デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商法会議所
■綱文

第17巻 p.452-460(DK170034k) ページ画像

明治13年6月14日(1880年)

当会議所、近年銀価ノ変動急激ナルヲ以テ、政府ニ於テ之ヲ安定セシムルノ方法ヲ講ゼンコトヲ大蔵卿佐野常民ニ建議ス。


■資料

東京商法会議所要件録 第一五号・第一七―二三丁 明治一三年六月二一日刊(DK170034k-0001)
第17巻 p.452-455 ページ画像

東京商法会議所要件録  第一五号・第一七―二三丁 明治一三年六月二一日刊
  第十五定式会議 明治十三年五月十八日午後第七時五十分開場
    議員出席スル者 ○二十二名
○上略 時ニ益田孝氏ハ更ニ諸君ノ高論ヲ仰クベキモノアル旨ヲ述ベ、則チ議ヲ発シテ曰ク、
 夫レ近来銀貨及ビ紙幣ノ価格ニ於テ非常ノ変動ヲ生ズルハ世ノ共ニ憂フル所ニシテ、其変動ノ甚シキヤ我々商業社会ガ被ムル所ノ損害ニ至テハ実ニ云フニ忍ビザルモノアリ、抑モ通貨ノ価格ニ於テ昂低ヲ生ズル昨年ニ至リテ殊ニ甚シク、当時世ノ救済ヲ講究スルモノ勃勃トシテ起リ、当会議所ニ於テモ価位常平説ノ議場ニ現出シタル事アリキ、然ルニ政府ニ於テハ救済其術ヲ尽クシ、終ニ三百万円ノ巨額ヲ市場ニ売出シテ以テ孜々之ガ下落ヲ計画セラレタルニ一時大ニ其効ヲ奏シ、六十匁五分迄ニ低落シタリト云トモ豈図ラン政府ノ救済ハ一時ノ急ニ応ズルニ止リ、爾来之ヲ放棄シテ復タ其変動如何ハ措テ之ヲ問ハザリキ、故ニ其反動力ハ却テ元動力ヨリ強且ツ大ニシテ終ニ今年ニ至テハ一円六十二銭以上ノ相場ヲ現出シ、其勢ヤ殆ト底止ス可ラザルニ至レリ、於是乎政府復タ嚮ニ銀貨ヲ売出シテ以テ之ガ救済ヲ謀レリ、是レ蓋シ止ヲ得ザリ《(ル)》ニデ出《(出デ)》タルノ策ナルベシト雖トモ其昂低変動ノ如此非常ニ出ヅルヤ我輩商估ガ被ル所ノ困難ニ至テハ実ニ言フニ堪ベ《(ヘ)》ザルナリ、余輩豈之ヲ憂ヘザルベケンヤ、夫レ然リ而シテ余ガ最モ憂フル所ハ単ニ銀貨価格ノ騰貴ニ在ラズシテ其価格ガ俄カニ常度ヲ超越シテ非常ノ変動ヲ生ズルニ在リ、夫レ米穀ノ如キハ其価位銀貨ノ昂低ニ関係スル者ナリト雖トモ之ヲ輸出入
 - 第17巻 p.453 -ページ画像 
