デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
2款 東京商工会
■綱文

第19巻 p.223-233(DK190036k) ページ画像

明治23年2月26日(1890年)

是日芝公園紅葉館ニ於テ当会会員懇親会開カル。席上来賓佐野常民印度貿易ニ関シ演説シ、栄一答辞ヲ述ブ。


■資料

東京商工会議事要件録 第四三号・第二九―五一頁 (明治二三年四月)刊(DK190036k-0001)
第19巻 p.223-233 ページ画像

東京商工会議事要件録  第四三号・第二九―五一頁 (明治二三年四月)刊
 ○参考部
(第四号)
    ○第七次 東京商工会々員懇親会記事
明治二十三年二月二十六日定式会ヲ終ルノ後本会々員第七次懇親会ヲ芝公園紅葉館ニ於テ開ク、当日出席ノ会員ハ左ノ如シ
  高木要蔵      阿部泰蔵      梅浦精一
  林賢徳       前川忠七      辻粲吉
  神崎三郎兵衛    岩橋静彦      永井松右衛門
  益田克徳      伊藤幹一      桑原七兵衛
  梅岡正吉      大倉喜八郎     小林謙三
  笠井鉦太郎     岩出惣兵衛     丹羽雄九郎
  木村嘉兵衛     平山宗兵衛     渋沢栄一
  山中隣之助     石井由之助     吉田幸作
  森嶋松兵衛     田中佐次兵衛    若松源八
  吉川泰二郎     石井安之助     浅野惣一郎
  若林清茂      松尾儀助      米林乾吉
  串田孫三郎     渡部温       奥三郎兵衛
  谷敬三       牧原仁兵衛     益田孝
  山口豊助      酒井泰       金子茂兵衛
  笹瀬元明      新井平吉      南川福蔵
  田中半兵衛     矢嶋作郎
又当日招請ニ応ジテ臨場セラレタル来賓ハ左ノ如シ
          外務大臣     子爵 青木周蔵
          内務次官        芳川顕正
          帝国大学総長      渡部洪基《(渡辺洪基)》
          農商務商務局長     斎藤修一郎
          高等商業学校長     矢野次郎
          逓信管船局次長     中村孟
          外務書記官       佐野常樹
          高等商業学校幹事    森嶋修太郎
          東京府農商課長     金田敬親
左ノ諸君ハ招請スト雖トモ差支アリテ臨場セラレザリキ
 - 第19巻 p.224 -ページ画像 
            外務省
          次官       子爵 岡部長職
          通商局長        河上謹一
            内務省
          大臣       伯爵 山県有朋
            大蔵省
          大臣       伯爵 松方正義
          次官          渡辺国武
          銀行局長        田尻稲次郎
            文部省
          大臣       子爵 榎本武揚
          次官          辻新次
            農商務省
          大臣          岩村通俊
          次官          前田正名
            逓信省
          大臣       伯爵 後藤象二郎
          次官          前嶋密
            警視庁
          総監       子爵 田中光顕
            北海道庁
          理事官         佐藤秀顕
            東京府
          知事       男爵 高崎五六
          書記官         銀林綱男
