デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

8章 政府諸会
1節 諮問会議
6款 農商工高等会議
■綱文

第23巻 p.284-302(DK230034k) ページ画像

明治29年10月19日(1896年)


 - 第23巻 p.285 -ページ画像 

是日、第一回第一日ノ会議ノ劈頭、農商務大臣子爵榎本武揚・外務大臣伯爵大隈重信・農商務次官金子堅太郎ヨリ我国農商工業ノ現状ト当会議開設ノ理由ニツキ演説アリ。之ニ対シ栄一、一議員トシテ一場ノ演説ヲナシ、各諮問案ニ対シ忌憚ナク審議スベキ旨ヲ述ブ。


■資料

第一回農商工高等会議議事速記録 第六―三四頁 明治三〇年四月刊(DK230034k-0001)
第23巻 p.285-302 ページ画像

第一回農商工高等会議議事速記録  第六―三四頁 明治三〇年四月刊
明治廿九年十月十九日(月曜日)午前十時農商務省議事堂ニ於テ開会
出席者十九名欠席者三名ニシテ、仮席次左ノ如シ
             出席者
              議長 伯爵 佐野常民
              副議長   金子堅太郎
              一番 男爵 鈴木大亮
              二番    藤田四郎
              三番    安藤太郎
              四番    藤井三郎
              五番    添田寿一
              六番    渋沢栄一
              八番    土居通夫
              十番    中上川彦二郎
              十一番   大倉喜八郎
              十二番   原善三郎
              十三番   広瀬宰平
              十四番   益田克徳
              十五番   益田孝
              十六番   近藤廉平
              十七番   森村市左衛門
              十八番   浜岡光哲
              二十番   山本亀太郎
             欠席者
              七番    藤田伝三郎
      左ノ両議員ハ外国旅行中ニ付閉会マテ欠席
              九番    園田孝吉
              十九番   井上角五郎
 午前十時三十分開議
 同時農商務大臣子爵榎本武揚君・外務大臣伯爵大隈重信君・逓信大臣子爵野村靖君特ニ臨場アリ
○農商務大臣子爵榎本武揚君演説
 諸君、是ヨリ本会ヲ開キマス、大体ノ趣意ヲ一言致シマス(左ノ朗読アリ)
  第一回農商工高等会議ノ召集ニ応シ、会同セラレタルハ、本大臣ガ各位ニ向テ、深ク謝スル所ナリ
  今ヤ帝国ハ、戦勝ノ利益ヲ享有シ、又改正条約実施ノ期モ近キニ
 - 第23巻 p.286 -ページ画像 
在リテ、寔ニ国運進暢ノ一大要期ニ際会スルヲ以テ、上下一致官民協力、各々其分ヲ定メ、其職ヲ竭シ、以テ国家経済ノ道ニ於テ遺漏ナキヲ期スルハ、刻下ノ一大要務トス
  惟フニ如今内地ニ於テ、尚ホ拾収スベキノ遺利尠ナカラズ、従テ国民未ダ海外ニ対シ、力ヲ伸ブルノ必要ヲ、深ク感ゼサルガ如シト雖モ、内外競争ノ結果、到底目下ノ有様ニテ、自ラ安ンズベキニアラザルヲ以テ、今日ニ於テ、海外ニ対スル各種ノ事業ヲ、鋭意計画セザレバ、他日必ラズ大ニ悔ユル所アラン
  内地ニ於ケル、農商工其他各般ノ事業ニシテ、益々其基礎ヲ鞏固ナラシメ、其規摸ヲ広大ナラシメント欲セバ、必ラスヤ進ンテ博ク其販路ヲ、宇内ノ市場ニ求メ、所謂外国貿易ヲ拡張スルニ非サレハ、到底其目的ヲ達スル能ハサル可シ、加旃世界ノ平和ヲ保チ国際ノ交誼ヲ厚フシ、軍備ノ充実ヲ計ルガ如キ、施政ノ要領ヲ全フスルノ手段ハ、重ニ内外貿易ノ進歩ニ在テ存スルハ、本大臣ノ言明ヲ俟タザル所ナリ
  今ヤ宇内各国ノ視線ハ、我邦ニ傾射シ、欧米人民ノ企業、我邦ニ関聯スルモノ甚タ多シ、然ルニ翻テ我海外貿易ノ実況ヲ顧レバ、尚ホ不振ノ域ニ沈淪スルモノ多キハ、上下共ニ遺憾トスル所ニシテ、殊ニ国家経済ヲ企画スルノ任ニ在ルモノハ、日夜憂慮措ク能ハサル所ナリ
  抑モ我邦海外商権ノ振ハサル原因、及ヒ之ガ拡張ヲ図ルノ方法ハ本会ニ於テ本大臣ガ諸君ト共ニ、深ク講究セント欲スル所ノ一大眼目タリ
  各位ハ或ハ朝ニ立チ、或ハ野ニ在リ、常ニ我邦経済社会ノ枢機ニ参与シ、深ク実状ニ通暁セラレ多年ノ経験ニ富メルヲ以テ、玆ニ本大臣ノ諮問ニ係ル議案ニ対シ、十分ノ審議ヲ尽サレ、更ニ進ンデ各位ガ抱持セラルヽ所ノ意見ハ、忌憚スル所ナク之ヲ政府ニ建議セラレ、我富国ノ途ヲ講スルニ遺漏ナカランコト、本大臣ガ特ニ各位ニ切望スル所ナリ
 是レガ大体ノ趣意デアリマス、而シテ諮問ノ大概ハ、過日諸君ノ御手許ニ上ケ置キマシタガ、随分講究討議スヘキ所ノ問題ト信シマス併シ悉ク尽シテ居ルト云フ訳ニハ参リマセヌ、又此他種々緊要ノ事項モアリマセウシ、或ハ諸君ノ希望セラルヽ所モアリマセウガ、其辺ハ十分御討議アランコトヲ希望致シマス、且又経済上ノコトハ、各省ニ渉ルコト多ク、殊ニ本省ニ関係スル所ノコトハ、一般ノ規則又ハ行政上ニ於テ、実業社会ニ不便ト認メラルヽ所ノモノハ、是又併セテ十分御討議アランコトヲ希望致シマス
○議長(伯爵佐野常民君) 是レカラ外務大臣ノ御演説カゴザリマスルガ、其前ニチヨツト申上ゲタイコトハ、今日ハ総理大臣モ御臨席ニナル筈デアリマシタガ、急ニ差支ガ生シマシテ出ラレマセヌガ、此会議ノアル内ニハ一日出席セラレマス、其コトヲ一言致シ置キマス
○外務大臣伯爵大隈重信君演説
 御承知ノ通リ私ガ外務ノ職ニ任ゼラレマシタノハ、僅ニ一ケ月前後デゴザリマシテ、マダ実ハ今日此会ヲ御開キニナルト云フ前後ノ関
 - 第23巻 p.287 -ページ画像 
係ハ一向心得ズニ、突然出席致シマシタノデアリマスルガ、本日何カ一言御話ヲ致スヤウニト云フ御請求デゴザリマシタ、勿論本会ハ農商務大臣ノ述ベラレタル通リ、外国貿易ヲ拡張スルト云フノ一事デゴザリマス、実ハ是レト云フテ特別ニ御話スル程ノ材料モ持テ居リマセヌガ、折角此処ニ出席シタモノデスカラ、一言諸君ノ御聴ニ達シタウゴザリマス
