デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商法会議所
■綱文

第17巻 p.35-40(DK170006k) ページ画像

明治11年12月11日(1878年)

是ヨリ先新潟県人遠藤吉平、荷造改良ノ急務ナル所以ヲ内務卿大久保利通ニ建言セシガ、個人ニテハ目的ノ達セザルヲ思ヒ当会議所ノ助力ヲ求ム。是日栄一、会議所会頭トシテ荷造改良ニ関スル遠藤吉平ノ建白ヲ採用サレタキ旨内務卿伊藤博文ニ建議ス。


■資料

東京商法会議所官衙諸達並上申書綴 一(DK170006k-0001)
第17巻 p.35-39 ページ画像

東京商法会議所官衙諸達並上申書綴 一
                   (東京商工会議所所蔵)
(案)
割印      渋沢 《(源)》
            函館大町十八番地蛭子武兵衛方寄留
            新潟県平民     遠藤吉平
先般右ノ者ヨリ米塩〆粕等ノ俵造改良ノ儀御省ヘ建白仕候得共、其後何分ノ御指令無之ニ就キ、今般当会議所ノ意見ヲ質シ、当会ニ於テ之ヲ賛成候得ハ其筋ヘ上申有之度旨別紙ノ通申越シ候ニ付、去ル五日相催候定式集会ニ於テ之ヲ衆議ニ附シ其可否ヲ熟議討究仕候処、実ニ本邦荷造リノ粗漏ナルヨリ米塩等運搬陸上ノ際之ヲ海中土上ニ委棄スルノ損失鮮少ニアラサル義ニ付、同人建白ノ趣旨御採用ノ上全国ヘ御諭達ニ相成候ハヽ、内外貿易上ニ関シ至大ノ御国益ニモ可相成候ト衆議一決仕候間、同人建言ノ素志貫徹候様仕度、此段別紙相添奉願上候也
 - 第17巻 p.36 -ページ画像 
                東京商法会議所会頭
  明治十一年十二月十一日
                     渋沢栄一
    内務卿 伊藤博文殿
第七拾七号
益御清穆奉賀候、陳者新潟県下遠藤吉平ナル人ヨリ別封之通小生名宛ヲ以郵送いたし越候ニ付披緘仕候処商法会議所ヘ建議之書面ニ付不取敢御廻申上候間宜敷御取計被下度、多忙中要用迄得御意度 頓首敬具
                    三菱会社
  十一年十二月四日
                      岩崎弥之介
   商法会議所会頭
    渋沢栄一殿
(別紙)
    謹呈
                           吉平儀
先年已来本邦米塩俵作リノ粗略ナル儀ヨリシテ容易ナラサル御国損ヲ醸シ候段実地ニ試ミ、愛国ノ至情黙止難仕既ニ内務省ヘ建言仕候得共于今御詮議之御模様も更ニ相心得不申、再度建白仕度所存ニ罷在候際東京商法会議所御隆盛之趣拝聞仕吉平の至情ヲ貫徹スルニ其ノ所ヲ得タリト思考大ニ欣慰ニ堪ヘサル次第ニ御座候、就而ハ閣下社長も御役目被為在候趣ニ付、謹而別紙之通差出候間恐懼之至ニ候得共、御会議之御場所ヘ御差出御評議被下候様相成候得ハ吉平無涯之幸福ニ候間、宜シク御取計被下度、偏ニ奉願候 以上
                    新潟県平民
