デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.466-471(DK210081k) ページ画像

明治32年10月13日(1899年)

当会議所、第八回商業会議所聯合会参会員並ニ各省大臣・次官・局長等ヲ帝国ホテルニ招待シ、晩餐会ヲ催ス。栄一当会議所ヲ代表シテ、商業会議所ノ沿革ニツキ一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK210081k-0001)
第21巻 p.466 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
十月九日 雨
○上略 四時紅葉館ニ於テ、各地商業会議所聯合会員ト懇親会ヲ開ク ○下略
   ○中略。
十月十三日 曇
○上略 午後五時帝国ホテルニ於テ催シタル各地商業会議所会員及各省大臣・次官、其他局長等ヲ招宴スル宴会ニ列ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜十時散会 ○下略


明治三十二年十月開設 第八回商業会議所聯合会報告 附録・第一一一―一二〇頁 刊(DK210081k-0002)
第21巻 p.466-471 ページ画像

明治三十二年十月開設
第八回商業会議所聯合会報告  附録・第一一一―一二〇頁 刊
 明治三十二年十月十三日、東京商業会議所カ主人トナリ、第八回商業会議所聯合会参会委員其他内閣大臣・次官・局長等ヲ招待シ、帝国「ホテル」ニ於テ晩餐会ヲ催セシ際、主客ノ為シタル演説速記左ノ如シ
    渋沢栄一君ノ演説
閣下、諸君、今夕ハ我東京商業会議所ニ於キマシテ、此度各地カラ御会同ニナリマシタ商業会議所ノ聯合会ヲ機会ト致シテ、内閣諸公其他
 - 第21巻 p.467 -ページ画像 
ノ方々ニモ御光臨ヲ願ヒマシテ、玆ニ小宴ヲ催シマシタ所ガ、幸ヒニ諸公閣下モ大概尊臨ヲ下サレ、又全国ノ会議所委員諸君モ御打揃ヘテ尊来ヲ得マシタノハ、東京商業会議所会員一同光栄此上モゴザリマセヌ、依テ私ハ東京商業会議所ヲ代表致シテ、玆ニ一言ノ謝辞ヲ述ベマス、斯カル好機会ニ於テ商業会議所ノ其ノ始メ日本ニ生レ出マシテ殆ント二十年以上ノ星霜ヲ経テ今日ニ至ツタト云フ沿革ヤラ、又此聯合会カ如何ナル必要カラ成立ツテ既ニ七・八回ヲ重ネタト云フ経歴、及ヒ此商業界カ二十年ノ昔カラ年ヲ追ツテ進歩シテ政治上トノ関係カ如何ニ発達シテヲルカト云フコトマデヲ申上ゲマシテ、諸君ノ清聴ヲ願ヒタヒト思ヒマス、商業会議所設立ノ事ノ日本ニ生ジタノハ明治十年ノ冬デ、願ヲ出シテ許可ヲ得タノハ十一年ノ三月ト記憶致シテヲリマス、併シ私ハ頃日来