          同           渡辺孝
            東京職工学校
          校長          正木退蔵
            工手学校
          校長          中村貞吉
            東京府会
          議長          芳野世経
          副議長         田口卯吉
            東京市会
          議長          楠本正隆
当日晴天午後六時ヨリ会員続々来集シ来賓モ追々臨場セラル、午後六時二十分会頭(渋沢栄一)ハ賓主一同ヲ会場ヘ招引シ、先ヅ会員ヲ来賓ニ紹介ス、終リテ来賓佐野常樹君ハ会頭(渋沢栄一)ノ請求ニヨリ印度ノ貿易ニ就キ、左ノ如ク演説セラル
 私ハ今印度ノ外国貿易ノ有様ニ就キマシテ聊カ観ル処ヲ申シ上ゲ度イト存ジマスガ、併シ私ハ御承知ノ通リ僅ニ一二ケ月彼ノ地ニ滞在致シタニ過ギナイカラ、決シテ其間ニ外国貿易ノ事ヲ穿鑿シ尽シタト云フコトハ申シ上ゲラレマセン、好シ私ガ穿鑿シ尽シタニセヨ此ノ宴会ノ席上ニ於テ是レヲ述ベ悉ス事ハ出来マセンガ、唯一斑ヲ挙
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ゲテ清聴ヲ煩ハシ度イノデアリマス
 扨テ印度ノ外国貿易ヲ開キマシタノハ何レノ時ニ始マリタルカト云フ事ハ漠トシテ稽フ可カラザル事デ御坐イマス、併シナガラ数百千年前ニ超《(起)》ツタト云フ事ハ今日歴史学者ノ普ク認メテ居ル事デ御坐イマス、其レ故ニ引続キマシテ泰西ノ人ハ印度ノ貿易ニ垂涎シタト云フ事ハ歴々史籍ニ徴スル事ガ出来マス
 彼ノ今日最モ日進ヲ以テ名ノ有ル亜米利加ヲ発見シタト云フモ、畢竟印度ノ富ヲ受ケ様ト云フ考ヘヨリシテ玆ニ至ツタノデ、即チコロンブスヲシテ斯ノ如キ企ヲ為サシタノモ印度ノ貿易デアツタノデ御坐イマス又タダガマーヲシテ東西両洋ノ航路ヲ開カセマシタノモ亦印度ノ富デ有リマス、斯ノ如ク古ヘヨリ引続キテ泰西ノ人ガ引キモキラズニ印度ノ国ヲ愛恋致シマシタ有様ハ恰モ深窓ニ養ハルヽ阿嬢ニ多情ノ人ガ之ヲ慕ヒマシタノト同ジ様デアツタカト想像致シマス斯ク泰西ノ人ノ恋々致シマスノハ何故カト云フニ、畢竟印度ニハ金銀・財宝・絹織物及綿織物・其外香料・顔料等ノ沢山有ルト云フ想見、即チ考ヘヨリシテ来ツタモノト見ヘル、故ニ当時ニ於テ印度ノ輸出品ノ中ノ重ナル物ハ右様ノ珍シキ貴キ処ノ品物ニ限ツテアツタノデ御坐イマス
 トコロデ、此ノ夥多ノ泰西人ガ情ヲ印度ニ通ゼン事ヲ求メマシタ暁キ終ニ印度ハ英国人ニ嫁付ク事ニナリマシテ、其ノ後チ英国人ノ力ヲ以テ印度ノ真ノ富源ハ兼テ泰西人ノ望ミマシタ如クニ金銀・財宝香料・顔料或ハ絹ノ縫箔、若クハ木綿ノ織物等ニ非ズシテ泰西人ノ日常飲食ノ料ニスル物及ヒ製造ノ原料トスル物ナル事ヲ発見シ、尋デ今日ノ貿易ハ昔時トハ趣キヲ異ニシマシタ
 今日印度ノ貿易ガドレ丈ケニ進ンデ居ルカト云フコトハ(誠ニ御聞キニクイ事デハ御坐イマセウガ、止ムヲ得ズ数字ニ拠ラナケレバナランガ)先ヅ其ノ数字ヲ挙グレバ昨年即チ千八百八十八年ヨリ九年ニ至ル一ケ年間ニ、印度ヨリ輸出致シマシタ総テノ商品並ビニ金銀貨幣等合セタル金高ハ九億八千六百八拾壱万六千六百八拾四ルーピーニシテ、印度ニ這入ツタ物ガ八億〇四百拾五万二千七百八拾ルーピーデアリマス、之ヲ通計シテ拾七億九千〇九拾六万九千四百六拾四ルーピーノ貿易高ニナリマス、而シテ是ハ唯今申ス通リ商品並ビニ金銀貨幣ノ輸出ヲ併算シタ高デ、其中商品ノミノ輸出入ニ就テ比較スレバ印度ニ輸入シタモノト輸出シタ物トノ差額ハ二億六千七拾二万四千百六十五ルーピート云フモノデ、即チ印度カラ出シタ商品ノ超過デ有リマス
 斯クノ如クニ二億六千万以上ノ差額ハ有ルガ扨之ヲ支払フニ就テハ如何ニト云フニ、先ヅ第一ニ英国政府ニ印度ヨリシテ払ヒマスル金デ御坐イマス、其レハドウ云フ事カト申シマスルト文武一切ノ事務費(是ハ印度ノ人民ニ取リマシテ頗ル慷慨シテ居ル事デアツテ、啻ニ印度ノ国ニアツテ取リ扱フ処ノ事務ニ就テ払フノミナラズ、本国ニ於テ取リ扱フ処ノ事務費モ印度カラ払フノデアリマス)次ニ又陸海軍ノ経費デ御坐イマス、即チ現ニ印度ニ在ル陸海軍ノ武官ノ給料恩給等ノミナラズ、曾テ印度ニ従事シタル武官ノ恩給ヲモ印度カラ
