デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.2.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
2款 東京商工会
■綱文

第18巻 p.396-432(DK180036k) ページ画像

明治18年10月29日(1885年)

是日栄一、当会会頭トシテ、先ニ農商務卿伯爵西郷従道ヨリ諮問サレタル東京府下工業ノ盛衰ニ関シ復申ス。


■資料

東京商工会議事要件録 第七号・第三〇―三七頁 明治一七年一〇月一五日刊(DK180036k-0001)
第18巻 p.396-398 ページ画像

東京商工会議事要件録  第七号・第三〇―三七頁 明治一七年一〇月一五日刊
  第七臨時会  (明治十七年九月廿二日午後六時三十分開会)
    会員出席スル者 ○五十名
○上略
右終リテ会長 ○渋沢栄一ハ是ニテ第一号議案ノ議事終リタレバ更ニ第二号ノ議案ニ就キ議事ヲ開クベキ旨ヲ告ゲ、書記ヲシテ其議案ヲ朗読セシム、即チ左ノ如シ
(第二号)
 - 第18巻 p.397 -ページ画像 
                    東京商工会
別紙問題其会ヘ諮問候条審議ヲ遂ケ復申可致事
  明治十七年八月二十六日
                 農商務卿 西郷従道
    商工会問題
一一般ノ工業中維新後衰頽ニ陥リシモノ、隆盛ニ赴キシモノ及ビ新ニ起リシモノハ何ナリヤ、又将来盛衰ノ傾向アルモノハ何ナリヤ、且ツ其直接間接ノ原因如何
会長曰ク、本案ハ字句上別ニ疑フベキ点ナキガ如クナレトモ猶不審アラバ説明委員ニ就テ質問セラレヨ
番外二番(首藤諒)曰ク、本案ノ主意ハ文面通リニテ別段説明ヲ要スル程ノ事ナキガ如シ、但本案中一般ノ工業トハ東京府下ヲ指シタルモノナレバ此ノ意ヲ諒セラレタシ、蓋シ東京ハ商業地ニシテ工業甚ダ盛ナラザルガ故ニ、若シ各地ノ工業ト雖トモ実際貨物ノ取引上ヨリ其景況等ヲ知悉シ得ルモノアラバ此等モ併セテ取調ベラレン事ヲ望ム
会長曰ク、唯今番外ノ説明ニテ御下問ノ大意ハ既ニ明瞭ナリト信ズ、就テハ如何ナル手続ヲ以テ本案ノ要領ヲ調査スベキヤヲ審議セラレタシ、抑モ工業ノ区域タル甚ダ広クシテ彼ノ二子縞・摺附木ヲ始メ砂糖・蝋等ニ至ル迄、苟モ多少製造ノ手数ヲ要スルモノハ皆尽ク工業ノ部分ニ属セザルハナシ、然レトモ広ク此等貨物ノ景況ヲ調査スルハ極メテ困難ナルニ付先ツ予メ大体ノ方針ヲ定メ、例ヘバ西陳織又《(陣)》ハ桐生織ト云フガ如キ重要ノ工業ヲ摘出指定シテ其景況ヲ取調ブル事トセバ大ニ手数ヲ減ズル事ナラン、各員此意ヲ諒シテ調査ノ手続ヲ議セラレヨ
五十九番(益田孝)曰ク、過刻番外ノ説明ニ拠レバ東京ハ勿論地方ノ工況ニテモ知悉シ得ルモノアラバ調査スベシトノ言ナレトモ、斯ク地方ノ事ニ亘リテハ却テ広漠ニ失スルノ恐アラン、依テ先ヅ府下重要ノ工業ニ就テ其景況ヲ精査スル事トシ、而シテ其調査委員ハ工業ニ熱心ナル者数名ヲ指名スル事トセバ如何ン
六十四番(宮崎佐平)九十九番(浅野彦兵衛)並ニ五十九番ヲ賛成ス
八十四番(荘田平五郎)曰ク、本案ハ寧ロ学問上ニ属スル問題ナレバ委員ヲ撰定スルニ就テハ深ク注意アラン事ヲ望ム
四十三番(梅浦精一)曰ク、本案ハ無形ノ穿鑿ニ属スル部分多キニ付委員ヲ撰ブニ当テハ工業者ノミニ限ラス汎ク之ヲ指名セラレン事ヲ望ム
九十八番(吉田幸作)曰ク、維新後興廃シタル工業ノ景況ハ或ハ調査シ得ルトスルモ、将来盛衰スベキモノヽ如キハ既ニ八十四番及四十三番ノ述ベラレシ如ク全ク無形ノ穿鑿ニシテ之ヲ推断スルハ実ニ甚ダ難シトス、而シテ本会商況報告委員ハ平生此等ノ調査ニ慣熟セラルヽ人々ナレバ其調査ハ之ニ依頼スル事トシテハ如何ン
六十三番(柿沼谷蔵)曰ク、審議中ナレトモ一言番外ニ質問セン、本案工業中ニハ大工・左官・石工等ヲモ含ミ居ルヤ
番外二番(首藤諒)曰ク、大工・左官・石工等ノ景況ヲモ調査シ得レ
 - 第18巻 p.398 -ページ画像 
バ尚以テ幸甚ナレトモ先ヅ重要ノ工業ノミニテ不都合ナシ
六十三番(柿沼谷蔵)曰ク、此調査ハ頗ル周密ノ考察ヲ要スルニ付、只今九十八番ノ説ノ如ク之ヲ商況報告委員ニ依托スルモ余ハ其好果ヲ見ザラン事ヲ恐ルヽナリ
八十四番(荘田平五郎)曰ク、余ガ想像ヲ以テスルニ此調査ニ付テハ先ツ会員中統計学ニ熟達スル者ニ托シテ其考案ヲ立テシメ、然ル後汎ク実業者ノ弁難ヲ得テ之ヲ是正スル事トセバ庶幾クハ完全ノ結果ヲ得ルナラン
八十二番(山中隣之助)二十四番(松木平吉)ハ八十四番ヲ賛成ス
右ノ外猶二三ノ説アリタレトモ要スルニ其主旨ハ前記ノ外ニ出デス、是ニ於テ会長ハ議論ノヤヽ尽キタルヲ見テ決ヲ採リシニ、八十四番ノ説ニ同意者多クシテ遂ニ之ニ可決シ、猶衆議ノ上会長ハ左ノ五名ヲ調査委員ニ指名シタリ
             八十三番   阿部泰蔵
             百五番    谷敬三
             四十三番   梅浦精一
             二十五番   丹羽雄九郎
             五十八番   川原英次郎
是ニ於テ会長ハ議事全ク結了シタル旨ヲ告ゲ衆員ニ退散ヲ命ズ、時ニ午後八時三十分ナリ


東京商工会々外諸向往復文書 第一号(DK180036k-0002)
第18巻 p.398-399 ページ画像

東京商工会々外諸向往復文書 第一号
                   (東京商工会議所所蔵)
(案) 工況調査ノ義ニ付会外ヘ依頼状案
今般西郷農商務卿閣下ヨリ一般ノ工業隆衰ノ実況等本会ヘ御諮問有之候処、何工業ノ義ハ何分会員中ニテ取調行届兼困却致候、就テハ貴店ニ於テハ従来右工業手広ク御取扱相成居候義ニ付、何卒此義御翼賛之上別紙雛形ニヨリ其景況御取調被下度、此段御依頼申上候也
  明治十七年十月八日         東京商工会々頭
                      渋沢栄一
 新古製革靴        大沢省三殿    即日萩原持参
 舷灯           山田昌邦殿    即日萩原持参
 摺附木          清水誠殿     即日郵送
 製絨           井上省三殿    即日郵送
 滅金・陶器・同絵付・金銀
 細工・銅細工・錫細工・象 松尾儀助殿    即日萩原持参
 牙細工・角細工・漆器・蒔
 絵
 尺度           長山周輔殿    浅草猿屋町七番地
 斗量           樽敬吉殿     日本橋区本革屋町五番地
 権衡           守随彦太郎殿   箔屋町七番地
 縫箔
              越後屋庄太郎殿
 絹系細工
 機械 測量器寒暖計ノ類  藤島常興殿    此四名ハ会頭ノ紹介ニ依ル
 セメント         浅野宗一郎殿
 瓦斯           藤本精一殿
 - 第18巻 p.399 -ページ画像 
 指物
 唐木細工         堀田瑞松殿
 彫物
            風月堂
 菓子製造         米沢松造殿
 西洋
 車製造          秋葉大助殿
 日本         本材木町二丁目
 車製造          井上七兵衛殿
            浅草茅町
 翫具           池田屋御中    十一月四日伝送
            馬喰町三丁目九番地
 翫具           伊藤助七殿    十一月五日伝送
            大伝馬町二丁目
 絹糸細工         大丸屋庄左衛門殿 十二月十五日伝送
  ○別紙雛形欠除ス。


東京商工会々外諸向往復文書 第一号(DK180036k-0003)
第18巻 p.399 ページ画像

東京商工会々外諸向往復文書 第一号
                  (東京商工会議所所蔵)
(案)
今般西郷農商務卿閣下ヨリ一般ノ工業隆盛ノ実況等本会ヘ御諮問有之候処、御局ニ於テ御製造相成シ新発明日本紙類ノ景況ハ何分会員中ニテ取調行届兼候ニ付、何卒此義御翼賛被成下右工業ノ景況別紙雛形ニヨリ御取調ノ上御下附被成下候様仕度、此段奉願上候也
  明治十七年十月八日        東京商工会々頭
                      渋沢栄一
    印刷局長 一川研三殿  即日使送
   ○別紙雛形欠除ス。


東京商工会々外諸向往復文書 別冊(DK180036k-0004)
第18巻 p.399-400 ページ画像

東京商工会々外諸向往復文書 別冊  (東京商工会議所所蔵)
(案)        栄一            《(萩原)》
    工況調査ノ義ニ付会員ヘ依頼状案
兼テ農商務卿閣下ヨリ御諮問有之候工況調査ノ義ニ就テハ前会ノ決議ニヨリ本月三日委員会ヲ開キ其手続審議致候処、先ツ以テ府下ノ重立タル工業凡ソ八十余種ニ就キ其盛衰ノ実況ヲ取調候事ニ相決シ、且ツ其調査方ハ委員ハ勿論各会員中之ニ関係ノ人々ニ於テ分担致候事ニ取極メ候、就テハ右ノ中何種ノ義ハ何卒貴殿御引受ノ上別紙雛形ニヨリ其景況御取調被下候様致度、此段及御依頼候也
  明治十七年十月八日
                   東京商工会々頭
                      渋沢栄一
        各通
 眼鏡・西洋家具・製氷・指
 物・唐木細工・菓子・彫物 梅浦精一殿  即日使送
 蝋燭・附木
 烟管・袋物・石板石筆・飾
 屋・硝子・鏡ガラス・模造
 西洋小間物・カバン・石鹸 川原英次郎殿 即日萩原持来
 帽子・日本小間物・荒物・
 日本傘・下駄草履・鼻緒・
 幅傘
 鍛冶・提灯・凧・扇・ラン 丹羽雄九郎殿 即日使送
 プ・藤細工・竹細工・西洋
 酒
 釣道具・莫大小      益田孝殿   即日使送
 - 第18巻 p.400 -ページ画像 
 日本ノ鋳物・西洋鋳物
 活字・日本造船      平野富三殿  即日使送
 西洋風造船
 煉化石・瓦        隅山尚徳殿  即日使送
 日本風製本
 板木、摺物        松木平吉殿  即日使送
 錦画
 日本紙          柴原武雄殿
 金銀箔          柴崎守三殿  即日使送
 製薬・外科機械      宮崎佐平殿  即日郵送
 西洋紙
 西洋風製本        谷敬三殿   即日郵送
 銅板・石板・活板
 ブリツキ細工       阿部泰蔵殿  即日使送
 麦藁細工         浅井藤次郎殿 即日使送
 日本時計細工       野村玉志殿
 西洋時計細工
 木綿織物         宮本弥之助殿
 筆墨           牧野彦八殿
 染屋           中村利兵衛殿
 団扇           村川惣右衛門殿
 鼈甲細工         村田徳兵衛殿
(別帋)
    (工況取調雛形)                    《(萩原)》何工業
一右工業ハ御維新後盛ンニナリタルカ、又ハ衰ヘタルカ、例ヘバ右工業ハ御維新後斯々ノ事情アリタルガ為メ盛ンニナリタルトカ、又ハ云々ノ事情アリタルカ為メ衰ヘタル等ノ類
一御維新前ト今日ト右工業一ケ年ノ製造高・職人ノ人員及其手間代金ノ比較
  例ヘバ右工業ハ御維新前何年ニハ府下ニ於テ其一ケ年ノ製造高何個、其職人ノ数何人ニテ其手間代金ハ一日一人ニ付何程ナリシガ御維新後何年ニハ其一ケ年ノ製造高何個、其職人ノ数何人ニテ其手間代金ハ一日一人ニ付何程ナリト云フノ類
   但シ製造高、職人ノ数、其手間代金等精密ニ取調ベ難キモノハ只御維新前何年頃ニハ其製造高一ケ年凡ソ金何万円程ナリシガ近頃ハ其製造高一ケ年凡ソ金何万円程ナリト云フガ如ク大概ノ見積リ高ニテモ宜シ
一右工業製造品ノ消費地ハ重ニ何方ナルヤ
  例ヘバ此製造品ハ重ニ東京ニテ消費スルトカ、又ハ全国一般ヘ転出スルトカ、又ハ特ニ何地方ヘ輸出スルト云フノ類
一右工業ハ此後追々盛ナルノ見込アリヤ、又衰フルノ見込アリヤ且ツ其ノ訳柄ハ如何ン
  例ヘバ右工業ハ斯々ノ訳柄アルニヨリ此後ハ盛ンニナルベキ見込ナリトカ、或ハ云々ノ訳柄アルニヨリ此後ハ衰フベキ見込ナリト云フノ類、尤此等ノ訳柄ハ可成詳密ナラン事ヲ要ス
 - 第18巻 p.401 -ページ画像 

渋沢栄一書翰 萩原源太郎宛(明治一七年)一〇月九日(DK180036k-0005)
第18巻 p.401 ページ画像

渋沢栄一書翰  萩原源太郎宛 (明治一七年)一〇月九日   (萩原英一氏所蔵)
工況取調之義ニ付小生引受之向ヘハ夫々出状仕候、其人名ハ左ニ
                  副局長
  瓦斯                藤本精一
  セメント              浅野宗一郎
  器械                藤島常興
  絹糸                越後屋
  縫箔                 庄太郎
右之通依頼仕候ニ付自然尚御引合之義ハ右名前之人ヘ御直々御相談も可被成下候、此段為念申進候也
  十月九日                渋沢栄一
    萩原源太郎様

東京商工会々外諸向往復文書 第一号(DK180036k-0006)
第18巻 p.401 ページ画像

東京商工会々外諸向往復文書 第一号
                   (東京商工会議所所蔵)
(案)                      《(梅浦)》
今般西郷農商務卿閣下ヨリ府下一般ノ工業隆盛ノ実況等本会ヘ御諮問有之候処、舷灯製造業義ハ何分会員中ニテ取調行届兼候ニ付何卒此義御翼賛被成下、右工業ノ景況別紙雛形ニヨリ御取調ノ上御下附被成下候様仕度此段奉願上候也
                  東京商工会々頭
  明治十七年十月九日           渋沢栄一
    管船局長 塚原周造殿
   ○別紙雛形前掲ノモノト同一ニツキ省略。


東京商工会官衙諸達並上申書綴(DK180036k-0007)
第18巻 p.401 ページ画像

東京商工会官衙諸達並上申書綴   (東京商工会議所所蔵)
(案)            栄一        《(萩原)》
今般西郷農商務卿閣下ヨリ府下一般ノ工業盛衰ノ実況等本会ヘ御諮問有之候処、別記十種ノ工業ニ係ル職工ノ人員ハ何分本会ニ於テ調査行届兼候ニ付、何卒御庁ニ於テ此義御翼賛被成下別記十種ノ工業ニ係ル職工ノ現在人員御取調ノ上御下附被成下候様仕度此段奉願上候也
                  東京商工会々頭
  明治十七年十一月八日          渋沢栄一
    警視総監 大迫貞清殿
      別記
 鍍金職、陶器製造職、同絵附職、金銀細工職、銅細工職、錫細工職、漆器製造職、蒔絵職、象牙細工職、角細工職