頗ル多忙故ニ丁寧ナル取調ベヲ致シマセヌカラ全ク記臆ニ存スル儘ヲ申上ケマスデ、或ハ少々ノ誤謬カゴザイマセウカ其段ハ御容赦ヲ願ヒマス、偖其十一年ニ会議所ノ生レ出マシタ訳ハドウ云フコトカト云フト、丁度其頃内務卿トシテハ伊藤侯爵、大蔵卿トシテハ大隈伯爵カヲラレタ、此両君カ私ヤラ其他東京ノ左様ナ事ニ心ヲ用ユル誰彼ノ若干名ヲ招喚セラレマシテ、諸外国ニハ商法会議所ト云フモノカアルカ、日本ニハ一ツモナイ、困ルコトニハ外国トノ条約改正ト云フコトニ付テ、政府ノ考案許リテハ外国カラ見ラレルト甚ダ工合カ悪ルイ、商売人ノ企望ト云フモノカナクテハナラヌ、依テ東京ニ商法会議所ト云フヤウナモノヲ作ツテ呉レタラドウダト云フ御話カアツタテゴザイマス、今申スト誠ニ抱腹ノコトテ、頼ム人モ頼ム人、頼マレル人モ頼マレル人ダト、当今ノ文明教育ヲ受ケタ若イ方々ハ御笑テゴザリマセウ、去リナカラ本統ノ事デス、又タ皆現存シテ御出ナサル御方テアルカラ、大隈サンヤ伊藤サンニ行ツテ御聞キナサイ、覚エノ宜イ方ハ知ツテ居ル、ソコテ吾々ハ商法会議所ト云フモノハ一体トンナモノカ、四角ナモノカ円イモノカ分ラヌケレトモ、賢イ人ノ御説テアルカラ、ヤツテ見ヤウ、多ク金ノ掛ルコトナライヤタ、成ルタケ迷惑ノ掛ラヌモノナラバト云フノテ組立テマシタノカ東京商業会議所ノ嚆矢テアル、其時ニ政府ハ一年ニ千円丈ケヲ補給シ、家屋モ政府テ造ツテ附与シテヤル、即チ今ノ農商務省カゴザイマス木挽町ニ凡ソ二・三千円位ノ家屋ヲ作ツテ之ヲ附与セラレ、並ニ経費ノ補給ヲサレタ、是ハ明治十一年ノ三月十二日ト覚ヘテ居リマス、右様ナ有様テ商法会議所カ成立ツテ会員ノ出来タノハ漸ク二十七・八名ト記臆シテオリマス、其頃商法会議所ト云フモノヽ引続イテ成立シタノハ大坂テアツタト覚ヘテオリマス、併シ大坂ナリ京都ナリ其他ノ地方ノコトハ私モ十分ナル記臆ヲ存シマセヌ、唯ダ凡ソ左様デアツタラウト云フ想像ヲ申上ゲルノテス、此商法会議所カ其頃輸入税ヲ増サナケレバナラヌト云フ問題ニ付テ外務省ヘ行ツテ種々ノ説ヲ聴キ、輸入品ノ課税ニ付テ意見ヲ提出シタノカ政府ニ対シテ出シタ建説ノ第一デアル、蓋シ教ヘラレテ述ル意見ダカラ何ヤラ隣リニ黒頭巾カ着イテヲルト云フ有様テアツタト言ハザルヲ得ヌノテス、夫レカラ引続イテ他ノ商業若クハ工業ノ法律規則ト云フヤウナモノニ付テ種々ナル意見ヲ提出スルト云フコトハ致シマシタケレドモ、政府ヨリ補給スル経費モ二年間ニテ廃
 - 第21巻 p.468 -ページ画像 