 - 第19巻 p.226 -ページ画像 
払フノデアリマス、如斯印度ノ政務ニ関シタ事ニ就テ印度カラ払フ金高ハ少クハアリマセン、之ニ加フルニ印度政府ニ於テ鉄道ヲ造リ運河ヲ開キマシタル等ノ為メニ英国ニ募ツタ処ノ公債ニ対シテ支払フ処ノモノガアル、其レ等ノ事柄ニ対シテ政府カラ払フ処ノモノ、又其外人民ノ商売上カラ英国ニ払フ処ノ金モ政府ヨリ払フ処ト同ジク巨額ニ登ツテ居ル、去レバ印度ノ貿易ハ輸出入ノ点カラ云ヘバ即チ非常ノ勝ニナツテ居リマスガ、尚ホ右ノ貨物ノ輸出入ハ一切英国ノ船舶ニ依テ居リマス、即チ其船舶ニ対シテ払フ処ノ運賃又タ英国人ノ印度ニ於テ経営スル事業ニ依リ起ル処ノ利益、其ノ他文武官ノ印度ニ於テ得タル処ノ貯蓄金ヲ英国ニ送リマス金高(序ニ申シマスガ印度ニ於テ官務ニ従事スル者ノ給料ハ本国ノ人ニ比スレバ生活ノ廉ナルニモ拘ラズ非常ニ高イノデ御坐イマス)随テ英国文武官ノ金ヲ得マシテ本国ニ廻ス処ノモノハ少ナカラヌ事ト存ジマス
 斯クノ如ク公私ニ送ル金ガ有リマスカラ、是等ハ総テ夫々ノ手ヲ経テ差引ヲシマス、其レノミナラズ殊ニ大ヒナル差引ガアルト云フハ何ニカナレバ英国人ガ印度ニ来ツテ貿易ヲスル(追々後ニ申シ上ゲマスガ)印度ト支那ノ貿易ハ存外大ナルモノデスガ、常ニ印度ハ支那ニ向ツテ品ヲ送リ金ヲ取ルベキ方デアル、然ルニ支那ノ英国カラ金ヲ貰フ訳ニナツテ居ルカラ、ソコデ三国平均シテ支那ガ英国カラシテ取ルベキ金ハ印度ニ這入ツテ印度ガ支那カラ取ルベキ金ト差引キ精算スルト云フ如キ有様ニナツテ居リマス
 斯クノ如ク二ツノ方法ニ依リマシテ、貿易差額ノ多分ハ打チ消サレテ居ル、併シ尚ホ英国ヨリシテ印度ニ払フ処ノ金ハ大ヒナルモノデ御坐イマス(ト申シテモ英国許リデハナイ其外ノ国モ含ンデ居ル)即チ昨年印度ニ這入リマシタル処ノ貨幣ノ高ハ壱億三千八百四拾四万九千五百九拾九ルーピーニシテ其出デタルモノハ壱千七百〇三万四千九百六拾九ルーピーニ過ギマセン、斯ノ如キ貿易ノ有様ハ決シテ昨年ノミナラズ数十年来引続キタル事ニシテ其総計ヲ挙ゲマシタラ何程ニ登ルカ計リ知レナイガ、試ニ一千八百五十九乃至六十年ニ先キ立ツ二十五年間ニ這入リマシタル金銀貨ト五十九乃至六十年ヨリ八十八乃至九年ニ至ル三十年前後并セテ五十五年間ニ於テ印度ニ這入リマシタ貨幣ヲ総計スルニ、四拾四億二千万ルーピー以上ニナリマス
 斯クノ如ク沢山ノ正貨ガ印度ニ這入ツテ其ノ後チ如何ニナツテ居ルカト云フ事ハ誰シモ起ル問題デ御坐イマス、其問題ニ対シテハ実ニ印度ノ経済上誠ニ憫レダト云フ事ヲ申シ上ゲナケレバナラナイ、其レハ何ニカト云フニ是丈ケノ金ヲ未ダ充分ニ利用スルト云フ事ガ出来ナイ、御承知ノ通リ印度ノ歴史ニ徴シマスレバ財産ノ不安全ナル事ハ東洋一般ノ有様トハ云ヒナガラ、殊更印度ニハ不安全ノ事ガ甚ダシクアツタト思ハレル、随テ又タ大ヒナル富ハ万一ノ事ガアツテモ人ニ侵サレン事ヲ汲々トシテ恐レテ居ル故ニ、斯ク迄ニ大ヒナル富モ実ニ死ンデ居ルノデアリマス、或ハ耳ノ飾トナリ足ノ飾トナリ手ノ飾トナリ、イザト云ハヾ自分ハ身躰ト共ニ背負ツテ逃ルト云フ様ニ自分一身ノ身躰ニ纏メ、或ハ地下ニ埋メ或ハ山中ニ隠スト云フ
 - 第19巻 p.227 -ページ画像 
様ナ有様デアル、尤モ貨幣トナツテ商売上ニ働キヲナス事モ無イデハナイガ全躰ノ割合ヨリ云ヘバ少キ方デアロウト存シマス、左様スレバ此ノ印度ニ死ンデ居ル金ノ高ト云フモノハ沢山デアルト云フ事ハ御考ヘニナリマセウ、若シ此大層ノ富ガ働キ出シマシタナレバドウナルカト云フ事ハ又タ我々ノ考ヘナケレハナラヌ事ダカ先ヅ今日ノ処デハ相替ラズニ人ノ身躰ニ固着シ、或ハ地下或ハ山中ニ隠在シテ遽ニ働キ出サウトモ思ハレマセン
