デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.772-784(DK210135k) ページ画像

明治35年11月8日(1902年)

是ヨリ先十月三十日、栄一欧米視察旅行ヨリ帰朝セシガ、是日当会議所楼上ニ於テ歓迎会開催セラレ、栄一席上一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三五年(DK210135k-0001)
第21巻 p.772 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
十月三十日 晴
○上略 午後一時半小蒸気船ニテ上陸 ○神戸港 ○下略
十月三十一日 曇
○上略 午前十時過新橋停車場ニ着ス ○下略
   ○中略。
十一月八日 曇 気候寒冷ナリ
○上略 三時半東京商業会議所ニ抵リ役員会ヲ開ク、大倉・井上・雨宮・藤山・朝吹ノ諸氏来会ス ○中略 近々総会開設ノ事ヲ打合ス、畢テ歓迎会ニ臨ミ、食事後一場ノ演説ヲ為ス ○下略


東京商業会議所報告 第一〇三号・第八五―九五頁 明治三五年一二月刊(DK210135k-0002)
第21巻 p.772-783 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇三号・第八五―九五頁 明治三五年一二月刊
 - 第21巻 p.773 -ページ画像 
 ○参照
    ○渋沢会頭歓迎会記事要領
明治三十五年十一月八日午後五時、東京商業会議所ハ、今回帰朝セラレタル渋沢会頭ヲ招待シテ同所楼上ニ於テ歓迎会ヲ開キタルカ、来賓ハ渋沢会頭ヲ初メ、浅田・阪谷・安広ノ各総務長官、千家府知事・柴田内閣書記官長・一木法制局長官・木内商工局長・杉村通商局長・倉知商事課長・大谷横浜商業会議所会頭、市原・八十島・萩原ノ各随行員諸氏ニシテ、宴闌ナルヤ大倉副会頭ノ発声ニテ一同
天皇 皇后両陛下ノ万歳ヲ三唱シ、夫ヨリ大倉副会頭ハ会員一同ヲ代表シテ開会ノ挨拶ヲ為シ、渋沢会頭ハ之ニ対シテ答辞ヲ述ヘ、且ツ一場ノ欧米視察談ヲ為シ、次ニ浅田逓信総務長官ノ挨拶アリ、午後八時頃散会シタリ、尚ホ大倉副会頭・渋沢会頭・浅田逓信総務長官ノ演説筆記ハ左ノ如シ
    大倉副会頭演説
来賓閣下並ニ会員諸君、今夕ハ東京商業会議所会員ニ代リ渋沢会頭歓迎ノ小宴ヲ開キ升ルニ就テ御案内ヲ申シマシタ処、幸ニ御尊来ヲ忝フ致シマシタノハ我々ノ光栄、有難ク感謝ニ堪ヘマセヌ、渋沢男爵ハ曩キニ欧米各国漫遊ヲサレマスル折、当商業会議所及全国商業会議所一同ヨリ、日本ノ経済事情ハ兎角海外ニ誤解サレテ居ル、之カ疏通ニ力ヲ添ヘテ貰ヒタイ、斯様ナ事柄ヲ依頼イタシマシタ、此希望ヲ齎ラシテ欧米各国ヲ漫遊サレ、此漫遊ノ折柄ニハ何レモ著名ノ商業家、或ハ著名ノ政治家、種々ノ方面ヨリ各地ニ於テ会談ヲ遂ケラレテ我々ノ希望ヲ充タサレタコトヽ存シマスノテアリマス
本年五月会頭送別ノ莚ヲ此席ニ開キ、今日又会員一同ト共ニ無事帰朝歓迎ノ莚ヲ催シ升ルハ誠ニ嬉シイコトテ、欣喜ニ堪ヘマセヌノテ御座イマス、又小宴ノ御馳走ハ甚タ小ナリト雖トモ、会頭ノ欧米ニ漫遊サレタ土産話ノ大ナル抱負ヲ謹聴シタイト云フ望ミハ諸君ト倶ニ我々カ持ツテ居リマス、御馳走ハ小テアリマスケレトモ御土産ノ大ナルヲ望ムト云フコトモ是ハ商業家ノ集リトシテハ適当ナコトテアリマス、唯慚愧ニ堪ヘマセヌノハ、此六ケ月ノ間ニ渋沢君ハ欧米諸国ヲ漫遊サレテ有益ノ事柄ヲ得ラレマシタロウト思フカ、我々コヽニ残ツテ居ル会員諸君ト倶ニ碌々何一ツ仕出シタコトモ御座イマセヌノハ恥カシイ心地カ致シ升ル、是モ我国ノ経済上已ムヲ得ヌコトヽ存升、カヽル場合ニ海外ノ現状談ヲ拝聴致升ルハ頗ル興奮剤ト存升、爰ニ渋沢会頭始メ萩原君及同行諸君ノ健康ヲ祝シマス
    渋沢会頭演説
当席ノ会長・会員諸君、及臨場ノ諸貴賓、私カ欧米旅行ヲ致シマシテ此程当地ヘ帰ツテ参リマシタニ付テ、此会議所ハ玆ニ私ヲ迎ヘル為メ盛莚ヲ御張リ下サレ、且会議所ニ関係ノ多イ諸官庁ノ諸君ノ御賁臨ヲ請フテ玆ニ此莚ニ列シマスルノハ誠ニ喜ハシイ次第テ、且私ノ最モ光栄ト存スルノテコサイマス、実ニ所謂歳月流ルヽ如ク、時人ヲ待タス丁度半年経チマシテ御送別ヲ戴イタ席テ又歓迎ヲ受ケマスカ、自ラ顧ルト何ニモ為シタコトハアリマセヌ、諸君ニ恥チマスヨリハ却テ此饗宴ニ迄併セテ恥チナケレハナラヌト思ヒマス、六ケ月ノ間トウ云フ経
 - 第21巻 p.774 -ページ画像 
