デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
7款 有楽会
■綱文

第23巻 p.70-84(DK230009k) ページ画像

明治33年1月29日(1900年)

是ヨリ先、栄一等東京府下ノ重立タル実業家、麹町区有楽町ナル三井集会所ニ於テ、伯爵井上馨ヲ中心トシテ経済時事談話会ヲ催シ来リシガ、ソノ組織ヲ完全ナラシムルタメ会名ヲ有楽会トシ、栄一及ビ益田孝ヲ準備委員ニ推薦ス。是日、栄一及ビ益田孝ノ起草ニ係ル有楽会規程ヲソノ集会ニ附議シテ満場一致ヲ以テ可決ス。

爾後屡々会合ヲ催シ、重要ナル財政経済問題ヲ議シ、且ツ大蔵省・日本銀行ノ要人ヲ招キテ意見ノ交換ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK230009k-0001)
第23巻 p.70 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年    (渋沢子爵家所蔵)
一月四日 晴
○上略 朝ハ有楽会規程ノ草案ヲ起稿ス ○下略
   ○中略。
一月六日 曇
○上略 此日有楽会規程草案(曾テ起草セシモノ)ヲ益田氏ヘ交付ス ○下略
   ○中略。
一月二十三日 曇
○上略 益田孝氏ノ来書ニ回答シテ、有楽会ノ事ヲ申遣ス
   ○中略。
一月二十九日
○上略 三井倶楽部ニ抵リ有楽会ニ列ス、夜十時兜町ニ帰宿ス
   ○中略。
二月二十八日 晴
○上略 三井倶楽部ニ於テ催シタル有楽会ニ列ス、井上伯其他ノ諸氏ト会話ス ○下略
   ○中略。
三月廿三日 晴
午前九時銀行倶楽部ニ抵リ有楽会評議員会ヲ開ク、井上伯・益田・園田・高橋是清・瓜生震等ノ諸氏来会ス ○下略
   ○中略。
三月三十一日 晴
○上略 午前伊藤侯爵ヲ霊南坂ニ訪フテ有楽会ニ出席ノ事ヲ話ス、四月下旬山口県下ヨリ帰京ノ後ニ来会セラルヽ事ヲ約ス、依テ井上伯・益田氏ヘ其事ヲ通知ス ○下略

 - 第23巻 p.71 -ページ画像 

銀行通信録 第一七〇号・第九四―九五頁 明治三三年一月 有楽会(DK230009k-0002)
第23巻 p.71-72 ページ画像

銀行通信録  第一七〇号・第九四―九五頁 明治三三年一月
    有楽会
井上伯は昨年九州地方に赴ける途次神戸税関に立寄り執務の模様を見て、其設備及び貨物の荷造・運搬等が如何にも不完全にして、目下発達し若くは大に発達せんとしつゝある我商工業と伴はざるものあるを悟り、帰京後松方伯に会見せし際其実況及び心に感じたる次第を物語り、且つ松方伯の同意を経て大蔵省内の二・三高等官にも其旨を縷述したるに、松方伯は固より其他の当局者も大に之を喜び、爾来此等の点に付種々研究を重ねつゝありし由なるが、府下の実業家等は之を聞き井上伯が常に是等のことに注意し官民の間に立て尽力することを喜ぶと同時に、目下商工業の有様は往々当局者の行政方針若くは手続等と相伴はざる点多きを以て、成るべく之を一致せしむるの要ありと雖も、官民双方の間に立つて双方の事情に通ずる人にあらざれば之を融解し難かるべく、而して其人を求むれば井上伯を措いて他に之なかるべしとて、渋沢栄一・益田孝の両氏を初め市中の重立ちたる実業家は昨年十二月十一日井上伯を三井集会所に招待して、同伯の経済談を聞き、且つ今後官民の間に立つて此上ながらの尽力を乞ひしに、伯は我邦目下の事情は今日の儘に実業を放任し置くべきにあらず、上下一致以て海外諸国と頡抗するの大策無かるべからず、今夕来会の諸君は予と感を同うするものと考ふるも、経済上のことは到底一夕の座談を以て事を了すべきものにあらざれば、同志の有力者を纏めて一会を設け時々講究するの必要ありと信ずとて来会者の意見を尋ねたるに、一同伯の意見に賛同し更に同月二十三日三井集会所に会合を催ふせしに、井上伯及渋沢栄一・益田孝両氏を始め山本達雄・相馬永胤・豊川良平波多野承五郎・池田謙三・安田善次郎・大倉喜八郎・園田孝吉・高橋是清・都築馨六・渡辺洪基・雨宮敬次郎・今村清之助・加東徳三・小野金六其他の諸氏都合四十余名出席せり、席上井上伯は日本の経済界に於ては現今尚ほ輸入超過・正貨流出の趨勢止まざるのみならず、此傾向は前途益々甚しからんとす、故に今日に於て之を防遏するの策を講ぜざれば到底商工業の円満なる発達を期し難かる可し、而して之を防遏するの策は当に如何す可きや、又此頃新聞紙の報道する所によれば、東京の商業会議所に於ては保証準備の兌換券を拡張するの議ある由なるが、抑も是は如何なる趣旨に基くものなるや、之に関係ある人あらば其説を聞きたきものなりと述べしに、渋沢氏は此問題は自己の不在中突然に起りたる議なれば未だ其趣旨を詳にせずと述べ、次に雨宮氏は其趣旨を陳して明治二十四・五年頃は正貨準備僅に六千万円位に過ぎざりしに、銀行紙幣・政府紙幣及び兌換券の合計は殆んど之に三倍せり、然るに現今は正貨準備一億万円以上に上り、且つ政府の歳出入も二十四・五年頃に比し殆んど二倍以上の額に達し居るを以て、此際保証準備を二億万円位に拡張し資本の増加を計らざれば我が商工業は円満の発達を望む能はざる可し、是れ商業会議所に於て此議起りし所以なりと述べ、経済研究会派の多数挙て之に賛同したるに、之に反対の説大に起り結局渋沢・益田の両氏は此問題を議に上ぼす可きや否や、将た其議決を採る可きや否やは兎に角、此会の成立を告げ万般
 - 第23巻 p.72 -ページ画像 
の組織出来上りたる後ならでは致方なきを以て、先決問題として此会の存否を決す可しと述べ、結局協議の末左の数項を議決したり
 一、此会を存立して今後有楽会と名づくる事
 一、明年一月二十日前後に於て再び会合し、委員十名を選定して会の事務を委託する事、但し其時日及会場等は渋沢・益田の両氏に一任する事
 一、入会者は加入金として、三十円及び月々の会費二円づゝを納むる事