東京商工会議事要件録 第八号・第一二―一三頁 明治一八年一月二七日刊(DK180036k-0008)
第18巻 p.401-402 ページ画像

東京商工会議事要件録  第八号・第一二―一三頁 明治一八年一月二七日刊
  第四定式会
         (明治十七年十二月二十五日午後五時三十分開会)
  第八臨時会
    会員出席スル者 ○四十五名
○上略
 - 第18巻 p.402 -ページ画像 
次ニ会長(渋沢栄一)ハ兼テ農商務卿閣下ヨリ御諮問ニ係ル工況調査ノ件ハ、去ル九月二十二日臨時会ノ決議ニ基キ其後十月三日更ニ委員会ヲ開テ調査ノ手続ヲ審議シ、先ヅ府下重要ナル工業凡八十余種ニ就キ其盛衰ノ実況等ヲ調査スル事ニ決シタルニ付、爾来会内及会外ノ当業者ニ依頼シテ之ガ調査ニ着手シタルニ今日迄調査ヲ終リタルモノ過半ニ及ビタレトモ、猶未ダ完備セザルモノアルニ付是ハ来春完成ヲ告ゲタル上ニテ復申案ヲ草シ更ニ議事ニ附スベキ旨ヲ報告ス


東京商工会議事要件録 第九号・第一九―二五頁 明治一八年三月一四日刊(DK180036k-0009)
第18巻 p.402 ページ画像

東京商工会議事要件録  第九号・第一九―二五頁 明治一八年三月一四日刊
  第五定式会  (明治十八年二月廿七日午後四時三十分開会)
    会員出席スル者 ○七十一名
○上略
次ニ会長(渋沢栄一)ハ明治十七年下半季定式事務ノ成跡ヲ報告ス、即チ左ノ如シ
  自明治十七年七月至同十二月 半季間事務ノ報告
○中略
    政府ヨリ下問   三件
○中略
○工況調査ノ義ニ付農商務省ヨリ下問
  本件ハ明治十七年八月廿六日附ヲ以テ西郷農商務卿閣下ヨリ御諮問ニ係リ、其要旨ハ一般ノ工業ニ就キ御維新前後盛衰ノ実況等ヲ詳査シテ報答スベシト云フニ在リ、即チ同年九月廿二日第七臨時会ニ於テ之ヲ審議シタルニ先ツ委員ヲ撰ンテ考案ヲ立テシムヘシト云フニ決シタルニ付、会長ハ左ノ五名ノ委員ヲ指名シタリ
             二十五番   丹羽雄九郎
             四十三番   梅浦精一
             五十八番   川原英次郎
             八十三番   阿部泰蔵
             百〇五番   谷敬三
  此等ノ委員ハ十月三日集会ヲ開テ其手続ヲ審議シ、先ツ府下ノ重立タル工業凡八十余種ニ就キ御維新前後盛衰ノ実況等ヲ調査シ然ル後復申案ヲ草スベシト云フニ決シタルニ付、其後本会ヨリ此等ノ調査ヲ会内及会外ノ実業者ニ依頼シタルニ、爾後十二月ニ至ル迄前記八十余種ノ中既ニ調査ヲ終リタルモノ四十余種ニ及ヒタレトモ未ダ完備セザルニ付、追テ明治十八年ニ至リ其完成ヲ待チ更ニ復申案ヲ起草シテ之ヲ会議ニ附スベキ見込ナリ
○下略


渋沢栄一書翰 萩原源太郎宛 (明治一八年)七月一五日(DK180036k-0010)
第18巻 p.402-403 ページ画像

渋沢栄一書翰  萩原源太郎宛 (明治一八年)七月一五日   (萩原英一氏所蔵)
○上略
農商務省より御下問相成候嘉永年度より金利及諸物価取調ニ付組合ヘ通知案も一覧仕候、右之中大工日傭之分藤田組ヘ問合と申ハ如何之訳ニ候哉、会員外ニても適任之分ハ諮問いたし候事も可有之候得共、藤田組ニて大工之手間分明と申事ハ如何と存候、為念申進候
 - 第18巻 p.403 -ページ画像 
○中略
  七月十五日               渋沢栄一
    萩原源太郎様


東京商工会議事要件録 第一五号・第四一―七三頁 明治一八年九月五日刊(DK180036k-0011)
第18巻 p.403 ページ画像

東京商工会議事要件録  第一五号・第四一―七三頁 明治一八年九月五日刊
  第十四臨時会
         (明治十八年八月十四日午後六時四十五分開会)
  第七定式会
    会員出席スル者 ○三十三名
○上略
次ニ会長(渋沢栄一)ハ是ヨリ定式会ヲ開クベキ旨ヲ告ゲ本年一月ヨリ六月迄半季間事務ノ成跡ヲ報告ス、即チ左ノ如シ
  自明治十八年一月至同年六月 半季間事務ノ報告
○中略
    雑事    六件
○中略
○工況調査ノ件
  本件ハ前季既ニ報告シタルガ如ク明治十七年八月廿六日附ヲ以テ農商務卿閣下ヨリ諮問セラレタルモノニシテ、其後委員会ニ於テ調査ノ手続ヲ審議シ其向々ヘ調査方ヲ依頼セシガ何分本季中未ダ完成ヲ告ケザルニ付其顛末ハ追テ次季ヲ待テ報告スヘシ
○下略


東京商工会議事要件録 第一六号・第三―五頁 明治一八年一二月刊(DK180036k-0012)
第18巻 p.403 ページ画像

東京商工会議事要件録  第一六号・第三―五頁 明治一八年一二月刊
  第八定式会
         (明治十八年十一月十二日午後六時三十分開会)
  第十五臨時会
    会員出席スル者 ○三十六名
会長(渋沢栄一)ハ開会ノ趣旨ヲ報ジ先ヅ規程第五章第十七条ニ拠リ定式会ヲ開クベキ旨ヲ告ゲ、左ノ件々ヲ報告ス
○中略
一工況調査ノ義ニ付復申ノ件
  是ハ昨年八月廿六日附ヲ以テ農商務省ヨリ諮問アリタルモノニシテ其後五名ノ委員ニテ調査ノ手続ヲ議シ、爾来府下ノ重立タル工業百二種ニ就キ其実況ヲ調査セシガ其景況区々ニシテ何分御諮問ノ要目ニ応ジテ之ヲ分類統説シ難キニ付、其儘之ヲ纂輯シテ十月廿九日附ヲ以テ之ヲ農商務卿閣下ニ復申シタリ、但シ右復申書ハ別段本会ノ意見ヲ附セサルモノニ付全会ノ議事ニ附スルノ手続ヲ省キ直チニ之ヲ進達シタリ ○中略(其全文ハ本号要件録ノ参考部ニ附ス)


東京商工会議事要件録 第一六号・第四八―五六頁 明治一八年一二月刊(DK180036k-0013)
第18巻 p.403-406 ページ画像

東京商工会議事要件録  第十六号・第四八―五六頁 明治一八年一二月刊
 ○参考部
    ○工況調査ノ義ニ付復申
昨十七年八月廿六日附ヲ以テ御諮問有之候一般ノ工業中維新後衰頽ニ陥リシモノ隆盛ニ赴キシモノハ何ナルヤ、又将来盛衰ノ傾向アルモノハ何ナルヤ、且ツ其直接間接ノ原因如何ントノ問題ニ就テハ其後数回
 - 第18巻 p.404 -ページ画像 
会議ヲ開キ篤ト遂審議候処、全国万種ノ工業ニ就キ逸々其盛衰ノ実況ヲ詳査仕候義ハ容易ニ其成功ヲ期シ難ク奉存候ニ付、先以府下重立タル工業数十種ニ就キ右等ノ要目ヲ調査仕候事ニ相決シ、爾来各当業者ニ就キ其品種ニ応シ夫々調査ヲ遂ケ候処今日迄其報告ヲ得タルモノハ即チ別紙取調書ノ通リニ有之、然ルニ右報告ノ景況中ニハ何分確実ナル記録ノ徴スヘキモノ無之シテ殆ト其実況ヲ査察シ難キモノ有之、或ハ只各当業者ノ胸筭若シクバ記臆ニヨリテ大要ヲ摘記仕候モノ有之、中ニハ製造高ノ増減職工人員ノ多少及職工賃銀ノ高低等ニ関シヤヽ実数ノ拠ルベキモノモ有之候得共、概スルニ其統計ハ僅々数年間ニ止リ御維新前ヨリ今日ニ至ル迄年々盛衰ノ来由ヲ竅査シ難キモノ不少、殊ニ其工業ノ種類ニヨリテハ単ニ御維新前後ヲ以テ之ガ盛衰ノ比準ヲ定メ難キモノ有之(例ヘバ時計細工・鏡細工ノ如キ一種ノ工業中日本風ト西洋風トノ二様アリテ御維新後日本風ハ衰ヘタリト雖トモ西洋風ハ却テ盛ナリ、此等ハ二様ヲ相乗除スルトキ殆ド其盛衰ヲ概言シ難シ)又単ニ御維新前後ヲ以テ之ガ新旧ノ区別ヲ立テ難キモノ有之(例ヘバ硝子製造・莫大小製造ノ如キハ其実共ニ明治元年前ノ創始ニ係ルト雖トモ之ヲ在来ノ工業トスルハ寧ロ妥当ナラザルカ如シ)之ヲ要スルニ各当業者ヨリ報告致候各種工業ノ景況ハ其精粗詳略一様ナラズシテ何分尽ク之ヲ御諮問ノ要目ニ応シテ分類統説難仕ニ付、不得已本会ニ於テハ敢テ之ニ取捨ヲ加ヘズ其儘之ヲ別紙ニ拾録シテ上呈仕候、何卒可然御参照相成候様仕度此段別紙取調書相添復申仕候也
                  東京商工会々頭
  明治十八年十月廿九日         渋沢栄一
    農商務卿 伯爵 西郷従道殿
(別紙)
      工況取調書目録
  活版         銅版
  石版         羅紗製造
  日本紙製造      日本紙製造(印刷局報告ノ分)
  西洋紙製造      西洋風製本
  舷灯製造       摺附木製造
  鏡職         時計細工
  楊枝製造       硝子製造
  外科器械製造     測量器及物理器類製造
  製薬         唐木細工
  指物職        彫物職
  日本車製造      西洋家具製造
  尺度製造       斗量製造
  権衡製造       蒔絵職
  漆器職        金銀細工
  銅細工        鍍金職
  錫細工        陶器製造
  陶器絵附職      象牙細工
  角細工        金銀箔
 - 第18巻 p.405 -ページ画像 
  鉄葉細工       洋傘製造
  洋傘ノ骨製造     カバン製造
  襟巻製造       白墨製造
  石盤製造       莫大小襦袢袴下製造
  同股引製造      同靴足袋製造
  同手袋製造      同犢鼻褌製造
  毛皮帽子製造     麦藁帽子製造
  山高帽子製造     鉛筆製造
  仏師飾屋       道具飾屋
  煙管飾屋       矢立飾屋
  手遊飾屋       引手飾屋
  簪飾屋        袋物飾屋
  金物飾屋       置物飾屋
  花瓶彫物飾屋     香炉飾屋
  摺附木入飾屋     神輿飾屋
  人形飾屋       甲馳飾屋
  白金飾屋       箸飾屋
  鳩目飾屋       鎖飾屋
  鎗飾屋        鼈甲細工
  筆墨製造       地本錦絵摺物職
  硝子髪鏡製造     髢髷形製造
  木製櫛製造      角製櫛笄製造
  真鍮笄製造      洋白笄製造
  根掛製造       花笄製造
  木製揚枝製造     歯磨製造
  指輪製造       眼鏡職
  団扇職        翫具職
  縫箔         煉瓦製造
  瓦製造        セメント製造
  瓦斯製造       仕入染屋
  手拭染屋       地細工染屋
  蝋燭製造       菓子製造
  釣道具製造      製氷
左ノ各種ハ府下ニ其製造アレトモ全ク其景況ヲ調査シ難キニ付之ヲ略ス
  石鹸製造       附木製造
  提灯製造       鍛冶職
  凧製造        扇子製造
  ランプ製造      籐細工
  竹細工        洋酒製造
  日本鋳物       西洋鋳物
  活字製造       日本造船
  西洋造船       木綿織物
  絹糸細工       日本傘製造
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  下駄草履製造     鼻緒製造
  西洋車製造
    (本文ノ調査書ハ甚ダ長文ニシテ多分ノ紙数ヲ要スルヲ以テ玆ニハ只目録ノミヲ以テ掲ゲ全文ハ之ヲ略ス)


農商工公報号外 農商工概況 明治十七年明治十八年 農商務省編 第一―一一八頁 明治一九年刊 工業概況(明治十八年)緒言(DK180036k-0014)
第18巻 p.406-431 ページ画像

農商工公報号外 農商工概況 明治十七年明治十八年 農商務省編 第一―一一八頁 明治一九年刊
  工業概況(明治十八年) 緒言
○上略
東京府下工況ハ旧農商務卿ノ諮問ニ応シ明治十八年十月中東京商工会ヨリ答申セシ所ニ係レリ、抑モ商工会ニ於テハ府下ニ屹立シタル工業数十種ヲ撰ミ各当業者ニ就テ其業ノ沿革景況ヲ調査セシニ、或ハ確実ナル記録ノ徴スヘキモノナク、或ハ製造高ノ増減・職工人員ノ多少及賃金ノ高低ニ関スル統計ナキニアラサルモ、概シテ年々盛衰ノ来由ヲ明ニスル能ハス、故ニ各当業者ノ報スル所精粗詳略一ナラスト雖、明ニ取捨ヲ加ヘンヨリ寧ロ真面目ヲ存スルニ如カサルヲ覚エ姑ク収録シテ上呈スト云フ、其業目左ノ如シ
 活版 銅版 石版 羅紗製造 日本紙製造 西洋紙製造 西洋風製本 舷灯製造 摺附木製造 鏡職 時計細工 楊枝製造 硝子製造 外科器械製造 測量器及物理器類製造 製薬 唐木細工 指物職 彫物職 日本車製造 西洋家具製造 尺度製造 斗量製造 権衡製造 蒔絵職 漆器職 金銀細工 銅細工 鍍金職 錫細工 陶器製造 陶器絵附職 象牙細工 角細工 金銀箔 鉄葉細工 洋傘製造 洋傘ノ骨製造 カバン製造 襟巻製造 白墨製造 石盤製造 莫大小襦袢袴下製造 同上股引製造 同上靴足袋製造 同上手袋製造 同上犢鼻褌製造 毛皮帽子製造 麦藁帽子製造 山高帽子製造 鉛筆製造 仏師錺屋 道具飾屋 煙管飾屋 矢立飾屋 手遊飾屋 引手飾屋 簪飾屋 袋物飾屋 金物飾屋 置物飾屋 花瓶彫物飾屋 香炉飾屋 摺附木入飾屋 神輿飾屋 人形飾屋 甲馳飾屋 白金飾屋 箸飾屋 鳩目飾屋 鎖飾屋 鎗飾屋 鼈甲細工 筆墨製造 地本錦絵摺物職 硝子髪鏡製造 髢髷製造 木製櫛製造 角製櫛笄製造 真鍮笄製造 洋白笄製造 根掛製造 花笄製造 木製楊枝製造 歯磨製造 指輪製造 眼鏡職 団扇職 翫具職 縫箔 煉瓦製造 瓦製造 セメント製造 瓦斯製造 仕入染屋 手拭染屋 地細工染屋 蝋燭製造 菓子製造 製氷 釣道具製造
○中略
  東京府下 工業概況(明治十八年十月東京商工会調査)
    維新後盛衰ノ実況
第一活版印刷 慶応二年ノ春始テ長崎ニ於テ活字ヲ鋳造シ、明治三年十二月横浜ニテ此活字ヲ以テ毎日新聞ヲ印刷シテヨリ漸ク世人ノ注目スル所トナリ、同五年長崎活版鋳造所ヲ府下築地ニ移スニ及テ盛況ヲ呈ハシ、近年ニ至テ其業殊ニ進歩セリ、抑活版印刷ハ之ヲ木版ニ比スルニ印行ノ速ナルト価ノ廉ナルトハ更ニ言フヲ待タス、故ニ此後出版物ノ増加スルニ随ヒ益隆盛ニ趨クベキハ疑ナキ所ナリ、但従前ノ印刷高等ハ詳ナラス、現今ノ景況ハ大約左ノ如シ
 - 第18巻 p.407 -ページ画像 
  一ケ年普通印刷物製造高     凡三〇〇、〇〇〇円
  一ケ年新聞紙印刷高       凡三六八、八二〇円
       人員           凡千二百人
  活版組方
       賃銀(一日一人ニ付)   金二十五銭
       人員           凡八百人
  印刷方
       賃銀(一日一人ニ付)   金二十五銭
第二銅版 文化ノ頃既ニ京都ニ於テ鐫刻シタル者玄々堂ト称スアリシガ、当時需要少クシテ盛況ヲ見ルニ至ラサリシ、明治三年府下ニ於テ本業ヲ創起スルニ及テ漸ク世人ノ注目スル所トナリ、近年ニ至テハ諸官省ノ切符・各種ノ図画・銀行及諸会社ノ株券類ハ大抵銅版ヲ用フルカ故ニ此後ハ益隆盛ニ進ムベキ見込ナリ、但維新前ノ製造高等詳ナラズ、現今ノ景況ハ左ノ如シ
  一ケ年製造見積高      凡十万〇九千円
  彫刻師人員         凡百二十人
  同賃銀(一日一人ニ付)   金五十銭
  印刷師人員         凡百五十人
  同賃銀(一日一人ニ付)   金二十五銭
 銅版印刷ノ注文ハ各府県ニ亘ルト雖トモ、就中府下・群馬・埼玉・千葉ヲ以テ最モ多シトス、是レ此等ノ地方ニ於テ生糸・織物・醤油等ノ商品ニ貼用スベキ商標類ノ印刷多キガ為ナリ
第三石版 此工業ハ印刷業中ノ上位ヲ占ムルガ故ニ其賃銀等他ノ職工ヨリ稍高貴ナリトス、明治三年頃ヨリ漸ク府下ニ流行シ、目今生糸銅器・醤油・陶器等海外輸出品ノ商標ヲ印刷スルニ之ヲ用フル者少カラス、此後ハ益盛況ヲ呈スベキ見込ナリ、今其製造高等ヲ示セバ左ノ如シ
  一ケ年製造見積高       凡四万四千三百円
  彫刻師人員          凡十五人
  同賃銀(一日一人ニ付)    金一円
  印刷方人員          凡四十人
  同賃銀(一日一人ニ付)    金三十五銭
第四羅紗製造 明治九年内務省勧業寮ニ於テ独逸ヨリ製絨器械ヲ取寄セ工場ヲ千住南組ニ創設シ、同十二年器械ノ装置終ルヲ竢テ製造ヲ創メタルニ、陸海軍省・警視庁・諸府県警察署及官立学校等ノ需要漸次ニ増加シ、近来大ニ盛況ヲ呈ハシタリ、抑本邦ノ製絨ハ原質精良ニシテ能ク持久ニ耐フルガ為メ近来陸海軍・警視庁及諸府県ノ警察署等ハ大抵内地ノ製絨ヲ以テ其需要ニ供シ、輸入品ノ如キハ漸次其数ヲ減スルニ至レリ、殊ニ小絨ノ如キハ既ニ世人ノ嗜好ニ投シ販路極メテ広ケレバ本業ハ将来益隆盛ニ趨クベシ
 本品ハ陸軍省ニ於テ過半ヲ消費シ、海軍省・警視庁・諸府県警察署及官立諸学校之ニ次ク、市中ノ販売高ノ如キハ其数甚タ多カラス、尤小絨ハ府下及大阪等ニ於テ其需要現ニ寡キニアラサルモ製絨ノ暇ナキヲ以テ未ダ之ニ応スル能ハス
      統計比較
明治十三年及十五年度ノ製絨高等ヲ比較スレバ左ノ如シ
 - 第18巻 p.408 -ページ画像 