過ヲシタカト云フコトハ、既ニ帰国以来アレコレト人カラ尋ネラレマシテ、飛ビ飛ビニ御話シマシタコトカ或ハ新聞抔ニ出マシタリ、旁々テ満場ノ諸君中ニハ御承知ノ方モ御座イマセウカラ、余リ長ク道行ヲ申マスルノハ却テ下手ノ長談議、無用ノ弁ニ当リマセウト考ヘマスルテ、簡略ニ述ヘマスルカ、私ノ当会議所ニ対スル責務トシテハ、当会議所並ニ日本全国商業会議所カ聯合会ヲ開キ決議ヲサレテ、私ニ附託サレマシタル事柄ニ就テハ、私ハ満腹ノ精神ヲ以テ努メマシタ積リテ御座イ升、但其効果ノ少イノハ私ノ力ノ足ラヌノト、或ハ又時期ノ到来セヌト云フコトモアルカモ知レマセヌカラシテ、如何ニ満腹ノ精神ヲ以テ努メテモ、其効験如何ト云フコトハ今俄ニ申上ケラレマセヌト思ヒ升、其道行丈ハ玆ニ陳述致シテ置クカ即チ当会議所ヲ重ンスル意念、諸君モ亦此会議所ヲ重ンスル情トシテ必ス御聴キナサリタイト思フノテアリマセウ、私ノ日本ヲ発シマシタノハ五月十五日テアツタ、桑港ニ着致シマシタノカ其月ノ三十日テ、是カラカ商業会議所ノ訪問ヲ始メルノ抑モ手始テ御座イマス、桑港ノ商業会議所会頭ハニユーホールト云フ人テコサイマシテ、之ニ面会ヲ致シテ日本ノ商工業者ヲ代表スル所ノ全国商業会議所聯合会、若クハ東京ノ商人ヲ代表スル東京商業会議所ハ斯ル考ヲ持ツテ居リマシタ、其任務ヲ帯ヒテ私ハ漫遊旁旁罷リ出タ訳テアルト云コトヲ詳シク通シマシタ、同地商業会議所ノ会頭ハ大ニ喜ンテ其意ヲ領シテ、併セテ其会場ニ案内ヲシテ一覧セシメ、其他ノ方面ニ付テモ案内ヲサレマシタ、桑港ハ御案内ノ通リマタ新創ニ属スル場所テ商売工業カ極ク完備シテ居ルトハ亜米利加ニ於テハ申セヌテ御座イマセウ、且私モ五月三十日ニ着シテ六月三日ニ立ツト云フヤウナ都合テアツタカラ、見聞ヲ致ス時日ハ十分御座イマセナンタ、詰リ商業会議所ニ立寄ツテ其事務ノ扱振リ其他ノ手続ヲ見マシタカ、極ク感心致シマシタコトハ何ウモ人手ヲ大層省略シテ居ル、而シテ用カ左マテ弁セヌトハ思ハレヌノテアリマス、併シ如何ニ亜米利加ト雖トモ、商業会議所ノ事務ヲ現今ノ我会議所ノ如ク取扱ハシメタナラハ、アレ程ノ節約テハ行キマスマイカ、蓋シ相集ツテ議スルト云フ趣意カ要務テ、種々ナ調査若クハ報告抔ト云フヤウナコトニ付テハ我々ノ現在取扱ツテ居ルヨリハ余程簡略ニヤルモノト見受ケラレマシタ、書記長・書記共総計一人テアル、其外手伝ヒカ一人リ居ルケレトモ是ハ立派ナ事務員トハ言ハレナイ、会頭タルニユーホール氏ハ中々活溌ナ男テ相当ノ資産モアリ、地方ニ於テモ評判ノ宜シイ人テアル、段々話ヲシテ見マスルト、亜米利加人ハ学術的ノ廻リ遠イ話ハ極ク嫌ヒテ詰リトウスレハ銭カ儲カルカト言フ様ナ真率ナル調子ニ言ヒマスカラ、少シ拝金宗ト云フ嫌イテアリマス、私モ決シテ詩人テモナケレハ哲学家テモコサイマセヌケレトモ、チヨツト交際ツテ見ルト少シ気韻カ卑イト云フ調子カアルカ、マア取ツタカ見タカノ鋭イ人テアルト云フコトハ十分言ヘル、夫程活溌ナル会頭ヲ戴ク会議所カタツタ一人ノ書記テ事務ヲ調理シテ、而シテ其会議所ノ評判ハトウカト云フト中中世間ニ信用サレテ、地方ニテハ九鼎大呂ト重ク視ラレテ居ルノテアリマス
夫カラ続イテ第二ニ参リマシタノカシカゴテコサイマス、シカゴハ商
 - 第21巻 p.775 -ページ画像 
業会議所トシテハアリマセヌ、ボールド・オフ・ツレードト云フテ、商業会議所トハ少シ違ツテ居ル、併シ此プレシデントト云フ人ニ面会シマシタ、シカゴノボールド・オフ・ツレードニテハ穀物取引所ノ事ヲ管理シテ居リ升カラ、取引ニ関スル要務ヲ聞合セテ見タイト思フテ再度迄モ訪問シマシタ、併シシカゴニモ六月八日ニ着シテ十日ニ立チマシタ位テアリマシテ、時日カ甚タ短縮テコサイマシタカラ十分ナル事ハ調査シ得ラレマセヌ、且取引所ノ事ハ商業会議所トハ別段テ御座イマスルテ玆ニ縷述致スコトハ見合ニ致シマス、而シテ此処ニ於テモ矢張リ予テ当会議所及ヒ聯合会ノ決議ノ趣旨ヲ通シ、先方カラモ喜ンテソレヲ領承スルト云フ答ヲ取リマシテ、ソレカラ次ニ参リマシタノカフヒラテルフヰヤテアル、之ハ商業会議所トシテハアリマセヌ、商品陳列館テコサイマス、此商品陳列館ノコトニ付テハ前ニ当会議所ヘモ種々ノ照会カ御座イマシテ、本会議所ノ決議ニ依ツテ私ト書記長トカ其陳列館ニ於ケル万国商議員会ノ会員トシテ名前ヲ出シテ御座イマシタカラ、実地ノ景況ヲ一覧ノ為メ罷リ越シマシタカ、此処ノ建築ハ頗ル立派テス、又相当ナ人カ在ツテ、殆ント世界万国ノ品物ヲ備ヘテ置イテ、貿易業ノコトニ便益スル為メ種々ノ仕向カ設ケラレテコサリマスルガ、トフモ其備ヘテアル品物カ始終商業者ニ利用サレテ居ルト云フ程ニモ見ヘマセヌ、或ル新シヒ商売テモ開カウート云フ人カ其処ヘ行テ様子ヲ聞イテ、是ハ南洋ヘ向イテ居ルモノタトカ、アレハ東洋ニ向ヒテ居ルモノタトカ云ツテ、多少ノ利益ハアロウケレト、詰リ多ク備ヘテ諸人ノ参考ニ供スルト云フニ過キヌノテ、日常働ク商売人ノ必要機関ニハナツテ居ラヌカ如ク見ヘマシテコサイマス、併シ其家屋ト言ヒ、其蒐集シテ居ル諸物品ト言ヒ、夫ハ中々立派ナモノテ、吾々東京辺ノ陳列館ノ企テ及フモノテハ御座イマセヌ、第一ニ家屋ト云フモノハ余程ノ構造テ御座イマス、国ト州トテ巨額ノ金ヲ出シテ建築シタモノテアルト云フコトテスカ、如何様左様思ハレマス、コレモ商業会議所ノ関係トシテ申述ヘルノテ御座イマス
