デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
4款 商業会議所聯合会
■綱文

第22巻 p.741-749(DK220064k) ページ画像

明治35年4月5日(1902年)

是日、臨時兼第十一回定期会第二日ノ会議ニ於テ栄一ノ欧米歴遊ニ関スル決議案可決セラル。次イ
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デ八日、聯合会参会員等栄一ヲ帝国ホテルニ招待シ送別会ヲ開催ス。栄一、一場ノ挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三五年(DK220064k-0001)
第22巻 p.742 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 雨
○上略 十時東京商業会議所ニ出席シ、聯合会ニ関スル手続ヲ議ス、大坂京都・神戸・横浜等ノ会議所員参席ス ○下略
  ○中略。
四月五日 晴
○上略 東京商業会議所ニ出席シ、全国聯合会ニ於テ余ノ旅行ニ関スル決議ニ対シテ一場ノ答辞ヲ述ブ ○下略
  ○中略。
四月八日 晴
○上略 一時商業会議所ニ抵リ、午飧シ、聯合会員ト共ニ撮影ス ○中略
六時ヨリホテル○帝国ホテルニ催フセル全国商業会議所聯合会ニ於テ余ノ欧米行送別会ニ出席ス、来会者八十名計リ、食卓上大倉氏会員惣代トシテ送別ノ辞ヲ述フ、余ハ其答辞トシテ一場ノ演説ヲ為ス、且曾遊当時ノ景況ヲ略述シテ古今ノ変化ヲ叙説ス、食後一同談話盛ニシテ各歓ヲ尽ス
此日平田農商務大臣及外務・大蔵・農商務ノ官員来会シ、平田氏一場ノ演説ヲ為シテ余ノ行ヲ送ル、夜十時王子別荘ニ帰宿ス

明治三十五年四月開設 臨時第十一回商業会議所聯合会議事速記録 第四八―五三頁 刊(DK220064k-0002)
第22巻 p.742-744 ページ画像

明治三十五年四月開設
臨時第十一回商業会議所聯合会議事速記録  第四八―五三頁 刊
明治三十五年四月四日《(五)》午前十時二十五分開議
  出席委員     四十七名○氏名略
○上略
○六十番(東京、井上角五郎君) 唯今木内商工局長カラ、御鄭重ニ御説明下スツテ有難ゴザイマスガ、尚ホ此法案ノ事ニ就キマシテ御質問申上ゲタイコトモゴザイマスシ、又吾々共ノ希望モ御聞キニ入レタイコトモゴザイマスシ、御意見ヲ伺ヒタイト思ヒマスガ、何レ会議ハ午後引続イテ遣ル積リデゴザイマスカラ、午後ニモドウゾ此席ニ御出デニナルコトヲ希望致シマス、サウシテ唯今ハ会議所ノ事項トシテ甚ダ急グ一ツノ問題ガゴザイマスノデ、暫ク御迷惑デゴザイマスガ、其問題ノ議事ニ入リマスカラ、暫時此木内サンニ御尋ネスルトカ御意見ヲ聞クトカ云フコトヲ後ニ譲ツテ、其問題ニ移リタイト思ヒマス、其急グ問題ト申シマスノハ仙台・名古屋・神戸・横浜・大阪・京都並ニ東京ノ会議所ヨリ提出致シテアリマスル決議案デ、之ヲドウカ問題ニ致シタイト考ヘマス、尚ホ此決議案ノ説明其他ノコトハ他会議所カラナサル筈デゴザイマスガ、唯私ハ之ヲ問題ニ供スルト云フコトニ付テ満場ノ御賛成ヲ得タイト思ヒマス
