公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第21巻 p.704-709(DK210124k) ページ画像
明治34年11月8日(1901年)
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是日栄一当会議所会頭トシテ、貯蓄奨励ハ国家経済上必要ナル上ニ目下商工業ノ不振ヲ緩和スルニ効果アルヲ以テ、政府ニ於テ之ニ必要ナル法規ヲ制定センコトヲ内閣総理大臣子爵桂太郎・逓信大臣子爵芳川顕正・農商務大臣平田東助・大蔵大臣曾禰荒助ニ建議ス。
東京商業会議所報告 第一〇二号・第七―九頁 明治三四年一二月刊(DK210124k-0001)
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東京商業会議所報告 第一〇二号・第七―九頁 明治三四年一二月刊
○第百九回臨時会議 十一月六日開
出席者
大木口哲君 ○外二十二名氏名略
午後五時開議
会頭渋沢栄一君議長席ニ就キ、先ツ左ノ件々ヲ報告ス
○中略
次ニ議長ハ左ノ件々ヲ議事ニ附ス
○中略
○第二号
第十回商業会議所聯合会決議事項中商業会議所条例改正ノ件外七件ハ、之ヲ左ノ如ク取扱フ事
○中略
一 貯蓄奨励ニ関スル件
本件ハ聯合会決議ノ趣旨ニ依リ、別記丁号案ノ如ク内閣総理・大蔵農商務・逓信各大臣ヘ建議スル事
○中略
午後七時三十分閉会
東京商業会議所報告 第一〇二号・第二七―二九頁 明治三四年一二月刊(DK210124k-0002)
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東京商業会議所報告 第一〇二号・第二七―二九頁 明治三四年一二月刊
○参照
○第三号
明治三十四年十一月六日、臨時会議ニ於テ可決ヲ得タル第十回商業会議所聯合会決議事項中商業会議所条例改正ノ件外五件ニ関スル建議案全文ハ左ノ如シ
○中略
(丁号案)
貯蓄奨励ノ義ニ付建議
本会議所ハ曩ニ明治三十三年六月五日附ヲ以テ、国家経済ノ方針ニ関シ政府ニ建議スルニ当リ、資本ノ充実ヲ期スルノ一手段トシテ貯蓄奨励ノ為メ特種ノ貯蓄銀行ヲ設立シ、抽籤割増ノ制ニ依テ民間零砕ノ資ヲ集ムヘシトノ意見ヲ開陳シ、猶明治三十四年二月六日附ヲ以テ重テ国家経済ノ方針ニ関シ政府ニ建議スルニ当リ、其第六項ヲ以テ更ニ貯蓄奨励ニ就キ左ノ意見ヲ開陳セリ
第六 左ノ方法ニ依リ一層勤倹貯蓄ヲ奨励スルト同時ニ、民間零砕ノ資ヲ吸収スルコト
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(イ) 郵便貯金中抽籤奨励金附定期定額預金ノ法ヲ設クルコト
一 抽籤奨励金附定期定額預金ハ一口壱円トシ、一万口ヲ以テ一組トス
二 組合ハ預金証券ノ日附順ニ依リ毎郵便為替貯金管理本支所管内ヲ通シ一万口ニ満ツル迄ノ者ト其番号トヲ以テ之ヲ編成ス
三 預金期間ハ一ケ年・三ケ年及ヒ五ケ年ノ三種トス
但シ一ケ年定期預金ハ三ケ年ノ後之ヲ廃ス
四 一ケ年定期預金ハ無利息トシ、其予定利息金ノ全額ヲ奨励金ニ充テ、又三ケ年定期預金ノ利息ハ三ケ年通利一割トシ、其残余ノ予定利息金ヲ奨励金ニ充テ、又五ケ年定期預金ノ利息ハ五ケ年通利二割トシ、其残余ノ予定利息金ヲ奨励金ニ充ツ
五 奨励金ハ五拾円・拾円・五円ノ三等ニ分チ、一等ハ一個、二等ハ十個乃至二十個ヲ限度トシ、三等ハ其残額ヲ五ニテ除シ得タル数ヲ以テ其個数トス
六 予定利率ハ凡ソ年五朱トス
七 預金証券ハ記名式壱円券トシ、各預金取扱所ニ於テ之ヲ交附ス
(ロ) 各市町村ニ名誉職貯金奨励委員ヲ設クルコト
(ハ) 普通教育中一層勤倹貯蓄ノ気風ノ養成ニ力メシムルコト
之ヲ要スルニ、貯蓄奨励ニ関シテハ是迄本会議所ノ熱心ニ唱道シタル所ニシテ、此事タル本来国家経済上極メテ必要ナルノミナラス、現下商工業ノ萎靡ヲ緩和スル為メ特ニ急施ヲ要スルモノト信スルニ付、政府ハ此際貯蓄奨励ノ方針ヲ定メ、速ニ相当ノ施設ヲ実行セラレンコトヲ望ム
右本会議所ノ決議ニ依リ建議仕候也
明治三十四年十一月 日
東京商業会議所会頭 男爵 渋沢栄一
内閣総理大臣 子爵 桂太郎殿
逓信大臣 子爵 芳川顕正殿
農商務大臣 平田東助殿
大蔵大臣 曾禰荒助殿
東京商業会議所報告 第一〇二号・第一七頁 明治三四年一二月刊(DK210124k-0003)
第21巻 p.706 ページ画像
東京商業会議所報告 第一〇二号・第一七頁 明治三四年一二月刊
○同月同日 ○一一月八日 貯蓄奨励ノ義ニ付、内閣総理・逓信・農商務・大蔵四大臣ヘ建議書ヲ進達ス
○建議書ハ第百九回臨時会議ニ於テ可決サレシ建議案ト同一ナリ。
○是ヨリ先明治三十三年六月五日、同三十四年二月六日ノ両度ニ亘リ当会議所ハ国家経済ノ方針ニ関スル建議ヲ為シ、其一項目トシテ貯蓄奨励案ヲ建案セリ。上記両日ノ条参照。又第十回商業会議所聯合会及ビ臨時聯合会ニ於テモ貯蓄奨励ニ関スル議案呈出サレ、可決セラレタリ。本巻明治三十四年九月十五日、並ニ本資料第二十二巻所収「商業会議所聯合会」明治三十五年十二月九日ノ条参照。ナホ当会議所ハ明治三十五年十一月一日同様ノ建議文ヲ呈出セリ。
〔参考〕稿本日本金融史論 滝沢直七著 第五九九―六〇三頁 大正元年一〇月刊(DK210124k-0004)
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稿本日本金融史論 滝沢直七著 第五九九―六〇三頁 大正元年一〇月刊
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○第三編 第三章 第四節 第九款 第二項 政策上より来たりし運動
第二、政府及識者の貯蓄奨励
戦後は一年として輸出超過となりしことなく、二十九年より連年輸入超過し、兌換の基礎を危ふすることなきかと為政家のみな憂慮せし所であつて、国家経済上これが救済を策せざるべからず。而して戦後官民の事業勃興は多大の資本を散布し、通貨に変性したりしを以て、勤倹貯蓄に依てこれを矯正せんとするの意見は多くの財政家が唱ふる所であつた。即ち大蔵大臣井上馨及び松方正義を始め、その他経済研究会員は勤倹貯蓄を盛んに鼓吹した。三十一年井上大蔵大臣は貯金奨励を各地方長官に訓示し、各地方長官は更に各郡長に訓示を発し、以て貯蓄を奨励した。当時金融は逼迫して居り、散布しある零砕の資金を吸集して戦後経済の資本窮乏を救はんとする政策であつたのである。これより先き外資輸入論一時盛んに起つたが、その到底行はるべくも見えざるを以て、勤倹貯蓄の説これに代はりしものにして、所謂元勲がこれを唱道し、朝野幾多の有力者がまた鼓吹したのである。
