デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
4款 稷山金鉱(渋沢栄一・浅野総一郎鉱業組合)
■綱文

第16巻 p.577-588(DK160095k) ページ画像

明治33年8月16日(1900年)

是ヨリ先栄一、浅野総一郎ト謀リ礦業組合ヲ組織ス。是日同組合韓国政府ヨリ稷山金鉱採掘権ヲ得。


■資料

渋沢栄一書翰 佐々木清麿宛(明治三三年)四月一〇日(DK160095k-0001)
第16巻 p.577-578 ページ画像

渋沢栄一書翰 佐々木清麿宛(明治三三年)四月一〇日  (佐々木清麿氏所蔵)
  尚々今日ハ未定問題ニ付本店より書通せし哉否確知せされとも、先日来貴出張所へ金地金分析所設置致し相当之技師派遣し常ニ金地を分析し、且即時買入取扱申度と存候、近々決定候ハヽ委細役場状ニて申上候積ニ候御含可被下候
三月三十日附之貴翰四月五日落手拝見仕候、然者石井技師も稷山金鉱之再調査相済京城ニ帰着せられ候ニ付、早速公使及領事へも御相談被下、韓廷ニ対する契約申込も英国モルガン氏之振合ニ少々条項相加へ御差出相成候由承知仕候
右条約書之写及貴兄御代理ニて浅野氏より公使へ請願書差出候写とも都而石井より相廻り一覧聊異見無之候、右出願之名義ハ浅野一名ニ致候次第も詳細ニ来示被下是又承了仕候
右採堀権韓廷より許可せられ候迄当方之決意を示し実際之事業を早メ候為め、福地辰蔵ニ於て採堀権を有する保徳院鉱を当方ニ承継し、直ニ採堀ニ着手致候義も今便石井より詳細ニ其順序申越有之一々領意、至極適当之取扱と存候、依而石井へも夫々此便ニ回答いたし候義ニ御坐候、右石井来報之福地ニ於て採堀権を有する事ハ満足之手続ニて他日彼是異論相生候恐無之哉、公使・領事之御意向も、夫々御聞合之事と存候、是ハ石井へも申遣候得共既ニ今日電報ニて右権利承継之為金弐千円支出之事ハ承諾と相答候程ニ付、当方ニても㝡早懸念ハ不仕候得共為念申上候義ニ候、又福地辰蔵とハ先頃其権利抵当ニて金千円貸与之事御申越相成承諾之旨御答せし義と覚居候、右等も石井へも申通候事ニ候
領事之意見ハ李容翊ニハ頓着せす矢張公使より表面懸合込候方可然、又贈賄等之義も可成ハ見合せ飽迄も権利上韓廷之同意を得候様取斗候方可然との由、当方も至極其手続を相好候義ニ候、只先頃申上候ハ秋月氏より李氏ニ於て妨害候様ニてハ不利益と被申聞候間為念御注意致候迄ニ御坐候、併前陳之契約書弥以許可を得候ニ際し韓廷ニ引合方之都合ニ応し少々之運動費支出之義ハ石井へも此度書通仕候間御協議之上可然御取斗可被下候
殷栗鉄山ニ付而ハ先便ニも申上候如く弥以採堀候ニハ日本へ運搬之方法をも相講し候義必要ニ付、容易ニ着手抔致兼候間向山又ハ鮎貝抔ニてもしも石井をして充分之調査を企望候様なれハ、今一応再吟味ハ可然歟とも存候得共、約定等之事ハ中々卒爾ニ致兼候義と存候御含可被下候、平壌石炭山之事ハ無論相断候様致度ニ付石井へも委敷申遣候御
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関係被下間敷候
前陳稷山金鉱ニ付福地之権利承継いたし、小規摸を以て直ニ着手候ニも、概略七八万円之支出を要し候旨石井より申来候、然時ハ韓廷之契約締結之上ハ興業資金も尚二三倍相増候事と存候、併当方も一時ニ大高之支出ハ困却ニ付所謂小より大ニ及ふと申順序ニ致度と相考へ其積石井へも相答申候
又此金鉱採取ニ付臨機即決出来候様致候ニハ浅野氏出張候方との来書も有之、公使ニも其辺被申居候由ニ候得共目下浅野も種々之事業ニ取掛居自身罷出候も差支候ニ付、運動費之事ハ事実必要之場合ニハ貴兄石井御相談之上小高ニ候ハヽ臨機之取斗被成下度と存候、旁浅野出張ハ此処暫時見合申候、又仁川店西脇氏ハ近々尾高赴任次第帰朝可致候得共、其代り尾高ハ貴方へも罷出候筈ニ付同人ニも品ニ寄御相談被下度候、但当方よりも一応申通候義ニ御坐候、尚石井来状ニ対し詳細ニ回答致置候間御聞合之上夫々御協議被下百事充分之御手配可被下候
○中略
  四月十日                渋沢栄一
    佐々木清麿様
  尚々韓国鉱山採堀ニ対し弐三百万円之資本を有する組合ニても成立候見込有之候哉との御問合ハ承知致候得共、是ハ今日ニてハ何とも確答仕兼候、もしも殷栗抔之見込充分ニ相立候様なれハ或ハ一シンヂケート設立之愚考も有之候得共、既ニ稷山金鉱ハ浅野ニ於て引受度企望ニ付此上別ニ巨大之資金を要し、随而充分利益ある鉱山ニても見当候上ならてハ其相談も相始り申間敷哉と存候也


