デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第20巻 p.452-459(DK200047k) ページ画像

明治27年5月29日(1894年)

是ヨリ先当会議所、会員大江卓ノ建案ニ基キ日孟航路競争ノ実況及対策ヲ調査中ナリシガ、調査成ルヲ以テ是日ノ会議ニ附シ可決ス。栄一会頭トシテ之ニ与ル。


■資料

渋沢栄一書翰 萩原源太郎宛 (明治二七年)二月三日(DK200047k-0001)
第20巻 p.452 ページ画像

渋沢栄一書翰  萩原源太郎宛 (明治二七年)二月三日    (萩原英一氏所蔵)
○上略
過日願置候印度航路開設ニ付其沿革取調之一事ハ、可成ハ来ル八日頃迄ニ出来候様仕度と存候、是ハ小生此度大坂ヘ出張ニ付、其前ニ出来候ハヽ重畳と存候義ニ御座候、右等申上度書中得御意候 匆々
  二月三日
                      渋沢栄一
    萩原源太郎様
 尚々小生昨日ヨリ快方出勤ニ付為念申上候也


東京商業会議所月報 第二〇号・第三 明治二七年四月頁 【○三月六日午後五時十五分、東京…】(DK200047k-0002)
第20巻 p.452 ページ画像

東京商業会議所月報  第二〇号・第三 明治二七年四月頁
○三月六日午後五時十五分、東京銀行集会所ニ於テ臨時会議ヲ開ク、当日出席会員三十一人ニシテ左ノ件々ヲ審議シ、午後六時十分閉会ス
○中略
 (第三)
  日孟航路競争ノ実況及之ニ対スル方策ノ調査ヲ附託スル為メ、議長ノ指名ヲ以テ委員五名ヲ選挙スルノ件(会員大江卓君提出)
本件ハ全会一致ヲ以テ原案ニ可決シ、乃チ議長ハ左ノ諸君ヲ委員ニ指名ス
                    佐久間貞一君
                    加東徳三君
                    山中隣之助君
                    益田孝君
                    中沢彦吉君


東京商業会議所月報 第二〇号・第四頁 明治二七年四月 【○同月 ○三月六日午…】(DK200047k-0003)
第20巻 p.452 ページ画像

東京商業会議所月報  第二〇号・第四頁 明治二七年四月
○同月 ○三月六日午後六時十五分、東京銀行集会所ニ於テ委員会議ヲ開キ、日孟航路競争実況調査委員長ノ選挙ヲ施行シ、午後六時三十分閉会ス、其選挙ノ結果左ノ如シ
                  委員長 益田孝君
○中略
○同月 ○三月十二日午前十時、本会議所仮事務所ニ於テ委員会議ヲ開キ日孟航路競争ノ実況調査ノ件ヲ審議シ、午後零時三十分閉会ス
○同月二十四日午前九時、本会議所仮事務所ニ於テ委員会議ヲ開キ、日孟航路競争ノ実況調査ノ件等ヲ審議シ、午後三時閉会ス


東京商業会議所月報 第二一号・第一頁 明治二七年五月 【○同月 ○四月二十五日午前九時…】(DK200047k-0004)
第20巻 p.452-453 ページ画像

東京商業会議所月報  第二一号・第一頁 明治二七年五月
 - 第20巻 p.453 -ページ画像 
○同月 ○四月二十五日午前九時三十分、本会議所仮事務所ニ於テ委員会議ヲ開キ、日孟航路競争ノ実況調査ノ件ヲ審議シ、午後一時閉会ス


東京商業会議所月報 第二二号・第二頁 明治二七年六月 【○同月 ○五月廿四日…】(DK200047k-0005)
第20巻 p.453 ページ画像

東京商業会議所月報  第二二号・第二頁 明治二七年六月
○同月 ○五月廿四日午後三時、東京銀行集会所ニ於テ委員会議ヲ開キ、日孟航路競争ノ実況調査ノ件ヲ審議シ、午後四時三十分閉会ス