 全体明治十二年ニ農商務省ヲ起シタノデアリマスルガ、其当時内務卿ハ伊藤博文、夫レト私ガ大蔵ニ居リマシテ、内務・大蔵両省ニ跨ツテ居ル所ノ種々ノ農工商ニ係ハル事務ヲ、両省ヨリ移シテ農商務省ヲ置クノ必要ヲ認メ、農商務省設立ノ建議ヲ出シマシタガ、幸ニ裁可ヲ得マシテ其時ニ農商務省ヲ初メテ立テタノデアリマス、其当時其設立ノ目的ハ、世間ニ公ケニナツタカト思ヒマスカラ此処ニ御出テノ御方ハ御記臆モゴザリマセウガ、先ヅ新規ニ斯ノ如キ一ツノ省ヲ置クニ就テハ何カ拠ル所ガ無クテハナラヌ、其時ノ考ヘデハ、英国ニハ商務院(ボールド・オフ・ツレード)ガアル、夫レニ傚ツテ之ヲ立テタノデアル、サウシテ是レハ、他ノ行政ノ組織トハ多少趣ガ異ツテ居リマスル、故ニ農工商ニ関係スル事柄ハ、其時既ニ此農商工会議トモ云フベキモノヲ設ケナケレバ、ドウシテモ此繁雑ナル農工商ノ行政ノコトハ、政府ノ独断ヲ以テスルコトハ出来ナイ、何ンデモ其途ノ実地ニ当ツテ居ル者ト、行政ノ官吏ト相談シテヤツタナラバ、或ハ宜イダラウト云フ考ヘヲ起シタノデアル、然ルニ、其間ニ種々政事上ノ変遷ガアリマシテ、遂ニ今日マテ斯ノ如キ会ガ開ケナカツタノデアリマス、然ルニ、今日此会ノ成立ツタト云フノハ私ハ甚ダ喜ビニ堪ヘナイノデアリマス、必ラズ此会ハ、将来日本ノ農商工業ノ上ニ、最モ利益ヲ与フルコトヽ思ヒマス
 偖此農商工業ト云フモノハ、頗ル範囲ノ広イモノデ、吾々ノ如ク其事ニ関係シナイ者ニハ分ラナイ、農商務大臣カ今御朗読ニナツタ趣意ヲ見マシテモ、先ツ此度ノ会議ハ重ニ商業ノ発達ヲ図ルト云フノデアリマシテ、商業ト云フモノハ文明ノ進歩ニ伴フテ起ルモノデアツテ、国ノ幼稚ナル時ニハ農業、一歩進ンデ製造、夫レカラ更ニ進ンテ商業トナルノデアリマス、先ヅ今日世界ノ有様ヲ見マスルニ、文明国ハ総テ商業国デアル、商業ハ殆ント世界ヲ支配スル如キ勢力ヲ有スルモノデアル、英国ノ如キ、仏蘭西ノ如キ、日耳曼ノ如キ、米国ノ如キ、皆世界ノ商業国デアル、日本モ早晩商業国ニナルニ相違ナイ、商業就中外国貿易ト云フコトガ最モ必要デアル、此商業ト云フモノハ、総テ実業上ノ土台デアル、農業・製造ハ一定ノ主義ニ拠ルコトガ出来ル、所ガ商業ハ耳目ノ及ブ限リ、世界的ノ智識ヲ以テ営ムモノデアツテ、農工業ヲ導クト云フ力ハ商業ニ在ル、実ニ商業ハ大切ナルモノデアリマス
 偖夫レニ就テ、私ハチヨツト申シマスルガ、即チ外国貿易、是レハ直接ニ責任ノアル所デアリマスルカラ、之ニ就イテ述ヘルノハ最モ肝要デアラウト思ヒマス、此国際上ノ貿易ト云フモノハ頗ル広大ナモノデ、中々複雑シテ居リマスルカラ、僅ノ時間ヲ以テ申述ベルコトハ出来ヌ、併シ先ヅ之ヲ約メテ申シマスト、日本ハ国ヲ開イテヨ
 - 第23巻 p.288 -ページ画像 
リ、今日マデ僅ニ四十年デアリマスカラ、商業モ幼稚デアル、俄ニ国ヲ開ヒテ世界ノ国際場裡ニ日本ガ立ツタル時ノ有様ハドウデアルカト云フニ、総テ受身ニナツテ働掛ケト云フコトハ殆ント一ツモ無イ、外交上ニモ、教育ニモ、其他制度文物ヲ輸入スルコト、若クハ陸海軍ノ編制或ハ兵器・商売、皆受身デアル、進ンデ此方ヨリヤルト云フコトハ殆ント無イ、偶々近来ニ至ツテ為シ得タコトハ条約改正デアル、東京・横浜・神戸ニ輸入シ、又ハ輸出スルモノヽ如キモ皆受身デアル、僅カニ製造上・技芸上、或ハ学問上ニ就イテハ、留学生等ガ行ツテ居ルガ、其他ハ三十年以来総テ受身デアル、所ガドウモ四十年間ニ日本ハ驚クベキ進歩ヲシタノデアル、外交モ其他ノコトモ多少働掛ケニナツテ来タト云フ、時勢ニ移ツテ来タノデアル又戦争ノ結果トシテ日本国民ハ余程大胆ニナツタ、又日本ノ人口増殖ノ比例モ中々非常ナモノデアル、此四十年間ニ恐ラク一千万以上ノ人口ガ増シテ居ル、実ニ驚クベキ増加デアル、英国又ハ日耳曼ナドハ、世界デモ人口増殖ノ割合ガ多イ国デアルガ、英国・日耳曼等ヨリモ人口増殖ノ割合ハ増シテ居ル、此漸次ニ増殖スル所ノ人口、今後勃興スル所ノ日本ハ、初メテ受身ノ地位ヲ変スルニ至ルダラウト思フ、玆ニ於テ最モ外国貿易ニ重キヲ置カナケレバナラヌ、既ニ日本モ進ンデ外国貿易ヲ開クト云フコトニナリマスレバ、外国貿易ニ最モ必要ナモノハ何デアルカト云フト、先ヅ遠洋航海デアル、此遠洋航海ニ就テモ、此処ニハ航海業ニ従事シテ居ラツシヤル御方モアリマスルガ、既ニ突然欧羅巴ニ向ヒ、又南洋諸島カラ濠斯太利ニ向ツテ遠洋航海ヲ試ミ、合衆国若クハ「あとらんちつく」ニマデ此航海ヲ開イタノハ、実ニ驚クベキ進歩デアル、殊ニ商業ニ関シテハ数年前カラ、外国ニ向ツテ為替若クハ「こるれすぽんでんす」ヲ為スモノガ続々起ツテ来テ、重ナル世界ノ商業市場ニ稍々金融ノ機関ガ備ハルヤウニナツタ、夫カラ漸次近年ニ至ツテ貿易業ヲ見レバ、甚ダ遅緩ナガラ日本人ノ手ヲ以テ輸入セラレ、又輸出セラルヽモノガ増シテ来タ、是レハ愉快ナルコトデアル、是レマデハ随分四千万ノ人ヲ相手ニ内地ヲ目的トシテ売買ヲシテ居ツタ、夫レデ十分行ケタヤウナモノヽ、農商務省其他ノ所ニ於テ、商業・農業・製造ヲ導クニ有力ナル又最モ経験ノアル所ノモノガ之ヲ導イタ為メニ、総テノモノガ頻々進歩シテ、供給ガ国内ニ余ルヤウニナリ、外ニ向ツテ持出スヤウニナツタ、又此製造業ヲ起シテ来ルニ就イテハ、材料ガ日本ニ無イ、故ニ外カラ輸入シテ来ナケレバナラヌ、其辺カラ導ヒテ漸次ニ輸出入ガ盛ンニナルト同時ニ、日本人ガ商売ヲスル機関ガ足ラヌヤウニナツタト云フノハ御同感デアル、此外国貿易ノ機関ハ遠洋航海・銀行業其他日本人ガ、外国ノ重ナル市場ニ行ツテ問屋ヲ起シ、倉庫ヲ起サナケレバナラヌ、斯ク日本人ガ外ニ向ツテ働クニ付テハ、之ヲ保護スル領事或ハ公使ヲ置クノ必要モ愈々起ツテ来タ即チ此外交官ハ色々ノ関係ガアツテ外国貿易ニハ最モ必要デアル、又私カ此度ノ外交ノ方針モ専ラ此海外貿易ニ力ヲ尽ス積リデアル、今農商務大臣ノ御演説中ニモアル如ク、貿易ハ世界ノ平和ヲ保ツニ最モ必要ナル力デアル、総テノモノ殆ント如何ナル政治上ノ防禦ト
 - 第23巻 p.289 -ページ画像 
雖トモ商業ニハ及バナイ、人民ノ幸福ハ商業ニ依テ保タルヽモノデアル、此貿易ハ世界ノ平和ニ非常ノ関係ガアル、御承知ノ通リ前世紀ハ騒乱ガ打続イテ今日文明ヲ以テ誇ル所ノ、欧羅巴十八世紀ハ殆ンド戦争史ヲ以テ充タサレテ居ル、所ガ十九世紀即チ拿破崙ノ滅亡カラ、先ツ大概ネ太平デアル、此太平ハ何ニ依テ得ラレタカ、即チ十九世紀ノ文明、十九世紀ノ物質的ノ文明ハ勃然トシテ商業ガ盛ンニナツタカラデアル、余程商業ノ関係ト云フモノハ大キイモノデアル、若シ戦ヲ為サウトシテモ商業上ノ関係カアレバ一朝ニシテ事ノ破壊スルヤウナコトハナイ、此力ハ余程強イモノデアル、私ハ東洋ノ平和モ随分貿易ヲ以テ繋キ得ラレヌコトハナイト思フ、諸君ガ将来ニ於テ一個ノ利益、国ノ利益、進ンデ世界ノ利益ノ上ニ働キ出スト云フコトハ、中々政治家ヤ軍人ガ支配スルヨリ余程強イ力ヲ以テ支配スルモノデアル、夫レテ私ハ此会ノ成立ヲ甚ダ喜ブノデアル
