デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.381-386(DK210066k) ページ画像

明治32年1月19日(1899年)

是日栄一当会議所会頭トシテ、日清両国間貿易事業拡張ノ為メ、清国ニ於ケル本邦金融機関ヲ整備センコトヲ大蔵大臣伯爵松方正義・外務大臣子爵青木周蔵・農商務大臣曾禰荒助ニ建議ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK210066k-0001)
第21巻 p.381 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十四日 晴
○上略
午後 ○中略 東京商業会議所ニ抵リ議事ヲ開ク、夜九時過帰宅ス
   ○中略。
一月十八日
朝商業会議所ニ於テ役員会ヲ開キ ○中略 清国ニ於ル金融機関ノ事ヲ議定ス
○下略


東京商業会議所月報 第七八号・第一―二頁 明治三二年二月 【○明治三十二年一月十…】(DK210066k-0002)
第21巻 p.381-382 ページ画像

東京商業会議所月報  第七八号・第一―二頁 明治三二年二月
○明治三十二年一月十四日、本会議所ニ於テ第七十八回臨時会議ヲ開ク、当日ノ出席者左ノ如シ
 河村隆実君 ○外三十一名氏名略
午後三時開議、会頭渋沢栄一君議長席ニ着キ、左ノ件々ヲ議事ニ附シ午後六時四十分閉会ス
○中略
 - 第21巻 p.382 -ページ画像 
 一清国ニ於ケル金融機関ノ義ニ付建議ノ件 (会員提出)
本件ハ会員益田克徳・朝吹英二両君ノ提議ニ係リ、其要旨ハ、日清両国間貿易事業ノ拡張ヲ謀ル為メ、清国ニ於ケル本邦金融機関ノ整備ヲ謀ランコトヲ政府ニ建議スルコトトシ、其起草並ニ提出ニ関スル手続ハ役員会議ニ一任スヘシト云フニ在リ、審議ノ末全会一致ヲ以テ之ヲ可決ス


東京商業会議所月報 第七八号・第三頁 明治三二年二月 【○同月 ○一月十九日…】(DK210066k-0003)
第21巻 p.382 ページ画像

東京商業会議所月報  第七八号・第三頁 明治三二年二月
○同月 ○一月十九日、清国金融機関設備ニ関スル義ニ付、大蔵・外務・農商務三大臣ニ建議書ヲ進達ス(建議書ノ全文ハ参照ノ部第一号ニ掲載ス)


東京商業会議所月報 第七八号・第三―四頁 明治三二年二月 【○参照第一号 明治三十二年一…】(DK210066k-0004)
第21巻 p.382-383 ページ画像