  明治十一年               遠藤吉平
    十一月廿七日                頓首再拝
  東京会議所社長
    岩崎弥之助殿
           閣下
(別紙)
  米塩俵作改正ノ議
                      遠藤吉平
    米塩俵作改正ノ議
東京商法会議所諸君ノ閣下ニ言ス、夫レ欧米ノ文明ナル之ヲ概言スレハ国家ノ富強ニシテ人民衣食ノ豊饒ナルニ外ナラサルヘシ、国家ノ富強ニシテ人民衣食ノ豊饒ナル偏ニ国家ノ財産ニ因ラサルヲ得ス、古人云フ、財ハ治国教民ノ実ナリ、然ラハ則財ハ社会ノ安全幸福ヲ得ル無比ノ宝玉ニシテ最貴最重セサル可カラス、然リ而シテ財ナルモノハ土地ニ生シテ民力之ヲ成ス、天ノ時定リナク人力限アリ、毫末些少ノ財産ト雖トモ之カ取扱ヲ軽忽ニスヘカラサル之ヲ諺ニ塵積リテ山ヲ成スニ譬ヘタリ
今ヤ大政府理財ノ良法ヲ専ラ欧米ニ取リ、規則方法日ニ緻密ヲ極メ、愈物産繁殖ノ道ヲ開キ、益工作製造ノ業ヲ興ス、商賈ヲ勧メ農耕ヲ励シ、道路航海ニ於ケル専ラ人物ノ運輸ヲ便ニシ、各港出入貨物ニ於ケル荷作リ良法ノ設ケラルヽカ如ク其ノ財産ヲ貴重シ其ノ富強ヲ務ムル
 - 第17巻 p.37 -ページ画像 
実ニ至ラサルナク尽サヽル事ナシ、過歳博覧会事務局ニ於テ荷作リ方法布達アリ、又本年開拓使第十四号〆粕荷作布達アル其一例ニシテ、誰レカ当今ノ御旨趣ニ感佩セサルモノアランヤ
吉平深ク当今ノ御旨趣ニ感銘シ、幼年ヨリ従事シタル内国各港輸出入貨物ノ上ニ就キ百方事物ノ便益ヲ思想スルニ、国産ノ中チ最モ莫大ニシテ最鴻益ナルモノハ米塩ヲ以テ第一トス、然レトモ其荷作リ方法ノ疎略ナルヨリ水陸運搬ノ際、米塩土地海中ニ漏洩委棄スルモノ実ニ尠シトセス、之ヲ既往ノ積年ト未来ノ永久ニ推テ精算スレハ其莫大ナル譬フルニ物ナシ
吉平唯リ方今ノ御旨趣ニ対シ此ノ一大弊害ヲ改良スルノ急務ナル一念ヲ爰ニ感帰ス、知テ言ハサルハ忠ニアラサレハ本年三月之ヲ内務省ニ建言セリ、以後数月ヲ経過スレトモ更ニ何等ノ効ヲ視ズ、思フニ吉平カ建言意味ノ尽サヽル所アルカ、将タ方法ノ至ラサル所アルカ、然レトモ其ノ方法ヲ設ケ便否ヲ謀ル固ヨリ政府ノ御指令ニ任スヘキハ言ヲ俟タスト雖トモ、建言ノ目的タル漏洩委棄スル米塩ヲ患フルノ一念ニ至テ之ヲ抛チ一日モ黙々ニ付スル事不能、依テ再度該省ヘ建白セントスレトモ奈何セン吉平ノ至情ヲ貫徹スルニ由ナク、独リ感慨ニ堪ヘサル所ナリ
近頃東京ニ於テハ商法会議所ノ設アリ、商法ノ便否得失国家ノ鴻利公益ヲ協議シ、其良法便益ナルモノト議決スルモノハ之ヲ実地ニ試ミ、之ヲ政府ニ貫キ其ノ効ヲ奏セサル事ナシ、是ヲ以テ国家ノ経済ヨリ一家ノ商業ニ至ル迄陸続其当否得失ヲ商法会議ニ仰クニ至レルヨシ、誰レカ愛国ノ心アルモノハ欣喜雀躍セサランヤ、吉平之ヲ聞キ始テ吾カ一念ヲ遂ルノ思ヲナセリ、因テ謹テ向ニ内務省ニ建白セル草稿ヲ添ヘ以テ商法会議所ノ諸君ノ閣下ニ呈シ、以テ教諭ヲ仰カント欲ス