図表を画像で表示統計比較

 年次       製絨高      職工       賃銀(一日一人ニ付)                   男工   女工  男工   女工               碼    人    人    銭厘   銭厘 明治十三年度   七四、二四四   六二   八六  二二五  一〇七 同 十五年度  一一九、八二五   九一  一〇八  二九二  一三一 




第五日本紙製造(印刷局報告) 明治九年三月始テ工場ヲ北豊島郡王子村ニ設ケ、印刷局ニ於テ製造ヲ開キタルモノナリ、抑我日本紙ハ概ネ樹皮ヲ以テ其料ニ供シ抄法精密ナラザルガ為メ紙膚常ニ凝滑ナラズ且ツ其質ハ強靱ナラサルニ非サレトモ縦ニ強クシテ横ニ弱キノ虞ナキ能ハズ、故ニ印刷局ニ於テハ創業後能ク紙料ヲ精撰シ、又抄法ヲ考究シ許多ノ経験ヲ積ミテ漸ク強靱且凝滑ナル良紙料ヲ製出スルニ至レリ、同十年五月同局機械部ニ於テハ抄紙器械ヲ製造シ、十月十五馬力ノ蒸気器械ヲ据付ケテ之ヲ製造シタルニ内外国ノ需要次第ニ増加シタルニヨリ十一年四月更ニ二十馬力ノ器械ヲ増設シ、十二年四月抄紙器械ヲ新設シ又十五馬力ノ蒸気力ヲ増加シタリ、同年十二月ニハ原質物破砕場ヲ同郡滝野川村ニ設ケ、十四年七月ニハ紙料製造所ヲ栃木県寒川郡中里村ニ設ケ水車力ヲ借リテ其機械ヲ運転シ以テ原質製造ノ業務ヲ拡張シタリ、而シテ同年七月中抄紙器械ヲ増シ及四十馬力ノ蒸気器械ヲ設ケ、十七年六月ニ至テ更ニ十五馬力ノ蒸気器械ヲ増設シ、現今ニ在テハ合計五台ノ蒸気器械ト二台ノ水車トヲ以テ益盛ンニ良紙ヲ製出セリ、蓋シ本業創設後一二年間ハ官用ノ外専ラ内地各府県ノ需要ニ供スルニ過キサリシカ紙質堅靱ナルト紙膚ノ艶麗ナルトニヨリ欧米諸国ノ需用追々ニ増加シ、就中仏国特ニ巴里ニ輸出スルモノ毎年数十万斤ヲ以テ数フルニ至レリ、故ニ此後猶工夫ヲ過ラシテ時好ニ適スルモノヲ製造セバ本業ハ益隆盛ニ進ムベキ見込ナリ
      比較
 明治十年自十年七月至十一年六月ト同十六年度自十六年七月至十七年六月ノ出入金高及工場現員ハ左ノ如シ 製紙高ハ紙幅ニ大小高薄アリテ参照シ難キモノアルニ付略ス

           明治十年度             同十六年度
  工場現業員          三三六人           一、一七九人
                 円                円
  収入金     一六二、八九二・二二四    一、二六八、七〇四・三〇〇
  支出金     一〇一、二四一・五一四    一、一三八、七九一・〇二三
  出入差引残リ   六一、六五〇・七一〇      一二九、九一三・二七七

第六日本紙 維新後漸ク其製紙高ヲ増加シ、明治十四年ニ至テハ府下各所ニ製紙会社ヲ設立スル者多ク且ツ其製紙ノ品質モ従前ノ如ク粗悪ナラサルヨリ需用大ニ増加シ工業モ大ニ進歩セリ、但明治十六年ニ至テハ世間ノ不景気ニ引連レ聊カ製紙高ヲ減シタレトモ其金額ハ前年同様更ニ減少スルコトナカリシ、是レ製紙漸ク精良トナリ且ツ其原質前年ヨリ騰貴シテ紙類相場ノ下落ナキモノニ因ルモノトス、抑日本紙ハ維新後文学ノ進歩スルニ随ヒ漸ク其需用ヲ増加シ、且ツ製紙ノ品質精良トナルニ於テハ必ス外国人ノ需用ヲ増加スヘキカ故ニ、将来益紙質ヲ精撰シ粗製濫造ノ弊ナキニ於テハ隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ
 - 第18巻 p.409 -ページ画像 
 現今府下ニ於テ中等以上ノ製紙ニ供スル原質物ハ専ラ栃木・茨城等ノ楮、駿遠ノ三椏及諸国ノ楮雁皮若クハ米藁等ヲ用ヒ、下等紙ノ原質物ハ紙屑或ハ反古等ヲ用フ
      統計比較
 維新前後製紙金額及抄槽全数等ヲ比較スレハ左ノ如シ、但賃銀ハ区内職工ノ日給高ヲ平均シタルモノニシテ郡村ノ職工ハ大概年季ニテ一定ノ給金ヲ受クルカ故ニ之ヲ加算セス

   年次       製紙金高     抄槽総数   賃金(一日一人ニ付)
                円      槽     銭
  慶応元年     六〇、〇〇〇    三二〇    一〇
  明治元年     八五、〇〇〇    四三〇    一三
  同 十四年   二五〇、〇〇〇    七五〇    一六
  同 十六年   二五〇、〇〇〇    七〇〇    一四

第七西洋紙 此工事ハ明治六七年ノ創設ニ係ルモノニシテ(明治九年ニハ府下ニ王子・三田・蠣殻町ノ三製紙所アリシカ、三田製紙所ハ同十五年中ニ廃業シ目下全国ニハ府下ニ二ケ所西京・大阪・神戸ニ各一ケ所、合計五ケ所ノ私立工場アリト云フ)当初ハ技倆ノ不熟ナルガ為メ製紙高モ多額ナラサリシカ、此際政府ヨリ数多ノ地券状原紙ノ製造ヲ命セラレ次テ明治十年西南ノ役起ルニ及デ新聞ノ需用俄ニ増加シ、随テ其製紙高大ニ増加シタリ、同十一年六月以後ハ地券状原紙ノ製造大ニ減少シタレトモ同時ニ市中ノ需用大ニ増加シ、爾後年々盛況ニ趨ケリ、但明治十六年以後ハ世間ノ不景気ニ引連レテ紙価頻ニ下落シ、因テ製紙者中ニ烈シキ競争ヲ生シ之ガ為メ紙価ノ下落スルコト益甚シク遂ニ多少ノ損失ヲ蒙リシ者モコレアリシ、抑新聞雑誌及出版物等ノ年々増加シ随テ西洋紙ノ益増殖セルコトハ現今著明ナル事実ナレバ、設令近年世間ノ不景気ニ引連レテ本業小ク衰退スルト雖トモ此後ハ必ス隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ、本品ノ十分ノ七八ハ府下ニ於テ消費シ、残額二三分ハ専ラ愛知・宮城・静岡・新潟・大阪・福島・長野ノ各府県ニ販売スト云フ
      統計比較

 現今各製紙所ニ使傭スル職工(滊機掛・火夫・鍛冶職・大工及雑人夫ヲ除キ)ハ男工凡百名女工凡百三十名アリ、其賃銀(一日一人ニ付)左ノ如シ
    上等        自四十銭至五十銭
 男工 中等        自二十七銭至三十二銭七厘
    下等        自二十三銭三厘至二十五銭五厘
    上等        十五銭
 女工 中等        十二銭
    下等        八銭
又明治十一年ヨリ同十六年ニ至ル製紙高及販売高ハ左ノ如シ
   年次       製紙高           販売高
               封度             封度
 明治十一年  一、七二〇、〇〇〇      一、四一〇、〇〇〇
 同 十二年  一、九八〇、〇〇〇      一、九五〇、〇〇〇
 同 十三年  一、四四〇、〇〇〇      一、七三〇、〇〇〇
 同 十四年  二、一二〇、〇〇〇      一、九三〇、〇〇〇
 同 十五年  二、二七〇、〇〇〇      二、一〇〇、〇〇〇
 同 十六年  二、八七〇、〇〇〇      二、六三〇、〇〇〇

 - 第18巻 p.410 -ページ画像 
 前表中明治十三年ノ製紙高ノ少キハ当時工場改造等ノ事アリテ屡休業シタルニ因リ、又同十六年ニ至リ製紙高ノ販売高ニ超過スルコト俄ニ二十四万封度ノ多キニ達シタルハ、一ハ器械ノ改良及技倆ノ上進ニ随ヒ製造高ノ増加シタルニアリト雖トモ、又一ハ商況ノ不景気ニ引連レテ製紙高ノ割合ニ需用ノ増加セサリシニ因ルト云フ
第八西洋風製本 明治五年頃ヨリ漸ク府下流行シ、近来ニ至テハ官省銀行及諸会社ノ帳簿ヲ始トシ著書訳書ニ至ル迄西洋紙ヲ以テ成ルモノハ漸次洋風ノ製本トナリ、年々盛況ヲ呈ハシタレハ此後ハ益隆盛ニ進ムベキ見込ナリ
 本品製造高及賃銀等左ノ如シ

   一ケ年製造高        凡廿八万千二百五十円
   職工現員                凡五百人
   賃銀(一日一人ニ付)          凡廿五銭

 全国各地ヨリ直ニ本品製造ヲ注文スルアリト雖トモ府下ニテ注文スル者最モ多シトス
第九舷灯製造 明治五年船灯規則ノ頒布アリシ頃ハ内地ニ於テ之ヲ製作スルモノナク専ラ外国輸入品ノ供給ヲ仰キシカ、同九年舷灯製造及販売規則ノ布達アリシ頃ヨリ漸ク此製造ニ従事スル者起リ、爾来年々盛況ヲ呈ハシタリ、但本業ハ後来海運事業ノ進歩スルニ随ヒ漸次隆盛ニ趨クヘケン、殊ニ近年沿海地方ニ於テハ舷灯監査法ヲ設ケ定時若クハ臨時ニ委員ヲ派シテ舷灯製法ノ適否及其供給ノ過不足等ヲ監査セシメラルヽ趣ナレバ、将来著シキ盛衰ナキモ一時多少ノ盛況ヲ呈ハスヘキ見込ナリ
 本品ハ府下・横浜・大阪・函館・千葉・茨城・三重・静岡・青森等ニ於テ多ク之ヲ消費ス
      統計比較
 明治十年ヨリ同十七年ニ至ル製造高等ヲ比較スレバ其概況左ノ如シ但職工賃銀ハ一日平均三十五銭ニシテ右八ケ年間更ニ高低ナシト云


図表を画像で表示--

 年次    製造高          販売高       職工人員       大形   小形      大形   小形   大形     小形         対      対     対    対      人      人 明治十年   三〇    二六〇    一〇   九二    三六〇  二、四四〇 同十一年  一〇五  一、二五八    七五  六〇二  一、一一〇  九、九六〇 同十二年  ………    八四四    一三  四六五    ………  五、四九三 同十三年    一     五一     二  一四九     一〇    三三二 同十四年  ………    ………     六  一一二    ………    ……… 同十五年  ………    ………     四   六七    ………    ……… 同十六年  ………    ………     六   三〇    ………    ……… 同十七年  ………    ………     二   八二    ………    ……… 


 前表中明治十四年以来全ク製造高無ク随テ販売高ノ頓ニ其数ヲ減シタル者ハ同十一二年ノ頃、舷灯ノ供給略ボ諸船舶ニ具ハルカ為ニシテ本業ノ衰退シタルニ非スト云フ
第十摺附木製造 明治九年四月初メテ府下ニ於テ之ヲ製造セシカ其価ノ外国輸入品ヨリ低廉ナルカ為メ頓ニ全国一般ノ需要ヲ増シ、爾来年々盛況ヲ呈ハシ同十三四年ノ頃之ヲ清国ニ輸出スルニ及テ大ニ其
 - 第18巻 p.411 -ページ画像 
需用ヲ増加シタルガ、翌十五年以後ハ各製人互ニ競争シ、粗製濫造ノ弊ヲ醸シ、且ツ銀価次第ニ低落シタル等種々ノ原因ニヨリテ清国ノ輸出大ニ減却シタルカ為メ其製造一時大ニ衰頽セリ、抑本品ハ既ニ偏ク内地ノ需用ニ供シタリト雖トモ尚未ダ之ヲ試用セサル地方モアレバ又必ス本品ヲ需用スルニ至ルベク、且ツ清国ニ於ル輸出ノ如キモ今姑ク中絶シタレトモ、上海・香港等ノ地方ハ摺附木ノ木材乏シケレハ到底廉価ナル我製造品ノ輸入ヲ仰クニ至ラン、故ニ本業ハ設令一時衰頽スト雖トモ将来必ズ隆盛ニ進ムベキ見込ナリ
      統計比較
 明治九年創業ノ際ト現今トノ製造高等ヲ比スレバ左ノ如シ、但本品一箱ハ六百「ダース」一「ダース」ハ十二個入ナリ

    種目          明治九年頃   明治十七年頃
  一ケ年製造高       三、六〇〇箱  一〇、〇〇〇箱
  一箱ノ製造ニ傭使セル職工   一〇〇人      四〇人
            男工    十八銭      二十銭
  賃銀(一日一人ニ付)
            女工     八銭       十銭