ソレカラ続イテハ紐育、同地ノ会頭ハジヱサツプトイフ人テアル、又今ハ会頭トシテ居リマセヌケレトモ嘗テ前年会頭タリシチヤーレス・スミストイフ人カコサイマス、是ハ丁度八・九年前ニ日本ニ遊ヒマシテ当会議所ニ於テモ其人ヲ歓迎シテ園遊会ナトヲ開イタコトカコサイマス、ソレ等ノ関係カラ私モ知合ツテ居リマシタシ日本ノ事モ能ク記臆シテ居ツテ、業ニ既ニ其人ハ私ノ着スル前カラモー着スルテアロウ愈々到着シタナラハ歓迎シテ緩話ヲシヤウ、宴会ヲ開イテ優待シヤウトイフ位マテ考ヘテ居ラレタノテ、着致シマシテ直キニ先キテモ来テ呉レ、又コチラカラモ訪問ヲシマシテ、結局六月ノ二十四日テコサイマシタカ、其案内ヲ受ケマシテ紐育ノ商業会議所ニ於テ一日ノ饗宴ヲ受ケマシテコサイマス、其時集ツタ人達ハ、重立ツタ名前ハゲージトイフ人、是ハ以前大蔵長官ヲシタ人、ソレト今一人ハブリツスト称シ内務長官ヲ勤務セシ人、ソレカラセスロートイフ市長、ソレ等カ重立タル来賓テ其他銀行者・保険業者又ハトラストコンパニーノ人々、及商業会議所会員モ余程ノ多人数来ラレマシタ、此方カラハ兼テ当会議所及聯合会ニテ議決セラレタ趣意ヲ丁寧ニ述ヘマシタラ、先方モ日本
 - 第21巻 p.776 -ページ画像 
トハ甚タ縁ノ近イ間柄テアルカラシテ、何処マテモ日本ノ商業会議所ノ意思ニ同意シテ将来十分ニ情意ヲ貫徹シ、手ヲ握リ合フテ仕事ヲスルヤウニセネハナラヌ、玆ニ列席シテ居ル者カ思フノミナラス米国一般ニ推シ及ホシタイトイフコトマテ考ヘテ居ルト、先方ノ人々カラ申シマシテコサイマス、将来ノ事実カ何処マテニ貫徹シ得ラルヽカハ第二トシテ、先ツ相当ナル手続ヲ以テ嘱託ノ意思ヲ貫徹セシメタト自分ハ申上ケタイノテコサイマス、更ニ一ツ亜米利加ニ於テ御話シテ置キタイノハ、曩ニ書状ニテ御報道シテ置キマシタカラ、諸君御聴取リモ下サイマシタラウカ、六月十六日ニ華盛頓府ニ於テ大統領ニ謁見スルコトカ出来マシテ、又国務長官ノヘートイフ人ト、ソレカラ大蔵長官ノシヤウトイフ人ニモ面会シマシタ、何レノ人々ニ会見ノ時モ、自分カ米国ニ来遊セシ趣意ハ斯々テアルトイフコトヲ申述ヘテ、相当ノ挨拶ヲ得マシタカ、特ニ大統領ノ会見ノ時ニ、大統領カ丁寧ニ来意ヲ尋ネマシタカラ、私モ詳シク其趣意ヲ申述ヘマシタ末ニ、大統領ハ日本ニ対シテ厚ク好意ヲ添ヘラレテ温顔ニ述ヘラレタ言葉ハ、日本ハトウモ感心タ、殊ニ私共聞及ンテ居ル所ハ、支那ノ戦役ニ付テ、日本ノ兵隊トイウモノハ実ニ勇敢テアル、日本ノ兵隊トイフモノハ実ニ厳正テアル、日本ノ兵隊トイフモノハ愛憐ノ情カ深イ、又日本ノ国民トイフモノハ美術ノ思想ニ富ンテ居ル、総テノ設計意匠カ甚タ優美テアルト斯ク賞メラレマシタカラ、私モソレタケテハ何ヤラ物足ラヌヤウニ感シマシタ、去レハ今日我々ノ本領即チ商工業ノ事ヲ十分亜米利加大統領ニ賞メテ貰ヒタイト思フテモ、賞メヌノハ間違ツテ居ルトマテ申サレマセナンタ、依テ大統領ノ言葉ハ忝ク伺ヒマスカ、私ハ老ヒタリト雖トモ此末モ亜米利加ニハ度々来ル積リタカラ、次回ニ参リマシタラ今ノ御賞メノ言葉ニ加ヘテ尚一ツ、日本ノ商業モナカナカ力アルモノテコサルトイツテ頂キタイト言ヒマシタラ、大統領モ大ニ笑ツテ如何ニモ御同意テアル、実ニ此談話ハ将来マテ記臆スヘキ事テアル、日本ノ商売カ微小タカラ賞メナイトイフ訳テハナカツタカ、貴君カ私ノ申述ヘタコトヲ左様ニ深ク解釈サレタノハ実ニ愉快テアルトイツテ、更ニ此国ノ現況ハ斯ウタ、日本ハマタコヽマテニハイカヌト言ハヌハカリニ言ツテ居リマシタ、此等モ商業会議所ノ意志ヲ米国人ニ疏通スル一端テアラウカト思ヒマスカラ、既ニ書面テハ御通知ハシマシタケレトモ、斯カル好機会ニ一言申述ヘテ置キマス、夫レカラ六月二十七日ニボストンニ於テ同地ノ商業会議所ヲ訪問シマシテ、会頭リンコルン氏及七・八名ノ会員ニ面会シテ、来意ヲ通シテ意思疏通ノ趣意ヲ申述ヘマシタ、会同セシ人々ハ至極丁寧ニ、且懇切ニ之ヲ領セシ旨ヲ答ヘラレマシタ
続イテ英吉利ニ渡航シマシタ、英吉利ニ於テノ経過ハ商業会議所トシテ訪ネマシタノハ倫敦ハ勿論ノコトテ、ソレカラマンチエストル・グラスゴーテ、其他ニモニユーカツスル・シヱツヒード等ノ市街ハ経過致シマシタケレトモ滞留時日ノ短イ為メニ商業会議所ニハ訪問スルコトカ出来マセンナンタ、併シマンチエストルハ大分商業会議所ハ組織モ其事務モ余程整フテ居ルト承リマシタカラ、自身訪問シテ実況モ見タク考ヘマシタガ、如何セン僅ニ前後一日半ハカリノ滞留デ、已ムヲ
 - 第21巻 p.777 -ページ画像 
