デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

8章 政府諸会
1節 諮問会議
1款 鉄道会議
■綱文

第23巻 p.133-135(DK230020k) ページ画像

明治27年1月17日(1894年)

是日栄一、栄一外十名ノ連署ニナル北陸線中線路再画定ノ件ヲ当会議ニ建議シ、審議ヲ経テ再調査ニ決ス。


■資料

第三回鉄道会議議事録 第五号 明治二七年一月一七日(DK230020k-0001)
第23巻 p.133-135 ページ画像

第三回鉄道会議議事録  第五号 明治二七年一月一七日
 明治二十七年一月十七日(水曜日)午後一時三十分開議
    出席
  議長  川上操六
  議員  佐藤里治  渋沢栄一 ○外十七名氏名略
    鉄道北陸線中線路再画定ノ件ニ係ル建議
 鉄道北陸線中福井県下森田ヨリ石川県下大聖寺ニ到ル線路ハ、森田ヨリ金津ヲ経テ熊坂峠ヲ上リ隧道ヲ洞キ下リテ大聖寺ニ出ルノ設計ニ依リ、已ニ決定相成居ルト雖トモ、此間ノ線路ヲ更定シ、三国・吉崎ヲ経テ大聖寺ニ達セシメハ、鉄道築造上・鉄道利用上・鉄道営業上及地方経済上ニ関シ、別紙理由書ノ如キ利益アリト云フ、而シテ三国港ノ如キ北陸著名ノ港市ヲシテ鉄道ノ利益ヲ享有セシムルハ地方人ノ最モ熱望スル所ニシテ、鉄道全般ノ観察ヨリスルモ、本員等モ亦此ノ地方人民ノ希望其理無シトセス、今ヤ百歳ノ長計ヲ定ムルノ秋、宜シク夫遺算ナカランコトヲ祈望ス、仰冀クハ此区間ノ線路ヲ再調査ニ附シ、果シテ利便ナレハ更定ノ詮議アランコトヲ焉
 右鉄道会議議事規則第八条ニ依リ提出候也
  明治二十六年十二月        鉄道会議議員
 - 第23巻 p.134 -ページ画像 
                      渋沢栄一
                      伊藤大八
                      堀田正養
                      小室信夫
                      若尾逸平
                      佐藤里治
                      田村太兵衛
                      斎藤修一郎
                      渡辺洪基
                      村野山人
                      箕浦勝人
    鉄道会議議長 川上操六殿
     理由書
 ○上略
 本線路ノ更定ヲ必要トスル理由、及其利害得失ニ関スル事実ヲ指的スレハ左ノ如シ
 一鉄道系統上ノ観察
 (一) 更定線路ヲ以テ既定線路ニ比スレハ、其延長ニ於テ或ハ数哩ヲ増スノ虞ナキヲ保セスト雖トモ、更定線路ニ依ルトキハ、熊坂峠ノ山険及隧道ヲ避クルヲ以テ、越前湯尾ヨリ越中加賀ノ国境倶利伽羅峠ニ至ル迄、スヘテ平坦ノ軌道ヲ敷クヲ得ヘシ
 (二) 更定線路中三国・吉崎間ハ海岸ニ近シト雖トモ、此ノ海岸ハ一帯ノ丘岡ヲ以テ障塀トシ、而テ軌道ハ其麓陰ノ低地ナル小牧街道北潟湖ニ沿テ敷設スルモノナルカ故ニ、此ノ海岸及此ノ辺海面ノ形勢ニ於テ、国防上毫モ危険ノ虞ナキヲ保スヘシ
 二鉄道築造上ノ観察
 (一) 既定線路ニ依ルトキハ、三国港ヨリ森田・金津ニ至ル間築造材料ノ舟運、凡ソ十貫匁ニ付金五銭ノ運賃ヲ要ス、加之九頭竜・竹田ノ両川ハ夏期ニ涸レ、冬期ニ凍リ、或ハ吹雪ノ為メ、又春秋ニハ屡々暴ニ激漲シ、舟楫ノ便ヲ絶ツヲ以テ、此ノ間殊ニ工事用軌道ヲ敷設セサルヲ得サルヘシト雖トモ、更定線路ニ依ルトキハ、直ニ三国港ニ於テ起工セラルニ付、右ノ如キ一時消耗ノ経費ヲ要スルコト莫シ ○外一項略ス