東京商業会議所月報  第七八号・第三―四頁 明治三二年二月
○参照第一号
 明治三十二年一月十四日第七十八回臨時会議ノ決議ニ依リ、清国ニ於ケル本邦金融機関ノ義ニ付、大蔵・外務・農商務三大臣ニ進達シタル建議書ノ全文ハ左ノ如シ
    清国ニ於ケル本邦金融機関ノ義ニ付建議
清国ニ対スル貿易事業ヲ拡張スルハ我国戦後ノ経営トシテ最モ急務ナリ、而シテ之カ拡張ヲ謀ラント欲セハ、同国ニ於ケル本邦金融機関ヲ整備セサル可ラス、何トナレハ金融機関ノ整否ハ直チニ貿易事業ノ消長ニ関スルモノアレハナリ、然ルニ現況如何ト顧ミレハ、上海ニ一ノ横浜正金銀行支店アルノ外、他ノ重要地ニ至テハ何等ノ機関ヲ有スルコトナシ、顧フニ両国間ノ貿易未タ著シク発達スル能ハサル所以ノモノ、其原因一ニシテ足ラサルヘシト雖トモ、金融機関ノ不整備ハ正ニ其一因タルヘキヤ論ナシ、然ラハ則チ同国ニ於ケル本邦金融機関ハ如何ニシテ之ヲ整備スルヲ得ヘキ乎、風土同シカラス其慣習大ニ異ナレル海外ノ地ニ向テ金融事業ヲ開始スルハ銀行者ノ極メテ難ンスル所、若シ之ヲ自然ノ趨向ニ放任セハ前途容易ニ其成立ヲ期ス可ラス、故ニ本会議所ハ、此際政府ニ於テ相当ナル保護ノ下ニ、同国内重要地ニ本邦金融機関ヲ設備セシムルコトヲ勉メラレンコトヲ望ムモノナリ、今ヤ清国ハ将ニ列国競争ノ一大商業市場タラントスルノ状アリ、此ニ対シテ最モ多クノ便宜ト最モ密接ノ関係トヲ有スル我国タルモノ深ク留心スル所ナクシテ可ナランヤ、願クハ閣下本会議所微衷ノ在ル所ヲ諒トセラレ、速ニ相当ノ施設アランコトヲ
右本会議所ノ決議ニ依リ建議仕候也
  明治三十二年一月十九日
            東京商業会議所会頭 渋沢栄一
    大蔵大臣 伯爵 松方正義殿
    外務大臣 子爵 青木周蔵殿
    農商務大臣   曾禰荒助殿
   ○右建議ノ趣旨ハ実現セズ。本巻明治二十九年三月十二日、同年四月二十五日、同年十二月十六日、同三十四年九月十五日、同年十一月八日ノ各条、本資料第二十二巻所収「商業会議所聯合会」明治三十五年十二月九日ノ条
 - 第21巻 p.383 -ページ画像 
並ニ第二十三巻所収「農商工高等会議」明治二十九年十月二十一日ノ各条参照。



〔参考〕東京経済雑誌 第三九巻第九六四号・第一七一―一七二頁 明治三二年二月四日 ○日清銀行設立の議(DK210066k-0005)
第21巻 p.383-384 ページ画像