○会長(東京、大倉喜八郎君) 六十番ニ御尋ネ致シマスルガ、此案ハ提出者ヨリ意見ヲ……
○六十番(東京、井上角五郎君) 議題ニスルト云フ……議事ヲ開クト
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御宣告下サレバ自ラ説明ナサル御方モゴザイマセウシ、尚ホ案文ノ御朗読モ願ヒタイト思ヒマス
○会長(東京、大倉喜八郎君) 唯今六十番ヨリ緊要ナ事柄ヲ申シ述ベラレマシタガ、之ハ議題ニ致シテ宜シイト御考ヘデゴザイマスレバ、手続ヲ致シマス
   〔「賛成、賛成」ト呼ブ者アリ〕
○会長(東京、大倉喜八郎君) 然ラバ書記ニ朗読ヲサセマセウ、其上ニ尚ホ発案者ヨリ意見ヲ申述ベルト斯ウ云フコトニ致シマセウ
   〔書記議案ヲ朗読ス〕
 左記ノ議案提出候也
  明治三十五年四月五日
                  仙台商業会議所委員
                      遠藤敬止
                      伊沢平蔵
                  名古屋商業会議所委員
                      奥田正香
                      上遠野富之助
                  神戸商業会議所委員
                      山本亀太郎
                      岡田元太郎
                  横浜商業会議所委員
                      大谷嘉兵衛
                      田中茂
                  大阪商業会議所委員
                      土居通夫
                      法橋善作
                  京都商業会議所委員
                      西村卯兵衛
                      堀五郎兵衛
                  東京商業会議所委員
                      大倉喜八郎
                      井上角五郎
  臨時商業会議所聯合会
    会長 大倉喜八郎殿
  東京商業会議所会頭渋沢男爵カ今回商工業視察ノ目的ヲ以テ欧米ヲ旅行セラレントスルヲ機トシ、全国商業会議所聯合会ハ玆ニ其希望ヲ表明スル為メ、満場一致ニヨリ左ノ決議ヲ為シ、以テ同男爵ノ承諾ヲ請ハントス