 三鉄道利用上ノ観察
 (一) 更定線路ニ於テハ隧道山険ヲ避ケ、平坦軌道ヲ行クコトヲ得ルカ故ニ、軍事並ニ一般交通ノ使用上常ニ最モ安全ノ利アリ、且時間ニ於テモ却テ速達ノ便アリ、加之三国港ノ如キ、沿海無比ノ商業地ニ連絡スルニ由テ、鉄道利用ノ資料ヲ増加スルコト亦莫大ナリトス ○外一項略ス
 四鉄道営業上ノ観察
 (一) 北陸道加賀・越前二国ニ渉リ、古来商船ノ出入最モ頻繁ニシテ、且近時鉄桿堤築港ノ工業ヲ修メタルモノハ、特リ三
 - 第23巻 p.135 -ページ画像 
国ノ一港アルノミ、本港ハ凡ソ三千ノ商戸ヲ以テ完全ノ市街ヲ構成シ、百貨港頭ニ輻湊シ、舟車・旅客・汽船・帆船日夜出入間断ナク、以テ越前嶺北ノ七郡及加賀ノ江沼・能美・石川三郡ノ輸出入物ヲ集散スルノ繁盛ヲ占有スル沿海無比ノ商港ナルヲ以テ、必ス鉄道ヲ本港ニ連絡セシメサルヘカラス、蓋シ既定線路ノ如ク、寒宿ヲ通ホシテ原野ヲ行クハ、鉄道収入ノ増加ヲ図ル所以ノ設計ニ非ス ○外四項略ス
   ○渡辺洪基ノ提案説明、並ニ松本荘一郎・児玉源太郎・寺内正毅トノ質問応答略ス。
○二十三番(渋沢栄一) 私ハ昨年北陸線決定ノ時分ニ、九番 ○児玉源太郎当リカラエライ御叱リヲ蒙ル、海ヘ寄ル方ヲ申シ出シマシタガ、其説ハ立チマセナンダデゴザイマス、即チ此海ヘ寄ルト云フ三国港ノ方ヲ取除ケテ仕舞フト、甚タ鉄道布設ノ経済上カラ損デアラウト云フ考ヲ持ツテヰル一人デアリマス、成程国防上カラ危険デアルト云フコトハ、夫ハ構ヒマセヌト申ス訳デハゴザリマセヌガ、大ナル恐ノナイ限リハ此経済上ノ必要ト矢張リ之ヲ取混ゼテ用ルガ宜カラウト思ヒマス、故ニ再調査ヲ是非希望スル一人デゴザイマスガ、果シテ決定スルコトデモゴザイマセヌカラ、再調査ニ反対ノ御説ハ余リ強ク御主張ガゴザイマセヌ様ニ希ヒ上ゲマス
○議長(川上操六) 再調査ヲスルト云フコトニ御同意ノ方ハ起立シテ下サイ
  起立者  過半数
   ○北陸線森田・大聖寺間予定線ハ、既ニ第一回鉄道会議ニ於テ決定セラレタリ。本款明治二十六年二月十日、同二十七年六月十九日ノ条参照。
   ○右建議ハ議長ヨリ逓信大臣黒田清隆ニ呈出セラレ、当局ハ再調査ノ結果之ヲ明治二十七年六月十八日第四回鉄道会議ノ席上松本荘一郎ヨリ報告セシメテ、予定線ハ再測量ノ結果全線尽ク百分一勾配ニ修正スルヲ得。三国迂回線ニ比シ四哩短ク工費亦十万円少シ、且三国迂回線ハ途中水害ノ危険多キ地点二個所アリ、之ヲ実施スベカラザル旨ヲ告ゲタリ。(第四回鉄道会議議事速記録第一一号明治二七年六月一八日ニ拠ル)
    而シテ此ノ間三月ヨリ五月ニ亘リ大聖寺・金沢ノ人民ハ三国迂回線ノ請願ニ反対シ、既定線敷設ヲ主張シ、福井商業会議所ハ三国迂回線ノ敷設ヲ主張スル等、地方民ノ請願・建議亦盛ナリシモ、鉄道庁ハ依然予定本線ヲ変更セズ、二十八年六月森田・金沢間ノ工事ヲ起シ、三十一年四月福井・金沢間開通スルニ至レリ。(日本鉄道史中篇第一二七―一二八頁参照)
   ○第三回鉄道会議ノ開催日及ビ栄一ノ出欠席左ノ如シ。(第三回鉄道会議議事速記録第一号―第六号)
      明治二十六年十二月十一日(開会)出席
      〃     十二月二十一日   出席
      〃     十二月二十三日   出席
      明治二十七年 一月十五日    欠席
      〃      一月十七日    出席
      〃      一月十九日(閉会)出席
    十九日ノ会議ニハ発言ナシ。(第三回鉄道会議議事速記録第六号)
   ○明治二十九年十二月十四日条参照。