東京経済雑誌 第四二巻第一〇四四号・第四二六頁 明治三三年八月二五日 ○韓国稷山の金鉱(DK160095k-0002)
第16巻 p.578-579 ページ画像

東京経済雑誌  第四二巻第一〇四四号・第四二六頁 明治三三年八月二五日
    ○韓国稷山の金鉱
曩に府下の浅野総一郎・渋沢栄一両氏より借区を請願せし韓国忠清通稷山《(道)》の金鉱は今春来我駐韓公使より同宮内府外部等の間に種々交渉する処ありしも談判容易に決せず、一時は到底許可の見込なきものとせられしが、此頃に至り遽に韓廷の態度一変するに及びし為め、其要請を入るゝに至れりと云ふ、尚同鉱に関する詳説載せて時事新報にありしを以て以下に転載せり、其借区域は稷山を中心として方六里ありと云へば、安城郡・成歓駅の一部は勿論南方天安・木川地方の一部も其範囲内なるべく、同地方は古来金産地として最も有名なる処にして、口碑の伝ふる所によれば安城郡附近は地下一体に金床にして、嘗て之を採堀したるものあるに、金光燦爛目を眩せしかば直に採堀を中止して之を上聞に達したるに、詔して其辺一帯の採堀を厳禁せられたることありしと云ふ、果して然るや史籍の徴すべきものなしと雖も、兎に角斯る口碑伝はり居る丈に、今尚ほ其辺に金坑多く且つ砂金を産すること夥しき為めに、平安道及び慶尚道地方より採金に入り込み来れるもの頗る多く、稷山郡の四連山麓より山巓に掛けて旧坑新坑相接する程なりと、中にも同山麓の許武内金坑は昨年来仁川在留民にして、安城郡に日語学校を経営し居れる福地辰蔵なるもの同坑主韓人崔光順等と協議の結果之を譲り受くることゝなり、爾来福地の名義を以て韓吏
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に坑税を払ひ韓吏も亦別に之を怪まず殆ど福地の所有権を黙許せる有様なりしが、其後福地も片手間の仕事とて其収支を償ふこと能はず、維持策に頗る困難せる折柄、京城在留の第一銀行出張所主任佐々木清麿氏等之を聞き、其儘に棄て置くに忍びず窃に之を扶助したり、当時工学士石井八万次郎・斎藤精一の両氏は浅野総一郎氏の嘱託を受け、韓国八道の金鉱を視察せんとして京城に来り、加藤公使に会談中偶ま稷山金鉱のことに及びたるを以て、夫より直に該地に出張して取調べたるに甚だ有望なること判然せしを以て浅野氏に其旨を通知し、且つ佐々木・福地氏等にも協議を遂げ、其結果として浅野・渋沢両氏の名義を以て韓廷に借区を申込むことゝなりたるものなり、是より先き同政府鉱山監督たる李容翊等に対しては充分に内議を尽せしことゝて申込むや否や直に許可あるべしと予期せしに、例の韓廷のことゝて遂に今日迄引き附けられしものなりと云ふ、而して石井・佐々木両氏は近日帰朝すべき筈なるを以て其詳細なる報告を得たる上、いよいよ其規模を改め本式に採堀に従事する筈なりと云ふ
  ○「竜門雑誌」第一四七号(明治三三年八月)ニ同記事ヲ掲グ。