 印度ノ海外輸出入ノ有様ハ大要右ノ如クデアツテ、此ノ貿易カ何レノ土地デ行ナハレ、又タ何レノ国ト行ハレ又タ何レノ人ガ行フト云フ事ハ随テ攻究センケレバナラヌ事タガ、御承知ノ通リ印度ト云フ国ハ殆ンド我ガ国ニ十倍スル程ノ境土デアツテ、随テ又タ海ニ面スル処ノ地モ甚ダ広ヒ事デ御坐イマスガ、外国ト貿易ニ適当シテ居ル港ハ至ツテ少ク、指ヲ屈スレバ僅ニ五六ケ所ニ過ギマセン、中ニ就テ最モ盛ンナルハボンベー・カルカツタノ二港ニシテ、続イテマトラス・ラングーン・カラチー等ノ五ケ所ニ過キナイ、右等ノ諸港ニ於ケル貿易ノ割合ハ如何ト云フニ貨幣ト商品ト合セ算スレバボンベーハ四十四・〇三、カルカツタハ三十五・六、ラングーンハ五・二マドラスハ五・三、カラチーハ四・二六ヲ占メ居ルデ御坐イマス
 要スルニ今日ノ処デハボンベーガ貿易ノ第一位ヲ占メテ居ルガ、何故ニボンベーハ斯クノ如ク盛ンデアルカト云フニ、別段江海舟楫ノ便利ガアルデハナイガ最モ欧羅巴ニ近ク、且ツ他ノ諸港ニ比スレバ停泊ニ便ナルト特ニ商売上ニ練達シタ人種ノ此ニ居ル事ガ原因デハナイカト思ハレマス、随テ今日デハ鉄道モ概シテボンベーニ向ツテ集ルト云フ有様デスカラ、ボンベーノ商業ハ益々盛ンニナリマス、殊ニ我ガ国ト交易ノ密ナル綿又タ其レヨリ生ジタ処ノ糸ハ総テボンベー一手ニ之ヲ占メテ居ルト云テモ宜シヒ位デス、去レバ我国トノ関係ハ一ニボンベーナリト云フテモ不可ナシト思フ、里程上カラ云ヘバカルカツタノ方ガ近キノミナラズ、カルカツタハ政府ノ首都ニシテ、且ツ久シク商売ノ養ハレタル地デアルガ、我ガ国トノ関係ハ甚ダ多カラズト存ジマス、右諸港ニ於ケル八十三乃至四年ヨリ八十八乃至九年ニ至ル六年間ノ貿易増進ノ跡ヲ稽フレバ大略ボンベーハ二二・六ヲ増シ、カルカツタハ八・六、ラングーンハ一九・二マドラスハ一八・八、カラチーハ四六・一ヲ増シタリ、但シカラチーハ非常ノ増加ヲ為シタレトモ絶テ我国ニ関係ナイト存ジマス
 更ニ進ンデドノ国ト印度ガ専ラ貿易ヲ為スヤヲ尋ヌルニ、全貿易額ノ五十四ポルセント八九許リハ英国トノ関係ニ係リ、其レニ続クハ支那デアル、斯ク順序ヨリ云ヘバ支那ハ直チニ英国ニ次クモ、其実貿易ノ高ヲ比スレバ大ニ懸隔ノ在ル事ニテ、只今申ス通リ英国トノ貿易ハ殆ド全貿易ノ半額以上、即チ五割四分以上デアルガ、支那ト印度トノ貿易ハ僅ニ一割計リニ過ギナイノデアリマス、其中ニ於テモ香港トノ関係ガ最モ多クシテ其他ノ開港地トノ貿易高ハ僅ニ百分ノ二・六四ニ過キマセン、尋デ関係ノ厚薄ニ由リ順次ヲ立ツレバ仏蘭西海峡殖民地・米国・伊太利・墺地利・エジプト・錫蘭等ノ国々テアリテ、五分ヨリ一分余ノ割合ニ居ル、我ガ日本ノ如キハドレ丈
 - 第19巻 p.228 -ページ画像 
ケノ割合ヲ占ムルト云ヘハ僅カニコンマ以下五九ニ出デマセン、去リナガラ我ガ国ハ近来非常ニ進歩シテ爰ニ至ツタノデ遂ニハ此ノ割合ニハ止マラズシテ或ハ支那ト同ジ様ナ高ニ至ランカト恐レマス
 ナゼ私ガ「恐ル」ト云フカナレバ若シ真ニ輸出入ノ貿易ガ互ニ平均シテ行ハレルト云フ有様ナレバ愈々賀スベキ事デアルガ、彼ヨリ我ニ貰フ物ハ何ンデアルカ其ノ貰フベキ物ハ即チ綿花・綿糸等ニシテ是等ノ物ガ陸続入リ来ルハ余リ喜ハシキ事デハナイ歟ト思レマス
 右ノ外国貿易ハ如何ナル人ガ取リ扱ツテ居ルカト云フ事ニ推シ移ツランニ内国ニ於テノ一番ノ商売ハ総テ土人ノ手ニアルト云フ事ハ事新ラシク申シ上ゲルマデモ御座イマセン、随テ又開港場ニ於テモ輸出スルト云フ一事ニ至テコソ外国人ノ手ニ御坐イマセウガ、其ノ手ニ移ルマデノ事ハ一切土人ノ経営ニ属シテ居リマス、殊ニ此印度人ノ商売上ニ達シテ居ルト云フ事ハ敢テ今日ニ始マラン事デ印度人ノ商売上ニ爽快活溌デアルト云フ事ハ諸人ノ普ク認メテ居ル事ノ様ニ思フ、其ノ中デモ殊ニ貿易上最モ力ノアルノハ夫々ノ種類ノ別ニ限テアルノデ、御承知デモ御坐イマセウガ印度ニハ一種特別ノ慣習ガアル、其レハ人民ト人民ノ間ニ種族ノ別ノ盛ンナル事デアツテ、其種族ノ別ノアル事ハ起原ヨリシテ御話スレバ余リ長キニ失スルノ恐ヲ免レマセヌ、故ニ其大躰ヲ申セバ、始メアリアン人即チ今日印度ノ多数ヲ占メテ居ル人種ガ此国ニ侵入シタ時分ニ、在来印度ニ居タ人ト区別スル為メニ造リ為シタ様ニ思フ、其時ニアリアン人種ノ中ヲ二ツニ別ツテ其中ノ一種ヲ農工商ヲ為スモノト定メ、各其業ヲ限レル事恰モ我国ノ士農