 明治十七年ヲ以テ明治九年ニ比スルニ製造高ノ増加ニ拘ラズ職工ノ数却テ少キハ技術ノ進歩シタルニ由ルモノトス
第十一鏡 開港以前ニハ円形ノ鏡一般ニ流行シ、其製造頗ル盛ンナリシガ其後硝子鏡ノ輸入アリシヨリ忽ニ衰兆ヲ来シ、維新後ニ至テハ殆ド廃業ノ勢トナレリ、但明治四年頃ヨリ硝子鏡ヲ製造スル者アリシガ其製品ハ大抵小形ニ止リ、方一尺以上ノ大鏡ニ至テハ鏡板ヲ海外ニ取寄セテ木縁又金縁ニ付ケテ販売スルニ過ギサリシ、而シテ其景況ハ明治十五年頃迄ハ稍盛ンナリシモ近来一般ノ不景気ニ連レテ幾分カ衰兆ヲ来シタリ、然レトモ此後ハ職工ノ技倆追々上進スルニ随ヒ漸ク進歩スル見込ナリ、本品製造高賃銀等詳カナラザルヲ以テ之ヲ略ス
第十二時計細工 此細工ニ日本時計ト西洋時計トノ二種アリ、維新前ニハ日本時計ノ製造及修復トモ稍盛況ヲ呈ハシタルガ開港後西洋時計ノ輸入アリシヨリ其細工ノ緻密ニシテ携帯ノ便ナルガ為メ一般ニ其需用ヲ増シ、殊ニ近来洋銀大ニ下落シテ外国製造ノ時計甚タ廉価トナリ、内地ノ製品ハ竟ニ此ト競争スヘキ見込ナキヨリ自然衰兆ヲ現ハシタリ、但此後洋銀再ビ騰貴スルカ又ハ内地ニ於テ廉価ニ之ヲ製造スルニ至ラバ内国ノ製造必ズ隆盛ニ趨クベキ見込ナリ
 現今西洋時計細工人ノ賃銀ハ一日平均上等壱円、下等三十銭位ニシテ其人員ハ凡六百名(現今府下ノ時計商凡二百戸アリ毎戸三名ノ職工ヲ使傭スル見積リ)アリ、但此職工ハ時計ヲ製造スル事稀ニシテ多クハ之ヲ修復スルニ止マルガ故ニ、其製造高ハ平均一ケ年僅ニ三千円位ナリト云フ
第十三楊枝製造 維新前ニハ木房楊枝流行シテ其製造頗ル盛ナリシガ明治三年頃欧州製及支那製ノ楊枝輸入アリシヨリ従前ノ房楊枝ハ漸ク衰兆ヲ来シ、爾後舶来品ノ輸入ハ年々其高ヲ増シ同九年ヨリ十二年ニ至ル四年間ハ毎年平均五万「コロース」一「コロース」ハ百四十四個此価二十五万円以上ニ達シタリ、因テ大坂ニ於テ九年頃ヨリ支那製品ヲ模造ス
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ル者アリ、府下ニ於テモ十二年頃ヨリ舶来品ヲ模造スル者アリタルニ其後十五年迄ハ年々盛況ヲ呈ハシ大ニ外品ノ輸入高ヲ減ジタレトモ、近来ハ一般ノ不景気ニ連レテ稍衰退セルヨリ更ニ竹柄ノ毛楊枝ヲ製シタルニ其価ノ廉ナルガ為随テ大ニ盛況ヲ呈ハシタリト云フ、但本品ハ日用ノ必要品ナレバ此後著シキ盛況ヲ呈ハサヽルモ又非常ノ衰兆ヲ来ス事ナキ見込ナリ、本品製造高賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 本品ハ府下ニ於テ十分ノ七ヲ消費シ其余ハ他府県下ニ於テ消費スルト云フ
第十四硝子製造 数十年前ヨリ之ヲ製造シ来レトモ其盛況ヲ呈ハスニ至リタルハ開港以来ナリトス、就中明治六七年頃ヨリ洋灯・薬壜其他各種ノ器物ヲ製シ、其技倆モ漸ク熟達シテ一時隆盛ヲ極メタルガ爾来一般ノ不景気ニ連レテ稍衰兆ヲ来シタリ、但我国ノ製品ハ舶来品ヨリ稍脆弱ナルガ故ニ販路未ダ広カラズト雖トモ此後追々良品ヲ製出スルニ至ラバ随テ盛況ヲ来スヘキ見込ナリ、本品製造高賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 本品ハ全国ニ於テ之ヲ消費ス
第十五外科器械製造 維新前ニ在テハ三稜針針療ニ用フルモノ又ハ切断用ノ小刀類及之ニ附属スル諸器械ノ製造ニ止リ、其業極メテ微々タリシカ維新後洋医ノ治療法漸ク盛ンナルニ随ヒ次第ニ盛況ヲ来シ明治十一年前後ハ西南事件ノ為メ大ニ需用ヲ増加シタルガ其後ハ一般ノ不景気ニ連レテ稍衰兆ヲ現ハシタリ、但精巧ナル器械ハ大抵之ヲ海外ニ仰クノ情況アルカ為現今府下ニ於テハ未ダ盛ンニ之ヲ精製スルニ至ラスト雖トモ此後医業ノ進歩ニ連レテ追々盛況ヲ来スヘキ見込ナリ
      統計比較
 維新前後ノ製造高及職工人員等ヲ比スレバ左ノ如シ

   年次    製造元価見積高     職工人員     賃銀(一日一人ニ付)
               円         人      銭
  慶応年間  凡  五、〇〇〇     凡 一〇〇     三〇
  明治元年  凡  八、〇〇〇     凡 一五〇     三〇
  同 五年  凡 一〇、〇〇〇     凡 五〇〇     四〇
  同 十年  凡 五〇、〇〇〇     凡 七〇〇     七〇
  同 十五年 凡 四八、〇〇〇     凡 七〇〇     六〇
  同 十六年 凡 五六、四〇〇     凡 八〇〇     五〇

第十六測量器及物理器類製造 明治九年頃ヨリ府下ニ於テ之ヲ製造シ当時ハ一ケ年製造見積高凡一万円位ナリシガ近来ハ技術上進シ其高十万円以上ニ達シタリト云フ
    測量器物理器製造表

  製造所     製品       開業年次  開業当初製造見積高  近来製造見積高
                              円          円
  藤島常興    物理器械測量器械 明治十年   一、二〇五     一八、二二五
  田中久重    水雷火器及電器類 同  九年  一、〇〇〇     一五、〇〇〇
  明工社     電器       同 十一年    七五〇      二、五〇〇
  熊崎安太郎   硝子器      御維新前   五、〇〇〇     二五、〇〇〇
  川井伝平    雑器       明治十一年    五五〇      二、五〇〇
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  長田銀造    理学器      同  十年  一、二〇五     一八、二二五
  製煉社     化学器理学器  同  十年  一、六〇六     二四、三〇〇
  三吉正一    電器       同 十六年    六〇〇      一、五〇〇
  教育器製造会社 理化器      同 十五年     未詳      九、〇〇〇
   合計                    一一、九一六    一一六、二五〇

 此表ハ府下ノ著シキ製作所ニ就テ調査シタル概額ナリ、此外一二ノ製作所アレトモ調査詳カナラザルヲ以テ之ヲ略ス
第十七薬品製造 維新前ニハ家伝ノ調合法ヲ用ヒテ草根木皮ヲ製シ、又ハ一二和蘭薬品ヲ模造スルニ止マリ其技術未熟ニシテ製造モ微々タリシガ維新後医業一変シテ海外ノ治療法盛ニ行ハレ、殊ニ大学医学部ニ在テハ製薬科ヲ設ケ多ク生徒ヲ教フルカ為メ医業ノ発達ニ乗シ、近来ハ著シク盛況ヲ呈ハシ此後モ益進歩スヘキ見込ナリ
      統計比較
 慶応元年ヨリ明治十六年ニ至ル製薬高及製薬師等ノ増減多少ハ左ノ如シ、但製薬師ノ使用セル職工人員ハ詳カナラザルヲ以テ之ヲ略ス

   年次      製薬見積高        金額       製薬師
              封度           円      人
  慶応元年     六、〇〇〇       三、一〇〇      四
  同  二年   一〇、二〇〇       五、一〇〇      五
  同  三年   一二、二〇〇       五、五〇〇      六
  明治元年    一六、四〇〇       六、〇五〇      七
  同  二年   三二、四四四      一〇、八一五      七
  同  三年   四〇、八八〇      一三、六二七      七
  同  四年   四四、九六〇      一四、九六一      七
  同  五年   二七、〇九〇      一五、二七一      七
  同  六年   三四、四一九      二一、九二二      七
  同  七年   四二、八一二      三一、九二〇      七
  同  八年   四六、七六〇      二六、四七七      八
  同  九年   六四、四一三      三四、四六六      九
  同  十年   五八、四九八      三四、九八六     一一
  同 十一年  一〇四、五六五      二四、六六九     一三
  同 十二年   九八、四二〇      二八、八二六     一四
  同 十三年  一一一、六九七      三七、九二八     一五
  同 十四年   八七、六三六      二六、二九〇     一九
  同 十五年  一二一、七六七      三二、八七七     二五
  同 十六年  二二二、九二五      五五、四〇四     二五

 本品ハ関東・関西・陸羽・東海道・北海道ノ地方ニ於テ之ヲ消費ス
第十八唐木細工 従前長崎及京坂地方ニ於テ専ラ之ヲ製作スレトモ府下ノ工業ハ甚タ寥々タルノミナラス、其細工ノ種類モ専ラ文人墨客ノ需要ニ応シ文房具或ハ几卓等ヲ製スルニ止マリシカ、明治十一年以後ニ至テハ本業漸ク進歩シ文房具ノ類ハ勿論日用ノ器物ヲモ精製シ其製造高モ年々増加セリ、故ニ本業ハ将来益隆盛ニ進ムヘキ見込ナリ
 本品ハ従来内地ノ需用ニ充ルノミニシテ未タ海外ニ輸出シタル者アルヲ聞カス、而シテ将来ト雖トモ広ク輸出スルニ至ラサル見込ナリ
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      統計比較
 本品製造高ハ詳カナラサレトモ年々増加ノ勢アリ、賃銀ハ維新ノ当時ハ一日平均上等五十銭・下等二十銭乃至十五銭位ナリシガ近来ハ上等壱円・下等三十銭位ナリ、但賃銀ノ高低ハ技術ノ巧拙ニ由ルモノニシテ更ニ物価ト関係セズ、近来賃銀ノ稍高貴ナルハ全ク技術ノ進歩ニ本ツクモノトス
第十九指物 維新前ニハ諸侯伯ノ需用多クシテ其製作稍盛ンナリシガ参覲交代ノ制廃絶シテヨリ一時衰兆ヲ来シタリ、然レトモ近来ニ至リ需用漸ク増加シタレバ将来ハ必ズ一層進歩スベキ見込ナリ、但本品製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
第二十彫物 彫刻師寡ク工業未ダ盛ンナリト謂フヘカラザルモ近来漸ク進歩ノ勢アリ、但従前ノ彫物ハ稍衰頽セリト云フ
第二十一日本車製造 維新前府下ニ於テハ専ラ荷車ノ製造ノミニシテ其製造高一ケ年大約五百輛位ナリシガ、其後ニ至テハ馬車人力車ノ発明アリテ其製造次第ニ盛況ヲ来シタリ、然レトモ近来ハ世間一般ノ不景気ニ連レテ其製造高大ニ減縮シ、殊ニ嘗テ清国ヨリ人力車ノ注文アリシトキ競テ廉価ニ引受ケ頗ル粗造ナルヲ以テ終ニ信用ヲ失ヒ輸出ヲ減少スルニ至リタレバ、現今ノ景況ハ衰頽セルモノヽ如シ但此後同業者規約ヲ設ケテ誠実ニ其業ヲ営メハ再ビ盛況ヲ来スヘキ見込ナリ
      比較
 維新前後ノ製造高等ヲ比スレバ左ノ如シ

      維新前(慶応年間)       維新後(明治十六年)
  製造戸数         十八軒       四百二十余軒
      車輛       五百輛        二万四千輛
  製造高
      金高     三千五百両         四十万円
  職工賃銀(一日一人ニ付) 銀三匁         二十五銭
  職工           五十人         千三百人

 本品ハ府下ハ勿論全国各府県下ニテ之ヲ消費ス、且ツ近来ハ清国ヘモ之ヲ輸出ス
第二十二西洋家具製造 維新後洋風ノ流行スルニ随ヒ漸次其需用ヲ増加シ近年ニ至テハ最モ盛況ヲ呈ハセリ、但近年ノ製造高等ハ左ノ如シ
  一ケ年製造見積高     凡百八十万円
  職工人員         凡千人
  賃銀(一日一人ニ付)   金五十銭
第二十三尺度製造 幕政ノ頃ニハ各製造者ガ随意ニ竹・鉄、又ハ黄銅ノ尺度ヲ製シ、更ニ一定ノ取締規則ナカリシガ為メ(但斗量及権衡ニハ厳密ナル取締アリタリ)其製作頗ル乱雑ナリシガ明治八年三月度量衡条例ノ頒布アリテ全国各地ニ製造者及売捌人ヲ撰定シ、且ツ従前ノ尺度ヲ検査シテ其不正ナルモノハ悉ク廃器トナシ一層取締方ヲ厳密ニセラレテヨリ一時盛況ヲ呈ハシタリ、然レトモ条例頒布以来尺度ノ検査漸次ニ弛解セルヲ以テ近年民間ニハ偽物ヲ製作シテ廉価ニ販売スル者少カラス、之カ為メ今日ニ在テハ免許製造者ノ製造高ハ殆ンド明治八九年
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頃ノ半額ニ減ジタリ、故ニ此後取締方ヲ厳密ニシ屡検査ヲ行ハサレバ真正ノ尺度製作業ハ遂ニ隆盛トナルベキ見込ナシ
 今日府下ニ於テ製作スル尺度ハ専ラ東京ニ於テ消費スト雖トモ伊豆七島・沖縄県ヲ除キ各府県ニモ多少ノ輸出アリ、但其製造高ハ詳カナラズ、職工ハ当初百余名アリシモ現今ハ其半ニ減ジ賃銀ハ平均一日五十銭位ナリト云フ
第二十四斗量製造 維新前ニハ専ラ府下ニ於テ東部三十三国 東海道十五国、東山道八国、北陸道七国、山陰道ノ内丹波・丹後・但馬ノ三国ノ斗量ヲ製作シタルガ為メ工事頗ル盛況ヲ呈ハシタレトモ、明治八年度量衡条例ノ頒布アリシ以来ハ各府県ニ於テ之ヲ製作スル者起リ随テ府下ノ工業ハ大ニ衰兆ヲ来シタリ、然レトモ府下ノ製作品ハ多年錬磨ノ効ニ由テ頗ル精巧ナレバ近来ハ各府県ノ注文ヲ受クルモノ少カラズ、而シテ此後ハ追々隆盛ニ進ムヘキ見込ナリ
 本品ハ府下ハ勿論千葉・北海道其他近県ニ於テ多ク之ヲ消費ス
      統計比較
 維新後明治八年ニ至ル迄ハ其以前ト同一ノ景況ナリシガ、同年度量衡条例ノ頒布アリシヨリ大ニ盛衰ノ勢ヲ異ニセリ、今条例頒布ノ前後ニ就テ其製造高等ヲ比較スレハ左ノ如シ

  種目          条例頒布前      条例頒布後
  一ケ年製造高     凡 二十万個  明治十一年頃 凡七八千個
                     同 十六年頃 凡一万五千個
  同 金額       凡 三万円   同十一年頃  凡千五六百円
                     同十六年頃  凡三千円
  職工人員       凡 四十人         六人乃至七人
  賃銀(一日一人ニ付) 金二十五銭         金五十銭