竜門雑誌 第一四八号・第二七―二九頁 明治三三年九月 ○稷山金鉱採掘合同条約締結(DK160095k-0003)
第16巻 p.579-580 ページ画像

竜門雑誌  第一四八号・第二七―二九頁 明治三三年九月
    ○稷山金鉱採掘合同条約締結
去月十六日青淵先生及浅野総一郎氏鉱山組合に於て特許を得て合同条約を締結せられたる稷山金鉱は一昨年青淵先生渡韓の当時、韓国当局大臣の勧誘ありて始めて此議起りたるものにして、先生帰朝後昨年理学士石井八万次郎・工学士斎藤精一両氏を派遣して同鉱山の調査を為さしめし所、愈々其有望なることを知り、昨年十二月林公使の手を経て其特許を韓廷に申込み、爾来第一銀行京城出張所主任佐々木清麿・同銀行仁川支店支配人西脇長太郎両氏其間に斡旋せらるゝありしも、例の韓廷のこととて其調印案外に遅延し、漸く去月十六日を以て調印を終るを得たり、今其合同条約文を見るに、年限二十五ケ年間、区域東西六里南北四里、納税毎年純益の百分の二十五にして、其全文左の如し
    稷山郡金鉱採掘合同条約
 大韓国宮内府の所管忠清北道稷山郡金礦採掘権を日本人渋沢栄一・浅野総一郎鉱山組合に許給するに由り、是に左の条款を訂結す
 第一条 渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合は礦山技師をして本条約訂結の日を始とし、二箇年以内に稷山郡を調査し、該所を中点とし約東西六十韓里南北四十韓里の礦区を選定し、其限界内に於て一切の礦物を採掘するを得る事
 第二条 該礦指定限界内にある一切礦物は渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合に採掘を許可し、其採掘及製煉に緊要なる諸般事務を弁理する権利を准許し、大韓帝国政府と宮内府とは本条約期限内に該鉱区の礦物採掘権を他に准許するを得ざる事
  但渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合が該礦区の採掘権を得る前に許可せし礦業人は、渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合起業日を始とし二箇年を限るまで採掘するを得れども、其後は廃止せしむる事
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 第三条 礦山採掘起業は礦区限界確定の日を始とし、一箇年以内とす、若此年限内に起業し能はざる時は本条約を施行するを得ざる事
  但、天災及び意外の事故ありて起業し能はざる場合には、渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合は其事由を宮内大臣に通告し、其延期を求むるを得る事
 第四条 該礦区の採掘年限は起業日を始とし二十五箇年に止る事
  但天災・事変及び意外の事故ありて礦業を中止せし時に、其中止の年月間を延期するを得、此場合には渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合は其事由を列具し、宮内大臣に通告する事
 第五条 礦業に当つる資金・器械及び一切の設備は渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合の担当とす、若し損傷欠乏あるも宮内府は其責に任ずることなき事
 第六条 工場・倉庫と諸般建築・陸揚場及道路修繕等の節は、第一条所定限界内にて適宜使用するを得る事
  但是等設備の為め緊要なる土地買入・借入其他損害に対しては、渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合の担当たる事
  但慰礼城新羅古都環五韓里、青竜山大院宅墓所環十韓里及人民墳墓のある所は切に犯し入ることなき事
 第七条 該礦山地区及建造家屋・道路等必要なる地所は免税し、該礦所用各種器械・物品を外国より輸入し、及該礦山所出の礦物を外国に輸出する時は其輸出入税を免除する事
 第八条 該礦山採得総額中採得に係る一切経費を控除し、其余百分の二十五を大韓宮内府に上納する事
  但上納期日は毎年両度とし、六月末及十二月末を以て定むる事
 第九条 大韓宮内府は該礦近地に官吏を派遣し、分局を設置し、該礦の収益を検察せしむる事
  但該派遣官吏は礦山事務及販売に付干渉することなき事
 第十条 該礦に使用する人夫・工匠等は渋沢栄一・浅野総一郎礦山組合の任意雇用を得れども人数十分の九は大韓人を使用すべし、事務に慣れず又は雇入に応せざる場合は外国人を以て之に代ふることを得る事
 第十一条 此条約は日韓両文を以て各二通を作り、各自記名調印し各其一通を領収し、後日憑信となす事
如此条約も締結せられたれば、愈々採掘工事に取掛るまでには更に詳しく実地の調査を為すの必要なるを以て、目下事務長としては古田良三、技術長としては工学士前川益以の両氏渡韓して、実地調査中なるが、其終了次第新式の機械を据付け、種々なる設備を整へて採掘精煉に着手せらるゝ筈なりといふ、曩には京仁鉄道の特権を米人より我に収めて既に十分なる成功を告げ、今又稷山金礦の特許を得て其採掘に従事せんとす、吾人は双手を挙げて快哉を呼ぶと与に益々我邦人が進んで海外の事業に着手せんことを熱望するものなり


