デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満州
1款 東華紡績株式会社
■綱文

第16巻 p.668-675(DK160112k) ページ画像

明治28年11月(1895年)

是月栄一、松本重太郎・佐伯勢一郎等ト共ニ東華紡績株式会社ノ創立ヲ発起シ、清国上海ニ工場ヲ設置セントス。

其後事業因難ニ付三十年ニ至リ解散ス。


■資料

青淵先生六十年史 竜門社編 第一巻・第一〇九一頁 明治三三年六月再版刊(DK160112k-0001)
第16巻 p.668 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編 第一巻・第一〇九一頁 明治三三年六月再版刊
 ○第十九章 綿糸紡績及織布業
    第六節 東華紡績会社
東華紡績株式会社ハ明治二十八年十一月ノ交青淵先生及松本重太郎・佐伯勢一郎等ノ発起ニ係ル、其目的ハ清国上海ニ紡績工場ヲ開設スルニアリ、其資本金三百万円ナリ、然ルニ其後金融逼迫ノ為メ事業困難ニ付三十年七月ニ至リ解散ノ決議ヲナシ現ニ清算中ナリ


玉木永久氏談話(DK160112k-0002)
第16巻 p.668 ページ画像

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東洋経済新報 第四号・第二九頁 明治二八年一二月一五日 東華紡績会社(DK160112k-0003)
第16巻 p.669 ページ画像

東洋経済新報 第四号・第二九頁 明治二八年一二月一五日
    ◎東華紡績会社
東華紡績会社は大阪の有志者相図りて設立計画を為す所に係る、去月廿九日の発起人会に於て議決せし所に依れば、本社を大阪に工場を上海に置き、資本金三百万円を以て綿糸紡績業を営む、当日選挙されたる創立委員は田中市兵衛・金沢仁兵衛・松本重太郎・野田吉兵衛・佐伯勢一郎・田辺貞吉・亀岡徳太郎・田村正寛・山辺丈夫・菊池恭三の十氏にして、発起人は七十名なり


東洋経済新報 第八号・第一八頁 明治二九年一月二五日 上海に於る我綿糸紡績業の前途(DK160112k-0004)
第16巻 p.669 ページ画像

東洋経済新報 第八号・第一八頁 明治二九年一月二五日
    ◎上海に於る我綿糸紡績業の前途
上海に於ては昨年より新たに開業する紡績会社六社を増すべし、其二は我東華・上海の両会社にして他は怡和洋行・茂生洋行其外なりとす而て従来執業のもの四社あれば併せて十社となり、随て同地に於る綿糸の供給は急に非常の増進を見ると同時に或は需給の権衡を失うて営業の不結果を来すことなきやとは往々世人の憂ふる所なれ共、事情に通ずる者は其等の杞憂を懐かず、其次第は清国内地の需要は概ね二十手以下の太糸にして従来四社の製造にては到底不足なればこそ孟買及我国の輸出品を仰ぎしなれ、故に決して需給の権衡を失するが如きことはあらざるべし、良し又供給過多の極外人の紡績所と競争を生ずるに至るとも我は優に彼と戦ふを得べし、何となれば監務費給料其他の点に於て彼は我より一層の多額を要し、職工の点に於ても彼は我に劣れり、而て我は一梱に付関税運賃を引去り少なく共内地より四円安に製造し得べきを以て供給過多の虞ありとて敢て憂ふるに足らずと云ふに在り、蓋し馬関条約の結果として外人及邦人の遽かに紡績業を上海に興したるは唯に清国に於る従来の需要のみを見込たるにあらずして主として長江の航業進み鉄道開け清国内地一般の開発に随て需要の大に増加すべきを見込みたるなり、故に今に於て供給過多の憂はなしとするも需要益々増加すれば供給も亦随て増加せざるを得ず、但其極供給過多の結果を生ずることあるは往々見る所なれば、当業者たる者予め競争の覚悟なかる可らざるなり