東京経済雑誌  第三九巻第九六四号・第一七一―一七二頁 明治三二年二月四日
    ○日清銀行設立の議
先に東京商業会議所に於ては、臨時総会を開きて日清貿易金融機関の設備を要する事に関し、政府に建議し、議会に請願するに決したるが大阪商業会議所に於ても亦政府に建議し且議会に請願せり、其の意見書に曰く
 対清貿易上完全なる金融機関なきがために、我が商工業者の不便不利を蒙るは実に莫大なりとす、故に之を救済するの方法を立つるは目下焦眉の急務なるを以て、爰に新に日清貿易の機関たるべき唯一の銀行を設立せしめ、幸にも尚政府には引上銀貨の貯蔵あるべきを以て、其の中適宜の分量を保護として之に下附し、銀貨を以て運資に充て、自在に対清貿易業者の利便を与ふる鞏固なる銀行を設立せられんことを切望す
大日本綿糸紡績同業聯合会に於ても、亦日清貿易金融機関設備の急を論じて貴衆両院の議員に訴へたり、其の意見書に曰く、
 正金銀行は金利一割以上なる我国の金貨資本を以て成立し、其株主に対しては内地の金利に相当せる利益の配当を為さゞるを得ざる地位に在るを以て、之を低利に流用するは其難んする所なるのみならず、金貨資本を両三月に渉るの長日子間価格の変動恒ならざる銀貨として融通し置くことは、該行の利害に顧みて到底不能の事たるべし、然らは去て其金融を外国銀行に求めん乎、平素日本商人は専ら正金銀行に依頼するの事実あるに依り、外国銀行は這般臨時の依頼に応ずることを敢てせず、於是乎我輸出綿糸は全く融通を得るの途なきことゝなり、輸出玆に阻遏せられ、其反動として支那並印度綿糸は其販路を拡宏し、左なきだに勃興の気運を有し、既に四十五万錘余に上りたる支那紡績事業をして益々盛況を呈せしむるのみならず、印度綿糸も亦我綿糸の虚に乗して輸入額を増加するに至るべく斯の如くにして我綿糸の販路一度支那並に印度綿糸の蚕食する所とならん乎、再び之を挽回せんとするも事甚容易ならず、既往数年来の苦心経営を以て漸く其販路を拡張し今や一大貿易品と為りたる我綿糸も全く支那市場より駆逐せらるゝの悲境に陥り、延て我国唯一の工業とも称すべき紡績事業をして萎靡枯涸せしむるに至るべし、紡績事業の萎靡枯涸尚忍ぶべしとするも、之を小にしては紡績事業に衣食する幾多細民の生計を失はしめ、之を大にしては我対清貿易に一頓挫を来し、国家経済を攪乱するの恐れあるを奈何せむ、惟ふて玆に至れは冷汗の背に徹するを覚えさるなり《(マヽ)》
右の意見書に添付せる所に拠れば、大日本綿糸紡績同業聯合会が希望せる日清銀行の要領は左の如し
   第一 組織
 日清銀行条例を制定し其規定に基き設立す
   第二 営業の目的
 - 第21巻 p.384 -ページ画像 
 日清銀行営業目的は左の如し
  一、日本と清国・朝鮮及南洋間の為替並に荷為替の取扱を為す事 二、東洋諸国間の貿易業者に対し貸附を為す事 三、諸預り金を為す事 四、日・清両政府の公金及公債に関する取扱を為す事 五、保護預りを為す事 六、為替手形・約束手形其他証券の割引又は代金取立を為す事 七、貨幣の交換及地金銀の売買を為す事
   第三 営業所
 日清銀行の営業所は左の如し、但し必要に依り増設することを得
  (本店)神戸(支店又は出張所)横浜・長崎・函館・上海・香港牛荘・漢口・広東・仙頭・芝罘・仁川・釜山・新嘉坡
 右の外倫敦・紐育・桑港等に対する取引に付ては正金銀行と「コルレスポンデンス」を開く事
 台湾に対する取引に付ては台湾銀行と「コルレスポンデンス」を開く事
   第四 資本金
 日清銀行の資本金を金一千万円とし、其中三百万円は日本政府に於て引受け、残り七百万円は広く内外の資本主より募集する事
 政府引受の株金に対しては五ケ年間利益配当を為さす、之を欠損の準備金に充つる事
   第五 銀行手形発行
 日清銀行は支那に於て保証準備を置き、之に対し一覧払手形若干円を発行することを得、其の準備種類は左の如し
  一、支那政府の公債 二、支那に於ける確実の株券及商業手形 三、金銀地金
   第六 特別資金
 日清銀行に対し日本銀行は一千万円を極度とし年二分の利子を以て資金を貸与する事
   第七 株金払込
 政府引受の株は創立の際一時に払込むものとす
 一般人民より募集の株金は一株五十円とし、第一回に二十五円宛を払込ましむるものとす、銀行営業は右株金払込完結の後開始す
 株式は日本銀行に於て担保品と為す事
正金銀行が其の資本を銀貨にて所有する時は、測るべからざる銀価変動の為に危険なりとせば、日清銀行が銀貨にて所有する資本も亦危険なるべし、然るに正金銀行をは此の危険を避けしめ、日清銀行をは此の危険を冒さしめんとするものは何ぞや、正金銀行及び外国銀行が清国へ輸出する本邦の紡績綿糸に融通を与ふるは不利なりとして避くる所のものを、日清銀行をして進みて為さしめんとするものは何ぞや、余輩は我が邦の資本家が清国の資本家と協同して日清銀行を私設するに於ては其の挙を賛すべし、又我が邦の紡績業を維持し、其の繁栄を期するは希望すべし、然れども国庫を損失せしめて、日清貿易特に紡績業を維持するが如きことは之を排斥せざるべからざるなり



〔参考〕渋沢栄一書翰 穂積陳重宛 明治三二年一一月三日(DK210066k-0006)
第21巻 p.384-385 ページ画像

渋沢栄一書翰  穂積陳重宛 明治三二年一一月三日    (穂積男爵家所蔵)
 - 第21巻 p.385 -ページ画像 
○上略 清国ニ関係之事業頻ニ世間より申込も有之、日清銀行設立之内議老生手許ニ被相托居申候
○中略
  三十二年天長節之夜           渋沢栄一
    穂積陳重殿
○下略


