デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.863-865(DK210148k) ページ画像

明治37年6月6日(1904年)

是日栄一当会議所会頭トシテ、大阪・京都・横浜神戸・名古屋・金沢各商業会議所会頭ト連名ニテ我国ヘ外国人ノ来遊ヲ促ス為メ、英・米・独・仏其他諸外国各要地ノ商業会議所ヘ勧誘状ヲ発送ス。


■資料

東京商業会議所報告 第一〇六号・第一三頁 明治三七年一〇月刊(DK210148k-0001)
第21巻 p.863 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇六号・第一三頁 明治三七年一〇月刊
○同月同日 ○六月六日 外人ノ来遊ヲ促ス件ニ付、東京外六会議所連名ヲ以テ、英・米・独・仏其他諸外国各要地ノ商業会議所ヘ勧誘書ヲ発送ス(勧誘書ノ訳文ハ参照第十四号ニ掲載ス)
○同月七日 外人ノ来遊ヲ促ス件ニ付、在外帝国領事等ニ於テ斡旋方ノ義、外務省通商局長及臨時博覧会事務官長ヘ依頼書ヲ発送ス


東京商業会議所報告 第一〇六号・第四一―四二頁 明治三七年一〇月刊(DK210148k-0002)
第21巻 p.863-865 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇六号・第四一―四二頁 明治三七年一〇月刊
 ○参照
○第十四号
 明治三十七年五月《(マヽ)》、東京・大阪・京都・横浜・神戸・名古屋・金沢ノ七会議所協議ノ上、我国ヘ外国人ノ来遊ヲ促ス為メ、英・仏文ヲ以テ勧誘書ヲ認メ、同月六日ヲ以テ英・米・独・仏其他諸外国各要地ノ商業会議所ヘ発送シタル其訳文左ノ如シ
極東ニ於テ戦争カ開始シ居ルノ故ヲ以テ、外国ノ漫遊者カ常ニ愛好スル此国土ノ外ニ其踵ヲ転セサルヘカラストハ日本ニ居住スル者ノ奇異ニ感スル所ナリ
近年日本ニ向テ旅行ノ潮勢著シク増進スルニ従ヒ、漫遊者ノ快楽ヲ資クヘキ諸般ノ設備亦大ニ発達ヲ来シタリ、之ヲ例言セハ、鉄道ハ各地ニ開通シタリ、各種ノ車輛ハ其数ヲ増加シタリ、多数ノ旅館ハ外国人ニ特別ノ便利ヲ与フルノ仕組ヲ以テ新設セラレタリ、到ル処新奇ノ勝地ハ容易ニ探査シ得ルコトヽナリタリ、通弁案内業者ノ組合ハ各所ニ組織セラレタリ、各航路ノ汽船便ハ頻繁ヲ加ヘタリ、旅行免状ヲ携帯セサルヘカラサルカ如キ煩苛ノ制度ハ廃止セラレ、何人ト雖トモ内地ニ於テ全ク旅行及居住ノ自由ヲ享有シ得ルコトヽナリタリ、多クノ良好ナル案内書ハ纂輯出版セラレタリ、古今ノ美術品ヲ蒐集陳列セル博物館ハ各所ニ創設セラレタリ、貴顕紳士ノ保護ノ下ニ組織セラレタル喜賓会ナルモノハ、漫遊者ノ希望ニヨリテ貴重ナル助力ヲ与フルコトトナリタリ、日本ノ凡テノ美術工業ハ長足ノ進歩ヲ呈シタリ、之ヲ要スルニ近時此国土ハ何レノ方面ニ向テモ、一トシテ其特質ヲ発揮セサルハナク、大ニ人ノ心目ヲ誘引スルニ至リタリ
 - 第21巻 p.864 -ページ画像 
然ルニ日露戦争ノ破裂ハ此等ノ状況又ハ設備上ニ毫モ変移ヲ来シタルコトナキノミナラス、却テ外国漫遊者ニ向テ平時ニ於テ観察ヲ促スヘキ幾多ノ趣味アル事物ノ外ニ、此島国民カ今ヤ大陸ノ最大軍国ト対敵シテ死活ノ争闘ニ従事シツヽアルニ拘ラス、極メテ冷静ニシテ且平穏ナル挙動ヲ支持スルノ特色ヲ観察スルノ機会ヲ与ヘタリ、蓋シ日本人民カ此戦争ノ開始前後ヨリ沈着自若ノ態度ヲ有シタルコトハ、外国ノ傍観者カ絶エス驚歎スル所ニシテ、既ニ外国新聞記者カ讃辞ヲ尽シテ記述セル所ナリ、実ニ日本国ハ其状態ニ於テ毫モ戦争前ト異ナル点ヲ認メス、日本人民ハ復讐的狂乱ノ発作ニ動カサルヽコトナク、又侵略的名誉ノ慾火ニ激セラルヽコトナシ、彼等カ今回戦ヲ開キタルモノハ自由制度ノ保全ヲ図ランカ為メナリ、武断的専制主義ノ拡張ヲ拒カンカ為メナリ、列国ニ向テ商業上ノ原野ヲ開放センカ為メナリ、頼リテ以テ永久ノ平和ヲ得ンカ為メナリ、之ヲ約言セハ彼等カ戦ヲ開キタルノ原因ハ、自ラ信シテ以テ正当ナル権利ノ最少要求ナリトスルモノヲ遂ケンカ為メニ外ナラサルナリ、凡ソ此等ノ喜ハ彼等カ切ニ擁護ヲ努ムル所ニシテ、之カ為メニハ亦如何ナル犠牲ヲモ敢テ辞スル所ニアラサルナリ
事態如斯ナルヲ以テ、此戦争ハ毫モ日本国民ノ欧米人ニ対スル友情ヲ害スルコトナキノミナラス、却テ一層其友情ヲ深カラシメタリ、蓋シ時局ノ急迫ハ殆ント西洋全洲ノ日本ニ対スル同情ヲ誘致セリ、是日本カ深厚ナル感謝ト満足トヲ表スル所ナリ、彼ハ其生命ト財産トヲ賭シテ達セントスル目的カ西洋文明諸国ニヨリテ充分ニ承認セラレタルコトヲ徳トシ、此目的ノ遂行ニ全力ヲ尽スハ即チ彼ト西洋諸国トノ関係ヲ一層親密ナラシムル所以タルヲ会得セリ、是ヲ以テ彼ハ是迄ヨリ一層ノ熱心ヲ以テ、其国ニ来遊スル凡テノ欧米人ヲ歓迎スルノ用意ヲ為シツヽアルト同時ニ、又彼ハ此歓迎ノ性質ニ関シ苟モ外国人間ニ疑惑ヲ挿ム者アリテ、之カ為メ或ハ近時日本ニ向テ増進シツヽアル旅行ノ潮勢ヲ阻止スルコトナキヤヲ痛心セリ、日本人民カ欧米諸国ニ対シ満幅ノ熱誠ヲ以テ最モ深厚ナル友情ヲ抱持スルコト斯ノ如シ、然ルニ若シ仮令一時タリトモ双互ノ間ニ墻壁ヲ設ケテ此友情ヲ疎隔スルカ如キコトアラン歟、是日本国民ノ永久ニ遺憾ヲ感スル所ナリ
  明治三十七年五月
             東京商業会議所
                会頭 男爵 渋沢栄一
             大阪商業会議所
                会頭    土居通夫
             京都商業会議所
                会頭    西村治兵衛
             横浜商業会議所
                副会頭   来栖壮兵衛
             神戸商業会議所
                会頭    岸本豊太郎
             名古屋商業会議所
                会頭    奥田正香
 - 第21巻 p.865 -ページ画像 
             金沢商業会議所
                会頭    斎藤弥久
  ○栄一ハ明治三十六年十一月末ヨリ風邪ニ罹リ、肺炎ヲ併発シテ重態ナリシガ、翌三十七年十月ニ至リ漸ク常態ニ復シタリ(渋沢栄一日記、明治三七年)。是ヲ以テ明治三十七年度ニ於ケル当会議所ノ事業ハ大部分副会頭大倉喜八郎ノ名ニ依テ為サレタリ。其主ナルモノヲ挙グレバ次ノ如シ(東京商業会議所報告第百六号)。
   明治三十七年三月十七日 貯蓄奨励ニ関スル建議書ヲ内閣総理大臣伯爵桂太郎・大蔵大臣男爵曾禰荒助・逓信大臣大浦兼武・農商務大臣男爵清浦奎吾ニ呈出ス。
   明治三十七年三月十七日 重要商品標準売買ノ件ニツキ農商務大臣男爵清浦奎吾ニ答申書ヲ送呈ス。
   明治三十七年三月十七日 非常特別税ノ儀ニツキ内閣総理大臣・大蔵大臣ニ建議書ヲ呈出ス。
   明治三十七年四月六日 時局ニ関スル物価・金融取調ノ儀ニ付、東京海事局ヘ回報書ヲ送呈ス。
   明治三十七年四月十三日 日露問題ノ清韓貿易ニ及ボス影響ニツキ農商務局長ニ回報書ヲ送呈ス。
   明治三十七年五月十八日ヨリ二十日迄、当会議所ニ於テ臨時商業会議所聯合会開カル。大倉喜八郎・井上角五郎・加藤木重教、当会議所ヲ代表シテ之ニ参会ス。