デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.866-870(DK210150k) ページ画像

明治38年2月13日(1905年)

是ヨリ先三十七年十月、栄一病気ノ故ヲ以テ当会議所会頭及ビ議員ノ辞表ヲ提出、是年一月二十八日ノ臨時総会ニ於テ承認サル。是日当会議所臨時総会ヲ開キ、栄一ニ感謝状贈呈ノ件並ニ当会議所議員有志ノ醵金ニヨリ栄一ノ銅像ヲ当会議所内ニ建設スル件ヲ可決シタル後、栄一ノ臨席ヲ請ヒ、議場ニ於テ副会頭大倉喜八郎ヨリ感謝状ヲ贈ル。銅像ハ五月当会議所正面階段室ニ建設セラレタルガ、戦時中ノタメ、除幕式ハ翌三十九年十月二十八日挙行セラル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK210150k-0001)
第21巻 p.866 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
二月十三日 曇 風ナシ
○上略 五時東京商業会議所ニ抵リ、会頭辞任ノ事ニ関シ一場ノ謝辞演説ヲ為シ、夫ヨリ饗宴ヲ受ケ、夜九時王子別荘ニ帰宿ス


青淵先生公私履歴台帳(DK210150k-0002)
第21巻 p.866 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
  民間略歴(明治二十五年以後)
    商工業ニ関スル社団
一東京商業会議所会頭  明治卅八年一月辞


竜門雑誌 第二〇一号・第四六―四七頁 明治三八年二月 ○青淵先生に対する東京商業会議所の感謝決議(DK210150k-0003)
第21巻 p.866-867 ページ画像

竜門雑誌  第二〇一号・第四六―四七頁 明治三八年二月
○青淵先生に対する東京商業会議所の感謝決議 東京商業会議所に於ては本月十三日午後四時半総会を開き、副会頭大倉喜八郎氏議長席に着き、第一号議案会頭渋沢男辞任ニ付感謝状贈呈のこと、慰労会を開
 - 第21巻 p.867 -ページ画像 
き同男爵を招待すること、及銅像建造のこと等を一括して議題に供したるが、満場異議なく拍手を以て之を可決し、次で第二号議案法典修正建議の件に就き報告あり、尚ほ井上角五郎氏より右に就き精細の報告を為したる上之を承認するに決定せり、此時青淵先生議場に入りて議長席の傍に着くや、大倉議長は起つて左の如く述べたり
 会頭、渋沢男爵閣下、閣下の当商業会議所を辞せらるゝは真に惜しむ所なり、乍去病の為め已むを得ざるに出づるが故に、爰に全会一致を以て其辞任を承認するに決定せり
 就ては多年当商業会議所の為めに尽痒せられたるの功労を多謝す、依て全会一致の議決に依り感謝状を贈呈するに決せり、云々
と、述べて大倉副会頭は感謝状を朗読せり、其全文左の如し
   ○感謝状略ス(次掲)。
夫より先生には議長席に起ちて謝辞を述べ、次で大倉議長は銅像建造のことを告げて賛成者の人名録を贈るや、先生は再び其厚意を謝する旨を述べ、右了りて直に閉会し、引続き楼上に於ける慰労会の席に先生を招請し、午後八時散会せり


渋沢男爵銅像建設記事 第九―一〇頁 明治三九年一〇月刊(DK210150k-0004)
第21巻 p.867 ページ画像

渋沢男爵銅像建設記事  第九―一〇頁 明治三九年一〇月刊
    感謝状
本会議所ハ男爵渋沢栄一君閣下カ本会議所議員ヲ辞セラルルノ要請ニ対シ、其已ムヲ得サルノ事情ニ出ルヲ諒トシ、之ヲ承認スルト同時ニ本会議所ハ多年閣下ノ本会議所ニ竭サレタル功労ノ顕著ナルモノアルヲ想ヒ、玆ニ全会一致ノ議決ニ依リ感謝ノ誠意ヲ表ス
顧フニ明治ノ初年閣下ノ召サレテ財政ノ局ニ膺ルヤ献替スル所尠ナカラス、後一身ヲ我国実業ノ振作興張ノ為ニ捧ケ、銀行業ニ、鉄道業ニ海運業ニ、若クハ製造業ニ力ヲ効シ、其功績ノ多大ナルハ天下ノ倶ニ認ムル所ニシテ、復喋々ノ辞ヲ費ヤスヲ須ヒサルナリ、特ニ明治十一年甫メテ東京商法会議所設立セラレ、爾来組織名称一変シテ東京商工会トナリ、再変シテ東京商業会議所トナリ以テ今日ニ至ルマテ幾ント三十年、其間世運数々改マリ議員ノ移動頻繁ナリシト雖モ、衆望ノ帰スル所会頭ノ椅子ハ毎ニ閣下ノ座ヲ離ルルコトナシ、而シテ閣下ノ会頭ノ任ニ在ルヤ励精勤勉始終渝ラス、指画宜シキヲ得、提導具サニ到リ、以テ今日アルヲ致セリ、今ヤ閣下ノ辞任ニ遇フト雖モ、本会議所ハ夙ニ閣下ノ志ノ嚮フ所ヲ識ル、則チ今後閣下ノ志ヲ継承シ、敢テ本来ノ希望ヲ達セムコトヲ期セスンハアラス、閣下モ亦悠久ナル歳月間ノ縁故ト関係トニ顧ミ、将来ニ於テ長ク本会議所ノ為メニ指導ノ労ヲ取ルニ吝ナラサルヘキハ、本会議所ノ深ク信シテ疑ハサル所ナリ
本会議所ハ閣下ノ功労ニ対シテ感謝ノ誠意ヲ表シ、併セテ本会議所ノ閣下ニ望ム所ヲ表明ス
  明治三十八年二月十三日
                     東京商業会議所


