デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

8章 政府諸会
1節 諮問会議
6款 農商工高等会議
■綱文

第23巻 p.305-327(DK230036k) ページ画像

明治29年10月19日(1896年)

是日第一回第一日ノ会議ニ於テ、清国長江航路調査員派遣ニ関スル諮問案審議サレ、派遣ノ必要ナ
 - 第23巻 p.306 -ページ画像 
ル旨ノ答申ヲナスニ決ス。席上栄一、派遣ノ時期尚早ナル所以ヲ説ク。


■資料

第一回農商工高等会議議事速記録 第四〇―七九頁 明治三〇年四月刊(DK230036k-0001)
第23巻 p.306-327 ページ画像

第一回農商工高等会議議事速記録  第四〇―七九頁 明治三〇年四月刊
明治廿九年十月十九日(月曜日)午前十時農商務省議事堂ニ於テ開会
出席者十九名欠席者三名ニシテ仮席次左ノ如シ
○中略
○議長(伯爵佐野常民君) 是ヨリ諮問案ノ会議ニ移リマス、第一諮問案ヲ是ヨリ朗読致サセマス
   〔有賀幹事朗読〕
  第一諮問案
    清国長江航路調査員派遣ノ件
長江ハ清国中最モ殷富ナル腹部ヲ横断スル大河ニシテ、上海ハ其河口ニ位シ、従来ノ開港場鎮江・九江・蕪湖・漢口・宜昌ノ五市、及馬関条約ニ依テ新ニ開カレタル沙市・重慶ノ二市皆其沿岸ニ在リ、実ニ清国ノ貨物及旅客ヲ集散スルノ一大要河ナリ、而シテ其河口ヨリ宜昌ニ至ル間ハ従来既ニ支那人及欧米人ノ設立ニ係ル数会社アリテ、盛ニ汽船ヲ往復シ優ニ利益ヲ収得スト雖モ、宜昌ヨリ重慶ニ至ルノ間ハ未タ汽船ノ来往ヲ見ス、今ヤ我邦ハ馬関条約ニ依リ此ノ河川ニ於ケル航路拡張ノ特権ヲ得タリ、然ルニ此間ノ航路ハ其収利ノ多キハ疑ナシト雖モ、天然ノ困難ニ加フルニ人為ノ妨害ヲ予期セサル可カラサルヲ以テ専門ノ技師ヲ派遣シ充分ノ調査ヲ遂クルニ非サレハ該条約ノ結果ヲ収ムルコト頗ル難カルベシト信ズ、依テ玆ニ其要否ヲ諮問スル所以ナリ
〔左ノ参照ハ朗読ヲ経サルモ参考ノ為メ掲ク〕
 参照第一号
    農商務省官吏清国出張復命書抄録
      長江航路
 楊子江ハ黄河ト共ニ清国二大河ノ一ニシテ、清人之ヲ長江又ハ大江ト称ス、黄河ト共ニ源ヲ西蔵ノ東部ニ発シ、黄河ハ北流シテ支那本部ノ北方ヲ横流シ、楊子江ハ南流シテ西部支那ノ境ニ入リ、東流シテ中部支那ノ諸省ヲ貫流ス、其過クル所雲南・四川・湖北・湖南・江西・安徽・江蘇ノ諸省ニ渉リ、江口ヨリ六百哩ハ二千噸、夫ヨリ以上四百哩間ハ千噸ノ汽船ヲ通シ、更ニ上流ニ至リテハ目下汽船ノ便ナシト雖モ、古来支那船ノ往復頻繁ニシテ其大ナルモノハ百噸ヲ超ユルモノアリ、鎮江・蕪湖・九江・漢口・宜昌ノ五開港場、及大通・安慶・湖口・武穴・陸渓口ノ五特別港、並ニ沙市・重慶ノ二新開港場ハ皆此江岸ニ在リ、専ラ江流ノ便ニ由リテ中部及西部支那ノ交通及商業ノ衝ニ当ルヲ以テ、長江航路ハ清国通商及新開市場ノ消長ニ関スルヤ大ナリ、長江航路ハ之ヲ分ケテ三段トス(一)上海ヨリ漢口ニ至ル汽船航路(二)漢江ヨリ宜昌ニ至ル汽船航路(三)宜昌ヨリ重慶ニ至ル支那船航路是ナリ
 第一、上海ヨリ漢口ニ至ル里程ハ凡六百七十七哩ニシテ、目下此間ヲ航通スル汽船ハ総テ十六艘ニシテ総噸数一万八千余噸ニ及ヘリ、
 - 第23巻 p.307 -ページ画像 
