関し各村之惣代として奔走せしより訴詔本人と相成候義ニ候間、決而一個人として刑ニ触候次第ニ無之ニ付其辺御承引可被下候、右之段書中拝願如此御坐候 草々不一
  一月三十一日
                      渋沢栄一
    湯浅徳次郎様
名古屋伝馬町四丁目 第一銀行支店 湯浅徳次郎様 御直展拝願 渋沢栄一
一月三十一日
   ○耕牧舎ノ事業ハ収支相償フニ至ラザリシモ、須永伝蔵等ハヨク経営ニ努メ明治二十八年ニハ牛二百頭・馬八十頭・田地三十六反ヲ有スルニ至レリ。然シテ同舎所有耕作地ノ用水ハ主トシテ蘆ノ湖ヨリ流出スル早川ニ求メタリ。然ルニ静岡県駿東郡深良村等ハ寛文年間幕府ノ許可ヲ得、隧道ヲ穿チ同湖水ヨリ引水シ居タリシガ、同村ニ於テモ水ノ需要ヲ増シ為ニ仙石原・深良両村間ニ水利ノ紛争ヲ生ジ、仙石原村代表者勝俣沢次郎・市川文次郎及ビ須永伝蔵ハ禁個ノ刑ヲ受ケシコトアリ。


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治三二年)三月六日(DK150065k-0008)
第15巻 p.514 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治三二年)三月六日
                  (福島三郎四郎氏所蔵)
一昨日之尊書拝見仕候、先般ハ裁判上之結果とハ乍申御難渋之場合と相成嘸々御残念千万と察上候、併漸く満期出獄と相成候由爾来御健全之段先以拝賀之至ニ候、他之両君ヘも宜敷御伝声可被下候
富田氏仲裁の事ニ付而ハ此程来状有之、二日附ニて同氏之意見両組ヘ提出之趣ニ御坐候、就而ハ可成丈貴方も譲歩被成右仲裁ニ応諾候様致度ものニ御坐候、此段拝答旁如此御座候 不一
  三月六日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK150065k-0009)
第15巻 p.514 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三三年(八十島親義氏所蔵)
二月廿日 晴
○上略 殊ニ今夜ハ先生自ラ元方事務所ヘ出坐ノ上用務ニ従事セラレ○中略他ニ又耕牧舎乳店員増給評議事等右等用向ニテ夜半十二時迄夜業ノ上帰宅


青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一六四頁 明治三三年二月刊(DK150065k-0010)
第15巻 p.514-515 ページ画像

青淵先生六十年史(竜門社編) 第二巻・第一六四頁 明治三三年二月刊
    第三十四章 牧畜業
○上略
 - 第15巻 p.515 -ページ画像 
同舎ノ資本金ハ四万六千円ナリ、現今牛、洋種牝牡百二十頭・雑種牝牡八十頭・馬雑種六十九頭洋種一頭ニシテ、支舎ノ数六箇所(東京ノ分ヲ除ク)即チ、神奈川県函根町・同宮ノ下・同小田原・静岡県沼津町・山梨県南都留郡谷村町・同北都留郡大原村猿橋ニアリ、牛乳販売石数ハ各支舎ヲ通シテ毎年平均二百八十石余ノ上ニ登レリト云フ


竜門雑誌 第一五三号・広告 明治三四年二月 耕牧舎(DK150065k-0011)
第15巻 p.515 ページ画像

竜門雑誌 第一五三号・広告 明治三四年二月
    (横書)
    耕牧舎
青淵先生六十年史(第三十六章牧畜業《(四)》)に述べられたる如く、弊舎は現に同先生及益田孝君・上田安三郎君等の放資に係かる事業にして、明治十二年以来函根仙石原に一大牧場を開き欧米各国に於ける最改良乳牛数十頭を輸入飼養するの外、此業に要する嶄新の機械を購入し学理を応用して其製法を研究致し常に精撰の乳汁を分泌せしめ且又煉乳牛酪等《コンデンスミルクバタ》をも販売仕居候、弊舎牛乳の純良なるは世上既に定評あれば今更喋々仕らさるも、特殊の廉々の中其重なるものは畜牛の健康を保全せしむる為に特に実験ある獣医を雇ひあり、飼料は最も滋養に富む良好品を給し、乳牛は強健なるものゝみを飼養致し、器具及牛舎は専ら清潔を主とし衛生上最も注意致し、其他信切を基とし華客をして遺憾なからしむる事を相務め候は他に比類なき所と存候、依而当舎販売品多少に係はらす各店の内御便利の箇所へ御注文被下度、去候はゝ早速配達為致候間何卒御引立の程奉願候也
           (横書)
            牛乳搾取販売所
              芝区新銭座町十六番地
                      耕牧舎
                    電話新橋千七百七十番
              下谷区中根岸町十三番地
                      根岸支店
              京橋区新栄町五丁目
                      築地支店
              内藤新宿町二丁目七十一番地
                      新宿支店
              北豊嶋郡滝の川村字西ケ原
                      王子支店
              相州函根仙石原村
                      函根牧場