得ス書記長ヲ以テ印刷物ナドヲ送ツテヤリマシテ、概況ヲ承リマシタニ過ギマセヌ、グラスゴーモ同様私ハ訪問シ得ラレヌデ書記長ヲ以テ来意ヲ通シマシタ、倫敦ニ於テハ商業会議所ノ人達トモ度々会見シ談話モ致シマシタカ、英吉利ノ内地即チ倫敦以外ノ商業会議所ニ対シテハ前々申述ヘタル通リ只其体裁ヲ見得タト申ス丈ケデ、商業会議所員ニ十分ナル話ヲ遂ケタトイフコトハ出来得マセナンダ、倫敦ニ於テハ予テ本邦ニ駐剳セル英国公使カラモ添書ヲ受ケテ置キマシタカラ、到着早々其添書ヲ送附シ、且ツ書記長其他商業会議所員ノ日本ニ関係アル人々カ、二・三訪ネテ呉レマシタ、為メニ日合ヒヲ打合セテ丁度七月二十五日ニ私ハ倫敦商業会議所カ特ニ会議ヲ開テアル席ニ臨ミ、斯ク斯クノ趣旨デ当国ニ参ツタトイウコトヲ丁寧ニ申述ベマシタ、先方モ来会者全体ノ一致ヲ以テ来意ヲ領諾スルトイフ議決ヲ為シテ、其序ヲ以テ商業取引ニ関スル徳義問題ナドニ付テ種々ノ説カアリマシタ、此時ニ集ツタ会員ハ丁度四十四・五名デ、当日ノ会長ハウヱリヤム・ケスウイツク氏テアリマシタ、元来倫敦モ紐育モ日本ノ如ク商業会議所員ノ人数ヲ制限サレタ成立テコザイマセヌカラ其数ハ甚タ多イデス、多イテコサイマスカ、左様ナ多数ノ会員カ残ラス参会ハセヌノテサウシテ其会場モ甚タ狭イ、此議場ノ体裁ニ付テ御話ヲシマスルノハ第二ニ譲ツテ、詰リ倫敦商業会議所カトウイウ意思テ我々ノ申込ヲ受ケタトイウ顛末ヲ一応申述ヘマシヤウ、当日私カ申述ヘル要旨ハ日本語テ演説シマシタカ、兼テ其大体ノ趣旨ヲ英文ニ翻訳シテ之ヲ通シマシタカラ、先方モ会長ヨリ来会者ニ之ヲ通シテ種々ノ意見ヲ陳述セシモ、結局好意ヲ以テ之ニ同意ヲ表スルトイフ手続テアリマシタ
欧洲大陸ニ於テハ先ツ白耳義ニ参リマシタ、白耳義モ日合ヒノ短イ為メニ商業会議所ヘノ訪問ハ十分ニハ出来マセナンタカ、アンウエルスノ方ハブラツセルヨリ寧ロ商業会議所カ発達シテ居ルコトヲ聞キマシタカラ、アンウエルスノ日本領事カ商業会議所ノ会頭ニ懇意トイウコトデ、其紹介ニヨリテ会頭ニ面会シマシタ、其席ニ出マシテ十分コチラノ希望ヲ述ヘ、先方モ同感テアルトイウ意思ヲ丁寧ニ言フテ居リマシテコサイマス、ソレカラ、続イテ商工業高等会議ノ会頭タルストラウストイフ人ニ面会シマシタ、是レモ同シク会議所ニ関係ノ人テスカラ会見シテ十分ニ懇話ヲシマシタ
大陸ニ於テハ続イテ日耳曼ニ参リマシテ、伯林ニ於テ又同様ノ手続ヲ致シマシタ、伯林ノ商人会会頭ハヘルツト云フ人テ八十近イ老人テコサイマシタ、訪問シタ時日ハ八月三十日テ、此人ハ平常ハ商人会ニハ出席シテ居ラヌテ、自宅ニ参ツテ東京商業会議所及ヒ全国ノ商業会議所ノ意思ハ斯ク斯クト申述ヘマシテ、是モ等シク領意致シタコトヲ答ヘラレマシタ、夫レカラ九月二日ニハムブルグ港ニテ同シク商業会議所ヲ訪問シテ来意ヲ通シマシタ、九月三日ニ倫敦ニ帰ツテ、終ニ欧州ノ用事モ概略片付マシタカラ、九月七日ニ倫敦ヲ出立ヲシテ仏蘭西ニ参ツタ、仏蘭西テ又巴里ノ商業会議所ニ同様ナ手続ヲ為シマシタ、巴里ノ商業会議所ハ他ノ地方ヨリハ余程商業会議所ノ有様モ違フテ中々整頓シテ、且其建物ノ構造モ立派ナモノテアリマシタ、同地ノ会議所ハ法律ニ依リテ成立シテ居ル、其上ニ貿易調査所トイウモノヲ此商業
 - 第21巻 p.778 -ページ画像 
会議所テ世話シテ居リマス、丁度同所ヘ訪問ノ事ヲ通知シテ置キマシテ、九月十二日ニ同所ニ参リマシタルニ、会議所会頭ヒユーモーズ氏ハ此日役員会議ヲ開ヒテ私ヲ迎ヘテ呉レマシテ、其出席人員十人計リカ共ニ当方ノ意見ヲ聞キ、又同シヤウニ挨拶ヲシテ、特ニ一場ノ小宴ヲ開キ、シヤンパン酒ヲ出シテ酒間懇切ナル答弁ヲ述ヘテ呉レマシテコサイマス、続イテ貿易調査所トイウモノハ如何ナル有様テ組立テヽ居ルカト尋ネマシタラ、トウソ一応見テ貰ヒタイトテ別室ニ案内サレマシタ、此詳細ノ手続ハ追テ報告書テ十分ニ了解シ得ルヤウニ致シテ置カウト思ヒマスカ、殆ト政府ト商業会議所トテ持合ツテ設立シテ居ルヤウニ見エマス、建築ハ商業会議所ノ所有テ政府ノ使用ニ供シテ居ル、丁度商業会議所ハ家主テ、協議上其経費ヲ分担スル方法ト思ハレマス、ナカナカ立派ナ建築テアリマシタ、此貿易調査所ノ大要ハ欧羅巴モ東洋モ国別・所別ニシテ種々ナル取調ノ手続ヲ定メ、或場合ニハ領事其他ト打合セヲシテ総テノ事実ヲ聞糺シ、又ハ互ニ相通知シテヤルトイウヤウナ仕組テチヨツト見渡シマシテモ亜米利加ニテ見聞セシ振合ノ如ク書記一人テ使用スルモノトハ其主義ヲ異ニシテ居リマス、多数ノ使用人カ居ツテ常ニ諸方ノ報告ヲ取リ、之ヲ調ヘテ時ヲ定メ期ヲ刻シテ政府其他ニ申達シ、格別ノ出来事ニ付テハ臨時報告ヲモ出ストイフ仕組ニナツテ居ルサウテコサイマス、此方法カ仏国ニ於テ果シテトレ程商業界ニ利益ヲ与フルカ、十分ニ之ヲ探知スルコトハ出来マセナンタカ、何ニシロ余程其費用ヲ懸ケ、余程丁寧ナル仕組テ、国々ノ商業ニ付テノ取調ヲヤツテ居ル、其費用ハ政府カラ相当ノ補助カアツテ其管理ハ政府ト会議所トカ受持ツテ而シテ其場所ノ全権者ハ会議所ノ重立ツタ人カ特ニ行政官トナツテ其責任ヲ持ツテ居ルトイウ仕組ノ様ニ見受ケラレマス、是等ハ甚タ観ルヘキモノテアラウト考ヘマシタカラ、其仕組規則又ハ報告書ノ体裁ナトモ出来得ル丈ケ貰ツテ帰リマシタカラ、追テ報告イタスヤウニシヤウト思ヒマス、欧洲諸国ノ商業会議所ニ関スル訪問、又ハ意思ノ疏通ニ付テ陳述シマシタ趣旨、先方ノ領意セシ有様ハ前ニ陳述イタシタ通リテアリマス、短日月ニ言語不通ノ私カ欧米各国ヲ廻ツテ歩キマシタ訳テアルカラ決シテ満足トハ申上ケ得ラレマセヌカ、力メテ当会議所ノ議決及聯合会ノ意思ヲ各国ノ商業会議所ニ通スルト云フコトハ私ノ要務ト心得テ勉強イタシマシタノテ、玆ニ当会議所ノ諸君ニ対シテ御報告イタシテ置キマスルノテコサイマス、是ハ会議所ニ対シテノ復命デ、今日言語テ申スノミナラス、追テ報告書ヲ以テ此場所ハ斯様テ、此地ハ斯ウテ、此事柄ハ云々テアルト云フコトノ御分リニナルヤウニ致ソウト思ヒマス
サテ第二段ニ申上ケタイノハ欧米商工業ノ概況テアリマス、是モ前ニ申述マス通リ私カ物ヲ視ル程ノ明察モナケレハ聴取ル耳モ持チマセヌ唯々短イ時間ニ各地ヲ奔走ヲシタノテアリマスカラ、決シテ真想ヲ知ルナトト云フコトハ出来得マセヌカ、概括的ニ見渡シマスルト亜米利加ト英吉利ト独逸ト仏蘭西カ四ツニ分レテ居ツテ此四ケ国ハ或場合ニ似タ所モアリマスカ、余程差カアツテ各独得ノ長所カアルヨウニ見ヘマス、而シテ之ヲ我日本ニ取リテトウ云フ考ヲ持ツタカ宜カラウカトイフコトハ大ニ考ヘネハナラヌト思フノテコサイマス、亜米利加ノ商
 - 第21巻 p.779 -ページ画像 
工業ハ実ニ駸々トシテ進ム、或点カラ言フト突飛ニ進ムト申シテ宜カラウト思フ、殊ニ亜米利加ノ人情ハ種々ナル位地・性質・学説ノ違ツタ人々ノ意見ヲ集メテ之ヲ充分ニ咀嚼ヲシテ、サウシテ「アメリカナイズ」シテ働カセルトイフ有様ニ見ユル、諸君モ御承知ノ通リ亜米利加人ハ方々ノ国カラ集ツテ、種類ノ違ツタ人民カ相会シテ一国ヲ成シテ居ルノテスカラ、或ハ丸テアチラニ一塊コチラニ一塊ト、種々ナル衝突阻隔カ生シサウニ思ハレ升ルカ、実況ハ予想ニ反シテ実ニ能ク協同シテ居ル、若シ彼カ日本人デアツタナラハナカナカアノヤウナ渾化即チ一国トイウ大目的ノ下ニ事々物々大キク纏メテ往クコトハ出来ヌテハナカラウカト思フ、個々ノ人ニ就テ見ルトキハ随分突飛ナ手段ヲ用ヒ、又自説ヲ貫ク性質カ余程強ク、詰リ考ヘタコトハグングン行フテ顧慮心配ヲセスニヤツテ行ク、然ルニカノ性質ノ人達カ相集ツテスル仕事ヲ見マスルト、或点ニ於テハ競ヒモシマセウカ、大キナ事柄ヲハ大抵協同戮力スルトイフ有様テアル、所謂亜米利加トイフ大国ヲ背ニ負フテ運動スルコトカ多イノテアル、農産ニ富ミ、工業ノ進歩セル商売ニ鋭イ亜米利加カ尚加フルニ前ニ云フ有様デ駸々ト進ンデ行クノヲ見マスルト、将来如何ニ盛大ニ如何ニ富強ニ成リ行クカト想像シ能ハヌ位デアリマス、是等ノコトニ付テハ私カ後レ馳セニ見テ参ツタコトデ、申サヌテモ世間ニ疾クヨリ唱ヘテ居ル人モアリマスカラ敢テ喋喋スル必要ハ無イデコサイマセウカ、私カ特ニ懸念シマスノハ、此亜米利加トイフ国カ自国ノ繁盛スルト同時ニ、東洋ニ向ツテ充分ナ力ヲ入レルデアラウト思フノデス、此東洋ニ向テ力ヲ入レルトイフノハ何事デアルカ、工芸ト農産トデアラウト思フ、私ハ我日本ノ現在ニ考ヘテ工芸ノコトノ一・二ヲ論スルナラバ実際紡績事業・織布事業又ハ製紙事業トイウヤウナモノニ付テハ実ニ大敵ト言ハネバナラヌト思フ、而シテ米国ハ金利ノ廉イ、機械ノ便利ナ、智慧ノ進ンデ居ル人ヲ使フトイフ種々ナ便益ニ、尚ホモウ一ツ加ヘテ、製品ヲ廉クスルトイフ、所謂「ユーナイト」シテ製品ノ高ヲ多ク作ツテ製品ノ原価ヲ安クスルトイウコトガ大変進ンデ居リマス、之レニ反シテ我邦ヲ顧ミマスルト利息ハ高イ、仕掛ケハ小サイ、智慧ハ乏シイ、製造高ハ細イ、随ツテ製品ノ代カ高ク附ク、斯ノ如ク総テ反対ナル日本ノ製品ヲ以テ他ノ国ヘ行テ力ヲ角スルト云フコトデアツタラバ、智者ヲ待タズシテ負ケルコトガ知レルノデアリマス、我日本ノ鎖国ノ眠ヲ一番先キ醒シテ呉レ爾来頗ル懇切ニ日本ノ事物ヲ誘導開発シテ呉レタ亜米利加カ、焉ソ知ラン工業ニ於テ我々ノ大敵ト言ハザルヲ得ヌノハ実ニ意外ノコトデアリ升、而シテ同国ノ力ヲ段々ト調ヘテ見マスルト、中々余裕カアツテマタ海外ニ向ツテ働キ懸カルニモ及バナイ、内国ノ需用ニ却テ引キ足ラヌテ困ツテ居ルト云フハ、重立ツタ工業家ニ問合セテ見テモ左様ナ答ヲスルノテアル、我々ハ退ヒテ己レノ商工業ノ未来ヲ考ヘテ見ルト何トナク心細ヒヤウナ観念ヲ惹起スノテコサイマス、斯カル御席ニ於テ斯フ云フ不祥ノ事ヲ申スモ甚タ心苦シイカ、併シ我々ハ向後余程覚悟ヲセネハナラヌト考ヘマスル為メニ、場所柄ヲモ顧ルニ遑アラスシテ、玆ニ真情実話ヲスルノテコサイマス、英吉利ハ亜米利加トハ大ニ其調子ヲ異ニシテ居リマシテ、工芸ノ有様モ多少古風ナ処カコサイマ
 - 第21巻 p.780 -ページ画像 
ス、或ル点ニ於テハ旧套墨守トイウ批評モナシ得ラレマセウカ、何分ニモ数百年来涵養セシ商工業ハ実ニ堅固ノモノテアリマス、其上商業者ハ皆真摯ノ精神ヲ以テ、一旦着手セシコトハ飽迄モ遣リ通スト云フヤウナ気風テアリマスカラ、米国人サヘモ幾分ノ恐怖心カアルヤウニ思ハレル、故ニ此英吉利ニ於ケル商工業ノ真想モ我々カ容易ニ断案スルコトハ出来ヌト思フ、併シ現在ノ商工業者カ日本ニ対スル感情ハ誠ニ好意ヲ以テ、成リ得ヘキ丈ケ手ヲ引合フテヤリタイトイフ観念ハアルカト私ハ察シマス、亜米利加ニ於テモ英吉利ニ於テモ、商業会議所以外ノ人ニテ商工業ニ有力ナル人物ニモ多少面会ヲ致シテ、日本ニ対スル感情ヲ種々ナル談話カラ探テ見マシタカ、我国ニ対スル感情ハ余程好イ有様テアル、日英同盟ノ影響ハ政事界ノミデハナイト言フコトハ玆ニ申上ケルヲ憚ラヌノテアリマス
独逸ハ御案内ノ通リ学問的ニ事業ヲ進ムル国テ、種々ナル商業・工業ノ進歩カ極ク聯絡カ届イテ沈着シテ居ルヤウニ見ヘテ居リマス、併シ私ノ滞留時日カ短カシ、面会シタ人モ極ク僅々タルモノテ御座イマスシ、唯概括シテ申上ケルマテヽアリマス、又仏蘭西ナトハ誠ニ奇麗ナ国テハ御座イマスケレトモ、商工業トシテハ前ニ述ヘタ三国トハ比較ハ出来ヌト思ヒマス、殊ニパリス最寄ハ工業ト云フモノハ市街ノ美観ヲ傷ケルト云フ主義テ、パリス市街ノ外ニ駆逐シテ殆ント煙ヲ立テシメヌヤウナ仕組テ御座イマスカラ、パリスニ於テハ唯大劇場トカ或ハシヱーブリノ陶器トカ、又ハゴブランノ織物トカ、総テ美術的ノ仕事テ、日本ト大工業テ力ヲ争フト云フコトハ殆ント縁ノ遠イノテアリマスカラ、他ノ方面カラ考ヘタナラハ同国ニ対スル観察モ種々御座イマセウカ、私ノ如キ美術トカ意匠トカ云フ思想ノ薄イモノニハ余リ注意ヲ惹カヌノテ、唯奇麗ナ町タ立派ナ所タト云フノミテアリマシタ、欧米四・五ケ国ヲ経過シタ有様ハ概シテ前ニ述ヘタ如クテアリマスルカ殊ニ私ノ海外ノ観察ニ付テ将来ノ日本ヲ考ヘテ見マスルト、実ニ想ヒヤラルヽヤウテ御座イマス、各国ノ商業会議所トテモ左様ニ世ノ中ニ大層ニ重セラレテ万能ヲ具ヘテ居ルト云フコトハ言ヘマセヌカ、前段ニ陳述シマシタ如ク其地ノ商工業者ヲ代表シテ而シテ其身モ現ニ商売ニ従事シテ居ルノミナラス、政治上其他ノ方面ノ人々ニ相当ニ重セラレ、又其意見モ採用セラレテ各其力ヲ充分ニ尽シテ居ル、又各国トモニ商売・工業ニ付テハ何処モ彼処モ其鎬ヲ削ツテ居ル様ニ見ヘル、然ルニ翻テ我国ヲ見マスルト昔日カラノ習慣トシテ持続シ居ル商ヲ卑ムト云フ弊風ヲ消除シ得ルコトカ出来ナイ、是ハ商工業者ノ気象ノ野鄙ナルニ依ルト云フ人モアルヘケレト、他人ノ之ヲ重セヌト云フコトモ自ラ商工業者ノ位地ヲ進メヌ原因トナツテ居リマス、斯ク申ス私モ商業家ノ一人トシテ平生ノ心掛ケカ悪イト云フコトヲ自分テ考ヘテ見ネハナラヌカト思フノテアリ升カ、一歩進ンテ言ツタナラハ、成ルタケ好イ位置ニ引上ケテ、其言論モ意見モ世間マテ之ヲ敬重シテ呉レネハナラヌカ、政治ニ従事スル人達モ商工業ヲ重ンスルト云フコトカ口ニ言フ程ニハ事実ニ顕ハレヌ、ソレノミヲ悲ムノテアリ升、兎ニ角此商工業ヲイツマテモ此儘ニシテ置イテハ我国ノ富実ハ期スヘカラサルコトヽ、各国ヲ廻レハ廻ル程ソー云フ感情ヲ惹起スノテアリ升、而シテ
 - 第21巻 p.781 -ページ画像 
世ノ中ハ如何ニ進歩シテ行クカト云フナレハ、亜米利加ト云ヒ、英吉利ト云ヒ、独逸ト云ヒ、実際ハ利害ノ戦テアツテ、ツマリ商売・工業ノ大ニ進ンテ其国ノ富実ヲ得ルノカ果シテ勝ヲ制スルノテ、反対ニ其衰ヘタノカ即チ負トナルノテアル、此ノ如ク考ヘテ見マシタナラハ我我カタヽ歎息スル計リテハナイ、我々ノ歎息ノ結果カ国ヲ挙ケテ歎息セネハナラヌ様ニナリハシナイカト恐レマス、私カ海外ヲ旅行シテ見マシテ色々ノ待遇ヲ受ケタ、其待遇ハ商工業ノ発達シタ結果カラ受ケタ待遇テアルカ、他ノ方面カラ受ケタ待遇テアルカ、若シモ他ノ方面カラ受ケタモノナラハ私ハ其待遇ハ少シモ難有ナクナル、前ニ申ス通リ亜米利加テ大統領カ先ツ賞メル言葉カ何テアツタカ、軍事テアル、第二ニ賞メル言葉カ何テアツタカ、美術テアル、英国テモ仏蘭西テモ其言葉カ聴ヘル、独逸ニマイツテモ其言葉カキコヘル、是故ニ私ハ商業者トシテ各国ニ於テ厚遇サレルト思フタ事ハ、焉ンソ知ラン日本ハ武威ノアル国タ、軍事ニ強イ国タ、其国ノ商業者ニハ幾分ノ待遇ヲセネハナラヌ、若シモコウ云フ意味テアリトセハ、吾々ハ自分ノ本領テ優待サレタノテナクシテ、マルテ人ノ御蔭テ巾ヲ利カセタト云フ様ニナル、蓋シ名誉ト云ハヽ云ヒ、名誉ノ結果ハ武力ノミ偏重ニナリテ商工業益々衰頽シ其国ハ貧困ニ陥ルノ外ナカロウト恐レルノテアリ升、私ハ爰ニ最終ニ申上タイノハ、此商業会議所カ海外ニ意思ヲ疏通スルノ事柄ヲ一時ノ感情ニ出ツルモノトセスシテ、成ル丈ケ将来ニ継続セシムル様ニ望ムノテアリ升、此精神ハ言ハスト解ツテ居ル、今日全国ノ商業会議所テモ、東京ノ商業会議所テモ、ツマリ是レカラ先キノ商工業ヲ世界的ニ仕様ト云フノカ眼目テアロウト思フ、決シテ日本丈ケヲ孤立シテ昔ノ鎖国商売テヤツテ行カフトハ思ハレナイ、若シソー云フ考ヘテアルナラハ左様ナ決議ヲスル気遣モナシ、左様ナ附託ヲスル筈ハナイノテアル、而シテ之ヲ世界的ニ仕様ト云フナラハ如何ナル方法ニヤルカト云フト、今迄ノ如キ有様ニ其商売ヲシテ小区域ニ区々ナル方法ニ、所謂排外ノ意念ヲ以テ存続シテ行クト云フ事ハ世界的ニスルト云フ希望トハ丸テ一致致サヌテアリマシヨウ、然ルトキニハ是非共彼等ニモ充分ニ事情ヲ知ラシメ、吾々モ又進ンテ彼ノ事情ヲ熟知シテ、資本ニ、智識ニ、仕事ノ仕組ニ、ナルタケ共同シテ働クト云フ事ニシテ行カナケレハ、到底日本ノ国力ヲ維持スルコトノ出来ヌノミナラス、更ニ進ンテ東洋ニ雄飛スルト云フ希望ハ達シ得ラレマイ、之レカ即チ意思ヲ疏通スルニ於テノ主眼テアロウト思フノテアル、右等ノ言葉ハ始終申ス訳ニハ参リマセヌカ、私ノ意念テ到ル所ノ商業会議所ニ敢テ明言致サストモ其深意ヲ含ンテ申シタノテ御座イマス、然ルニ玆ニトウシテモ私カ最モ此商業会議所ニ於テ諸君ト共ニ、又幸ヒ玆ニ列席セラレタ行政ニ従事ナスツテ御座ル諸君ト共ニ、特ニ希望シテ将来ニ成功ヲ期スヘキ廉々カ二・三アルノテ御座イマス、元来亜米利加ニアレ、英吉利ニアレ、資本ト云フモノハ極ク動キ易イモノテアル、資本ト云フモノハ猶水ノ如キモノテアル、水ノ低キニ就クハ其性質テアル、又智識モ其ノ通リ、働キモ其通リテ、我々カ将来世界的ニ事業ヲ為スノ勇気ヲ出シテ彼等ト伍ヲ成シ倶ニ謀ツテヤロウト云フ考ニナルナラハ其仕方ニ依ツテハ段々安イ利息ノ資本モ這ツテ来ル、良イ智
 - 第21巻 p.782 -ページ画像 
恵モ這入ツテ呉ル、殆ント三十年ノ間ニ今日迄ノ発達ヲ為シタルモ、其ノ良イ智恵ヲ入レタカラテアル、故ニ此資本モ智識モ其ノ性質トシテ低キニ流レ易イモノテアルカ、ソレト同時ニ又資本カ甚タ臆病ナモノテアル、其低キニ流レ易イト共ニ臆病テアルト云フコトモ忘レテハナラヌ、然ルニ前ニ申ス通リ、一方ニハ世界的ニシタイケレトモ、一方ニハ排外ノ主義ヲ具ヘテ置クト云フ事ハ、決シテ之ハ世ノ中ニ通ラナイ理窟テナイカト思フノテアリマス、玆ニ御列席ノ諸君カ排外ノ主義ヲ主張ナサルトハ私ハ思ヒマセヌケレトモ、顧ミテ日本ノ法律ニ、習慣ニ、若クハ総テノ設備ニ、或ハサウ云フコトカナイトハ私ハ申上ルニ沮ムノテアル、若シ誠ニ亜米利加ニアレ、英吉利ニアレ、各種ノ法律又ハ習慣ヲ比較シテ見マシタナラハ、直チニ其差異カ明瞭ニナルト思フ、而シテ我国ニ於テハ、或ハ法律ニ、若クハ習慣ニ、種々ナル点カラ堤防ヲ築イテ、日本ニ資本ヲ流レ込ムコトヲ防イテ居ルコトカアリハセヌカト私ハ思ハレマス、故ニ玆ニ一言申上ケテ置キタイノハ第一ニ我国ノ商工業ヲ世界的ニ進メテ行カネハナラヌ、果シテ此見地カラ論スルナラハ、之ヲ妨クル丈ケノモノハ飽マテモ取除ケル事ニ尽力セネハナラヌ、又第二ニハ、業ニ既ニ前ニモ申上ケタ通リ、海外ニ向ツテ情意ヲ通シタイト云フニハ、渋沢ヲ一遍廻シテ御世辞ヲ一言曰フタナラハ、ソレテ以テアトハ領事ノ報告モ能ク見スニ仕舞ハウト云フコトテハ、迚テモ海外ニ向ツテ情意ヲ十分通スルトカ、又彼ノ事情ヲ審ニスルト云フコトハ為シ得ラレマイト思フ故ニ、向フノ商業会議所ニ、又ハ其他ノ方面ニ向ツテ、日本ノ財政ニ経済ニ、即チ商工業ノ事実ヲ欧羅巴・亜米利加ニ能ク知ラシメ、又能ク知リ得ル様ナ方法ヲ是非設ケテ、サウシテ此手段ハ飽マテモ継続シテヤリ通スヤウニ期シタイト云フ希望テコサイマス、既ニ露西亜ナトハ海外ニ向ツテ其邦ノ事情ヲ知ラシムルニ勉メテ居ルコトハナカナカ一朝一夕テナク、又其仕方モ冷淡ナモノテハナイヤウニ承リマス、但其手続ハ今玆ニ明言シ得ラレマセヌカ、是非日本ノ商業会議所ハ其方法ヲ立テマシテ、政府ニモ助力ヲ請フテ実施スル事ヲ望ムノテアリマス、既ニ商工業ノ隆興ヲ以テ国是トスヘキ事ハ我々商工業者ノ切論シ来リシ事テ、玆ニ御列席ノ諸君モ平日ノ御職掌カラ照ラシテ見テモ固ヨリ御是認下サルコトト思フ、然ル上ハ其国是ニ必要トアツタナラハ、官民ノ区別ハナク、共ニ尽力スヘキモノト思フ、殊ニ海外ノ事情ヲ知リ我ノ実況ヲ知ラスルト云フ方法ハ格別面倒ナル事ハナイカト思フ、第一ニ排外的ノ法律又ハ習慣ノ類ヲ除去シ、第二ニ内外ノ事情疏通ノ方法ヲ設ケテ、ソレテ足リルカト云フニ決シテソレテ足リナイ、第三ニ商売上ノ徳義ヲ修ムルノ重要事項カアリマス、私ハ英吉利・亜米利加若クハ独逸ニ対シテ我商業徳義ハ決シテ負ケナイトマテ言ヒタイカ、之ヲ言フニ躊躇シマス、大ニ負ケテ居ルト言ハネハナラヌト思フ、但思フノカ間違ツテ居ルト諸君カ言ハレルナラハ、誠ニ仕合ナコトテ御座イマスカ、若シ間違テナカツタナラハ、トウシテモ此商業徳義ヲ進メネハ、世界的商工業ニ進ムルコトハ出来ヌ、決シテ法律ハカリカ直ツタカラト云テ、不徳義ノ堤防ハ寧ロ法律ヨリモ余程強ク資本ノ輸入ヲ妨ケハセヌカト思ハレルノテ御座イマス、故ニ御同様余程打揃ツテ力ヲ協セテ、此商