今ハ則田園収獲ノ時ニシテ農夫冬間ヲ以テ莚縄ヲ製シ、米塩ノ俵ヲ造レル事ナレハ明年ノ用俵既ニ備ハラントス、此ノ時ニ当テ之ヲ開良セサレハ目前ニ重テ明年ノ一大国損ヲ奈何トスルナシ、是レ吉平ノ急ニ此ノ事由ヲ切言スル所以ナレハ、諸君吉平カ至情ヲ諒察シ万一採ルヘキモノアラハ之ヲ政府ニ貫徹シ、之ヲ人民ニ試ミ、結局全国ニ委棄スル米塩ノ一大弊害ヲ迅速開良スル事アラハ吉平ノ幸福何ソ之ニ過ン
                          頓首謹言
  明治十一年    新潟県管下第廿四大区四小区六番組
    十一月    笹口浜村八百七拾四番地 商
                     遠藤吉平
    東京商法会議所御中    (添紙) 当時函館大町十八番地 蛭子武兵衛方止宿
    俵作改正之建言
 近来我国物貨運送ノ道大ニ開ケ、海ニ汽船ヲ以テシ陸ニハ鉄路馬車等ノ便アリ、洵ニ聖世ノ徳沢ヲ被ル今日ヨリ盛ナルハナシ、微臣吉平幼年ヨリ商業ニ従事シ東国ノ物貨ヲ西国ニ運送シ、西国ノ物貨モ亦東国ニ送致スル玆ニ多年、而シテ運輸ノ問、物貨減損ノ憂少ナカラス、蓋シ其弊ノ原ク所荷造ノ法未タ開良セサルニ由ラサルナシ、故ニ微臣荷造法ヲ考究スルニ当リテ客歳博覧会事務局ニ於テ已ニ其ノ方法ヲ全国ニ布達セラル、是即チ微臣ノ企望スル所ニシテ大政府ノ
 - 第17巻 p.38 -ページ画像 
民業ニ尽力セラルヽ誰カ其厚キヲ感謝シ奉ラサランヤ、微臣之由テ猶一層百物ニ就テ考案スルニ、荷造リノ粗ナルカ為メニ貴重ノ物貨ヲ海陸ニ委棄スルモノ枚挙スヘカラスト雖トモ、就中品類ノ甚多キ損失ノ最モ夥シキモノハ米塩ヲ以テ第一トシ〆粕之ニ次ク、微臣ハ先此ノ三ツノ物ニ拠テ荷造リヲ改正スル事ヲ急務ナリト信ス、乍併其改正方種々アリト雖或ハ之ヲ他ノ物ヲ以テ更ニ改正スルトキハ民人ノ習慣ニ反シ、却テ之レヲ製出スルニ多少ノ費用ト労力ヲ要シ、到底行レ難カラント察ス、故ニ従来所慣ノ作リ方ニ拠リ更ニ之レヲ精密ニスル時ハ右等ノ患モ無ク、一ツニ国家ノ裨益ニノミ帰ス可シ依テ其方法ヲ開陳セントス
 一 米俵ハ土地柄ニヨリ造リ方ヲ異ニス、多少精粗ノ別アリト雖トモ要スルニ別紙甲号第一図ノ如ク、四条ノ縄ヲ以テ編ミタルモノナレハ之レヲ運送スルノ際其ノ一条ヲ断スレハ忽チ乱俵トナリ、入実ヲ減損ス、因テ甲号第二図ノ如ク十二条ノ縄ヲ以テ編ムトキハ、其一条乃至二条ヲ切断スルモ容易ニ乱俵トナルコトナカルヘシ、且其空キ俵ハ大豆其他ノ雑穀ヲ入換、再三再四用ユルモノナルヲ以テ当初造リ方粗ナレハ再三再四ノ損失ヲ生スヘシ