 終リニ臨ミ一言述ベタイノハ、是レマデ局外者デ以テ外国貿易ヲ唱フルモノハ、輸出貿易ト云フコトニ偏重シテハ居ナイカト云フコトデアル、先ヅ口ヲ開ケバ輸入ヲ防イデ輸出ヲ為ヨト云フ、ドウカシテ海外ニ輸出ヲ増加セヨト云フ、其他悉ク皆輸出ト云フコト一方ニ傾ク、成程輸出ハ実ニ大切デアルガ、輸出ニ偏スルコトノ甚シイ為メニ我輸入貿易ノ大切ト云フコトヲ忘レテハ居ラヌカト云フ考ヘヲ持ツテ居ル、私ハ輸出ノ大切ナルト同時ニ、輸入貿易モ決シテ輸出ニ譲ラナイ程、大切ノモノデアルト云フコトヲ忘レヌヤウニ願ヒタイ、如何ナル国デモ輸入ヲ全ク防イテ輸出ノミヲスル国ハ無イ、又強イテ国ノ生産事業ヲ発達スル為メニ極度ノ保護税ヲ課シタル国ハ殆ント鴉片ヲ呑ンダヤウナル害ガアル、彼ノ合衆国ハドウ云フ困難ニ逢フタカト云フニ、此極点ノ「ぷろてくしよん」ノ害ヲ蒙ツテ、之ヲ止ントスレバ直グ麻痺スル如キ、実ニ憫ムベキ有様ニ陥ツテ居ル、夫レ故ニ世界ニ冠タル国ヲ以テ、彼ノ如ク膏腴ナル土地ヲ持ツテ居ル新国デアルカラ、力ヲ尽セバドレダケテモ生産ガ出来ル国ガ保護税ヲ課スルト云フノハ、私ハ甚ダ遺憾デアル、就中製造業ノ盛ナル国ニ於テハ保護税ヲ課スル必要ハナイ、勿論輸入モ防ガナケレバナラヌガ、必要ナル商売品ハドシドシ入レナケレバナラヌ、又外国ニ向ツテ商売ヲシヤウト云フニハ、売リモスレバ、買モシナケレバナラヌ、日本ノ品物ヲ倫敦ニ持ツテ行テ売リ、又印度ノ品物ヲ買ツテ来テ倫敦ニ売リ、倫敦カラ買ツテ来タ品ヲ支那ニ持ツテ行テ売ルヤウナコトモアル、国際間ノ貿易ト云フモノハ、是レハ諸君ノ能ク御実験ノアルコトデ、斯ノ如キコトヲ申スノハ甚ダ失礼デアルガ何ンダカ議論ガ一方ニ傾イテ居ルヤウナ感ジヲ持ツテ居ル、私ハ素ト国際間ノ貿易ハ輸出バカリヲ目的トシテハ行カナイ、何処ニテモ利益ノアル所ニ向ツテ貨物ヲ持ツテ行キ、又買ツテ来ナケレハナラヌ、売ル物ハ高イ処ニ持ツテ行キ、買フ物ハ世界ノ一番安イ所ヨリ買ツテ来ナケレバナラヌ、ドウシテモ商売ト云フモノハ万国的ノ性質ヲ以テ居ル、諸君ニ向ツテ斯ノ如キコトヲ申スノハ、是レハ甚ダ失礼ニ当ルカモ知レヌガ、私ノ見ル所デハ、単ニ輸出ト云フ声ガ高ク一部ノ人ガ其間ニ迷フテ居ル所ガアルカモ知レヌト考ヘマスカラ
 - 第23巻 p.290 -ページ画像 
玆ニ一言スルノデアリマス、是レハ贅言カモ知レマシセガ、何ハ兎モアレ、此会ハ既ニ農商務省ヲ立テラレタル以来十数年ノ後、私ガ外務ノ職ニ当ツテ居ル今日、此会ガ成立チ、丁度此会ノ成立ツ時ニ再ビ内閣ニ入リ此席ニ臨ンデ最モ名誉アリ経験アル議員諸君ニ向ツテ一言ヲ述ベルコトハ、甚タ私ノ満足スル所デアル、此以上ドウカ十分力ヲ尽サレテ、此実業界ニ有力ナル諸君ハ此会ノ勢力ヲ以テ外国貿易ノ発達ヲ企図セラレンコトヲ望ミマス
○農商務次官金子堅太郎君演説
 唯今農商務大臣及議長ノ許可ヲ得マシテ、私ハ今回農商務大臣ヨリ御演説ニナリ、又大隈外務大臣ヨリモ御演説ニナリ、本会設立ノ大趣意ハ御陳述ニナリマシテ、諸君ハ御諒知ノコトヽ存シマスルカ、尚此海外貿易ヲ拡張スル為ニ、農商工高等会議ヲ開キマスルコトニナリマシタ、我邦ノ農工商業ノ現況ヲ調ベマシテ、此会ニ報告シテ是ヨリ各種ノ議案ヲ御攻究ナサルヽトキノ、御参考ノ材料ニ供シタイト思ヒマス、聊統計及状況等ヲ調ヘテ置キマシタ故ニ、幸ニ今日ハ関係ノ大臣モ御列席ニナリ、又諸君モ残ラス、外国ニ御出ノ御方ヲ除クノ外ハ御列席ニナリマシテ、復タト得難イ好時機デゴザイマス、故ニ一通リ此会ヲ開クニ至リマシタ理由及又此会ノ力ニ依ルニ非サレハ国家今日ノ進運ニ対スル政策ヲ施スコトガ出来ナイ理由ヲ簡単ニ陳述致シマシテ、諸君ノ清聴ヲ煩ハシタイト思ヒマスル
 曩ニ農商務大臣及大隈外務大臣ヨリ御陳述ニナリマシタ通リ、日本ニハ最モ農商工高等会議ハ、刻下必要ナルノミナラス、海外ノ状況ヲ見マシテモ、欧州ノ商業国・工業国タル邦ハ、孰モ斯ノ如キ高等会議ガアツテ、政府当局ノ大臣及当局ノ官吏相会シテ以テ、国家経済ノ方針ヲ定メツヽアル目下ノ形勢テアリマス、故ニ我邦ニ於テモ今日此会議ヲ開クノ時機ニ達シタト云フコトハ、諸君モ御承知ノコトテアル、併シ其事実ヲ一・二申シマスレハ、近年我農工商業ノ実業ノ発達ト申シマスルモノハ実ニ夥シイモノテ、農ナリ、工ナリ、商ナリ、之ヲ十年前ニ比較致シマスレハ、長足ノ進歩ヲナシテ居ル然ラバ此農産物及製造品ヲ、海外ヘ出シ、又製造品ノ原料カ海外カラ来ルコトハ、独リ棉花ノ印度・支那カラノ輸入ヲ見ルニ、輸入ノ第一ニ居ツテ、輸出金額ハ棉花ニ匹敵シ能ハサル位デアル、此棉花ヲ以テ製造シテ、我邦ニ汎ク需要ヲ充タスノミナラス、進ンテ支那ノ市場ヲ「らんかしや」カラ奪去ラムトスル、既ニ「らんかしや」ノ商法会議所カラ視察員ヲ我邦ヘ送ツテ日本ノ紡績工場ヲ悉ク視察ヲシテ、ソレヲ「らんかしや」ノ商業会議所ヘ報告ヲ致シタノテアリマス、又其他化学原料ノ製造ノ三ツハ、独逸・仏蘭西ヨリ輸入シテ居ツタノガ、今日ハ仏蘭西・独逸ノ輸入ヲ防グヤウニナリマシタ独逸ノ「あるからい」製造場ハ、特ニ人ヲ派出シテ、原料及製造場ヲ見テ、是亦本国ヘ帰ルノミナラズ、日本人ヲ一人代理人ニ傭フテ其者ヲ本国ニ連レテ往ツテ化学原料製造ニ二ケ年使ツテ、十分彼国ノ製造業ヲ見テ、日本ノ化学原料ノ発達ニ対スル政策ヲ執ラナケレバナラヌ、方略ヲ執ラナケレバナラヌト云フテ、昨年ノ冬人ガ参ツタ位デアル、其他各工業ニ就テ一々申シマスレバ、実ニ長イコトデ
 - 第23巻 p.291 -ページ画像 
今日ハ是非トモ海外貿易ヲ盛ニシテ内地ノ製造品ヲ売捌カナケレバナラヌト云フ位ニ、発達シテ居ルコトハ、諸君ガ御従事ナサレ、諸君カ御計画ナサル会社ノ有様ヲ見、考課状ヲ見テモ明ナルコトデアリマス
 又第二ニ明治二十七・八年ノ戦争ノ為ニ我邦ノ形勢ガ一変シテ国民ノ気胆モ大ニ膨脹シテ、是ヨリハ商工業ニ我邦ヲ据置イテ独リ内国ノ商工業ノミナラズ、宇内ノ商工業ニ進ンデ働掛ケテ、是ヨリ宇内ノ貿易場ニ於テ、各国ト輸贏ヲ争フコトニナツテ居ルコトハ是亦諸君ノ御承知ノコトデアル
 第三ニハ、改正条約ノ結果トシテ、三・四年ヲ出テスシテ、内地ニ彼国ヨリ続々進入シテ、生糸ノ産出ナリ、生糸ノ製造場ヲ建テル計画ガ既ニ亜米利加ノ会社ニアリ、又大坂地方デ此工業発達ノ状況ヲ見テ、之ニ対スル「まんちゑすたー」・「らんかしや」ヨリハ特別ニ調査員ヲ出シタリ、又仏蘭西ノ商法会議所デハ、我邦ノ絹織物ノ発達ヲ見テ、此市場ヲ日本人ニ奪ハレヤシナイカト云ウテ、既ニ此間派出員ガ参リマシタ、彼等ノ目的トスル所ハ我工業ノ発達ト共ニ商業ノ発達シテ、彼等ノ亜細亜ノ大花主場ヲ奪ハレ、商業権及工業権ヲ奪ハレヤセヌカト云ツテ、我邦内地ノ状況ヲ視察シテ今三・四年ノ後内地雑居ノ時ニ於テハ、工場ヲ建テ又ハ商業ヲ営マントシテ、横浜・神戸抔ニ数多ノ外国人ガ計画シツヽアル
