デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.766-772(DK210134k) ページ画像

明治35年5月1日(1902年)

是ヨリ先四月九日、当会議所、栄一ノ欧米旅行ニ関シ商業会議所聯合会ノ栄一ニ附託シタル趣旨ニ賛成ノ決議ヲナセシガ、是日当会議所楼上ニ於テ送別会ヲ開ク。栄一席上一場ノ演説ヲナス。


■資料

時事新報 第六五八六号 明治三五年三月一五日 ○渋沢栄一氏の渡航に就て(DK210134k-0001)
第21巻 p.766-767 ページ画像

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東京商業会議所報告 第一〇三号・第三一頁 明治三五年一二月刊(DK210134k-0002)
第21巻 p.767-768 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇三号・第三一頁 明治三五年一二月刊
○第百九十五回役員会議 四月 ○明治三五年七日開
 出席者
  井上角五郎君   馬越恭平君
  雨宮敬次郎君   加藤正義君
午前九時開議、左ノ件々ヲ協議セリ
 一 本会議所会頭渋沢男爵カ商工業視察ノ為メ欧米諸国ヲ旅行セラルヽニ当リ、全国商業会議所ヨリ同男爵ヘ附託シタル趣旨ハ本会議所ニ於テモ最モ熱誠ニ賛成スルモノトシ、会議ニ向テ決議案ヲ提出スル事
 一 同男爵ノ旅行ニ付本会議所ヨリ相当ノ随行員一名ヲ附スルモノトシ、同男爵ノ撰択ニ一任スル事
    因ニ記ス、本文随行員ノ義ニ付、当日馬越常議委員ハ役員会
 - 第21巻 p.768 -ページ画像 
議ヲ代表シ渋沢男爵ヘ協議ノ上、萩原書記長随行ノ事ニ内決シタリ
 一 来九日午前九時臨時会議ヲ開キ、前記二件ヲ議決シ、且ツ臨時商業会議所聯合会ノ結果ヲ報告スル事
午前十時三十分閉会


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK210134k-0003)
第21巻 p.768 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月九日 雨
○上略 九時半東京商業会議所ニ抵リ、臨時会議ヲ開ク、議事畢テ役員会ヲ開ク ○下略


東京商業会議所報告 第一〇三号・第七―八頁 明治三五年一二月刊(DK210134k-0004)
第21巻 p.768 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇三号・第七―八頁 明治三五年一二月刊
○第百十三回臨時会議 四月 ○明治三五年九日開
 出席者
  馬越恭平君 ○外二十七名氏名略
午前十時十五分開議
会頭渋沢栄一君議長席ニ就キ、先ツ井上角五郎君ヨリ臨時商業会議所聯合会ノ議事ニ関スル報告アリ、猶審議ノ末該聯合会決議事項ノ処分ニ関シ左ノ如ク決議ヲ為セリ
○中略
 一 渋沢男爵欧米諸国ニ旅行セラルヽニ付決議ノ件
 本件ハ聯合会決議ノ趣旨ヲ賛成シ、本会議所ニ於テハ特ニ之ニ関シ左ノ決議ヲ為スニ決ス
    決議
 今回本会議所会頭渋沢男爵カ商工業視察ノ為メ欧米ヲ旅行セラルヽニ当リ全国商業会議所聯合会カ其決議ヲ以テ同男爵ニ附託シタル趣旨ハ本会議所ノ最モ熱誠ニ賛成スル所ナリ、而シテ本会議所ハ特ニ同男爵ノ尽力ニ依リテ其趣旨ノ充分ニ貫徹センコトヲ期待ス、依テ玆ニ之ヲ決議ス
○中略
 一 渋沢男爵送別会開会ノ件
本件ハ一切ノ準備期日等総テ役員会議ニ一任スルニ決ス、次ニ議長ハ左ノ件ヲ議事ニ附ス
 一 本会議所会頭渋沢男爵欧米諸国ヲ旅行セラルヽニ付、萩原書記長ニ随行ヲ命スル事
 一 随行旅費ハ明治三十三年度決算剰余額中ヨリ支弁スルモノトシ其額ハ役員会議ノ決議ニ一任スル事
本件ハ全会一致ヲ以テ原案ヲ可決ス
午前十時三十分閉会
   ○全国商業会議所聯合会ガ栄一ニ附託シタル決議ノ趣旨ハ、栄一ガ諸国ヲ歴遊スルニ当リ『全国商業会議所聯合会ノ名ヲ以テ又其代表者トシテ我々ノ友情ヲ其国ノ商工業者ニ懇篤ニ表示セラレンコトヲ望ム』ト云フニアリ。本資料第二十二巻所収「商業会議所聯合会」明治三十五年四月五日ノ条参照。

