デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満州
2款 上海紡績株式会社
■綱文

第16巻 p.676-683(DK160113k) ページ画像

明治28年12月(1895年)

是月、益田孝・中上川彦次郎・朝吹英二等ノ発起ニ係ル上海紡績株式会社設立セラレ、栄一ソノ株主トナル。

当会社ハ三十二年七月、鐘淵紡績会社ニ合併ス。


■資料

青淵先生六十年史 竜門社編 第一巻・第一〇九〇―一〇九一頁 明治三三年六月再版刊(DK160113k-0001)
第16巻 p.676 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編 第一巻・第一〇九〇―一〇九一頁 明治三三年六月再版刊
    第五節 上海紡績会社
上海紡績株式会社ハ明治二十八年十二月ノ交益田孝・中上川彦次郎・朝吹英二等ノ発起ニ係ル、其資本金百五拾万円ナリ、其目的ハ清国上海ニ紡績工場ヲ開設スルニアリ、既ニ地所ヲ購入シタルモ中途目的ヲ変シ、分工場ノ名ヲ以テ兵庫ニ紡績工場ヲ開設セシカ、後三十二年七月ニ至リ更ニ鐘ケ淵紡績会社ニ合併シタリ、先生ハ同社ノ株主ナリ


東京経済雑誌 第三二巻第七九四号・第五五一頁 明治二八年一〇月五日 ○上海紡績工場設立の議(DK160113k-0002)
第16巻 p.676 ページ画像

東京経済雑誌 第三二巻第七九四号・第五五一頁 明治二八年一〇月五日
    ○上海紡績工場設立の議
清国上海に紡績工場設立に就て中上川彦次郎・益田孝・朝吹英二・馬越恭平・上田安三郎・浜口吉右衛門・佐羽吉右衛門・稲延利兵衛・鶴岡助次郎・岩下清周等諸氏は左の回章を発したり
 曩に鐘ケ淵紡績株式会社及び三井物産合名会社より視察員を清国上海に派遣したるに、其視察の結果上海に於て紡績工場を設立するは有利の事業なることを認定したるに依り、爰に新たに一の紡績株式会社を起し、資本金一百万円を以て弐万錘の紡績工場を同地に設立することゝし、該資本金の内五十万円は之を鐘ケ淵紡績株式会社現在株主中の有志者をして引受けしめ、残額五十万円は広く之を有志者より募集すること
 右の方法に依り新会社を創設するに付ての相談会を催すべきに付御出席相願度候事


東京経済雑誌 第三二巻第七九五号・第五七九―五八〇頁 明治二八年一〇月一二日 ○上海紡績会社の設立(DK160113k-0003)
第16巻 p.676-678 ページ画像

