デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

8章 政府諸会
1節 諮問会議
3款 法典調査会
■綱文

第23巻 p.159-163(DK230027k) ページ画像

明治30年1月20日(1897年)

是日栄一、法典調査会委員ヲ仰付ラル。


■資料

官報 第四〇六七号 明治三〇年一月二二日 ○叙任及辞令(DK230027k-0001)
第23巻 p.160 ページ画像

官報  第四〇六七号 明治三〇年一月二二日
    ○叙任及辞令
○明治三十年一月二十日
                法制局長官 神鞭知常
                   判事 富谷鉎太郎
               司法官参事官 河村譲三郎
        (各通)
                  従四位 渋沢栄一
                  従六位 鶴原定吉
                  正七位 阿部泰蔵
法典調査会委員被仰付
        文部省専門学務局長法学博士 木下広次
              内務省県治局長 三崎亀之助
        (各通)    正四位男爵 伊東巳代治
            正四位文学博士男爵 末松謙澄
                  従六位 山田喜之助
法典調査委員被免以上(一月二十日内閣)



〔参考〕東京経済雑誌 第三四巻第八五四号・第一〇〇六頁 明治二九年一二月五日 ○法典調査会に於ける実業者の委員(DK230027k-0002)
第23巻 p.160 ページ画像

東京経済雑誌  第三四巻第八五四号・第一〇〇六頁 明治二九年一二月五日
    ○法典調査会に於ける実業者の委員
法典調査会は悉く博士・学士の専門家にして法理及び立法上の智識に富むの人々なれば、民法の調査等には格別の差支なきも、商法の調査には所謂商業社会に於ける各種の慣例、其の他商号又は株式会社に於ける資本の規定等、大に商業上に経歴ある人々の意見を徴する必要あるを以て、其筋に於ては同委員の中に実業者を加ふべしとの議ありと云ふ



〔参考〕竜門雑誌 第一一六号・第四七―五二頁 明治三一年一月 ○法典に関する意見(DK230027k-0003)
第23巻 p.160-163 ページ画像

竜門雑誌  第一一六号・第四七―五二頁 明治三一年一月
    ○法典に関する意見
 左の一篇は清浦法典調査会副総裁の法典実施に関する意見なり、掲げて参考に供す
国を建てゝ玆に二千五百有余年、其間邦家の外交事務幾変遷を経たり然れども我対外的国権の消長、国利の損益に関しては王朝の盛時は云ふも更なり、戦国時代より徳川覇業の初期に至るまで常に開国進取の方針に依り主義的政策を採らざるはなかりき、然るに寛永の厳令より続きて「異国船見掛次第二念なく打払申すべし」との文政攘夷令を布くに至り、遂に我邦家外交鎖国の方針に転じ因襲幾百年、世は桃花源裏に太平の春を夢みたり
嘉永六年浦賀に於ける米国軍艦の警醒に遭ひ、鎖国の夢一たび破れてより玆に創めて我維新外交条約の端緒を見ることゝはなりぬ、然りと雖ども当時の国情たる幕府は排幕鎖攘の国論を鎮圧せざるべからず、外列強の来迫に接せざるべからず、この際に処する幕吏の苦心豈夫れ容易ならむや、而も其局に当るもの未だ世界の大勢列強の実力を審にする者あらず、国際上の権義なるもの果して如何なるやを知らず、こ
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のを以て当時《(故脱)》の外交たる苟且偸安専ら外人を欄阻するを以て目的とし邦人との交通を自由にし為めに事端滋からむことを懼れて居留地域を限定し、領事裁判権をして其交渉の煩累を避けむとするが如き、勉めて外人をして我統治権外に排阻せんとするの消極的政策に出でたるを以て、否寧ろ只彼が欲するまゝに其提議を認識したるを以て、此際に於て締結せられたる嘉永七年のペルリ条約、安政五年のハルリス条約より次で英蘭露仏諸国の条約に至るまで、一も我国権国利の損益に顧みること能はざるの不幸に陥れり、爾来慶応末年今帝登極の初「内外政事親裁之」云々の国書を締盟諸国に交付せらるゝに及ぶ、前後の期間に至るまで、未だ我対外国是一定せず内は朝廷幕府間権力の衝突あり外は安政条約実践の準備未だ全からず、加之我有司の国際に慣はざる等為めに当時の外交は一蹉一跌常に必ず彼に輸籌して幾多の譲与を為すを免ず、或は条約補則と称し或は議定変更と称し遂に輸入品目の追加、輸入税率の減額を強談せらるゝの已むを得ざるに至り、嗚呼斯る国情の下に於て外列強との条約を締結す、固より我れに多きを望むこと能はざるべしと雖も「此締結条約が我四千万同胞四十年間屈辱歎嘆の源泉となり、今日猶其涙痕を拭ふ能はず」其間或は暴徒の狂力逐に国務大臣の生命を危くせむとするに至り、或は政党政綱の題目と為り台閣交迭の動機たるに至らむとするが如き、今日より之を追想するに転た感慨に耐へざる者あらずんばあらざるなり
斯の如く我国権国利の上に於て絶大の傷損を包有するの条約なるを以て、明治五年其改正期に達するや否や我政府は岩倉全権大使・木戸・大久保・伊藤・山口の四副使を締盟列国に派遣し、以て之が改正を希図したりしも遂に其効果を収むること能はず、爾来我内閣は幾交迭を重ぬるも朝に枢機に参するの大臣は此条約改正の一案件を以て我国政上の一大責務とし、常に必ず此改正事業に惨憺たる経営を労し或は法権の恢愎を期するあり、或は関税の増率を図る種々其提案を更へ、或は委員談判となり或は国別談判となり、幾たびか其方法を変ずるも要之常に蹉跌の悲嘆を見るに終りたりき、然りと雖も明治五年の条約改正期より我政府は常に心力を玆に注ぎ各国政府の傾聴馴致したると、我国力の駸進、文物制度の設備稍々完からむとするに至りしと、我外交家として特得の手腕を有する外相の精励とに依り、遂に明治二十七年七月を以て初めて英国と条約改正に効を奏し、継で米・伊・露・独等締盟諸国の条約も改正せらるゝに至り、僅かに余す所の日墺間の改正事業も不日其成効を告げなむとし、日仏間の改正案件は現に共和政庁の元老院に附議せられつゝあり、嗚呼明治政府外交上の一大責務は今や将に解脱せられ、四十年来国民屈辱の顰眉を開くの幸運に逢着せむとす、今左に改正条約実施の期限に関し表を摘示すべし
     締盟国改正条約実施期限表