 一 塩ハ米ヨリモ一層欠減シ易キモノナレバ最モ俵造精密ヲ要スヘキモノナルニ、在来ノ造方ハ米俵ヨリモ猶粗ナルニヨリ運送ノ際乱俵トナルモノ甚ダ多シ、然ルニ東北諸国ノ如キハ大凡四国・中国ノ海塩ヲ仰クト雖トモ地形良港ニ乏シク春・冬ノ二季ハ全ク航海ヲ絶テ、故ニ夏時ヨリ初秋ヲ以テ運送ノ季節トセリ、而シテ繋船ノ場所ハ概川港故内地川水吐出スル海湾ナルニ依リ渇水ノ為ニ阻ラレ陸地ヨリ一里乃至二里ノ沖合ニ船ヲ斥ケ、艀下船ニ積移シテ陸ニ達スルコト多シ、此上下スル際脱漏甚シク其ノ無異ナルハ殆ント罕ナリ、亦北海道漁場ノ如キハ甲地乙地必其所漁ヲ異ニス仮リニ甲地五百円ノ塩ヲ要シ乙地百円トセンニ、乙地ノ漁平年ニ三倍シ甲地ノ漁平年ニ五分ノ二ヲ減スルトキハ、甲地ノ塩ヲ乙地ニ運送シテ其平均ヲ保タサルヘカラス、其塩ハ前述ノ如ク乱俵ナルヲ以テ莚或ハ米俵ヲ以テ之レヲ包ミ、陸送スルモ脱漏ヲ防ク能ハス、道路ニ散乱シテ一条ノ雪路ヲ現出スルヲ見ル、此ノ如キ最モ甚シキモノナリ、因テ乙号第一図在来ノ俵作リヲ改正シ、其第二図ノ如キ十条ノ縄ヲ以テ編ムトキハ其ノ夥多ナル損失ヲ抑止シ無益ノ手数ヲ省クニ足ルヘシ
 一 〆粕ハ北海道及ヒ両総・三陸ノ産物ニシテ西東諸国必需ノ肥料タリ、其在来荷造ハ一般別紙丙号第一図ノ如ク莚ニテ之ヲ包ミ、単ニ一条ノ縄ヲ以テ其中央ヲ括リ、小口ヲ平直ニ編ミ附ケタルノミナルニ依リ推積スルノ間重力ニ圧セラレ、小口ヲ破リ乱俵トナルモノ夥シ、殊ニ北海道ノ部分ハ一俵ニ付テノ斤量一定セス、毎俵甚シキ増減アルヲ以テ汽船西洋形風帆船ニ積入ルトキ凡見込ヲ以テ運賃ヲ定ムルカ故ニ、全運送セサル石高ノ運賃ヲ払ヒ或ハ全ク運送セシ石高ノ運賃ヲ払ハサル等ノ不公平ヲ生ス、因テ斤量一定セシ上別紙丙号第二図ノ如ク改正スルトキハ、特リ損失ヲ減却スルノミナラス併セテ船積ミノ便利ヲ得ヘシ
 - 第17巻 p.39 -ページ画像 
 前条米塩〆粕三種ノミニ付テモ在来荷造リノ粗ナルカ為メニ減滅スルモノ平均スルトキハ少クモ百分ノ五ヲ下ラサルヘシ、今之ヲ改シ其一半百分ノ二半ヲ減セシメサルモノトスレハ百万石ニ弐万五千石ノ利益アリ、之ニ因テ全国ノ利益ヲ合スレハ其多キ容易ニ算スル能ハサルヘシ、仰願ハ別紙甲乙丙号三図御試撿ノ上其得失ヲ御考慮被下、若シ其益アルヲ得ハ之レヲ全国ニ御諭達被下度微臣廃物ノ多キヲ憂ヒ之レヲ苦慮スルノ余リ尊顕ヲ冒シテ之ヲ上申ス
                       誠恐誠惶百拝
 明治十一年第三月八日  府下第一大区六小区元四日市町十番地
             田口喜太郎方止宿
             新潟県管下第二十四大区四小区六番組
             笹口浜村八百七十四番地 商
                     遠藤吉平
    内務卿 大久保利通殿
   ○右「俵作改正之建言」中ニ録スル参考図解ハ玆ニ省略ス。


荷造改良に関する意見 遠藤吉平著 第一一―一九頁 大正八年六月刊(DK170006k-0002)
第17巻 p.39-40 ページ画像

荷造改良に関する意見 遠藤吉平著   第一一―一九頁 大正八年六月刊
  荷造改良促進の経過
    一 大久保内務卿に建言す