 此三ガ、則チ近世実業ノ発達ト日清戦争ノ結果及内地雑居ノ暁……三ツヲ目前ニ控ヘテ居ル為ニ、我国民カ気運ニ遭遇シテ将来ノ方針ヲ極メナケレバナラヌト云フ考ヲ、今日起シテ居ルヨリモ外国人ハ或ハ日本ノ商業ヲ二・三割ハ買ヒ被ツテ居ルカモ知レマセヌ、彼等ノ脳裡ニ此日本ガ近世発達ノ刺撃ヲ与ヘタト云フコトハ、実ニ彼国ヨリ視察員ヲ派出スル所ニ依テモ明デアル、然ラバ此商工業経済界ノ維新ニ際シテ、明治初年ノ維新ニ際シテ、官民協力シテ、斯大事業ヲ挙ケタ如ク、農工商業ノ維新ニ就テモ、独リ政府デ其政策ヲ定ムヘキモノテハナイ、又独リ民間ニ於テ此事業ヲ計画スヘキモノニアラズ、所謂官民一致協同シテ互ニ意見ヲ交通シ互ニ胸襟ヲ開イテ此国家将来ニ於ケル大方針ヲ極メルノハ、今日ニ於テ他ニ斯ノ如キ時機ハ再ヒ得難イト考ヘマスル、デ是カ則チ今日マデノ大体デアリマス
 玆ニ聊農工商ノ有様ヲ御参考マテニ一通リ申上ケマス、御承知ノ通リ農業ハ、欧米文明ノ学理及機械ヲ輸入シテ以来、著シク産額ヲ増シタト云フコトハ、産額内ニ余アレハ外ニ販路ヲ求メルコトハ、経済社会ノ自然ノ道理デアリマス、我農産物ノ海外ヘ出タコトハ実ニ夥シイコトデ、明治元年ノ輸出入表ヲ見マシテモ先ツ初ハ農産物、工業品ハ誠ニ寥々タルモノデアル、ソレデ我邦ニ余ノアルトキニハ彼国ニ大概ハ出タノデアル、然ルニ今日既ニ農産物ノ輸出ニ最モ経験アル益田孝君ガ、曾テ倫敦ニ居ラルヽ時ニ伺ツタコトガアツテ、私ハ大ニ発明シマシタ、爾来農産物ノ輸出ニ就テハ、私ハ本省ヘ参リマシテ以来、数々研究致シマシタガ、モウ今日ハ、日本ノ輸出農産物ハ、今マテノ方針デハイケナイ、将来ハ如何ナル方針ニ因ルカ
 - 第23巻 p.292 -ページ画像 
ト云フ時機ニ達シタト思フ、今マテノ如ク唯余アル数量ヲ以テ、彼ニ農産物ノ輸出ヲ計ル時機ハ、モウ既ニ過去ツタノハ国家ノ為ニ賀スヘキ時機ニナツタ、故ニ農産物ハ将来ハ海外貿易ノ点カラ計画ヲ致シマシテ、数量ノ高ニ依ラスシテ、品位ノ精良ナルノト同一ナルノニ着目シナケレバナラヌ時機ニ達シタト私ハ思フ、ト申シマスルノハ、若シ数量ノ高カラ、農産物ヲ海外貿易品トシテ競争シヤウトシテ、此日本ヲ纏フテ居ル隣国ニ比較シタナラバ、支那・印度・濠太利亜・南北亜米利加ノ大面積ハ、即チ農産物ヲ作出ス国デアル、此大面積ヲ持ツテ居ル国ニ対シテ、農産物デ貿易場裡ニ争フコトハ将来到底私ハ出来ナイト思フ、ト申シマスルモノハ第一土地ガ広クナケレバ其数量ガ多クナラナイ、僅カ十分ノ一、二十分ノ一、百分ノ一位ノ日本ノ面積ヲ以テ、此支那・印度・濠太利亜・南北亜米利加ト競争スルコトハ出来ナイ、面積カラ申シマシテモ日本ハ二万四千方里、支那ハ七十一万七千方里、印度ハ二十九万三千方里、濠太利亜ハ五十七万七千方里、南亜米利加ハ百十九万八千方里、北亜米利加ハ百二十八万五千方里アル、此面積カライキマスト、日本ノ農産物ハ収獲ヲ以テ比較シテモ到底彼ニ及ハナイ、先ツ絮デ例証ヲ取リマスレハ、亜米利加南部デ出来マス絮ハ、宇内デ作ル所ノ絮ノ六割ヲ供給シテ居ル、到底此農産物デハイケナイ、然ラバ宇内ノ貿易場裡ニ、日本ノ農産物ヲ一大物品トシテ売捌カウトスルニハ、数量ニ依ラズシテ品位ニ依ルト云フ方針ヲ以テ、計画スルト云フコトノ海外貿易ニ眼ヲ著ケテ居ル、品位ノ改良ト品位ヲ同一ニシテ何万石デモ同一ノ種類ヲ出スト云フ方針ヲ執ラナケレバナラヌト云フ時機ニ達シタト云フコトハ、是ハ御経験ノアル諸君ノ御参考トシテ、併セテ諸君ノ教ヲ請ヒマス、即チ政府ハ是ヨリ、農産物ハ外国貿易上如何ナル方針ヲ執ツテ宜イカト云フノ時機デアル、今マデハ数量ノ殖エルコトニ着目シマシタガ、是ヨリハ品位ヲ精良ニスルト、又之ヲ同一ニスルト云フ方針ヲ執ラナケレバナルマイト云フノハ私ダケノ一己ノ意見デ、此事ハ国家将来ノ海外貿易上ニ就テ御参考マデニ一通リ申シマス、此数量ニ依ラスシテ品位ニ依ルト云フコトハ、各国例ノアルコトデ、其例ヲ一・二申シマスレバ、御承知ノ通リ埃及ノ絮ハ世界第一ノ良品デ、瓦斯糸織及絹ニ擬フ程ノ木綿ヲ織リ居ルノデ、埃及絮ハ細長クテソレハ「らんかしや」アタリヤ、或ハ日本ノ紡績ニ御経験アル、此処ニ御列席ノ御方ハ御承知デアリマスガ、併シ前ニモ申シマス通リ、亜米利加ハ宇内第一ノ生産国デ、宇内ノ消費高ノ六割ヲ生産シ、而シテ埃及ハ如何程ノ絮ヲ世界ノ消費高ニ供給シテ居ルカト云フト、百分ノ七デアル、百分ノ七デアルケレトモ、今日埃及ノ絮ハ、年々ノ産額ヲ「らんかしや」・「まんちえすたー」デチヤント特約シテ他ニ廻ハサヌ位必要トシテ居リマスル、埃及ノ絮ハ貿易上ニ於テハ第一デアル、則チ他カラ奪取ラレヌ位デ、其数量ガ百分ノ七デアルケレドモ、品位ノ精良ナル点デハ外国貿易上第一ノ地位ヲ占メテ居ル、又以太利ノ米ハ「はんぶるぐ」・倫敦ヘ往ツテ御覧ニナレバ分ルガ、世界第一ノ良米デアル、併ナカラ其産額ノ点カラ言ヘハ、支那・印度ニ劣ルコト数等、我日本ヨリモ劣
 - 第23巻 p.293 -ページ画像 
ルコトモ数等デアルケレトモ、以太利ノ北部及南部テ耕シテ居ル水田ハ何デ維持シテ居ルカト言ヘバ、倫敦・「はんぶるぐ」ノ布場ニ於テ世界第一ノ地位ヲ占メテ居リマスノミナラス、王公貴人ノ食卓ニ上ボル米ハ此伊太利ノ米デアル、故ニ各国ノ宮内省デ御陪食等ニ用ヰル所ノ米ハ伊太利ノ米デアリマス、故ニ以太利ノ米ハ印度・支那ニハ数量ハ及バヌガ他ノ奪ヒ得ラレヌ丈ノ貿易品デアツテ、実ニ宇内第一等ノ地位ヲ占メテ居ル、又仏蘭西ノ生糸ハ如何、仏蘭西ノ生糸ハ産額カラ言ヘバ支那・日本ニ劣ルコトハ数等デアリマスガ、併シ今日「りをん」ナリ又ハ「ばたそん」ナリデ、第一等ノ絹織物ヲ織ルノハ仏蘭西ノ生糸デナケレバナラヌ、数量デハ他ニ劣ルケレトモ、品位ハ第一等ノ地位ヲ占メテ居ル、故ニ今日仏蘭西ノ生糸ヲ以テ生糸ノ標本トシテ居ル、又英吉利ノ例ニ依テ申シマスルト、羊毛ハ昔英吉利ガ供給国デアツテ、欧羅巴大陸ノ羊毛織ノ原料ハ悉ク英吉利ノ羊毛ガ重モデアリマス、亜米利加発見及濠洲殖民ノ後ハ、羊毛織ノ原料ハ亜米利加・濠洲デ供給スル、併ナカラ羊ノ種ハ今尚英吉利デ専有シテ居リマシテ、濠洲・亜米利加ハ到底英吉利ノ種ニ及バナイ、故ニ英吉利ノ羊ハ今尚世界ニ冠タルモノデアル、是則チ数量ニアラズシテ品位ニアルト云フコトハ、此四ケ国ノ例ニ依ツテ明デアル、然ラバ我邦ハ斯ノ如キ狭隘ナル面積ヲ以テ宇内ノ貿易場裡ニ飛出サウトシテモ、到底支那・印度・濠太利亜・亜米利加ニ及バヌカラ、品位ヲ以テ是カラ争ハウト云フ方針ヲ執ラナケレバナラヌト云フコトハ、先進国ノ例ヲ見テモ明デアル、是ヨリ工業ノ各種ノ議案ニ就テ御攻究ナサルヽ材料ノ一端ニ供シ、併セテ私ガ教ヲ請ハウト思ヒマス