東京商業会議所月報 第二三号・第六頁 明治二七年七月 【○六月五日午後六時、本会議所事…】(DK200047k-0006)
第20巻 p.453 ページ画像

東京商業会議所月報  第二三号・第六頁 明治二七年七月
○六月五日午後六時、本会議所事務所ニ於テ臨時会議ヲ開ク、当日出席会員三十三人ニシテ、左ノ件々ヲ審議シ、午後十時四十分閉会ス
○中略
 (第六)
  日孟航路競争ノ実況及ヒ之ニ対スル方策ニ付調査報告ノ件(委員提出)
本件ハ全会一致ヲ以テ其報告ヲ是認シ(調査報告書ノ全文ハ参照ノ部第三号ニ掲載ス) ○下略


東京商業会議所月報 第二三号・第一四―一八頁 明治二七年七月 【○参照第三号 六月五日臨時会議ニ…】(DK200047k-0007)
第20巻 p.453-458 ページ画像

東京商業会議所月報  第二三号・第一四―一八頁 明治二七年七月
○参照第三号
 六月五日臨時会議ニ提出シタル日孟航路競争ノ実況及ヒ之ニ対スル方策ニ関スル調査報告書ハ左ノ如シ
去三月六日ノ臨時会議ニ於テ日孟航路競争ノ実況及之ニ対スル方策ノ調査ヲ附託セラレタルニ付、爾来篤ト遂調査候処、其結果ハ別冊ノ通ニ有之候間、此段及御報告候也
  明治二十七年五月二十九日
                  委員長 益田孝
    東京商業会議所会頭 渋沢栄一殿
(別冊)
日本郵船会社ガ我紡績業者ノ希望ニ基キ、日孟間ニ新航路ヲ開キタルハ昨明治二十六年十一月ノ事ニシテ、其結果トシテ英国彼阿汽船会社トノ間ニ激烈ノ競争ヲ生シタリ、其事タル内外両航海業者間営業上ノ競争タルニ過ギスト雖トモ、其成敗ノ如何ハ大ニ我海運ノ消長ニ関スルモノアリ、是ヲ以テ曩ニ本会議所ハ国家問題トシテ之ヲ討究スルノ至当ナルヲ認メ、其実況並ニ之ニ対スル方策ノ調査ヲ本委員ニ附託セラレタルニ付、爾来本委員ハ審案精査ヲ遂ケ、玆ニ左ノ四項ニ依リテ其結果ヲ報告ス
 一、日孟航路競争ノ由来
 二、我国ニ於ケル印度棉花ノ需要額及此競争ノ為メ我紡績業ニ及ボス可キ影響
 三、此競争ニ対スル日本郵船会社ノ経済
 四、此競争ニ対スル本委員ノ意見
    一、日孟航路競争ノ由来
我綿糸紡績業ノ益々発達スルニ随ヒ原料タル棉花ノ需要額ハ愈々増加セサルヲ得ス、然ルニ其原料ハ固ヨリ海外ノ供給ヲ需ツモノナレバ、
 - 第20巻 p.454 -ページ画像 
苟モ此業ノ発達ヲ希望スレバ主トシテ其原料ヲ一層低価ニ供給スルノ道ヲ求メザル可カラス、然リ而シテ其原料供給地ノ最タル印度ヨリ我国ニ輸タス運賃ヲ減少スルコトハ我紡績業者多年ノ宿望ナリシト雖トモ、従来日印間航海ノ全権ハ英国彼阿会社之ヲ専占シ、澳匈「ロイド」会社並ニ伊太利郵船会社ノ二社ト同盟シテ其運賃ヲ一定ノ高度ニ保チ我カ希望ニ応セサリシガ、我紡績業者ハ近時其事業発達シテ印度棉花ノ需要益々増加スルニ伴レ一層運賃低減ノ必要ヲ感シ、曩ニ日本郵船会社ニ謀リテ日孟間ニ新航路ヲ開設セン事ヲ勧誘スル所アリ、日本郵船会社ヲ始メ我有志者ニ於テモ其必要ヲ察シテ之ガ計画ニ意アルノ際明治二十六年五月偶々印度ノ豪商ゼー、エヌ、タタナル者我国ニ渡来シ、親シク我生産工業ノ実況ヲ目撃シテ、彼我貿易ヲ拡張スル為メ日本船舶ヲ以テ日孟間ニ新航路ヲ開クノ必要ヲ感シ、大ニ我紡績業者及日本郵船会社ニ勧誘スル所アリ、此ニ於テカ意気相投合シテ其議漸ク熟シ、遂ニ左ノ趣旨ニヨリ契約ヲ締結シ、同年十一月ヲ以テ始メテ日孟航路ヲ開設スルニ至レリ
 一日本郵船会社ヨリ二艘、タタ氏ヨリ二艘、合シテ四艘ノ船舶ヲ供シ、日孟間ニ毎三週一回ノ定期航路ヲ開設スル事
 一紡績業者ハ印度棉花一年五万俵ノ搭載ヲ担保スルニ付、日本郵船会社ハ一噸十三留ノ運賃ヲ以テ之ヲ運搬スル事トシ、明治二十六年十一月ヨリ向一ケ年間此約束ヲ継続スル事
是ヨリ先キ我ニ於テ日孟航路開設ノ計画アルニ当リ、彼阿会社ハ人ヲ我国ニ派シテ頻ニ其開航ノ不利ヲ説キ、百方之カ防止ヲ勉メタルガ、今ヤ日本郵船会社ガ此航路ニ向ツテ其第一船ヲ発スルヤ、彼レ彼阿会社ハ断然タル決心ヲ示シ、従来印度棉花ノ日本迄ノ運賃一噸十七留ナリシモノヲ其十分ノ一ニモ足ラザル一留半ニ低減シテ激烈ノ競争ヲ試ミ、以テ一挙ニ我新航路ヲ挫折セントシタリ、蓋シ前掲ノ契約ニ拠レバ、我紡績業者ガ日本郵船会社ニ向テ搭載ヲ担保セル棉花ハ一年五万俵ニ限リテ、其以上ノ棉花ノ運搬ニ就テハ別ニ羈束スル所ナカリシノミナラズ、其搭載ヲ担保セル棉花ノ運賃ハ最初一噸十三留ヲ以テスル筈ナリシモ、タタ氏ノ印度ニ帰リテ同国ノ商業者ト綿糸ノ搭載ヲ約セントスルニ当リ其運賃ヲ十二留トナスノ必要アリタルヨリ、遂ニ棉花ノ運賃モ亦已ムヲ得ズ十二留ニ低減スルニ至リタレバ、日本郵船会社ガ果シテ此契約ニヨリテ其競争ニ堪ヘ得ベキヤ、是当時世人ノ私ニ之ヲ危ミタル所ナリ、於是乎我紡績業者ハ此航路ノ中途ニ挫折センコトヲ憂ヘ、本年二月更ニ同業者ノ大会ヲ大阪ニ開キテ左ノ決議ヲ為シ、以テ日本郵船会社トノ契約ニ更正ヲ加ヘタリ
 一日本ニ輸入ス可キ印度棉花ハ悉皆日本郵船会社ニ搭載ヲ託スルニ付、同会社ハ一噸十二留ノ運賃ヲ以テ之ヲ運搬スル事
 一日本郵船会社ハ時宜ニ因リテハ臨時船舶ヲ増加シ、紡績業者ノ便利ニ適スル様其運搬ヲ為ス事
 一約束継続ノ期限ヲ延長シテ二ケ年ト為ス事
今ヤ日本郵船会社ハ此決議ノ結果トシテ、日本ニ輸入スル印度棉花ノ全数ヲ運搬スルコトヽナリタルヲ以テ、随テ今後其航業ノ規摸ヲ変更スル所ナキヲ得ザル可シ、蓋シ此航路開設ノ当初ニ在テハ、我紡績業
 - 第20巻 p.455 -ページ画像 