東京経済雑誌 第三二巻第七九五号・第五七九―五八〇頁 明治二八年一〇月一二日
    ○上海紡績会社の設立
曩に記載せし如く中上川彦次郎・朝吹英二・浜口吉右衛門・佐羽吉右衛門・稲延利兵衛・鶴岡助次郎・岩下清周・益田孝・馬越恭平・上田安三郎・成瀬隆蔵等諸氏の発起に係る上海紡績株式会社(錘数二万錘)の資本金は清国貨七十二万五千両、即ち日本貨一百万円にして、之を二万株に分ち、一株五十円とし、其半額は鐘ケ淵紡績会社の現在株主の望に応じて先取権を与へ、其半額は他より募集する筈なりと、而して株金の払込は来る十一月より明治三十年三月迄の九回に分つものにして、其期日は左の如し
 - 第16巻 p.677 -ページ画像 
 第一回十円 廿八年十一月五日 第六回五円 廿九年九月二十日
 第二回五円 同十二月廿日   第七回五円 同十一月廿日
 第三回五円 廿九年三月二十日 第八回五円 三十年一月二十日
 第四回五円 同五月二十日   第九回五円 同三月二十日
 第五回五円 同七月二十日
而して其工場建設目論見書、及収支予算は左の如し
    上海紡績株式会社二万錘の工場建設目論見予算書
 一三十万五千両 紡績器械二万錘・汽機五百五十馬力汽鑵三個及ポピン其他付属品代共一両三志の相場
 一五千両 電灯機一式代
 一二万両 スプリンクラー其他消防要具代
 一二万両 右諸器械据付費
 一四万両 地所四千坪代但一坪に付十両の割
 一八万六百両 工場二階建千三百坪建築費但一坪に付八十五円即ち六十二両の割
 一一万両 煙突及タンク建設費
 一六千両 倉庫平家二百坪建築費但一坪に付三十両の割
 一一千五十両 物置所平家七十坪建築費但一坪に付十五両の割
 一一千両 事務所平家四十坪建築費但一坪に付二十五両の割
 一八千七百五十両 社宅二百五十坪建築費但一坪に付三十五両の割
 一六千両 盛土及外囲ひ建設其他地均し費等
 一一千五十両 食堂及便所七十坪建築費但一坪に付十五両の割
 一一万五千両 器械修繕場建設費
 一二万両 創業中諸雑費
   計五十三万九千四百五十両
 一十八万五千五百五十両 流通資本金
  合計七十二万五千両
   此日本金一百万円(為替相場七十二両五匁の割)
    二万錘紡績工場営業収支予算書
    ○収入之部         (一ケ年三百昼夜)
 一八十八万六百五十両 {製造綿糸平均番手一六手一昼夜一錘に付一封度の九分五厘即ち毎一梱四百封度入製造高一万四千二百五十梱一梱に付六十一両八匁(印度綿糸最近二箇年間平均相場)
 一一万二百六十両   {屑糸屑綿代製糸一梱に対し七匁二分の割
  合計八十九万九百十両
    ○支出之部
 一五十七万八百十九両三匁七分五厘{原綿四万九千八百七十五担(製糸一梱に対し三担半の割)
                  一担に付十一両四匁四分五厘(最近二箇年平均十両二匁三分に一割強増即ち七箇年の平均相場)
 一二万二千六百八十両 {石炭九百四十五万和斤(一昼夜三万千五百和斤即ち一馬力一時間三封度二分)
             和斤一万斤に付二十四両
 一九千両       {支配人一人、技師二人、技生一四人、書記手代八人及び小使・門衛に対する一箇年給料
 一六千両        重役給料
 一六万七千二百七両五匁{男女職工一千二百人の工銀平均一人に付一日洋二十六銭弱
    内訳 一人一日の賃銀
  九千七百八十七両五匁 日本男工六十人 洋七十五銭
  五千二百二十両    日本女工六十人 洋四十銭
 - 第16巻 p.678 -ページ画像 
  一万五千六百六十両  支那男工二百四十人    洋三十銭
  三万六千五百四十両  支那小供及女工八百四十人 洋二十銭
 一千六百三十一両二匁五分{常雇人夫二十五人宛一人に付一日洋三十銭
 一一万二千両      {工場用油其他需用品一切代一箇月一千両
 一九千五百四十七両五匁 {荷造費(商標・包紙・ズック等)製糸一梱に付六匁七分の割

 一一千二百両       諸通信料
 一三千両         旅費
 一一万二千両       器械・家屋修繕費(一箇月一千両)
 一九千三百六十両     火災保険料
  製糸一箇月分   五万一千両に対する一分
  原棉三箇月分   十三万五千両に対する一分
  諸器械及家屋   五十万両に対する一分五厘
 一四千四百三両二匁五分 仲買口銭製糸売上代千分の五
 一八千八百六両五匁   製糸売捌手数料百分の一
 一三万三千三百四十五両{製糸一万四千二百五十梱の輸入税一梱に付二両三匁四分
 一三千六百両      諸雑費一式
 一二万五千両     {器械及家屋代五十万両を二十箇年賦消却一箇年分
  合計七十九万九千六百両三匁七分五厘
 差引
   九万千三百九両六匁二分五厘           利益金
    利益分配案
 一九万千三百九両六匁二分五厘            利益金
   内
  九千百三十両九匁六分二厘五毛(但利益金の一割)積立金
  九千百三十両九匁六分二厘五毛(但利益金の一割)役員賞与金
  七万三千四十七両七匁(資本金七十二万五千両に対する一割七毛強) 割賦金


