デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.647-659(DK210113k) ページ画像

明治34年2月21日(1901年)

当会議所及ビ全国商業会議所聯合会・政友商工倶楽部・商工相談会・経済研究会ノ会員等合同シテ、政友会所属貴衆両院議員ヲ帝国ホテルニ招待シ晩餐会ヲ開ク。栄一之ニ列席シ大倉喜八郎・井上角五郎ニ続イテ、現下ノ経済救治策トシテ外資ヲ輸入シテ内国公債ヲ償還シ、私設鉄道ヲ買収スル法案ニ就イテ演説シ、政友会議員等ノ尽力ヲ要望ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK210113k-0001)
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渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
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二月廿一日 晴
○上略 午後 ○中略 帝国ホテルニ抵リ、政友会員招待会ニ列ス、食卓上経済救済ニ関スル一場ノ演説ヲ為ス、夜九時兜町ニ帰宿ス


中外商業新報 第五七二〇号 明治三四年二月二二日 経済各団体の招待会(DK210113k-0002)
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中外商業新報  第五七二〇号 明治三四年二月二二日
    経済各団体の招待会
東京商業会議所会員・全国商業会議所聯合会委員並に政友商工倶楽部商工相談会・経済研究会の会員諸氏合同の上、昨二十一日午後四時より政友会所属の貴衆両院議員諸氏を帝国ホテルに招待し晩餐会を開きたるが、同席上大倉喜八郎氏の挨拶に引続き、井上角五郎氏は各団体を代表して各団体の素望たる外資輸入・公債償還・鉄道買収の目的を達するの為め本期議会に於て是非共鉄道国有法案を成立せしめ度きに付、此際政友会所属貴衆両院議員諸氏の賛同尽力を希望する旨を述べ夫より別席に移りて晩餐の饗応ありたる由


中外商業新報 第五七二〇号 明治三四年二月二二日 経済各団体招待会の演説(DK210113k-0003)
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中外商業新報  第五七二〇号 明治三四年二月二二日
    経済各団体招待会の演説
 東京商業会議所外四団体の主催に係る政友会所属両院議員招待会の事は別項欄内に報道せし如くなるが、同席上大倉・井上両氏並に渋沢男爵の為したる演説左の如し
    開会の主旨  〔大倉氏〕
諸君、余は謹んで諸君の来臨せられたる光栄を謝します、扨て政友商工倶楽部は昨冬に至り始めて創立しましたもので、我々商工業者が我我の利害に関係ある問題も研究し、且は実業をして政治と近接せしめ諸君と我々と相互に懇親するを謀るものである、其の特に政友の二字を冠する所以に至りましては、規則の首めに政友会員と否とを問はずとあるに由つて自から明かで、部員の多数は政友会員であります、創立以後まだ二・三ケ月を経過したるのみなれば部員は猶ほ僅に百名内外なれども、余は敢て有力なる商工業者のみであると誇るに憚りませぬ、此倶楽部々員を中心として東京商業会議所会員中有志者・経済研究会々員・東京商工相談会々員の之に加はるあり、また一個の資格にて出席したるものも甚だ少なからず、専ら両院議員の政友会員のみを招待し、斯くは諸君の来臨を辱ふしたのである、然れば諸君は此会に於ける他人の処に来た様に考へらるゝことなく、必らず我々に同情を寄せ同感を表せらるゝものであるを信じて疑ひませぬ
我々一同が斯く諸君を招待したのは素より諸君の連日帝国議会にて国務に尽力せらるゝ其の労を慰むると、後来我々と諸君と一層懇親に往来したい、即ち其端を今日から開きたいと云ふに過ぎませぬが、併し目下経済の状況の困難なる我々は、我々の意見を述べて以て諸君の参考に供し、注意を惹くの止むを得ざるものあるを覚ゆるに由り、玆に其の意見を述べる積りであります、諸君の我々と同情同感なる必らず之を静聴せられ、且つ相当の判断を与へらるゝに吝ならぬことゝ思ひます
我々が今述べんとする意見は、外資を輸入しまして、是に由りて内国
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公債を償還し、又は私設鉄道を買収し、以て民間資本の充実を是れ謀り、同時に幣制を改正して硬貨主義の実行を期すると云ふ、先づ箇様な意見であります、詳細は之を井上角五郎氏より申上げる筈である、余は之を以て開会の主旨と為し、重ねて玆に諸君の来臨せられたる光栄を謝します