者カ搭載ヲ担保セル棉花一ケ年五万俵ニ過ギザリシヲ以テ、日本郵船会社ハ綿糸ヲ始メ其他一般貨物ノ運搬ニ就キ勢ヒ他ノ航海業者ト競争セサルヲ得サルノ事情アリシト雖モ、今ヤ此決議ニヨリテ我国ヘ輸タス印度棉花ハ総テ一手ヲ以テ之ヲ搭載スルコトヽナリ、恰モ我紡績業者ガ其需要スル印度棉花ヲ運搬スル為メ日本郵船会社ノ船舶ヲ雇切リタルト同様ノ結果ヲ呈スルニ至リタレバ、今後印度棉花ノ輸入額増加スルニ従ヒ、日本郵船会社ハ其日孟航路ニ運用スル船舶ノ全部ヲ挙ケテ専ラ此棉花ノ搭載ニ充テサルヲ得スシテ、他ノ貨物ノ運搬ニ就テハ他ノ航海業者ト競争スルノ遑アラサルベク、随テ独リ競争ノ余地ヲ存スルモノハ僅カニ往航ノ貨物ニ止マルコトヽナルベシ、蓋シ当初印度商人ガ進ンデ此航路ノ開設ヲ賛襄シタルモノハ、其競争ニヨリテ印度ヨリ我国及支那ヘ輸タス綿糸其他一般貨物ノ運搬ニ利セントスルノ意ニ出テタルモノナラン、然ルニ日孟航業ノ性質一変シテ其競争ノ区域大ニ縮小シタルコト斯ノ如キヲ見レバ、是必ス印度商人ノ素望ニ反スルモノナキヲ得ザルベシ
    二、我国ニ於ケル印度棉花ノ需要額及此競争ノ為メ我紡績業ニ及ホスヘキ影響
此航海業ノ成敗損益ヲ査察セントセバ、先ツ我紡績業者カ需要スル印度棉花ノ数量ヲ知ラサル可カラズ、故ニ本委員ハ大日本綿糸紡績同業聯合会ニ照会シテ其委員ノ出張ヲ求メ、親シク之ニ関スル意見ヲ質シタリ、而シテ右委員ノ意見ニ拠ルニ、我紡績業ガ今後需要ス可キ印度棉花ハ一年凡二十三万余俵ニ達ス可クシテ、此三分ノ二即チ凡十五万三四千俵ハ毎年三月ヨリ六月ニ至ル凡四ケ月間ニ彼地ヲ積出スヲ要スベシトセリ(其詳細ハ別紙第一号ニ掲載スルガ如シ)
又此競争ノ為メ我紡績業ニ及ホスベキ影響ニ就テハ特ニ考究ヲ要スルモノアリ、蓋シ此新航路開設ノ為メ我紡績業者ハ棉花ノ運賃一噸ニ付五留ヲ節減スルヲ得タルモノナレバ、大ニ喜ブ可キモノヽ如シト雖トモ、猶退テ実際ノ景況ヲ察スルニ大ニ慮ル可キモノアルガ如シ、若シ彼レ彼阿会社ガ此競争ノ根拠ハ我紡績業者ニ在ルヲ認メ、印度ヨリ我国ニ輸入スル綿糸ノ運賃ヲ非常ニ低減シ、以テ我綿糸ノ販路ヲ阻害シ大ニ之ト競争スルコトアラバ、我紡績業者ハ果シテ其団結ヲ維持シ能ク其困難ニ堪フルコトヲ得ヘキヤ、是本委員ノ私ニ懸念スル所ナリ、故ニ本委員ハ更ニ此点ニ就キ聯合会委員ノ意見ヲ叩キタルニ、右委員ノ意見ニ拠レハ、仮ニ彼阿会社ガ一噸一留半ノ最低運賃ヲ以テ印度綿糸ヲ運搬シ来ルトスルモ、我国製糸ノ原価ハ彼ニ比シテヤヽ低廉ナルヲ以テ、印度綿糸トノ対抗上必スシモ勝算ナキニアラザルベシト云フ今右委員ノ計算ヲ示セバ左ノ如シ
  金九十三円十九銭二厘  印度ニ於テ紡績シタル綿糸(二十手一梱)ヲ我国ヘ輸売スル原価、但綿糸ノ運賃一噸ニ付一留半トシテ算ス
  金八十八円六十一銭八厘 印度棉花ヲ輸入シ我国ニ於テ紡績シタル綿糸(二十手一梱)ノ原価、但棉花運賃一噸ニ付十二留トシテ算ス
   差引
    金四円五十七銭四厘 一梱ニ付日本製糸ノ印度製糸ヨリ低廉ナル額