中外商業新報 第五三九八号 明治三三年二月一日 有楽会(DK230009k-0003)
第23巻 p.72-74 ページ画像

中外商業新報  第五三九八号 明治三三年二月一日
    有楽会
井上伯を中心とし都下の紳士縉商より成れる有楽会は、去廿九日を以て第三回の会合を有楽町なる三井集会所に催し、先づ規約の草案を協議せしに満場一致を以て左の如く協定したり
    有楽会規程
 一第一条 本会は之を有楽会と称す
 一第二条 本会は経済上事実の調査を為し、秩序的に其発達進暢の手段方法を講究するを以て目的とす
 一第三条 本会は東京及其他の地方に於て商工業に従事する者を以て組織す
 一第四条 本会々員の選挙を以て評議員十名を置き一切の会務を統理せしむ
 一第五条 評議員の互選を以て幹事二名を置き本会の会計を処理せしむ
 一第六条 幹事は会務の必要に応して有給の書記其他の調査員を雇傭し、及諸経費の支出を為す事を得
 一第七条 経済上の連絡を謀る為め必要なる場合に於ては政府当局者又は有識なる貴紳に出席を乞ふ者とす
 一第八条 経済上講究の必要あるときは会員中より若干の特別委員を組織して之を調査せしむ
 一第九条 本会に於て事を議するは総へて相談会の体に拠る、若し会員多数の企望あるときは特に其問題に限り議事体を採用することあるべし
 一第十条 本会の会員たらんと欲する者は会員二名以上の紹介を以て評議員に申出へし、評議員は其会議多数の意見を以て許否を決すへし
 一第十一条 本会を退会せんと欲する者は其旨を評議員に届出へし
 一第十二条 本会は少くとも毎月一回之を開くものとす、但必要の場合には臨時に之を開くへし
 一第十三条 会員は入会の時に於て金三十円を納付し、爾後毎月会費金二円宛を納付すべし、但地方の会員は毎月の会費金一円宛を納付すべし
 一第十四条 特別の調査其他の事情によりて臨時費を要することあれば会員の協議を以て特に其支出の方法を定めて之を負担すべし
 - 第23巻 p.73 -ページ画像 
 一第十五条 此規程は会員多数の企望によりて之を修正変更するを得
右にて有楽会組織の実を挙げ、終りて経済談に移りたるが前回に於て井上伯は先づ我邦への輸入品中内地に於て製産し得べきものを調査し以て外国貿易に対する方針を決すべし云々との演説をなしたれば、今回は此趣旨に基ける調査書を調製し置きたるに、各会員交々熟覧の上大江卓氏は先づ口を開きて、非常に多数の項目なれば一人にして能く全般に通ずるものなかるべし、故に各々得意とするものに付き研鑚する所あるべし、余は先づ此項目中には掲げられざれど最も熟知する所のもの二種に就き聊か説をなさんに、其一は鉛管なりとす、近来東京を始め各地水道の新設及び拡張に連れ其需要は著しく増加せり、余は独力之が製造を企て今や世の需要の幾分を充たし居れり、今後は官省等に於ても専ら内地産品を使用し以て斯業の発達に資せんことを希望す、其二は石油なりとす、其年々外国より輸入する額や非常に巨額にして而も内地に於て産するもの亦六百万円内外に達せり、之より漸次内地石油業を発達せしめんことを希ふて已まざるなり云々、次に井上伯は差向各工業の素材となるは鉄類なりとす、然るに近来鉄の相場著しく騰貴し之を二・三年前に比すれば優に三割方の騰貴をなせるを見る、若し夫れ今日にして鉄道を敷設するとせんか実に二・三年前に比し三割方高き軌条を購入せざるべからず、鉄道の敷設、急は即ち急なりと雖も、今や玆両三年を延期せりとて差して我経済社会に重大なる影響を及ぼすにもあらざるべければ、余は寧ろ内地に於て鉄類を製作することを先にせんことを希望す、幸政府に於ても製鉄所の設立中にもあれば一日も早く之が完成を見んことを欲す、然れども製鉄所の位置たる宛も嚢底の鼠の如き有様にて、今鉄の原料を輸送し来るも殆んど之れか置所だになし、目下専ら湾内を浚渫し居れりとは云へ其浚渫や誠に不完全にして、若し浚渫船二艘相並はんか千噸以上の船舶は到底出入する能はさるものあり、余は少しく浚渫を完全にせんことを希望して已ますと説き、次に朝吹英二氏は余は熱心に工業の進歩せんことを希望するものなるか、常に日本の工業上に於て遺憾となすは資本の供給不充分なることなりとす、現に日本銀行の如き鉄道株は之を担保品となすも工業会社の株券、一例を示せは紡績会社の株券の如きものは之を担保品となさす、尤も紡績会社中には信用薄きもの基礎薄弱なるもの少からざれど、又基礎鞏固にして信用厚きものなきにあらず此等の株券は之を担保品となすも不可なかるべし、若し夫れ何等の理由あるも鉄道株の外担保品となさずと云ふに至りては、工業的見解を以て云へは寧ろ担保品を全廃するも何等の不可か之あらんと迄極論し去り、次に末延道成氏は説をなして曰く、世上往々通貨を増加すれば経済界に危険なりとの意見を持するものあり、之れ明に迷謬なり、通貨を増加せしとて決して物価は騰貴すべきものにあらず、又今日物価騰貴、物価騰貴と云へる呼声高きも今日の物価は決して騰貴せるにあらずして、銀貨国が一転して金貨国となりたる当然の結果なりとす、見よ明治廿年に於ては金貨相場一円二十銭なりしが今日は二円を呼ぶに至れり、而て物価に就て見るに明治廿年は百にして今日は百八十六
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となり金貨も物価も共に其間八十の差あるにあらずや、右の如く今日の物価は貨幣本位の変更より生したる結果にして、即ち物価を計るの尺度異りたるより玆に至りたるものにして決して騰貴と称すへきものにあらず云々と、之より議論に花を咲かし甲論乙駁、或は末延君の通貨と称するものは硬貨のみと称して紙幣は之を通貨と見做さゞるにや等の質問も出で、論戦非常に盛なりしが、大江卓氏は次に物価の高低は一に需要供給に依るものなりと云へる趣旨を以て長時間の演説をなし、最後に山本達雄氏は日本銀行大体の方針及昨今物価騰貴・金融繁忙の事情に就き詳細なる演説(追て其全文を掲載すへし)をなし、之にて談話会を終り更に規程第四条に依り評議員十名の選挙を行ひ、先づ会員一般より渋沢栄一・益田孝の両氏を選挙し他の八名は井上伯に指名を請ふことゝなり、午後十二時頃に至りて散会せりと云ふ