私は前に述べました経験からして、荷造改良の急務を痛切に感じましたが、扨如何やうにしたなら改良を実行させる事が出来るか、これが直ちに私の胸の中に起つた疑問でありました。私は前にも申した通り田舎育ちの、無教育なる一商人に過ぎませぬから、政府の施設とか行政とかいふことには、深く知識は有しませんので、唯だ政府要路の人を動かしたならば、此改良の事は容易く出来るだろうと思ひました、そこで大久保内務卿に宛てゝ、荷造を此儘で置いては国家の大損失である、一日も速かに之れを改良しなければならぬ、政府は宜しく人民に之れを実行させる様にすべしとの主旨で、一編の建白書を呈出しました、之れは明治十一年の三月のことです。其文章などは今から見れば誠に田舎じみたものではありますけれども、当時の私の意見が之れで知れますから、煩はしいけれども玆に全文を載せて見ます。
  俵作改正之建言 ○前掲ニツキ略ス
    二 東京商法会議所其他の援助
右の如く建白は差出しましたが、一人で当局に迫るのみでは、自分の希望を達するといふ事は容易でないと考へましたが、幸ひ其当時既に政府の諮問機関として、東京・大阪・長崎の三箇所に商法会議所が設けられてありました故、此各方面の実業家を網羅した団体の後援を得て、其力で自分の主張を反覆するのが捷径であると思ひましたから、此年の十一月に前に政府へ提出しました建白書の写しを副へ、意見書を東京商法会議所に差出し、私の建言書の趣旨を貫徹させるやうに、尽力して貰ひ度ひと依頼を致しました。
東京商法会議所では、私の申してやつた事に就きて議しまして、大に賛成して呉れました。其時の通諜を掲げて見ませう。
 去月二十七日附ヲ以テ御照会相成候本邦米塩〆粕等俵作リ改良ノ義ハ、本月五日当会議所定式集会ニ於テ衆議ニ付シ候処一同之ヲ賛成候ニ付、先般貴殿ヨリ内務省ヘ御建白相成候趣旨貫徹候様別紙ノ副
 - 第17巻 p.40 -ページ画像 
書ヲ以テ其筋ヘ上申致候間此段及御廻答候也
  明治十一年十二月十一日
                東京商法会議所会頭
                    渋沢栄一
    遠藤吉平殿
(別紙) ○略ス
そこで私は東京商法会議所の賛同及ひ尽力に励まされて、更に大阪と長崎との両方の商法会議所へも、東京と同じ様に依頼書を出したところ、両方共に矢張り大に賛成して、大阪は明治十三年六月に、長崎は少し遅れて明治十四年二月に、東京が出したと大同小異の建議を、時の内務卿松方正義殿に上申しました。此頃は日本全国で商法会議所が此三箇所だけであつたのだから、つまり全国の商法会議所が、私の建言書の趣旨に賛成して、大に声援して呉れた訳であります。
   ○遠藤吉平ハ越後ノ人、維新当時ヨリ函館ニ在リテ北海道内地間ノ通商運輸ノ事ヲ業トス。夙ニ貨物ノ荷造不備ニシテ其影響頗ル大ナルニ気附キ、本業ノ傍ラ生涯ヲ其改良運動ニ捧ゲ、大正八年七十九歳ニシテ「荷造に関する意見」ヲ著ス。詳細ハ同書ヲ参照スベシ。
   ○本款明治十四年九月二十八日(第七〇二頁)ノ条並ニ本節第二款東京商工会明治十八年一月五日ノ条及ビ本節第三款東京商業会議所明治二十九年九月十五日ノ条参照。