     (但シ右ハ印度向為替相場我百円ニ付百八十留ノ割合ヲ以
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テ算ス)
前表ヲ見ルニ、我製糸ハ彼製糸ヨリ低廉ナルコト一梱ニ付四円五十銭余ナリ、故ニ此計算ヲ以テスレバ、我ニ於テ多少ノ勝算アルカ如シト雖トモ、猶右委員ノ説ニ拠レバ、此計算ヲ以テ未ダ充分ノ安心ヲ得サルモノアリト云フ、夫レ熟々印度紡績事業ノ実況ヲ査察スルニ、製糸ノ原料ハ自国ノ産スル所ナルヲ以テ、日々市場ニ就キ市価ノ昂低ヲ計リ自由ニ品種ヲ撰択シ得ルカ如キ特有ノ便利アルヲ以テ、彼ニ於テ此特利ニ藉リ且ツ大ニ業務ニ改良ヲ加ヘテ一層力ヲ用ヰル所アラバ、我ニ於テ必勝ヲ期シ難キノ恐レアリ、況ンヤ我製糸ヲ支那市場ニ輸入シ印度製糸ト競争スルノ点ヨリ見ルトキハ、勝敗ノ数間髪ヲ容レサルノ情況アルニ於テオヤ、故ニ此日孟航路競争ノ結果トシテ、彼レ彼阿会社ガ非常ニ印度綿糸ノ運賃ヲ軽減シ廉価ニ之ヲ我国及支那ニ輸入スルノ策ヲ続行セバ、支那市場ニ向ツテ我製糸ノ販路ヲ開カントスル希望モ之ヲ達セサルニ帰スルノミナラズ、或ハ我内地ニ於ケル販路モ印度製糸ノ為メニ蚕食セラルヽノ恐レナキヲ保セスト云フ、以テ日孟航路競争ノ為メ我紡績業ニ及ホスベキ影響ノ軽視ス可カラサルヲ知ルニ足レリ(其詳細ハ別紙第一号ニ掲載スルカ如シ)
    三、此競争ニ対スル日本郵船会社ノ経済
本項ノ調査ハ事、会社営業ノ機密ニ属スルモノアルヲ以テ、明ニ計数ヲ示シテ之ヲ論ズルヲ憚カルモノアリ、故ニ叙事上隔靴掻痒ノ感ナキニ非サル可シト雖トモ、蓋シ亦已ムヲ得ザルナリ
今試ニ聯合会委員ノ意見ニ拠リ、将来日本郵船会社ノ船舶ニ搭載ス可キ棉花ノ数量、其積出シ季節等ヲ調査スルニ左ノ如シ
 一年間印度棉花ノ搭載全量         二十三万一千俵
   此内
  三月ヨリ六月ニ至ル四ケ月間ニ搭載スヘキ分 十五万四千俵
  七月以後ニ順次ニ搭載スベキ分        七万七千俵
右棉花全量ヲ運搬スルニ当リ
 一航海(往復共)七十五日、汽船重量実力四千噸
  棉花積量四千三百五十噸即チ一万四千五百俵(一噸棉花積量四十立方尺棉花三百斤入一俵十二立方尺)
ノ汽船ヲ以テスルトセバ、三月ヨリ六月ニ至ル四ケ月間ニハ凡六艘、七月以後ニハ凡三艘ヲ要ス、而シテ前ノ六艘ハ各々棉花ヲ満載スベシト雖トモ、後ノ三艘ハ棉花ヲ満載セスシテ各々凡数百噸ノ余積ヲ存スベキガ故ニ、即チ日本郵船会社ガ復航ニ於テ彼阿会社等ト貨物ヲ競争スベキ区域ハ独リ此余積ニ止マルモノトス、蓋シ第一項ニ開陳セルガ如ク、今ヤ日本郵船会社ハ紡績業者トノ契約ニ拠リ、印度ヨリ輸入スル棉花ノ全数ヲ搭載スルコトヽナリタルヲ以テ、復航ニ於テハ幾ンド外国汽船会社ト積荷ノ競争ヲナスノ余地ナキモノト見ルベクシテ、只積荷ノ競争ヲ演スベキハ独リ往航ノ場合ニアルモノト謂フヲ得ベシ、(但シ以上ハ棉花ノ運搬ヲ主トスル臨時航海ノ場合ニ付キ立論セルモノナレドモ、若シ定期航海ノ場合ニ付キテハ右ト大ニ事情ヲ異ニスルモノアリト知ル可シ)