竜門雑誌 第一六七号・広告 明治三五年四月 東京衛生試験所報告(DK150065k-0012)
第15巻 p.515-516 ページ画像

竜門雑誌 第一六七号・広告 明治三五年四月
    東京衛生試験所報告
              下谷区中根岸町十三番地
  第二四八号                耕牧舎
  一、牛乳       壱種
  右定量分析スルニ其成分ハ左ノ如シ
    固形物総量             一四、〇三七
    脂肪                 四、〇八五
 - 第15巻 p.516 -ページ画像 
    乾酪質                三、七三七
    蛋白質                〇、四五〇
    乳糖                 四、五七六
  以上ノ試験成績ニ依レハ本乳ハ品質良好ナリト認ム
             東京衛生試験所長
              薬学博士 田原良純
              主任技師 瀬川林次郎

  第二〇四号
             芝区新銭座町十六番地
                      耕牧舎
 一、消毒牛乳      壱種
右名称ノ乳汁ヲ腐敗検定ノ為メ当所ヘ差出シタルニ依リ摂氏三十度ノ温度ヘ数日放置セシニ変敗ヲ認メズ
            東京衛生試験所長
             薬学博士 田原良純
             主任技師 瀬川林次郎


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK150065k-0013)
第15巻 p.516 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年 (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 晴
○上略
夜、仙石原須永伝蔵来リ牧場ノ景況ヲ談話ス
一月十二日 晴
午前八時朝飧ヲ畢リ須永氏ト牧場ノ将来ニ関スル談話ヲ為シ、畢テ東京ニ於テ落手セシ書類ヲ調査ス
○下略
   ○中略。
四月十九日 陰
○上略
午後四時、同族会ヲ開ク、余カ留守中ノ事務処理ニ関スル要領ヲ説示ス、三本木開墾業・仙石原牧場・製紙会社・造船所ノ事ヲ詳述ス、穂積・阪谷・篤二夫婦悉ク来会ス、夜十時王子ニ帰宿ス
   ○中略。
四月廿七日 曇
午前七時朝飧ヲ畢ル、須永伝蔵ニ仙石原牧場ノ営業ニ関シテ種々ノ注意ヲ為シ《(スカ)》、上原豊吉来リテ作太郎氏ノ身上ニ関スル談話アリ○下略


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治三五年カ)一一月一九日(DK150065k-0014)
第15巻 p.516-517 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治三五年カ)一一月一九日
                   (福島三郎四郎氏所蔵)
此程ハ安五郎差出し色々御厄介ニ相成候、然者例之水利一条ニ付至急御相談いたし度一事相生し候間市川・勝間田両君とも御打合之上来ル廿四日頃に御出京被下度候、実ハ今日富田鉄之助氏(以前東京府知事勤仕せし人ニて現ニ貴族院議員ニ御坐候)より内話ニて、千家静岡県知事より之内談ニ基き駿東郡と足柄郡との水利争之仲裁ニ相立候見込
 - 第15巻 p.517 -ページ画像 
有之様子ニて、従来老生とハ別懇之間柄ニも有之候間、内々相談有之候、就而ハ老生より御三名ヘ内意を通し其上組合之御内評議も相願度と存候
右之次第に付果して御三人とも出京無之とも可然と存候間不取敢貴兄一人ニても御出京可被下候、但御三人打合之上ハ御一同ニても可然歟其辺ハ御都合ニ任せ可申候、駿東郡之方も村々よりいまた委任状さし出候義ニハ無之、千家知事之心配中と申事ニ付右仲裁談ハ極而秘密ニ御聞置可被下候、但貴方即足柄郡之組合ニてハ仲裁を同意するや否ハ前以内々御意見相定候必要有之候ニ付右等御相談之為申上候義ニ御坐候何卒至急御出京可被下候 匆々不一
  十一月十九日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治三五年カ)一二月二一日(DK150065k-0015)
第15巻 p.517 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治三五年カ)一二月二一日
                  (福島三郎四郎氏所蔵)
月迫御繁忙察上候、然者先頃御内話いたし候富田鉄之助仲裁として立入候義者弥以静岡県下之方ハ依頼書差出候由ニて、足柄県下之方ヘも同氏より表向書状差出度と申事ニ候間、其書状ハ小田原町役場宛ニて送達仕候、依而ハ近日組合会議御開可相成と存候ニ付市川・勝間田両氏とも御申合被成精々御熟議有之度候
右之段書中得御意度如此御坐候 不一
  十二月廿一日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様