第二十五権衡製造 幕政ノ頃ニハ全国ニ東西二ケ所ノ秤座東ハ江戸西ハ京都アリテ東部三十三国ノ権衡ハ専ラ江戸秤座ニ於テ之ヲ製作シタレバ、其製法均一ニシテ価格ニ異同ナカリシ、而シテ従前ノ権衡ハ時々秤座ヨリ厳密ニ検査シタルヲ以テ私売又ハ称量ヲ私スル等ノ弊害ナク工業漸ク盛況ヲ呈ハシタレトモ、幕末以来数十年間権衡《(マヽ)》ノ検査全ク廃絶シタルヨリ秤量ヲ私シ器物ヲ粗造スル等弊害百出シテ大ニ正業ノ進歩ヲ妨ゲタリ、明治八年度量衡規則ノ頒布アリシ以後ハ一ハ当時通商貿易振興シテ都鄙共ニ権衡ノ需要ノ増加シタルト、一ハ旧来ノ諸弊害ヲ一掃シタルトニ由テ一時隆盛ノ極ニ達シ製作高ノ如キモ此規則頒布以前ニ比スレバ殆ト二倍ノ多キニ及ヒシガ、爾来権衡ノ検査漸ク弛解シタルヨリ称量ヲ私スル等種々ノ弊害再発シテ近来又稍衰兆ヲ来シタリ、従来盛衰ノ実況大略此ノ如クナレバ今ヨリ後速ニ現行ノ桿秤ヲ改正シ、且ツ年回検査ヲ実行スル等多少ノ改正ヲ為スニ非ラザレバ竟ニ盛況ヲ呈ハスベキ見込ナシ
 本品ハ十分ノ三ヲ府下ニ販売シ、十分ノ七ヲ各地方ニ輸出ス、但輸出地方ハ西ハ三河ニ至リ東南ハ常・総ニ至リ東北ハ上野ヨリ奥羽・北海道ニ至ルト云フ
      統計比較
 幕末ヨリ維新後明治八年頃迄ハ一ケ年ノ製作高凡金一万五千円程ナリシガ、同年度量衡規則頒布以来ハ毎年其製作高凡金三万円ノ上ニ達セリ、然レトモ近年ニ至テハ各商工業一般不景気ノ余響ト前陳ノ
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事情ト之アルカ為メ其製作高三分ノ二ヲ減ジ即チ凡金一万円ニ下レリ、今規則頒布前後ノ製作高等ヲ比較スレバ左ノ如シ

      種目    規則頒布前          規則頒布後
  一ケ年製造見積高 一五、〇〇〇円 明治八年頃 三〇、〇〇〇円
                   同十七年頃 一〇、〇〇〇円
  職工人員          六三〇人 明治十七年頃            五〇人
  賃銀(一日一人ニ付)     三〇銭 明治十七年頃            五〇銭

第二十六蒔画 安政年度以来多ク之ヲ海外ニ輸出シタルト当時蒔画櫛ノ流行シタルトニ由テ漸次繁栄ニ趨キ、維新前後ニ至リ最モ隆盛ノ極ニ達シタレトモ爾来追々粗製濫造ノ弊ヲ生シ、明治十二三年頃ヨリ漸次声価ヲ海外ニ墜シ近来大ニ衰兆ヲ来シタリ、抑蒔画ハ我国固有ノ技術ニシテ享和以前ノ製品ノ如キハ其品式ノ精巧ナルト意匠ノ高尚ナルトハ外国人ノ常ニ賞賛スル所ナリ、又文化文政頃ノ器物ハ御小屋物ト唱ヘテ製工稍劣ル所アリト雖トモ、其品類ノ稀レナルカ為メ其価甚ダ廉ナラス、概シテ古器物ノ声価ハ旧時ト異ナル事ナシト雖トモ維新後ノ新製ニ係ル器物ハ粗製濫造ノ弊アリテ近来其信用ヲ墜シタリ、然レトモ此粗製濫造ノ弊ハ職工ノ技倆ノ未熟ナルヨリ生シタルニ非スシテ全ク資本家ノ資力ノ不十分ナルニ原因セリ、又現今職工ノ技倆ハ之ヲ享保以前ノモノニ比スルニ優ルアルモ劣ル事ナケレバ、今有力ノ資本家ハ資金ヲ惜マスシテ此等ノ職工ヲ傭使スル事アランニハ必ス堅牢緻密ニシテ意匠ニ富ミ且ツ欧米ノ風土人情ニ適スヘキ精品ヲ製作シ得テ遂ニ海外ノ声価ヲ挽回シ、将来再ビ盛況ヲ呈スヘキ見込ナリ
      統計比較
 天保以来明治十五六年ニ至ル製造金高等ヲ比較スレバ左ノ如シ

   年次    製造金高(概算)    職工人員   賃銀(一日一人ニ付)
              円       人
  天保年間   二〇、〇〇〇     四五〇    上職  六匁
                           並職  三匁
  安政年間  一五〇、〇〇〇   一、二〇〇    上職 二〇匁
                           並職 一〇匁
  明治初年    不詳        不詳     上職 五〇銭
                           並職 二五銭
  同十三年  二二〇、〇〇〇     不詳     上職 七五銭
                           並職 三五銭
  同十六年    不詳      一、〇〇〇    上職 五〇銭
                           並職 三〇銭

第二十七漆器 漆器ノ職工ニ道具塗師・鞘塗師・駕籠塗師・蒸籠塗師下駄塗師ノ数種アリテ維新前ニハ各其業ヲ営ミシガ、其後鞘塗師以下ノ各業ハ漸次ニ衰微シ道具塗師ノミ独リ海外輸出品ヲ製造シタルガ為メ一時隆盛ヲ極メタリシガ追々粗製濫造ノ弊ヲ生シ近来ハ大ニ衰兆ヲ呈ハシタリ、然レトモ此後悪弊ヲ矯メテ其製作ニ注意スレハ再ヒ盛況ヲ呈ハスヘキノ見込ナリ
      統計比較
 天保年間ニハ道具塗師凡四百五十人、鞘塗師凡二千人、其他塗師職凡八十名アリシガ維新後ハ道具師ヲ除ク外都テ其人員ヲ減ジ現今ニ至テハ全数二百八十九人ニ減シタリ、今天保以後ノ製造高及賃銀ヲ示セバ左ノ如シ

   年次    一ケ年製造見積金高   賃銀(一日一人ニ付)
  天保年間     五二、〇〇〇円   上職 四匁
                     下職 二匁五分
  安政年間    一七〇、〇〇〇    上職 十五匁
                     下職 十匁
 - 第18巻 p.417 -ページ画像 
  明治十六年    六〇、〇〇〇    上職 自四十五銭至四十銭
                     下職 三十銭

第二十八金銀細工・銅細工 同一ノ職人ナレトモ此ニ其工業ヲ類別スレバ金属彫刻師(維新前ニハ腰元彫・袋物彫・飾彫ノ三種アリテ腰元彫ハ彫刻師中ノ上位ヲ占ム)鋳物師(幕政ノ頃ニハ二十四軒アリテ専業トス)及金銀銅細工下地飾職ノ三種アリ、往時帯刀ノ流行シタル頃ニハ刀剣道具類ノ彫刻一時盛況ヲ呈ハシタレトモ維新後廃刀ノ令アリシヨリ各業漸ク衰退セリ、但此彫刻師ハ開港以来花瓶其他ノ翫弄品ニ属スル輸出物ヲ彫刻セシガ近年貿易ノ衰微ニ由テ営業次第ニ衰兆ヲ来シタリ、然レトモ此後海外人ノ必要ナリトスル家具其他ノ器物ヲ熟察シテ積年ノ技倆ヲ加フルニ至ラハ将来隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ
      統計比較
 維新前ニ於ケル各業ノ製造高職工人員等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス(腰元彫刻師ノ賃金ハ廃刀前ニハ一日凡四円位ナリト云フ)但近来ノ製造高等ハ左ノ如シ

   種目        製造見積高      職工人員   賃銀(一日一人ニ付)
                 円       人     上等 二、〇〇
  金属彫刻師    一六〇、〇〇〇     八五〇     中等   六〇
                               下等   二五
  鋳物師       三三、〇〇〇     一五〇     上等   六〇
                               下等   二五
  金銀銅細工下地飾職 八〇、〇〇〇     五〇〇     上等   六〇
                               下等   二五

第二十九鍍金細工 此工業ニ焼附鍍金(芥子剌ト称ス)ト電気鍍金(テン@ラト称ス)トノ二種アリ、維新後ハ焼附鍍金衰ヘテ電気鍍金盛ンナリ、但シ本業ハ多クハ烟管・簪等ニ鍍金スルモノニシテ内地諸工業ノ景況ニ随ヒ時々盛衰アリト云フ、維新前ノ製造高等ハ詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、但近年ノ景況ハ左ノ如シ
  一ケ年製造見積高         凡二万円
  職工人員             二百五十五人
  賃銀(一日一人ニ付)       上 五十銭
                   並 二十五銭
第三十錫細工 維新前後特別ノ盛衰ナシト雖トモ近年ノ不景気ニ連レテ幾分カ衰兆ヲ来シタリ、但本業ハ多クハ茶壷及売薬入ノ器物ヲ製スルモノニシテ内地諸工業ノ景気ニ随ヒ時々盛衰アリト云フ
 維新前ノ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、但近年ノ景況ハ左ノ如シ
  一ケ年製造見積高         凡一万二三千円
  職工人員             二十七人
  賃銀(一日一人ニ付)       上 五十銭
                   並 三十銭
第三十一陶器製造 文久・元治ノ頃佃島ニ於テ薩摩陶器ノ類似物ヲ製造シタル者アリシモ一両年ニシテ廃絶シ、維新前ニハ今戸ニ一ノ土焼アリシノミ、其後ニ至リ今戸ニ良斎ナル者アリテ磁器ヲ製シタリ又江戸川ニ陶器製造所ヲ創設シタル者モァリシカ皆久シカラスシテ廃業セリ、抑東京府下ハ陶器製造ニ要スル原質物ノ産出ナク常ニ其供給ヲ他国ニ仰グノミナラス職工賃銀モ又他国ヨリ高価ナルカ為メ此後盛況ヲ呈ハスベキ見込ナシ、目今陶器製造人ノ員数六十三名アリト伝ヘトモ維新前後ノ増減及賃銀ノ高低等詳カナラザルヲ以テ之ヲ略ス
第三十二陶器画附 東京ニ於テ猪口ノ画附ヲ権輿トシ(其下絵ハ初代葛飾北斎ニ始ル)
 - 第18巻 p.418 -ページ画像 
近頃創始ノ工業ナリトス、維新後続々海外ニ陶器輸出アリシヨリ一時盛況ヲ呈ハシタリト雖トモ、爾後供給需用ニ超過シ価格非常ニ下落シタルガ為メ近年ニ至テハ大ニ衰微シタリ、然レトモ陶器画附ニ緊要ナル意匠ノ高尚ナル事ハ府下職工ノ特有技術ナレバ、他日府下ニ於テ一流行ヲ促シ追々之ヲ各地方ニ拡充スルニ至ラバ本業再ヒ隆盛ニ趨クベキ見込ナリ
      統計比較
 維新前後ノ製造高等ハ詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、但職工人員等ノ増減及賃銀ノ高低ハ左ノ如シ

   種目         明治三・四年頃  明治十七年頃
  職工人員       凡 二、〇〇〇人    一二一人
  賃銀(一日一人ニ付) 凡     二円  上等 五十銭
                       下等 二十銭

第三十三象牙細工 角細工 同一ノ職人ナレトモ従前ハ専ラ根附彫ニ止リシカ維新後海外輸出品トナリシヨリ各種ノ品類ヲ細工シ一時大ニ盛況ヲ呈ハシタリト雖トモ近来同業者非常ニ増加シ、且外国輸出品ハ翫弄品ニ止リテ高価ノモノナキヲ以テ此後隆盛ニ趨クベキ見込ナシ、但本品従前ノ製造高等ハ詳カナラズ、近年ノ景況ハ左ノ如シ

  一ケ年製造見積高         凡九万円
  職工人員             凡四百二十八人
                   上等 一円
  賃銀(一日一人ニ付)       中等 五十銭
                   下等 三十銭