中外商業新報 第五五八六号 明治三三年九月一一日 稷山採掘許可顛末(DK160095k-0004)
第16巻 p.580-581 ページ画像

中外商業新報  第五五八六号 明治三三年九月一一日
 - 第16巻 p.581 -ページ画像 
    稷山採掘許可顛末
  朝鮮に於ける金鉱稷山採掘権は先頃渋沢・浅野の両氏に許可せらるゝことになりたるか、此事に付き専ら韓国にありて其衝に当りたる第一銀行員佐々木清麿氏の顛末談左の如し
稷山の問題は、丁度加藤増雄氏が朝鮮公使をして居るときに起つたので、其時朝鮮に銀貨を造りたいと云ふ意思があつて其当時の典圜局長の李容翊があらゆる公使に依頼して銀貨を鋳造する資金を五百万円丈借入れたが、夫を頼むに就て丁度其典圜局長が鉱山監督の役を兼て居りましたから、銀貨鋳造の資金を借るに付ては鉱山を掘らして夫で消却して往かうと云ふ肚があつた、そこで其意味で以て露西亜・亜米利加・日本等の公使に相談を致した所が、亜米利加の公使は云はゞ朝鮮には希望を持つて居らぬと云ふ姿であるから本気になつて相談に乗らない、日本と露西亜とは従来の関係上天秤に掛けられて居たものであるから、露西亜公使に頼むにはあなたの方で出来なければ日本でやると云ふて居りますからと云ひ日本公使に頼むにはあなたの方で出来なければ露西亜の方でやると云ふて居りますからと云ふて、両方を引掛けて居ると云ふ有様であつた、所が当時日本の実業会社では朝鮮と云ふものに左程重きを置かず、又我政府も十分なことを朝鮮でするだけの勇気を持たなかつた、そこで鉱山問題も貨幣問題も始終グズグズになつて居つた、然るに加藤公使の時代になつてから後稍々此貨幣問題に伴ふて鉱山問題が盛になつて来て、公使より日本の或る有力者に一つ朝鮮にある鉱山の視察をさせて其鉱山の採掘権を得させて夫から貨幣鋳造の資金を出さすやうにしよう、詰り貨幣鋳造の資金を出さず便宜に鉱山の採掘権を許させやうと云ふ意向を持つて来て、夫から加藤氏は三菱にも話をし、三井にも相談をし又西脇氏及私を通じて渋沢さんにも話を致した所が、日本の実業社会の人々は朝鮮に沢山の資本を卸して営利事業をやると云ふことは中々しない時代であつたが、渋沢さん丈は一昨年朝鮮にも来れたことがあると云ふ次第で、先生は朝鮮に対しては、先づ日本の側から是非共朝鮮に利益線を拡張しなければならぬ、朝鮮の事業に着手して日鮮貿易を起さなければならぬと云ふ意向は充分に持たれて居つた、そこで鉱山のことゝ云ひ、又貨幣のことゝ云ひ、銀行のことゝ云ひ、動ともすれば仕事をしようと云ふ人は渋沢さん丈であつた、そこで鉱山のことに付ても先以て渋沢さん辺りがやつて見やうと云ふ心持が出て来られたので、丁度昨年の七月私がこちらに支那から帰つて来る其間に渋沢さん浅野さんから斎藤・石井と云ふ両人の鉱山技師を派遣されて、此両人に朝鮮全躰の鉱山を見せて、詰り見込のあるものがあれば宮内府と共同の利益分配案に依つて採掘をして見やうと云ふ意向であつた(未完)


中外商業新報 第五五八八号 明治三三年九月一三日 稷山採掘許可の顛末(承前)(第一銀行員佐々木清麿氏談)(DK160095k-0005)
第16巻 p.581-583 ページ画像

中外商業新報  第五五八八号 明治三三年九月一三日
    稷山採掘許可の顛末(承前)
               (第一銀行員佐々木清麿氏談)
夫から其技師が先づ朝鮮に於ける鉱山の大躰の観察を為して帰つてから渋沢さんに報告をした所が、丁度其時技師が朝鮮に来る前に加藤公
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使が更迭になつた、今迄朝鮮の王室に最も親しく各国公使から最も信用を得て居つたと私共が思ふ加藤公使が変つて、其後に日本の方では極く敏腕であると云ふ評判の林さんが行かれたものであつたから、朝鮮の意向にしても、今度の公使は今迄の如く穏当で総て平和主義にやられると云ふ方でなからう、従つてどんな問題が起るやも知れないと云ふ懸念が一方に起つた、夫で林公使の来られた当時も、矢張鉱山は是非一ケ所は取らなければ外国に対しても顔が立たぬと云ふ訳で、林さんも十分其考は持たれたことであつたか、其時渋沢さんの派遣された技師の報告に依ると、朝鮮の山は余り見込はなからうと云ふ報告であつた、併し石井技師の方は丸切望みのないと云ふ報告ではなく、或二個所ばかりは十分やつて見て望みかあると思ふから、自分はもう一遍調査をさせて貰ひたいと云ふことを渋沢さんに報告した、それから一方では私から是非此処で鉱山を一つ取らなければ我国のために朝鮮に対する利益線を十分に拡張することか出来ない、之は是非ともやらなければならぬと云ふ勧誘があつた、其結果夫では石井技師の云ふた二ケ所内一ケ所でも取つて見やうかと云ふ考が起つて来た、其二ケ所と云ふのは殷栗の鉄山及び安城の金山で、是が望みがあると云ふことで稷山も取れば取りたいと云ふ意向であつた、所が安城と稷山とは一つであつて決して二つに分けることの出来ない山で、安城を取れば稷山を取らなければならぬ、稷山を取れば安城をどうしても取らなければならぬと云ふことで、先づ其二ケ所を東京から取つて貰ひたいと云ふことを申して来た、丁度昨年の十一月三日附の書面で渋沢さんから云ふて来たには『昨年七月中視察の為め派遣した石井・斎藤の両技師の報告に依れば、殷栗の鉄山及安城の金山が有望と云ふことであるから相当の契約で採掘が出来れば是非奔走して見て呉れ』と云ふことを申送られた、所が斯うは云ふて来られたものゝ未だ必ず取れと云ふ意見は纏つて居なかつた、夫れがために其の書面到着後二週間計りは私共も本気になつてやると云ふことに至らなかつた
所が玆に愈々鉱山の願書を差出すことに至らしめたる重大の原因があるので、夫は英人のモルガンと云ふ人が英吉利公使に鉱山の事に付て一つの依願を致したので、丁度今より二年前モルガンが朝鮮に於て或制限を設けた外に鉄山を見出したれば其採掘を許可して貰ふと云ふ予約を結んで居つた、其予約に依つてモルガンは殷山が宜いと思ふから其採掘権を与へて呉れいと云ふ請求をして非常なる公使の運動を希望した、其当時の英吉利公使はジヨルダンと申ましたが、此モルガンは自身で朝鮮にやつて来て居ないが宮中府中に運動して、表面上英吉利公使は毎日の如く外部に出頭して強固なる要求を為し、殆ど一年以上も掛つたけれども朝鮮で容易に許すといふ場合には至らなかつた、そこでジヨルダンが段々穿鑿をして見ると、元来鉄山の要求に付て内部の苦情は兎に角として外部に苦情があると云ふことを発見した、其苦情と云ふのは一は露西亜公使の云ふ所に依ると、朝鮮国王が二十九年の争乱の際に露西亜の公使館に遁げてござつたことがある、其当時朝鮮国王と公使との口約に朝鮮の宮内府に於て他日宮内府所轄の鉱山を採掘するときには、技師並びに労働者は露西亜人を採用する――露西
 - 第16巻 p.583 -ページ画像 
亜から出して貰つても宜い朝鮮から供給しても宜い、総て宮内府所轄の鉱山は露西亜公使の意向に依つて採掘をしやうとすまいと勝手にすることが出来るといふ口約があると申して居るのである、夫から又一方では亜米利加の公使は雲山の金鉱王のハントと云ふ人と宮内府との間に密約がある、書面で約束が出来て居る、其文句中に朝鮮の宮内府の所轄鉱山は総てハントに採掘を許す、若しハント以外の人が採掘を請求しても先以てハントの承諾を得なければ許すことは出来ない、と云ふ契約があると云ふことである、そこで果して是等の約束は事実であるや否やと云ふことは他の問題として、兎に角英吉利の公使は大によわつた、自分の要求して居る殷山は取れない而して一方に斯う云ふ苦情があると云ふことであるから大に迷惑を致した、そこでその迷惑を林公使の所に相談に来た、自分の方では殷山を要求して居り且つ自分の方は予約迄あつて何時でも朝鮮の宮内府で制限したものを除くの外はどれを選ばうと勝手に出来る夫故殷山を要求した、之は決して理窟上不道理のことではないにも拘らず今迄経つても要求を容れて呉ない、一方には露・米の苦情がある若し此苦情が真実でありとすれば御互に打破らなければならぬと云ふて林公使の所に相談に来た(未完)