渋沢男爵銅像建設記事 第一―八頁 明治三九年一〇月刊(DK210150k-0005)
第21巻 p.867-869 ページ画像

渋沢男爵銅像建設記事  第一―八頁 明治三九年一〇月刊
   ○巻頭写真略ス。
 - 第21巻 p.868 -ページ画像 
是為男爵渋沢栄一君像、顧維新初封建余習未全除、以任官一事為人生栄誉莫過焉、若商工業槩賤視之是以材能之士相率趨于官途適不獲其志則退帰于農至撰商工伍之者幾罕矣、君出身在幕末逮為明治之世徴補大蔵省要職、若尋常士人則意満望足只失其位地之懼、而君独有異於衆亡幾辞官以身任我邦商工業之振興所創始経営太多、若夫商工業者占地歩漸崇渙然一変其面目雖由時勢進運令然抑亦君率先啓誘之力与居多焉朝廷特賞君功労授男爵班華族者良有以也、君又入我東京商業会議所為之会頭十数年間励精膺任指画提導靡攸弗到可謂其功偉矣、明治三十八年二月君以事辞任衆皆惜之而君意已決不可復回也、於是同志議員胥謀具書致君感謝別建立玆銅像、蓋所以永留君肖影表敬愛之忱併伝其功績於不朽也
 明治三十八年五月
       伊藤幹一    岩谷松平   岩出惣兵衛
       稲延利兵衛   井上角五郎  服部与兵衛
       服部金太郎   星野錫    大橋新太郎
       大倉喜八郎   岡田来吉   小野金六
       加藤正義    加藤木重教  片野重久
       金沢三右衛門  柿沼谷蔵   吉田幸作
       吉村鉄之助   谷崎久兵衛  高羽惣兵衛
       田中平八    田中経一郎  田口卯吉
       根津嘉一郎   仲万兵衛   中村清蔵
       中野武営    中沢彦吉   村上太三郎
       野中鴻     窪田弥兵衛  栗生武右衛門
       山中隣之助   山崎嘉太郎  前田兼七
       前田武四郎   町田徳之助  松本忠次郎
       馬越恭平    福原有信   江森盛孝
       雨宮敬次郎   雨宮綾太郎  菊島生宜
       三輪善兵衛   宮川鉄次郎  志村源太郎
       森清右衛門   書記長 萩原源太郎
                 工事監督 高村光雲
                 作型   本山白雲
                 鋳造   籾井阿山

緒言
明治三十八年二月渋沢男爵ノ東京商業会議所議員ヲ辞セラルヽヤ、同志議員胥謀リ、君ノ功績ヲ不朽ニ伝ヘンガ為、銅像建設ノ議ヲ決シ尋テ其鋳造ニ着手シ、五月工成ルニ及ンテ之ヲ会議所ノ一室ニ按置セリ然ルニ時恰モ日露戦役中ニ属セルヲ以テ、暫ク其除幕式ノ挙行ヲ見合ハセシガ、今ヤ平和克復ノ機会ニ際セルヲ以テ、朝野紳士ノ来臨ヲ請フテ其式ヲ挙クルコトトセリ、依テ玆ニ銅像建設ノ記事ヲ編シテ一小冊子トシ、紀念ノ為メ之ヲ参列ノ諸君ニ頒ツト云爾
  明治三十九年 月
                    委員惣代
                      大倉喜八郎
 - 第21巻 p.869 -ページ画像 
                      井上角五郎
渋沢男爵銅像建設記事
明治三十七年十月東京商業会議所会頭男爵渋沢栄一君ヨリ辞表ヲ提出セラル、其要旨ハ過般来ノ大患幸ニ快癒ニ赴キタルモ尚従前ノ如キ健康ニ復セサルニ付、事務ヲ減省スル為メ会議所議員ヲ辞シタシト云フニ在リ、依テ会議所役員会ハ熱誠君ニ向テ留任ヲ勧告シタルコト一再ニ止マラサリシカ、遂ニ其辞意ノ翻スヘカラサルヲ見ルヤ、翌三十八年一月二十八日ノ総会ニ提出シテ之ヲ承認スルコトニ決シ、猶(一)同男爵ニ感謝状ヲ呈スルコト(二)同男爵ノ為メ特ニ慰労会ヲ開クコト(三)同男爵ニ紀念品ヲ贈呈スルコトヲ議決シ、此等ノ事項取扱ヲ委托スル為メ左ノ諸君ヲ委員ニ選挙シタリ
                    伊藤幹一君
                    井上角五郎君
                    服部金太郎君
                    大橋新太郎君
                    大倉喜八郎君
                    加藤木重教君
                    田口卯吉君
                    根津嘉一郎君
                    中野武営君
                    馬越恭平君
                    雨宮敬次郎君
                    雨宮綾太郎君
其後委員諸君ハ屡次審議ヲ経テ其意見ヲ定メ、同年二月十三日特ニ開キタル総会ニ於テ左記ノ如ク報告シタルニ、全会一致ヲ以テ之ヲ可決シタリ
○中略
又決議第三号銅像建設ノ件ニ関シテハ、其後議員五拾余名ヨリ各金員ヲ醵出シテ銅像ノ鋳造ニ着手シタルニ、同年五月竣工シタルヲ以テ、之ヲ東京商業会議所入口正面階段室ニ建設シタリ