中外商業新報 第六四八五号 明治三六年八月二六日 ○箱根湖用水々利事件調停式(DK150065k-0016)
第15巻 p.517 ページ画像

中外商業新報 第六四八五号 明治三六年八月二六日
○箱根湖用水々利事件調停式 箱根湖用水々利使用に関しては、去廿六年以来静岡県駿東郡深良村外六ケ村水利組合と神奈川県足柄下郡仙石原村外七ケ村早川水利組合との間に紛議を醸し、遂に法廷を煩はすこと数回、確執数年に渉りしが、去三十年来に至り富田鉄之助氏之が調停の任に当り慎重且公平の調査を遂け裁断の結果、両組合とも之れに心服して玆に多年の紛争を絶ち双方の感情融和せしを以て、来九月五日を卜し箱根権現社頭に於て調停式を挙行する由、当日は富田氏を初め神奈川・静岡両県知事・駿相両国水利組合関係者及本件に干与せし渋沢男・大倉喜八郎氏其他関係の朝野紳士等数百名臨席する筈なりと云ふ


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治未詳年)四月二二日(DK150065k-0017)
第15巻 p.517-518 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治未詳年)四月二二日
                   (福島三郎四郎氏所蔵)
御書状拝見、小田原乳店之為地所買入と申事ニ候ハヽ貴兄之立替抔ニ被成候ハ却而面白からぬ事と存候間、矢張評議書を以て臨時支出御請求之方と存候、さも無之而ハ所謂公利混淆之弊《(私カ)》を生し可申と存候
富田氏之義者其中福島より承合させ候様可致と存し留守宅へ申付置候、
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八十島に御聞合可被下候、老生も明日出立旅行仕候、右拝答如此御坐候 匆々
  四月廿二日               渋沢栄一
    須永伝蔵様
   ○須永伝蔵ノ歿セルハ明治三十七年八月ニシテ、八十島親徳ノ渋沢家ニ勤務セルハ三十二年以前ナルヲ以テ、コノ間、四月二十三日栄一ノ旅行ニ出デシハ明治三十一年韓国旅行ノトキノミナリ。尚、三十四年四月二十五日ヨリ五月上旬ニカケテ北越ニ旅行セルコトアリ、右書翰ハコノ両年ノ中ノ何レカニカカレルモノナルベシ。八十島ノ就職時期判明セザルヲ以テ姑ク決定ヲ後日ニ俟ツ。但シ水利係争ニ関スル数通ノ書面ト同ジ頃ノモノトモ思ハル。


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治未詳年)九月一五日(DK150065k-0018)
第15巻 p.518 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治未詳年)九月一五日
                    (須永一郎氏所蔵)
其後不相替御勉強被下候事と拝賀仕候、然者此程堀田瑞松ニ面会之処同人先年来発明苦心いたし居候艦体漆塗之事ハ稍其効を奏し、米国艦隊抔ハ追々其塗方依頼有之候由、就而其原料たる漆樹裁培方目下之急務と申事喋々被申聞候、素より空想多き人物ニ付充分ニ信用も仕兼候得共現ニ漆之需用ハ日々相増候趣ニも有之、今日之相場別紙記載之価直有之と申事ハ空言ニも無之由、其上漆樹之培養ハ至極簡易ニテ地味風災之関係等も少く又其肥料ハ殊ニ馬糞を第一といたし候由、旁以貴方ニて栽培いたし候ニハ尤以適当之樹木と存候、就而ハ先頃桑樹植付と御評議せし場処ヘ漆樹植付候様いたし度と存候、且其取扱方も別紙之方法ニより例ヘハ拾町歩植付候ハヽ五部ニ区分し五ケ年ニ採取する仕組ニ致し、五年ニて漆採取せし後其樹ハ根より伐取り其新葉を以更ニ成木せしめ、恰も薪炭山之方法ニいたし候ハヽ次期ニ於てハ一段収獲候由《(穫)》ニ候、別紙之計算ハ只瑞松之予想迄と存候得共、決而無益之労ニハ有之間敷と存候ニ付早々御調査被下可成ハ百町歩位之見込御立被成度と存候、瑞松も栽培法之大体ハ心得居候様子ニて苗木仕立方又ハ植付方及培養手続・肥料用方五ケ年後漆採取之手続迄一ト通り承合候得共何分書中ニ悉皆申上兼候間、箱根辺ニも従事之農家有之候由ニ付実地ニ於て御研究被下、もしも了解被成兼候ハヽ御出京ニて瑞松ニ御聞合可被下候
右昨今承込候儘一応貴案相伺候旁書中申上候、別紙ハ瑞松差出候予算書ニて、充分信用いたし兼候得共御参考迄さし上候、右可得御意如此御坐候 匆々
  九月十五日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様