東洋経済新報 第一〇号・第三五頁 明治二九年二月一五日 【東華紡績会社 は去…】(DK160112k-0005)
第16巻 p.669 ページ画像

東洋経済新報 第一〇号・第三五頁 明治二九年二月一五日
◎東華紡績会社 は去五日創業総会を開き重役の選挙を行ひしに、社長に松本重太郎氏、取締役に野田吉兵衛・金沢仁兵衛・佐伯勢一郎・金沢仁作・田村正寛の諸氏当選したり、同社は曩に上海居留地の西北部に三万二千坪の地を買入れたれば、之に紡機七万五千錘と織機千台を据付くべき工場を建築する筈にて、機械は来九月中到着すべし、又近日支那工手廿名を呼寄て紡績を練習せしむと云ふ


東洋経済新報 第一四号・第三三頁 明治二九年三月二五日 清国に於る我商工業に就て(DK160112k-0006)
第16巻 p.669-670 ページ画像

東洋経済新報 第一四号・第三三頁 明治二九年三月二五日
    ◎清国に於る我商工業に就て
上海紡績会社株主の多数は上海に紡績所を設くることを見合はすに同
 - 第16巻 p.670 -ページ画像 
意したることは既に之を報せり、然るに東華紡績会社は曩に上海に派遣したる支配人等の一行帰朝するを俟ち直ちに事業に着手すへき予定なりしに、種々の風説起りたれは株主中には上海紡績会社の挙に傚はんと主張する者を生せしか、之を政府に問合はするに決して不安の念を懐くへき事なしとの事なれは、同社は更に鋭意当初の目的を貫くに決したりとも云ひ又否らすとも云ふ
蓋し清国は東洋の大市場にして其需要する物品の範囲も広く、数量も巨大にして而も同国の製造の業は頗る幼稚なれは、馬関条約を利用し清国に乗込て事業を営み、海外工業の根拠を作るは今日我国を以て最も其選に当るものと為す、我国既に両紡績会社の企画ありて将来大に清国市場に我工業の名を揚くるの先達を為すと雖、英独米等の事業者赤等しく紡績業を上海に起さんとす、加之清国官民漸く長夜の眠より覚め来て諸種の事業を内国に興さんとせり、故に今日は清国に於る我商工業の樹立に就て一日を緩ふせは一日の損ある時なり、然るに此時に方りて清国市場に各国と商工業の戦を為さんとする先鋒たる者挫折する所あらんには、之に随て歩を進めんとする企業者皆な逡巡躊躇遂に全躰の瓦解と為り、我労して他に利益を吸収さるゝに至るやも未た遽に測り知るべからす、然りと雖其先鋒たる者も亦営利の株式会社なるを以て固より暴虎馮河の挙に出る能はさるや論なし、帰する所は清国に乗込て事業を営まんとする者のために安心を与へ、便宜を与へ、誘導扶掖以て彼等の勇往を幇助するの任を負ふ者の其職責を果すの緩なるに在り、当局者其責を果すに遅々たれは反映は清国に於る我商工業企画の失敗と成り終らんのみ、我国の恥辱と為て終らんのみ
然れとも我企業者なる者も亦唯だ政府のみに依頼して漠然空過するの時にはあらす、清国新開港地に赴任したる荒川領事の如きは頻りに我商工業者の遅々なるを慨し、速かに清国に乗込み大に地歩を占むへきを説く、思ふに荒川氏の如きは仮令通商条約成らす共、既に最恵国条款を利用し得る我国民は今日逡巡して事を決せすは遂に本邦以外の商人の先を制する処とならん、其時に至て奮進企画するも遂に彼等に一籌を輸せさるを得さるに至らんと為す者なるへし、是れ吾輩の同感を表する処なり、故に我商工業者たる者も須らく一方に政府を促し一方に策を求めて計を誤らさることを力むへし、要はたゞ時機を失はさるにあるのみ