    決議
 由来我国ハ欧羅巴及亜米利加諸国ト商業上密接ナル関係ヲ有セリ、殊ニ今回英国ト締結シタル協約ハ将来我カ進歩発達ヲ期スル上ニ於テ大ニ利益アルヲ疑ハス、随テ彼我商工業者ノ間ニ能ク意思ノ疏通ヲ図ルハ我々ノ熱心ニ希望スル所ナリ、而シテ今ヤ渋沢男爵カ欧米諸国ヲ旅行セラルヽハ此希望ヲ達スルノ好機ト信スルカ故ニ、我々
 - 第22巻 p.744 -ページ画像 
ハ同男爵カ此等ノ諸国ヲ歴遊セラルヽニ当リ、全国商業会議所聯合会ノ名ヲ以テ、又其代表者トシテ、我々ノ友情ヲ其国ノ商工業者ニ懇篤ニ表示セラレンコトヲ望ム
○四十一番(大阪、土居通夫君) 私ハ此唯今朗読ニナリマシタ議案ニ対シテ一言説明致シマス、東京商業会議所会頭渋沢栄一君ハ今回我ガ経済界ノ為メニ期スル所ガゴザイマシテ、近日欧米漫遊ノ途ニ上ラレマスル趣デゴザイマスル、吾々ノ欣慶誠ニ措ク能ハザル所デアリマス抑モ渋沢男爵ハ維新ノ際政治上大ニ尽力ヲサレマシテ、而シテ新政ノ組織稍々定マルニ及ビマシテ官ヲ辞シテ実業界ニ入ラレマシタ、爾来玆ニ三十年、身専ラ第一銀行ノ頭取トシテ我ガ銀行業者ノ泰斗タルノミナラズ、常ニ心ヲ我ガ実業ノ進歩発達ニ尽サレマシテ、深ク朝野ノ信頼ヲ得マシテ、経済政策上貢献スル所ハ極メテ多キ次第デゴザイマス、殊ニ東京商業会議所ノ創設以来終始会頭ノ重任ニ当ラレ、赤誠以テ我ガ商業ノ振興ヲ図ラレマシタ、遂ニ勲功ニ対シテ受爵ノ栄ヲ拝サレマシタ次第デ、之ヲ要スルニ、男爵ハ真ニ我ガ実業界ノ先輩又泰斗トシテ畏敬スベキ人デゴザイマス、此畏敬スベキ男爵ニシテ今ヤ欧米諸国ヲ漫遊シテ各国ノ経済事情ヲ通観研査サレ、彼我経済事情ノ疏通ヲ図ル上ニ於キマシテハ、真ニ逸スベカラザル好機会ト信ジマスル、而シテ今回男爵ノ漫遊ハ欧米各国トノミ承リマシタガ、偖清国ノ如キハ従来我経済上ニ大関係ヲ有シテ居リマスル近隣ノ国柄デゴザイマシテ、清国ノ商工業ノ実況ヲ視察サレマスルノハ最モ必要ナルコトヽ信ジマスル、男爵モ或ハ往復ノ途次ニ清国ヘ立寄ラレマスノ意思ヲ抱イテ居ラルヽカモ図ラレヌト存ジマスルガ、吾々ニ於キマシテモ是等ノ点ニモ大キニ希望ヲ抱イテ居ル点デアリマス、故ニ吾々ハ満場一致ヲ以テ本案ヲ可決セラレンコトヲ希望致シマス、一言趣旨ヲ申述ベテ御賛成ヲ乞ヒマス
○会長(東京、大倉喜八郎君) 諸君之ニ御同意デゴザイマスレバ……
   〔「異議ナシ」又ハ「賛成、賛成」ト呼ブ者アリ〕
○会長(東京、大倉喜八郎君) ソレデハ満場一致ヲ以テ決シマス
○四十二番(大阪、法橋善作君) 唯今渋沢男爵閣下ニ対シ満場一致ヲ以テ決議ガ出来マシタノハ誠ニ満悦限リナイコトデゴザイマスルガ、就キマシテハ同時ニ渋沢男爵閣下ノ送別会ヲ開クト云フコトヲ一ツ御議シヲ願ツテ置キタイ、其送別会ハ発起者ニ於テ相当ノ手配ヲ致シマスルデ、此席デ其事柄ヲ論ズルモ甚ダ煩ハシウゴザイマスルデ、渋沢君ニ対スル送別会ヲ開クト云フコトダケヲ満場一致デ決議ヲ願ツテ置キタイ