中外商業新報 第五四一四号 明治三三年二月二〇日 有楽会の評議員(DK230009k-0004)
第23巻 p.74 ページ画像

中外商業新報  第五四一四号 明治三三年二月二〇日
    有楽会の評議員
有楽会の評議員は前回に於て渋沢・益田両氏を会員一同より選挙し他の八名は井上伯より指名することとなりたるが、此頃に至り愈々左の如く確定したりと
     評議員兼幹事
 渋沢栄一  益田孝
     評議員
 園田孝吉  加藤正義   瓜生震   根津嘉一郎
 朝吹英二  渡辺福三郎  高橋是清  三崎亀之助
因に記す、同会は来廿八日午後三時より有楽町三井集会所に於て評議員会を開き、午後五時より例会を開く筈なりと云ふ


中外商業新報 第五四四一号 明治三三年三月二四日 有楽会評議委員会(DK230009k-0005)
第23巻 p.74 ページ画像

中外商業新報  第五四四一号 明治三三年三月二四日
    有楽会評議委員会
有楽会評議委員会は昨廿三日午前十時より銀行倶楽部に於て開会されたりしが、当日は井上伯を始め渋沢・益田の両幹事及園田・高橋(是清)・朝吹・加藤(正義)・渡辺(福三郎)・瓜生・根津の各評議委員等参集し、前回の総会に於て委托されたる調査事情に就て其手続及調査の程度等を協議したりと云ふ、又井上伯は頃日来親しく各工場を巡視されたる実況及其製品に就て縷々陳述せられ、尚彼の輸入戻税に関する一事は近々井上伯より松方大蔵大臣・目賀田主税局長・早川関税課長及水上横浜税関局長等の臨席を求め親しく其意見を質す等の手続を尽したる後、総会に報告することになりし由なり