而シテ新造汽船ノ加入セントスルモノヲ加フレハ二万噸ニ達スヘシ就中最大ナルモノハ一千九百四十噸、最小ナルモノハ四百九十二噸ニシテ、速力ハ十二哩乃至九哩、吃水ハ十呎乃至八呎トシ、毎船率ネ一月三回ノ往復ヲナセリ、汽船会社中招商局・太古洋行及怡和洋行ノ三社ハ先キニ二ケ年間激烈競争ヲナシタレトモ、其後三社協和聯合シテ運賃額ヲ一定シ共同計算ヲ以テ営業セリ、此三会社ニ属スル船隻ハ総テ十艘ニシテ他会社ノ所有ニ比スレハ稍快速ノ大船ナリ其他ノ六艘ハ所謂反対船ナレトモ是亦三会社ト協議シテ運賃額ヲ定ムト云フ、但シ其船体小ニシテ速力亦遅緩ナルノ故ヲ以テ、其割合少シク低廉ナリトス
 以上ノ諸会社船ハ、秋冬期貨物寡少ノ季節ニ於テモ乗客貨物輻輳シテ毎船多額ノ収益アルモノヽ如シ、是ヲ以テ聯合三会社ハ勿論、反対汽船会社ト称スルモノモ、他ノ侵入ヲ恐ルヽコト特ニ甚シキノ状アリ、而シテ新タニ此航路ヲ試ミントスルモノハ(一)特ニ江流ニ適スル一種ノ汽船ヲ新造スルヲ要シ(二)新ニ庫船・桟橋等ヲ設置スルヲ要シ(三)現在諸会社ト激烈ナル競争ヲ為スノ覚悟アルヲ要スルヲ以テ、未タ新汽船会社ノ此航路ニ加入スルノ計画ヲ為スモノアルヲ聞カスト雖モ、其貨物乗客ノ多数ナルト現在汽船ノ大半ハ二十年以前ノ製造ニ係リ、速力遅緩ナルトノ事実ヲ考察シ来レハ、此際一新会社ノ進テ快速ナル新船数艘ヲ以テ之ニ加入センコトハ土地人民ノ希望ニ副フモノタルヤ疑ヲ容レサル所ナリ
 本航路ノ貨物運賃及乗客賃銭ハ、小数会社独占ノ結果トシテ自ラ低廉ナラズ、之ヲ他ノ航路ニ於ケル普通ノ割合ニ比スレハ尚ホ低減ノ余地ヲ存スルモノヽ如シ、試ミニ二・三貨物ヲ採リテ其上海・漢口間六百哩ノ内河ニ於ケル運賃ト、我郵船会社ノ横浜・下ノ関及横浜小樽間五百八十七哩又ハ七百三十五哩ノ洋海ニ於ケル運賃トヲ比較スルニ、左ノ如キ差別アルヲ見ルナリ(上海・漢口間ノ運賃ハ一両ヲ一円三十八銭替トシテ之ヲ算ス)

            上海・漢口間 横浜・下ノ関間          横浜・小樽間
                 銭     銭                 銭
  昆布 一担         二八    二二                二四
  鯣  同          四八    三〇                三五
  乾魚 同          四八    三〇                三五
  海参 同          五五    三五                四〇
  鮑魚 同          四八    三五                四〇
  銅器 同          八二    三一                四一
  樟脳 同          五五    三五                四〇
  鉄器 同          四八    三一                三六
  棉花 同          六九    二四                三六
  綿布 同          六九    三一                三六
  生糸 同        五、五二  三、八四(百斤ヲ六百四十円トシテ) 七、〇四(同上)
  燐寸 一箱(五十グロス入) 八三    四五                六〇