 第二ハ工業ニ就テ御話ヲ致シマス、是ハモウ私ガ申スノハ釈迦前ノ説法ト云ウテモ宜イ位デ、諸君ニ向ツテ工業ノコトヲ御話申スノハ実ニ嗚滸ガマシイコトデゴザイマスケレトモ、一通リ此工業ニ就テ御参考マデニ御話ヲ致シ、又御経験アル諸君ニ順序的ニ列記シテ御参考ニ供シヤウト思ヒマス、此日本ノ地位ハ御承知ノ通リ実ニ工業国ニハ適当ナル国デ、太平洋ノ真中ニ島国ヲ建テヽ、近クハ二十四時間以内遠クモ四週間以内ニ、此四面ニアル所ノ農産国及富国ニ交通ガ出来ル地位ノ点カラ見テモ誠ニ宜イ、又人口ノ点カラ言ツテモ実ニ此日本ノ人民ハ工業国ニ適スル資格ヲ備ヘテ居ル、是ニ就テ或ハ諸君ノ中デ御実験ナサレタノデアリマセウカ、西洋人ガ私ニ度々申シマスル所ヲ一・二申シマス、大坂時計会社ヲ亜米利加ノ人ガ建テヽ居ルノデ、亜米利加ノ技師ヲ連レテ仕込ンダ所ガ、亜米利加ノ者ガ二ケ年掛ツテ時計ノ製造ヲシタコトヲ、大坂デ日本人ヲ使ツタ所ガ六ケ月デ卒業シタト云フコトデ、甚ダ驚イタト云フ話ヲ聞キマシタ、ソレカラ此紡績機械ヲ動カスコト、其他各種ノ織物ヲ織ルコト総テ工業ノ脳力・眼力ノ鋭イノト及ビ指ノ力ノ敏活ナコトハ、欧米諸国カラ来テ居ル各工場ノ技師等モ実ニ驚イテ居ル、日本ハ実ニ将来恐シイ国デアル、我々ガ亜細亜ニ向ツテ為ス所ノ商業・工業ヲ奪フ者ハ日本ニ在リトマデ申シマシタ、ソレカラ又日本ハ御承知ノ通リ、石炭ハ北海道ニモ各州ニモ実ニ夥シイコトデアル、此石炭ノ
 - 第23巻 p.294 -ページ画像 
消費高ハ国ノ工業ノ発達ヲ示シテ居ル、誠ニ亜米利加ガ合衆国ノ石炭採掘高・消費高ヲ比較シマスルト、採掘高ノ百ニ対シテ消費高ハ九十八デゴザイマス、英吉利ハ七十七、独逸ハ百一デゴサイマスカラシテ、自分ノ国デ掘ツタモノヲ使潰シテ尚足ラヌカラ、一・七ダケヲ外国カラ輸入シテ居ル、仏蘭西ハ百ニ対スル四四・三デアル、白耳義ハ百ニ対スル八十二デアル、ソコデ、工業ノマダ幼穉ナル国ノ有様ヲ見マスルト、濠太利亜「にうさうすうゑるす」ハ百分ノ四十四ヲ使フ、其百分ノ四十四ハ澳太利亜ノ製鉄所デ現ニ多分使ツテ居リマシテ、工業ニ使フノハ誠ニ少イ、日本ノ統計ヲ見ルト、二十六年ニハ三百三十一万七千噸ヲ掘ツテ、百七十五万五千噸ヲ使ツテ居リマスルカラ、百分比例ニスルト五十二、二十七年ハ掘ツタ数ガ四百二十六万八千噸、使ツタノガ二百三十一万一千噸、百分比例デ申シマスルト五十四デゴザイマス、丁度百分ノ二タケハ一ケ年ニ殖ヱテ居リマス、二十八年ハ未ダ調ガ付キマセヌ、併シ之ヲ独逸・仏蘭西抔ニ比較シマスレバマダ及バヌ、併シ二業ノ幼穉ナル澳太利亜ノ上位ニ居ルノミナラズ、二十六年ヨリ二十七年ニ至ル一ケ年間ノ進歩ノ高ハ、百分比例ニ対シテ二ト云フモノガ殖ヱテ居ル、長足ノ進歩トハイキマセヌガ較々進歩シテ居リマス、廿八年・廿九年ト云フ統計ヲ調ベマシタラ、余程此百分比例ト云フモノガ殖ヱテ居リマセウ、然ラバ日本デ年々石炭ヲ内地デ消費シマスルハ、即チ煙突ガ殖ヱ工業ガ殖ヱルト云フコトハ此事実ニ於テモ明デアリマス、ソレカラ石炭ニ亜イデ、労働ノ賃銀ガ安イノト気候ノ好イト云フコトハ諸君モ御承知ノ通リ、先ヅ我邦ハ各種ノ鉱物ニ富ンデ居ル為ニ、工業ニ最モ必要ナル化学原料ヲ他国ノ供給ヲ待タスシテ出来ルト云フコトハ、諸君モ御承知ノコトデアリマス、ソレヨリ工業国ニ必要ナル電気ノ応用ト云フモノガ近年著シク発達シマシタ、日本ハ御承知ノ通リ大山高岳ガ国ノ中腹ニ在ツテ、山腹ヨリ海岸ニ至ルノ距離ガ近イ、ソレ故ニ処々ニ滝ガ多イ、ソレヲ利用シテ電気ヲ起ス計画ガ既ニ諸君ノ中ニアリマス、又国民モ其方ニ望ヲ傾ケテ居ルコトデアル、是ハ先年私ガ瑞西ヲ廻ツテ、各所ノ急流、各所ノ滝ヲ利用シテ電気ノ工業ヲ発達サセテ居ルコトヲ見テ、我邦ノ地形モ較々瑞西ノ地形ニ似テ居ルカラ、電気工業モ瑞西ノ如ク発達シヤウト云フ考ヲ有ツテ廿五年ニ帰朝致シマシタ、所ガ既ニ内地ノ各処ニ水力電気ヲ点シ、或ハ色々ノ計画ガアル、是モ十九世紀ノ最モ新シキ工芸原料ニ電気ヲ使フコトハ我邦ノ地形ヨリ最モ適当ナコトデアル
 斯ク論シ来レバ、日本ノ工業ト云フモノハ、既ニ世界ノ人ガ驚ク位ニ我邦ヲ見テ居ルノハ、決シテ私ハ理由ノナイコトデハナイト思フ近頃山県遣露大使ガ独逸デ彼国ノ人ニ会セラレタトキニ、日本ノ工商業ハ斯ノ如ク発達シテ、我々ノ大花主タル亜細亜ノ貿易ハ日本ニ奪ハレテ独逸ノ者ハ食ヘナクナル、実ニ我邦モ斯クナクテハナラヌト云フコトデ、慨嘆シタト云フコトヲ聞キマシタ、其他英カラ来ル物、米カラ来ル物、仏カラ来ル物ハ、皆彼等ガ数百年血ヲ流シ戦ヲシテ取ツタノニ、亜細亜ノ市場ヲ日本人ガヅン々々侵入シテ取リ居ルコトハ、此工業品ノ売捌ヲ見テモ明ナルコトデアル、故ニ今日我
 - 第23巻 p.295 -ページ画像 
邦ニ於テハ、工業ノ発達ト云フコトハ事実ノ上ニ於テ明ナコトデアリマス、又此工業株式会社ノ数ヲ申上ケテ御参考ニ供シマス、之ヲ御覧ニナレバ工業国、即チ工業ヲ以テ立国ノ基トスル国民ノ決心タルコトハ明デアリマス
 明治廿七年前ハ会社法ガ未タ実施ニナラヌカラ分リマセヌガ、二十七年ノ十二月三十一日ノ調デハ、工業会社ノ数ガ五百八、資本金ガ六千二百十五万四千円、二十八年ノ末ニナリマシテ六百五、増シマシタコトハ九十七、資本金ニ於テハ八千九百三十八万八千円、前年ニ増シタコトハ二千七百二十三万四千円、二十九年ノ九月三十日ノ調ニ拠ルト、日清戦争ノ結果トシテ長足進歩ヲ為シテ、会社ノ勃興シタコトガ九百三十ニナリマシタ、二十八年ニ比較シマスルト、三百二十五殖ヱテ、資本金ノ総高ガ一億六千四百四十二万八千円、前年ニ比較シテ増加シタコトハ七千五百三万九千円ト云フ高ニ殖ヱテ居ル、此統計ニ拠リ、此事実ニ拠リマシテモ、工業国タルニ適スルト云フコトハ明ナルコトデアル、然ラバ斯ク人民ナリ、国ナリ、又今日ノ景況ナリ、会社ノ勃興スル点カラ申シマシテモ、工業ヲ基トスル事実ハ明ナルコトデアリマスガ、扨此工業ト外国貿易トノ関係ニ就テ深思熟考致シマスレハ、工業ノ方針ハ如何執ルベキカト云フコトハ、目下ノ急務デアラウト思ヒマス、ト申シマスルノハ諸君ノ教ヲ請ウテ工業ノ方針ヲ立ツルニ非ズンバ、我々当局者ハ工業ニ就テ色々尋ネラレタリ、又工業ニ就テ各種ノ法案ヲ起草シテ、議会ニ色々ソレヲ請求スルニモ要求スルニモ、工業ト外国貿易トハ密著シテ、政府ハ如何ナル方針デ工業ヲ計画シナケレバナラヌカ、政府ガ奨励シナケレバナラヌカト云フコトハ、余程今日私ハ必要ノ時機ニ迫ツタト思フ、是ハ御経験アル諸君ニハ十分御定見ガアラウト思ヒマスカラ、私ハ此席ニ於テ十分御陳述下サレ、教ヲ請ウテ後、政府ニ於テ執ルベキ方針ヲ執リ、計画スベキコトハ計画シタリシナケレバナラヌカラ、先ツ愚見ノ一・二ヲ申シマス、私ダケノ考ヲ諸君ノ御参考マデニ申シマス、私ハ海外貿易ヲ拡張スルニ就テ工業ノ方針ハ、二途ニ出ツルヨリ外アルマイト思ヒマス、是モ全ク自分一己ノ私見デゴザイマスガ、御参考マデニ、今マデ事実報告ノ序ニ一言申シマス
 欧米ノ文明国ニ向ツテハ、彼等カラ教ヘラレタ器械ヲ使ヒ、彼等カラ教ヘラレタ学問ヲ応用シテ製造シタル物ヲ以テ持ツテ行クノハ、是レハ私ハ工業ノ方針ニハ不得策カト思フ、故ニ欧米ノ先進国ニ向ツテハ、我邦固有ノ物産、生糸・茶又ハ美術工芸品、其他彼国ニ於テ経済的ニ製造シ能ハヌ、非常ニ手数ヲ要スル工芸品ヲ売込ムト云フコトハ、難ヲ去ツテ易ニ就ク工業ノ方針ト見テ宜カラウト思フ、故ニ欧米ノ先進国ニ向ツテハ我邦特有ノ物産、彼等ガ市場ニ於テ争ヒ能ハサル、彼等ト衝突セヌモノヲ以テ供給スルノ方針ヲ採ラナケレバナラヌト思ヒマス