今本委員ノ見ル所ヲ以テスレバ、前記ノ如ク日本郵船会社ガ主トシテ
 - 第20巻 p.457 -ページ画像 
我紡績業者ノ需要スル棉花ノ全量ヲ一噸十二留ノ割合ヲ以テ之ガ運搬ニ従事スルニ於テハ、印度棉花ノ凶作ニアラサル限リハ収支ノ大ニ償ハザルガ如キ恐レナキヲ信ズ、然レトモ棉花ノ作柄タル年々豊凶ノ別アルヘキハ勿論、尚印度ノ棉花ニハ特ニ積出ノ季節アルガ故ニ、日本郵船会社ガ此航路ヲ維持シテ我紡績業者ニ満足ヲ与ヘントスルニハ、其船舶ノ操縦上頗ル不便ノ事情アルヲ以テ、此航路ノ収支ハ果シテ有利ノ成算アリヤ否ヤ、容易ニ之ヲ断ス可カラザルナリ
    四、此競争ニ対スル本委員ノ意見
日孟航路ノ競争ニ就キ我勝算ヲ必期シ難キコト前述ノ如シ、仮ニ此航路ハ日本郵船会社ノ経済上収支相償フベシトスルモ、同会社ガ依テ以テ其成算ヲ立テ得ル所以ノモノハ、我紡績業者ノ要スル印度棉花ノ全量ヲ一噸十二留ノ運賃ヲ以テ運搬スルノ契約アルガ為メナレバ、若シ我紡績業者中競争ノ為メ彼阿会社ノ運賃ノ低廉ナルヲ見テ之ニ心ヲ動カシ、其棉花ノ運搬ヲ彼阿会社ニ託スルコトモアラバ、或ハ恐ル、其競争ノ根底動揺シテ日本郵船会社ハ遂ニ其立脚ノ地ヲ失ハンコトヲ、幸ニ我紡績業者ガ大局ノ利害ヲ観ルニ敏ナル、万々斯ノ如キコトナカル可シト雖トモ、既ニ第二項ニ詳記セルガ如ク、彼阿会社ハ此競争ノ根底ヲ杜絶セントシテ幾ント無運賃ニテ印度綿糸ヲ我国及支那ニ輸入シ、一意我紡績業者ヲ苦シムルノ道ニ汲々タルノ情勢アレバ、此競争ノ前途頗ル寒心ス可キ者アリト云フ可シ、今退テ其競争ノ敵手タル彼阿会社ノ実力如何ヲ観ルニ、同会社ハ創立後既ニ五十有余年ノ星霜ヲ閲シ、備ニ航海業ノ経験ヲ嘗メ、其資力ノ強大ナル我郵船会社ノ比ニ非ズ、殊ニ印度・支那ノ航線ハ其社名ニ冒ス東洋ノ文字ヲ以テ示スカ如ク、実ニ其本領トスル所ニシテ、之カ為メ特ニ英国政府ヨリ受クル助成金一年二十六万磅ノ多キニ及フモノアリ(其詳細ハ別紙第二号ニ掲載スルガ如シ)其勁敵ニシテ侮ルヘカラサル亦知ル可キナリ、蓋シ我紡績業者団結ノ鞏固ナル今日ニ於テハ決シテ這般ノ事ヲ憂フルニ足ラサルベシト雖トモ、万一其困難ニ堪ヘスシテ其航路ヲ中絶スルカ如キ事アラハ、本邦対外ノ勢力ハ此ニ一頓挫シテ復タ振興スルノ機ナカルベシ、豈国家ノ為メ深ク慮ラサルベケンヤ