 乗客賃銭ハ運賃ノ如ク著シキ不権衡ナシト雖モ、外国人ハ必ス上等賃銭ヲ払ハサルヲ得サル不便利アリ、此事タル日清貿易ニ従事スル我商業者ニ対シテハ、一大不利益ナルヲ以テ軽々ニ看過ス可ラサル
 - 第23巻 p.308 -ページ画像 
モノトス、抑各汽船皆清人ニ対シテハ下等・中等・上等、若クハ特別上等等ノ区別ヲ置キ其撰ム所ニ任スト雖モ、外国人ハ唯上等ノ一種ニ限リ中等・下等ニ便乗スルヲ許サヽルナリ、而シテ清人ノ上・中等室ニ入ル者ハ多ク官吏ニシテ、商業者ノ如キハ下等ニ乗ルヲ通例トシ、其賃銭ハ上海ヨリ漢口マテ六弗ニ過キス、然ルニ我商業者ハ必ス二十四両、即三十三弗十二銭(一両ヲ一円三十八銭トシテ之ヲ算ス)ヲ払ハサルヲ得ス、之ヲ清商ニ比スレハ五倍余ノ出費ヲ要スルナリ、勿論上等旅客ハ使僕一人(但支那人ニ限ル)ヲ無賃ニテ随従セシムル事ヲ得、又相当ノ待遇ヲ受クルト雖モ此等ハ別問題ニシテ、彼此商業者ガ商業場裏ニ於テ駆逐競争スルニ当リ、僅ニ六百哩間ノ渡航費ニ我ハ必ス三十三弗余ヲ要シ、彼ニ比シテ五十五割ノ冗費ヲ要ストセハ、是レ特権ニ非スシテ不便利・不利益ナリト言ハサルヘカラス、若シ我商業者続々清国ニ通商往来スルニ至ラハ、必ス此不利益ニ堪ヘスシテ自国船ノ交通ヲ希望スルニ至ルヤ必セリ
 第二、漢口・宜昌間ハ凡ソ三百七十哩ニシテ目下航通ノ汽船総テ五艘アリ、総噸数二千六百噸ニ及フ、蓋シ此航路ハ長江ノ上流ニ属シ江水処ニ由リテ浅キヲ以テ、船体モ下流漢江及上海間《(口)》ノモノニ比スレハ小ニシテ、目下最大ナルモノ一千噸最小ナルモノ百三十噸ニ過キス、又其吃水モ七呎以下ニシテ唯昼間ノミ航行ス、其汽船会社ハ招商局及太古・怡和ノ二洋行ニシテ、亦共通計算法ヲ以テ営業ス
 本航路ノ事情ハ第一航路ト同一ナレハ別ニ細論セス、但其収益ハ少シク彼ニ及ハサルカ如シト雖モ、汽船業トシテ相当ノ利益ヲ収ムルハ決シテ疑ヲ容レス、殊ニ新ニ沙市ノ新開港場ノ加ハルニ於テハ、其収益ノ増加スヘキヤ亦疑ヲ容レサル所ナリ
 第三、宜昌・重慶間ノ距離ハ率ネ四百哩ニシテ従来汽船ヲ通セス、只支那形客船及荷船ノ往来アルノミ、其数ハ千八百九十四年重慶税関ノ調査ニ拠レハ、同年間重慶ニ来着セシモノ九千艘、重慶ヨリ発セシモノ一万艘アリト云フ、尚其他外国人カ千八百九十一年英清条約ニ由リ本航路間輸出入貨物運搬ノ為メ支那人所有ノ支那形船ヲ雇用スルモノニシテ、重慶ニ入港セシモノ千百八十艘(三万四千百三十四噸)出港セシモノ八百十三艘(一万二千九百四十五噸)アリ、而シテ支那形船ハ大小四十種ニ及ヒ、最大ナルモノハ百噸ヲ容ルヽニ足リ、最小ナルモノハ二噸内外ニ過キサレトモ、二十三噸前後ノモノヲ普通トス、故ニ前述重慶出入ノ船数ヨリ推測シテ、本航路ノ漕運ハ平均二十三噸ノ船舶一ケ年大約二万回ノ往復ヲ要スルモノト見テ大差ナカルヘシ
 本航路ノ貨物ニ対シテハ、数年前ヨリ一ノ保険会社アリテ保険ヲ附ス、該会社ハ某英人ノ創立ニ係リ、本店ヲ重慶ニ置キ、支店ヲ宜昌ニ有シ、代理店ヲ上海ニ有ス、保険料ハ下ニ示スカ如ク低廉ナリト云フヲ得サレトモ、未タ利益ヲ収ムルニ至ラスト聞ケリ、蓋シ航路ノ危険ニシテ支那船ノ脆弱ナル為メ難破多ク、平均通航船ノ一割ハ多少ノ水損ヲ蒙ムルノ比例ナルト、保険依托者尚ホ小商業者ニ止マリ、大商業者ハ之ヲ依托スルモノ未タ多カラサルガ為ナルヘシ
 保険料ハ上行ト下行トニ依リテ区別アリ、又江水増減ノ季節ニ依リ
 - 第23巻 p.309 -ページ画像 
テ差異アリ、重慶ヨリ宜昌ニ至ル下行貨物ニ対シテハ左ノ如シ