工商ノ如ク、商ノ子ハ子々孫々商デアツテ其人ノ家系デナケレバ商ヲシテハナラナイト云フ様デアツタ、併シ今日デハ必ズシモ前ニ商売ヲ為シタ人ノ子孫ガ商売ヲスルト云フノデハナイ、他ノ種類ノ人モ亦商売ヲスル事ニハナツテ居リマスガ矢張リ商売ヲスベキ人ハ夫々一ツノ区別ヲ為シテ居リマス(他ノ種類モ是ト同様デアル)斯ノ如ク先ヅ業ニ依テ区別ガ出来テ居ル(業ニ依テ区別スル許リデナク、外ニ区別スル理由ハアルガ只今ハ唯ダ簡単ニ商売上丈ケデ御話ヲ仕リマス、故ニ商売ノ種類ニ依テ一種ノ区別ガアルト云フ丈ケニ致シテ置キマス)右様ノ種類ノ別ガ各地ニ御坐イマスガ、併シナガラ是ハ一人種デハナイ、又一ツ国ノ言葉ヲ用ユルノデモナク種々違ツテ居リマスガ、斯クテ商売ヲ為ス人ハ先ヅ一般ニ商業ヲ勉強スル如クデアツテ、随テボンベー地方ニ在ル人ハ所謂パーレーデアツテ、即チ印度人種中最モ智識ニ富ミ、才力ニ長ケ随テ商売上ニモ勢力アル処ノ人種デ御坐イマス、此人種ハ啻ニ欧羅巴人ノ踵ニ接スルノミナラズ、場合ニ依テハ欧羅巴人モ亦之ニ譲ラナケレバナラヌト云フマデニ進ンデ居リマス、殊ニ木綿ノ商売ニ於テハ欧羅巴人ヲ凌駕スルト云フマデニ進ンデ居ルト思フ、其外バニアントカ、チヽートカ云フガ如キ種類ガ各地ニ在リマスガ、右申シタ通リ孰レモ永年ノ実験ヲ経テ支那人モ殊ニ譲ルホドノ敏捷ナ腕前ヲ持テ居リマス、既ニ私ガ聞キマシタル言葉ニ「三人ノ猶太人ガ集ツテ漸ク一人ノ支那人ニ当ル事ガ出来、支那人ガ三人集ツテ漸ク一人ノバニアン人ニ当ル事ガ出来ル」ト云フ事ガアル、其ノ言葉ニ依
 - 第19巻 p.229 -ページ画像 
テ見マシテモ商売上ニテハ支那人モ一歩ヲ譲ラナケレバナラント云フ程ノ恐ルベキ種類デ御坐イマス
 故ニ海外ニ物ヲ送リ出シ又物ヲ海外カラ入レルト云フ事ノ力ハ及ビマセンガ、印度ノ土上ニ這入ツタ物ハ土人ノ手ヲ経ナケレハ消費者ヘ移ラヌト云フ程ノ事デアルカラ、況ンヤ印度ヨリ出ル物ハ皆土人ノ手ヲ経ナケレバ港ニ集テ海外ニ出ス事ハ出来ナイノデ有リマス
 更ニ進ンデ印度ノ海外貿易ニ供スル品物ニ就テ御話シ致シマセウ、併シ其前ニ一言シナケレバナラナイノハ印度ハ概シテ申セバ全クノ農国ナリト云フノ一事ニシテ、凡印度ヨリ外国ニ出ス処ノ品物ハ最初申シマシタ通リ大層ノ金高ニ登リマスガ、其ハ僅ニ紡績糸ト麻ノ袋ヲ除クノ外ハ全ク農産デ御坐イマス、故ニ一躰ニ農業ノ進ンデ居ル事ハ此旅行者(自カラヲ指ス)ノ大ニ驚キマシタ事デ私ガ印度ニ旅行致シマシタル里数ハ殆ド五千哩内外デアルガ、其属目スル処何レモ鍬ヲ加ヘナイ処ハナク、僅ニ西ノ方ニテハ原野モ見シガ其外ハ総テ開墾シテアルト云フモ差支ヘナイ程デアリマス、又之ヲ或ル書面ニ徴スルニ(此書面ハ未ダ不充分ノ処ガ有ル様ニ思ヒマスカラ其御積リデ御聞キヲ願ヒマス)ボンベー州ニ於テ利用スベキ土地ニシテ未ダ利用セザルモノハ僅ニ十中ノ八ニ過ギズ、又英領印度全国ノ調ベニ依レバ耕作スベキ土地ニシテ未ダ耕作ヲ加ヘザルモノ僅ニ百分ノ二十二ノミナリト云フ、尤モ是ハ測量未済ノ土地ヲ除キ唯概算ニ過ギナイ事デ本統デハアルマイト思ヒマスガ、併シ斯ノ如キ広大ナル土地ガ多分ハ利用サレテ居ルト云フ事ハ御解リデアリマセウ、其ノ土地ノ開ケマシタ事ハ色々止ムヲ得ナイ事情モアリマセウガ、今夕ハ一々申シ上ゲ尽スノ遑ナケレバ印度ノ農事ハ斯ノ如クニ進ンデ居ルト云フ丈ケニ止メマス、随テ印度ノ今日外国貿易ニ供スル処ノ物ハ総テ農産物デアリマス、ソコデ其中何ガ一番ノ金高ヲ占メテ居ルカト云フト棉花ニシテ、続イテ阿片・種物・麻・米麦・綿糸・茶・革類・藍・麻ノ製造品・珈琲・羊毛等ノモノデアリマス
 右第一ノ地位ヲ占メテ居ル棉花ハ最モ我国トノ関係ノ大ナル物デアリマスカラ先ヅ此事ニ就テ一ト通リ御話シ致シマセウ、元来木綿ノ貿易ト申シマスモノモ盛ンニ今日ノ度合マデニ進ンダト云フノハ全ク近来ノ事デ、以前ハ初メ申シタ通リ木綿ノ織物コソ印度ノ重要品トシテ外国ヨリ垂涎シタノデアツタガ、純粋ナル棉花ガ貿易品トナツタト云フ事ハ余リ久シクナイ事デアリマス、扨此ノ木綿ノ最モ世人ニ注目サレルニ至ツタノハ多分亜米利加南北戦争ノ影響ニ由ルモノニテ(尤モ其前ヨリ棉花ノ貿易ガアツタニ違ヒナイガ)当時英国木綿ノ需要誠ニ急ニ迫リ随テ其輸出ヲ促シタモノト見ヘル、其後一浮一沈多少ノ変動モアリマシヨガ近来其輸出復タ漸ク増加シ、輸出品ノ第一位ヲ占ムルニ至リマシタ