然ラハ則チ今此日孟航路ノ競争上国家ノ力ヲ以テ日本郵船会社ヲ保護スルノ必要アリヤト云フニ、本委員ノ見ル所ヲ以テスレハ其競争ノ成敗如何ハ我海運ノ消長ニ関スルコト少カラサルヲ以テ、此際之ニ相当ノ保護ヲ与フルハ固ヨリ必要ナリト信ス、然レトモ本委員ハ独リ日孟ノ航海業ヲ保護スルヲ以テ満足スルモノニアラス、猶進ンテ海外航海業ノ全般ヲ保護シ、以テ我海運ノ発達上充分ノ効果ヲ期センコトヲ希望ス、然リ而シテ其理由ニ至リテハ更ニ下段ニ於テ開陳スル所アルベシト雖トモ、今ヤ我紡績業者ガ此競争ノ為メ受被スル所ノ困難ハ実ニ目前ニ切迫スルモノアレハ、此際本会議所ノ宿論タル綿糸輸出税及棉花輸入税ノ免除(綿糸輸出税ノ免除ハ頃日幸ニ実行セラレタリ)ヲ実行センコトモ、亦本委員ノ切望シテ措カサル所ナリ
抑モ我海運ノ不振ハ識者ノ夙ニ浩嘆スル所ニシテ、今日ニ於テ之カ振張ヲ企図スルハ国家ノ一大急務ナリトス、試ニ我外国貿易ノ大勢ヲ見ルニ、明治二十六年ノ輸出入額ハ一億七千余万円ノ上ニ出ツト雖モ、
 - 第20巻 p.458 -ページ画像 
其中日本船舶ノ運搬ニ委スルモノ僅カニ一千四百余万円ニ過キスシテ自余ノ一億六千百余万円ノ運搬ハ実ニ外国船舶ニ需ツ者ナリ、即チ知ルベシ、我船舶ノ運搬スル所ハ僅ニ其八分二厘ニ過キサルコトヲ、思フニ之カ為メ我運賃ニ失フ所無慮一千万円ヲ下ラサルベシ、蓋シ我国ハ四面環海ノ島国ニシテ人口四千万ヲ有シ、貿易額亦一億七千万円ニ達ス、然ルニ其所有ノ船舶ハ汽船十万二千噸・帆船四万六千噸・海員ノ数僅ニ七千七百人(遠航ニ堪フル人員ヲ云フ)ニ過キス、夫レ開港以後既ニ四十年ノ春秋ヲ閲シテ尚斯ノ如シ、我海運ノ不振モマタ甚シキニアラズヤ、今ヤ我国ニ於テハ幸ニ支那南部ヲ経テマニラニ至ルノ航路ヲ開キ、今又日孟航路開設ノ事ヲ断行シテ一算ヲ英国航海業者ノ上ニ加ヘ、国人ノ輿論マタ海運ノ振張ヲ希フノ声アリ、此時機ニ乗シ百尺竿頭一歩ヲ進メテ大ニ海外航路拡張ノ方策ヲ画シ、国家海運百年ノ基ヲ置クハ豈時務ノ急ナルモノニアラスヤ、苟モ海運振張ノ国是ヲ一定シテ我航海業者ヲ保護奨励スルニ至ラハ、独リ日孟航海業ノ発達ヲ期シ得ベキノミナラズ、全般ノ海運亦自ラ其恵沢ニ均霑スルヲ得ベキガ故ニ、向後濠洲・加奈太・米国若クハ英国等ニ向テモ続々航路ヲ開ク者アリテ、我海運振張上著大ノ効果ヲ奏スルニ至ラン、之ヲ要スルニ、今日我海運ノ不振ハ其保護奨励ノ道ニ於テ未タ尽サヾル所アルカ為メナレバ、此際我航海業全躰ヲ保護奨励スルノ方策ヲ実施スルハ本委員ノ深ク切望スル所ナリ、蓋シ近時我帝国議会ノ形勢ヲ察スルニ議員既ニ海運振張ノ必要ヲ認メテ頻ニ其施設ヲ唱道シ、政府亦意ヲ決シテ其成案ヲ示スニ至リタルハ本委員ノ私ニ喜悦スル所ナリ、然リト雖トモ今熟々此等ノ方案ニ拠リテ其規画スル所ヲ考察スルニ、猶大ニ修正ヲ要スヘキ点アリ、故ニ本委員ハ此際本会議所ニ於テ海運振張ノ方法調査委員ヲ選任シテ其調査ニ着手シ、追テ完全ナル方案ヲ画シテ以テ其意見ヲ当路ニ開陳センコトヲ希望ス、今ヤ本委員ハ玆ニ此報告ヲ提出スルニ当リ、併セテ卑見ヲ附シテ以テ諸君ノ採択ヲ請フコト爾カリ
(別紙ハ之ヲ略ス)