   〔「異議ナシ」又ハ「賛成」ト呼ブ者アリ〕
○会長(東京、大倉喜八郎君) 皆サン御異議ガゴザイマセヌケレバ発起会議所ニ託スルト云フコトニナルノデゴザイマス
   〔「異議ナシ、異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


竜門雑誌 第一六七号・第三七―三八頁 明治三五年四月 ○青淵先生の洋行に対する全国商業会議所聯合会の決議(DK220064k-0003)
第22巻 p.744-745 ページ画像

竜門雑誌  第一六七号・第三七―三八頁 明治三五年四月
    ○青淵先生の洋行に対する全国
     商業会議所聯合会の決議
 - 第22巻 p.745 -ページ画像 
去日青淵先生欧米漫遊のこと確定するや、当時開会中の全国商業会議所聯合会に於ては左の決議を為し、且つ先生の為め聯合会の名を以つて送別会を開くことを可決せり。
    決議 ○前掲ニツキ略ス
次に青淵先生には今回欧米漫遊につき全国商業会議所代表者たるの資格を得られたるを感謝すとて左の意味の演説をなされたり
 不肖の今回欧米漫遊につき全国商業会議所の名を以て又は其代表者たるの栄誉を担うを得たるは不肖の深く光栄とする処なり
 只不肖今回の漫遊は別に商工業視察と云ふが如き立派なるものにあらず、云はゞ老後の保養に出掛くると云ふ方穏当にして、特に不学不識の身を以て視察を為さんとするが如きは不肖の企て及ぶ処にあらず、然しながら日英同盟成立の此際に当ては、日本の商工業者が負う処の責任は決して軽きにあらず、従来日本の事情が欧洲人間に誤解せられ、為に我が商工業者の蒙れる不便尠からざれば、此の際日本の実体を彼地の商工業者に紹介し、亦欧米の視察をもなし、及ばずながら諸君の希望に添ふる事を勉めんとす


明治三十五年四月開設 臨時第十一回商業会議所聯合会報告 第三九―四七頁 刊(DK220064k-0004)
第22巻 p.745-749 ページ画像

明治三十五年四月開設
臨時第十一回商業会議所聯合会報告  第三九―四七頁 刊
    ○渋沢男爵ノ送別会
四月九日午後六時、商業会議所聯合会参会員主人トナリ、東京商業会議所会頭男爵渋沢栄一君ヲ帝国「ホテル」ニ招待シテ送別会ヲ開キタルカ、来賓ハ渋沢男爵ヲ始メ平田農商務大臣・阪谷大蔵総務長官・安広農商務総務長官・杉村通商局長・木内商工局長ノ諸氏ニシテ、席上商業会議所聯合会々長大倉喜八郎君ハ聯合会参会員一同ヲ代表シテ開会ノ挨拶ヲ述ヘ、之ニ対シ渋沢栄一君ノ答辞アリ、終リニ平田農商務大臣ノ挨拶アリ、午後九時頃散会セリ、尚ホ主客ノ為シタル演説速記ハ左ノ如シ
    大倉喜八郎君ノ挨拶