東洋経済新報 第四号・第二九頁 明治二八年一二月一五日 上海紡績会社の創業総会(DK160113k-0004)
第16巻 p.678 ページ画像

東洋経済新報 第四号・第二九頁 明治二八年一二月一五日
    ◎上海紡績会社の創業総会
上海紡績会社は去三日創業総会を開きたり、当日は出席者二百八十名に及びしが中上川彦次郎氏会長席に就き朝吹英二氏説明員となりて会議を開けり、議題は四個にて、第一定款制定の件、第二取締役・監査役報酬の件は原案に決し、第三取締役・監査役の選定は今村清之助氏の発議にて投票を略し、取締役に
 中上川彦次郎・益田孝・小室三吉・朝吹英二・上田安三郎
監査役に
 末延道成・馬越恭平・浜口吉右衛門の三氏
を指選する事に決し、第四発起中の出費及契約認定の件は発起中出費二千五百円余、及工場敷地として上海蘇州川沿岸英租界に於て四千六百坪余を十万両我通貨十四万円にて買入れたる件、及英国プラツト会社と二割一分引を以て紡績機械購入の約定を結びたる事、芝浦製作所と電灯機械製造の約を結びたる事等は直ちに原案に決し散会したるが同社は成瀬隆蔵氏を総支配人に挙げたりと云ふ
 - 第16巻 p.679 -ページ画像 

東洋経済新報 第四号・第三〇頁 明治二八年一二月一五日 上海・東華両紡績会社の購入地(DK160113k-0005)
第16巻 p.679 ページ画像

東洋経済新報 第四号・第三〇頁 明治二八年一二月一五日
    ◎上海・東華両紡績会社の購入地
上海紡績会社にて購入したる地は上海英租界蘇州河辺にて四千六百坪余此代金十万両なるが、東華紡績会社の購入したるは上海紡績会社の工場地より五哩程下流の河口にて其代金は略ぼ同面積にて五万両なれ共、職工雇入の点に於ては上海紡績会社は地理の便を得たりとなり


中上川彦次郎君伝記資料 第八三頁 昭和二年一〇月刊 【中上川君の追憶(末延道成氏談)】(DK160113k-0006)
第16巻 p.679 ページ画像

中上川彦次郎君伝記資料 第八三頁 昭和二年一〇月刊
    中上川君の追憶(末延道成氏談)
○上略
 車中計画の第二は、鐘淵紡績会社の創立なり。鐘紡の前身は上海紡績会社と呼びしものなるが、此の計画も同君と汽車中にて案出したるも《(の脱)》にして、実に我輩と浜口吉右衛門君と共に其会社の監査役となりたり
○下略