品ニ比スレバ其変動ハ割合ニ少小ナリトス、其輸出入品ニ至テハ之ガ変動上ヨリ生ズル所ノ損失、実ニ名状ス可カラザルナリ、試ニ生糸ヲ見ヨ、昨日通貨千円ヲ以テ買入タル者モ今日銀貨ノ変動ヨリ忽チ其価ヲ減ジテ八百円トナリ、又七百円トナル等此例ヲ以テ之ヲ推ス時ハ銀行ノ如キ朝ニ千円ノ生糸ヲ抵当トシテ八百円ヲ貸附スルモ夕ニ二割乃至三割ノ損失ヲ受ケザルヲ得ズ、其他唐糸ノ如キ石油ノ如キモ亦皆然リ、然ルニ小売店ノ如キハ銀貨ノ昂低ニ随テ俄カニ物価ヲ動スコト能ハザルガ故ニ其昂低有ル毎ニ又一割乃至二割ノ損失アルヲ免ル可ラズ、而シテ其禍ヲ被フル者独リ我々商業者而已ニ止ラズ其生産者ニ至テモ亦同一ナリ、其財産ヲ保護スル事能ハザル夫レ如此、吾人ノ不幸豈焉ヨリ太甚シキモノアランヤ、蓋シ政府ガ今回ノ挙ノ如キ昨年ノ殷鑑アルヲ以テ勉メテ適当ノ方略ヲ採リ敢テ旧轍ヲ踏ムガ如キ失錯ハ万ナカルベシト雖トモ、若シ夫レ今回救済ノ意外ニ容易ナリシニ甘ンジ、復タ之ヲ放棄セラルヽガ如キコトアラバ其反動或ハ前日ニ倍蓰スルモ亦測リ知ル可ラザルナリ、如此政府ノ所為一張一弛以テ其価格ニ非常ノ変動ヲ生ズルニ至ラバ余輩ハ何ヲ標準トシテ以テ商業ヲ経営スルヲ得ベキ乎、其営業ノ危険ナル蓋シ焉ヨリ甚シキモノナカラン、寧ロ正経ノ業務ヲ去テ限月売買ニ就クニ若カザルニ至ルナリ、是故ニ今日ニ於テハ通貨ノ価位ヲシテ常ニ定度ニ保チ、甚シキ昂低ナカラシメザルヨリ急務ナルハナシ、固ヨリ財政其本ヲ医スルニ非ルヨリハ今日ノ国力以テ一円ノ定度ニ銀貨ヲ保タントスルガ如キハ到底望ムベカラザルモノヽ如シト雖トモ今玆ニ需用ト供給トノ釣合ニ於テ其適当ナル相場ハ一円三十銭ナリ若クバ一円四十銭ナリト認メバ暫ラク之ヲ標準トシ政府ニ於テハ常平法ニ傚ラヒ之ヨリ高価ナレバ売リ、低価ナレバ買ヒ以テ其価格ヲシテ常ニ平準ナラシメ勉メテ此定度ニ越ヱシメザランコトヲ要ス、故ニ当会議所ハ昨年以来銀貨ノ昂低変動ノ非常ナリシガ為メ商估ガ受被シタル損失ノ実蹟ヲ調査シ、而シテ其変動ヨリ生シタル弊害ヲ上陳シテ以テ此ニ政府ノ注意ヲ促サント欲ス、之レ我ガ目下切ニ希望スル所ナリ、乞フ諸君明諭ヲ吝ム勿レ
朝吹英二君曰ク、今回政府ノ方略ハ最モ其宜シキヲ得タリト云フベシ且ツ政府ヨリ糶出シタル銀額ハ甚タ多カラズト云トモ所謂提灯持チナル者多キガ故ニ其下落ヲ助ケタルモ亦少シトセズ、益田君ハ政府ノ挙措ニ向テ甚タ苦慮セラルヽモノヽ如シト云トモ、蓋シ此度ハ昨年ノ覆轍ヲ踏ムガ如キ失策アラザルハ余ガ信ズル所ナリ
益田孝曰ク、余ガ政府今回ノ方略ヲ善ミスルハ朝吹君ノ説ノ如シ、只政府ニ向テ望ム所ハ此方略ヲ永続セシメン事ヲ欲スルニ外ナラザルナリ、余輩ハ今日迄漸クニシテ正業ニ従事シタリト云トモ、如此銀貨ノ価格ニ非常ノ変動アル上ハ其正業タル其実投機ニ過キザルガ故ニ此後或ハ之ニ堪ヘズ正業ヲ棄テヽ歩ヲ相場ニ転スル事ナシトモ明言スベカラザルナリ、夫レ今年斯ク小額ノ銀貨ヲ売リ出シ以テ今日ノ結果ヲ呈シタルハ新茶続テ生糸ヲ輸出スルノ時節ニ迎ヒタルト、一円六十銭ナル相場ノ反動ニヨル者多シト云トモ、今ニシテ政府之ヲ放棄スル時ハ復タ実ニ名状スベカラザルノ反動ヲ生ズルモ未タ測
