デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

8章 政府諸会
1節 諮問会議
1款 鉄道会議
■綱文

第23巻 p.108-111(DK230015k) ページ画像

明治26年2月10日(1893年)

是日栄一、第一回鉄道会議ニ出席シテ北陸線ヲ坂井・伏木両港ヘ連絡スルノ必要ヲ主張ス。容レラレズ。


■資料

第一回鉄道会議議事速記録 第八号 明治二六年二月一〇日(DK230015k-0001)
第23巻 p.108-111 ページ画像

第一回鉄道会議議事速記録  第八号 明治二六年二月一〇日
 明治二十六年二月十日(金曜日)午後一時三十七分開会

    議事日程
  一 鉄道新設線路ニ関スル件
     但議案別ニ配布セス
 - 第23巻 p.109 -ページ画像 

    出席
  議長  川上操六
  議員  箕浦勝人  有島武  若尾逸平  渋沢栄一 ○外十九名氏名略

  北陸線  第一読会
  〔書記北陸線路議案ヲ朗読〕
    線路ノ形勢設計ノ概況
 本線路ハ敦賀停車場ニ起リ、杉津・今庄・鯖江・武生・福井・金津大聖寺・動橋・小松・金沢・津幡・石動・高岡ヲ経テ富山ニ達ス、敦賀ヲ距ル百二十三哩五十七鎖余ナリ ○中略
  興業費 七百二十万六千百九十三円
        毎一哩ニ付五万八千二百四十六円
○中略
  北陸線  第二読会
○山口圭蔵(二十五番) 本員ハ此北陸線ノ設計ハ誠ニ適当ニ出来テ居ルト考ヘマスカラ、原案ニ賛成致シマス、殊ニ此坂井港ニヨラズシテ真直ニ往クト云フコトハ軍事上ニ於キマシテ利益ノコトデアルト思ヒマス ○中略
○有島武(三番) 二十五番ニ賛成シマス
○中略
○渋沢栄一(二十四番) 只今絵図面ニ就テ当局者ノ御説明ヲ伺ヒマシタガ、此坂井港若クハ伏木港アタリノ海岸ニ接続セヌト云フコトハ、斯カル理由ト云フコトヲ承リマシタガ、再ビ熟案シテ見マスルト、伏木ト申ス場所抔ハ、第一越中ノ重ナル物産ノ米ノ海運ニヨルノハ、多ク坂井港若クハ岩瀬アタリニアラウト思フテ居リマス、又肥料物ノ類ヒノ当国ニ這入リマスモノモ、此港ニ依ラザルヲ得ナイト思ヒマス、然ル必要ガアル以上ハ高岡ヘナリ富山ヘナリ支線ガ聯絡スルデアラウト云フ想像モ起キマスカラ、敢テソコマデノ連絡ヲ付ケテ置カヌデモ宜シイト云フモ一案デハゴザイマセウガ、玆ニ北陸鉄道ヲ定メテ此工事ヲヤツテ往クニ付テハ、其必要ナ場所ヲ限リマスノハ、鉄道其物自身ノ経済ヲシテモ欠ケル所ガアリハシナイカ、果シテ此概算ノ取調ベナドニ付テ若シ之ヲ入レルモノトシタナラバ、其距離丈ハ少フゴザリマスケレドモ、アノ通リ川ノ多イ地デゴザリマスカラ、ソコデ不便デアル為メニ、運搬ヲ川ニ採ルト云フヤウナ他ノ方法モ生ジハ致シマスマイカ、最モ伏木ノ如キハソレヲ寄セルト云フニ就テハ、地方ニ色々ノ感情ヲ生ジヤウト云フ説モ承リマシタケレドモ、殊ニ伏木港ニ於テハ是非是ニ連絡サセ得ルモノナラバ連絡サセタイト私ハ希望致シマス一応ドウシテモ出来ヌモノデアルカト云フコトヲ、当任者ノ御方ニ御伺ヒ申シタウゴザリマス