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             十一月ヨリ四月ニ至ル大水期間   五月ヨリ十月ニ至ル小水期間               全損負担  分損特担      全損負担  分損特担 各種貨物共其価格ニ対シ   二分    三分        二分半   三分半 


 宜昌ヨリ重慶ニ至ル上行貨物保険料ハ左ノ如シ

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                十一月ヨリ四月マテ    五月ヨリ十月マテ                全損負担  分損特担   全損負担  分損特担 綿織糸            三分    四分半    四分    六分 織洋布及上布         三分    五分     四分半   六分半 更紗綿布及絹綿毛交白等    三分    五分半    五分    七分 銅鉄器及漆器洋傘等雑貨    三分半   六分     五分    七分半 薬材海産物書籍扇玻璃器磁器  四分    六分半    五分    八分 


 右ニ示スカ如ク保険料ハ決シテ低廉ト云フヲ得ス、然レトモ遭難ノ数甚タ多クシテ、会社ハ連年利益ヲ見ルコト能ハサレハ今ヤ更ニ其率ヲ増加セントスルノ傾アリ、本航路ノ危難多クシテ決シテ現今ノ情態ヲ以テ満足スヘカラサルモノタル事推知スヘシ
 本航路ハ所謂三峡ノ険ニシテ江幅平均三・四町ニ縮少シ、両岸断崖絶壁多ク崖角江中ニ突出シ岩石・沙洲水流ニ横ハリ、河心ノ傾斜甚シキ処ニ至リテハ奔流激湍常ニ舟子ヲシテ恐懼セシムルモノアリ、而シテ遡上船ハ時々風力ヲ借ルノ外専ラ人力ニ依リテ挽上クルモノナルヲ以テ、此ノ如キ激湍ニ遇ヘハ大貨船ノ如キハ其挽夫ヲ増シテ二・三百人トナスモ尚ホ舟行頗ル困難ニシテ、或ハ挽綱断絶シ或ハ激流ノ為メニ水路ヲ逸シテ岩角ニ触レ破損スルモノ少シトセス、其宜昌ヨリ重慶ニ達スルニハ四・五十日ヲ以テ通常トス、故ニ目下貨物ノ運賃甚タ高シ、例ヘハ昆布ノ如キ江水大ナルトキハ一斤二十四文ニシテ、即チ百斤我二円四十六銭余ニ当リ、江水小ナルトキハ一斤二十文、即チ百斤我二円五銭余トス、其他ノ貨物皆之ニ準ス、