東京経済雑誌 第八二六号・第八七六―八七八頁 明治二九年五月二三日 ○清国に於ける本邦人の製造業(DK160112k-0007)
第16巻 p.670-673 ページ画像

東京経済雑誌 第八二六号・第八七六―八七八頁 明治二九年五月二三日
    ○清国に於ける本邦人の製造業
日清媾和条約第六条第二項第四号に曰く
 日本国臣民は清国各開市場開港場に於て自由に各種の製造業に従事することを得べし、又所定の輸入税を払ふのみにて自由に各種の器械類を清国へ輸入することを得べし
 清国に於ける日本国臣民の製造に係る一切の貨品は、各種の内国運送税賦課金取立金に関し、又清国内地に於ける倉入上の便益に関し日本国臣民が清国へ輸入したる商品と同一の取扱を受け、且つ同一の特典免除を享有すべきものとす
 - 第16巻 p.671 -ページ画像 
此の特典は欧米諸国人にも均霑すべきものにして、其の有功期日は媾和条約調印の日より六ケ月を経たる後に在り、則ち昨年十月十七日より已に効力を発したるものなり、而して此特典の世界に知らるゝや、欧洲諸国の資本家等は其の利益を享有せんと欲し、起業の計画を為すもの続々として現はれたりしが、我邦に於ても亦二箇の紡績会社を設立せんと企てたり、即ち中上川彦二郎《(中上川彦次郎)》・益田孝・朝吹英二・馬越恭平等の諸氏は上海紡績会社と云へるを同地に設立せんことを発起し、又大坂の資本家等は東華紡織会社と云へるを上海に設立せんことを計画し、上海紡績会社は既に工場設立地を撰定し器械を欧洲に注文し、且棉花の仕入にも着手するに至りしが、媾和条約の批准交換後早速に締結せらるべき日清通商航海条約は捗々しく進行せざりしかば、玆に不安の念を発し、遂に其の計画を一変して上海より我が内地に移すことと為せり、然れども独り東華紡織会社は素思を変せずして上海に工場を建設することに決し、既に敷地の買上も略々竣り、目下材料蒐集中なりと云へり、然れども我が政府の外交に於ては何分不安に堪へざりけん、社長松本重太郎氏は今回左の如き上申書を内閣総理・外務・農商務の三大臣及び林全権公使へ呈出したりと云ふ
 東華紡織株式会社取締役社長松本重太郎謹で(総理・外務・農商務林公使)閣下に上申す、回顧すれば昨年馬関条約の締結せられ、而して其条件中清国各開市場に於て我臣民が自由に各種の製造業に従事し得るの特権あるを認むるや、或る一部の人士は窃かに来りて我が実業社界に遊説して曰く、此特権に関しては彼れ欧米人も亦同じく最恵国の均霑を享有す可きは勿論なるを以て、若し彼等と相並びて輸贏を実地に争ふの暁に至らば、我商工業者の実力相及ばざること遠し、加ふるに、此事我内地の商工業に影響を及ぼすこと尠からず、故に此際該条約一部の延期を首唱し、大に輿論に訴て可ならんと、然れども某等実業の当事者は敢て自から信じ、且聊か期する所あるを以て、曾て耳を彼の人士の言説に傾けざるのみならず、寧ろ此条約に依りて某等実業者の為めに、其進で行ひ立ちて働くべきの地歩を造られたるものなることを信認して疑はず、爾来該条約上の特権実行上に付き敢て微力を顧みず、率先有志者と共に計画する所あり、昨年十一月資金三百万円を以て東華紡織株式会社を発起し、地を上海に卜し、其器械は既に之を英国に注文し、其建築も亦将に着手せんとするに至れり、然るに頃日、奇怪なる風説を伝ふる者あり、曰く清国との通商条約談判は兎角故障の為捗取らざるのみならず、馬関条約に依りて折角占得したる製造業の特権も今や余義なく抛擲せられんとすと、又曰く縦令政府が此特権を抛擲せざるまでも談判上大に制限縮少せらるゝ所あるべくして、即ち其結果として製品若は原料には重税を課せられ、而して一面には清国人自から起す所の綿糸紡績業等に対しては特に保護の方針を以て或は免税し或は軽税し、清国政府が依りて以て日本国民の支那内地に於て製造業に従事する為めに得らるべき利益を減殺、又駆逐するの方法は例の厘金税、其他種々の形に於て附加せらるゝなる可しと、某等思らく亦是れ曩きの一部人士の遊説と一般少しも傾聴するに足らざるのみな