銀行通信録 第一七二号・第四五〇―四五二頁 明治三三年三月 有楽会(DK230009k-0006)
第23巻 p.74-78 ページ画像

銀行通信録  第一七二号・第四五〇―四五二頁 明治三三年三月
    有楽会
有楽会は一月二十九日第三回の集会を麹町区有楽町三井集会所に開き先づ左の規程を議決したり
    有楽会規程 ○前掲ニ付略ス
夫より経済問題の談話に移りしに、井上伯の前回に於ける演説即ち本
 - 第23巻 p.75 -ページ画像 
邦輸入品中内地に於て製産し得べきものを調査し以て対外貿易の方針を定むべしとの旨趣に基きて調製せる調査書に就き、大江卓氏は鉛管製造及石油の二事業を加ふべしと述べ、井上伯は製鉄事業の急要を説き、益田孝氏は苟も相当の利益ある事業は其何たるを問はす之を計画すへしと論じ、朝吹英二氏は益田氏の説を賛成し、進んで日本銀行が鉄道会社の株式に限り保証品として貸出を為すに止まれるを難じ、工業会社株式をも保証品として貸出を為さゞるべからざる所以を論述したり、次に末延道成氏は日本銀行保証準備兌換券発行額のことに就きて之を拡張すべしとの説と否らすとするの説と共に非なる所以を説きて、通貨の増減は之を制限すべきものにあらず、通貨の増減は物貨の騰貴に関係なしと論じ、大江卓氏亦物貨の高低は一に需要供給に依るものなることを論ぜしに、山本達雄氏は左の説を述べたり
 只今某君は『前会に於て甲は我邦兌換券を尚十分増加せしむるの必要を論じ、乙は之を増加せしむ可からずと主張すれども、甲乙共一種の誤解より生ずるの説なり、抑々通貨は何れの国に於ても自然に増減するものにて、決して人為を以て之を増減又は制限すること能はざるものなり』と反覆叮寧に其理由を演べられ、又某君は『物貨の騰貴なるものは通貨の膨脹より来るものにあらざる所以』を明細に説明し、且『日本銀行に在りては固定資本に供するものと流動資本として運転するものとを十分に区別し、其固定すべきものは利子を高くして、流動すべきものは利子を低廉にして融通をなすべし』と論せられ、又某君は『全体日本銀行が公債・諸鉄道会社株券を担保品に取りなから、其他の有望なる工業会社の株券を担保に入れざるが為め融通円滑を欠き、工業の進歩を阻害し居れば、是非共之を組入る可し、若し然らずとすれば寧ろ諸鉄道会社の株券も之を廃すべし』と極論せられ、何れも日本銀行の業務に関連せる事柄なるが其中には事実を誤解せらるゝが如きもあれば、又余輩と意見を異にすることもありますから聊か其概略を弁じます
 成程物価の騰貴は種々の原因から来るもので、人気発揚の為めにも通貨の膨脹からも、或は政府が不生産的に通貨を散布する所からも来るので、其原因を調査すれば種々ありませう、而して今日の物価騰貴は通貨の膨脹から来たと云ふ説が多い様であります、併ながら昨年の七・八月頃迄は通貨は左まで膨脹して居らぬ、殊に日本銀行の貸出金の如きは八・九月の交迄総計僅に七千万円内外でありました、然るに十月下旬頃から微動を始めて十月末には千二百万、十一月末には二千万、十二月末には千八百万円と云ふ割合に増して来て其間には数度利子引上を為せしに拘らず、僅々三箇月間に凡五千万円即ち総貸出高の七割以上の増加になりました、個様なことは曾て類例なきことで実に急劇の変化である、偖て是れはどうした訳かと云ふと七・八月時分から生糸が大変高くなつた、即ち千百円のものが千二百円以上になつた、おやおやと云ふ間に益々上騰して遂に千五百円と云ふ最初から予期せぬ珍直を顕はしてどしどし売行く、是か為めに養蚕家・製糸家は非常な儲けである、羽二重も同様の次第其の他銅なり、綿糸なり皆活溌に売行きますから俄に地方の景気を
 - 第23巻 p.76 -ページ画像 
惹起しました、加之九月頃数度の風水害の為め案外にも米穀は不作と定まりましたから、一時僅に八円台にも落込んだ米が急に十一円にも十二円にもなつた、其前地方の情況は如何であつたかと云ふと農家は前年の豊作で米価が下落した為め銘々売惜みを為し、窃に凶作で米価の騰貴するを祷ると云ふ有様でありました、然るに十月に於て俄に米が高くなつた、此に至つて農家は米を売る、金が懐に入る、諸品物を購入する、一般の景気が出ると云ふ次第で、已に生糸羽二重其他品物の売行にて景気が出掛つた所へ、米の為めに弥々景気が増して来た、又銀行を見ると其比迄は極く緩漫に経過して来ましたが、段々需要が起て貸出の請求が増して来た、すると銀行は資金が足らぬ、各銀行は思ひ思ひに日本銀行に駆け込むと云ふ有様でありましたから、僅に三箇月間に日本銀行の貸出高は五千万円と云ふ非常な増加を来したのであります、故に資金の需要の起つたのは景気が付いて来た為めなので、単に通貨が殖へたから景気が出た、物価が騰貴したと云ふ訳ではないかと信じて居ります
 又兌換券発行の増減に付某君の御話は、兌換券の多寡を需要供給の自然に任かせると云ふやうに聞取りましたが、是れは硬貨と貨幣とを区別せずして立論されたのでは無いかと疑います、成程通貨は其国の事情或は経済社会の消長に依つて非常な差異増減あるは勿論のことである、例へば英国は人口一人に付通貨三十三円、仏国は七十円、独国は三十八円に当るが如く夫々差異があり、又此割合も経済社会の消長に依つて常に多少の増減を生するは免かれない所であります、故に何れの時代でも通貨は一億で宜いとか二億で宜いとか云ふことを判然確定することは出来ない、乍併是れは硬貨と兌換券を合したる通貨の事であります、紙幣即ち硬貨の代表物なる兌換券のみを多くするか少なくするかと云ふことは別問題であらうと思ひます、今我邦の現況に於て通貨が少ない、通貨が少ないから兌換券を殖やせと云ふ説がありますが、硬貨が自然に殖へるならば宜しいが硬貨は殖へないで唯々其代表物たる紙幣を殖やすと云ふことは容易にすべき事ではありませぬ、紙幣を殖やしたら其結果益々正貨を外国に逐ひ出すと云ふことは明かな道理である、故に欧洲諸国にても兌換券発行権を増すとか減するとか云ふことは中々困難な問題で、已に独逸の如きは数年前から殖やさうと云ふ論が喧しかつたが、既往の実況に照らして漸く昨年に至て更に一億五千三百万馬の保証発行権を中央銀行に許した次第であります、英国は如何かと云ふと現今中央銀行の許されてゐる兌換券の発行権は英貨千六百八十万磅でありますが、此法律の定められたのは今より五十五・六年前の時である、爾来今日まで五十有余年の間此法律は更に動かさないでやつて居る、然るにも拘らず今日英国経済学者の中には、中央銀行の発行権が多きに失する為に斯の如く金利の高低が烈しい、凡そ商売社会は五朱なら五朱、六朱なら六朱と利率が同じ様に維持されて行くならば少々位利子が高く共商工業は発達して行くものである、然るに六朱が二朱になり又四朱になり五朱になると云ふやうに、高低が烈しくては非常に商工業発達の害になる、故に金利激変の原由たる
 - 第23巻 p.77 -ページ画像 
発行権の高を減殺して、著しく過不足の出来ぬ様にし、随て利子高低の劇変を防くべしと論ずる人もある位である、英国は五十五・六年前制定した銀行条例通りにて今日まで其儘継続して居る――尤非常恐慌の場合に此条例を中止したることもある、既に十年前の事ベーリング・ブラザース破産の為め一時非常な必迫で、其時分兌換券を出せば必迫を救ふことが出来るが、正貨準備なしに兌換券を出すことが出来ないから、余儀なく仏国の中央銀行から借入れて凌きを付けた位である、然し是れは余りに窮屈千万なる法である、故に欧洲大陸の諸強国は重に其の窮屈を避くる為め保証準備兌換券の制限を定めて置くが、経済社会の事情に依り臨時入用の場合には税付として更に発行することを許して置く、其税付は勿論一時の必要であるから経済社会が平時に復すれば之を回収する、即ち所謂伸縮自在法であります、我邦も其制度に拠つて今日の兌換制度か制定せられて居るのでありますが、兎に角通貨の伸縮を自然に任せると云ふのは金銀と云ふが如き実価のある貨幣を自然に任せると云ふ話で、唯一片の紙片を何程出しても宜しいと云ふ意味ではないと思ひます、又只今貸付には固定するものと固定しないものとを区別して金利に等差を置くべしと云ふ説がありましたが、日本銀行も今日已に其精神を以て実行して居るので、御承知の如く公債証書又は鉄道株の担保品には二銭二厘、商業手形は一銭九厘即三厘の差を付て割引をして居ります、一方は固定に変し易く、一方は其憂なきが為め如斯差を付けて居る次第でありますから、此点は別に弁明するの必要もあるまいかと信じます
 又某君の日本銀行は独り諸鉄道株を担保に取り、其他の工業会社の株券を担保に取らんぬか為め、立派なる工業会社も時としては融通に差支へ、折角発達せんとするものも動もすれば沮喪するの憂があるから、以来は紡績の如き工業会社の株をも担保に組入るゝが宜いとの御説は、単に工業会社の側面より観れば至極御尤の御議論に相違ないが、日本銀行の性質より考ふるときは唯確実とか信用とか云ふことのみを以て之を担保を組入れる訳にも参らぬ事業があります其故は株券なるものは商業手形と違ひ固定の性質を帯ひるものであるから大に撰定を要するもので、第一該事業の性質如何をも考慮せなければならず、又盛衰浮沈の甚たしきや否やも一考せねばならぬ然るに鉄道の如きは其発達如何に依ては商工業万般の事柄に大関係を有し、申さば国家自ら為すべき所の国道である、既に東海道線は国家自から之を布設しましたが、此資本金は民間から募りまして之を中山道公債と称しました、然るに日本鉄道の如き山陽・九州鉄道の如き民間に於て布設せし分は鉄道株券と唱へられてゐる、斉しく天下の公道なるも其持手に依りて或は公債と称し、或は株券と唱へるのみて、其性質に相異はありません、而して公債は担保に取るが鉄道株は取らぬと云ふは実際上聊か不穏当の嫌がある、且其事業は営利の中にも国家的性質を含んで最も盛衰浮沈の少ないものである而して一般の工業会社は其性質の上に於ても又盛衰浮沈の点に付ても鉄道と同一に視よと言はれるのは甚だ困難の次第である、且日本
 - 第23巻 p.78 -ページ画像 
銀行の資力に付て考ふるも、政府貸上金を除き実際商工業資本として貸出し得へき高は現今の処九千万円計りに過ぎず、而して抵当担保となるべき品の高は如何と云ふに公債に於ては凡四億万円、其他既定の保証有価証券凡一億四・五千万、生糸・綿糸・米等の商品、此外商業手形抔を加ふる時は無慮六・七億万にも上ります、僅に八九千万円の資力で公然日本銀行の門を通るべき担保品商業手形六・七億を操縦することであるから、金融繁忙の季節には其銀行其人如何に依りては公債・鉄道株等を持参しても勢貸出を斟酌しなければならぬ場合が無いとも云へませぬ、果して斯の如き場合に遭遇することがあると直に恐怖の心を起し、株券大下落を来し、処々に救済論が起る、又一旦担保に組入れたるものを拒絶するは不都合だとの議論も起て、物情噪然たる有様になるは目下我が経済社会の通弊であると信じます、尚銀行業務に付ては他日愚見を申述べる機会もありましようから、爰には諸君の御議論に対し其説明のみに止めて置きます、云云
右にて談話会を終り、規程第四条の評議員十名は会員の希望に依り渋沢・益田両氏を加へ、井上伯の指名を乞ふことゝなりて、散開せり
斯くて二月二十八日第四回の会合を開き、幹事渋沢・益田両氏より評議員指名の結果
 渋沢栄一・益田孝・加藤正義・根津嘉一郎・渡辺福三郎・園田孝吉三崎亀之助・瓜生震・朝吹英二《(高橋是清脱カ)》
の十氏(渋沢・益田両氏は幹事兼任)を報告し、夫より幹事益田氏の発議にて左の三項を調査することゝなり、其調査は評議員に附托することに決せり
 (一) 輸入品防遏の方法を講究すると同時に、輸出奨励の精神を以て輸出品の調査を為す事
 (二) 朝鮮及北清貿易奨励の為め本邦各開港場に於て戻税の制度を定むるの必要あるに依り、上海に於ける事情等を調査する事
 (三) 神戸港を東洋貿易の中心市場たらしむるには如何なる設備を要するやに就て調査する事