第三十四金銀箔 近来各地方ニ於テ金銀箔ヲ製スル者増加シタルカ為メ府下ノ工業ハ維新後大ニ衰微セリ、但皇居御造営等臨時ノ需要ニ由リテ時々盛況ナキニ非スト雖トモ、此後ハ漸次ニ衰頽スベキ見込ナリ
 本品ハ多ク府下ニ於テ之ヲ消費スレトモ西京西陣・尾州名古屋・信州飯山・越後新潟及三条地方ニ販売スルモノ亦少シトセス
      統計比較
 維新前後本品製造高・職工人員及手間代金ヲ比較スレバ左ノ如シ、但維新前ノ製造高ハ分明ナラサルヲ以テ掲載セズ、又手間代金ハ従前ノ分ハ地金三匁一分八厘ヲ三寸箔十枚ニ製スルトキノ金員ヲ記シ維新後ノ分ハ地金三匁ヲ色吉箔(三寸四方)八百枚ニ製スルトキノ金員ヲ記スモノトス
   種目            維新前          維新後
  製造高             …………         百六十八万枚
  右代金             …………      二万八千五百八十円
  職工人員             八百人            七十人
  手間代金 (日数凡十五日)四十九匁二分五厘  (日数凡十五日)四円十三銭
第三十五鉄葉細工《ブリツキ》 維新ノ際ヨリ漸ク府下ニ流行スレドモ其実況詳カナラス、但現今府下ニ於テ鉄葉業ヲ営ム者凡四百戸其職工人員凡千二百人アリ、而シテ其賃銀ハ明治二・三年ノ交ニハ一日上等一人ニ付七十五銭下等一人ニ付五十銭位ヒナリシモ、今ハ上等四十五銭下等三十五銭位迄ニ低落セシト云フ
第三十六洋傘 明治二・三年ノ頃初テ府下ニ於テ之ヲ製造シタルニ其後年々隆盛ニ趣キ、同十年ヨリ十二・三年ノ頃ニ至テ最モ盛栄ノ極
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ニ達シ当時一ケ年凡二十五万「ダース」ノ製造アリシガ爾来本年ニ至ル迄ハ年々衰微ニ傾キ一昨年ノ如キハ其製造高凡十五六万「ダース」ニ減ジタリ、是レ世間一般ノ不景気ニ連レテ大ニ其需用ヲ減ジタルニ由ルト雖トモ明治十年後本品ノ供給既ニ全国ニ遍キカ為メ其需用自然急切ナラサルヨリ此ニ至ラン、抑本品ハ目下金巾物ヲ除クノ外大抵内地ニ於テ之ヲ製造シ、恰モ一種ノ日用品タレバ其製造将来仮令著シキ盛況呈ハサヽルモ亦甚シク衰微セサル見込ナリ
 本品ハ全国ニ販売スレトモ就中大阪・四国・中国ニ販売スルモノ多額ニシテ奥州・北陸之ニ次ク、而シテ朝鮮・支那・「シンガポール」「ウラジヲストツク」等ヘモ多少輸出スル事アリ
第三十七洋傘骨 明治二・三年頃初テ府下ニ於テ之ヲ製造シタルニ其後年々隆盛ニ趨キ同十年ヨリ十二・三年ノ頃ニ至テ最盛栄ノ極ニ達シ、当時一ケ年ノ製造高凡十五万「ダース」ニ及ヒシカ爾来本年ニ至ル迄ハ年々衰微ニ傾キ、一昨年ノ如キハ其製造高減シテ五・六万「ダース」トナレリ、是レ全ク洋傘ノ衰微ト其原因ヲ同クスルモノナリ、抑本品ハ現今独リ府下ニ於テ之ヲ製造シ他ノ地方ニハ猶ホ製造スルモノナキカ故ニ将来洋傘ノ需用増加スルニ至ラハ本業亦随テ隆盛ニ進ムヘキ見込ナリ
 本品ハ大抵府下ニ於テ販売スト雖トモ大阪・長崎・熊本地方ヘモ多少輸出スル事アリ、但海外ヘハ絶ヘテ輸出セス
第三十八カバン製造 時々ノ流行ニ連レテ異様ノモノヲ製スルカ為メ其品類夥クシテ一々枚挙スヘカラス、今一般ノ盛衰ニ就テ其実況ヲ記サハ、明治五年頃迄ハ専ラ舶来品ヲ使用シ内地ニ於テハ更ニ製造スル者ナカリシカ、同年頃舶来ノ布皮ヲ以テ初テ衣服入「カバン」ヲ製シタルニ爾来追々盛況ヲ呈ハシ、其技倆モ亦上達シテ遂ニ手提「カバン」ヲモ製スルニ至レリ、同九年頃ヨリ一層ノ進歩アリシカ為メ舶来品ノ輸入ヲ減却シ同十二・三年ノ頃ニ至テ最盛ノ極ニ達シタリ、爾後一般ノ不景気ニ連レテ幾分カ衰兆ヲ来シタレトモ此後ハ漸次盛況ヲ呈ハスヘキ見込ナリ、本品製造高・賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 本品ハ府下及各府県ニ於テ之ヲ消費ス
第三十九襟巻製造 明治七年頃西京ニ於テ綿製ノ襟巻ヲ製シタルニ、年々其製造高ヲ増加シ、同十二年ニハ東京・大阪ニ於テ俗ニ肩掛ト称スルモノヲ製シタルニ是レ亦同十五年頃迄ハ近々盛況ヲ呈ハシタルカ、近来ハ縮緬本「フランネル」又ハ綿「フランネル」等ヲ襟巻ニ代用スルニ至リシヨリ漸ク衰兆ヲ来シタリ、但本品ハ冬季入用ノ品ナレハ全ク衰減スルニ至ラサルモ又盛況ヲ呈ハスヘキ見込ナリ、本品製造高・賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 本品ハ概ネ全国ニ於テ之ヲ消費ス
 抑襟巻ハ維新前ヨリ輸入シ来リ此際ニ在テハ世人品柄ノ如何ニカカハラス争フテ之ヲ購買シ、明治五年ニ至ル迄ハ売口最モ多カリシカ同年以後多分ノ濫入アリシカ為メ大ニ其価ヲ低落セリ、然レトモ明治十三年迄ハ一ケ年猶ホ十五万円乃至二十万円ノ輸入アリシモ其後漸ク輸入高ヲ減シ同十五年ニハ其価二分ノ一ニ下落シ同十六年ニ至
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テハ更ニ三分ノ一ニ下落セリ
第四十白墨製造 明治三年頃始テ米国ヨリ之ヲ舶来シタルニ爾後年々其輸入高ヲ増シ毎年平均二十五万箱一箱ハ百四十四本入此価平均廿銭位ニシテ即チ合計金五万円位ナリニ達シタレトモ、同七年大阪ニ於テ此摸造法ヲ発明シ同十二年頃府下ニ於テモ盛ンニ之ヲ製造シテ漸ク舶来品ノ輸入ヲ防キ十三年ニハ遂ニ全ク輸入品ヲ拒絶スルニ至リ爾来十五年頃迄ハ年々盛況ヲ呈ハシタリ、而シテ近来ハ一般ノ不景気ニ連レテ幾分カ衰兆ヲ来シタリト雖トモ、元来本品ハ学校ノ必需物ナレハ此後文学ノ進歩スルニ随ヒ追々隆盛ニ趨クベキ見込ナリ、但本品製造高・賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 本品ハ全国ニ於テ之ヲ消費ス
第五十石盤製造《(マヽ)》 明治二年頃欧米諸国ヨリ之ヲ輸入シタルニ爾来文運隆興ノ折柄年々其輸入高ヲ増加シ、毎年平均百六十七万個(此価額凡八十万乃至百万円位)ニ達シタルカ、同八年宮城県下雄勝浜字留山ニ於テ石盤石ヲ発見セシヨリ之ヲ石板ニ製シテ東京ニ送致シ、更ニ木縁ヲ加ヘテ精製シタレハ其需用年々ニ増加シ、十二年ヨリ十四年ニ至テ殆ト最盛ノ極ニ及ヒ、当時一ケ月凡五万個ニ達セシモ爾来一般ノ不景気ニ連レテ稍衰兆ヲ来シ近年ノ製作高ハ一ケ月凡二万五千個位ニ減シタリト云フ、但本品ハ学校ノ要具ナレバ此後著シク盛況ヲ呈ハサヽルモ大ニ衰退セサル見込ナリ
 本品ハ全国ニ於テ之ヲ消費ス
第五十一莫大小襦袢・袴下・同股引・同靴足袋・同手袋・同犢鼻褌従前ノ工業ナレトモ、明治三・四年頃迄ハ其製造微々トシテ振ハサリシカ、同七年頃海外ヨリ器械ヲ取寄セテ之ヲ製造スルニ至リシヨリ漸ク盛況ヲ来シ、尚中靴足袋・手袋・西洋犢鼻褌ノ如キハ其価ノ廉ナル為メ中等以下舶来品ノ輸入ヲ防キ其需用モ随テ多ケレバ爾来年々製造高ヲ増加セリ、但シ股引類ハ当初ヨリ今日ニ至ル迄幾分カ衰況ヲ来シ、又襦袢・袴下ノ如キモ明治九・十年ノ交ニハ五六万個ノ製造アリシモ海陸軍省ノ需用多カラス、且ツ大阪製ノ晒襦袢及袴下ノ多ク府下ニ輸入アリシカ為メ近来ハ其製造高四万個ニ下レリ、然レトモ莫大小ノ製造全高ハ却テ漸ク増加ノ景況ヲ呈ハシ因テ府下ハ勿論近県地方ヘノ売捌高モ追々増加スルヲ観レハ本業ハ此後隆盛ニ進ムヘキ見込ナリ
 本品ハ明治十年頃迄ハ海陸軍省ニ於テ其過半ヲ消費シタルカ、近来ハ両省ノ消費高大ニ減シタレトモ市中ノ消費高及近県・北海道地方ヘノ輸出高ハ大ニ増加シタリト云フ
      統計比較
 明治七年以後昨十七年ニ至ル迄ノ製造高及売上金額等ノ増減ハ左表ノ如シ


図表を画像で表示統計比較

   項目  襦袢      股引      靴足袋      手袋      犢鼻褌     売捌金額     職工      賃銀(一日一人ニ付)       袴下                                                男   女   男   女 年次         個       個        個       個       個       円    人   人   銭  銭 明治七年     ………  六四、〇〇〇      ………     ………     ………  三二、〇〇〇   五〇 二五〇  五五 一〇 同 八年          七〇、〇〇〇  一二〇、〇〇〇     ………     ………  四〇、九〇〇  一一〇 三〇〇  五五  八 同 九年  五〇、〇〇〇  四〇、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇     ………     ………  五〇、五〇〇  一一〇 二五〇  五〇  八  以下p.421 ページ画像  同 十年  六〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  二五〇、〇〇〇     ………     ………  五九、〇〇〇  一二〇 三五〇  五五  八 同十一年  三〇、〇〇〇  五五、〇〇〇  一九〇、〇〇〇     ………     ………  五八、〇〇〇  一一〇 三〇〇  五〇  八 同十二年  五〇、〇〇〇  七〇、〇〇〇  二五〇、〇〇〇     ………     ………  六一、〇〇〇  一二〇 三〇〇  四五  八 同十三年  四五、〇〇〇  六〇、〇〇〇  二五〇、〇〇〇     ………     ………  六五、五〇〇  一三〇 三〇〇  四五  八 同十四年  五〇、〇〇〇  四五、〇〇〇  二八〇、〇〇〇     ………     ………  五九、〇〇〇  一四〇 三〇〇  四五  七 同十五年  四〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  三五〇、〇〇〇  三〇、〇〇〇  七二、〇〇〇  六二、五〇〇  一四〇 三〇〇  三八  七 同十六年  四〇、〇〇〇  六〇、〇〇〇  五七〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  六〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  一五〇 三五〇  四〇  七 同十七年  三七、〇〇〇  六〇、〇〇〇  七〇〇、〇〇〇 一八〇、〇〇〇  八四、〇〇〇  八四、〇〇〇  一五〇 三五〇  四〇  七 合計   四〇二、〇〇〇 六二四、〇〇〇 三一六〇、〇〇〇 二六〇、〇〇〇 二一六、〇〇〇 六二八、四〇〇  ……… ……… ……… ……… 



第五十二帽子製造 帽子ハ時々ノ流行ニ連レテ之ヲ製スルカ為メ其種類少カラス、就中毛皮帽子・麦藁帽子・山高帽子ノ三品ハ其最モ著キモノナリ、因テ今此三品ニ於ル盛衰ノ概況ヲ左ニ略記スヘシ
 毛皮帽子 明治四年頃欧州ヨリ兎ノ染毛皮ヲ取寄セ初テ之ヲ製シタルニ爾来年々盛況ヲ呈ハシ同六年ヨリ十二年ニ至ル間ハ殆ト最盛ノ極ニ達シ、当時染毛皮ノ輸入横浜・神戸ノ両港ニテ毎年凡二万「ダース」此価凡十二万円位ニ下ラス、又此際毛皮帽子ノ輸入モ多カリシカ翌十三年以後ハ流行ノ変遷ニ由テ需用大ニ減シ、昨年ノ如キハ其製造高前年十分ノ二ニ下リシヲ以テ此後竟ニ回復ノ見込ナシト云フ、但本品ノ製造職工人員等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 麦藁帽子 明治四年頃初テ府下大森ニ於テ之ヲ製シタル者アリシカ当時ハ其製造未ダ盛ナラザリシモ明治七年頃ヨリ漸ク盛況ヲ呈ハシ近来ハ府下ニ会社ヲ設ケテ盛ニ之ヲ製スル者アリ、又愛知県下ニモ之ヲ産出スル者アリシヨリ目今中等以下ノ帽子ハ遂ニ海外ノ輸入ヲ仰カサルニ至レリ、但本業ノ日猶浅キカ為メ其細工未ダ精巧ナラスト雖トモ此後技倆上進スルニ至テハ一層ノ盛況ヲ来スヘキ見込ナリ本品ノ製造高・賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 山高帽子 明治四年頃初テ之ヲ試製シタル者アリシカ当時ハ原品ノ製法巧ナラス、且ツ其販路狭ケレハ器械ヲ用ヒテ製出スルニ至ラス随テ其製品頗ル粗悪ナリシト雖トモ当時ノ需用者ハ大抵品質ノ精粗ヲ論セス、只其形状ニ取ル所アレバ粗品ナリト雖トモ一時稍盛況ヲ呈ハシタレトモ爾来帽形ノ流行一変シテヨリ両三年ニシテ其声価ヲ墜シ近来ハ殆ト廃業セントス、又明治六年頃ニハ舶来品ニ劣ラサル中等ノ精品ヲ製出シタル者アリシカ其価舶来品ヨリ高貴ナリシカ為メニ是レ亦近年ニ至テ全ク廃業セリ、但本品ハ近年ニ至リ随分其需用ヲ増加シタレハ此後器械ヲ用ヒテ之ヲ製出シ其価舶来品ヨリ稍低廉ナルニ至テハ自然盛況ヲ呈ハスベキ見込ナリ、本品ノ製造高・賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
第五十三鉛筆製造 明治七年頃初テ府下ニ於テ之ヲ製造シ一時ハ稍盛況ヲ呈ハシタレトモ、爾来同業者増殖シテ互ニ競争セシヨリ遂ニ粗製ノ弊ヲ生シテ一般ニ衰退セリ、但中等品以下ノ需用ハ近来内地製造品ヲ以テ之ニ応スレトモ、上等品ハ其製造器械完全ナラス、且ツ其用材ノ乏シキカ為メ今猶海外ノ輸入ヲ仰ケリ(専ラ米国ヨリ輸入ス)然レトモ元来本品ハ文字ヲ記スニ便利ナレハ此後製造法ノ進歩スルニ随ヒ追々盛況ヲ来スヘキ見込ナリ、本品ノ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
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第五十四飾 飾ニ数十種アリ、仏師飾・金物飾・手遊飾・袋物飾・人形飾・甲馳飾・神輿飾・箸飾・鳩目飾・簪飾・煙管飾・鎖飾・道具飾・白金飾・矢立飾・鎗飾・引手飾ハ其最モ著シキモノニシテ、此等ノ飾屋中ニモ亦数種ノ業体ニ分ルモノアリ、例ヘハ仏師飾又ハ金物飾ノ内ニ大物師・小物師・地金師・彫刻師等ノ業体アルカ如シ、今逐一此等ノ業体ヲ細記スルトキハ其類殆ト四五十種ニ及フヘシ、抑飾屋職ハ維新前ニハ各業共ニ年々盛況ヲ呈ハシタレトモ、近来ハ種々ノ事情ニ制セラレテ過半衰兆ヲ来シタリト云フ、今本業ノ稍重要ナルモノニ就テ其盛衰ノ実況ヲ左ニ略記スヘシ、但本業ノ職工ハ多クハ年季奉公人ニシテ定額ノ給料ヲ支与セサルヲ以テ其賃銀ヲ詳カニ知ル事能ハス、因テ賃銀ハ概略ノ見込ニ過キス
 仏師飾 維新前ニハ仏具ノ流行ニ連レテ年々盛況ヲ呈ハシタレトモ其後ハ偶像ヲ尊信スル者其数ヲ減シタルヨリ需用随テ減縮シ大ニ衰兆ヲ来シタリ、但近来ハ世上ノ不景気ニ連レテ同業者ノ減員シタルカ為メ他ノ飾職ニ比スレハ稍利益多キ趣ナレトモ、全体ヨリ之ヲ見レハ先ツ大ニ衰微シタリトセン、而シテ此後モ人智ノ進歩スルニ随フテ漸ク衰退スベキ見込ナリ
 本品ハ大抵府下・近県及三陸地方ニ於テ消費ス
       統計比較
  維新前後ノ戸数・賃銀等ヲ比較スレバ左ノ如シ、但シ製造高ハ詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス

  項目         維新前      維新後
  戸数         凡 五十戸       凡十四・五戸
  職工           不詳         凡四・五十人
                     明治二・三年   十七銭
  賃銀(一日一人ニ付) 凡十二・三銭  同 十四年 二十三・四銭
                     同 十七年   二十六銭