 来賓閣下、会員諸君、私ハ今夕吾々共此小宴ヲ催シマシタコトニ付テ一応御挨拶ヲ申述ヘヤウト存シマス、今夕ハ渋沢男爵ノ送別会ニ於テ農商務大臣閣下其他枢要ナル諸君ノ御来場ヲ辱フ致シマシテ、会員一同ノ光栄此上モゴザイマセン、厚ク感謝致シマス、扨全国商業会議所会員ガ今夕此ノ如キ小宴ヲ張リマシタ次第ハ、諸君御承知ノ如ク、近来欧羅巴ノ強国ト亜細亜ノ強国ガ提携ヲ致シマシタ場合デゴザイマスガ、提携ノ主意ハ必ズヤ我国ノ軍隊ノ信用ガ是ニ基因シ居ルト信ジマス、凡ソ国ヲ立テマスニハ軍隊ノ信用ガナケレバイケマセンコトハ判ツテ居リマスガ、亦之ニ伴フ経済上ノ信用モ之ト両立致シマセンケレバナランコトヽ考ヘマス、然ルニ我国ノ有様ハ軍隊ノ信用ガ重クナリマスルト共ニ経済上ノ信用ハ反比例ニ乏シイノデゴザイマス、誠ニ残念ナコトデゴザイマス、是ハ人身ニ譬ヘマスト恰モ両足ノ如ク、両方ノ信用ガナクテハナリマセヌ、今ノ様ニ一方ハ非常ノ信用ヲ持ツテ居ル、一方ハ不信用ダトイフ事デゴザイマスレバ、取モ直サズ是ハ跛ナノデゴザイマス、是ニ由テ我々商工業者ガ此跛ヲ直シマス為ニハ、経済上ノ信用ヲ恢復スルコトニ務メ
 - 第22巻 p.746 -ページ画像 
ナケレバナラント思ヒマス、之ニ向ツテハ苦心惨憺色々ノ方法ヲ回ラシマスガ、微力ニシテ未ダ善イ思案モゴザイマセントイフ場合デアリマシタガ、此際ニ臨ンデ恰カモ好シ、東京商業会議所会頭渋沢男爵ガ欧米ニ旅行ヲサレマスルデゴザイマス、之ヲ機ト致シマシテ我々ノ予ネテ望ンデ居リマス海外トノ資本ノ共通、商業上ノ手続、之ハ是非求メナケレバナラント皆予ネテ心得テ居リマシタ場合デゴザイマス、其処デ渋沢男爵ニ此意向ヲ悉ク御依頼致シマシテ、或場合ニハ日本帝国ノ商業会議所ノ望ハ此ノ如クデアル、共通資本ヲ以テ国ノ工業ヲ起シタイトイフ斯様ナ場合ニ充分ナ努力ヲシテ貰フトイフコトヲ希望致シマスルノデ、是ハ会議所ニ於キマシテ全会一致デ決議致シマシテ渋沢男爵ニ御依頼致シマシタ、然ル処渋沢男爵ハ大ニ之ヲ快諾サレマシテ、充分ニ力ヲ注ガフ、斯様ナ答ヲ得マシテゴザイマス、会員一同是ニ於テ誠ニ満足ヲ致シマシタ、外ニ対シテハ資本ノ共通其他商業上ノ手続ヲ渋沢男爵ニ依頼致シマシタ、亦内ニ於テハ仲々此経済ノ恢復、信用トイフモノハ容易ナコトデハゴザイマセン、啻ニ少数ノ商工業者ノ力バカリデハイケマセン、是ハ政府ニ居ラルヽ所ノ諸公初メ我々民間ノ商工業者何レモ共同一致シテ経済上ノ信用ヲ保ツテ始メテ跛ノ幾部分ヲ直ストイフコトガ今日ノ必要ダト考ヘマス、幸ニ渋沢男爵ガ身体健全ニシテ欧羅巴ノ漫遊ヲ終ラレテ芽出度御土産ヲ齎ラシテ帰ラレル事柄ヲ、我々ハ歓迎スルコトヲ只今ヨリ期シテ疑ヒマセンノデゴザイマス、今夕ハ御馳走ガ少ナフゴザイマシテ望ガ多イガ、是ハ渋沢男爵ガ平素使用サレル所ノ御言葉デゴザイマス、私ハ其御言葉ヲ拝借致シマシテ、御粗末ナ御馳走デハゴザイマスガ、商工業者全体ノ望ミハ大層沢山デゴザイマスルデ、是ハ商売人ノ宴会デアリマスカラ宜シク御諒察下サレルコトヲ偏ニ希望致シマス、ドウカ健全ニ旅行下サレマスコトヲ希望致シマシテ、此ニ渋沢男爵ノ御健康ヲ祝シタイト存ジマス