 - 第17巻 p.454 -ページ画像 
リ知ルベカラズ、故ニ余ハ現ニ政府ガ之ニ手ヲ入ルヽノ間ニ於テ此常平法ヲ建言セン事ヲ望ムナリ
米倉一平曰ク、政府ガ銀貨ノ騰貴ヲ防カンガ為メ時宜ニヨリ之ヲ糶出スルハ可ナリト雖トモ、其下落スルニ際シ之ガ買埋ヲ為シ、所謂利喰ヒヲ為スガ如キハ政府ノ為スベカラザル所業ナレバ其説ニ至リテハ余ガ取ラザル所ナリ
会頭曰ク、銀貨ノ昂低ニテ困難ヲ受ケシ人々ノ実蹟ヲ調査セザル間ニ政府或ハ銀貨低落ノ方略ヲ放棄スル事アルモ測ル可ラズ、故ニ余ハ仮リニ議員トナリテ一言ヲ発センニ銀貨価格ノ変動タル騰上スル時ノミ害ヲ受クル而已ナラズ、下落スル時ト云トモ損ナキ能ハズ、是故余ハ政府ニ上言シテ此弊害ノナカラン事ヲ望ムハ同意ナリト云トモ、昂低ニヨリ損害ヲ受被シタル人ノ実蹟ヲ調査スルガ如キハ或ハ無用ニ属スルノ恐アランカ
益田孝曰ク、否ラズ此実蹟ノ如キハ横浜二三ノ商佑《(估)》ニ就キ之ヲ調査セバ極メテ容易ノ業ナルガ故ニ、余ハ之ヲモ併セテ其損害ノ実況ヲ政府ニ知ラシメン事ヲ望ム
柴崎守三曰ク、銀貨相場ニ非常ノ昂低アルハ相場師ノ之ヲ助成スルモノ多キニ居レリ、故ニ政府ハ此相場ヲシテ極メテ下ゲ、極メテ上ゲ之ヲ行フ事両三回ニ及ハヾ自ラ其昂低ノ甚キニ懲リ敢テ手ヲ下ダス者ナキニ至ラン乎
益田孝曰ク、余ガ昂低ヲ防ガン事ヲ欲スルモノハ自然ニ逆フテ騰貴スルノ勢アルトキハ政府之ヲ売リ、又生糸茶輸出等ノ為メ銀貨ノ市場ニ余裕アルヨリ自然ニ下落シタル時ハ之ヲ買ハン事ヲ要スモノニシテ、余ハ敢テ政府ニ向テ投機商ヲ勧ムルノ徒ニ非ルナリ
朝吹英二曰ク、余ハ書面ヲ以テ之ヲ建言スルガ如キハ姑ラク之ヲ止メ只口上ヲ以テ上陳スルヲ可トス、何トナレバ今ヤ銀貨ノ騰上スルハ世間一般ノ苦慮スル所トナリ、其下落ヲ望ム事大旱ノ雲霓ニ於ケルガ如ク政府ニ於テモ銀貨ノ価位ヲ一円ニ迄モ下落セシメン事ヲ欲セラルヽハ理ナキニ非ルナリ、且ツヤ世間此商法会議所ヲ認メテ相場師ノ淵藪ト妄信スル者少ナシトセズ、今ヤ官民共ニ銀貨ノ下落ヲ望ミ、其価位漸次低度ニ趣クノ傾向アルノ時ニアタリ、銀貨ニ高下ナカラン事ヲ書面ニテ政府ニ上言セバ仮令其精神ハ世上一般ノ利益ヲ保持セントスルノ目的ニ出ヅルト云トモ、或ハ其精神ノ在ル所ヲ察セズ偶々銀貨下落ニ際シ之ヲ云フハ恐ラクハ其騰貴ヲ欲スルニ出ヅルノ利己者ノ言ト妄信スル者ナシトセズ、政府ニ於テモ益々銀貨ヲシテ低廉ナラシメント鋭意セラルヽノ時ナレバ或ハ同一ノ感覚ヲ生セラレズトモ保シ難カルベシ、斯ノ如ク官民共ニ余輩ヲ疑フ事アラバ、我東京商法会議所ノ名誉ニ関シ言フ可ラザルノ不都合ヲ来スベシ、故ニ斯ル時機ニ際シ書面ヲ以テ之ヲ上言スルガ如キハ余ガ取ラザル所ナリ