第四回東京商業会議所事務報告 第三六―三七頁 明治二八年四月刊(DK200047k-0008)
第20巻 p.458-459 ページ画像

第四回東京商業会議所事務報告  第三六―三七頁 明治二八年四月刊
一日孟航路競争ノ実況及ヒ之ニ対スル方策調査ノ件
 本件ハ明治二十七年三月六日会員大江卓君ノ提案ニ係リ、其要旨ハ日孟航路競争ノ実況及ヒ之ニ対スル方策ノ調査ヲ附託スル為メ委員五名ヲ選挙ス可シト云フニ在リ、依テ之ヲ同日第三十二回ノ臨時会議ニ附シタルニ其趣旨ヲ可認シ、乃チ議長ノ指名ヲ以テ左ノ諸君ヲ委員ニ選挙シタリ
                    佐久間貞一君
                    加東徳三君
                    山中隣之助君
              (委員長) 益田孝君
                    中沢彦吉君
 其後委員ハ審議ノ末其報告ヲ提出シタルニ付、之ヲ同年六月五日第三十四回ノ臨時会議ニ附シタルニ全会一致ヲ以テ其報告ヲ是認シタ
 - 第20巻 p.459 -ページ画像 
リ、右報告ノ全文ハ左ノ如シ
   ○報告文ハ月報所載ノモノト同一ニツキ略ス。
   ○本問題ノ経緯ニ就イテハ本資料第十巻所収「大日本紡績聯合会」明治二十六年五月、同年八月五日、同年十月十七日、同二十七年二月十四日、同二十九年七月一日、同三十年一月ノ各条参照。