東洋経済新報 第一三号・第三〇頁 明治二九年三月一五日 上海紡績事業の頓挫(DK160113k-0007)
第16巻 p.679-680 ページ画像

東洋経済新報 第一三号・第三〇頁 明治二九年三月一五日
    ◎上海紡績事業の頓挫
上海紡績会社は去九日相談会を開き清国と本邦との間に締結すへき通商条約は猶ほ協定の運ひに至らす、且其前途を考ふるも遽に締結の日を予想し難く、為に諸事不都合の点少からす、然るも猶ほ是等の事情に拘泥せすして当初設計通りに上海に紡績所を設くるは前途万全を欠くの虞なきや如何と云ふ点に就き談合せしに、出席者の多数は危惧の念を懐く者にて他に良策あるあらは暫く上海に起業するを見合せる方可ならんとの意向多数を制し、随て、当初の設計三万錘を二万錘に減し、差向き内地適当の地に機械を据付て営業を開始し、通商条約締結の日を俟て更に上海に打て出つるも遅きにあらすとの発議に賛成する者多かりしと云ふ、尤も此相談は株主総会の決議とならす唯た株主の意向を叩きたるまての事なれは、追て臨時総会を開きて確定する筈なりと云ふ
回顧すれば昨秋以来清国に踏込て大に商利を攫取すへしとの議論朝野に喧しく、世間の人気一時に清国起業に集注したる結果、先づ第一に計画されたるは棉糸紡績事業にて、計画の当時は清国の棉糸市場を一ト呑にせんづ勢ひにて上海紡績会社と云ひ、東華紡績会社と云ひ既に夫々地所をも購入し機械をも注文し建築の設計をも為したるなり、然るに彼の通商条約は清国政府との協議日の久しきに渉れども未だ協定なきのみか何時其確定を見るべきやさへ猶ほ推知するに由なき有様なる其上に東亜の風雲平静ならざれば、初めの勢ひ漸々頓挫し計画したる紡績事業も遂に斯く中止するの已むを得ざる場合とはなりけり、思ふに之れ計画者の罪にあらず、通商条約締結の意外に手間取れる罪に外ならざれば紡績業に限らず、若し他に数多の清国企業あらば夫も多くは頓挫を来したるや疑なかるべし、去るにても彼の東華紡績会社は如何、思ふに之も上海紡績会社の轍を蹈むなきや、兎にも角にも二億
 - 第16巻 p.680 -ページ画像 
余万の軍費を消し一万の兵士を異国の鬼とならしめたる結果の程気遣はしとや云はん