    経済の意見  〔井上氏〕
諸君、余は一応諸君に挨拶いたします、扨て目下我国の経済は如何であろう、困難の極に陥り最早此儘に捨て置かれぬ、必らす速に応急手段……臨時の手当をなすの外はない、経済の状況が箇様であることは諸君の能く認めて居らるゝところである、之を要するに貿易は兎角輸出入不平均で只今では兌換制度の基礎さへ危険で、もし此儘に捨て置いたならば、紙幣下落を見るかも知れずと此様に心配するものかあるが、併し余は之を杞人の憂ひとのみは云はれぬと思ふ、諸君よ、箇様な危険が差迫つた原因は如何である、固より種々様々有つて一口に断言も出来ぬが、戦後経営として官民事業の一時に膨脹した之か重なるものであると云ふことは蓋し誰しも非認せぬ事である、左れど其実官民の事業は一時に膨脹したれど、否な膨脹するの様子を顕はしたれど間もなく中止し、解散し、今日ではそれほど多く戦後の結果と云ふへきものか認められぬ、之に反し官業就中軍備の拡張の如き、支那より得たる償金を遣ひ尽し、同時に政府経常の費用も増加して以来幾たびか租税を増加するの止むを得さる迄に進んで居る、諸君試みに戦後輸出入の不平均は主として如何なる物品の輸入せられたるに因るかを考へて見られよ、鉄道の軌条もある、車輛もある、紡績其他工業の機械もある、原料もある、けれども是等所謂生産的輸入品よりは軍備其他の不生産的のものが数多く……之を不生産的と申すと言葉に嫌ひがあるが、姑らく経済の点より斯く云ふので、輸出入の不平均は其の重なるものは其不生産的輸入品であることは明かに知らるゝであろう、是等輸入物品よりも猶一層其不平均の原因となつて居るものがある、即ち消耗物品である、換言すれば社会一般が贅沢になり、就中下層人民の生活の程度が増長して、為めに海外より日常の入用の物品を輸入する様になつて来た、如此き輸出入不平均は今日輸入するも後日利益を生じ、又は再び輸出を増加するの基となるものとは……、即ち軌条・車輛・器械・原料とは大に異つて、如何にも損失なるこの輸入物品はなぜ戦後に増加しましたろう、如何にも非常に増加したのは就中下層人民の生活の程度が増長したからであると云ふの外はない、是れにも種々様々の原因がある、元来社会は文明の進歩と共に漸く贅沢になると云ふこともあるが、主たる点より申しますると、即ち戦後経営として官民共に事業に着手する、就中軍備の事業に多く労働を要し、一般社会の賃銭が昂貴した、二十銭で満足した土方が五十銭、四十銭で満足した職人が一円と斯様に彼等労働社会の収入増加が斯くは消耗物品の輸入を増加さしたので、余は今日の物価騰貴も同一の原因から来て居ると、この様の意見を抱て居ります、最も物価騰貴は通貨増加から来た、支那の償ひ金が這入つたからだと箇様な議論もあることであるが、玆には之を弁じませぬ、ソーして見ますると、輸入超過は戦後経
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営就中官業膨脹の結果で、物価騰貴も余の意見の如し、さすれば或は其結果であると思ふ……、兎に角に輸入が超過し物価が騰貴する以上は、随つて官民両ながら資金……資本の不足に苦しむに至りたるも当然の事柄で、之れが戦後経営の結果であることは明かに知らるゝであろう
斯く申しても我々は目下経済の困難を独り政府の所為と為すのではなく、我々も軍備拡張に同意した、其他一切の官業就中政府が殖産教育に力を用ゆるに賛成したので、今後とて此等には賛成する積りで居る只だ出来得る限り無益の費用は之を省いて貰ひ度と云ふのみで、今日の困難は拠なきものと考へて居るのである、それならなぜ官民事業の比較を左様に述べ立つるかと疑はるゝかも知れぬけれど、世間動もすれば民間今日の苦痛は彼等実業者流の自から招いたものであると云ふものがあるから全く黙しても居られぬ、諸君幸に之れを諒せられよ
此頃伝聞するに政府は行政刷新の会を起さるゝ様子である、必ず政費節減の方針を執られしことゝ思ふ、此等は我々の最も喜び且つ賛成することである、併し此事は我々商工業者として左程に云ふにも及ばぬ只今日の我々の苦痛を、それは自業自得である抔と云はるゝは迷惑であると思ふのみである
目下官民両ながら資本の不足を感じて居る、これは戦後経営の結果である、そこで政府は資本の不足……つまり国庫の不足をどうするかと云ふに、度々増税したり何か角で間に合はされ、一方に政府……幾度か内閣は交迭したが、とんと民間資本の不足には意を用ゐられぬ、我我も度々政府へ建言し議会へ請願したが少しも効能を見なかつた、而かも却つて政府は日本銀行の制度を濫用して……濫用と申しては言葉に嫌があるが、それに由りては徒らに利子を引上げたり、故らに貸出しを渋滞したりして民間の事業をのみ押へつけんとせられた、箇様な日本銀行の所為の思の外に今日の経済を取り替へすに効験なきことは伊藤総裁も現に我々に申されたことである、箇様に官業は其儘に膨脹さして民業は之れを押へ付ける結果、漸次にとうとう我々商工業者を苦痛の境に陥らしめ、今や銀行の破産となり、会社の解散となる、一個人の困難は更に甚たしく、有利の事業さへ啻に之れを起さゞるのみならず、之を中止するの外なきに至らしめた、之れが今日の有様である、諸君政府の国庫さへ収支が間に合へは民間は如何に苦痛しても差支なかろうか、一国に兵力は必要である、今日支那に於ける日本軍隊の功績は我々も能く之れを認めて居る、併し兵力さへあれば金力はなくても済むとはまさかに云はれますまい、民間事業の発達するにあらざれは到底貿易上我か正貨の流出を取戻すことは出来ぬ、後日万一戦争があつても其費用を得ることか出来ぬ、換言すれは各国と対等の交際は兵力のみでは出来ませぬ、左ればこそ、我々は政府が増税で国庫の収支を不足なき様になさるのと同時に、民間資本の充実を講究計画せらるゝが当然であると申すので、今や之れを諸君に訴へ且つ速かに応急手段をとられたいと希望するのである
過日我々数名で伊藤総裁を訪問した、総裁の曰く、目下我国の経済は製造保護とか貯蓄奨励とか、そんな釈迦に薬と云ふ様な事を云つては
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居られぬ、何んとか相当に思ひ切つた応急の手段を施すの外はないと余は如此く民間の事情に通せられた所の人が有力なる政友会の総裁で現に内閣総理の地位を占めらるゝを大に喜んで居ります、而してその思ひ切つた応急の手段と云へば、即ち先刻大倉喜八郎氏の申したものより外に差向き妙案良策はなかろうと我々は信じて居るのである、外資を輸入して内債償還・鉄道国有を実行し、且つは幣制を改革したいと云ふ此案を、我々か今日提出するに至りました行掛りは一応申上ける価値があると思ふ
戦後官民事業は一時膨脹して頗る景気の好かりしが、間もなく民間資本の不足となつた故に、明治二十九年の秋頃には早や経済救済の声が高く、東京商業会議所や其他実業団体で之が研究を始めた、諸君は記臆せよ、民間は左様になつた其後に於て松方・大隈の内閣が軍備拡張第二期案を帝国議会に提出し、諸君は之に同意を表せられたことを、余が経済今日の困難を多く官業の結果に帰するのも強ち道理無きことではない、余事は扨措き、当時我々商工業者の議論は、支那の償ひ金より我々が日清戦争最中に政府の募集に応じた即ち軍事公債だけハ償還して貰ひたい、之ぞ戦争の為め民間の資本を取上げたのであるから戦争の終りたる上は戻すか宜しいと、殆んど是れは輿論と申して好しい程であつた……、処が償ひ金は夫々政府・議会で其の使ひ途を極めまして迚も軍事公債を償還することは出来ぬ、尤も少々は償還して見たが直ちに止めた……そこで外債を募集して内債を償還すへしとの論が起つた、当時東京商業会議所で之を政府に建議した事がある
外資を輸入するは国家として危険である、金を海外から借るなどゝは宜しくない事であると、斯様な議論を唱へたものも有つたが、今日はまさか左様な論者は無からう、但た外資輸入の方法に就きましては相当に議論がある、之を自然に任すが善い、其の自然に任す上は成べく外資の入り易き様に、其の故障となるものを除き去るが宜いと、是は我々も□《(同カ)》意である、既に我々が土地所有の権や鉱山採掘の権を外国人に与へても宜からうと申して居るのも其故である……、けれとも外資輸入は此の一手段のみに限れぬ、なぜかならば到底此の一手段では十分の輸入はないのである、見よ内地雑居以来、金貨本位以来、やつと煙草製造の資本が這入つた、石油採掘の資本が這入さうなと……まあ此位のことである、そこで我々は政府の力を仮るの外はないと思ふのである、左ればこそ外債を募集して内債を償還するの議論ともなつたのである、之が姑く輿論同様となりし時に、確か三十一年の夏頃であつたと思ふ、板垣伯か時の自由党の総理で有つて、政治家と実業家と相互に近接さしたい、又々政治家は成べく実業家を助けたい、斯様な考を以て我々を上野精養軒に招き玆に鉄道国有の論を唱へられた
伯の唱へらるゝ大要な鉄道は全国の幹線を同一監理の下に置き、且つ官設予定の線路を早く成就せねばならぬ、故に鉄道を国有にしたいと実に運輸交通の機関を完全にするの点より之を論ぜられた、さうして伯はまた海外各国大抵鉄道を本国の資本のみで架設して居るものはない、故に日本の如き一層鉄道架設の必要なる今日、之を国有にすると同時に外資を募集するが宜しい、即ち鉄道抵当の外資募集は容易であ