 扨印度ノ綿ハ何レノ地方ヨリ重モニ出ルカト云フニ、全国中多少之ヲ産出シナイ所ハナイガ、主トシテボンベー並ニボンベーニ接近スル中央ノ土地ニ在ルノデ御坐イマス、而シテ其面積ハ何程ナルカト云フニ其レハ甚ダ不確カノ事デアツテ政府ニ於テモ頻リニ是等ノ事ニ注意シテ居ル様デスガ、尚ホ其統計ハ甚ダ不完全ノ様ニ考ヘラレ
 - 第19巻 p.230 -ページ画像 
ル、併シ先ヅ其統計ニ拠レバ凡千四百万ヱークルト云フ事デアル、又近来其事ニ明カナル人ノ調査ニ拠レバ政府ノ調ベヨリモ其面積ハ尚ホ増シテ居ルト云フ事デアル、斯ノ如キ宴会ノ席ニ於テ計数ヲ申スノハ冷淡ニ過ギマスカラ大略ニ止メマス
 次ニ又綿ノ出来高デ御坐イマスガ、是モ其統計ヲ挙グル事ハ一層難イデ御坐イマス、今日ノ調査ニ拠レバ八百五拾五万若クハ九百万ホンドレツトウヰートノ間ニ在ルト云フ事ダガ此等ノ詳細ハ此ニ略シマセウ
 棉花ハ貿易ノ高ニ於テコソ大ヒナル額ヲ為スケレトモ、印度全体ノ経済上カラ云ヘバ数等降ル事ニテ、他ノ耕作物即チ米麦或ハ其他黍豆類等ハ耕作ノ多分ヲ占メ居リマス
 綿ガ海外ニ出マスルノハ前ニ申シタ通リ土人ノ手ヲ経ル事ハ勿論デアリマシテ、啻ニ綿ノミデナク外ノ産物モ同様ノ有様ヲ呈シテ居ルカラ一言致シマスガ、凡ソ耕作ノ資本ハ債主ヨリ貸付ケ其作物ヲ抵当ニ引受クル事通常多ク見ル処ニシテ、未ダ収穫ニ至ラザルノ前納税ノ期ニ迫リ負債ヲ募ルモノ少カラスト申シマス、サレド納税ト云ヘバ語弊ヲ免カレヌカニ存シマス、ナゼナレバ印度ノ一体ノ地租ハ租税デナイト云フ事ハ経済学者ノ往々論ズル所デアツテ何レガ実デアルカハ知レナイガ、少クモボンベー・マドラス・ベラル地方ノ如キハ租税ト云フモノデハナイノデ御座イマセウ、元来印度ノ土地ハ政府ニ於テ其収穫ノ一分ヲ受クルノ権アリト申ス事ハ古来ノ旧慣ニシテ、土地ハ政府ト耕作者ノ間ニ分属シテ居リマス(是モ亦経済学者ノ議論ノアル事ダガ)尤モ東部地方ニ於テハ政府ガ人民一般ノ所有権ヲ認メテ居ルガボンベー・マドラス辺ハ人民ノ所有ヲ認メテ居ラナイ、政府ハ地主デ人民ハ小作人デアルカラ租税デハナク借地料ヲ出サセルト云フ方ガ穏当デアルト思ヒマス、扨此借地料ト収穫ノ季トハイツモ喰ヒ違ツテ政府ニ上納スルノ時期ガ早イカラ、小作者ハ金主ヨリシテ金ヲ借リテ政府ニ上納スルト云フノデ畢竟収穫ヲ抵当トシテ債ヲ募ラナケレバナラヌト云フ事情ガアル、啻其レノミナラズ吉凶不予ノ費用其他種子ノ買入及他ノ耕作ノ経費ハ往々金主ヨリシテ借リ入レル様ナ訳デアルカラ金主ハ収穫ヲ待チ而シテ差引キ計算ヲスルノガ一般ノ有様デ御座イマス、殊ニ穀物ナドハ其ノ通リデ綿ハ其関係稍ヤ薄シト思ヒマスガ矢張リ同様ノ趣ヲ脱シマセン
 現ニ債主ノ抵当ニナツテ居リマスカラ債主ハ其収穫ヲ商人ニ売リ若クハ開港地ニ持出スト云フ如キ事ニナリマス、併シナガラ必ズシモ債主ガ金ヲ貸シテ置テ収穫ヲ集メ取ツテ仕舞フト云フノデハナク、其中ニハ農家自ラガ市場ニ鬻グノモ有リマスガ要スルニ耕作者ヨリシテ開港場ニ至ルマデニハ少クモ二三ノ人ノ手ハ経ル事ニテ、開港場ニ出マシテモ尚ホ其品物ハ土人ノ手ヲ離レマセン、而シテ其土人ガ如何ニシテ之ヲ売リ販グカト云フニ、勿論其港々ニ依テ趣キヲ異ニシテ居ルガボンベーノ如キハ其物品総テ一定ノ場所ニ集マリ、輸出者(即チ多クハ西洋人)ハ各々得意ノ仲買ヲシテ此場ニ就キ契約ヲ為サシムルト云フ事ニナツテ居リマス、其契約ノ方法ニ就テハ流石印度第一番ノ輸出品ト云フ位ダカラ頗ル備ハリタル規約ガアリマ
 - 第19巻 p.231 -ページ画像 
ス、其辺ノ悉シキ事ハ他日ニ譲ル事ニ致シマセウ
 斯ク棉花ガボンベーニ持チ来リシ処ノ有様ハ如何テアルカト云フニ総テ海外ニ輸出スルニ堪ヘル丈ケノ荷造ガ出来テ居リマス、此荷造リト云フノハ一ツノ事業デアツテ其ノ為メニ起ツタ会社ガ随分多クアリマス、何レモ相当ノ機械ニ由リテ之ヲ荷造リシ、尚ホ麻袋ヲ以テ蔽ヒ、且ツ金箍《カナタガ》ヲ施シ直ニ海外ニ輸出スルニ適スル様ニシテアリマス