益田孝曰ク、夫レ人己レ疾シケレハ他人ヲ疑フハ人情ノ通弊ナリ、己レガ心裡一点ノ不正ヲ抱ク事ナケレバ固ヨリ公平正理ヲ以テ之ヲ論ズベシ、今ヤ余輩世上人民ノ為メニ其不幸ヲ救ハントス、豈区々タル小節ニ拘リテ大義ヲ棄ツルニ忍ビンヤ、夫レ世人ノ疑心ヲ抱クヲ
 - 第17巻 p.455 -ページ画像 
憚リテ其不幸ニ陥ルヲ救ハズ、他日世人ガ余輩ノ不信ヲ責ムル事アラバ余輩ハ何ノ面目アリテ社会ニ立タンヤ、若シ我ガ所為一点ノ不正ナクシテ世人ノ疑ヲ受クル事アラバ其非トスル所我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、何ノ憚ル事カ之レ有ラン、然レトモ諸君尚ホ其疑惑ノ恐アリト云ハヾ其疑惑ヲ受クルト受ケザルトハ只政府ヘ上呈スル文面如何ニ在リ、復タ敢テ之ヲ意トスルニ及バンヤ
柴崎守三氏ハ益田克徳氏ト共ニ其説ヲ賛成シ、且ツ曰ク、今銀貨下落ノ傾向アル時ニ其乱高下ナカラン事ヲ政府ヘ上言スル時ハ、此下落ヲ妨クルノ嫌アリトノ説アレトモ、我ガ考案ヲ以テスレバ大ニ然ラズ、抑モ此度ノ下落タル政府ノ方略ヨリ生ズルモノナルガ故ニ、今ヤ当会議所ガ政府ニ向テ此方略ヲ保守シテ復タ其騰上ヲ生ゼザラシメン事ヲ建言セバ、益田君ノ所謂乱高下ヲ防グノ精神ヲ失フ事ナク又人民ノ疑ヲ受クルノ恐ナク、実ニ一挙両全ノ策ト云フベシ、故ニ余ハ此銀貨下落ノ時ヲ以テ却テ乱高下ナカラシメン事ヲ政府ヘ上言スベキハ最モ好機ナリト信ズルナリ
会頭曰ク、益田・朝吹二君ノ説何レモ理ナキニ非ズ、故ニ余今一説ヲ案出セリ、即チ先ツ益田君ノ説ニ従ヒ建言ノ草案ヲ製シ、之ヲ当会議所ニ保存シテ、若シ政府ガ今日ノ方略ヲ放棄シ、他日其反動ヨリ銀貨ノ価位再ビ一円五十銭若クハ其以上ニ騰貴スルガ如キ傾向アル時ニ方リ、突然此書面ヲ政府ヘ捧呈セバ益田君ノ望ム所効能ナキニ非ラズ、又朝吹君ガ説クガ如キ関心モナク最モ其中ヲ得ベシ、諸君之ヲ如何トスルヤト、於是益田孝氏ハ自説ノ諸氏ニ貫徹セザルヲ以テ異議ヲ来タスノ理由ヲ説キ、朝吹君ハ其説ハ固ヨリ能ク了解スト雖トモ之ヲ建言ズ《(ス)》ルノ時節ニアラザル旨ヲ述ベ、良々討論アリタレトモ各前説ヲ敷衍スルニ過ギズ、而シテ衆皆益田君ノ説ニ同シタルヲ以テ、理事本員ニ於テ此書ヲ作リ之ヲ政府ヘ差出スベキニ決シ、会頭ハ議事ノ終ルヲ告ゲ、各員ニ散会ヲ命ズ、時ニ午後十時十五分ナリ