 - 第21巻 p.769 -ページ画像 

東京商業会議所報告 第一〇三号・第三一頁 明治三五年一二月刊(DK210134k-0005)
第21巻 p.769 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇三号・第三一頁 明治三五年一二月刊
○第百九十七回役員会議 四月十九日開
 出席者
  大倉喜八郎君   加藤正義君
午後二時開議、左ノ件々ヲ協議セリ
 一 来月一日本会議所楼上ニ於テ渋沢会頭ノ送別会ヲ開ク事
 一 当日ハ相客トシテ桂総理・芳川逓信・平田農商務・曾禰大蔵・小村外務大臣等ヲ招待スル事
 一 当日ノ会費ハ本会議所接待費ヨリ支弁スル事
午後三時閉会


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK210134k-0006)
第21巻 p.769 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
五月一日 曇
○上略 午後六時東京商業会議所ニ抵リ、其送別会ニ出席ス、桂総理・小村外務・平田農商務来会ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス ○下略


東京商業会議所報告 第一〇三号・第八二―八五頁 明治三五年一二月刊(DK210134k-0007)
第21巻 p.769-772 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇三号・第八二―八五頁 明治三五年一二月刊
 ○参照
    ○渋沢会頭送別会記事要領
明治三十五年五月一日午後六時、東京商業会議所ハ同所楼上ニ於テ、渋沢会頭及会員長尾三十郎・梅浦精一両君ノ送別会ヲ開キタルカ、来賓ハ右三氏ヲ始メ、桂総理大臣・平田農商務大臣・小村外務大臣、浅田・珍田・阪谷・安広ノ各総務長官、松本鉄道作業局長官・柴田内閣書記官長・大浦警視総監・千家府知事、松尾・犬塚・木内・杉村・内田ノ各局長、豊川良平其他ノ諸氏ニシテ、席上大倉副会頭ハ会員一同ヲ代表シテ開会ノ挨拶ヲ為シ、渋沢会頭ハ之ニ対シテ答辞ヲ述ヘ、次ニ桂総理大臣ノ挨拶アリ、梅浦・長尾・豊川ノ三氏亦順次簡単ナル挨拶ヲ為シ、午後九時頃散会シタリ、尚ホ大倉副会頭・渋沢会頭・桂総理大臣ノ演説ハ左ノ如シ
    大倉副会頭演説
貴賓閣下、会員各位、今夕ハ東京商業会議所会頭渋沢君及会員長尾三十郎君・梅浦精一君、此方々カ欧米ヘ旅行サレマスルニ就キマシテ送別ノ小宴ヲ張リマシタ、幸ニ御案内ヲ致シマシタル所ノ総理大臣閣下始メ、内閣諸公及政府ノ枢要ナル栄職ヲ担ハレル所ノ各位カ今夕御臨場ヲ賜リマシタ、是ハ単リ当会議所会員ノミノ名誉テハコサイマセヌ延ヒテ商業界ノ光栄ト存シマスル、厚ク御礼ヲ申上ケマス、又渋沢会頭ハ兼テ承リ居リマスル通リ、此度ノ海外旅行ハ第一ニ衛生ノ旅行テアル、第二ハ三十六年以前ニ欧羅巴ヘ足ヲ入レラレテ、其後ハ日本ニ於テ日々見聞スル所ノ変化モ非常ノ有様テアルニ依ツテ、欧羅巴大陸ノ進歩ハ殊ニ甚シキモノテアラウ、歳月ハ流ルヽ如ク追々老境ニモ近付タ故少シテモ若イ内ニ行テ見ヤウ、斯ウ云フノテコサイマス、第三ニハ未タ亜米利加ヘ足ヲ入レス、此亜米利加ノ進歩ハ世界ニ並ヒナキ速力ヲ以テ過キテ居リマス、殊ニ商業上ハ非常ナ発達ヲ為シテ進ミツツアル、斯ノ如キ有様モ一応見テ来ヤウト云フ考テ旅行ヲ企テラレマ
 - 第21巻 p.770 -ページ画像 
シタ趣ニ承リマシタ、然ル所周囲ノ事情ハ之ヲ許シマセヌノテス、唯観光ト云フヤウナコトテハ許サヌ、今回渋沢会頭カ洋行ヲ思ヒ立タレタノハ誠ニ好イ機会テアル、トウカ日本ノ経済ノ有様ハ海外ニ誤解サレテ居リマスカラ、同君ノ旅行サレタ序テヲ以テ、真実ノ事情ヲ知ラシメ、是カ疏通ヲ計ル丈ノ働キヲシテ貰ヒタイト云フコトカ、全国商業会議所会員一同ノ議定ニヨツテ渋沢君ヘ依頼致シマシタ次第テ、殊ニ印度洋ヲ経テ帰ラルヽナラハ、其折支那ノ方モ見テ貰ヒタイ、是ハ日英同盟ノ結果トシテ我々商工業者ノ責任モ重クナリマシタ故、将来東洋ノ商売ハ日本人全体カ発達シナクテハナラヌ、サウ云フ機会テアルカラ渋沢君ニ支那ノ方面ヘモ廻ツテ貰ヒタイト云フ考ヲ以テ依頼致シマシタ、東京商業会議所ノ我々モ同シ意思テコサイマスル、諸君ノ考モ其通リテアリマス、然ラハ玆テ同シコトヲ繰返ス必要ハナイト思ヒマス、私ハ会頭ヲ送リマスルニ他ノ趣向ヲ申述マス、御承知ノ如ク渋沢会頭ハ諸般ノ商工業ニ関係シテ居ラレマスユエ其繁劇寸暇モナイヤウニ思ハレル、併シ其間ニ中々余地カコサイマスル、和歌モ詠マレマスル、又外ニタノシミモアル(笑声起ル)日本ノ古イ歴史ヲ見マシテモ源義家ハ後三年ノ役勿来関テ歌ヲ詠マレ、平忠度ハ俊成卿ヘヨミ人シラスノ名歌ヲ残サレ、兵馬倥偬ノ際ニモ詠マレタ風流韻事カアリマス、近イ譬ヲ申シマスレハ、明治十年西南ノ役田原阪ノ戦ヒテ山県将軍カヨマレタ砦ノ捨カヾリノ歌、征清ノ役桂将軍ノ小早川ヲ追慕シタ砦蹄館ノ歌モ面白イ、イツレモ鉄砲玉ノヤリ取リヲシテ居ル中テモノサレタ故奥床シク思ハレル、我々商業家ハ平素平和ノ戦争ヲ致シテ鉄砲玉ノ替リニ算盤玉ノ争ヲ致シテ居リマス、其戦ノ中ニモ自ラ徳義モアレハ風流モアル、此趣味ヲ以テ会員各位ノ意思ヲ代表シテ一首ノ腰折ヲ詠シマシテ、渋沢君ノウマノ餞ケニ呈シマスル
  こと国の華をも実をも旅衣
     袖に包みてかへるをそ待つ
是カ今日送別会ノ意思ノ披講テアリマス、渋沢会頭始メ其他同行諸君ノ健康ヲ祝シマシテ、併セテ安全ニ幸福ナル旅行ヲ遂ケラルヽコトヲ希望致シマシテ、爰ニ祝盃ヲ挙ケマス
    渋沢会頭演説