 第二ニハ亜細亜ノ劣等国ニ向ツテハ、欧羅巴ノ先進国カラ教ヘラレタル学理、彼等カラ輸入シテ来タ所ノ器械即チ紡績器械、其他器械ヲ以テ造リタル物、羅紗・織物・洋紙・玻璃器其他ノ品物ヲ売込ム
 - 第23巻 p.296 -ページ画像 
然ラバ我邦ニ於テハ欧羅巴カラ輸入シタル学理及ヒ器械ヲ試験シツツ、練習シツヽ、手習最中ニ出来タル品物ヲ、亜細亜ノ劣等国ニ売込ム、又丁度売ル品物ガ亜細亜劣等国ノ需要ヲ充タスニ足ルカラ、我練習ノ時期ニ於テハ欧羅巴ニ向ツテハ、器械製造品ハ売ラズシテ亜細亜ノ劣等国ニ売ルト云フコトハ、私ハ今日工業ノ方針トシテ拠ルベキコトデハナイカト思フ、近来マデノ日本ノ状況ヲ見マスルト恰モ事実サウナツテ居ル、決シテ是レハ私ノ発明デハナイ、横浜カラ亜米利加ニ行クモノハ生糸・茶・雑貨・工業品ナドデアツテ、益田孝君ヤ、山本亀太郎君、又京都ノ織物デハ浜岡光哲君等ノ御経験ニナツテ居ル通リ、皆彼等ガ競争シ能ハサルモノヲ以テ、亜米利加ナリ英吉利ナリニ持ツテ行タ所ガ、支那地方ニ行クノハ、大坂ノ広瀬宰平君ナリ、藤田伝三郎君ナリ、土居通夫君等ノ如キ方ガ御経験ノアル通リ、皆大坂デ造ル所ノ紡績糸・金巾・ふらねる・洋紙・まつちノ如キ物ガ行ク、事実サウナツテ居ル、又私ガ各国ノ例ヲ調ベマシタ所ニ依リマシテモ、英吉利ガ百五十年前ニ欧羅巴デ工業国ニナツタ時モ、此方針ヲ採ツテ居ル、英吉利ガ工業発達ノ時ハ決シテ大陸ニ向ツテハ製造物ハ売ラナカツタ、亜米利加・亜細亜ノ劣等国ニ向ツテ売込ンダ、又千八百七十年孛仏戦争後、独逸ハ如何ナル方針ヲ採ツタカト云フニ、其製造物ハ決シテ英吉利・仏蘭西其他欧洲大陸ニ向ツテハ売ラナカツタ、皆亜細亜ニ持ツテ来タ、即チ亜細亜ハ独逸ノ得意デアル、マダ粗雑品ヲ造リツヽアル間、所謂練習ノ時期ニ造リツヽアル間ノ工業物品ハ、悉ク劣等国ニ売ルノハ、是レハ欧洲先進国ノ採ツタ方針デアル、故ニ今日日本モ工業ヲ以テ立国ノ方針ヲ立ツルト云フ国民ノ決心デアルナラバ、日本ノ工業ハ先進国ニ向ツテハ美術・工芸品・其他特有物産ヲ以テシ、劣等国ニ向ツテハ、欧米カラ教ヘラレタ器械製造品ヲ売込ムト云フコトハ、最モ適当デハナイカ、且ツ是レハ英・独二ケ国ノ採ツタ方針デアルカラ、此方針ヲ以テ著々進メテ行キタイト思ヒマス、併シ是レ亦経験ナキ私己ノ卑見デゴザリマスカラ、十分御経験アル諸君ノ教ヘヲ請ヒタイト思ヒマス
 終リニ望ンデ此商業ニ就イテ一言申シマス、先ニモ大隈外務大臣ノ御陳述ニナリマシタ通リ、日本ノ商業モ工業・農業ト相待ツテ進マナケレバナラヌ、然ルニ商業ハ誠ニ振ハサル地位ニ在ルノハ、吾々農商務省ニ職ヲ奉シテ居ル者ノ憂ヒニ堪ヘナイ所デアリマス、内地ノ商売ハ発達シテ居ルガ、外国貿易ノ点ニ至ツテ尚ホ未ダ十分発達シナイノハ、諸君ト共ニ遺憾ニ思フ所デアリマス、是レニハ数多ノ原因モゴザイマセウガ、先ツ第一ノ原因ハ、先ニ大隈外務大臣ノ御演説ニモゴザイマシタ通リ、維新ノ前ハ欧羅巴ノ強国ニ迫マラレ、当時外国貿易ノ何物タルヲ知ラナカツタ時ニ開カレタノデアリマス維新ノ際ハ兵馬倥偬ノ際デアリマシテ、内治困難ノ為メニ、旧幕ノ条約ヲ継承シテ移リ変リノ時代デアリマシタ、爾来官民熱心ニ希望スル所ハ条約改正ノ一点デアリマシタガ、重ニ法権ノ回復ニ眼ヲ著ケ、遺憾ナガラ官民共ニ外国貿易ニ全力ヲ尽ス時機ニ至ラズニ居ツタノガ、一ツノ原因デアル
 - 第23巻 p.297 -ページ画像 
 夫レカラ日本ノ外国貿易ハ、先ニ大隈外務大臣ノ御演説ノ通リ、他動的ノ外国貿易デ、自動的デナイ、己レガ輸入ヲ試ミ又彼国ニ輸出ヲ試ミ、彼レ我ニ在留セバ我亦彼ニ在留シ、貿易ヲ為ス如キ双互ノ貿易カ成立ヌ、片側ノ貿易デアツタト云フコトハ、事実旧幕ノ時ニ国ヲ開カレタ歴史ニ随伴シタ旧弊デアル、故ニ遺憾ナガラ居留地ノ受渡ヲ以テ、外国貿易ノヤウニ思ツテ居タ人モアル位デアル
 第三ニハ農業・工業ニハ学理ヲ応用シ、器械ヲ適用シタコトハ、是レハ随分効ヲ奏シテ居ル、併シ何故ニ、商業ニハ宇内各国ノ軌轍ヲ適用シナカツタカト云フト、是レハ私ガ喋々セズトモ明ナルコトデアツテ、農業ハ農工商ノ三業ノ中デ最モ単純ナルモノデアル、工業ニ於テハ彼国ノ精密ナル器械ヲ運用シテ、夫レニ原料ヲ当篏メテ製造スレバ宜イノデアル、又其工業経済ヲ管理スルニハ日本ノ状況ニ依テ管理シナケレハナランカラ、是レハ農業ヨリ緻密複雑デアリマス、所ガ商業ニ至ツテハ極メテ複雑ナルモノデアリマシテ、亜米利加デ大統領ノ選挙ハ直グニ我邦ニ影響スル、仏蘭西ノ養蚕ノ豊凶ハ直チニ信州ノ山ノ中ニ響ク、独逸ノ製造ノ発達ハ直グニ大坂ノ工業ニ影響スル、其他宇内ノ経済問題、其他宇内ノ社交問題ガ商売ニ響クト云フコトハ、今日ノ宇内ノ潮流ガ貿易界ニ一貫シテ流通シテ居ルカラ、日本モ他ノ国ノ波動ヲ受ケルコトハ免カレナイ、夫レニ商売人ハ独逸ノ新聞モ、仏蘭西ノ新聞モ、英吉利ノ新聞モ見テ居ルト云フ者ハ少ナイ、此席ニ御列席ノ御方ハ十分外国貿易ニ御経験ノアル御方デアルガ、国民ハマダ眼界ガ狭イ、其処マデ進マズニ居ル、マタ開国以来三十年前後ノコトデアルカラ、夫レダケ教育モ普及シテ居ラズ、無形的ノ商業上ノコトハ農業・工業ノ如キ有形的ノモノノ如ク進ンデ居ラヌ、是レハ事実已ムヲ得ヌ次第デアル、故ニ唯今大隈外務大臣ノ御演説ニナツタ通リ、商売ノ権力ヲ握ルノハ誠ニムツカシイ、商売ノ権力ヲ握ラナケレバ宇内ノ権力ヲ握ルコトハ出来ヌ、此商売ノ権力ヲ握ルノハ宇内ニ国ヲ維持スル所ノ大眼目デアル然ルニ我邦外交ノ発達ノ歴史ニ伴ツテ、商売ハ彼等ニ迫ラレテヤツタガ為メニ、我邦ノ商業ハ農業・工業ノ如ク国民モ熱心ニ計画シテ居ルケレドモ、併シ彼国ノ商業ニ応スルダケノ人物ガマダ足リナイ是等ガ農業・工業ニ伴ツテ、商業ガ発達セヌ原因デアラウト思ヒマス、此人物ノ養成ニ就キマシテハ、農商務省ハ海外ニ農工商ノ練習生ヲ派遣シテ、漸次其人物ヲ造ル方針ヲ採ツテ居ルノデアリマス
 次ニハ先ニ農商務大臣ノ御演説ニモゴザリマシタ通リ、内地ニマダ中々利益ガ落チテ居ル、是レハ諸君モ御経験ノアルコトデ、別ニ私ガ申スマデモアリマセヌガ、内地ニ会社ヲ起シテ事業ヲ始メテモ一割以上ノ利益ガアル、言語モ同ジク、風俗モ同ジク、人種モ同ジキ内地ニ於テ是レダケノ利益ガ得ラルヽ、旅行スルト云フテモ、僅ニ六・七百里旅行スレバ一割以上ノ利益ガアル、何ヲ苦ンデ、海上数千百里ノ波濤ヲ越ヘテ、制度・文物・言語・風俗ノ違フ外国ニ行ツテ、商売ヲシヤウヤ、マダ日本ニ於テノ商売ハ、斯様ニ利益ノ無イモノニナツテ居リマセヌ、是レモ内地デ商売シテモ、利益ガ段々減ツテ金利ハ安クナリ、我邦デ商業ヲ営ムヨリモ彼国デ商売ヲ営ム方