東京商法会議所官衙諸達並上申書綴 三(DK170034k-0002)
第17巻 p.455-456 ページ画像

東京商法会議所官衙諸達並上申書綴 三
                   (東京商工会議所所蔵)
    銀貨価位ノ義ニ付建言
近来銀貨ノ価位ニ非常ノ昂低アリテ其変化モ亦定ラサリシカ終ニ本年五月ニ及ンテ一円六十銭以上ノ相場ヲ市場ニ現出シ、而シテ其余響ハ諸物品ニ連及シ其禍害実ニ言フ可ラサルノ極ニ至レリ、是レ当会議所カ憂懼ニ堪ヘサル所ナリ、然リト云トモ当会議所カ憂懼スル所ハ単ニ其価位ノ騰上スル而已ニアラスシテ其間俄カニ上下シテ以テ我貿易場ノ商業ヲ妨害スルニアリ、請フ詳カニ其所以ヲ陳セン
今爰ニ商估ガ唐糸若干個ヲ買収セントスルニ方リ此相場横浜着百斤三十五弗ナリトシ、銀貨ノ相場一円四十銭ナレバ其原価ハ紙幣四十九円ニ当ルヲ以テ内地ニ販売シテ相当ノ利益アルモノト認メ、買約定ヲ為セシニ、其輸入シテ現品受渡ノ時ニ当リ、銀貨ノ相場頓ニ一円六十銭ニ騰貴セバ、当初四十九円ト算定シタル原貨ハ忽チ五十六円トナリ、一割四歩ノ差ヲ生シ意外ノ損失ヲ被ラザルヲ得ズ、又輸出品中生糸ノ如キ横浜手取六百弗ニシテ銀貨一円六十銭ナレバ九百七十六円ナリ之
 - 第17巻 p.456 -ページ画像 
ヲ目的トシテ内地ニ買入レタルニ、其売上ケノ時ニ当リ銀貨ノ相場一円四十銭ニ下落セハ、獲ル所ノ紙幣ハ八百四十円ニシテ、則チ百三十六円ノ損失ヲ受ケサル可ラス、是レ只数十日ヲ閲シテ売上代ヲ得ルノ商売ニ局ラス近時其昂低変化ノ倏忽ナル日々十銭乃至廿銭ノ懸隔ヲ生スルノ時ニ在テハ朝ニ銀貨相場一円四十銭ヲ目的トシ、外商ト売買ヲ約スルモ夕ニ五銭ノ昂低アレバ、早ヤ已ニ入額千円ニ付二十五円ヲ損シ、十銭ノ上下アレバ五十円ヲ失フベシ、如此変動浮沈ノ倏忽ナルヤ偶々仕入其時ヲ異ニセバ同品ヲ以テ同時ニ販売アルニ於テ一方ハ極メテ廉ニシテ一方ハ極メテ高価ヲ致スノ弊モ亦随テ生セサルヲ得サルナリ、由是観之銀貨ノ変動ハ其害ノ及ボス所決シテ商估ノミニ止ラズ生産者ト云トモ此禍ヲ被ラサルヲ得ス、已ニ生産者ニシテ此害ヲ受クルモノトセバ之レガ消費者ト云トモ亦タ其損失ヲ免カレザルナリ、是ヲ以テ今日正経着実ノ商業ヲ営ム者モ其実投機ヲ免カレザル尚ホ純然タル投機商ヨリモ甚シキモノアリ、故ニ世ノ着実ナル商売ヲ経営スル者モ終ニ基本業ヲ放擲シテ専ラ相場者流ニ転スル者往々ニシテ少ナカラサルニ至ル、然リ而シテ此禍害ノ由縁ヲ繹ヌレハ只銀貨ニ因テ生スルニ非ラスシテ実ニ財政ノ変動ニ根スルモノナレハ、今遽カニ銀貨ノ一端ニ就テ之レカ救済ヲ講究ス可ラスト云トモ、苟モ之レカ救済ニ着手セハ、亦頓ニ之レヲ抛却シテ一下一上ノ変動ナカラン事ヲ企望スルナリ、蓋シ政府夙ニ此ニ注慮セラレ本年銀貨ノ騰上スルニ当リテヤ之カ救済ノ道ヲ施サレ、僅々数日間ヲ出デスシテ殆ト一円三十銭ノ低価ヲ市場ニ見ルニ至リタルハ実ニ我々商估ノ一大幸福ナリ、然リト云トモ之レヲ往時ニ回想スレハ昨年二三月ノ交、銀貨ノ騰上スルニ方タリ政府鋭意之カ救治ヲ施サレ、一大挙ノ下其価位ハ一時一円六銭以内ニ迄下落セリト云トモ、此方策タル只一時ノ急ヲ救フノ施行ニ止マリテ敢テ持久ノ施行ニ非ザリシガ故ニ、其一大挙ノ愉快ナル原動ハ却テ激烈ナル反動喚起スルノ因トナリ、其余勢ノ甚シキ終ニ本年五月ニ至リ一円六十二銭以上ノ高価ヲ現出スルニ至レリ、若シ夫レ本年救済ノ法ヲシテ只一時ノ急ヲ救フニ止ラシムルトキハ其反動ノ恐ルベキ寧ロ当初ヨリ之ヲ放棄セラルヽノ愈レニ《(ル脱カ)》如カザルハ昨年ノ例ヲ以テ明カナル所ナレハ政府ニ於テハ復タ決シテ如此倏行忽止ノ計ニ出テザルベキハ当会議所ガ信スル所ナリ、切ニ望ラクハ閣下商業上ノ実況ヲ熟視セラレ此救済ノ方法其当ヲ得テ我商估ノ経業ヲシテ非常ノ妨害ナキ事ヲ得セシメラレン事ヲ
  十三年六月十四日           東京商法会議所