中外商業新報 第五六〇〇号 明治三三年九月二七日 稷山採掘許可の顛末(承前)(第一銀行員佐々木清麿氏談)(DK160095k-0006)
第16巻 p.583-584 ページ画像

中外商業新報  第五六〇〇号 明治三三年九月二七日
    稷山採掘許可の顛末(承前)
               (第一銀行員佐々木清麿氏談)
英人モルガン氏が要求した殷山は、其立派なる予約に基き居りたること、又英公使並に請求の当事者たる英人モルガン氏が自身に出馬して内外充分の運動と談判に手を尽したるに、猶且つ容易に許可を得がたき内外の故障があつたので、日本の公使に助力を頼んだとの事は当時の新聞にも見へた様でもあり、又世間に大分評判して居つたようでしたが、其後話合が如何に進行したるか事外交に属することで我々は承知しませんが、事実として顕れたることは日本の人夫が百余人も殷山に雇はれて行つたことであります、而して日本人夫が殷山に行きて鉱区占領の姿も見受けました、且又此からモルガン氏の運動は内外共に強硬に成つて、韓廷の要求拒絶も亦其往復を急にし、此間公文の往復は実に激しかつた様子でありました、而して韓廷では近傍の兵を出して之に抵抗しようとした模様も見受けました、此んな有様で本年三月に至り漸く殷山の採掘権を英人モルガン氏に許可になり、契約も調印となつた、最初予約をした時から計算しますと、満二年以上にもなつて居ると云ふことであります
殷山要求と拒絶と英韓交渉の干係が密であつた際、支那人は当時赴任した全権大使徐氏を通して宮内府管下の貢米並に全国の産出米の一手買占をしようと企て、其内運動も余程進んで居たことを聞込ました、此も少し根本を質せば貨幣鋳造資金を支那より借入れんと目論見た韓人の言葉に乗して如才なき支那人が此計画をなしたものと分つたのです、此も若し事実行はれましたらば日本の貿易商には重大の害となるのであらうと、我々は随分苦心して其成行を見て居りました所、此話も其後如何に成りましたか外交の秘密で我々は矢張知りません
 - 第16巻 p.584 -ページ画像 
以上の如く当時は色々の外交事件も起り、旁々我々も礦山の要求は一日も速にするのを得策と信しまして、東京の資本主にも交渉して先以て兎も角も私が代理して昨年十二月二十一日付にて安城・稷山の二金鉱、戴寧・殷栗・長漣の三鉄鉱都合五ケ所の採掘許可を公使の手を経て韓廷に要求しました、此五ケ所を一人の名義で要求したのは少々慾張の様に考へる人もありましようが、之は資本主の注文ではなく、我我の考からしたことで元来朝鮮のこと故に都合能くば五ケ処共に取るることもありましようが、若し都合悪しければ一ケ処に止めやう、要之に鉱山なり金山なり先方の意向次第にて撰択は当方の手に存せずとの心組でありました、且又一山にても多く取り置けば、後日何か御役に立つ時があらうと考へたからである、然るに段々要求の後内外運動の進行を見ると、種々の妨害も起りて中々五ケ処はサテオキ一ケ処も或は六ケ敷からんとの心配も起りました
蓋し朝鮮のことは後で悟つた処では、外交のみでは行かず、理屈のみでは行かず金銭のみで行かず、情実のみで行かず、先以て外交は無論のこと之に伴ふて金銭・奔走・熱心・気永等の要素がなくば中々以て一事件でも纏りませぬ、殊に自分の利益なることに付ても中々一時には決心の出来ぬことであるのに、朝鮮は外国より利益を得んこととては一もなく、如何なる交渉でも先以て自国の利益を割与すると云ふことのみにて彼国外交方針と云へば一に防禦のみに傾き、外交の長者と云へば外国に利益を与へずと云ふことを格言にして居る所故に、進取する方にも其丈のことは覚悟して掛らねばならぬ、単に強力の圧制のみ又理屈のみにては中々容易に成効は出来ぬ、此ことは今回充分私は悟得しました、其から朝鮮にて仕事をなすには色々の人物が必用であります、公使の御尽力は申す迄もなく韓廷内部人の助力、其中間に立つ日韓人、当方の熱心なる運動者、此等は何れの場合にも揃はなくては中々手を下すことは出来ませぬ、此も今度実験しました、此等は理屈では説明の出来ぬことであります
而して韓廷の役人は朝任暮免の姿で其役人も少しも職責を重んぜぬと云ふ有様であつて、其職にある間は充分の尽力をしますが其職を去ると再び顧みもしません、又事実口をきくことも出来ませぬ、此は朝鮮へ足を投ぜられたる人は皆御存じと考へます(未完)