 - 第23巻 p.298 -ページ画像 
ガ宜イ、又人物モ出来タト云フ時期ニ至レバ外国ニ於テ商売スルト云フコトニ向フケレドモ、マダ内地ニ於テ一割以上ノ利益ノアル内ハ、到底外国ニ行ツテ商売ヲスル者ハナイト思フ
 余リ永々清聴ヲ煩ハシマシテ恐入リマスガ、外国貿易ガナゼ十分発達シナイカト云フ例証ヲ挙ケマスレバ、明治廿四年ヨリ廿八年ニ至ル五ケ年間、内外商人ノ取扱ツタ金高ヲ取調ベタモノガアリマスガ今日此処デ一々述ベマスレバ長クナリマスカラ、其中唯一・二ヲ申シマスレバ、明治廿四年ニ内商ガ取扱ツタ金高ハ千八百万円、外商ハ六千九百万円、此百分ノ比例ハ外商ガ百分ノ八十八、内商ハ百分ノ十二デアリマス、二十八年ニナツテハ、内商ノ扱ツタノハ二千六百万円、外商ハ一億〇七百万円、此百分ノ比例ハ、外商ガ百分ノ八十デ、内商ガ百分ノ十九デアリマス、是レハ輸出デアリマスガ、輸入ノ点ニ於テハ二十四年ニ、内商ノ扱ツタノハ、一千五百万円、外商ガ四千七百万円、此百分ノ比例ハ外商ガ七十五、内商ガ廿四デアリマス、二十八年ニ至ツテ、内商ノ取扱ツタノハ四千万円デ、外商ノ取扱ツタノハ八千八百万円、此百分ノ比例ガ、外商ガ六十九、内商ガ三十デアリマス、此輸入品ノ中ニハ政府ノ買上品モ余程這入ツテ居リマス、故ニ之ヲ引去ツタナラバ輸出ノ点デ、内国商人ノ取扱ツタ百分ノ比例ト、私ハ余リ大差ハ無イト思フ、此表ニ依ツテモ、日本人ガ海外ノ商業ニ着手スル者ガマダ少ナイト云フコトハ、明カデアル
 又今日日本ニ設ケラレタ、商業株式会社ノ数ニ依ツテ今ノ事実ヲ証明致シマセウガ、明治廿七年十二月三十一日商業株式会社ノ現在数ハ、六百三十一デゴザリマス、其資本金額ハ五千五百万円、廿八年十二月三十一日ハ七百零二、其資本金額ハ六千五百万円ニナツテ居リマス、二十九年九月三十日ノ現在数ハ、八百九十五、其資本金額ハ二億〇六百二十万円ニナツテ居ル、之ヲ前年ニ比較スレバ、九ケ月間ノ増加ハ、会社ノ数ガ百九十三、資本金額ガ四千四百万円ノ増加デアル、此二億万ノ会社資本金額、八百九十五ノ商業株式会社ノ中デ、外国貿易ニ従事シテ居ルモノハ幾ツデアルカト諸君ハ御考ヘナサルカ、其コトヲ申上ケタラバ、八百九十五ノ中僅ニ十七テアリマス、是レデ先ニ農商務大臣・外務大臣ノ御希望ナサルヤウニ、宇内ノ貿易場裡ニ踏出シテ、宇内ノ貿易ヲ我手ニ握ル、即チ亜細亜ノ平和、進ンデ世界ノ平和ヲ維持スルニ、幾分日本モ喙ヲ容レヤウ、力ヲ添ヘヤウト思フノニ、僅ニ十七ノ株式会社デ何ガ出来ヤウカト云フコトハ、諸君モ御了解ノアルコトヽ思ヒマス
 又顧ミテ昨年ノ貿易ノ総額ハ、二億六千五百万円、之ヲ僅十七ノ株式会社デヤツテ居ル、其他ハ悉ク外国商人ノ手デヤツテ居ル、又曾テ私ガ正金銀行ノ外国為替ヲ調ベマシタガ、一千万円ヲ日本銀行ヨリ二朱ノ安イ利デ正金銀行ニ貸シテ居ル、其貸シテ居ル目的ハ何カト云フト、外国貿易ヲ拡張シテ我国民ヲ外国商業ニ従事セシムルノ手段デアル、所ガ其中一ケ年間ノ為替総高ノ四分ノ一シカ日本人ハ為替ヲ組マナイ、四分ノ三ハ横浜在留ノ外国人デアル、之ヲ以テ見マシテモ宇内ノ貿易場裡ニ踏出シテ農産物及ヒ製造物品ヲ売捌カウ
 - 第23巻 p.299 -ページ画像 
ト云フノハ、余程諸君ノ御誘導ト諸君ノ御尽力ヲ請フニアラザレバ到底此国家経済ノ将来ニ於テ成功ヲ見ルコトハ出来ヌト思ヒマス
 然ルニ幸ナルカナ今日ハ諸君ニ斯クマデ、吾々ガ訴ヘル時機ニ達シマシタ、或ハ日清戦争無カリセバ、諸君ニ斯ク訴ヘル時機モ無ツタカモ知レヌ、併シ日清戦争ハ国威ヲ宇内ニ宣揚シ、国ノ勢力ヲ変動シ、日本国民ノ気力モ膨脹シ、将来ハ工業ヲ以テ日本ノ国是トナシ宇内ノ貿易場裡ニ於テ貿易シヤウト云フノハ、私ガ喋々セズトモ国民一般ノ輿論デアル、併シ唯ムヤミニ貿易ヲ勧メタ所ガ、其方針ヲ誤ツタナラバ却ツテ害ヲ為スモノデアリマス、然ラハ外国貿易ノ方針ハ如何採ルカト云フコトモ、是レ亦此処ニ御列席ノ渋沢君ナリ、山本君ナリ、其他ノ諸君ハ御経験ト云ヒ、御考ヘノアル屈指ノ御方ト考ヘマスカラ、此方々ニ訴ヘテ此外国貿易ノ方針ハ、如何ナル方針ニ拠ルカト云フコトノ御教ヲ請ヒタイト思ヒマス、既ニ条約改正モ出来テ、先ニ申シマシタ通リ毀損セラレタル国権ノ回復ハ先ツ大半成ツタト云フテモ宜イ、然ラバ是レヨリ外国貿易ノ拡張ニ力ヲ尽サナケレバナラヌ、又日清戦争ノ結果トシテ、国民ハ宇内ニ雄飛シナケレバナラヌト云フ気象モ出来タ、又我邦ノ実業家モ、彼国ノ者ガ這入ツテ来テ、彼国ノ実業家モ銀行モ日本ニ這ツテ来テ、日本人ト競争スルノ時機モ僅ニ四年ノ後デアル、又彼国ニ品物ヲ出スニ就イテノ保険事業等モ、彼国ノ者ガ内地ニ保険会社ヲ立ツルニ相違ナイ、然ラバ外国人ガ這入ツテ来ルニ従ツテ資本モ輸入セラレ、到底内地デ一割以上ノ利益ヲ得ルコトハ長イコトハアルマイ、自然利益モ減少シテ遂ニ宇内経済ノ原則ニ伴フヤウニナリハセヌカト思フ、然ラバ是レヨリ海外貿易ニ力ヲ尽スト云フコトハ、時勢ニ連レテ進マナケレバナラヌ、故ニ今日ニ於テ海外貿易ノ方針ヲ極メルコトハ最モ必要デアル、是レニ就イテ愚見ヲ申シマスレバ、先ニ工業ノ部ニ於テ意見ヲ陳述シマシタ如ク、日本ヲ東半球ト西半球ノ中心ニ置イテ、東ニ向ツテハ欧米ノ商売、西ニ向ツテハ亜細亜及濠太剌利ノ商売、此二ツニ分チテ、日本ガ欧米ニ対シテハ先ニ申ス通リ彼国デ競争ノ無キ品物ヲ売込ミ、又亜細亜ノ劣等国ニ向ツテハ欧羅巴ノ学理・器械ヲ輸入シテ製造シタモノヲ売ツテ、「らんかしや」・「はんぶるぐ」カラ長イ航海ヲシテ持ツテ来テ売ルヨリハ、我邦デ製造シテ売レバ安ク売ルコトガ出来ル、故ニ先ツ亜細亜ノ市場カラ商売ヲ初メ、欧米ノ諸邦ニ向ツテハ彼国ノ法律ヲ遵奉シ、彼国ノ機械及ヒ設備ノ方法ヲ悉ク欧米的ニ改造シ、之ニ反シテ亜細亜諸邦ニ向ツテハ印度ニ行ケバ印度、支那ニ行ケバ支那、其地方地方ノ商習慣ニ依ツテ商売ニ従事シナケレハナラヌ、依テ其方法ニ向ツテハ教育ノ方針、人物養成ノ点モ欧米ニ向フ者ト、亜細亜ニ向フ者ト、二途ニ判別シテ養成シナケレバナラヌ、私ガ日本ノ商売ハ此二ツノ方針ニ拠ツテ行キタイト思フ所デアリマス
 斯ノ如ク論シ来レバ、農ハ数量ヲ目的トセズ品位ヲ目的トシ、工ハ先進国ニ向ツテハ我邦特有ノ工業品ヲ以テシ、劣等国ニ向ツテハ欧羅巴・亜米利加カラ輸入シタ所ノ学理・器械ヲ応用シタ製造品ヲ以テシ、商売ノ点ニ於テハ、欧米ニ向ツテハ彼ガ争ヒ能ハサル物ヲ以
 - 第23巻 p.300 -ページ画像 