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK210150k-0006)
第21巻 p.869 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十八日 晴 風強シ
○上略 十時過小石川原町ニ抵リ本山氏ヲ訪ヒ、銅像ノ摸型ヲ一覧ス ○下略


竜門雑誌 第二二二号・第四六頁 明治三九年一一月 ○青淵先生銅像除幕式(DK210150k-0007)
第21巻 p.869-870 ページ画像

竜門雑誌  第二二二号・第四六頁 明治三九年一一月
○青淵先生銅像除幕式 東京商業会議所に於ては、青淵先生が同会議所会頭として久しく同所の為めに尽されたる功労を不朽に伝ふる為め予て先生の銅像を同会議所表玄関内に建造中なりしが、此程愈々竣工せしを以て、去月 ○十月二十八日午后三時を以て除幕式を挙行せり、当日の来賓は主賓青淵先生、同夫人・同息篤二氏・同夫人並に穂積・阪谷両博士・同夫人・同息・同令嬢、其他土方伯・松田法相・千家男・森田商工局長・山脇書記官等にして、会議所側よりは新旧議員百余名参列し、玄関内にて除幕式を挙げ、夫より一同議場内に参集し、大倉
 - 第21巻 p.870 -ページ画像 
喜八郎氏銅像建設委員長として来会の労を謝する旨の挨拶あり、次で井上角五郎氏より建設の経過を報告し、之に対する青淵先生の答辞、次で千家男の祝詞ありて式を終り、夫より一同芝公園三縁亭に赴き先生の為め祝杯を挙げて散会せりといふ



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三八年(DK210150k-0008)
第21巻 p.870 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
三月二日 快晴 微風
○上略
商業会議所議員八・九名来会内話ス ○下略
三月三日 曇 風ナシ
○上略 午前十時過麻布大倉氏ヲ訪ヒ、商業会議所会頭撰挙ノ事ニ関シ、昨日馬越・大橋・伊藤其他ノ諸氏ヨリ伝聞セシ内情ヲ縷述シ、大ニ忠告ヲ試ム、大倉氏モ大ニ悟ル所アルカ如ク、余ノ忠告ニ傾聴セリ ○中略 夜会議所ノ事ニ関シ二・三ノ友人ト会シ ○下略
   ○中略。
三月九日 晴 風ナシ
○上略
午前九時過中野武営氏来ル、商業会議所議員ノ事ニ関シテ朝来電話ニテ面会ヲ要セシ為ナリ、長時間ノ談話ヲ為シ、十一時過帰リ去ル ○中略 午後大橋新太郎来ル、商業会議所ノ事ヲ談ス
○中略
商業会議所ノ事ニ関シ、大倉・井上両氏ヘ書状ヲ発ス
○下略
三月十日 晴 風ナシ
○上略 午後馬越・大橋二氏銀行ニ来リ、商業会議所ノ事ヲ談ス
大倉喜八郎氏ヲ葵町宅ニ訪フテ、商業会議所会頭ノ事ニ関シテ談話ス
○下略
   ○中略。
四月二十二日 晴夕雷 風寒シ
○上略 東京商業会議所ニ抵リ、中野会頭其他ノ人々ト会話シ、共ニ晩飧ヲ為シ、種々ノ談話ヲ為ス ○下略
   ○中略。
六月五日 曇 風ナシ
○上略 午後二時東京商業会議所ニ抵リ各組合総代人ノ集会ニ参列シテ、一場ノ演説ヲ為ス
○下略

渋沢栄一伝記資料 第二十一巻 終