    渋沢栄一君ノ答辞
 一言謝辞ヲ申上タフゴザイマス、今晩ハ私ガ此度欧米ニ旅行ヲ企テマシタニ就テ、丁度此際全国商業会議所ノ聯合会ニ於テ、此漫遊ヲ機トシテ我日本ノ此経済界ノ実相ヲ海外ノ国、殊ニ英吉利抔ニ対シテ最モ善ク通達スル様ニ、互ニ意思ノ疎通聯絡ヲ図ルコトヲ務メル様ニトイフ御決議ヲ先達テ預戴致シマシテゴザイマス、併セテ今夕ハ此行ヲ送ルトイフニ就テ盛宴ヲ御張リ下スツテ、玆ニ参上スルノ光栄ヲ担ヒマシテゴザイマス、モウ平素御親シクスル諸君ガ斯迄ノ御厚意ヲ以テ私ノ此漫遊ヲ盛ンニシテ下サリマスコトハ、身ニトリマシテ誠ニ辱ナイ次第デアリマス、只今当夕ノ会長タル大倉君カラ此行ヲ送ルノ主意、即チ会員ノ意思ハ斯様デアル、此考ヲ以テ参テ充分ニ務メルヤウニ、又其功績ヲ奏スルヤウニトイフ御注文ニ対シマシテハ、希望ハ誠ニ諸君ト御同様デゴザイマスケレドモ、果シテ其御希望ヲ遂ゲ得ルヤ否ヤトイフコトハ大ニ之ヲ難シトスルノデ、且自ラ恐懼ニ堪エンノデゴザイマスガ、仮令如何ニ事ガ難事タリトイヘドモ、今日御互ニ担フテ居ル商業者トシテ、是非是カラ海外ノ列強ト相当ナル聯絡ヲ附ケ、充分ナル意思ノ貫徹ヲ図ルトイフコト
 - 第22巻 p.747 -ページ画像 
ハ是非務メナケレバナラヌトイフコトハ申ス迄モゴザイマセヌノデ私ガ敢テ其力ハ能ハザル事デアリマスケレドモ、是ハ是非セネバナラヌコトヽ考ヘマスルデ、所謂殪レテ止ムノ決心ヲ以テ、微力タリトモ尽シテ見ヨウト考ヘマス、如何ニモ国家ノ今日迄段々進歩シ来ツタ既往ヲ顧ミマスト、種々ナル経過ニ由テ各自皆発達ヲシテ居リマスケレドモ、其発達ハ或ハ軍事ノ方ガ発達ガ速カデ、物質的我々商工業ノ発達ハ未ダ第二・第三ニ居ラウトイフコトハドウモ免カレンノデゴザイマス、蓋シ私ガ赴カウトイフ国々ノ有様トハ或ハ反対ノ比例ヲ為シテ居リハセヌカト思ハレルノデ、此場合ニ我々ハ充分ニ彼地ノ有様ヲ移シ、其善イ模範ヲ充分ニ採ツテ、今一層我々ノ物質的ノ進ミヲ盛ンニシテ、今迄発揚シタ光輝ヲ益々盛ナラシムルトイフ事ハ、モウドノヤウニシテモ御互ノ任務トシテ勉メナケレバナラヌコトヽ存ジマス、斯様考ヘテ見ルト、己レノ足ラヌ、己レノ才能ノ乏シイ、己レノ念慮ガ通ゼヌ、歳ヲ取ツタトイフ、ソウイフ位ノ考ヲ以テ斯ル必要ナル大務ヲ免レテハ相済マヌ事ト考ヘマスル、果シテ御注文ニ応スル丈ノ事ガ多少ナリトモ諸君ノ意思ノ在ル所ヲ通シ其聯絡ヲ着ケ得ル事ガ出来ルヤ否ヤ、私ニ於テ甚ダ覚束ナイノデゴザイマスガ、即チ斯ク全国商業会議所ノ諸君ノ厚イ思召ハ私ノ此微力ヲシテ少シハ力ヲ増サシ、私ノ無能ヲシテ或ハ有能タラシムルトイフ事ガ或ハ出来ルカモ知レマセンガ、若シ出来得タナラバ其レハ私ノ力デナクテ、諸君ノ御熱心ノ与カツタ事ト諸君ニ謝サナケレバナラント考