閣下並ニ諸君、今晩ハ私ノ欧米漫遊ヲ御送リ下サル為メニ、本会議所ニ於テ斯ク盛宴ヲ御張リ下サリマシテ、殊ニ内閣諸公及当路ノ方々ノ多ク御参集下スツタノハ、誠ニ此上モナイ一身ニ取リマシテ光栄テコサイマスルテ諸君ノ御厚意ヲ厚ク感謝致シマス、唯今特ニ副会頭タル大倉君カラ御懇切ナル御言葉ヲ下サレ、殊ニ興味アル送別ノ歌ヲ御詠シ下サレマシテ、別シテ有難ク謝シマス、同君カラ私ノ今度ノ旅行ハ唯一個ノ希望テアツタ、併シ世ノ中ハ其希望以外ニ尚ホ一層附ケ加ヘテオ前ノ骨折ヲ増サセルヤウニシタ、ソレハ全国商業会議所モ希望シタ、本会議所モ勿論テアツタト云フ是マテノ行掛リヲ御述ヘ下サレマシテ、健康ニ其任務ヲ尽シテ帰国スルコトヲ待ツト、殊ニ名吟ヲ以テ此旅衣ニ香リヲ被セテ下サレマシタ、全ク此度旅行ヲ企テマシタノハ今大倉君ノ御述ヘノ通リテアツテ、而シテ任務ヲ帯ヒマシタノモ其通リテコサイマスルカ、果シテ其任務カ私ニ遂ケ得ラルヽヤ否ヤト云フ
 - 第21巻 p.771 -ページ画像 
コトハ殆ト決シ難イノテコサイマスカ、従来我々ノ骨折リマスル今日ノ日本ノ経済界カ欧米各国ノ現況トトウ違ツテ居ルカ、申上ケルマテモナク、我商工業者全体ノ意志カ能ク彼ノ国々ニ充分ニ通徹シテ居ルヤ否ヤト云フコトハ、我々共甚タ懸念致シテ居リマシタ次第テコサイマスルカ、丁度本会議所ノ希望ノ如キ事柄ヲ携ヘマシテ、日本ノ経済界ハ斯ル現況テアル、而シテ経済ノ有様ハ斯様テアル、又希望ハ斯々ノコトヲ持ツテ居ルト、或機会或人ニ相当ニ注入スルコトモ談話スルコトモ出来得マシタナラハ、仮令私一身カ微力テアリ又言語カ通シマセヌテモ、即チ全体ノ意志ヲシテ幾ラカ通徹セシムルコトハ為シ得ラルヽタラウト考ヘマス、既ニ一二言申セハ今般我々ノ最モ喜フ此日英ノ協約ニ就テ、本会議所ハ早クモ此事ヲ議シテ英国ノ商業会議所ニ電報ヲ送リマシタ、其電報ニ対シテ彼ノ商業会議所ハ返答ヲ致シテ参ツタト云フコトナトハ、聊カ意志ヲ通徹セシムルノ端緒ト申上ケテ宜イカト思ヒマス、縦令私ノ体ラタカ微力タリトモ、本会議所若クハ全国ノ商業会議所即チ商工業者ノ精神ハ斯様テアルト、此重イ精神ヲ齎シテ参リマシタナラハ、此力ナイ体ラタニ大ニ力ヲ負フコトカ出来ヤウカト存シマス、故ニ全体ハ漫遊即チ唯変化致シマシタ欧米ノ有様ヲ一覧スルヲ楽ミトシテ居リマシタカ、遂ニ其閑日月ヲ楽マフト思フタノハ、案外ニ重荷ヲ背負ハナケレハナラヌヤウナ次第ニ立至リマシタカ到底内地ニ居ツテサウ楽シミ得ラレル体ラタテアリマセヌカラ、敢テ辞スヘカラサルコトヽ覚悟シマシテ、此会議所ノ御意思ニ従フテ充分ナル意思ノ徹底ト云フコトヲ努メマスル考テコサイマス、短カイ歳月ニ欧米若クハ支那ノ旅行モ致シテ帰ルト云フコトテアリマスカラ蓋シ志ハ今申上ケマスル通リテアルカ、其為ス事柄ハ実ニ微々タルモノテ何等ノ効能モナイ、帰リマシテ諸君ニ斯ル事ヲ為シ得マシタト申上ケル程ノ御土産ヲ携ヘ来タルコトハ出来得ラレマスマイト思ヒマスルケレトモ、今申上ケマスル通リ諸君ノ厚イ思召ト日本ノ商工業者ノ大ナル精神ヲ私ノ体ラタニ担フテ、充分ナル旅行ヲ遂ケテ帰リマスル積リテアリマス、時節ハ丁度春モ去リ段々夏モ来リ、追々ニ農事ノ盛ンニナルト云フ時期ニ至リマス、或ハ麦ノ収穫トカ若クハ早苗ノ植付トカ色々忙シイ時節テコサイマス、是カラ大ニ勉メナケレハナラヌ時ト考ヘマスカ、蓋シ私ノ旅行ハ良イ種ヲ持ツテ帰ルコトハ果シテ出来マスマイケレトモ、此種ヲ蒔キ此実ヲ収メルト云フ我田畑ノ開墾培養ヲ、諸君ノ御力ニ依テ充分為シ置カレムコトヲ希望致シマス、何レ帰朝致シマシテ、又諸君ニ今日ノ御送別ノ謝辞ヲ申上ケタイト思ヒマス、一言御礼ヲ申上ケマス(拍手起ル)
    桂総理大臣演説
閣下、諸君、私ハ今晩此渋沢君ノ今般洋行ヲ致サレルニ就キマシテ、当商業会議所諸君ガ御企テニナリマシタ所ノ御盛宴ニ陪スル御案内ヲ受ケマシテ、甚ダ光栄ニ存ジマス、就キマシテハ同僚等其他政府ニ出仕ヲ致シテ居ル所ノ者ヲ代表シテ、一言御挨拶ヲ致サウト考ヘマス
渋沢君ガ今般ノ御旅行ニ就キマシテハ、同君ガ一人御企テニナツタノミナラズ、当商業会議所及全国ノ商業会議所ヨリ渋沢君ニ御委託ヲ致サレテ、即チ将来我商業会議所ニ於ケル所ノ大イナル参考トナルベキ
 - 第21巻 p.772 -ページ画像 
事、即チ前ニモ大倉君ガ述ベラレタ如ク花モ実モ持ツテ御帰リニナルヤウニト云フコトノ御委託ヲ受ケラレタノハ、誠ニ渋沢君ニ於カレテハ、一方ニ於キマシテハ御旅行中随分或点ハ御迷惑デアルカモ知レナイガ、併ナガラ渋沢君ノ平素ト致サレテハ最モ御満足ヲナサレルコトト考ヘマス(ヒヤヒヤ)且ツ我々ニ於キマシテモ渋沢君ガ今般此企テヲナサルヽニ就キマシテハ、最モ満足ヲ致シテ居ルノデアル、殊ニ諸君ト相伴フテ意志ノ疏通ヲ終始致サナクテハナラヌト云フコトハ私ノ平素ノ希望デアル、渋沢君ガ右ノ如キ御委託ヲ受ケラレテ健康ニシテ御帰朝ニナツタナラバ、定メシ最モ此意思ノ疏通ヲ致ス上ニ就キマシテハ参考トナルヘキ事モアルダロウト存シ升、第一私ハ渋沢君ニ成ルベク御壮健ニシテ、且ツ沢山ニ御土産ヲ御持チナサツテ御帰朝アラムコトヲ偏ニ希望致シマス、又当商業会議所諸君ニ対シマシテハ、前ニ述ブル如ク将来我々ト成ルベク意志ヲ疏通致サレテ将来最モ必要ナル所ノ国家経済ノ発達ヲ図ラレムコトヲ偏ニ希望致スノデアリマス、聊カ詰ラナイ言葉ヲ述ベマシテ渋沢君ノ御出立ヲ祝シ、併セテ渋沢君ト同行セラルヽ所ノ諸君ノ御健康ヲ偏ニ祈リマス、続イテ当商業会議所ノ最モ盛大ニナラムコトヲ祈リマス(拍手起ル)
   ○栄一ハ五月十五日渡米ノ途ニツキ、十月三十日帰朝セリ。(渋沢栄一日記明治三五年)此間当会議所ノ事業ハ副会頭大倉喜八郎ノ名ヲ以テ行ハレシガ、其中主ナル建議ハ次ノ如シ。
    一、明治三十五年六月十三日勅令第百五十八号(取引所令改正)ニ関シ内閣総理・海軍・陸軍・逓信・内務・文部・農商務・司法・大蔵・外務ノ各大臣ヘ建議書ヲ呈出ス。
    一、同年十月二十九日商事裁判所設置ノ義ニ付、内閣総理・司法・農商務ノ各大臣ヘ建議書ヲ呈出ス。
    一、同年十一月一日貯蓄奨励ノ義ニ付、内閣総理・大蔵・農商務・逓信ノ各大臣ヘ建議書ヲ呈出ス。