 - 第16巻 p.672 -ページ画像 
らず、或は自から為にする所ある者の故らに捏造したるには非ざる歟、否れば則ち終に是れ斉東野人の説ならんのみと、然れども今窃かに我一社を顧るに、若し之をして某等二三輩の設立に成りて、其利害損益の関係も亦唯某等の間に止まるものならしめば、敢て呶々以て高聴を煩はすを欲せず、然れども幾百の株主中或は前途の方針如何に彷徨する者ありて、将来事業進捗上多少の故障を生ずることなきを必す可らざるを思へば聊か杞憂なき能はず、且夫れ我が一社の事情は暫く措き、更に一歩を進めて他の一般公衆の情勢を察するに、其危懼疑惑するもの頗る多く、現に蚕糸製造其他幾多工業計画者の趦趄逡巡遂に其計画を中止せる者も則ち亦之あり、某等の深く我が実業の為めに痛嘆に堪へざる所なり、抑も外交談判の上に於て時に多少の故障は免かるべからざるも、能く勝を全局に制せらるゝの廟算確として之あるべきは某等の深く信じて疑はざる所なり、然れども他の揣摩臆断者の在るありて、此間種々の風説を伝へ、為めに進むべきの事業を阻礙し、乃ち終に国家の名誉と実力とを毀損するに至るの虞亦其絶無を保し難きものあらん、深く鑑みざるべからざるなり、敢て希くは馬関条約に於ける既得の特権の如き飽まで把持して譲ることなきのみならず、尚進で我不利なる障碍を排斥し、速かに完全なる通商条約を締結し、某等実業の当事者をして安心以て事に従ふことを得せしめられんことを、某等不肖なりと雖も自から率先者を以て任ず、故に不敬を省みず事情を具し謹で上申仕候也
  明治廿九年五月十三日
                東華紡織株式会社取締役
                   社長 松本重太郎
    内閣総理大臣 侯爵 伊藤博文殿
    外務大臣   伯爵 陸奥宗光殿
    農商務大臣  子爵 榎本武揚殿
    清国駐在日本特命全権公使 林董殿
                  (各一通)
今や東洋の禍機は朝鮮に支那に伏在せるを以て、前途の事未だ容易に断言すべからずと雖も、日清通商航海条約の締結は威海衛占領の担保もあることなれば、我が政府の外交を以てするも其の目的を達せざることなかるべく、媾和条約に因りて得たる特権の如きも抛棄することなかるべく、又決してあらしむべからざることなり、然りと雖も戦後の今日に於て清国の官民は果して我が人民に対し親密なる関係を開くべきや否や、敵愾心を挟むことなきや否や、上海紡績会社の発起人等は同社設立の計画を為すに先ち、専門家を清国に派遣して親しく調査を為さしめたるに、結局我が紡績会社は支那人並に欧米人の紡績会社と競争するも勝を制すべきの成算ありと云ひ、農商務省より清国へ派遣せし視察員等も亦我は競争場裡一籌を彼に輸せざるを得べしと云へり、余輩は未だ東華紡織会社の調査を審にせずと雖も、進みて素志を達せんとするに依りて見るも其の成算あるや知るべきなり、然れども其の所謂調査なるものは、要するに彼我賃金の昂低、労力の効験及び資本の利子等を比較せるものに止りて未だ彼我の関係即ち人心上の関
 - 第16巻 p.673 -ページ画像 
係に及ばざるなり、故に余輩は清国に於ける本邦人の製造業に就ては未だ疑懼の念なきを得ざるなり、然らば之を為す如何、曰く政府に於ては速に通商航海条約を締結し、且進みて東洋の平和を維持すべき大計を画し、之に依りて日清の関係をして親密ならしめんことを期し、企業者等は深く東洋の現状及び将来の趨勢に鑑みて軽挙失敗を取るなからんことを期せざるべからず、即ち東洋の形勢略々定まるまでは差控ゆる方安全なるべきなり