東洋経済新報 第一四号・第一―四頁 明治二九年三月二五日 日清貿易の前途(DK160113k-0008)
第16巻 p.680-683 ページ画像

東洋経済新報 第一四号・第一―四頁 明治二九年三月二五日
    日清貿易の前途
一葉落ちて秋気天地に満つるを知るべし。上海紡績会社が既に設立に着手したる紡績所を、日本海の彼岸より之を九州に移すに決したるの一事に徴して、以て吾輩は日清貿易の将来を憂ふること転た切なり。
曩きに馬関条約の締結せらるゝや、我国一派の人士は其第六条第四項の製造所設立の特権を以て却りて我国に不利なりとなし、思らく欧米人亦最恵国条款に依りて此特権を得たるを以て、必ず其低廉の資本と鋭利の器械とを齎らして続々工業を清国内地に設立し、以て啻に我資本家をして清国内地に工業を興すの余地なからしむるのみならず、其結果は亦当さに紡績糸を始めとして我国よりの輸入品を減少するに至るべしと。一派人士の懸念する所ろ強ち無理にあらず、工業上の後進国を以て清国内地に欧米諸国と競争するは固より容易の業にあらすと雖とも、翻りて察するに欧米人の東洋に齎らせる資本は世人の空想するが如き低廉なるものにあらず、其他監督費・生計費等の我れに少くして彼れに多きより推断して、結局彼我の競争に於て我れ勝利を得るの成算なきにあらざれば、吾輩は一派人士の立論を以て一種の恐怖心に生じたるものとして之を排し、我邦人にして果して東洋の商権を掌握せんとする意気あらば、区々たる外人の競争を憂ふべきにあらずと唱道したり。
欧米人が馬関条約の特権に均霑して続々紡績所を上海に設立すると、同時に我国の当業者も亦上海紡績会社を設立し、次いで亦東華紡績会社を設立して清国内地に欧米資本家と自由の競争を為すの計画に出でたり。吾輩は窃かに其意気を壮とし、思らく斯の如くして始めて馬関条約の特権を欧米人に壟断せらるゝ弊なきを得べく、先駆者たる二紡績会社其功を奏して後継者益々起り、我邦人の清国内地に製造業を開設するもの今後数年ならずして其屈指に遑まあらざるの数に達するを得べしと。何んぞ図らん事予期する所ろに違ひ、世人が最も重望を属したる上海紡績会社は、今や其計画を一変して上海に工場を設立するの素志を翻へすに至らんとは。
上海紡績会社が其の工場を内地に移転するの議決を為すや、吾輩は同会社の当局者に向つて其理由を問ひたるに、当局者は答ふるに左の説明を以てせり。
 我々同意者が一旦紡績所を上海に設立するの計画を悉くし、已に工場設立地を撰定し又已に器械を欧洲に注文したる今日に至り俄かに其方鍼を一変して之れを内地に移すに決したりと云はば、事情を詳かにせざる者或は我々の挙動を目して慎重を欠けりと評せん。然れども我々の此計画を為すや、先づ専門家を派出して曲さに調査の任に当らしめ、例へば支那職工の賃銀幾何にして其労働の効果如何《エフイシエンシー》の如き、将た欧米人此地に紡績業を開設するときは彼等は我々に比して果して何程低廉なる資本を使用し得るや、又其管理上の経費
 - 第16巻 p.681 -ページ画像 
幾何なるや等の如き、凡そ彼我紡績所の利害得失は一切之れを比較して結局我紡績所は支那人の紡績所に打勝つの成算あり、又欧米人の紡績所にも勝利を制し得るの成算あるを信したればこそ、広く株主を世間に募集して愈々其設立に着手したるなれ。但し馬関条約に依りて我国の得たる特権は此条約調印以後六ケ月の後其効力を有すとあり、而して日清間に締結すべき通商条約は馬関条約締結後「速かに全権委員を任命」して之を締結すべしと明記しあれば、我々紡績者は心窃かに通商条約の締結をば馬関条約に得たる特権の効力を有する暁きに見るを得べしと信じたり。然るに通商条約締結の談判は昨年末に至りて始めて開始せられ、其条約の基礎儼然と馬関条約に明記しあるにも拘らず、彼我全権委員の会合十回に亘るも猶ほ其結了を告げざるなり。或は曰く我国已に馬関条約第六条に依り最恵国侍遇を受くるの特権を得、又已に同条第四項の規定に依りて製造工業の特権を得たり。此特権あり又最恵国条款あり、仮令通商条約の未だ締約せられざるあるも、以て安んして支那内地に工業を興すを得べしと。
 然れとも試みに思へ、其条件の基礎已に馬関条約に具れるに拘らす清国政府が種々の口実を以て通商条約の締結を遷延する所以の者は何故なるやを。蓋し清国政府の勉めて其締結を遷延するの原因一にして足らすと雖とも其主因は察するに通商条約締結の結果必す製造業の勃興を来たして之れか為めに其海関収入の減少するに至らんを憂ふるに在り。抑々清国政府は独り外人の新たに其内地に製造工業を開設するを嫌悪するのみにあらずして、併せて支那人の之を設立するをも嫌悪す、将た之を嫌悪するは今日に始まりたるに非すして清国政府は海関収入の減少せんことを憂ふる故に従来常に製造業抑圧の方鍼を取れり。塩税あり、厘金あり、地租あり、清国政府の税源亦固より一にして足らすと雖とも、其税法に系統《スシテム》あり、其収入に確然たる見込あるもの、独り海関税あるのみ。清国政府思らく、唯此海関税収入あり以て外債の抵当となすを得へく、以て財政計画の基礎となすを得べし、今製造工業にして続々内地に勃興するに至らば、海関税の収入随つて減少すへしと。畢竟是れ陋見のみ、然れとも清国政府は製造工業の内地に勃興するを嫌悪するの念甚た熾なるや明かなり。