○松本荘一郎(十八番) 誠ニ御尤モノ御尋ネト存ジマスガ、第一ニ坂井港ニ付キマシテハ、地方ニ於テモ是非アレニ線絡ヲ寄セテ貰ヒタイト云フ希望ガ厚フアルノミナラズ、或ハ寄セタ方ガ鉄道ノ経済上カラ
 - 第23巻 p.110 -ページ画像 
申シテモ能クハ無カラウカト申スノデ、即チ測量ハ本線路ト同様ニ精密ナ測量ヲ遂ゲタノデアリマス、然ルニ其結果ハ曩ニ申上ケタ通リ、余程迂回致シマシタノデ、殆ド六哩ト記臆致シマスガ、ソレガ為メニ線路ガ延ル ○中略 鉄道ノ方デハ迂廻スレバソレ丈哩数ニ乗シテ賃銀ヲ余計取ルカラ、格別直接ニ利益上カラ関係ハ無イカ知ラヌガ、鉄道ヲ利用スル人ノ方カラハ随分迷惑ナ訳デアル、故ニ本線ハ此様ナ所ヲ迂廻スヘキモノデ無カラウト云フノ考ヘヲ以テ、廻ラナイコトニ致シタノデアリマス、伏木ノ方モ是ハ唯迂廻スル距離ガ阪井港ニ較レバ短イト云フ丈デ、理由ハ全ク同ジ事デアリマシテ、矢張リアレニ流レテ居ル川ヲ下ツテ出ル所ノ米其外ノ貨物ハ、矢張リ港口マデ出ズシテ、鉄道ニ依ルコトモ出来マセウシ、又サウナリマスレバ此港ニ依テ這入ルモノハ鉄道ニ依ルカラ余リ湊ヲ使フ必要ハ無クナルカモ知ラヌガ、併シナガラ直ニ米ニ限ラズサウ云フ先ヅ粗雑ト称スベキ品物蒿ガ高イカ目方ガ重イカ、鉄道ニ依ルヨリモ船ニ依ル方ガ宜イ、運賃デモ船ノ方ガ廉イ、先日モ申上ゲタ様ニ今日ノ運賃ハ兎モ角モ鉄道ガ出来レバ船ノ方モ運賃ヲ下ゲルコトガアラウト思ヒマスカラ、下ゲラレル丈下ゲテ値ガ廉ケレバ船ニ依ル者モ多ウゴザリマセウガ、其時分ニ成テハ運輸ノ景況ガ今日ト一変スルニ違ヒナイカラ、一変シテモ猶ホ鉄道ヲ其湊ニ持テ往クノ必要ガアレバ、短イ所デアリマスカラ支線ヲ設ケテモ之ヲ設ケルコトハ望ム者ガアレバ私設ヲサセマスカ、或ハ望ム者ガ無クテモ、支線ヲ設ケテ大ニ地方人ニ利用サセルノミナラズ、鉄道ノ経済ニモ二十四番デシタカ言ハレマシタ通リ、鉄道ノ経済ニモ助ケルコトガアレバ、矢張リ官設支線ヲ設ケテモ差支ナイト思ヒマスガ、ソレハ将来ノ運輸ノ景況如何ニ依テ致サヌト、本線ハ只今ソレガ為メニ此方ニ迂回サセルト云フコトハ得策デナカラウト云フ、即チ図面ノ上ニモ赤イ色デ現ハシタ線路ヲ執リタイ云フ考ヘデ起シマシタ次第デアリマス、猶ホ御尋ネガアレバ申上ゲマス
○渋沢栄一(二十四番) 再ビ御説明デ能ク分リマシタガ、私ハ其仕舞ニ御述ベニナリマシタ支線云々ヲ、果シテ此布設ガアツタ以上ニ必要ガアツタラ其時ニト仰シヤラヌデ、併セテ此布設ノ設計ヲ御立テナサツタラ能クハ無イカト希望スルノデ、阪井港ノ実況ハ極ク詳ニハ心得マセヌ、其聚散スル貨物モ粗雑デアルカ又値ノ高イ目方ノ少イモノデアルカ……併シナガラ伏木ノ方ニ至テハ粗ホ是迄心得テ居リマスノニハ、越中ノ米ノ多ク東京ニ向テ出マスノハ二十万石・三十万石モアル様ニ覚ヘテ居ル、生産地ハ越中デ消費者ハ東京デアル、ドウシテモ鉄道ニ依ラヌデ船ニ依ルモノト想像スル、又彼地ニ参ル品物ガ他ニ精密ナモノモゴザリマセウガ、前ニモ申上ゲマシタ通リ、肥料物ノ如キハ矢張リ粗大ナ品物デアツテ、重モニ北海道カラ輸入スル、是モ海運ニ依ラザルヲ得ヌ、其重要ナ経済ヲ持テ居ル越中ノ国ニ線路ヲ連絡スルニ就テ、海ヲ離レテ他日ノ考ヘダト云フコトニナサルノハ、少シ欠点迄デハ無イカト私ハ恐ルヽ故ニ、ドウシテモ将来此線路ニ於テ往来ノ人ヲシテ始終迂回サセルコトヲ恐ルヽナラバ、今ノ支線ヲ設計スルコトモ出来マセウ、而シテ是ハ鉄道経済上カラ云ヘバ、必ズ港湾ニ此連絡ヲ附ケタ方ガキツト経済ガ宜カラウト思ヒマス、此処ノ予算上ノ統