東洋経済新報 第二一号・第三三―三四頁 明治二九年六月五日 清国通商条約に関する首相の答弁(DK160112k-0008)
第16巻 p.673 ページ画像

東洋経済新報 第二一号・第三三―三四頁 明治二九年六月五日
    ◎清国通商条約に関する首相の答弁
清国との通商条約談判遅々として捗取らさるかために、清国に入て商工業を営まんとする者は稍や不安心の念あるは自然の勢ひにして、殊に紡績業の如きは数百万円の資本を以て清国の地に家屋を建て機械を据付ることなれは其前途に懸念するも無理ならす、こゝに於てか東華紡績会社は政府に書を呈して通商条約の締結を急にされんことを望むの意を通し、且松本重太郎氏同社を代表し此程伊藤首相に面して陳ふる所ありしに、首相は清国との談判は日に進行中なるも、原と通商条約の如きは附帯の条項のみにても其談判に一ケ年位を費すへきは当初より期したる所なるに、四五ケ月を経過したる今日に談判進行の遅々を唱ふるは外交の事を知らざるに由れり、然れとも政府は決して馬関条約の特権を放擲するか如きは断して之れなきを以て、一旦清国に於て業を企てたる者は条約談判に関せす勇往敢進すへしと明答したりと云ふ、果して首相の言の如くんは乃ち甚た安心なり、知らす何の日に於てか馬関条約に於る我か利益を傷付さる通商条約の締結さるへきや


東京経済雑誌 第八二八号・第一〇〇一頁 明治二九六月六日 ○東華紡織株式会社に対する伊藤総理大臣の答弁(DK160112k-0009)
第16巻 p.673 ページ画像

東京経済雑誌 第八二八号・第一〇〇一頁 明治二九六月六日
    ○東華紡織株式会社に対する伊藤総理大臣の答弁
東華紡織株式会社は目下日清両国政府の間に談判中なる通商条約の上に付き、社長松本重太郎氏の名を以て一篇の陳情書を呈出したるに、其節伊藤総理大臣は左の如く答へたりと云ふ
   ○答弁前掲ニ付キ略ス。


東洋経済新報 第四五号・第三一―三二頁 明治三〇年二月一五日 東華紡績会社の解散(DK160112k-0010)
第16巻 p.673 ページ画像

東洋経済新報 第四五号・第三一―三二頁 明治三〇年二月一五日
    ◎東華紡績会社の解散
久しく存廃に関し世人の注意を引きし同会社は、重役協議の上解散することに決したり、尤も同社株主中上海に工場を起さんとする者は同社解散の後更に一会社を組織し、東華紡績の地所及ひ機械を引受け紡績業を営むこととなるべしと


東洋経済新報 第四五号・第三三頁 明治三〇年二月一五日 【東華紡績会社 は其存廃問題…】(DK160112k-0011)
第16巻 p.673 ページ画像

東洋経済新報 第四五号・第三三頁 明治三〇年二月一五日
○東華紡績会社 は其存廃問題に関し再ひ総会を開きて協議を遂けしも未た全然決定の場合に至らす、故に更に明十六日を以て最後の総会を開き同社解散如何に関する大問題を決定すへしと云ふ、而て株主中解散を望む者少なからすとなり
 - 第16巻 p.674 -ページ画像 