 清国政府仮令は其内地に製造工業の勃興するを嫌悪するも、我れ已に之を設立するの特権あり、馬関条約第六条第四項第二節に曰く、清国に於ける日本国民の製造に係る一切の貨品は、各種の内国運送税・内地税賦課金・取立金に関し、又清国内地に於ける倉入上の便益に関し、日本国臣民か清国に輸入したる商品と同一の取扱を受け且つ同一の特典免除を享有すへきものとす。抑々欧米諸国品の現に清国に輸入するものは、所定の輸入税を払ひ、又所謂る一口半税を払ふの外、復た彼の厭ふべき厘金税を課せらるゝことなし。我国今最恵国条款に依りて亦此一口半税の特典を得たり。清国の内地に紡績所を設立するは紡績糸を清国に輸入するの利に勝る万々なること明かならすや。何となれば我国は主として棉花を清国に仰くが故に
 - 第16巻 p.682 -ページ画像 
之を仰ぐや其輸出税を払ひ、綿糸として之を輸入するや其輸入税を払ひ、更らに往復の運賃保険料其他陸揚け、船積、倉敷等の諸費を払はさるへからされども、紡績所を清国内地に設立するときは、一切此等の費用を省約することを得ればなり。然れども清国政府にして馬関条約第六条第四項の規定する所ろ唯製造品に関する特権の大体に止まりて、其細目に渉らさるを奇貨として強いて其規定を曲解し、非理無名の税目を設けて製造業抑圧の暴手段を取らば如何。勿論我れ已に馬関条約に依りて斯る不法の課税に応せさるを得るの特権ありと雖ども之を既往に徴するに、清国政府は得々然として常に斯る不法の手段を用ひ、以て条約の履行を遷延するに慣へり。曾て英仏が聯合軍を起して北京城に肉薄し円明殿を一炬に附し去りて遂に城下の盟を為さしめたるもの、是れ豈清国政府が言を左右に托して条約の履行を遷延したるの結果にあらすや。我れに正理あり又彼れに勝るの兵力あり、彼をして遂に条約の規定を遵由せしめ得るを疑はすと雖とも、清国政府の平生に徴するに、或は一応種々の口実を以て製造業の設立を妨害するなしと云ふべからず。
 啻に口実を設けて製造業の設立を妨害するなきを保せざるのみならず、或は清国政府は製造所設立の暁きに於て不法の課税を加へんとするの決心を為せりと伝ふるものあり。通商条約の談別遅々《(判)》として進まさるの理由自ら明かならすや。抑々製造業開設の特権は独り我国の独擅する所にあら《(ず脱カ)》して、列国の均霑する所、ジヤーゼン、マゼソン会社を始めとし、其他外人の設立に係る紡績会社は、皆我上海紡績会社と同一の利害を有せさるなし。故に我々先きに此等欧米人の設立に係る紡績会社に謀るに、所謂る共同的運動《ジヨイントアクシヨン》を取りて清国政府の意嚮を確めんことを以てせり。然るに欧米人の設立に係れる諸会社は答へて曰く、清国政府恐くは復た其慣用手段を取ることあらん、然れども我々は斯る不法の課税に応せさるの特権あり、若し強いて之れに課税せんと欲せば、此時に至りて始めて共同的運動を取る亦た晩からずやと、彼等は後へに大に頼む所ろあるものゝ如し。
 清国何等の口実を以て製造業を抑圧せんと欲するも、我れ遂には外交に依り○中略 彼を屈服するの道あるは論なし。故に若し荊蕀を拓くの先導者を以て自ら任し、場合に依りては我一会社を犠牲に供するの決心を以てせは、今日に於て敢へて其の設立工事を中止して内地に移すの要なしと雖とも、奈何せん。我会社は多数の株主を以て成立するものなり。有利の事業として広く世間に株主を募集しなから一朝清国政府の不法の処置に依り収支相償はざるの始末を見るあらば、仮令ひ損害賠償の道なきにあらずと雖とも、無数株主の迷惑察するに余りあり。
 万事具に備はりて只東風を欠く、東風は通商条約の締結なり。若し未だ器械も注文せず又未だ棉花を仕入れさりせば、今俄かに其の工場を内地に移すの必要なく、徐ろに通商条約の締結を待つへかりしなり。既に株金の幾分を器械購入に投し、原料買入れに投しなから袖手して通商条約の締結を侍つは、資本を空費する所以にして、多数株主の欲せさる所ろ、則ち工場を内地に移すの議に出でたる所以
 - 第16巻 p.683 -ページ画像 
なり。
上海紡績会社当局者の説く所ろ亦当然の理由と事情とを有す、吾輩多数株主より成れる同会社に向つて利益を後にして敢へて冒険を事とせよと勧告するの迀なるを知るも、抑々同会社をして其企業心を沮喪せしめたるもの果して誰れの罪ぞや。海外貿易は外交政略に侍つ所ろ多きを知るものは、上海紡績会社をして其企業心を沮喪せしめたるの理由をも能く亦之を知らんのみ。