 - 第23巻 p.111 -ページ画像 
計デハドウ云フ勘定デモ生ジ得ラルヽガ、実際私ノ想像シテソウデアラウト思ヒマス、殊ニ伏木ニ於テハ希望スルガ、或ハ今ノ坂井港ニ於テモ同様ニ思ヒマスルデ、迂廻スルコトガドウニモ不利益デアルナラバ、支線ヲ接続サセルト云フ設計ガ希望致シタイノデゴザリマス
○松本荘一郎(十八番) 弁論デハアリマセヌガ、今ノ支線ノ事ニ就テ申シマスガ、御承知ノ通リ、法律上此北陸線ハ敦賀ヨリ福井・金沢ヲ経テ富山ニ至ル線路トナツテ居リマスカラ、是ニ猶ホ支線ヲツケルト云フコトニナリマスト、是ハ一ツ支線ノコトガ法律外ノモノデアラウト存ジマス、之ヲ今設計ヲシテ直ニ議スル抔ト云フコトハ迚モ出来ルモノデハナイト存ジマス ○中略
○議長(川上操六) 格別御議論モナイ様デアリマスカラ直ニ確定議ニ致シトウゴザイマス――御同意ノ御方ハ起立シテ下サイ
  起立者  過半数
○議長(川上操六) 過半数デゴザイマス
   ○第一回鉄道会議ハ明治二十五年十二月十三日開会セラレ翌二十六年三月二十二日マデニ逓信省内ニ於テ会議開催セラルヽコト十五度、ソノ間栄一ノ出欠席左ノ如シ。
      明治二十五年十二月十三日   欠席
            十二月十五日   〃
      明治二十六年 一月二十八日  〃
             一月二十九日  〃
             二月四日    〃
             二月五日    〃
             二月六日    〃
             二月十日    出席
             二月十二日   出席
             二月十三日   出席
             二月十六日   欠席
             二月二十二日  欠席
             三月十六日   出席
             三月二十一日  出席
             三月二十二日  出席
   ○三月十六日ニハ太田町・水戸市間馬車鉄道ヲ小機関車鉄道ニ変換敷設ノ件ヲ審議ス。栄一発言ナシ。(第一回鉄道会議議事速記録第一三号)
   ○第一回鉄道会議議員左ノ如シ。(数字ハ議席番号)

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 (1)箕浦勝人   (2)有馬新一  (3)有島武    (4)子爵堀田正養 (5)若尾逸平   (6)伊藤大八  (7)小室信夫   (8)河津祐之 (9)古沢滋    (10)村野山人  (11)石黒五十二 (12)井上勝 (13)斎藤修一郎 (14)佐藤里治  (15)児玉源太郎 (16)川田小一郎 (17)渡辺洪基  (18)松本荘一郎 (19)谷干城   (20)高橋維則 (21)中根重一  (22)山根武亮  (23)田村太兵衛 (24)渋沢栄一 (25)山口圭蔵