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ると論ぜられた、我々は伯の此論を聞いて今日民間の資本を充実にするにも此上の手段はないと斯様に思つた、果して伯の論ずる如くなるときは、固定したる既設鉄道の資本が即ち流動するものになるのである、そこで此論を賛成するものが段々と増加しました、其後鉄道国有は旧自由党の党議となり、帝国議会へ政府が案を出したのも、尤も成立はしませぬでしたが、是れも旧自由党の尽力で、今日鉄道国有の議論あるは同党の力に由るものである
外資輸入は政府の力を仮り実行するより外はないことは已に述べました、扨て単に外国で外債を募集し、又は内国公債に裏書して之を外国に売出す、それのみで十分であるが、勿論それのみで割合より利子を安く借りる事が出来れば此上も無いが、今日までの経験ではどうもそうは思はれぬ、矢張り抵当を附した方が宜しい、板垣伯の論はさうであつて、抵当を出して外債を募集するの問題も唯今では余り反対を見ませぬ、既に星享君か逓信大臣たりし当時に於て演説して斯様に申されて居る、抵当を出して金を借るべし、何故にそれが国辱であるか、なぜそれが面白からぬかは我々に述べて聞かせられたことがある、尤もの次第と言ふの外はない
所が板垣伯の鉄道国有を論ぜられたとき会合したる我々は一の実業団体を作りました、其れが即ち経済研究会である、段々研究の上之を賛成し、世間にも漸次賛成の議論が多くなつた、然るに一方には内債償還を固執して鉄道国有に反対し、且つ外債に抵当などゝは思ひも寄らぬと云ふものが有つて、両派自から相争ひ、東京商業会議所などでは度々競争が起つた、一昨年の全国商業会議所聯合会でも昨年の同会でも鉄道国有は問題とはなりしも、可否を決するに至りませぬでした、但し余は当時に於て内債償還を賛成しつゝ、併せて鉄道国有に賛成を表しましたが……此事に付玆に……余は当時に於て……我々は当時に於てと申さぬ、なぜかならば、本日主人として会合の人々は勿論、其の主人を代表し案内状に名を顕はしたものゝ中にも、当時は鉄道国有に反対したものがあるからである、然るに経済の状況は漸次に困難にして、昨冬などは随分甚しく、之を此儘に棄て置くときは商工業者は其の苦痛の極に達し、一大瓦解を惹起し、差向きは兎も角も終には国家の安危にも繋はると思はるゝものあるより、漸く議論の一定するに至りました
一定した議論はどうかと云ふに、即ち本年一月大坂・京都・神戸などの商業会議所より目下の経済は捨置けぬ、何とか救済の手段が無くてはなるまい、それに就き臨時連合会を開きたいとの要求に由り、東京で是れを開きました、其時東京商業会議所が提出者となり全国商業会議所連合会が可決しましたのが即ち外資輸入……内債償還・鉄道国有それに幣制改革で、殊に外資輸入には抵当を出すが宜しいと斯様に書いてある、是は政府へ建議し議会へ請願し、且其写しは諸君へも呈してある筈である、さうして見ると、玆に於てか我々商工業者の議論は一定したもので、伊藤総裁の所謂応急手段の必要なる今日相互に区々たる意見の相違を以て競争して居れぬことが是を促したのである、諸君は国家の安危を以て自ら任せらるゝ、必ず玆に十分の判断を与へら
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るゝことゝ思ふ、実に我々一同の希望は之だけに外なりませぬ
外資を輸入するにはどうか生産的でありたい、其の生産なるには民間の公債を償還するのも固より宜しい、近頃伝聞するに外国から公債を買に来たさうである、政府は其割合が面白くないとて之に応ぜられぬらしい、之も尤もであるが、なぜ人民の私に之を売るの便利を与へたが、政府が売るのは裏書して外国で元利を支払ふことを約束すれど、人民の売りたるものには之を許さぬ、此様なことも成るべく便利にして民間の資本を充実するの用に供する方がよろしい、外資の生産的輸入即ちその外資が民間資本を充実するの手段となるには公債の償還もよろしいが、併し鉄道国有が更によかろうと思ふ、なぜか、諸君鉄道株券を所有するものは今日では如何なる種族であらう、華族もある、地方の金持もある、又所謂株屋とて之を売つたり買つたりして其間に利益を占むる、こんなものゝ持株も幾らかはある、併し多くは我々商工業者、自分に事業を起し自分に之を整理して往くものゝ手にあるのである、之を固定より流動に返すは最も生産的外資の輸入と申して宜しい、内債償還でも、鉄道国有でも、又たは双方少々づゝでも、兎に角実行さへして貰つて、同時に幣制改革……今後兌換制度の取締が付けば我々は此上もなく満足なのである