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK230009k-0007)
第23巻 p.78-79 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年    (渋沢子爵家所蔵)
四月七日 晴
○上略 五時 ○午後過、有楽会ニ出席ス ○下略
   ○中略。
六月廿八日 晴
○上略 午後四時三井集会所ニ抵リ有楽会ノ例会ニ出席ス、幹事トシテ五月以後取扱フタル事務ヲ報告ス、井上伯ヨリ商業会議所ニ於テ建議セシ経済救済意見ニ付駁議アリタルモ、丁寧ニ之ヲ弁解シテ稍領意セラレタリ、尋テ紡績業ノ困難ヲ救治スルノ問題ヲ発議シ、終ニ五名ノ委員ヲ設クル事トナリテ自分ノ外ニ安田・原六郎・今村清之助・池田謙三ノ四氏当撰ス、依テ明後三十日ヲ以テ委員会ヲ開ク事ニ決シテ散会ス ○下略
   ○中略。
 - 第23巻 p.79 -ページ画像 
六月三十日 曇
○上略 午後 三時半東京着直ニ銀行集会所ニ抵リ紡績救治ノ委員会ニ列シ益田孝・朝吹英二両氏モ来会シテ種々ノ協議ヲ為シ、明後二日ヲ以テ日本銀行ニ抵リ其情ヲ述ヘテ注意ヲ請フ事ニ決ス ○下略
   ○中略。
七月二日 曇
午前十時松方大蔵大臣ヲ訪フ、○中略 紡績業救治ノ事ヲ談ス ○中略 午後一時日本銀行ニ抵リ安田善次郎氏ト共ニ紡績業救治ノ事ヲ山本総裁ニ談話ス ○下略
   ○中略。
七月十八日 雨
○上略 十二時銀行集会所ニ於テ有楽会委員会ヲ開ク、益田孝・高橋是清阿部泰蔵諸氏来会ス ○下略
   ○中略。
七月三十日 曇
○上略 四時 ○午後 三井集会所ニ抵リ有楽会ヲ開ク、井上伯其他十数名来会ス ○下略
   ○中略。
九月廿四日 雨
○上略 有楽会ニ抵ル、夜十時散会 ○下略
   ○中略。
十月廿四日 晴
○上略
此夜有楽会ヲ三井集会所ニ開ク
   ○中略。
十月廿九日 晴
○上略 午後三時銀行倶楽部ニ抵リ ○中略 又同所ニ於テ有楽会委員会ヲ開ク益田孝・早川千吉郎・片山書記来会ス ○下略
   ○中略。
十二月二十一日 晴
○上略 午後五時三井集会所ニ抵リ有楽会ニ出席ス、井上伯来会ス ○下略