東洋経済新報 第一四号・第三六頁 明治二九年三月二五日 【上海紡績会社 か差向…】(DK160113k-0009)
第16巻 p.683 ページ画像

東洋経済新報 第一四号・第三六頁 明治二九年三月二五日
◎上海紡績会社 か差向内地に設立せんとする紡績所は門司又は小倉の辺に置んとの内議なる由、而て曩に注文したる機械は来七月到着する予定なりと


竜門雑誌 第一二九号・第三七―三八頁 明治三二年二月 ◎三井家関係紡績会社合同の議(DK160113k-0010)
第16巻 p.683 ページ画像

竜門雑誌 第一二九号・第三七―三八頁 明治三二年二月
   ◎三井家関係紡績会社合同の議
現今三井家の関係せる利害の関係最も大なる紡績会社左の如し

            既払込資本金        運転錘数
                  円           本
 鐘淵紡績会社  二、五〇〇、〇〇〇・〇〇    七八、一一四
 上海紡績会社    九〇〇、〇〇〇・〇〇    一九、七〇九
 三池紡績会社    七五八、〇〇〇・〇〇    二一、七二六
 柴島紡績会社    二二四、二六六・五〇     九、九八四
   計     四、三八二、二六六・五〇   一二九、六三三

即ち同家が此紡績会社の株式を所有するものは中には殆んど其全数を占めんとし、又中には其過半を有するものあり、之が盛衰に依て利害を感するもの少小にあらず、是を似て同家に於ても我国紡績業の大勢に察し将来其事業の隆盛を期するに就て大に熟慮する所あり、其結果先づ此等紡績会社をして合同せしむるの利なるを知り、目下同家に於ては呉服店理事朝吹英二氏を派して各会社の当事者及重なる株主等交渉せしめつゝあり、其合同の利益とする理由は(一)業務の統一を図るの利益ある事(二)原料棉花の仕入及使用上に就て便利を増加するの利益ある事(三)経費を節減し得るの利益ある事(四)製品を均一ならしめ更に之を販売するに就て利便を増加するの利益ある事(五)適当なる当事者を選任し得るの利益ある事等に在りと云ふ、勿論この合同をして実行せしめんとするに就ては多少の困難なきに非ざるべしと雖、若し他の株主に於て斯る大なる利益あるを知らば其合同の実行を見ること敢て遠きに非ざるべしと云ふ


竜門雑誌 第一三六号・第三五頁 明治三二年九月 △鐘紡会社の新株(DK160113k-0011)
第16巻 p.683 ページ画像

竜門雑誌 第一三六号・第三五頁 明治三二年九月
△鐘紡会社の新株 鐘ケ淵紡績会社は先頃上海紡績会社と合同せしに付き、旧上海紡績株三十円払込の分をば今度改めて同社新株と為すことに定めたり


大日本綿糸紡績同業聯合会報告 第八四号・第一頁 明治三二年九月刊(DK160113k-0012)
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大日本綿糸紡績同業聯合会報告 第八四号・第一頁 明治三二年九月刊
    鐘ケ淵紡績株式会社之合併
九月十五日附を以て七月三日臨時株主総会の決議に基き上海紡績株式会社を九月八日合併したる旨鐘ケ淵紡績会社より届出ありたり