東洋経済新報 第四六号・第四一頁 明治三〇年二月二五日 【東華紡績会社 は去…】(DK160112k-0012)
第16巻 p.674 ページ画像

東洋経済新報 第四六号・第四一頁 明治三〇年二月二五日
○東華紡績会社 は去十六日大阪に於て最後の総会を開き遂に断然解散に決し、松本重太郎氏始め十名の残務委員を選挙したりしが、其土地機械を売却するも株主に払戻す金額は払込金五円の半額に過さるへしと云ふ


中外商業新報 第四八〇八号 明治三一年二月二三日 東華紡績会社の残務整理(DK160112k-0013)
第16巻 p.674 ページ画像

中外商業新報 第四八〇八号 明治三一年二月二三日
    東華紡績会社の残務整理
東華紡績会社残務委員は去十七日整理法に就て協議せし由なるか、結局上海の土地は株主中の有志者をして、第一号及第二号の土地を合計し、十二万円に譲受けしめ、時機を待て他に売却することに略々決定し、若し之を実行し得ば機械に対する償金及一時借入金に充つるならんと云ふ


中外商業新報 第四八二四号 明治三一年三月一三日 東華紡績会社発起人会議(DK160112k-0014)
第16巻 p.674 ページ画像

中外商業新報 第四八二四号 明治三一年三月一三日
    東華紡績会社発起人会議
東華紡績会社の残務整理に就き同会社発起人の中廿六名去九日協議を催ふし、上海の土地は十二万円とし発起人中の賛成者凡四十名にて之を引受けんと云ひ、或は二万円を残務委員にて引受け余の十万円を発起人に割当つべしと云ふ説もありしが、結局株主中の賛成者を加盟せしむるに決定し、不日株主に相談すべしと云ふ


中外商業新報 第四八九一号 明治三一年五月三一日 東華紡績会社の機械処分(DK160112k-0015)
第16巻 p.674 ページ画像

中外商業新報 第四八九一号 明治三一年五月三一日
    東華紡績会社の機械処分
東華紡績会社の残務中機械の処分に関しては、頗る困難を極め居りしが、過般三重紡績会社火災に罹りしを以て同社に売渡の内談略々整ひたりといふ


竜門雑誌 第一二七号・第五八―五九頁 明治三一年一二月 ◎東華紡績の残務(DK160112k-0016)
第16巻 p.674-675 ページ画像

竜門雑誌 第一二七号・第五八―五九頁 明治三一年一二月
    ◎東華紡績の残務
東華紡績会社の残務委員は上海に於ける地所建物の処分方に付き調査中なりしが、其調査も夙に済み発起人其他に向て報告せし由にて、其調査の結果に依れば第一号・第二号地所の坪数合せて二万三千百九十六坪と、第一号地上の建物三棟共込めて此価格八万七千七百二十一円四十銭(一坪平均三円七十八銭に当る)此内二畝の埋立地代引当として二千七百二十一円四十銭を差引き、残額八万五千円を地所建物の代価と定め其内半額迄は住友吉左衛門氏及び残務委員一同にて引受け、他の半額は発起人より募集することに決定して夫れ夫れ報告せし由にて、既に芝川又右衛門・阿部彦太郎氏等も其内幾分を引受くる旨申込みたりと、然るに右残務委員の調査済み後地所千十坪は一坪十八円替へにて英国チヱンバー商会に売却の約定整ひたる由なれど其他は未だ何とも結着せずと云ふ、又同会社はルーカス商会に機械買入の約定を取結び、内三万四千三百六十余円は既に同商会に渡し済みとなりたれ
 - 第16巻 p.675 -ページ画像 
ど、尚ほ残り十六万円余は滞り居る中に終に形勢一変して自から破約するの已むを得ざるに立至りたる次第なるが、ルーガス商会よりは破約の損害賠償として一万七千五百円を請求したれど、同会社にて之を一万円に負けて貰ひたしと請求し交渉中なりと云ふ