銀行通信録 第一七四号・第七四七頁 明治三三年五月 有楽会(DK230009k-0008)
第23巻 p.79-80 ページ画像

銀行通信録  第一七四号・第七四七頁 明治三三年五月
    有楽会
有楽会は四月七日午後五時より三井集会所に於て第五回の会合を開き井上伯・渋沢・益田両幹事を始め三十余名の会員出席し、井上伯は伯が府下の諸製造工場を巡視したる結果を報告し、進んで輸入防遏の一手段として一般に節倹の風を普及し奢侈を抑制するの必要なる所以を述べしに、満場異議なく同意を表したるのみならず、会員中に当会員は自今冠婚葬祭並に年始年末の贈物等を廃止し、宴会の如きも成るべく質素にして芸妓酌婦の類は之を排斥すべしとの議を唱ふるものありしに是亦異議なく、夫より外資輸入の方法に関し有楽会の意見を一定する為め調査委員を設くる事の発議ありて之を可決し、午後八時三十分散開せり
 - 第23巻 p.80 -ページ画像 
因に記す、同会員中の一派に近来細民の手にある貨幣を吸収するの一方案を立てたるものあり、其方法は一の集金講とも称すべきものにして、仮令へば一口一円として一万口とすれば総金高一万円となり、之を三箇年間銀行に定期預金とし其利子六分とすれば三箇年間にして千八百円を得へく、内二百円を事務費とし千円は数等に分ちて抽籤に依り講員中の当籤者に分与し、残金六百円は講員平等に分配するものにして、割増金当籤者の外は年二分の利を得るの方法なりといふ


銀行通信録 第一七四号・第七四五頁 明治三三年五月 経済界救済策(DK230009k-0009)
第23巻 p.80 ページ画像

銀行通信録  第一七四号・第七四五頁 明治三三年五月
    経済界救済策
金融必迫して経済界漸く困難に陥ゐらんとするや、経済研究会及有楽会一派の間に種々の救済策は立案せられたり、今其重なるものを記すれば左の如し
 第一、外資輸入の途を講ずるが為め政府は公債に裏書を為し海外売行に便宜を与ふること
 第二、土地所有権を外人に許すこと
 第三、鉄道を国有と為し、之を担保とし低利の外資を輸入すること
 第四、労働社会の浪費を節して、貯蓄心を起さしむるの途を講ずること
 第五、絹布税を起し、以て新なる国家的生産事業に補助を与ふること


中外商業新報 第五五二五号 明治三三年七月一日 有楽会の委員会(DK230009k-0010)
第23巻 p.80 ページ画像

中外商業新報  第五五二五号 明治三三年七月一日
    有楽会の委員会
有楽会にては去二十八日の会合にて選定したる紡績救済に関する委員渋沢栄一・安田善次郎・池田謙三・原六郎・今村清之助の五氏は別項に記載する如く昨三十日午後二時より銀行倶楽部に会合し、尚益田孝朝吹英二の両氏も参加して救済に関し協議する所ありたるが、其結果は今回支那事変のため紡績及棉花の価格著しく低落したる為我経済界にも容易ならざる影響を及ぼすは銀行業者として之を等閑に附する能はざるものあれは、之を救済するの必要あるを以て先づ各銀行を介して日本銀行より相当の貸出を請ふ事とし、現在我内地に綿糸及棉花合せて二十九万俵あり、而して内地に於て大凡半年に消費するもの二十五万俵に下らずして今後更に棉花の大に輸入せらるゝものなきは明かなれば、仮りに今後綿糸の輸出振はさるものとするも在荷著しく停滞するか如きことなかるべく、且南清地方は格別今回の変に依りて甚しき影響を蒙ることなきを以て、先づ二十九万俵の在荷は夫々捌け得ることを見るを得べきを以て之に貸出すも決して危険なることもなく、又既に今日棉花に対しては夫々貸付を為し居ることなれば、此際唯其名義の変換に止まるものもあるべければ莫大の金額を要することにもあらざるを以て、先づ紐育・リバープールに於ける新綿価格の八掛位を標準として之に貸付を為すは相当のことならん、依つて此趣意に依り委員は銀行業者をして夫々日本銀行に向つて交渉することにすべしと決定し、尚二・三の打合を為して午後七時頃散会したりと云ふ
 - 第23巻 p.81 -ページ画像 