近頃伝聞するに、政府は啻に行政刷新会のみでなく、財政整理会もこしらへる様子である、扨て維新以来個様な会合が幾十度も出来、又議会開設以来も三・四度であつた、兎角結果は見るべきものなかりしも併し今回は伊藤総裁の発起で有力なる政友会員の之を助けらるゝあり余は今回は必ず十分なる結果があつて、政費も減少し経済も救済せらるゝ期して俟つへきことゝ思ふ
斯く申すと、それならその会が出来た後を俟つて只今我々提出する問題を議しても宜しいではないかと云はるゝかも知れぬ、我々も左様には思ふが、どうか其前に鉄道国有の法案丈けを議会には決定して貰ひたいと深く希望するのである
玆に少しく鉄道国有の案に就いて申して置きませう、昨年帝国議会へ政府か提出したる議案は一を鉄道国有法案とし四条より成り、一を私設鉄道買収法案とし六条より成つて居る、而して此等議案のように初めから線路の名称を挙げ之を指定するに及ばず、買収金高と其時限とを定むるにも及ばぬと、箇様に思ふて居る、それだから
    鉄道国有法案
第一条 私設鉄道にして国有とするの必要あるものは之を買収す
 国有とすべき線路・時期・買収の費額は之を政府に一任し、追つて帝国議会の承諾を求むるものとす
第二条 私設鉄道買収の費用は鉄道公債を以て之に充つ
 前項の公債は公債証書を発行し、之を鉄道会社へ額面を以て買収代価として交付することを得
第三条 鉄道公債の利子は一ケ年百分の五以下とす
第四条 鉄道公債に関し本法に規定なきものは明治十九年勅令第六十六号整理公債条例に依る
マー此位のものでよかろう、線路を定め、代価を定め、時期を定める
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ことは政府に一任し、それは財政整理会が出来てからで差支のないことである、勿論買収直段は鉄道の純益と公債の利子と見合はせ国庫に損なき丈けにするが当然である
なぜ我々が此丈けを特に議会で決定して貰ひたいと云ふか、其れはもうはや申上けないでも諸君は必ず了解せらるゝことゝ考へる、外資募集も政府の権限て出来る、内債償還も出来る、幣制改革も大抵は出来る、只だ鉄道国有は出来ぬ、夫れだから財政整理会か出来ても万一此法律かないと事に差支を生するか知れぬ、それで特に此事を望むのである、更に又之れを望む所以かある
元来経済の困難、商工業者の苦痛、今日の様に甚しくても尚頼む所があるのである、夫れは何か、伊藤総理の内閣に有力なる政友会員の之れを助くるあり、必す今日の状況に適応したる適当の手段……臨時の手当があるであらう、箇様に恃んで居るのに、議会か何にもせず、之を財政整理会に任すと云ふ様では……即ち政友会にも未だ何等の方針も定まらぬと云ふ様ては、社会の信用は一層地に墜ち、今迄て恃んだ事も最早覚束なくなり、遂に一大瓦解が来るかも知れぬ、夫れだから鉄道国有の法案丈ても之れを議会て決して、吾々に安心を与へて貰ひたいのである
諸君が果して吾々の意見を用ひて吾々を安心させるなれば、取引の信用も回復して、其中に外資が輸入されると、今日経済の困難は他日の夢となり、国家の兵力に兼ぬるに金力ありて、始めて各国と対等の交際か出来る事となるであろう
諸君よ、余が今迄述ました所を一言して見れは、ざつとこうである、財政整理会の結果は必ず外資が輸入され、随て内債償還・鉄道国有、どちらかゞ実行せらるゝてあろう、其時に差支なき様に此議会で鉄道国有の法案丈け、こしらへて置て貰ひたい、扨て此等が実行せられた結果は償ひ金の這入つて来たと同じ様に再び輸出入の不平均を促しはすまいかと云ふ者がある
夫れには政費の節減や、貯蓄の奨励や、協定税率の改廃や、夫れ等に尽力をなし、且つは幣制の改革も合せて行ふのであるから、余り心配はなかろうと思ひます
余は長々と諸君の万々承知なる経済の状況や救済の手段を申し上げまして、相済みませぬ、併し之れが熱心熱望の余りでありますから、何卒容赦せられ、偏に我々の意見を採用せられんことを願ひ升
    経済界の救治  〔渋沢栄一男〕
今日は我日本の経済界の現況に関する件々を提出しまして諸君の清聴を請ひましたが、其今日に至つた次第及将来希望する事柄は只今井上君より詳細に述べられましたから、私か更に一言を述ぶるは蛇足の嫌がありますけれども、本日諸君の尊臨を請ひまして此盛会を見るに至りました事に就て一応感謝の意を申述べねばならんのと、我国今日の経済の現況に就て諸君も充分御感じはあろうとは思ひますが、私は余程重大なる事と信じて居りますが故に、仮令蛇足なりと雖も私の憂慮して居る点を一言申述たいと考へます、自分は近頃来病の為に本会の事に就ても充分の奔走も出来無つたのでありますが、経済界の今日に