セラレ跡ハ有志会テ自身カ費用ト手間トヲ費スト云フ方法テアルカラシテ甚ダ発達致シマセヌ、会員モ出席セニヤナラヌケレドモ忙シイカラ今度ニ御免ヲ蒙ムルト云フテ、自然ニ出席セヌ人カ多クナル、甚シキニ至ツテハ常ニ出席スル人ハ愚直ダ、能ク度々出席スルト云ツテ冷笑サレル様ナ訳テ、始メハ遠慮心カアツタカ、後ニハ公然ト出ル人ヲ馬鹿ニスルト云フ事ニナツテ来ル、ソレ故ニ此商法会議所ハ萎靡振ハズ明治十五年頃ニ至ツテハ殆ント形アツテ其実ノナイト云フ姿ニナツタ、是ニ於テ私共大ニ歎息シテ、迚モ吾々ノ商業界ハ政治ニ向ツテ十分ナル意見ヲ注入スルトカ若クハ企望ヲ陳述スルト云フカ如キ進取ノ気象ハナイニモセヨ、セメテ幾ラカノ力ヲ集合シテ多数ノ意見トシテ世ノ中ニ訴ヘタナラバ多少ノ効ヲ見ルテアラウ、欧羅巴ニ於テハ「チヤムバー、オフ、コムマルス」ト云フ言葉ハ、私共ノヤウナ外国語ヲ解セヌ者テモ常ニ聴キ覚ヘル程テアル、実ニ歎ハシイコトヽ考ヘマシタカ、如何セン全体ノ有様カサウテアル、ソコテ明治十六年而カモ爰ニ御出席ニナツテ居ラルヽ山県総理大臣カ其頃ハ参事院ノ議長テ在ラシツタト覚ヘテヲル、又逓信大臣ノ芳川君ハ東京府ノ知事テアツタ、是等ノ方々ニ段々其事情ヲ申上ケテ、商法会議所ノ性質ヲ変更シテ各種ノ組合カラ会員ヲ出サセルト云フヤウナ趣向ニシタナラバ、幾ラカ商業団体ノ形造リカ出来ルテアラウト云フ考ヲ以テ、遂ニ商工会ヲ組織スルト云フコトニ至ツタ、其商工会ヲ組織スルニ付テハ、其時東京府知事タル芳川君カ東京ノ商人ヲ集メテ勧誘ノ演説ヲサレタコトモアリマシタ、ソコテ前ニ申シタ不用視セラルヽ所ノ商法会議所カ息ンテ、商工会カ組立テラレタ、東京ニ商工会カ出来テカラ各地方ニボツボツト同ジヤウナル組織テ商業団体カ組立テラレルトイフ場合ニ至リマシタ、延イテ明治二十二・三年ノ頃マテ其姿ヲ経過シタ、併シ此頃ノ一般ノ議論ハドウモ斯ル有志会テハ仮シヤ議決シテ其筋ヘ上申シテモ甚ダ力カ薄イ、或ハ責任カ明カテナイ、権限モ分ラヌト云フヤウナコトカラシテ、是非是ハ組織ヲ変ヘタイト云フ事ガ段々世間ノ議論ト相成リマシタ、丁度明治廿二年テゴザリマスル、故人トナラレタ陸奥伯爵カ農商務大臣テアラレタ時分ニ、凡ソ十箇所許リノ商法会議所若クハ商工会即チ東京・大阪・京都・名古屋・神戸・横浜・大津・堺・長崎・福岡ノ十箇所ト覚ヘテヲリマス、此十箇所ノ有志者ヲ集メテ、是カラ先商法会議所ヲ如何ニシテ宜シイカト云フ諮問会カアツタ、此諮問会ニ於テ吾々東京商工会ノ意見ハ、寧ロ之ハ英国風ニシテ法律ヲ以テセズニ有志会ノ組織ニシテ、ソウシテ政府カ相当ナリト認メタラ是ダケノ権利ヲ与ヘルトカ、若クハ是ダケノ義務ヲ負ハセルトカ云フコトニシタ方カ宜シクハナイカト云フ説ヲ呈シタ、然ルニ外国テモ仏蘭西・澳西太利・伊太利抔ハ皆法律ヲ以テ組織サレテアルカラ、ドウモ法律ヲ極メタ方カ宜シカラウト云フ説カ多数テアツタ、農商務省モ蓋シソレカ希望スル所テアツタ故ニ、法律説カ勝ヲ制シテ、即チ今ノ商業会議所条例ト云フモノカ成立サレタモノテアル、去リナカラ、此条例ハ其際元老院ニ於テハ否決サレタ、其否決サレタニモ拘ラズ、陸奥サンハ鋭意此商法会議所ヲ必要トシテ遂ニ之ヲ法律タラシメタ、其事ニ付テハ其頃随分批難カアツタトイフコトモ記臆シテヲリマス、詰ル処今
 - 第21巻 p.469 -ページ画像 
ノ法律ノ成立ニ依ツテ商業会議所ト云フモノカ追々ニ育ツテ参ツテ、年ヲ追フテ其数カ増加シテ、今日ハ五十六箇所ニマテ相成ツタトイフ斯様ナ歴史デゴザリマス、又商業会議所聯合会ト云フモノハ、ドウ云フ有様テアツタカト云フ経過ヲ大略繹ネテ見マスルト、前申述ベマス通リニ明治廿三年ノ条例ニ依テ各地ノ商業会議所カ出来タニ付テ、其廿五年ニ大坂・京都・神戸其他関西ノ八・九会議所ノ有志会員ガ大阪ニ会合シタル節、大阪商業会議所ヨリ各地ノ会議所ヲ聯合スルカ必要テハナイカト云フ意見ヲ提出サレテ、其年ノ十月始メテ京都ニ第一回ノ聯合会ヲ開キタルカ、其時分ニハ東京商業会議所ハ加盟ヲ承諾セナンタ、其訳ハ商業会議所ノ現在ノ条例テハ一箇所丈ケカ許サレテアルノダカラ、併セテ見タ所カ二ツ丈ケノ強ミカアルヤ否ヤトイフ疑ヲ有ツテヲツタ、併シ兎ニ角客員トシテ会員ヲ出サウトイフノテ会員ヲ出シマシタ、ソレカラシテ翌廿六年ニ東京商業会議所モ矢張リ聯合会ニ加盟スルヲ利益ト認メテ加盟ヲシマシタ、其頃ノ聯合会ノ開設ノ仕方ハ、先ツ京都ニ、神戸ニ、金沢ニ、名古屋ニ、或ハ博多ニ、広島ニ、横浜ニトイフヤウナ塩梅ニ、其年ノ商業会議所ノ聯合会ニ於テ来年ハ何レニ開カウトイフコトヲ定メテ、早ク申スト年番持廻リトイフヤウナ決議デ各地押廻ツテ歩行ク、其間ニ各地デ御馳走ヲ受ケルトカ、工場ヲ見物スルトカ、議事トイフヨリハ寧シロ交際ニ奔走スル有様ニテ懇親ヲ厚フスルモ必要テアツタケレドモ、併シナカラ無用ノ経費モ少クナイ、是ニ於テ各地ノ商業会議所委員カドーモ斯ウ云フ有様テハ聯合会ハ利益ヨリハ弊カ多イ、時ヲ余計ニ潰ス、議事ヲ十分ニ為シ得ラレヌ恐レカアル故ニ、今一歩進ンデ成ルベク着実ニ、成ルベク利益ノアルヤウニ、成ルベク真摯ニ且ツ力アルヤウニ致シタイト云フコトテ遂ニ年々開ク場所ハ一ツニシタ方ガ宜シイト云フノテ、東京ニ開クト云フコトニ確定サレタハ多分一昨年テアリマシタ、而シテ今商業会議所ノ聯合会ハ開カレタ回数ヲ以テスルト、丁度第八回ニ及ンテヲリマス、其外ニ臨時会カ二回アツタト記臆シテヲリマス、此商法会議所若クハ商工会、続ヒテ商業会議所及其聯合会カドウ云フ事ヲ為シタカト申スト、其昔即チ二十三年以前ノ事ハ、先ツ第一ニ条約改正ニ付テ意見ヲ提出シタコトナドハ恰モ子供ノ清書ニ美ノ字ガ付イタカ如クナレドモ、其後ハ左マテ有効ナ案件ガアツタトイフコトハ申上ケ兼ネマスル、ソレ程力ハ持タナイ、地位モ進マナカツタ、世ノ中カラモ有効視サレナカツタ、然ラバ法律ニ依ツテ成立チタル商業会議所ハ如何ナル働キヲ為シタカト云フト、是以テ吾々カ爰ニ喋々申上ゲル程ノコトハ為シ得ラレヌ、サリナガラ例ヘバ商法ノ修正ト言ヒ、若クハ航海奨励法ノ成立ト言ヒ、或ハ棉花輸入税ノ免除ト言ヒ、或ハ海外ノ商業練習トイフヤウナ国家経済ニ関セタ必要ノコトニ付テハ、吾々ノ建議シタコトカ随分数多ク採用サレテアル、或ル場合ニハ鉄砲玉ノ使ヒトイフヤウナ苦情モアリマスカ、世ノ中ニ幾ラカ有効ト見ラレル事柄モナイテハナカツタラウ、言葉ヲ換ヘテイフナラバ、政治社界テモ商売人ノ思想ハ斯様デアル、之ハ採用シナケレバナラヌ、之ハ甚ダ重要ナコトデアルトイフコトヲ年一年ニ認メラルヽヤウニナツタトイフノハ敢テ過言テハナカラウカト思ヒマス、概括シテ見ルト、丁度商業会議所ノ
 - 第21巻 p.470 -ページ画像 
生レタノハ明治十一年デアツテ、年ヲ積ムコト二十二年、其昔ヲ回想スルト誠ニ御恥カシイヤウナ次第テアル、二十余年ノ星霜ヲ経テ己等ノ老年ニナルト共ニ、商業会議所モ長大ニナツタカトイフト、決シテ世ニ誇ルトイフコトハ為シ得ラレマセヌ、ケレドモ若シ昔日ノ微々タル有様ニ較ベテ見マスルト、各地ノ商業会議所モ創立ノ頃ヨリハ大ニ其面目ヲ改メラレ、又東京商業会議所モ不満足ナガラモ相当ナル一ノ会場モ落成シマシタ、此建築ニ付テ東京ノ商業者即吾々ヲ選挙スル人人ハ大ニ喜ンデ、吾々ノ後援ナリト云フ迄ニ至ツタノハ或ハ商業界ノ発達ト申シテモ宜シカラウト考ヘル、而テ是ト同時ニ政治社会ニ対スル有様モ現ニ各地ノ商業会議所会員ガ参集ニナツタヲ機会トシテ、爰ニ吾々ガ粗末ナル小宴ヲ開キマシテモ、総理大臣閣下ヲ始メ各国務大臣ガ御臨席下スツテ、手ヲ握リ説ヲ闘ハシテ一堂ノ中ニ歓ヲ同ジウスルトイフノハ何ト愉快ナルコトテゴザリマセヌカ、既往ヲ顧ルト大ニ喜ブベキモノモアレドモ、将来ヲ思フテ見マスルト決シテ我々ハ是デ満足シテハヲラレヌト思ヒマス、既ニ今日モ農商務大臣ハ我商業会議所聯合会ニ於テ種々懇切ナル注意ヲ与ヘラレ、就中亜米利加ノ「トラストシステム」ノコトヲ御説示ニナツタ、此「トラストシステム」ノ善悪ト其効能如何ハ先ツ第二ニ措テ、亜米利加ノ駸々ト進ム有様ハ恰モ一万噸以上ノ大船ガ二十「ノツト」以上ノ速力ヲ以テ駛ルトイフヤウナモノデアル、是ニ較ベルト、我日本ハ近来長足ノ進歩ト言ヒマスケレドモ、三百噸トカ五百噸ノ船テ漸ク五里カ八里ヲ駛行スルトイフ有様テアル、左様ナ国柄テアル、吾々ハ極メテ孱弱ノ商売人テアルカ翻ツテ一歩ヲ進メテ言フナラバ、日本ノ政治家ト雖モ或ハサマテ強力ナリトハ申上ゲラレヌカモ知レマセヌ、畢竟政治家ノ強力ナラザルノモ商業ノ孱弱ニ起因スルコトナレバ、是カラ先キハ吾々モ自ラ励磨シテ行カナケレハナラヌト同時ニ、政治家ニ於テモ十分ニ吾々ヲ誘掖セラレン事ヲ願ハネバナラヌト存ズルノデゴザイマス、玆ニ賁臨ヲ辱フシマシタ感謝ノ意ヲ表スルト共ニ、既往ノ感ト将来ノ望トヲ陳述致シタ次第デゴザリマス(大拍子)