ヘマス、若シ亦過チマスレバ私ノ無能デゴザイマスカラ諸君ニ対シテ責任ヲ負ハナケレバナマリセン、斯様ノ意味ヲ以テ私ハ今度旅行ヲ致シマスルガ、蓋シ私シ自ラ甚ダ危ブムノデゴザイマス、私ハ殆ント始メテ海外旅行ヲスルヤウナ有様デゴザイマスガ、併シ是デモマダ始メテトハ申サレマセンノデ、其昔、而カモ昔モ昔、御維新前ニ、今ヲ去ル即チ卅六年前ニ海外旅行ヲ致シタ人間デゴザイマス、尤モ亜米利加ハ旅行致シマセヌガ、其時ノ事ヲ思ヒ出シマスト、殆ント夢ノ如ク或ハ幻ノ如ク、実ニ奇々妙々ノ談話デゴザイマスガ、其時私ノ出カケマスル際ニ、甚シキハ浴衣ノ下ニ長イ靴ヲハイテ、而シテ妙ナコウイフヤウナ薬研形ノシヤツポヲカブツテ旅行ヲ致シタモノデゴザイマス、甚シキ滑稽談ヲ申上ルナラバ柴棍ニ参ツテ船カラ上ルトキニ、丁度横浜カラボーイノ着ル燕尾服ガ持テ来テアリマシタノデ、是ヲ一枚ドウイフ訳カ荷物ノ中ニ持テ行テ、是ガ最良ノ服ダト心得テ、何デモ宴会ノ時カニ一番善イ着物ヲ着ロトイフ事デアツタカラ、其レヲ着テ揚々ト会ニ出カケタ処ガボーイト間違ヘラレテ満座ノ笑ヲ蒙ツテ、其レカラ日本服ニ着換ヘテ悄々ト出カケタトイフヤウナ滑稽談モゴザイマス、仏蘭西ニ参リマシタノガ、丁度三十六年前ノ正月ノ十二日ニ立ツテ六十日許リノ歳月ヲ費シテ参ツテ、丁度一年許リ彼地ニ居テ、足掛二年デ帰リマシタガ、其時ハ亜米利加ノ旅行ハツイ出来ヌトイフ有様デ、而シテ私ノ意思ガドウイフ者カ風采モ今申ス通リデスカラ、多弁ヲ要セズ賤シムトイフ事ハ判ルノデアリマスガ、私ノ了見ハ其時分ニハ仲々攘夷家デアリマシテ、夷狄是膺チ戎狄是懲ラストイフ意気デ真向ニ
 - 第22巻 p.748 -ページ画像 
差カザストイフ有様デ、尚ホ海外ニ行ウトイフコトヲ定メタ時モ、先王ノ政ハ決シテ此夷狄抔ニ倣フベキモノデナイトイフ観念ガ止マナカツタノデアリマス、或ハ上海ニ着キ、香港ニ着キ、段々仏蘭西ニ参ツテ色々ノ事物ヲ見、其々ノ風采ヲ見テ、仮令言語ハ分ラヌデモ、其一家ノ有様ヲ見テモ夫婦ハ相和シ、政治ハ整フテ居リ、文物ハ治マツテ居リ、而シテ少シモ害ガ起ルトイフヤウナコトモナク、殊ニ此商売トカ工業トカイフモノモ今日ノ日本ノ商売人ガ賤シメラレルヤウナ訳デナク、段々尊マレルトイフ有様ヲ見テ、一体ノ社会ノ有様ガ段々ト進ムデ栄ヘルトイフコトヲ実際ニ目撃シテ見マスルト、其迄先王トイフテ居ツタ日本ノ教、支那ノ有様等ハドウモ少シク違フ所ガアリハシナイカトイフ事ガ彼是一月・二月タツテ、半年一年ト居ル間ニ、私ノ以前ノ考ハ全ク間違ツテ居ツタトイフ事ヲ大ニ発明致シタノデ、是カラ一ツ学バウトイフ考ガ起ツタノデアリマスガ、其時ハ旧幕府ハ潰サレテ、私ハ急ニ帰ランケレバナラヌトイフ事ニ成タノデ、丁度慶応四年ノ十二月四日横浜ニ着テ、遂ニ此欧羅巴ノ旅トイフモノカ殆ト何等ノ学ブ所モナク、取モ直サズ田舎者ノ江戸見物トイフヤウナ事デ終ツタノデアリマス