 道具飾 専ラ堂宇・宮殿又ハ家具ニ附属スル金物類ヲ細工シ維新前ニハ随分盛ンニ其業ヲ営ミシカ其後漸ク其注文高ヲ減シ、従前ノ工業ハ稍衰況ヲ来シタレトモ爾後本職工ハ舶来品及模造品(即カバン洋灯ノ類)ニ附属スル金物類ノ細工ニ転業シテ其製造高従前ノ工業ニ過クル程ナリ、殊ニ他派飾屋ノ中近来衰微ヲ極メタル者ハ漸ク本派ニ転業スルヲ以テ維新前後著シキ盛衰ナシ、但近年ハ一般ノ不景気ニ連レテ稍衰微シタリト雖トモ此後摸造品(金物類ノ附属品)ノ景気挽回セバ必ス隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ
 本品ハ多ク東京府下ニ於テ之ヲ販売ス、但附属品ノ儘ニテ東北地方ヘ輸出スル事モアリ
 本品摸造高・職工等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、賃銀(一日一人ニ付)ハ維新前ニハ凡廿一・二銭ナリシガ、明治二・三年ニハ四十一・二銭同十四・五年ニハ四十三・四銭、同十七年ニハ廿八・九銭位ナリト云フ
 煙管飾 従来府下ニ十軒余ノ問屋アリテ各其業ヲ営ミ維新前後著シキ盛衰ナキ趣ナリ、尤近来ハ一般ノ不景気ニ連レテ幾分カ其製造高ヲ減シ且通常袋物店ニテ煙管飾ヲ取扱フ者アルニ付之カ為メ幾分カ問屋ニ影響ヲ与ヘタリト雖トモ、元来本品ハ日用欠ク可カラサルモ
 - 第18巻 p.423 -ページ画像 
ノナレハ設令一時衰退スルモ此後ハ漸ク盛況ヲ呈スヘキ見込ナリ
 本品ハ各府県ニ輸出ス
 本品ノ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、但一昨十六年ノ売捌高ハ凡十万円ニシテ、職工ノ現員ハ凡百五十名アリ、而シテ其賃銀(一日一人ニ付)ハ維新前ハ十一・二銭、明治二・三年頃ハ十三銭、同十四五年頃ハ三十銭、同十七年ハ廿銭位ナリト云フ
 矢立飾 維新前後著シキ盛衰ナシ、但近年ハ一般ノ不景気ニ連レテ稍衰兆ヲ来シタレトモ一旦商況回復スルニ至ラハ著シキ盛況ヲ呈ハサヽルモ又衰頽セサル見込ナリ
 本品ハ各近県及三陸地方ニ於テ多ク之ヲ消費ス
 本品ノ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、賃銀(一日一人ニ付)ハ維新前ニハ十銭乃至十一銭、明治二・三年頃ハ十三・四銭、同十四・五年頃ハ十五銭五厘乃至十六銭、同十七年ハ廿三銭乃至廿六銭位ナリト云フ
 手遊飾 維新後人智ノ進歩ニ随フテ新奇ノ翫品ヲ工夫シ、大ニ其需用ヲ増加シタルカ為メ従前ヨリモ稍盛況ヲ呈ハシタリ、而シテ此後モ人智益々進メハ奇品ノ新発明多ク随テ隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ、但本品ノ製造高及賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 本品ハ府下・近県・東北及三陸地方ニ於テ多ク之ヲ消費シ近年ニ至テハ支那ヘモ多少之ヲ輸出ス
 引手飾 維新前ニ比スレハ大ニ衰退シタリ、但此衰微ハ一般ノ不景気ニ由テ生スレトモ此後商況回復セハ旧来ノ十中六七分位ノ隆盛ヲ来スヘキ見込ナリ
 本品ハ近県及東北地方ニ於テ之ヲ消費ス
 本品ノ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、賃銀(一日一人ニ付)ハ維新前ハ十三・四銭、明治二・三年頃ハ十七銭、同十四・五年頃ハ十八九銭、同十七年ハ三十銭位ナリト云フ
 簪飾 維新前ヨリ漸次盛ナリシカ明治四年頃ニ至テ最モ盛ンナリシモ爾来明治六年ニハ少シ衰ヘ、同十三・四年頃ニハ再ヒ盛況ヲ呈ハシ近年ニ至テハ又稍衰兆ヲ来シタリ、然レトモ此後一般ノ景気回復セハ再ヒ隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ
 本品ハ府下及各府県ニ於テ之ヲ消費ス
 本品ノ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、但職工ノ現員ハ凡三百余名ニシテ賃銀(一日一人ニ付)ハ維新前ハ十一・二銭、明治二・三年頃ヨリ同十五年頃迄ハ四十銭内外、同十七年ハ三十銭内外ナリト云フ
 袋物飾・金物飾 従来府下ニ二十余戸ノ問屋アリ、維新前ニハ敢テ盛ンナリト謂フヘクモナカリシカ其後ニ至テ漸ク盛況ヲ呈ハシ明治十四・五年頃ニ及テ最盛ノ極ニ達シタリ、是レ当時府下及各地ノ景況繁盛ナルニ由ラン、然レトモ明治十六年後ハ一般ノ不景気ニ連レテ漸ク衰兆ヲ来シ最盛ノ時ニ比スレハ其製造高十分ノ七八ヲ減縮シタリ、但此後一般ノ景気回復スルニ至ラハ幾分カ隆盛ニ進ムヘキ見込ナリ
 本品ハ関東ハ勿論北国・北海及京坂地方ヘ多ク之ヲ販売シ、且ツ品類ノ中ニハ海外ニ輸出スルモノモアリトス
 - 第18巻 p.424 -ページ画像 
 本品ノ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、賃銀(一日一人ニ付)ハ維新前ハ十五銭、明治二・三年頃ハ三十三・四銭、同十四・五年頃ハ三十五銭、昨十七年ハ廿二・三銭位ナリト云フ
 置物飾・花瓶彫物飾・香炉飾・摺附木箱飾 維新前ヨリ各業トモ(摺附木箱飾ハ維新後ヨリ始マル)漸ク盛況ヲ呈ハシ明治十一年頃ヨリ之ヲ海外ニ輸出スルニ及テ益盛大トナリ、同十五年ニ至テ其極点ニ達シタレトモ近年ニ至テハ稍衰兆ヲ来シ其製造高ハ前年ヨリ凡十分ノ二ヲ減シタリ、但本品ハ維新後ノ新製ニ係ルモノハ追々海外ニ輸出スルノ見込アリ、又従前ノ古器モ随分需用アルヘキ見込アルヲ以テ此後著シキ盛況ヲ呈ハサヽルモ甚シク衰退セサルヘシ
 本品ハ府下及各府県ニ於テ之ヲ消費シ又海外ヘ輸出スル事モアリ
 本品ノ製造高職工人員等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス、賃銀(一日一人ニ付)ハ維新前ハ上等凡壱円、中等凡五十銭、並物師凡十五銭ヨリ二十銭位ナリシカ近年ハ上等二円、中等壱円、並物師凡四十銭ヨリ五十銭位ナリト云フ
 神輿飾・人形飾・甲馳飾・白金飾・飾箸・鳩目飾・鎖飾・鎗飾 維新前ニハ随分盛ンナリシカ其後ニ至テ漸ク衰兆ヲ来シ近年ハ殆ト廃業セリ、是レ全ク時勢ノ変遷ニ連レテ需用ノ減シタルニ由レハ此后ハ再ヒ盛況ヲ呈ハスヘキ見込ナシ、但本品ハ製造高等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
第五十五鼈甲細工 維新後漸ク盛況ヲ来シ明治六・七年頃ヨリ十二・三年ニ至テ其極ニ達シタリ、是レ維新後都鄙交通ノ便開ケ各地方ノ農民等都会ノ奢風ヲ羨ム折柄米価騰貴シテ余財ヲ生シタルヨリ頻ニ本品ノ需用ヲ増シタルニ基クモノトス、但近来ハ一般ノ不景気ニ連レテ大ニ衰退シタリト雖トモ此後商況ノ回復スルニ至ラハ又前時ノ盛況ヲ呈ハスヘキ見込ナリ、但本品ノ製造高及賃銀等詳カナラサルヲ以テ之ヲ略ス
 上等品ハ多クハ東京・横浜・大阪・西京・名古屋・静岡・三重・群馬地方ニ於テ之ヲ消費シ下等品ハ全国一般之ヲ消費ス
第五十六筆墨 慶応年間筆ノ製造高墨ハ大和・大坂・西京・紀州等ヨリ輸入スルノミニテ従来府下ニハ之ヲ製造シタルモノナカリシカ其実況ハ筆ト同一ナレハ併セテ之ヲ記スハ一ケ年平均八万円ニ過キス、其余ハ大抵仙台又ハ米沢製下等物ニシテ俗ニ仕入又ハ卸物ト称スノ輸入ヲ仰キシカ、維新後ハ文学隆興シテ習字ヲ専攻シ貴価ノ筆墨ヲ需用スル者増加シタルヨリ近来府下ニ於テ筆ヲ製造スル者大ニ増加シ、其製造高一ケ年大約十一万円ニ下ラサル趣ナリ、抑筆墨ハ文学ト共ニ盛衰スルコト勿論ナレバ此後文学ノ益々振起スルニ随ヒ本業モ亦益進歩スヘキ見込ナリ
第五十七地本錦画摺物 維新後漸ク衰兆ヲ来シ、地本問屋ノ如キモ錦画ノ摺物ヲ廃メ専ラ書籍売買ノ一方ニ転業スル程ナリシカ此際油絵等ノ洋画大ニ流行シタルカ為メ自然錦画ノ需用ヲ増シ、内地ハ勿論海外ヘモ多少ノ輸出アリテ幾分カ盛運ニ向ヒシニ明治五・七年頃ニハ色摺ノ需用漸ク減シ墨摺ノ方次第ニ盛況ヲ来シタリ、但近来ハ一般ノ不景気ニ連レテ色摺・墨摺トモ売捌方大ニ衰退シタリト云フ
      統計比較
 維新前後ノ製造高等左ノ如シ
 - 第18巻 p.425 -ページ画像 


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 項目    彩色摺                         墨摺       一ケ年製造見積高    職工人員 賃銀(一日一人ニ付) 一ケ年製造見積高     職工人員  賃銀(一日一人ニ付)                枚    人                       枚    人 慶応二年  三三、九一二、〇〇〇  九四二  八〇〇文       一二五、二八〇、〇〇〇  一一六  八〇〇文 明治五七年 一四、四〇〇、〇〇〇  四〇〇   二五銭       三八一、〇〇〇、〇〇〇  三五〇   二五銭 同 十七年 二八、八〇〇、〇〇〇  八〇〇   二〇銭       一六四、二五〇、〇〇〇  一五〇   二〇銭 




第五十八硝子髪鏡類・髢髷形類・木製櫛類・角製櫛笄類・真鍮笄類・洋白笄類・根掛類・花笄類・木製楊枝類・歯磨類・指輪類 是レ所謂小間物職ニシテ、維新前後各業トモ世上ノ流行ニ連レテ時々ノ盛衰ヲ現ハシタリ、今各職ニ就テ維新前後ノ製造高ヲ比較スレハ左ノ如シ、但硝子髪鏡類ハ維新前専ラ大坂ノ輸入ヲ仰キ(此金高凡八百円)府下ニハ之ヲ製スル者ナカリシト云フ

   種目            維新前        維新後      職工現員
                   円          円        人
  硝子髪鏡類        ……………      七、七〇〇       五六
  髢髷形類         一、四〇〇      八、四〇〇       四二
  木製櫛類         三、五〇〇     一〇、五〇〇       七〇
  牛爪、牛角、馬爪櫛笄類  二、八〇〇     一三、三〇〇       五六
  真鍮笄類         四、九〇〇      二、一〇〇       二四
  洋白笄類         ……………      二、八〇〇       二八
  根掛類          二、八〇〇      四、九〇〇       五六
  花笄類            七〇〇      二、八〇〇       五二
  木製楊枝類        一、一二〇        五六〇       ……
  歯磨類          一、四〇〇      四、九〇〇       五二
  指輪類            七〇〇      一、四〇〇       ……

第五十九眼鏡類 此工業ハ維新後一層盛況ヲ呈ハセリ、而シテ近来老少トモ之ヲ使用スルノ慣習ヲ生シタレハ此後モ益盛大ニ進ムヘキ見込ナリ
      統計比較
 維新前後ノ製造高等左ノ如シ
 但職工現員ハ凡五百人位ナリト云フ
     種目       維新前     維新後
  一ケ年製造見積高   凡八十万円   凡百六十万円
  賃銀(一日一人ニ付) 金二十五銭   金五十銭
第六十団扇 維新後多ク之ヲ外国ニ輸出シ就中米国ヨリ一時巨額ノ注文アリシ為メ、明治三年ヨリ同八年ニ至ル迄其製造高毎年凡二百六十万本ニ達シ大ニ盛況ヲ呈ハシタレトモ、此際粗製濫造ノ弊ヲ生シ明治九年ヨリ同十四年ニ至ル迄ハ外国市場不景気ニ連レ其製造高毎年凡二百万本迄ニ減少シ、其価格モ輸出品ニ限リテ殊ニ幾分ノ下落ヲ来シ一時稍衰況ヲ呈ハシタリ、但十五年以後ノ製造高ハ漸次増加ノ勢アルヲ以テ此後非常ノ盛況ヲ呈ハサヽルモ著シキ衰兆ヲ来ス事ナキ見込ナリ
 本品ハ全国一般ニ之ヲ販売スレトモ、就中府下・神奈川・埼玉・群馬・栃木・福島・千葉・茨城・長野・新潟・山梨・宮城等ノ地方ヲ以テ最モ多シトス
      統計比較
 - 第18巻 p.426 -ページ画像 
 維新前後ノ製造高等左ノ如シ
 但明治十七年ハ八月マデノ製造高ヲ調査シタルモノナリ

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 年次     一ケ年製造見積高        金額                本               円 慶応二年   一、三〇〇、〇〇〇        九、七五〇・〇〇 明治三年   二、六〇〇、〇〇〇       二四、七〇〇・〇〇 同 四年   此間ノ製造高ハ前年ト甚シ 同 五年   キ増減ナク毎年凡二百六十 同 六年   万本内外ニシテ価格ハ漸次 同 七年   登進シタリト云フ 同 八年 同 九年   此間ノ製造高ハ前年ヨリ大 同 十年   ニ減少シ毎年殆ト二百万本 同十一年   ニシテ価格ハ外国輸出品ニ 同十二年   限リ漸次低落シタリト云フ 同十三年 同十四年 同十五年   三、九五六、九〇〇       五一、四三九・七〇 同十六年   二、二八六、九五〇       二九、七三〇・三五 同十七年   二、七六九、六八〇       三五、三一三・四〇 




第六十一翫具 翫具職ニ人形細工・土細工・金物細工・木細工・香箱類ノ数種アリ、維新後各業共ニ漸ク隆盛ニ趨キ明治十四年ニ至テ其極点ニ達シタリ、爾来世上ノ不景気ニ連レテ漸次衰兆ヲ来シタレトモ元来本品ハ戯玩品ニ属スレハ此後盛況ヲ呈ハササルモ著シク衰退ナキ見込ナリ
      統計比較
 維新前後ノ製造高等左ノ如シ

   年次              一ケ年製造見積高  職工人員 賃銀(一日一人ニ付)
  維新前              凡三七、四二八両  七〇〇人  三貫文
  自明治四・五年頃至明治十四年頃  凡七二、〇〇〇円  八〇〇   二五銭
  明治十七年            凡四三、二〇〇円  六〇〇   二〇銭

第六十二縫箔 維新後内地ノ需用ハ凡十五分ノ一ニ減シタレトモ海外輸出高随テ大ニ増加シタルカ為メ幾分カ隆盛ニ趨ケリ、但維新前ニハ職工人員凡八十名位ニシテ賃銀(一日一人ニ付)一分二朱乃至一分三朱ナリシニ近来ハ人員百五十名ニ増加シ賃銀五十銭ニ登リタルヲ以テ其盛況ニ進ミタル事ヲ証スヘシ、而シテ此後モ内地ノ需用ハ益減少スヘシト雖トモ海外ノ輸出ハ随テ益増加シ本業次第ニ進歩スヘキ見込ナリ
第六十三煉瓦製造 明治三年三・四月頃始メテ府下ニ於テ製造シタレトモ当時ハ瓦竈ヲ用ヒテ之ヲ焼立ル者僅々五・六戸ニシテ、翌五年ニハ凡ソ十戸位ナリシカ同年京橋新橋間ノ家屋ヲ煉瓦造ニ改築スルノ挙アルトキ需用大ニ増加シテ其戸数百三十戸以上此竈数三百基ニ及ヒ此際全府下ノ家屋ハ総テ煉瓦造ニ改築セラルヘシトノ風説アリシヨリ当業者ハ益多額ノ煉瓦ヲ製出シ隅田川上流ノ沿岸ニ到ル処トシテ煉瓦製造場ナラサルハナシ、然レトモ同八・九年頃ニ至リ家屋改築ノ
 - 第18巻 p.427 -ページ画像 
風説全ク無根ニ帰シタルヲ以テ積年製出ノ煉瓦全ク不用トナリ之カ為メ実業者ノ破産休業スル事多ケレトモ、同十三・四年以後ニ至リテハ稍需用ヲ増加シ再ヒ漸ク盛況ヲ来シタリ、但本品ハ従来専ラ諸官省ノ需用トナリシモ近来ハ民間ニモ其功用ヲ知リテ煉瓦ノ建築ヲ企ル者少カラス、此後モ益其需用ヲ増スヘキ状況アレハ本業ハ将来一層進歩スヘキ見込ナリ、現今府下ニ於テ此製造ニ従事スルモノ合計十六戸此竈数三十三基ナリ、其内訳左ノ如シ

  本所      二戸    南葛飾郡金町  三戸
  石川島     一戸    東京集治監   一戸
  南足立郡小台  一戸    同 宮城    一戸
  同 鹿浜    一戸    北豊島郡岩淵  一戸
  同 神谷    一戸    同 豊島    二戸
  同 船方    二戸

 本品ハ府下ニ於テ十中ノ七八分ヲ消費シ其余ハ横浜及ヒ両総等ニ輸出ス
      統計比較
 明治五年ヨリ同十四年ニ至十ケ年間ノ平均製造高及同十五年ヨリ十七年ニ至ル三ケ年間ノ平均製造高等左ノ如シ

   項目        自明治五年至同十四年 十ケ年平均高  自明治十五年至同十七年 三ケ年平均高
 一ケ年製造見積高              千三百五十万本           千百七十五万本
 職工人員(一日平均使役数)         五百十一人               四百六十人
 賃銀(一日一人ニ付)            十九銭三厘                二十七銭