銀行通信録 第一七六号・第一一六頁 明治三三年七月 有楽会(DK230009k-0011)
第23巻 p.81 ページ画像

銀行通信録  第一七六号・第一一六頁 明治三三年七月
    有楽会
有楽会第六回例会は六月廿八日午後三時より三井集会所に開会し、先づ前回に於て決定せる外資輸入に関する特別委員は今後外国の資本を誘入するの必要ありや否や、又其必要ありとせば外人に土地所有を許すの必要ありや否やに関し審議の末、猶会合を重ねて決議することに決し、夫より総会を開きたるに、雨宮敬次郎氏より株式下落して銀行及会社の困難少なからざるに付、之を救ふの策として全国の株式取引所を停止すべく、若し停止する能はざれば証拠金を時価の半額以上に引上ぐべしの発議あり、渋沢栄一氏其他より限月短縮の説もありて結局十分に攻究を重ぬることゝなり、次に朝吹英二氏は紡績等救済の必要なる所以を述べしに、高橋是清氏は紡績業者の何等の施策する所なく唯漠然救済を叫ぶの非なる所以を説きしが、井上伯は兎に角応急の策を講ずる必要あるべきを以て、本会に於て銀行家と紡績業者と会合して研究を遂げんことを望む旨を述べ、渋沢栄一・今村清之助・池田謙三・原六郎・安田善次郎五氏を銀行家中より委員に挙げ、朝吹英二氏外二・三の紡績業者を加へて調査することゝなりて散開せり
超て同月三十日右五名の委員及朝吹英二・益田孝の両氏は銀行倶楽部に会合し、綿糸及棉花の価格甚しく下落して当業者困難を極め、延て我経済界に影響を及ぼすの虞あるに付ては、銀行家は之を等閑視すること能はざるを以て、各銀行を合して日本銀行に相当の融通を乞ふことゝすることに決し、本月二日渋沢・安田両氏は山本日本銀行総裁を訪ふて右に付き懇談する所ありしも、何等の決する所なくして辞し去れりといふ


銀行通信録 第一七八号・第四三五頁 明治三三年九月 有楽会(DK230009k-0012)
第23巻 p.81 ページ画像

銀行通信録  第一七八号・第四三五頁 明治三三年九月
    有楽会
有楽会にては七月三十日午後五時より三井集会所に於て集会を開き、井上伯を始め会員三十余名出席し、土地所有権を外国人に許す事、貯蓄奨励に関する事及小銀行の続起するを防遏し可成資本金を大にせしむる事等に就て協議せし由にて、貯蓄奨励問題及小銀行続起問題に就ては委員を設けて調査することに決し、目下委員の調査中なる由なるが、銀行の資本金に就ては松方大蔵大臣は五十万円以上とすることの意見を有し居る趣にて、井上伯の如きも勿論之に同意なるのみならず寧ろ百万円以上に限るべしとの意見を有し居る由なり


中外商業新報 第五六二四号 明治三三年一〇月二六日 一昨夜の有楽会(DK230009k-0013)
第23巻 p.81-82 ページ画像

中外商業新報  第五六二四号 明治三三年一〇月二六日
    一昨夜の有楽会
有楽会にては一昨二十四日午後五時より三井集会所に於て例会を開きしに、出席者は二十七名にして、予て同会にて委員に付托調査中なりし小銀行濫設に対する矯正策・貯蓄奨励法並貯蓄銀行取締法に就き委員より調査の結果を報告ありしも、右は孰れも熟考を要する問題に付次会まで其討議を延期することゝなり、次に同夜は東京湾築港に関す
 - 第23巻 p.82 -ページ画像 
る古市博士の説明ある筈なりしも、同博士に支障ありて出席なかりし為め是亦次会に延期することゝなりたり、次に会員中より特に委員を挙げて神戸港に於ける海陸聯絡に対する政府の方針を問ひ、且本年の予算には同経費を編入せられあるや否やを確むべしとの提案ありしに多数にて之を可決し、委員には渋沢栄一・益田孝・園田孝吉・早川千吉郎・加藤正義の五氏を選挙し、次に末延道成氏より、現時に於ける補助貨金一銀廿八にして品位高きに過ぐるにより、此先き銀価の騰貴を見るに至らば補助貨を外国に吸収せらるゝ虞あるにより、今少しく其品位を低下しては如何との発議ありしが是亦多数にて可決し、之が調査委員には末延道成・高橋是清・豊川良平・都筑馨六・三崎亀之助氏を挙げ、同八時卅分頃散会したる由


銀行通信録 第一八〇号・第七四一頁 明治三三年一一月 有楽会(DK230009k-0014)
第23巻 p.82 ページ画像

銀行通信録  第一八〇号・第七四一頁 明治三三年一一月
    有楽会
有楽会にては十月二十四日午後五時より、三井集会所に於て例会を開き、兼て委員付托中なりし小銀行濫設に対する矯正策・貯蓄奨励法並貯蓄銀行取締法に就き委員より調査の結果を報告(其報告は載せて本号内国銀行要報欄にあり)ありしも、右は孰れも熟考を要する問題に付次会まで其討議を延期することゝなり、次に東京湾築港に関する古市博士の説明ある筈なりしも、是亦次会に延期することゝなり、次に会員中より特に委員を挙げて神戸港に於ける海陸聯絡に対する政府の方針を問ひ、且つ本年の予算には同経費を編入せられあるや否やを確むべしとの提議あり、多数にて之を可決し、委員には渋沢栄一・益田孝・園田孝吉・早川千吉郎・加藤正義の五氏を選挙し、次に末延道成氏より貨幣法に於ける補助貨は品位高きに過ぎ、此先銀価の騰貴を見るに至らば補助貨を外国に吸収せらるゝ恐あるにより、其品位を改正するの必要ありと信ずるを以て之を調査すべしとの発議ありしに、是亦多数にて可決し、調査委員に末延道成・高橋是清・豊川良平・都筑馨六・三崎亀之助の五氏を挙げ散会したり