 斯様ニ余リ詳細ノ事ニ渉ツテ時刻ヲ空シクスルノハ甚ダ恐入リマスカラ巨細ノ事ハ復タ機ヲ伺フ事ニ致シマシテ、御話シハ此辺デ止メマセウ、併シ概シテ是ヲ申セバ、棉花ハ印度ノ外国貿易ニ於テ最モ大切ノ位置ヲ占メテ居ルノミナラズ今後ハ陸続我国ニ輸入シテ最モ緊要ノ一商品トナルヤニ存シマス、又之ヨリ製シタル糸ハ諸君ノ知ラルヽ如ク実ニ我々ノ着テ居ル衣服ノ過半ニナツテ居リマスカラ、此事ニ於テハ一層精シキ御話シヲ致シタキノダガ此場合ニ於ケル時刻ハ既ニ已ニ移リ去リテ之ヲ述ベ尽スベキ猶予ガアリマセヌ故遺憾ナガラ他日ニ譲リ、唯爰ニ一言シタイノハ斯クノ如ク印度ハ物産ニ富ンデ居リ、又前申シタ様ニ年々印度ニ這入ル処ノ資本ハ夥シキ高テアル、而シテ人間ハ如何ナル人間カト云ヘハ一概ニ黒奴《クロンボー》ダト思フテ居タ処ガソーデハナイ、商売上ニハ猶太人ニモ支那人ニモ譲ラヌ程デアツテ実ニ恐ロシイ者デアル、斯ノ如ク原質ニハ富ミ資本ハ有リ支那人ガ三人デナケレバ当ラレヌ程ニ人間ガ利巧デアツタナラバ此後我国抔ノ貿易上ニハ如何ナル関係ヲ来タサウカト云フ事ハ我々ノ最モ注意シナケレバナラン事デアロウト思フ、而シテ其備ヲ為スノ方法及我ヨリ送リ出スベキ物品ノ種類品質ノ如キハ此ニ之ヲ講究スルノ遑ガアリマセン(但シ我国ヨリ輸出スベキモノハ残念ナガラ三四種ニ過キヌト存ジマス)是等ハ他日機ヲ得テ再ビ申上度イト存ジマス、即チ上来述ブル処ハ印度外国貿易ノ景況ノ一斑否一斑中ノ又其一斑デアツテ、脱漏ノ多キハ勿論誤謬モ亦少カラヌ事ト存ジマスガ其辺ハ宜シク御容赦ヲ願ヒマス(完)
次ニ会頭(渋沢栄一)ハ左ノ答辞ヲ述ブ
 会員一同ニ代リテ小生ヨリ聊カ答辞ヲ呈シマス、只今佐野君ヨリ印度貿易ニ関ハル演説ヲ伺ヒマシタガ其事タル会員一同ニ取リテ誠ニ重要ナル御咄デアツタト恭ク拝聴致シマシタ、我々商工会員一同ガ爰ニ集会シ殊ニ貴賓ノ御来臨ヲ辱フシ今年始メテノ集会ニ於テ斯ル盛況ヲ得マシタノハ会員一同実ニ満足ニ堪ヘザル所デアリマス
 佐野君ハ印度貿易ノ盛大ナル事、又其国土ノ豊富ナル事、及其土人ノ忍耐ナル事ニ就テ詳ニ演説セラレマシタガ猶其貿易ノ細況ニ就テハ御質問致度事モ多クアレドモ其大要ハ只今ノ御演説ニテ充分知悉シ得ラルヘシト考ヘマス、尚結末ニ至リテ彼ノ国ノ資本ニ豊富ナルコト、其土人ノ未開トハ申ナガラ決シテ軽蔑ノ出来ナイト云フ御咄ヲ伺ヒマシタガ、我々ハ今迄何程カ印度人ヨリ智識モ進ンデ居ルデ有ラフ、働キモ優レテ居ルデアラフト思ノ外或ル部分ニ於テハ寧ロ彼ヨリ劣ル点モアラフト云フノ考ヲ起シ、又私ニ恐怖ノ念ヲモ生ジマシタ
 - 第19巻 p.232 -ページ画像 
 佐野君ノ御咄シ下サレタ其中ノ重要ノ点ト申スハ先ツ綿ヲ以テ貿易上ノ重ナルモノトシテノ御咄デアリマシタ、抑モ綿ノ日本ニ大ナル関係ヲ有スルコトハ諸君ノ承知セラルヽ通リニテ現ニ今日我国ニ於テハ上等社会ノ人ヨリ下等社会ノ人ニ至ル迄荀モ綿ヲ使用セサル者ハ一人モ無イ、而シテ昔時ハ綿ハ此日本内地ニテ生スルモノ丈ケニテ充分ナリト思ヒ又其糸モ内地ニテ製スル者ニテ決シテ不足ガナイト思フテ居リマシタガ、海外貿易ガ開ケテ以来英国ノマンチヱスターヨリ細口ノ糸ガ段々輸入スルコトトナリ、従来日本ニテ製シタル「カセ」糸ノ如キハ之ガ為メニ圧セラレ、随テ日本ノ綿耕作モ追々減縮スルノ傾ヲ生シマシタ、然ルニ其後印度ノボンベーヨリ太ト口ノ糸ガ追々輸入シ来リテ現ニ今日何レノ機場ヘ参リマシテモ皆是等ノ舶来綿糸ヲ使用セザルハナク、随テ其輸入ハ中々少カラザル高デアリマス、若シ此儘之ヲ放任シテ置ク時ハ将来其輸入ハ如何ナル景況ニ至リマセウカ、此事ニ就テハ御互ニ深ク注意ヲ要セネバナラヌコトヽ思ヒマス、今佐野君ガ演説セラレタル要旨ハ実ニ此点デアリマセウト思ヒマス