    大蔵卿 佐野常民殿


東京商法会議所要件録 第二一号・第一八―一九頁 明治一四年二月一〇日刊(DK170034k-0003)
第17巻 p.456-457 ページ画像

東京商法会議所要件録  第二一号・第一八―一九頁 明治一四年二月一〇日刊
 ○参考部 明治十三年東京商法会議所事務報告
○銀貨価位常平之義ニ付大蔵卿ヘ建議之件
  本議ハ益田孝君ノ発議ニ係ルモノニシテ、抑モ其要旨トスル所ハ銀貨価位ノ変動タル、其忽チ下ルノ害ハ猶忽チ上ルノ害ノ如ク、要スルニ急劇ノ上下ハ商業ノ権衡ヲ紊ルノ基タルヲ以テ其価位ヲ常平ナラシムルノ方法ヲ政府ヘ建議シ、急劇ノ昂低ナカラシメン
 - 第17巻 p.457 -ページ画像 
事ヲ望ムニアリ、乃チ之ヲ五月十八日第十五定式会ニ於テ議事ニ附シタルニ、直チニ満場ノ賛成ヲ得タルヲ以テ理事本員ハ之カ建議案ヲ作リ、終ニ六月十四日ヲ以テ之ヲ大蔵卿ヘ上呈シタリ



〔参考〕稿本日本金融史論 滝沢直七著 第一二四―一二八頁 大正元年一〇月刊(DK170034k-0004)
第17巻 p.457-458 ページ画像

稿本日本金融史論 滝沢直七著  第一二四―一二八頁 大正元年一〇月刊
 ○第二編 第七章 紙幣の下落
    第三節 銀貨価格
吾人は輸出の趨勢を観察して正貨の需要即ち銀貨の需要如何を考へ。而して銀貨騰貴の原因を研究し、以て紙幣下落との関係を論じて見よう。
蓋し貨物輸出入の統計は本国の原価を記載するものであるから、実際売払はれたる価格とは多少の相違あるべく。また貨物の輸出入に於ては金貨の如きも一円は一円と算し、銀貨一オンスを一円と算するものあるを以て、精密に比較し能はざれども、大勢はこれを知るに難からず。左に紙幣流通高と輸出入との統計を見よう。

   年次    毎月平均紙幣流通高    物品輸出入超過高    金銀輸出入超過高
  明治十年   一一、三六六、五二〇円  (入)四、〇七二、三八一円  (出)七、二六七、七七二円
  同十一年   一五、九五一、三八〇   (同)六、八八六、六九三   (同)六、一三九、五五一
  同十二年   一六、六〇四、一〇九   (同)四、七七七、二三二   (同)九、六四四、〇五九
  同十三年   一六、二〇七、四一〇   (同)八、二三一、二一四   (同)九、五八四、七六三
  同十四年   一五、五一八、〇八三   (同)一三二、三五八     (同)五、六三四、四〇〇
  同十五年   一四、六四九、二四八   (出)八、二七五、一五六   (入)一、七三〇、五二七
  同十六年   一三、四三三、八五一   (同)八二三、一七七     (同)二、二九四、九三五