中外商業新報 第五六〇三号 明治三三年九月三〇日 稷山採掘許可の顛末(承前)(第一銀行員佐々木清麿氏談)(DK160095k-0007)
第16巻 p.584-586 ページ画像

中外商業新報  第五六〇三号 明治三三年九月三〇日
    稷山採掘許可の顛末(承前)
               (第一銀行員佐々木清麿氏談)
元来日本人で礦山を採掘して見たら如何だと云ふ勧誘は、当時韓国礦山の監督者であつた李某より申来つたことで当方は其勧誘に乗したる迄のことであつた故に、最初は要求さへすれば一も二もなく直に許可さるゝ事と考へました、而して当方か要求した際には其李某は少々羽振か悪くなり掛つたときであつて、夫より段々勢力を失ひ遂に一職も之を実行する事を停止せられて丸て無官の太夫同様と相成りました、若し同人が在職したらんには或は速に許可せられたかも計られませんが、又能く考へて見ると英国か彼の運動と尽力を以てしても、漸く二
 - 第16巻 p.585 -ページ画像 
ケ年後に許可せられたる点より察すれば恐らくは国際上完全の採掘権は中々得らぬものと考へます
右様の次第にて鉱山監督者の勧めに因りて発起した当方の採掘許可の要求も、折角要求はなしたるものゝ内部で黙諾奔走し呉るゝ人物を失ひましたから一時一寸橋渡の人のないのに困りましたが、此間公使の御尽力は実に口で云へぬ程でありました
此際世間の考では他に色々の世話人を頼むよりは、寧ろ李某か再び其地位を得る時期を待て交渉の進行をなす方が得策であらうと忠告して呉れた人もありましたが、何分我々の考にては李某の地位は容易に其回復は六ケ敷からう、又其不期のことを待つ内に折角の思立が消滅することがあつては往かぬから、是非共良ひ《(い)》仲人を得て速に成効したいと考へて居りました
是より前に稷山には日本人の福地と云ふ人が、昨年の六月以来許竹内と云ふ一ケ所に韓人の礦穴五六ケ所を買取つて、組合の数人と共に其一ケ所の採掘に従事して居まして九月頃迄は其採得砂金で収支償ひ行きましたが、九月末より十月に掛けて霖雨の為めに礦穴に水が集りて之を汲出す事が容易でない、ポンプを具ふるには資金がなく、坐食するには維持費なく殆んど其持続に困りて、我輩に相談して参りました聞けば聞く程気の毒でありましたから、先づ当分の維持丈を私の嚢中から出金して其鉱と夫から同人の権利とを抵当に取りて何かの役に立てんと思つて居りました、此は十月の末のことと覚へます、又一方に当方でも稷山を要求しようと云ふ腹がありましたから、若其場合で全部の採掘権の許可は後日になつても、兎も角も山の実務は日々小計画で進行せしめて行度い考で、福地の目下の事業が大に根拠にならんかと考へました、夫から願書差立後、其れ是れして居る内に資本主よりは二月末技師を再び派遣せられまして稷山を充分に取調べさせ、先づ以て此を主として要求することになつて、幸ひ福地の関係より山の事業は全部の許可なき前にも追々進めることも出来て頗る好都合に参りました、又一方に公使の御尽力も段々工合能く進み猶又宮中勢力者の一人が自分が尽力にて許可を得てやらうと申す人も出来て交渉の順序も揃ひ、夫より遂に契約案も出来、協議も都合能く纏り、去八月十六日を以て公使の御面前にて私が代理して契約に調印することに至りました、最初要求を差出してから満八ケ月経つて落着を見ました、之を京釜鉄道の三年目に、殷山の二年目に成功したのに比しますれば今回のことは先つ上出来の方と考へます、此数ケ月間に於ける公使の御尽力は申す迄もなく、資本主の御辛抱は実に感するの外はありませぬ、私が又偶然にも京釜鉄道の条約にも調印者となり、今回の金礦条約書にも代理人として調印をなすの栄を得たるは、誠に此上なき僥倖と考へます
只此上の希望は此金鉱は日本人が韓国、寧ろ外国に於て始めて得たる山で、金鉱其物は韓国で有数のものと云ふことであり、又権利を得たる人は普通の山師でなく真実実業界の泰斗でありますから、誠に揃ひも揃ひたる好都合と存じます、故に充分の調査と充分の設計を以て此山の真価を完全に世に示すことは数年の内であらうと信じて疑ひませ
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ぬが、一方に雲山は米人が余程盛大に事業をなしつゝあり、又一方に殷山は英人が今や大設計をなさんと致して居る際故に、此等に耻ぢざる様に充分に御計画をなして下さらんことを希ひます、又後には仏国人の要求者もありますから、此模範ともなり又他の日本人が此より朝鮮の鉱山に注目して彼我の利益を挙くることに付て進で資本を投ずるやうにもなりまするで、さすれば我先輩の御尽力も我等の寸功も大に面目あることと此よりして深く資本主に謝します(完)


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK160095k-0008)
第16巻 p.586 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年          (渋沢子爵家所蔵)
十一月十二日 晴
○上略 午後五時掬翠楼ニ於テ、稷山金鉱出張井上工学士・古田良三及尾高・原田・岡ノ諸氏ヲ招宴ス、蓋シ明日ハ前川氏ノ案内ニテ元治ト八十島トヲ同鉱山ニ派スルニヨリ共ニ会食セシムル筈ナリシモ元治・八十島ハ他ノ案内ニテ出席シ難ク前川ハ風邪ナルニヨリ欠席セリ、酒間種々ノ要務ヲ協議シ且井上・岡氏等ノ労ヲ謝ス
  ○栄一コノ月五日以後韓国ニ在リ。


韓国鉱業調査報告 黄海道・京畿道・忠清南道及平安南道ノ南部(DK160095k-0009)
第16巻 p.586-587 ページ画像

韓国鉱業調査報告  黄海道・京畿道・忠清南道及平安南道ノ南部
              農商務技師   伊木常誠
              鉱山監督署技師 鈴木四郎
    緒言
本官等曩ニ韓国黄海道・京畿道及忠清南道ノ鉱山調査ヲ命セラレ、明治三十八年四月十五日東京出発、同二十一日韓国京城ニ到着シ、数日間旅行準備ノ為メ同地ニ滞在シ、調査旅行ノ途ニ就キ、命令区域内ヲ巡回スルコト約六ケ月ニシテ十月二十四日京城ヲ辞シ、帰朝ノ途ニ上リ同三十一日東京ニ帰着セリ○中略(報告書中ニ現今又ハ現況トアルハ凡テ巡回当時ヲ云フモノナリ)
○中略
    五 稷山金山
      (一)位置
稷山金山ハ、忠清南道ノ北部稷山郡内ニアリ、京城ヲ距ルコト約二十里、京釜鉄道及両湖街道ハ其西辺ヲ通過シ、交通至便ノ地位ニアリ、金鉱事務所ハ有名ナル成歓駅ノ東南約三里半ノ所ニアリテ鎮川街道上ノ一駅タル保徳院ニ設置セラル、金産地ハ保徳院ノ西北約三十町ニ於ケル笠場ヲ中心トシテ一里乃至一里半四方ノ地域内ニ散在シ、就中最モ著名ナルモノハ許武内・沙長谷・亀谷洞ノ石金及三街・薪頭・梅洞ノ砂金地トス
      (二)沿革
抑本金山ハ古来ヨリ韓廷ノ稼行シ来リシ所ニシテ、三十三年頃韓廷ハ英・米等ノ諸国人ニ鉱山採掘ノ特許ヲ与ヘシヨリ、我国ニテモ渋沢・浅野組合稷山金山採掘ノ権ヲ得ンコトヲ申込ミ遂ニ特許セラルヽニ至レリ、爾来数年間同組合ハ専門技術家ニ託シ採掘ヲ試ミ、一時ハ多少ノ産金ヲ見タリト雖モ種々ノ故障ニ遭遇シテ経営上一頓挫ヲ来シ、現今ハ僅カニ三街ニ在テ砂金採収ニ従事スルニ過キス、鉱区ハ安城・屯
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浦・天安・木川及鎮川郡石峴ヲ通ジテ連絡セル線内ニシテ、大約三十平方里ノ面積ヲ占メ、二十五ケ年ノ期限ニシテ年々純益ノ百分ノ二十ヲ上納スルノ契約ナリト云フ
○中略
金鉱事務所ニテ三十八年四月ヨリ同九月ニ至ルマテ収得シタル金ノ量目ハ左ノ如シ
                            匁
 税金《(マヽ)》(砂金・石金・乾沙軍《(マヽ)》) 一八四〇・四五
 三谷里直営所採金               一一九三・二〇
之ヲ代価ニ見積レハ一万九百円余ニ上レリ


渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治三八年)一月五日(DK160095k-0010)
第16巻 p.587 ページ画像

渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治三八年)一月五日  (八十島親義氏所蔵)
○上略
過日浅野氏被参相談致候稷山金鉱爾来之経営ニ付而ハ清水氏へ早々一書御差出可被成候、且石井と申人派出之事及同人着後砂金採収ニ付而之着手順序且資金之見込等まて概略此程会話之顛末為念御申通し被成置度候、右ハ昨日申残し候ニ付一言仕候○中略
  一月五日
                        栄一
    八十島親徳殿
         梧下


渋沢栄一書翰 亀島豊治宛(明治四〇年)一二月三一日(DK160095k-0011)
第16巻 p.587 ページ画像

渋沢栄一書翰 亀島豊治宛(明治四〇年)一二月三一日  (亀島豊治氏所蔵)
其後ハ打絶御疎情申上候得共賢兄益御清適御坐可被成奉賀候、先頃ハ稷山金鉱調査之義御依頼申上候処、早速御出張被下詳細御取調相成其報告書も御廻しニて拝見仕候、其際貴方よりテーラーヘンリー等之人人も出京ニて種々実況も承合、終ニ契約中之金額ニて壱万五千円を支出致候義ニ御坐候、就而此度財務総長として足立太郎氏を派出し、将来経営之手続をも考究し、鉱山之真想も能々調査之筈ニ候間、同氏より御打合之義も候ハヽ御意見篤と御示し被下度候、又向後之取扱方ニ付自然足立氏より御相談申上候都合も御坐候ハヽ、可成丈便宜ニ相成候様御助力被下度候
足立氏ハ明年二日当地出立ニ付、五六日頃ニハ京城へ参り可申と存候間委細御面会ニて御聞取可被下候
○中略
  十二月三十一日
                      渋沢栄一
    亀島豊治様
        梧下
  尚々稷山に関し、貴台御身上ニ御相談申上候義可有之歟と存候得共、直接老生より申進候も如何ニ付足立氏より市原君へ打合候様可相成と存候、御含まて此段申添候也


渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治四一年)八月二九日(DK160095k-0012)
第16巻 p.587-588 ページ画像

渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治四一年)八月二九日  (八十島親義氏所蔵)
○上略
 - 第16巻 p.588 -ページ画像 
過日申進候義ニ付夫々御取扱之趣詳細之御回示承知仕候、稷山之事も詰り帰京之頃合ニ浅野氏も帰朝と存候間、其上篤と打合夫々心配可仕と存候
○中略
  八月廿九日
                        栄一
    八十島親徳様
         拝答
  ○胆振国登別温泉滝本館ヨリ発状。


渋沢栄一書翰 八十島親徳宛明治四二年二月一七日(DK160095k-0013)
第16巻 p.588 ページ画像

渋沢栄一書翰 八十島親徳宛明治四二年二月一七日  (八十島親義氏所蔵)
過日ハ御出京御苦労ニ存候、小田原御越後ハ別条も無之由折角御摂養専一ニ祈上候
避寒御転地之場合ニ屡申進候も無心之至ニ候得共、此程稷山より来状ニて少々議論ケ間敷申出ニ接し候、要するニ彼等自己之計算不如意なるより色々不穏当之考相生候ものと存候、併其儘ニ打捨置候訳ニハ相成兼候間不取敢前原氏へ内状を遣し其真想為相探候積ニ候、又一方ニハ曾而御相談之一案稍具体的ニ成立候ハヽ近日彼等之出京を促し百事面会之上談判候様致度と存候、乍去もしも法律上之談論不相生とも難申ニ付貴兄之御身体ニ於て病気ニ格別之御障無之義ニ候ハヽ尚一応出京夫是御面議いたし度と存候、右一書可得貴意如此御坐候 匆々不一
  二月十七日
                      渋沢栄一
    八十島親徳様
         拝答
○下略



〔参考〕新実業 第六号・第一三七頁 明治四〇年五月 韓国大工業計画(宮内府と渋沢・浅野両氏)(DK160095k-0014)
第16巻 p.588 ページ画像

新実業  第六号・第一三七頁 明治四〇年五月
    韓国大工業計画(宮内府と渋沢・浅野両氏)
韓国に於ける工業の発達せざるは主として資本の欠乏と企業者に適材を得ざるとに依ると為し、同国宮内府は目賀田財政監査長官を経て浅野総一郎・渋沢栄一の二氏に対し共同事業として平壌の石炭山《(灰カ)》を利用して大セメント製造業を営み、且つ稷山地方に於ける金鉱採掘事業を始め各種の大工業を起さんことを交渉し来りしに、二氏は非常の熱心を以て同意を表し取敢ず浅野氏実地調査及契約締結の任に当り、五月五日出発渡韓の予定なりしに生憎夫人病気の為凡そ十日間の予定にて延期したり、兎に角韓国宮内府対浅野氏及渋沢氏の共同事業として韓国に大工業の勃興するは必ず遠からぬ内にあるべしと云ふ