〔参考〕東洋経済新報 第二五二号・第一二―一三頁 明治三五年一二月五日 渋沢栄一氏の日清銀行談(DK210066k-0007)
第21巻 p.385-386 ページ画像

東洋経済新報  第二五二号・第一二―一三頁 明治三五年一二月五日
    渋沢栄一氏の日清銀行談
 記者此程渋沢男爵を訪ひ、現下の問題たる日清銀行設立に就て此の意見を聞くを得たり、仍て其概要を録して読者諸君に紹介す
日清銀行設立の主意 余は日清銀行設立に就て相談を受け居るにあらず、縦令相談を受くるも自己の現在経営に属する仕事のみにて既に多きに過ぎ亦た他に力を分つの余裕なし、亦愈よ成立するの暁その株を買はんとの念慮もなければ、従て該問題に就ては余り研究し居らず。然れども該銀行設立の主意は、我対清の経営現在の状況にては、尚ほ満足する能はざるを以て、此の欠点を補ひ由て我が対清経営の伸張を図らんとするにあるを疑はず
我対清経営の現状 を観て一般に世人が清国経営に力の入れ方尠しと唱ふる如く、余も亦少くも世人の云ふ程度に於て甚だ不足なりとなすなり、欧米等の航路に就ては巨額の補助を与へ居るも、対清経営の一部たる日支間の航海、将た支那沿海又は内河湖の航運に対しては、大阪商船会社を始め政府の補助を以て経営せしむと雖、其補助額も極めて小に、欧米航路に比して力の注ぎ方甚だ不足の感あり、其他正金銀行・三井物産会社を始め邦人の支那経営決して力を致さゞるに非るも大体に於て甚だ揚らざるが如し
惟ふに放資 は我が対清経営の伸張に極めて必要条件なりと信ず、鉱山開採し、鉄道を敷設す、其他各種の事業に放資して対清の経営次第に伸張するを得ん、今夫れ正金銀行ありと雖も単に日清間の貿易の為めに為替資金を供給するに過ぎず、別に対清経営の上に格段の目的を有する日清銀行を起すは、主意より云へば誠に結構にして余亦賛成に躊躇せず、然れども能く実際に立ち入りて考ふるに
一部反対論 に云へる如く、日清銀行は正金銀行の如き純粋なる貿易機関とは別種の目的を有するも、彼の勧業銀行の如く、将た興業銀行の如く、其営業範囲を限定すること能はざるべく、自然正金銀行と同様手形の割引等貿易資金の供給を為すなるべし、然らば則ち既に成り立てる正金銀行の営業に自然差し響くことを免れざるべし、然らばとて既成の事業に影響無からしむるが為めに、日清銀行より為替事務を禁止せんか日清銀行の仕事は最初殆んど皆無となるべく、斯の如きは事実に於て望むべからざる事なり。余は日清銀行反対論の亦た道理なきにあらざるを見るなり。且つ
実行の一段 に至りては果して如何、資本金一千万円の中、政府に於て三百有余万円の株を所有し、十五ケ年無配当とし、其他の株を民間より募集する計画なりとか伝ふ、思ふに首尾よく成功すべきや否、今
 - 第21巻 p.386 -ページ画像 
に於て固より知るべからざるも、第一に肝要なるは人物を得ることなり、要するに我が対清経営は航路の上より見るも、其他の事業の上より観るも、概して殆んど見るべきなく、甚だ朝野とも力の入れ方足らざるが如し、日清銀行は其主意通り能く此の欠典を補ひ、其の活用に由て以て対清経営を進め得るものなりせば、誠に望む所なりと雖、果して能くその結果を収め得べきや、亦その他事業への差し響きは如何にして避け得べきや、其の主意其の目的は善美なるも、直ちに之のみを見て絶対的に賛成を表し得べきにあらずと信ず云々