実によく紙幣流通高増減と輸出入の関係が符節を合すやうに一致して居る。この表は紙幣下落して物貨騰貴し、物価騰貴して輸入増進し、輸入増進して正貨流出の状をよく表はしてある。また輸入の増進し来るや正貨は流出し、銀貨の需要勢ひ増加してその価格を騰貴せしめしことを示して居る。実際に於て銀貨は騰貴し来たつて殆んど底止するところを知らなかつた。その騰貴は世界に於ける金銀比価の変動によつて左右されたるものではない。世界に於ける金銀比価は寧ろ日に日に下落の大勢を有して居つて、銀貨は騰貴するよりは下落せざるべからざるを世界の大勢とするものなれば、世界《(に脱)》於ける金銀比価の変動とは全く関係なき現象なることは左の表を以て知ることが出来よう。

  年次     紙幣百円ニ対スル銀貨相場    倫敦銀塊相場
            円               片
  明治八年   一〇二、九〇〇         五六、八七五〇
  同九年     九八、九〇〇         五二、七五〇〇
  同十年    一〇三、三〇〇         五四、八一二五
  同十一年   一〇九、九〇〇         五二、五六二五
  同十二年   一二一、二〇〇         五一、二五〇〇
  同十三年   一四七、七〇〇         五二、二七〇〇
  同十四年   一六九、六〇〇         五一、九三七五
  同十五年   一五七、一〇〇         五一、八一二八
  同十六年   一二六、四〇〇         五〇、六二五〇

前表の如く銀貨は紙幣に対して明治十年より漸々騰貴して明治十四年に至つたのである。然るに倫敦銀塊相場は明治十年より絶えず下落し
 - 第17巻 p.458 -ページ画像 
たること水の低きに就くが如くなるを見る。こゝに於てか本邦に於ける銀貨の騰貴は、特に本邦に限つて起れる現象であることが解せられる。これを輸入超過に徴し、金銀の輸出超過に徴し、物価騰貴に徴して、銀貨騰貴は紙幣の増発に原因することを論断することが出来る。而して銀貨相場に対して紙幣は如何に下落せしかを表によりて左にこれを示そう。

  年次   紙幣一円ニ対スル銀貨毎年平均価格    銀貨一円ニ対スル紙幣毎年平均価格
                  円                円
  明治十年           一、〇三三             、九六八
  同十一年           一、〇九九             、九〇九
  同十二年           一、二一二             、八二五
  同十三年           一、四七七             、六七二
  同十四年           一、六九六             、五八九

紙幣の下落は銀貨と対比すれば明治十四年に至りては殆ど半額に下落したのを見るのである。
  第八章 紙幣下落を自覚せざりしより生ぜし
      洋銀騰貴防遏の政策
    第一節 準備金に於ける銀貨売出
紙幣増発のために紙幣下落して銀貨騰貴したのであるけれども。明治十一年及十二年の間に於ては未だ紙幣増発のために紙幣の下落したりしことを覚知するものなく、唯銀貨の騰貴せしのみを信じ、啻に民間に於けるのみならず、政府部内に於ける意見もまた銀貨騰貴したりと信じ、これが防遏策として準備金に於ける銀貨を売出し、以てその騰貴に於ける影響を救済せんとして、第二国立銀行及三井銀行の二銀行に托して、銀貨二百四十万余円を市場に売出したのである。これが為めに銀貨は俄に下落して一円十六銭となり。六月には更に下落して一円十銭二厘となつた。
然れども、売出の稍緩むに随て再び騰貴の勢を示し、翌十三年三月には再び騰貴したから、また第一・第二国立及三井の三銀行に命じて六百余万円を売出さしめ、更にまた横浜正金銀行をして十八万五千円を売出さしめた。これがために平均一円五十四銭九厘の相場があつたものが翌五月には一円三十七銭三厘に下落し、六月には一円三十六銭七厘に下落した。その銀貨を売出すや必ず効果があつたけれども、七月には一円三十七銭八厘なりしものが、八月には一円三十八銭七厘となり、九月には一円四十八銭九厘に騰貴して到底防遏し難きことを悟つて、終に十三年九月を限り売出しを中止するに至つたのである。
○下略



〔参考〕竜門雑誌 第六一五号・第四三―四四頁 昭和一四年一一月 東京商法会議所に就て(五)(山口和雄)(DK170034k-0005)
第17巻 p.458-460 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。