又其保険料モ前ニ示スカ如ク廉ナラサルカ為メ、同一貨物ニシテ宜昌重慶府ノ価格ヲ対照スルトキハ三・四割ノ差異ヲ見ルヲ通常トス、然カモ現在ノ状態ニテハ容積ノ大ナル貨物ハ容易ニ運搬セラレサルヲ以テ、本航路間ニ汽船ヲ通スルニ至ラサル以上ハ前途多望ナル西部支那ノ外国貿易ハ、決シテ十分ナル発達ヲ見ル能ハサルナリ、嘗テ汽船開通ニ関シ某外人ノ概算セシ所ニ依レハ、本航路ノ汽船事業ハ現今ノ運賃ヲ半減スルモ尚ホ一ケ年二百五十万両乃至三百万両ノ収入ヲ得ヘシト云ヘリ、而シテ四川ヨリ下ス貨物ノ主タルモノハ阿片・白蝋・麝香・薬材・生糸・羊毛ノ如キ価格貴クシテ容積・重量少ナキモノニ係リ、其四川ニ上ス主タル貨物ハ棉花・綿糸・綿布及海産物等、将来益増殖ノ希望アルモノナレハ、之カ廻漕一個ノ事業トシテ有利多望ノモノタルコト敢テ疑ヲ容レサル所ナリ
 本航路ニ汽船ヲ通シ得ルヤ否ヤハ一大疑問ニ属シ、議論区々ニシテ未定マラス、嘗テ某英人一汽船ヲ準備シ将ニ定行ヲ試ミントシテ支那政府ノ故障ニ遇ヒ事遂ニ止ミタリト雖モ、全体ニ於テ汽船ヲ通シ得ヘカラサルモノト断定スルヲ得ス、但江流ノ形勢ニ適合シテ強機力・快速力及浅吃水ノ汽船ヲ要スルヤ論ヲ待タス、若シ又全部航行
 - 第23巻 p.310 -ページ画像 
シ能ハズトセハ一部分若クハ一季節間ノ航行ヲ為スモ尚非常ノ便益ヲ増スヘシ、而シテ一旦汽船開通ニ至ラハ、本航路ノ西岸及上流各処ニ存在スル石炭ハ必ス該汽船用ニ供スルニ足ルヘク、其他鉱物ノ開鑿・製造事業ノ興起等ハ目下支那船ノ漕運ニ従事スル細民ニ向テ充分ノ需要ヲ来スニ足ルヘク、又汽船開通ノ結果ニ由リ増加スヘキ貨物運搬ノ為メ決シテ支那船ノ航運業ヲ全ク奪去スルノ恐ナカルヘシ、随テ本航路ニ横ル自然的ノ障礙及人為的障礙ハ之ヲ排除スルコト亦困難ノ事業ニアラサルヘシ
 之ヲ要スルニ長江航路ハ、以上第一ヨリ第三ニ至ル三航路トモニ有利多望ニシテ、皆目下ノ現状ヲ以テ満足スヘカラサルモノナリトス而シテ昨年馬関条約第六条第二項ニ特ニ本邦汽船ノ航路ヲ此間ニ拡張スルノ規定ヲ設ケタルヲ見テ、長江一帯ノ清人及外国人等ハ皆本邦汽船ノ必ス以上三航路ニ向テ開通スヘキヲ期待シ、殊ニ第三航路ニ向テハ其戦勝ノ余威ヲ以テ必ス人事及自然ノ困難ヲ排斥シ泰西諸国ニ卒先シテ汽船ヲ開通スヘキコトヲ確信シテ疑ハサルモノヽ如シ