  条約国名    条約記名の年月日     条約実施の年月日      同上通知の年月日
 英国      明治二十七年七月十六日  明治三十二年七月十五日以後 明治三十一年七月十五日以後
 米国      同二十七年十一月廿二日  同三十二年七月十七日以後  〇
 伊国      同二十七年十二月一日   同三十二年七月十七日以後  同三十一年七月十六日以後
 露国      同二十八年六月八日    同三十二年六月九日以後   同三十一年六月七日以後
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 丁国      明治二十八年十月十九日  明治三十二年七月十七日以後 明治三十一年七月十六日以後
 清国      同二十九年七月廿一日   〇             〇
 独国      同二十九年四月四日    同三十二年七月十七日以後  同三十一年七月十七日以後
 白耳義国    同二十九年六月廿二日   同三十二年七月十六日以後  同三十一年七月十六日以後
 秘露共和国   同二十八年三月二十日   同三十二年七月十七日以後  備考を見よ
 伯剌西爾合衆国 同二十八年十一月五日   批准交換後直ちに実施    〇
 瑞典諾威国   同二十九年五月二日    同三十二年五月三日以後   同三十一年五月三日以後
 和蘭国     同二十九年九月八日    同三十二年七月十六日以後  同三十一年七月十六日以後
 瑞西国     同二十九年十一月十日   同三十二年七月十七日以後  同三十一年七月十六日以後
 西班牙国    同三十年一月二日     同三十二年七月十七日以後  同三十一年七月十六日以後
 葡萄牙国    同三十年一月廿六日    同三十二年七月十七日以後  〇

       備考
  大不列顛国殖民地クヰンスランドが二十七年七月十六日帝国と大不列顛国との間に締結したる通商航海条約に条件を付して加入の儀に付き、両国政府協議の上議定(明治卅年三月十八日外務省告示第一号)米国通商定約第十六条を直ちに実施するの約定(明治三十年三月十二日公布)
  日白領事職務条約(明治三十年七月三十日公布)
  日独条約第十七条及び日瑞条約第十一条は各批准交換の日より実施せらる
  日秘条約は新条約実施の日より別に通知を為さずして旧条約及び諸約定は全然消滅に帰す
改正条約の実施を見、我法権の恢復、我関税の利益を収得するを得るは日英条約に依れば正に明後明治三十二年七月以後即ち今より十八ケ月の後に属すと雖も、之が実施の通知を為し得るは前表下欄に示すが如く実に明治三十一年の近き期限に迫れり、然りと雖も此予告の通知期限たる無条件のものにあらずして日英条約に関する附属公文は曰く
 帝国政府は日本帝国と大不列顛国との間に現存する条約の消滅に帰する時に当りて、帝国政府は既に発布せし各法典の実施せられ居ることの利便なるを認めたるを以て、目下未だ実施中に無之法典の実施せらるゝに至るまでは本日調印せし通商航海条約第二十一条第一項に規定する所の通知を為さゞることを約す
と明約し、而して其第二十一条第一項の規定なるものは曰く
 本条約は調印の日より少くも五ケ年の後までは実施せられざるものとす、而して日本帝国政府に於て本条約を実施せんとする旨を大不列顛政府に通知したる後一ケ年を経るに非ざれば実施せられざるものとす、尤此通知は調印の日より四ケ年を経たる後何時にても為すことを得べし、又本条約は其の実施の日より十二ケ年間効力を有するものとす
と明示せり、乃ち知るべし改正条約実施通知の期限は、附属公文を以て帝国法典実施の後に於て之を為すべしと覊約せられ居ることを、換言すれば近く明年七月以後に於て為し得べき改正条約実施の通知も新法典の実施あるにあらざれば之が権能を全うすること能はず、随て本条約実施の期を延ばさゞるべからざるに至るなり、何者予告の通知と実施の期限とは其間に一箇年の間隔を要すべきは条約の明記する所たるを以てなり、去れば一年新法典の実施を遅緩せしむれば一年新条約
 - 第23巻 p.163 -ページ画像 
の実施を延期せざるべからず、新法典と新条約恰も影の形に伴ふの関係を有す、此を以て我等は日夜新法典の成効に心力を注ぎ、幸に調査委員の非常なる勉励に依り今や将に完了の期に垂々とし本年第十一議会に附議し速に其協賛を経、大権の裁可を仰ぎ是が実施の暁を蹺望する切なりや
夫れ現行条約規定の我国権国利の上に絶大の傷損を与へ居るは今更我輩の喋々を要せざる所、明治政府が之が改正事業の為めに惨憺たる苦心経営を重ねつるは識者の明認する所にして、是れ果して何の為ぞ、明治二十三年我皇憲法を欽定せられ臣民に参政権を附与せられしより帝国議会を開く既に十回、議政堂上条約改正・法権恢復・税権回収を叫喚する国民の声を聴かざる日とてはなし、是れ果して何の為ぞ、我帝国領地域内に於て居留地を限定し領事裁判権の特例を存し、為めに独立帝国の面目を涜し統治の主権に一大瑕瑾を与へ、随て我司法権に我警察権に其執行上幾多の阻礙を来し、延きて我人民の権義に云ふべからざる不便を蒙るの不面目を擺脱せんと欲するが為にあらずや、国家歳計の上に於て一大税源たるべき我海関税は条約上比類なき低率の拘束を受け、随て関税収入の少額なると同時に此低率関税の間接に冥冥裡に我が生産業者に及ぼす影響の不幸を排除せむと欲するが為めにあらずや、今其筋に於て調査したる関税収額表を見るに明治二十九年度に於ける収額総計は四百九拾余万円にして、税額平均歩合は僅かに三分七厘強に過ぎず、是を新条約上増率より来るべき必然の収額として計上せられたる千四百有余万円平均歩合一割一厘強に比すれば、我歳計予算上将に九百五拾有余万円の増収入を見るに至らむとす、固より未だ関税主権の絶対的独立を見るを得ざれば遺憾なりと雖も、抑又我財政上幾多の整理利便を得るに至るは豈条約改正の賜と云はざるべけんや
嗚呼四十年来忍びに忍びたる我国権国利の屈辱傷損を洗脱し得るも今や新法典実施の期と共に近く十八箇月の後に来らんとす、此際此時に於ける我政界志士の覚悟果して那辺に存すべき乎、今や我政党政客内政の問題を囂々するの時に当り第十一議会開門の間際に於て此新条約対新法典の事実を縷述する、豈夫れ財政整理・行政刷新の攻撃を覆はむと欲するが為ならむや、抑も我国権国利の上に於て屈辱を永うし能はざるものあるを以なり、我豈弁を好まむや