テ商売スル、亜細亜ニ向ツテハ英吉利ヤ独逸ガ採ツタ通リノ方針ヲ以テ安ク売込メバ、是レ亦欧米人ト容易ク競争ノ出来ル、即チ難ヲ去ツテ易キニ就クト云フ方針ヲ採ルノミナラズ、亜細亜ト欧米ノ貿易ニ必要ナル機関設備ノ方法、及ヒ之ニ対スル人物養成ノ途ヲ異ニシテ、将来着々進メテ行キタイ、是レダケノコトヲ私ガ一通リ此会ノ開ケル前ニ調ベテ置キマシタカラ、諸君ノ御参考ニ供シ、尚ホ色色ノ材料ハ数多ゴザリマスケレドモ、余リ長々シク、御経験アリ御卓見アル御方ニ向ツテ申上ゲマスルノハ、甚ダ嗚滸ガマシイコトデゴザリマスルカラ申シマセヌガ、先ツ簡単ニ私ガ此会ヲ御開キニナルニ就イテ、諸君ニ御報道ヲスル順序ヲ立テヽ調ベヲ致シマシタカラ、取調ベノ概略ヲ御報告致シテ、是レヨリ農商務大臣ノ御諮問案ニ就イテ諸君ガ御協議ナサル御参考ニ供シヤウト思ヒマス
 誠ニ長々不弁ナル口ヲ以テ、私ガ経験モナク力ヲ顧ミズシテ意見ヲ述ヘマシタノハ、漸愧ニ堪ヘマセヌ、是レモ斯ノ如キ国家経済ノ一大革新ノ時代デアリマスカラ、関係ノアル当局ノ大臣ヲ初メ、数十年来経験ノアル御方ト一堂ノ中ニ相見ヘ、此席末ニ列シテ満腔ノ熱心禁スル能ハズ、聊カ意見ヲ陳述シテ御参考ニ供シマス
○議長(伯爵佐野常民君) 諸君、段々農商務大臣・外務大臣並ニ金子次官ノ本会ニ就キマシテノ御演説ガゴザイマシタ、就キマシテハ此議事規則ヲ議決致シマシテ、此諮問ニナツテ居ル所ノ案ノ議事ニ移ル筈デゴサイマスガ、併シ唯今一言諸君ニ陳置キタウ存ジマスルコトハ、此不肖常民ガ今日此席ヲ汚シマスルコトニ就キマシテ、唯今農商務大臣モ御演説ニナリマシタ通リ、今日ノ時機ニ於テ此会議ノ国家経済ニ必要ナルコトハ申スマテモゴザイマセヌ、其希望デ今日ノ時機ニ御開キニナリマスル此会ノ議長ノ任ヲ保チマスルト云フコトハ、学識モ浅ウゴサイマスルシ、経験ニモ乏シイ常民ガ敢テ当リマセヌコトデゴザイマスルカラ、一応ナラズ御辞退ヲシマシタガ、別ケテ御勧メモゴザイマスルニ付キマシテ、尚考ヘマスル所デハ、ソレハ一向学識・経験等ノ足リマセヌ不束ナル常民ガ、将来ハドウゾ此日本商工ノ実業ガ発達シテ、外国ト鉾先ヲ争フヤウニ早クナリマシタト云フ事ノ希望ハ長ク致シテ居リマシタガ、今日此席デ追々御演説ニモナリマシタ通リ、一昨年・昨年ノ戦勝後ノ東西洋ノ現況又追々条約改正ノ時機ニ至リマシテ外国人ガ這入ツテ参ル、其二ツノ点カラ農商工ノ実業モ追々発達シテ、外国貿易ニ勝ヲ取ルマテニナラネバナラヌト云フコトハ、軍備拡張ト共ニ最モ必要ト云フコトハ申スマデモナイコトデ、既ニ其希望ヲ致シマスル点デ斯様ニ御勧メニモナリマシタシ、且学識モアリ経験ニモ富ンダ諸君ノ席ニ列シマスルノ光栄ヲ得マシテ、尚親シク御高説ヲ承ハルコトヲ得ルノハ誠ニ常民ノ光栄デアリマス、ソレデ不束ノ身ヲ以テ御請ヲ致シマシタコトデ、ドウゾ常民ガ別ケテ願ヒマスルコトハ、唯今ノ時機ガ十分此事ヲ発達サセナケレバナリマセヌ時機デゴザイマスルニ就キマシテ、農商務大臣ヨリ御諮詢ニナリマシタコトヽ存シマス、又此規則ニ拠リマシテ此会ヨリ各省ヘ建議スルコトヲ得ル訳テコザイマス就テハ諸君ノ御懐抱ニナル所ノ御説ヲ十分御審議ニナリマシテ、サ
 - 第23巻 p.301 -ページ画像 
ウシテ政府ハ勿論、人民ニモ利益スル所ノコトハ此会議ノ結果ヨリシテ得ラレマスルヤウニナリマスレハ、誠ニ国家ノ幸ト存シマシテ常民モ其辺ノコトハ希望ニ堪ヘマセヌ、ドウゾ、国家ノ為メ大ナル公益ヲ得ルト云フヤウニ御論ジ下サルコトヲ希望致シマス
○六番(渋沢栄一君) 私ハ議員ノ任ヲ蒙リ、殊ニ開会ニ際シマシテ此席末ヲ涜シマスル商業者ノ一人デゴザイマス、而シテ農商務大臣・外務大臣・農商務次官、或ハ議長ノ此会ニ対シテノ御趣意ヲ御示シ下サイマシタ、ソレニ対シテ自分ノ意見トシテ一言御挨拶ヲ致シマセウト思ヒマスルガ、宜シウゴザイマスカ
○議長(伯爵佐野常民君) 宜シウゴザイマス
○六番(渋沢栄一君) 不肖ノ私ガ斯ル立派ナ席末ヲ涜シマシテ一身ノ光栄之ニ過ギマセヌ、本会ノ必要ハ斯々デアル、又此会ノ望ハ斯ウ斯ウ云フ要綱デアル、現在ノ日本ノ商工業ニ付イテ、海外カラ随分注目ヲ加ヘ、又自ラ任ジテ振ヒ起サネバナラヌト云フ必要ニ迫ツテ居ルト云フ要点ヲ以テ、農商務大臣カラ本会ニ望マレル御趣意ヲ拝聴致シマシタ、大隈外務大臣ハ、農商務省ノ起リハ明治十二年デアリテ、其時分ニ業ニ已ニ斯ル会議体ノモノガ必要デアルト云フコトハ同大臣ノ胸中ニ既ニ備ヘラレテ居ツタ、丁度十四・五年ノ後、其コトガ行ハレルト云フ御意味デ以テ此会ニ御希望ヲ仰セラレタ、又続イテ日本ノ今日ノ現況ハ商売・工業ト云フモノヲ最モ必要トスル独リ今日ニ必要トスルノデハナイ、国ト云フモノハ決シテ政治家トカ軍人トカ云フモノバカリデ行ケルモノデハナイ、日本ハ是マデ他働的デアツタト言ハレマシタガ、或ハ随分其姿デアツタガ、是ハ甚ダ已ムヲ得ヌ次第デアル、ソレニ安ジテ居ツテ、商売モ其傾キヲ持ツテ居ル、国家ヲ保ツ精神ハ商工業ヲ進メ商工業ノ力ガ大ニ関係スルモノデアル、農ニ、工ニ、商ニ、順序ヲ立テヽ懇切ニ御示ニナリマシタガ、平生天下経綸ノコトニ御方針ヲ備ヘテ居ラルヽ大臣閣下デアルカラ、誠ニ左モアラウト実ニ我々ガ窺ヒマシテ感佩ノ至リデ辱ナク存ジマス、而シテ此会ニ対シテノ御望ヲ窺ヒマシテモ実ニ感謝ニ堪ヘヌノデゴザイマス、又農商務次官金子君ニ於テハ、此会ノ創設ニ就テ従来御本職トシテ段々御取調ニナリマシタ、商業ノ進歩若クハ計画、農業モ商業モソレニ続イテ細カイ御調査、又ハ其調査ニ対シ同君ニシテ御希望ナサルト云フ、殆ト凡ノ方針マデモ御示下サレ、此会ニ対スル御希望ト云フコトヲ仰セ下サイマシテ、大体ニ於テハ如何サマ御尤デゴザイマセウ、且ツ御精密ナル御調査デコザイマス、去リナカラ、或ハ今ノ御趣意ハ決シテ此会ハ農商務大臣ハ左様思フゾ、此範囲デ議セヨト云フ御趣意デアルマイ、若シ我々ト同君ノ御考ト違フコトハ、忌憚ナク申上ゲナケレバナルマイカト思フ、本省大臣若クハ外務大臣ノ此会ニ於テノ御希望ハ、左様心得ヘテ宜シカラウト思ヒマス、且又此会ノ御諮問案ハ、此程頂戴仕リマシテ第一号カラ第七号マデヲ申シマスルト、是ハ後ノ席ニ譲ツテ遅カラヌコトデコザイマスガ、或ハ此ノ条項中ニ、今ノ如ク重キヲ置カレル会ニ対シテ御求メ遊バスト云フコトハ、如何デアラウカト云フ我々懸念ヲ有ツ点モナキニシモアリマセヌ、又是ニ換ヘテ更ニ今
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日ノ海外貿易ニ就テ商工業ノ発達ノ時機ニ於テ重要ナル問題ガアリハセヌカトモ考ヘテ居ル所デコザイマス、此会議規則ヲ拝見致シマスルト、此会議ニテ決定スルトキニナレバ、我々ガ建議スルコトモ出来ルヤウニ考ヘマス、其辺ハ追ツテ申上ゲルデゴザイマセウ、右等ノ御諮問案ニ対シテ甚ダ失礼ヲ顧ミス今日一言スルニ過キマセヌガ、要スルニ重要ナル御希望ナレバ成ルベク副ハナケレバナラヌト考ヘマスルデ、別シテ自ラ自重致サナケレバナラヌ次第デアルト考ヘマス、其位置ニ立ツテ見マスルト、身ノ不肖・事ノ不熟練等、却テ慙愧ニ堪ヘマセヌガ、慎ンデ農商務大臣・外務大臣若クハ議長ノ御示シニ従ヒマシテ、拮据尽瘁スルデゴザイマセウ、一言御礼ヲ申シマス