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至つた有様並に今日の現況を見ますると病の為に之を棄て置くことが出来ぬ事と迄信じて居る次第であります、廿九年から起つて最早五年間経過した此経済界が、今日に至つて斯迄に困難を訴へるは甚だ目が近いではないかといふ御小言を、今日尊臨を請ひました政治家諸君から頂戴するかも知りませんが、我々が近眼であつたといふ一言を以て之を抹殺されるは少しく御無理ではないかと思ふのであります、兎角年をとると昔を申したいものであるが、明治維新以後此日本の経済界の波瀾のあつた有様を申述べますると、日本の経済界は玆に御集りの諸君には商工業界に力を入れて永く経過せられて居らるゝ方もありましようが、実に明治の初にあつては経済界の有様が幼稚のものであつた、併し是は拠ない次第で、維新以前に於ける商業は如何なる風に世の中に見られて居つたか、頗る幼稚であつたといふことは其当時の事情を御存じの御方は直に判断か出来るであろう、漸く明治維新以後政治家の誘動に依てドーカコーカ独り歩きをして相応に成立つことか出来たといふ有様で、未だ今日に至るも実は其独り歩きといふことは充分には申されぬやうな次第であるか、今此維新後の経済界の変化した有様を簡単に申ますれは、其初め明治政府を開かれて大蔵省が会計の全権を握つた暁にどう云姿であつたか……幕府の会計の事柄に就て能くは存じませぬか、維新以後明治政府の始末は多く民間に金を取り扱はせる事で無く、政府の金は政府で取扱ふ姿でありましたが故に、民間の商売は甚だ振はずして僅かに一部の資金を以て今日を経営するといふことであつた、世間には斯ういふ事業か有る、斯る会社か有るといふことを維新早々政治家から段々聞いても之を真似るといふことか出来ん有様であつた、併し漸く明治五・六年頃藩を廃して県とする国家の租税を一に集めるといふことか出来る様になつて、夫から商売人か国家の金融を扱ふといふ所にまで進んで参つた、私は六年頃から其商売人となつて、其前には或は官にも関し夫から引続いて民業に就て其間を経営致しましたか、漸く明治五・六年頃少しく商売をして目立つ様なる形造をした様に記臆して居ります、然るに物の進みは退くの基で、全国とは申されんが東京あたりでは彼の有力なる小野組といふが破産を致し、此破産といふものは今申した此金融の調和を大層阻礙して、八年九年と殆んど両三年の間は総ての事業が衰頽を来すといふ結果を惹起した、夫から十年には戦争が有つて此経費を支出するといふ事から引続て国立銀行を段々沢山に作られる、政府か支弁して行く軍費を不換紙幣を出して之に宛てるといふ様な事から追々財政上に変化を与へて参つた、夫れて十一年十二年には又た商売か盛んになつて参つて、輸入の進んだのは即ち十一・二年頃で、貿易の有様か即ち滅切と変つた有様を呈して来た、処か物進むと又変んするといふ有様て十三年から金紙の差を生ずる大騒動を惹起して来て甚しきは二円の紙幣を以て一円の正貨に代へるといふ有様にまで至つて、取りも直さず不換紙幣は半分の価を減するといふ景況を呈した、玆に於て政府はどうしても兌換制度を施くより仕方かないと決意して、十四年から不換紙幣の消却を図つて兌換の基礎を確立するといふ方法を講して、十四年十五年十六年十七年と此の商売社会か大に沈滞を致した、即ち通貨
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の収縮すると共に物価は下り、一般の景気は衰へ、農業の如きも、十一・二年頃は地面か高くなつて農産物の価も大に高かつた其有様は打つて変つて全く昔日の夢と化したのであります、其れから此不換紙幣の消却を段々とやつて十九年に兌換制度の実施を致すと同時に、二十年二十一年になると経済界か又大に活溌になつた、二十一年二十二年には各工業会社か続々起り、殊とに紡績会社か其重なるものであつたか、或は鉄道の如きも其時代に大に足を伸した、凡て日本の工業に対しての進歩は廿一年廿二年あたりは随分見るべき程の発達を致した程てあつた、併し又進むと弊を引起すは理の常て、廿三年には殆んど金融の小恐慌を惹起した、大阪あたりで二十三年の秋頃殆ど紡績会社か営業に堪えられぬ、若し一社の維持が出来ぬといふ有様が生じて来たら延て銀行に非常なる影響を及ほすといふのて玆に又経済の困難を惹起すことになつた、其時の大蔵大臣は松方伯、日本銀行総裁は川田小一郎君でありましたか、大蔵省に於て一種の会議を開き、私も呼出されて金融調和の方法を講じた、今の日本銀行に於ける担保品制度――見返品制度といふのは此廿三年の時に定められたものと我々は今に記臆して居る、左様に二十三年には困難をした様で有つたか、二十四年五年六年此の三年の間には何時かくつろいで、二十六年には金融が全く調和して、殆んど吾々か記臆してから余り例を見ない程の金融緩和を来した、維新以後日本銀行を創立して成る可く金利を引下け工業農業の進みをさせたいと希望したか、二十六年程金利の安かつた年は無い、東京・大阪で利子を平均して二銭以内に至つたのは二十六年である、故に二十三年に起つた商工業の困難より金融は漸次弛み金利も亦従て安くなり、事業も勃興するといふ景況を催しつゝ有つた、処か二十七年になつて戦争といふ訳である故に、二十七年には既に大に景気か減しやうと云ふ処のものか、今申す海外の関係から延ゐて発することか出来ないと云ふ有様に至つて一年余を経過した、然るに戦争も大勝利を得て償金も取れば国権も大に伸張することが出来る、従て軍備も拡張する、此国家をして列強に交はらしむると云ふ迄に政治上に於ては進んで参つた、其処で商売人も此国家の商工業をして列強の間に伍する様に致したいといふ希望を起した、さすれば今日皆様が心得違ひであつたといつて商売人を御叱りになるのは少しく間違つてありはせぬかと思はれる、大体の政治に関しても、二十九年には国家の歳出入の予算か前日とは大に異なる様に進み、又他に償金等の追々収納される処から事業も大に共に進めて、所謂両輪の斉しく馳せて行くといふ様に希望致した処から、続て直に二十九年三十年あたりに金融の必迫を大に惹起した、廿六年の金利の安かつたのは全く一時の夢となつて、又経済界の変調を以て経過する有様に立至つた、併し私共は甚だ機を見ることの遅いのを恥ぢまするが、今申し上げました経過て、仮令へば明治六・七年から一時衰へた経済界が十年に勃興し其れが又衰退に傾いて十八・九年頃に至つて恢復を来し、其れから二十三年に又候困難に陥り其れから二十六年に恢復する事に至つた経過でありますから、今申す明治廿九年あたりの有様も矢張二年若くは三年の歳月を経たならば或は相当に元気を恢復して良治療の補ひがあらうといふ想
 - 第21巻 p.657 -ページ画像 
像を起した、経済界の俄かの変化は好まんといふことは私の言ふ許りでなく、既に諸君の御熟知の事であらう、成るべくならば人の病を治するにも薬て治するよりか、成るべく良治療を回らして自然に営養をとるとか衛生を守るとかして健康を保つやうにするのがよいので、経済界に於ても亦そふである、成るべくならば其良治療を希望して居つたけれども、我々は廿九年頃から、只今井上君が商業会議所其の他の団体より経済界に就て其筋に建議若くは請願した事か一にして足らんと申上げた通り、私の記臆に存して居る処ても、廿八年の秋商業会議所の聯合会かあつた時、経済界の将来は如何であらふといふことを一の問題とした事もある、東京商業会議所も種々協議して、どうか国の政費か民力に適応するやうにしたいといふ建議もした、三十年には内国債を償還して外国債を起して貰いたいと迫つた事もある、卅一年には内債償還の事を頻りに当時の大蔵大臣に持て参り、引続いて遂に五六月の頃鉄道国有論も井上君の申される通り唱へ出される場合に至つた、併し其以来右等の希望する事か十分に結果を得たかといふに左様には参りませんでした、而して経済界は最初の経験から考へると三十二年頃には最早回復するであらうと希望致し又想像を致した、幸に卅二年には大に貿易其他の商業も、稍や回復の緒に就くかと考へられたか、どうも他の此迄有つた経験の通りの事態で無いものと見えて、卅二年には或は変調を回復して相当なる成績を認めらるゝであらうといふ事は全く空頼みとなつて、十一月頃から逐々変化を催して、金融は頻に渋滞し、金利は漸次引上り、総て此れ迄企てた事業は䠖跙逡巡して進まぬといふ有様になつた、夫であるから吾々の不能にのみ帰せられて、他に依て救を求むるは唯愚痴であるとのみ云はるゝは少しも無理ではあるまいかと思ふ、而して右等の有様から考へると、どうも今日の事態は決して前に申上げた数回繰返へした経済界と日を同じくして論ぜられんことであり、其処は通常の衛生法では目下の時勢に用ゐられん事柄で有つて、已むを得ず一の大なる投剤施術を用ゆることを認めざるを得んと覚悟を致した次第であります、其でどうか此内国債を償還して、鉄道国有を実行して、其れに引続て幣制の改正も施して欲しいと云ふことを申しまするは、実に今日の経済界を維持する上に於て止むを得んことであると覚悟致して申上げた次第で、政治家諸君に於ても大に御了解を願いたい、大体の