デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.865-866(DK210149k) ページ画像

明治37年6月6日(1904年)

ボンベイ紳商ゼー・エヌ・タタ死去セルニツキ、是日栄一当会議所会頭トシテ其遺族ニ弔詞ヲ送呈ス。


■資料

東京商業会議所報告 第一〇六号・第一三頁 明治三七年一〇月刊(DK210149k-0001)
第21巻 p.865 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇六号・第一三頁 明治三七年一〇月刊
○同月同日 ○六月六日 孟買紳商タタ氏遺族ヘ弔詞ヲ送呈ス(弔詞ノ全文ハ参照第十三号ニ掲載ス)


東京商業会議所報告 第一〇六号・第四〇―四一頁 明治三七年一〇月(DK210149k-0002)
第21巻 p.865-866 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇六号・第四〇―四一頁 明治三七年一〇月
 ○参照
○第十三号
 明治三十七年六月六日、孟買紳商タタ氏遺族ヘ送呈シタル弔詞ノ全文左ノ如シ
東京商業会議所ハゼー・エヌ・タタ君ノ訃報ニ接シ、深ク哀悼ノ意ヲ表スルト共ニ、君カ我帝国ノ商工業ノ進歩ニ与ヘラレタル功績ハ永ク紀シテ之ヲ忘レサランコトヲ欲ス
抑モ我邦ニ於テ始メテ孟買航路ヲ開クニ至リシハ君ノ助言ト尽力トニ由ル、而シテ当初タタ・エンド・ソンス商会カ共同シテ事ニ当ラレシハ其効果最モ大ナルモノアリキ、爾後該航路ノ全ク吾邦人ノ手ニ移ルニ至ルモ、君ハ該企業ノ基礎ヲ鞏固ナラシメントシテ依然其忠実ナル助力ヲ吝マス、君カ日本ノ為メ尽サレタル其労功ヤ詢ニ顕著ナルモノアリ
顧ルニ当時我紡績工業ノ印度産棉花ヲ需要スルコト凡五万梱ヲ越ヘサリシ如ク見ヘシモノ、今ヤ其需要額ハ十二倍ニ上リ、四十六個ノ工場
 - 第21巻 p.866 -ページ画像 
ハ其工業ニ用フル原棉ノ大部分ヲ低廉ナル価格ヲ以テ輸入スルヲ得ルニ至レリ、若シ此利便ナクンハ我輸出貿易ノ一主要品タル紡績糸永ク幼稚ノ地位ニ留マリシナラン、是ニ於テ乎我国ノゼー・エヌ・タタ君ノ先見、及其果敢ナル先鞭ノ功ニ負フ所甚タ多キモノアルヲ認メスンハアラス
当会議所ハ東洋ノ商工業、特ニハ日本ノ商工業カタタ君ノ尽力ニ依リ大ナル利益ヲ享ケタルヲ満幅ノ誠心ヲ以テ此ニ感謝シ、不幸ニシテ天君ニ年ヲ仮サス、君カ尚永ク印度及日本ノ進歩ニ大ナル寄与ヲ為スニ由ナカリシコトヲ深ク悼惜ス 敬具
  明治三十七年六月六日
               東京商業会議所
                 会頭 男爵 渋沢栄一


東京商業会議所報告 第一〇六号・第一五頁 明治三七年一〇月刊(DK210149k-0003)
第21巻 p.866 ページ画像

東京商業会議所報告  第一〇六号・第一五頁 明治三七年一〇月刊
○同月同日 ○八月二三日 本会議所ヨリ送呈シタル弔詞ニ対シ、孟買アール・タタ氏ヨリ謝状ヲ接受ス