、是ガ昔日私ノ欧羅巴旅行ノ概略ノ有様デアリマスルガ、其時以来卅四・五年モタチマシタカラ歳ハ大層トリマシタガ、一向其地位ハ上ラナイデ、先ヅ自分ヲ顧ミタラバ矢張リ所謂呉下ノ阿蒙タルコトヲ免カレヌダロウト思フ、呉下ノ阿蒙トイフト若ソウデアルガ、寧ロ呉下ノ老阿蒙ト申スベキモノカト思ヒマス、今日ハ其昔日ノ有様トハ打ツテ替ツテ海外ニ於テモ其変遷ガ目ヲ驚カスベキ事ニナツテ居ルトイフ事ハ帰ツテ来ル人カラ毎度承リテ居リマスガ、己レノ体ハ左様ナル世ノ中ノ進歩ニ伴フテ居リマセヌノデ、今申ス通リ昔日ノ研キ得ラレヌ処ノ眼ハ其儘デ居ルノデアリマスカラ、欧米ノ地ヲ経過致シマシタ処ガ、所謂老阿蒙ガ決シテ何タル事モ見出シ聞出シヽテ、諸君ヲシテ目ヲ刮ツテ相待タシムルトイフ事ハナシ得ラレヌト考ヘマスル、併シ目ヲ刮ツテ相待タシムルトイフ事ハナシ得ヌニシテモ、居睡リヲシテ御迎ヲ戴クトイフ事ハナシ度ナイト考ヘテ居リマス、ドウゾ諸君ニ於テモ成ル可ク其御思召ヲ以テ、私ノ帰朝ノ際ニハ相会シテ、又今日ノ如ク相話スルトイフ事ニシタイト考ヘマス、私ハ諸君カラノ御嘱托ヲ空シクセヌトイフ所存デアルトイフ事ヲ申シ上ゲルト共ニ、今夕ノ送別会ヲ辱ク感謝致シマス
    平田農商務大臣ノ挨拶
 今夕ハ我々一同御招待ヲ受ケマシタニ就テ一言一同ニ代ツテ諸君ニ謝辞ヲ申述ヤウト思ヒマス、今回渋沢男爵カ欧米ニ御出カケニナリマストイフ事ハ、誠ニ日本ノ経済界ノ為ニ非常ナル幸ノ機会ヲ得タ事ト存シマス、只今渋沢男爵ハ三十有余年前ニ欧羅巴ニ赴カレタ事ヨリ今日再ビ欧米ニ赴カレル事ニ就テ、諸君ノ希望ヲ充タセラレル事柄ヲ縷々御述ニナツタ様ナ次第デゴザイマスカ、曾テ渋沢男爵ガ卅有余年前ニ欧羅巴ニ赴カレテ彼ノ発達シタ有様ヲ観察致サレテ後我維新後ノ紛擾ノ間ニ於テ殆ンド維新ノ大業ヨリ以上トイツテモ宜イ位ノ事柄ヲ此商工業界ニ対シテ尽サレマシタ、其結果ハ即チ今日
 - 第22巻 p.749 -ページ画像 
ニ現ハレテ居ルノデアリマスガ、今亦此経済界ノ機運ノ発達致シマスル時機ニ当ツテ、再ビ男爵ガ欧米ニ行カレテ諸君ノ希望セラレル処ノ経済上ノ聯絡ヲ着ケ、並ニ我ガ日本ノ商工業界ノ希望ヲ欧米各国ニ紹介セラレ、尚ホ併セテ彼国ニ於ケル文明ノ真相ヲ親シク観察セラレテ我商工業ニ貢献サレルト云フ事ハ、国家ノ為ニ私ノ甚ダ喜ブ所デアリマス、仍テ渋沢男爵ガ海陸ノ途上ヲ無事ニ経過セラレ、諸君ノ希望ヲ満足ニ充タサレテ、必ラズ無事ニ帰ラレルトイフ事ヲ祝シマシテ、其健全ヲ祈ルノデゴザイマス
  ○右ノ資料ニ依レバ送別会ノ催サレタルハ四月九日ノ如クナレドモ「渋沢栄一日記」ニハ八日トアルヲ以テ、八日ガ正碓ナルモノト考ヘラル。因ミニ「竜門雑誌」第百六十七号ニモ四月八日トアリ。
  ○栄一、五月十五日横浜発、十月三十日神戸ニ着ス。今回ノ欧米行ノ詳細ハ本資料第二十五巻所収「欧米行」並ニ本巻明治三十五年十二月八日ノ条参照。