    山県総理大臣ノ挨拶
東京商業会議所カラ御招キヲ蒙リマシテ誠ニ難有ウ存ジマス、殊ニ此東京及各地商業会議所ノ諸君ト此一堂ニ会合シテ、一夕ノ歓ヲ尽シマスルコトヲ得マシタノハ誠ニ吾々ノ最モ光栄トスル所テアリマス、玆ニ一言ヲ述ベテ、来賓諸君ト共ニ東京商業会議所会員諸君ノ好意ヲ謝シ、併セテ健康ヲ祝シマス(大拍手)
    土居通夫君ノ挨拶
私ハ今夕御招キヲ受ケテ参列シテヲリマスル各地商業会議所ノ委員ニ代リマシテ、一言御挨拶ヲ申上ゲマス、山県総理大臣閣下、各省大臣閣下、其他貴賓並ニ渋沢会頭及ヒ東京商業会議所諸君、今般第八回商業会議所聯合会ヲ当地ニ開カレルニ付キマシテ、東京商業会議所ハ幹事トシテ種々御手数ヲ煩ハシ、百般ノ準備ヲ御整ヘ下サレマシタノハ誠ニ難有イコトヽ感謝致シマス、殊ニ渋沢会頭ハ御繁忙ニモ拘ラス、日々熱心鄭重ニ議事ヲ整理セラレマシテ、参列委員一同満足且深ク謝スル所テゴザリマス、即チ参列委員一同ハ渋沢会頭及当会議所会員ニ
 - 第21巻 p.471 -ページ画像 
対シマシテ甚ダ負フ所ノ大ナルニモ拘ラズ、却ツテ今夕ハ鄭重ナル御待遇ヲ受ケマシテ、実ニ恐縮ノ至テゴサリマス、加之ナラズ、山県侯爵閣下其他貴賓各位ノ御来臨ヲ辱フ致シマシテ、一同其席末ニ列スルヲ得マシタノハ此上モナイ光栄デゴザリマス、偖テ要路ノ方々ト一堂ニ会シテ御懇親ヲ蒙リ、貴重ノ御高説ヲ拝聴スルヲ得マシタニ付キマシテモ、渋沢会頭ニ謝サネバナリマセヌ、元来我等商業会議所ノ任務ハ地方ニ対シ且ツ国家ニ対シマシテモ重且大ナル関係ヲ有シテヲル事ハ自ラ信ジテ疑ヒマセヌ、其重且大ナル任務ヲ全ク尽サントスルニハ只今渋沢君ノ述ベラレマシタ如ク、官民間調和ノ実ヲ挙ゲマシテ、互ヒニ扶ケ助ケラレルトイフコトヲ致シマセヌケレバ、良好ノ結果ヲ見ルコトハ出来マセヌ、幸ヒニ今夕ハ朝野疏通ノ途ヲ得マスル端緒ヲ開ラキマシテ、我等商業会議所前途ノタメニ否ナ国家ノタメニ賀スベキ事ト存ジマス、我等商業会議所ハ益々努メ益々励ンテ、将来一層任務ヲ尽スハ固ヨリノ事テゴザリマスカ、政府ニ於キマシテモ今一層商業会議所ニ権能ヲ与ヘ、且ツ完全ナル方法ヲ御設ケニナツテ、商業会議所カ任務ヲ尽スニ易カラシムルヤウ、御講究アランコトヲ切望致シマス、玆ニ各地商業会議所ノ参列委員ニ代リ、一面ハ来賓諸君、一面ハ渋沢会頭其他東京商業会議所会員諸君ニ対シテ御礼ヲ申上マス
                              (大拍手)