 参照第二号
    清国沙市下流沿岸諸港ニ我航路開始ノ儀ニ付報告
 当地ハ地勢極テ平坦、四望茫々山ナク岡ナク、江河縦横ニ疏通シ、能ク舟楫ノ便ニ富ミ、四川・河南・湖南ノ諸省ニ来往スル船隻甚タ多ク、百貨輻輳頗ル殷富ノ地タリト雖トモ、従来開港場ニ非サリシヲ以テ充分商勢ノ発達ヲ見ル能ハス、千八百七十六年(明治九年)英国ト締結ノ芝罘条約ニ於テ、安徽ノ大通・安慶、江西ノ湖口及湖広ノ武穴・陸逕口ノ五地ト共ニ汽船碇泊地ト定メラレタル以来、漢口・宜昌間航行汽船ハ必ス此地ニ碇泊シ乗客ノ上下ニ便セシモ、商貨ノ積卸ヲナサヽリシヨリ漸次宜昌・漢口ノ両地ニ其商権ヲ奪ハルルニ至レリ、然レトモ今ヤ開港場トナリ汽船ノ来往商貨ノ積卸自由トナリタルニ於テハ、宜昌貿易ノ重ナル四川出入ノ貨物ハ特ニ該地ニ輸送セラルヽコトナク、此地ニ於テ直ニ四川往来ノ船隻ニ移積セラルヽニ至ルヘキハ、其地勢上及ヒ従来ノ商勢上ヨリ予期スルニ難カラスシテ、将来長江沿岸中屈指ノ要衢タルニ至ルヘキハ蓋シ必然タリ、唯タ今日ノ急トスル所ハ我商業者ノ来テ先鞭ヲ附スルニ在ルト、一ハ我汽船ノ航行ヲ開始スルニ在リ
 従来長江ノ航路ハ漢口ヲ以テ界分シ、上海・漢口間及ヒ漢口・宜昌間ノ二航路トセリ、是レ漢口上流ハ水浅クシテ膠砂多ク、冬期江水涸減ノ際ニ於テハ漸ク三沢ニ満タサルノ所アルヲ以テ、吃水浅キ汽船ニアラサレハ通航セサルニ由ルモノニシテ、漢口下流ハ吃水稍ヤ深ク噸数亦多キ汽船ヲ使用セリ、而シテ下流ハ貨物多ク随テ汽船ノ航行頻繁ナルモ、上流ニ在リテハ宜昌出入ノ貨物ニ止ルヲ以テ、航行船少シト雖トモ、此地ニ於テ貨物ノ積卸ヲナスニ至ラハ漸ク積荷ノ増加ヲ来シ、自然航行ノ頻繁ヲ見ルニ至ルナルヘシ、然レトモ之ニ依テ我商業者ノ往来貿易ノ伸長ヲ望ムハ頗ル困難ナルコトニ属シ我船舶ノ航行ヲ待ツヤ切ナルモノ在リテ存スルナリ
 今左ニ長江航行ノ船名噸数等ヲ示サンニ
 - 第23巻 p.311 -ページ画像 
      上海・漢口間

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 船名  噸数     船籍  所属会社               船名  噸数     船籍  所属会社 江寛  一、八〇七  清国  招商局                安慶  一、七一九  英国  太古洋行《バツフヰールド・スワイヤ》 江裕  一、四九〇  同   同                  大通  一、八八二  同   同 江孚  一、四六八  同   同                  長安  一、〇二〇  同   鴻安公司《グレーヅス・コンパニー》 江永  一、八〇七  同   同                  宝華    四三四  同   同 福和    六〇〇  英国  怡和洋行《ジヤデンマゼソン》     益利    五一九  同   同 元和  一、三三一  同   同                  徳興    九八九  同   同 吉和  一、九二四  同   同                  萃利    六六六  同   麦辺公司《ジラジー・マクグイス》 鄱陽  一、八九二  同   太古洋行《バツフヰールド・スワイヤ》 華利    六六一  同   同 (附言)右汽船ノ吃水ハ八呎乃至十呎ニシテ、速力一時間八哩乃至十二哩トス 


      漢口・宜昌間

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 船名  噸数   船籍  所属会社   船名  噸数   船籍  所属会社 快利  八九七  清国  招商局    昌和  六七七  英国  怡和洋行 固陵  三〇四  同   同      沙市  八一一  同   太古洋行 (附言)右汽船ノ吃水ハ四呎乃至七呎ニシテ、速力一時間七哩乃至十哩トス 