 - 第21巻 p.783 -ページ画像 
売上ニ対シテ徳義ヲ厚フシテ、商売人ハ斯クマテモ徳義心ヲ強メタカト近イ未来ニ世間ニ分ルマテノ仕方ヲ持チタイコトヽ希望致シマス、既ニ申上ケマス通リ、商売ニ付テ世界的ニシテ行カウト云フナラハ、只徳義ヲ重ンスルト云フノミナラス、他ノ国民ノ如ク相集リ相和シテ行クノ有様ヲ勉テ我々ニ移シタイモノテ御座イマス、然ルニ我国ノ現状ハ一人一人ノ智識ハ大変長シテ……大変トマテハ言ヘナイカ知レマセヌカ、余程長シテ居ル様テアリマスカ、相集ツタ有様ハ悲シイ哉多クハ齟齬衝突シテ最初一人リ一人リ離レテハ余程良カツタ事モ段々ニ人数カ増ス程悪クナルト云コトハ御互ニ歎息スルコトテアル、玆ニ御列席ノ諸君ハ皆我ヲ除イタ以外ハ皆サウ申シテ居ルタラウト思ヒマス、我ヲ除イタ以外カ皆サウテアルナラハ、我ヨリ先キニ之ヲ改ムルヨリ外ナイ、我以外ニ直サセヨウト云フコトハ到底改良ノ期ハナカロウト私ハ思フノテ御座イマス、斯カル無事帰朝ノ祝宴ノ御席テ私ノ申上ケルコトハ謝辞テハナクテ、皆愚痴ノヤウナ、不足ノヤウナ、泣事ノヤウナ忌ハシイコトノミ申上ケマスケレトモ、私ハ或他ノ席テモ今度ノ旅行ハ大変愉快ト憤慨トカ始終並行シテ、若シ衡ニ掛ケタナラハ愉快三分、憤慨七分ノ旅行ヲ致シテ参ツタ、ト申シマシタカ、此憤慨ノ観念ハ今日モ明日モ醒メマスマイ、今晩モ尚ホ醒メヌ為メニ、平生知遇ヲ受ケテ居ル同胞諸君テスカラ、寧ロ敬礼ハ欠イテモ我真情ヲ述ルコトカ宜シカロウト思フテ長演説トナリマシタノテアリマス、テーブルスピーチニハ不相当千万ナル愚痴ヲ申上ケテ御答礼ニ代ヘマシタノハ御来臨下スツタ貴賓諸君ニハ別テ失礼ト存シマスケレトモ、所謂是ハ内輪ノ泣事テ、貴賓諸君モ亦日本人テナイトハ言ハレマイ、又主義カ違フカラ此方達ハ知ラヌト云フコトモ諸君ノ平日ニ視テ出来マイト思フ、ソレ故ニ同胞ノ身トシテ此事ノ協力ヲ願フ為メニ、斯カル愚痴ヲ御聴キヽニ入レマシタノテ御座イマス、誠ニ今晩ノ御好意ヲ謝スルト共ニ、不都合千万ナ陳述ノ御詫ヲ申上マス……
    浅田逓信総務長官演説
会長及会員諸君、今夕ハ渋沢男爵ノ旅行ナサレマシテ恙ナク御帰朝ニナリマシタノヲ期トイタシマシテ、我々此歓迎ノ莚ニ御招待ヲ受ケマシテ、親シク渋沢男爵ノ御話ヲ承リ、頗ル有益ヲ感シマシタ次第テ御御座イ升、就中渋沢男爵ノ御話ノ中ニ、亜米利加ノ大統領ニ御面会ノ時ニ御約束モアツタテアラウト云フ即チ男爵ノ抱負、否男爵ノ抱負テテナイ、此全国ノ商工業者ヲ代表サルヽトコロノ会頭カ大統領ニ対シ御話ニナツタコトデアリマスカラシテ、是ハ即チ必ス他日ニ於テ此ノ如クナルヘキ時期ハアルト思フ、否男爵ノ数十年来商業界ニ御経歴ノアルトロコヨリ推シテ見マスレハ、必スヤ其日ノアルモノト信スルノテアリマス、トウカ他日渋沢君カ奮ツテ再ヒ御渡航ニナラルヽカ若クハ渋沢君其人ノ如キ人カ輩出サレテ此渋沢君ノ抱負ヲ実行サレテ大統領ニ再ヒ御話ノ出来ルト云フコトヲ私ノ切ニ望ム処テアル、是ニ於キマシテ此東京商業会議所ノ将来ニ向ツテ成功ヲ祝シマス(是ニテ一同杯ヲ挙ク)


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK210135k-0003)
第21巻 p.783-784 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第21巻 p.784 -ページ画像 
十一月九日 曇
○上略 午後商業会議所ヨリ演説筆記ヲ送付セラレタルニヨリ、之ヲ修正シテ返却ス、此時間殆ント夜ニ入ルニ迄ル ○下略


東京商業会議所報告 第一〇三号・第二二頁 明治三五年一二月刊(DK210135k-0004)
第21巻 p.784 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇三号・第二二頁 明治三五年一二月刊
○第百二十回臨時会議 十一月十七日開
 出席者
  森清右衛門君 ○外十七名氏名略
午後五時三十分開議
会頭渋沢栄一君議長席ニ就キ、先ツ左ノ件々ヲ報告ス
○中略
 一 本会議所会頭渋沢男爵帰朝ノ件
    本会議所会頭ハ兼テ海外旅行中ノ処、去月三十一日書記長ヲ随ヘ帰朝セリ
○中略
午後六時二十分閉会