第六十四瓦製造 維新前夙ニ盛況ヲ呈ハシ、安政年間最盛ノ極ニ及ヒ爾来文久・元治及ヒ慶応初年頃マテハ著シキ盛況ナカリシカ、慶応三・四年ニ至テ大ニ衰兆ヲ来シ、実業者十分ノ八九ハ大抵破産休業ノ不幸ニ陥リ維新後ニ至テハ稍其需用ヲ増シ技倆モ追々上達シテ幾分カ盛運ニ向ヒタレトモ、此際参尾両州ノ製品続々府下ニ入津シテ其製造ヲ妨ケタルカ為メ一時再ヒ衰微ヲ来シタリト雖トモ、明治十四・五年頃ヨリハ更ニ盛況ヲ来シタリ、而シテ本業ハ近来ニ至テ家屋改築又ハ屋上制限ノ発令アリシヲ以テ将来ハ追々進歩スヘキ見込ナリ、現今府下ニ於テ此製造ニ従来スル者合計八十一戸此竈数百五十八基ナリ、其内訳ハ左ノ如シ
  本所    六十四戸    向島須田    二戸
  南足立小台   一戸    同 宮城    二戸
  同 花又    二戸    南葛飾郡柴又  三戸
  同 小岩田   一戸    同 二ノ井   一戸
  同 金町    三戸    小菅集治監   一戸
  荏原郡大森   一戸
 本品ハ府下ニ於テ十分ノ七八ヲ消費シ両総・常・相ノ各地ヘ輸出スルモノ多シト云フ
      統計比較
 維新前後ノ製造高等左ノ如シ
    項目          安政年間    自明治七年至同 十六年十ケ年平均
  一ケ年製造見積高    千二百六十四万枚         七百五十八万枚
 - 第18巻 p.428 -ページ画像 
  職工人員(一日使傭数)   九百四十八人    五百六十九人
  賃銀(一日一人ニ付)    六銭六厘五毛     廿二銭五厘
第六十五セメント製造 明治六年工部省製作寮ニテ工場ヲ府下ニ設ケテ始テ之ヲ製造セラレタルニ其品質精良(舶来品ハ一寸平方三十目ノ篩ヲ用フレトモ内国品ハ一寸平方六十目ノ篩ヲ用フ)ニシテ舶来品ニ劣ラサルヲ以テ内地ノ需用ニ適シ、製造年々盛況ヲ呈ハシタリ、明治十六年四月此工場ヲ民間ニ貸附ケラレシ以後ハ更ニ其製造高ヲ増シ且ツ廉価ニテ之ヲ精製スルニ至レリ、抑「セメント」ハ煉瓦石室ノ築造又ハ鉄道布設等ニ資用スルモノナレハ此後内地ニ於テ此等ノ工業漸次盛ナルニ至ラハ本業モ亦随テ隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ、但本邦製造品ノ価格ハ目下猶ホ舶来品ヨリ低廉ナラサルカ為メ舶来品ヲ資用スル者少カラス、現ニ今日内国資用高ノ十分ノ八ハ内国製ニ係リ十分ノ二ハ舶来品ヲ仰キ未タ全ク其輸入ヲ防クニ至ラスト雖トモ、元来舶来品ハ遠洋航海中粉末飛散シテ原量四百封度ヲ存スルモノ稀ナルノミナラス、又其粉末ニ湿気ヲ含ミテ実際資用ニ適セサルモノ一割以上モコレアリ、之ヲ我国正味四百封度入ノ製品ニ比スレバ損益固ヨリ同日ノ論ニアラス、故ニ我製造人ニシテ今一層廉価ヲ主トシテ之ヲ精製スルニ至ラハ此後本業ノ益盛況ヲ呈ハスニ至ルハ期シ難キ所ニ非ス
 本品ハ府下及各府県ノ官庁ニ於テ多ク之ヲ消費スレトモ民間ノ消費高ハ甚タ僅少ナリト云フ
      統計比較
 明治十五年前ト同十六年四月(工場貸附ノ時)以後トノ製造高等左ノ如シ

    種目            明治十五年前     明治十六年四月後
  一ケ年製造高見積         二百万封度        四百万封度
  職工人員               五十人          三十人
  職工賃銀     一人ニ付 自二十銭至五十銭 上同  自二十銭至五十銭

第六十六瓦斯 明治七年十二月始テ之ヲ製造シタルニ年ヲ逐フテ其製造高ヲ増加シ十三年一月以後ニ至テハ此業最モ振起セリ、抑瓦斯ノ点灯費ヲ以テ石油ニ比スレハ其価素ヨリ不廉ナリト雖トモ其光力ノ透明ナルハ石油及蝋燭ノ遠ク及ハサル所ニシテ、火難ノ危険モ亦少ク灯器取扱及ヒ点火等ノ便利多キカ為メ近来之ヲ施用スル者月々其数ヲ増加セリ、故ニ本業ハ将来益隆盛ニ趨クヘキ見込ナリ
 現今瓦斯線路ニ四線アリ、一ハ芝区金杉橋ヨリ新橋・京橋・日本橋万世橋ヲ経テ上野博物局ニ至ルモノ、一ハ日本橋ヨリ人形町ヲ経テ両国広小路ニ至ルモノ、一ハ本町ヨリ浅草橋ヲ経テ浅草広小路ニ至ルモノ、一ハ新橋ヨリ虎ノ門ヲ経テ永田町ニ至ルモノ是レナリ
      統計比較
 明治八年以後瓦斯製造高・職工人員等左ノ如シ、但瓦斯ノ製造ハ明治七年十二月ノ創始ニ係ルヲ以テ左表明治七年度ノ数ハ総テ後半季分ヲ記シタルモノナリ

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 種目       明治七年度          明治十二年度          明治十六年度 瓦斯製造高    一、七九七、七〇〇立方尺   一一、〇二四、四〇〇立方尺   二〇、七四七、九〇〇立方尺 右金額      六、七四一円三七銭五厘    三五、八二九円三〇銭      六二、二四三円〇七銭  以下p.429 ページ画像  職工       千九百九十三人        五千六百九十人         八千二百六十五人 給料額      七百九十五円四十銭      二千二百四十一円        三千七百六十五円五七銭一厘 一日平均支給額     三十九銭五厘        三十九銭四厘               四十五銭五厘 




 又瓦斯製造ニ支消シタル石炭ノ数量及金額ハ左ノ如シ
 但明治七年度ノ数ハ前表ト同シ

    年度        数量             金額
              噸               円
  明治七年度    二一三・六五一八      二、〇一二・七〇五
  同十二年度  一、五七九・八六六〇     一三、三〇六・四八四
  同十六年度  二、五一五・〇五八〇     一七、三〇四・三一二

第六十七染物染屋職ニ三種アリ、一ヲ仕入染屋ト云フ裏地・中形類ヲ染製スル者是レナリ、一ヲ手拭染屋ト云フ専ラ手拭ノ染製ヲ営ム者是レナリ、一ヲ地細工染屋ト云フ半天其他ノ色上等ヲ業トシ、仕入染屋ノ甚タ小ナル者是レナリ、今各種ニ就テ其盛衰ノ実況ヲ左ニ略記スヘシ
 仕入染維新後幾分カ衰ヘタリ、但木綿類ノ染製高大ニ減少シタリト雖トモ金巾ノ染製高随テ増加シタルカ為メ格別著シキ衰兆ナク又将来モ著シキ盛衰ナキ見込ナリ
 染製品ハ東京ハ勿論奥羽・両野・両総・信州地方ニ於テ消費ス、其他甲州及東海道ヘモ多少輸出スル事アリ、但東海道ハ相州小田原迄ニ限ルト云フ
      統計比較
 維新前後本品染製高等左ノ如シ


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 種目                         維新前                        維新後 戸数                         東京 五〇戸  二〇〇戸               同上 四〇戸  一四〇戸                            近在一五〇戸                     同上一〇〇戸 職工人員                       毎戸四人ノ見積リ八〇〇人               同上 五六〇人 一ケ年染製見積高                   毎戸一日ノ染製百五十反ノ見積 一〇、九五〇、〇〇〇反 同上 七、六六五、〇〇〇反 一反ニ付仕上ゲ賃(手間代・藍代・糊代其他諸費ヲ含ム) 金四銭                        金拾六銭 




手拭染明治五・六年頃ヨリ大坂染流行シタルカ為メ大ニ衰兆ヲ来シタリ、蓋シ東京ニテ手拭ニ形ヲ附ルニハ餅米ヲ石灰ニ混和シテ之ヲ用フレトモ大坂ニテハ餅米ニ代ヘテ赤土ヲ用フルカ故ニ、大坂ノ染価低廉(東京ノ染価ヲ大坂ニ比スルニ其割合一ト一半ナリ)ニシテ東京ノ染製遂ニ此ト競争スル能ハサルニ至レリ、然レトモ大坂ノ染製品ハ其見場甚タ宜シキモ品質輭弱ニシテ持久ニ適セス、現ニ世人モ稍之ヲ嫌フ程ナレバ此後ハ追々東京地染ノ方流行スヘキ見込ナリ本品ノ消費地方ハ仕入染ト同シ
      統計比較
 維新前後本品染製高等左ノ如シ


図表を画像で表示統計比較

 種目                         維新前                      維新後 戸数                         東京 一七戸                   同上 一〇戸 職工人員                       毎戸四人ノ見積リ六八人              毎戸二人ノ見積リ二〇人 一ケ年染製見積高                   毎戸一日ノ染製五百反ノ見積リ三、一〇二、五〇〇反 毎戸一日ノ染製五十反ノ見積リ一八二、五〇〇反 一反ニ付仕上ゲ賃(手間代・藍代・糊代其他諸費ヲ合ス) 金二銭                      金五銭 


 地細工染現今府下ノ戸数凡二百戸アレトモ其営業ノ規模狭小ニシテ職人ヲ傭使スル者多カラス、随テ職工ノ現員及染製高等調査シ難
 - 第18巻 p.430 -ページ画像 
キカ為メ之ヲ略ス
第六十八蝋燭製造 維新後洋灯・瓦斯等ノ流行ニ由テ其需用ノ幾分ヲ減シタルカ如クナレトモ、近来宴会等ノ場所ニハ球灯ヲ掲ケテ蝋燭ヲ用フル事ノ多キカ為メ其製造高ハ維新後ニ至リ却テ増加シタリ、然レトモ此後ハ便利ナル瓦斯等ノ流行スルニ随ヒ漸次衰退スヘキ見込ナリ
      統計比較
 維新前後ノ製造高及ヒ賃銀等左ノ如シ、但職工ノ現員ハ大約千人位ナリト云フ

   種目          維新前      維新後
  一ケ年製造見積高   凡 百万円   凡 二百万円
  賃銀(一日一人ニ付) 金二十五銭     金五十銭

第六十九菓子製造 維新前ニハ黒砂糖製ノ下等品多ク製法甚タ粗雑ニシテ製造高モ多カラサリシカ、其後ニ至テハ大賈ハ勿論雑菓子屋モ亦専ラ舶来上等砂糖又和三盆ヲ用ヒ相競フテ精品ヲ製スレハ其製法自然精巧ヲ極メ製造高モ大ニ増加セリ、此ノ如キ実況ナルカ故ニ此後ハ益隆盛ニ趨クヘ見込ナリ
      統計比較
 維新前後ノ製造高及ヒ賃銀等左ノ如シ、但職工ハ現今三千人位ナリト云フ

   種目          維新前      維新後
  一ケ年製造見積高   凡三百六十万円   凡七百二十万円
  賃銀(一日一人ニ付) 金二十五銭     金五十銭

第七十機械製氷 明治十六年東京製氷会社ニテ横浜在留「カルロル」商会ノ装置セル製氷機械ヲ買受ケ始テ之ヲ製シタルカ、初時製出ノ分ハ氷質精良ナルモ機械ノ装置未タ完カラサルカ為メ全体ニ白色ヲ帯ヒ消費者ノ品評宜シカラス価格モ亦随テ低下セリ、然レトモ本年ニ至テハ機械ニ多少ノ改良ヲ加ヘ透明ナル堅氷ヲ製出シ稍一般ノ好評ヲ受クルニ至レリ、但近来府下ニ於テ天然氷ヲ賤売スルモノアルカ故ニ本品ノ販路未タ十分ニ拡張セサレトモ、此後智巧進歩シテ人造氷ノ衛生上ニ効能アルヲ知ルニ至ラハ本業ハ益盛況ヲ来スヘキ見込ナリ
 明治十七年本品ノ製造高ハ百三十万八千三百九十斤此金四千六百八十二円七銭一厘ナリナリシカ本年ハ百三十二万六千三百九十斤此売上金未タ詳カナサレトモ蓋シ前年ヨリハ幾分カ増加シタリニ増加シ、而シテ職工賃銀ハ一日一人ニ付十七年ハ四十五銭本年ハ三十五銭ノ割合ナリト云フ
 本品ハ専ラ府下ニ於テ之ヲ消費ス
 附本年府下各氷室ノ貯蔵高ハ函館氷凡千五百噸、野州氷凡五百噸、玉川氷凡五百五十噸ニシテ此外埼玉及ヒ近在ヨリモ多少輸入アリシ
第七十一釣竿維新前ハ此工業微々トシテ振ハス一ケ年ノ製造高大約五千四百本位ニシテ明治四年頃マテハ略ホ同然ノ景況ナリシカ、五年以後ハ追々盛況ヲ呈ハシ其後洋杖《ステツキ》ニ釣竿ヲ仕込ミタル軽便ノ新製アリシヨリ大ニ外国人ノ需用ヲ喚起シ、英国又ハ米国ヘ年々許多ノ輸出アリ十五年ニ至テ殆ト最盛ノ極ニ達シタリ、然レトモ此釣竿ハ
 - 第18巻 p.431 -ページ画像 
実際之ヲ用フルニ当テ種々ノ不便アルカ為メ追々其需用ヲ減シ、昨今著シキ衰兆ヲ来シタリ、但此後多少ノ改良ヲ加ヘナハ再ヒ盛況ヲ来スヘキ見込ナリ
 本品ハ千葉・茨城・群馬・長野・埼玉・福島・宮城・静岡・新潟・神奈川・山梨ノ諸県ヘ輸出シ、而シテ米国及ヒ英国ヘモ多ク之ヲ輸出スト云フ
      統計比較
 維新前後ノ製造高・職工賃銀等左ノ如シ

          維新前    明治十五年頃    同十七年頃
  一ケ年製造高 五千四百本 外国向二十八万八千本 同上 十八万本
               内地向五万七千六百本 同上八千四百本
  同 金額   二千四百円 外国向  一万二千円 同上  六千円
               内地向  二千四百円 同上二千四百円
  職工人員    十五六名 外国向    凡百名 同上 凡三十名
               内地向   凡十五名 同上 凡十五名
            上等 三十三銭  上等  七十銭 極上等 六十銭
  賃銀(一日一人ニ付)                  上等 三十銭
            下等 十二銭五厘 下等  三十銭  中等 二十銭
                              下等  十銭

 釣針・浮木・鉛錘《ヲモリ》ノ現況ニ就テ聊調査スル所アレバ、左ニ之ヲ附記ス
 但維新前後盛衰ノ実況ハ詳カナラサルヲ以テ比較スルヲ得ス

        一ケ年製造高         相場   職工人員 賃銀(一日一人ニ付)
                              人
 釣針 七、二〇〇、〇〇〇個  (百個ニ付) 自十銭   二〇   上等 二〇
                       至廿銭        下等 一〇
 浮木   七二〇、〇〇〇個  (百個ニ付) 自十五銭  一五   上等 二〇
                       至八十銭       下等 一五
 鉛錘    四、八〇〇貫目  (一貫目ニ付)自七十五銭  二   平均 二〇
                       至一円


東京商工会議事要件録 第一七号・第六―二三頁 明治一九年三月二〇日刊(DK180036k-0015)
第18巻 p.431-432 ページ画像

東京商工会議事要件録  第一七号・第六―二三頁 明治一九年三月二〇日刊
  第九定式会
         (明治十九年二月廿八日午後四時開会)
  第十六臨時会
    会員出席スル者 ○六十六名
○上略
次ニ会長(渋沢栄一)ハ規程第五章第廿二条ニヨリ明治十八年下半季定式事務ノ成跡ヲ報告ス
  自明治十八年七月至同年十二月 半季間事務報告
○中略
    雑事    八件
○中略
○工況調査ノ件
 本件ハ前季既ニ報告シタルガ如ク去ル明治十七年八月二十六日附ヲ以テ農商務卿閣下ヨリ下問セラレタルモノニシテ、同年九月廿二日第七臨時会ニ於テ之ヲ審議シタルニ例ニ依テ委員ヲ撰定シテ考案ヲ立テシムベシト云フニ決シ、即チ会長ハ五名ノ委員ヲ指名シタルニヨリ此等ノ委員ハ同年十月三日集会ヲ開テ其取調手続ヲ審議シ、爾来府下重要ノ工業凡百余種ニ就キ逸々其実況ヲ調査シタルニ其景況区々ニシテ何分御諮問ノ要目ニ応シ之ヲ分類統説シ難キニ付、不得已其儘之ヲ纂集シテ明治十八年十月二十九日附ヲ以テ之ヲ農商務卿閣下ヘ復申シタリ
 - 第18巻 p.432 -ページ画像 
○下略