 今一寸概算ノ統計ヲ伺ヒマシタニ、印度ノ綿ノ生産高ハ八百五十五万乃至九百万「ホンドレツドウエート」(一「ホンドレツトウエート」ハ凡ソ我十三貫五百匁ニ当ル)デアルト云フ事デスガ、日本ノ綿ノ生産高ハ未ダ確ト窺ヒ知レマセンケレトモ明治十五年ニ或ル筋ニテ取調ベタル所ニ拠レバ、僅ニ五百余万貫目デアツタト記臆シテ居リマス、若シ此私ノ記臆ガ間違ツテイナイナラバ其差額ハ実ニ非常ナル事デハアリマセンカ、斯ノ如ク印度ハ天産ニ裕ナルガ上ニ猶其土人ハ大ニ忍耐力ニ富ムト云フコトナレバ我々ハ是迄印度人ヲ黒奴ト称シテ軽蔑シタレドモ其実ハ中々侮ルコトカ出来マセン
 我国ノ紡績事業ハ五六年以来著シク進歩シ其業躰モヤヽ端緒ニ就キマシタガ、猶此上或ハ輸入ヲ防キ或ハ輸出ヲ奨励シ、彼ニ対シテ一歩モ譲ラヌ様ニ心掛ケネバナラヌト思ヒマス、抑モ印度ノ紡績事業ノ盛ンニナツタノハ何デモ一千八百六十年頃ヨリ以後ノコトデ其前ハ印度ニテ産出スル綿ハ英国ニ買取ラレ、英国ニテ之ヲ糸ニ紡キ織物ヲ製シテ更ニ印度ヘ輸入スルト云フ様ノ姿ニテ其紡績事業ハ甚ダ幼穉ノ有様デアツタ、其後印度ニテハ英国其他外国ヨリ輸入スル織物ニ百分五ノ輸入税ヲ課シテ内地ノ工業ヲ保護シタルヨリ爾来其紡績事業ハ漸ク盛域ニ達シマシタ、然ルニ其後此輸入税ハ政治上ノ都合ニテ廃止セラレタルガ上ニ一方ニテハ同業者ガ沢山ニ出テ来リテ甚ダシキ競争ヲ起シタルガ為メ、遂ニ印度ノ綿糸工業ハ非常ニ困難ノ地位ニ陥リマシタ、然ルニ此困難ガ却テ其発達ヲ促カスノ手順トナリテ即チ印度人ハ是迄専ラ輸入ヲ防クコトニノミ尽力シタガ此頃ヨリ更ニ其考ヲ転シテ重ニ輸出ヲ進ムルコトヲ図リ、忍耐ノ末此困難ニ打チ勝ツコトヲ得テ遂ニ其後数十年ヲ出デスシテ今日ノ盛況ニ達シマシタ、現ニ日本ガ其得意先トナリテ多分ニ舶来綿糸ヲ需用スルコトトナリタルハ実ニ一千八百七十年以後ノ事デアリマス、今佐野君ガ黒奴ナリトテ軽蔑ハ出来ナイト言ハレタノハ此事ニ徴シテモ分ルコトヽ思フ
 - 第19巻 p.233 -ページ画像 
 以上ハ小生ガ聊カ紡績事業ニ関係ヲ有スルヨリ一言ヲ申シマシタノデ、此事ハ他ノ商売上ニモ多少ノ関係ヲ有シテ居ルコトナレバ小生ハ会員諸君ニモ御相談ヲ請ヒ猶充分ニ講究シテ見タイト思ヒマス、我々ハ総テノ点ニ於テハ印度人タルコトヲ好ミマセンコトハ勿論ナルガ、或ル部分ニ於テハ印度人ヲ師トシテ之ニ摸傚センコトヲ望ミマス
 聊カ蕪辞ヲ述ベテ答辞ニ換ヘ併セテ会員諸君ニ御相談ヲ致シマス
右終リテ更ニ酒宴ヲ開キ、余興トシテ館妓ヲシテ手踊数番ヲ演セシム酒酣ニシテ来賓青木子爵ハ起テ左ノ要旨ニヨリ演説セラル
 (前略)抑モ商ハ富国ノ本ナリ、然ルニ我国ニ於テ自ラ直輸出入ノ業ニ当ル者ハ甚ダ寥々トシテ外国人ニ貿易ノ全権ヲ占メラルヽガ如キハ余ノ甚ダ遺憾トスル処ナリ、現ニ生糸ノ如キハ我ガ貿易品中主要ノ地位ヲ占ムルモノナルガ、其輸出ハ多クハ外国人ノ弁ズル処ニシテ彼ハ之ガ為メ恰モ二割五分ノ利ヲ得ルト云フ、嘗テ条約改正談ノ囂々タル当時ニ墺国領事某ガ本国ニ送リタル信書ノ中ニ「余輩ハ敢テ日本政府ガ内地雑居ヲ許サヾルヲ憾トセズ、何トナレバ余輩ハ居留地ニ在リテ坐ナガラ二割五分ノ利ヲ得ベケレバナリ」ノ文字ヲ記セリト云フ、諸君ハ之ヲ聞キテ果シテ如何ナル感想ヲ起サルヽヤ、思フテ玆ニ至レバ余ハ実ニ感慨ニ堪ヘザルナリ、左レバ我国ノ商人ハ今後益々奮起シテ直輸出入ノ業ニ当リ、遂ニ是迄外国人ニ占有セラレタル利益ヲ我ニ収ムル事ヲ勉メザルベカラズ、而シテ其手段ハ先ヅ今ヨリ外国貿易ノ衝ニ当ルベキ適当ノ人物ヲ養成スルニ如カズ熟々欧米諸国ニ於ケル商業教育ノ実況ヲ観察スルニ有力ナル商家ハ先ヅ其子弟ヲシテ普通高等ノ科程ヲ専修セシメタル後、更ニ外国ノ有名ナル会社若クハ商店ニ弟子入セシメテ能ク万国商業ノ景況ヲ習熟セシメ然ル後始メテ貿易ニ従事セシムルト云ヘリ、然ルニ我国ニ於テハ現ニ高等商業学校ノ設アリト雖トモ、要スルニ其学科ハ猶甚ダ不完全ニシテ未ダ以テ万国ノ貿易ニ従事スベキ適当ノ人物ヲ養成スルニ足ラズ、故ニ今若シ我国ヲシテ世界ノ市場ニ立チテ欧米ト商権ヲ争ハシメントスルニハ先ヅ人物養成策ヲ講ズルヲ肝要トス、以上ハ兼テ余ノ宿論ナルニ付キ余ハ此事ニ就キ職務ノ許ス限リ充分ニ尽力スベキハ勿論若シ諸君ヨリ之ニ就キ相談ヲ受クルニ於テハ欣然之ニ応ズベシ云々
右終リテ賓主猶交々歓話シ午後九時三十分ニ至リ一同散会ス
○下略