〔参考〕中外商業新報 第五六三五号 明治三三年一一月九日 有楽会の建議(DK230009k-0015)
第23巻 p.82-84 ページ画像

中外商業新報  第五六三五号 明治三三年一一月九日
    有楽会の建議
 有楽会にては神戸に於ける海陸運輸機関の聯絡其他輸出入機関の設備速成を計るの件に関し今回左の如き建議書を其筋に呈出したる由
    神戸に於ける海陸運輸機関の連絡其他輸出入機関の設備速成を計るの建議
神戸に於ける海陸運輸機関の連絡其他輸出入機関の設備を速成するは目下の急務なりと認むるに就き、政府は右設備の速成を計画せられ、該費目の予算を本年議会に提出せられんことを玆に及建議候也
     理由
太平洋上に於る地勢上、米清貿易か我邦を経由すべきは自然の数にして、我邦は恰も両国貿易を仲介し、其中央繋船所たり中央倉庫たるに最も適当なる地位を占むるが故に、吾人は此天然の形勢を充分に利用し、我邦をして東洋貿易の中心たらしめ、仍て以て大に我貿易の発達
 - 第23巻 p.83 -ページ画像 
を企画せざる可からず、而て現今米国船の寄港するは横浜・神戸の二港にして、特に貿易上の関係に於ては神戸は最重要なる地位を占むるものなれば、同港を以て東洋貿易の中心たらしめ、米国より支那に輸出する貨物は先神戸に集注し、其北清・中央及南清行等のもの皆爰に区分せられ、更に神戸を発足点として清国の各目的港に向はしむるの方針を立てざる可からずと信ず、然るに目下の実際を観るに、北清及中央支那に対する貿易は乍遺憾依然上海を以て中心とせり、而して我邦は優勝なる地位を占むるに拘らず、対清貿易上一籌を上海に輸する所以のものは何ぞや、他なし上海は水陸運輸機関の設備整頓し貨物の揚卸に便利なると同時に、中央及北清の各港に航海する船舶の往復頻繁にして、加ふるに税関の取扱上に於ては戻税等の便法を設けあらゆる便宜を供しあるも、反之神戸港に於ては海陸運輸機関の連絡なく、支那各港との船舶の往復亦尠く、輸出入手続亦簡捷を欠き、何れの点より観るも上海に及ばざること遠く、今日の状態を以てしては到底神戸港を東洋貿易の中心として利用し能はざるに由る
例ば彼の台湾茶は我新領土の重要輸出品なるが、其之を米国に輸出するや基隆港より神戸に輸送し神戸より直接米国に積出すこと最も捷径なるに拘らず、今日にありては淡水より一度之を厦門に送り、而して米国船舶は其寄港を好まされども尚ほ迂路を忍んで厦門に赴き之を積取り、我神戸を経由して米国に向ふを常とす、此一例に徴するも神戸港に於ける設備を速成するの急務たるや明なり、惟ふに大阪築港の完成する暁に於ては之をして東洋貿易の中心たらしむることを得べけれども、該築港の完成は俄に之を望む可からず、従て神戸港の設備をして目下の必要に適応せしむる限度に於て整頓せしむることは、政府並営業者の鋭意力を竭さゞる可からざる所なりと信ず
加之玆に大に注意を要するものあり、即ち米露経済上の関係漸く親密ならんとする一事是なり、今夫れ両三年を出でずして西比利亜鉄道並東清鉄道完成し、一端は浦塩斯徳に達し他の一端は大連湾に連絡するに及べば、桑港を発したる米国船舶は従来の如く横浜・神戸に寄港するの迂路を取らず、直ちに津軽海峡を経て浦港に出で爰に鉄道と連絡するの計画を立つるなるべく、且此新航路にして実行せらるゝに至れば露国は必ず此航路に保護を加へ之を奨励すべきは蓋し予想するに難からず、従て又米国より支那に輸入する物品は該航路に依り直ちに天津・芝罘・上海等に向ふべく、我横浜・神戸の如きは単に一支航路たるに過ざるに至るべし、事果して玆に迨へば俄かに周章狼狽して神戸港の設備を絶叫するも時機既に遅し、故に今に於て神戸港の設備を完全にし即ち貨物の陸揚及積出を迅速且容易ならしめ、税関と鉄道を連絡して内地への輸送を容易にし、税関の取扱上に於て戻税其他の便益を享有せしめ、倉庫の設備を完ふし貨物集散に便にし、並に支那地方に対する航海を頻繁にする等あらゆる手段を以て神戸港の便宜を増進し、以て新航路の未だ起らざるに先つて神戸港をして東洋貿易の中心たらしめざる可からず、若し夫れ一旦其中心たるの実を挙ぐれば縦令他日新航路の開始あるも神戸港設備の完全並其慣習とに依り、同港をして永く東洋貿易の中心点として継続せしむべきや敢て疑を容れざる
 - 第23巻 p.84 -ページ画像 
なり
然るに神戸の現況を顧るに陸上の設備は不完全にして、特に税関と鉄道とは尠しも連絡なく、唯一の桟橋会社ありて陸揚に便するの外毫も見るべきものなく、貨物の陸揚をなすも税関構内に於て堆積し波浪の浸害を蒙ること珍しからず、其他天然力に対する保護の設備は一も之なき姿にて寔に不完全極れりと謂つ可し、幸に横浜税関に於ては小規摸ながら直に埠頭に船舶を繋泊せしめ、及鉄道と税関とを連絡するの設備を計画されたるも、之より一層必須なる神戸港に於て未た這般の計画なきは洵に遺憾と謂はざる可からず、故に政府は財政多端の際なれば他の新事業は姑く之を差し措くも、神戸港の設備に対しては速に適応の計画を立て予算を編製して本期議会に之を提出せられんことを切望の至りに堪へざるなり
  明治三十三年十一月 日


〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三四年(DK230009k-0016)
第23巻 p.84 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年    (渋沢子爵家所蔵)
一月廿八日 曇
○上略 午後四時三井集会所ニ抵リ有楽会ヲ開ク、井上伯来会、古市博士来リテ東京湾築港ノ事ヲ演説ス ○下略



〔参考〕銀行通信録 第三一巻第一八三号・第三二〇頁 明治三四年二月 東京湾築港に対する有楽会の決議(DK230009k-0017)
第23巻 p.84 ページ画像

銀行通信録  第三一巻第一八三号・第三二〇頁 明治三四年二月
    ○東京湾築港に対する有楽会の決議
有楽会にては一月二十八日の会合に於て東京湾築港問題を討議し、今日の経済界に於て斯る大工事を起すは策の得たるものにあらざるを以て、他日経済界の回復するを俟ちて工事に着手すべしとの議決を為したりといふ