また三十三年となりて金融逼迫となる。こゝに更になほ勤倹貯蓄論は井上馨によりて主張せられ、世の実業家はこれに賛同し、有楽会の如きはその方法を講究したるが如きことあり。次で松方正義は地方長官諮問会に臨みて地方官に訓令し、地方の百官百僚みなこの意を体して地方の行政に臨み、勤倹貯蓄の風大に起つた。松方正義は井上馨と共に勤倹貯蓄の奨励に尽瘁し、三十三年三月大阪経済会例会の席上に於て勤倹貯蓄の演説を為し、奈良倶楽部の歓迎会にもその演説を為してその奨励に尽力したのである。山本日本銀行総裁は同年十月宇都宮に開きたる下野実業団体懇話会に勤倹貯蓄の演説を為し、終に臨み慈善的貯蓄銀行を設立せんことを慫慂し而して下流の奢侈を説明して曰く
「……先づ二十九年より今日まて外国貿易上輸入超過の総額は三億円以上に達し、此金額は政府の新造軍艦の代金支払を除きたる計算で、皆横浜・神戸等に輸入した商品其他貨物の代価で、之に対して三億円以上の金貨は外国に輸出された勘定となる……先刻申した通り殆んど四億円に近き大金を僅に四個年に消費して、其間に金融逼迫・事業不振の歎声も起つたが、其実困難を嘗めた者は極めて小数の人士なる中等以上の社会にして、中以下なる大多数の国民は殆んど不景気の何物たるを知らざる有様で過ぎ来たつた、恐らく二十八九年より今日に至るまで、数年一日の如く不景気知らずに奢侈浪費に意を置かずに暮したのであらう、其結果か自然経済界に現はれ、挙国之が為に苦痛を感ずることとなつたのである、若し二十八・九年の頃より互に勤倹貯蓄の徳を実行して生活向き万事に奢侈を禁じたならば、今日は日清戦争以前より遥に上中下の国民が富有で、随て国家にも余裕が出来て居つたらう……」
と。金融逼迫の年この言を為す、資本窮乏を充すは一に資本を吸集すべき貯蓄によらざるべからずと為すものである。
第三、郵便貯金の奨励的改全
三十一年井上大蔵大臣が貯金奨励の訓令あると同時に、勅令を発して明治十九年九月以来四分なりし利率を四分八厘に引上げ、即時払戻と
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称し、郵便貯金管理局及同支所の検閲済の証印ある貯金は、百三十円以内一個月百円までを限りて即座に払戻すことを得せしめ、三十二年に至りては官衙・兵営・工場其他多数のもの共同の規約を設け、郵便貯金を為さんとする場合には出張取扱の方法を許し、三十三年には切手貯金の制度開始し、五厘乃至三銭の真に零砕の貯金を為すことを得せしめ、三十四年には支払期の開始せる無記名証券の利札及び郵便為替証書を以て預入ることを得せしめ、また据置貯金制度を設けて三年乃至十年の期限内に於て預け人の払戻すこと能はざる強制貯金の方法を施行し、また海外在留邦人貯金制度を施設し、三十五年に至りては即時払戻の回数及び制限を拡張し、更に特別即時払戻と称して、無制限に払戻を受くることを得せしめ、その後ち大蔵大臣曾禰荒助は郵便貯金利子は十銭以下と預入及引出との月に利子を附せざるが為に、大蔵省より逓信省へは利子支払はれて、預け人へは支払はれず、国庫の収入となるべきものあるを利用し、割増金を附せんとするの案を立て逓信省と交渉したこともあつた。三十六年に至りては多数預人にして漫りに払戻を為さざることを約束して、預金する規約貯金制度を創設する等、郵便貯金の預入及び払戻の便宜を謀り、以て専心貯金を奨励したり。今こゝにその発達の統計を示すことゝしよう。
三十一年までは新規預け入も、預り残高も、預入に対する払戻割合も次第に減少して来た。吾人はこれを奢侈の弊風の反映なりと観察する
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ことが出来る。然るに三十一年より総て増進するようになつたのは奨励の効果与て力あつたのである。