次第は井上君より斯る方法を採つたならば斯う云ふ結果を見るであろうといふ処まで詳しく申上げましたから、尚ほ玆に改めて申すに及ばんと思ひますか、今申しました処の経済救済方法を行ふに於て、かてゝ加へて申さなければならんのは、或は公債償還法にしても今ある如き償還法即買上の償還法では余り利益がない、成るべくならば矢張抽籤を以て償還をやるか善いと思ふ、又此経済界を進めるには会計法の上に就ても改正を加へて貰ひたい、併し此いふ細い廉々を拾つて申したならば種々ありましようが其社諸君の清聴を煩はしても利益ない事と思ひますから、一・二の重いこと丈を玆に申上げます、之を要するに賢明なる諸君に於かれましては、此国家の片車丈廻れは国の名誉国の利益か充分に挙ると安心をせらるゝ事では無かろう、言葉を換へて謂へは、鉄砲玉の力は矢張外
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に助けるものかあつて敵に当るものであるといふことは、私か多弁を待たずして御了解かあろうと思ひまするで、即ち我々の斯く熱血を濺いで申すことは充分御了解下さることゝ信じます、又御了解下さると同時に、諸君は飽迄力を尽されて下さることゝ信じます、折角尊臨を辱ふ致しまして御馳走か至つて少なく、望みは至つて大きいと云ふのでありますか、之れか商人の常で御座いますから、宜敷御了解を願ひます
    答辞  〔江原素六氏〕
今夕は日本に於きまして天下の人に先だつて憂へ天下の人に後れて楽むといふ実業家諸君が吾々政友会の人々を御招き下さつて、最も有益なる御高説を承はることの栄を得ましたるは誠に感謝の至りに堪へませぬ、而て不幸にも今夕片岡健吉君・星亨君・尾崎行雄君等の方々が風邪の為めに出席がございません、然らば会員を代表して諸君に御挨拶を申述べまするは、貴族院議員の諸君並吾が同僚の中にも御座いまするか、願くは私が年長たるの故を以て諸君に一言感謝の意を表する栄誉をお許し下さることを希望致します、私は元田君・大岡君其他会員諸君のお許るしを以て、大なる名誉を荷ふて渋沢男爵其他の諸君に御挨拶を述べまする、先刻より大倉君・井上君・渋沢男爵等より剴切なる又た有益なる御議論をお聞かせ下すつた事を誠に謝しまする、吾吾は国家経済の前途に就て憂へざるには非らざれども、未だ充分夫等の事に関係した事がございませんでした、然るに今夕のお話によりまして或は感し、或は激し、どうしても諸君の御意見を充分に実地行ひ度といふ様な希望が勃々として禁ずることが出来ない、併しながら随分洪なる問題でござりますれば、今夕即座に両手を挙げて御賛成申上ぐることは或は軽卒の譏を免かれぬかも知れませぬ、而して幸にも政友会は最も有力なる伊藤侯爵を総理に戴いて居りますれば、之より今日伺つた事は能く総理にも申出して、其御意見を漏れなく伝へる様に致したいと思ひます、素六の考へる所に依れば必らずや我政友会は臨時に適当なる調査部を設けて、実業家諸君の御厚意に酬ゆる様に致したいといふ事に致すであらうと考へて居ります、此の大問題を決行するに就ては、政友会総理の力並に会員全体の尽力実業家諸君の熱心と互に相待つて宜しき結果を得たいといふのは実に同様の希望でございます、終に臨んで尚ほ実業家諸君にお礼を申上げまするが、誠に有力なるお演説をお聞かせ下すつて既に充分でござります所に、叮重なるお待遇を蒙つて望外の至に存まする、先刻井上君・大倉君・渋沢男爵の申述られた事を実行するには、最も伊藤侯爵の力と会員諸君並実業家の力に依ることでありませうか、唯今色々の御馳走は此のナイフとホークの力に依りて満腹の思を為しましたから、玆に満腹の熱情を以て感謝の意を表する訳であります
 右終て伊藤徳三氏は星亨氏の伝言を披露したるが、其要旨は、同夜星氏が病気の為め出席し能はざるは同氏の遺憾とする所なり、併し同氏は諸君と所感を同うせるを以て、近日中政友会に経済調査部を設置し其実行を期すべしといふに在り、次に山本幸彦氏は片岡健吉氏代理として挨拶を述べ、引続き岩谷松平氏の談話あり、同八時散
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会したり
   ○右問題ノ経緯ニ就イテハ本資料第二十二巻所収「商業会議所聯合会」明治三十四年一月二十三日、並ニ本巻明治三十四年二月六日、同年十一月七日ノ各条参照。



〔参考〕東京経済雑誌 第四三巻第一〇七〇号・第三九六―三九七頁 明治三四年三月二日 ○渋沢男の経済救済意見(DK210113k-0004)
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