 此等汽船ハ二十年来使用スル古船ニアラサレハ速力遅緩ナル小船ニシテ、漢口・上海間ニ三昼夜余、漢口・当地間ニ二日、当地・宜昌間ニ十二時間ヲ要シ、各船大率ネ一月三回ノ航行ヲナセリ、而シテ招商局・怡和・太古ノ三会社船ハ数年前激烈ナル競争ヲ試ミタリシモ、今ハ共ニ聯合シ共同計算ヲ以テ営業シ、他ノ鴻安・麦辺両社船ハ其反対船ナルモ亦三会社ト協議ノ上運賃ノ幾分ヲ廉ニシ、以テ競争ノ跡ヲ絶テリ、是ヨリ長江航路ハ其独占ニ帰シ随テ運賃甚タ廉ナラス、加フルニ外国人ハ必ス特別上等ニ便乗セシムルコトヽ定メ、特遇ヲ加フルモ其賃銭ハ清国人ノ三倍乃至五倍ヲ支払ハサルヲ得ス日清戦争前ニ於テハ我邦人ハ其規定ヲ適用セラルヽコトナク清国人ト同シク便乗スルヲ得タリシト雖トモ、戦争後ニ在リテハ厳ニ該規定ノ適用ヲ受ケ、能ク清国語ニ通シ清国装ヲナスニ於テハ格別、否ラサレハ上等ノ外便乗ヲ許サルヽコトヽセリ、蓋シ戦勝ノ結果我邦ノ地位ヲ高ムルニ至リタルモノニシテ、一方ヨリスレハ喜フヘキカ如シト雖トモ、独リ上等ノ一種ニ限ラルヽトセハ其不便ト不経済タル実ニ言ヲ俟タサル所ナリ、況ンヤ商業上清国人ト共ニ競争場裡ニ馳駆セントスルニ於テヲヤ、今左ニ上海・沙市間ノ距離及ヒ乗客・貨物ノ運賃ヲ掲ケ、其不廉ト不権衡トヲ示スベシ
      沙市・上海間諸港距離(沙市宜昌間ハ八十三哩ナリ)

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    哩 沙市 一七一 二八七 三三三 四二四 四三九 五一四 五五四 六一九 六七六 七一八・五 八六九    陸逕口 一一六 一六二 二五三 二六八 三四三 三八三 四四八 五〇四 五四七・五 六九八        漢口   四六 一三七 一五二 二二七 二六七 三三二 三八八 四三一・五 五八二             武穴  二七  四二 一一七 一五七 二二二 二七三 三二一・五 四七二                 九江  一五  九〇 一三〇 一九五 二五一 二九四・五 四四五                     湖口  七五 一一五 一八〇 二三六 二七九・五 四三〇                         安慶  四〇 一〇五 一六一 一八四・五 三五五                            大通   六五 一二一 一六四・五 三一五                                 蕪湖  五六  九九・五 二五〇                                     南京  四三・五 一九四                                         鎮口   一五〇・五                                              上海 


 - 第23巻 p.312 -ページ画像 
      乗客賃

図表を画像で表示乗客賃

        上海・漢口間    漢口・沙市間    沙市・宜昌間   漢口・宜昌間        上水   下水   上水   下水   上水  下水   上水   下水 外国人上等  二四両  四〇両  二〇両  三二両  六両  一〇両  二四両  四〇両 清国人上等  一二弗  一二弗  四両八  三両六  二両  両九[九両]六両   四両七 同中等    九弗   九弗 同下等    六弗   六弗   三両二  一両八  一両  両六[六両]四両   三両四 (附言)外国人ハ各一人ノ使僕ヲ限リ無賃帯行スルヲ得ヘシ 



      貨物運賃

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      上海・漢口間             漢口・宜昌間            両                  両 棉花  一担ニ付   ・五匁   棉花    一担ニ付   ・四匁 綿布  同      ・五    綿布    同      ・三 昆布  同      ・二    昆布    同      ・二 乾魚  同      ・三四   輸入鴉片  同     四・ 海参  同      ・四    内国鴉片  同     二・ 鮑魚         ・三四   薬材    同      ・四 生糸        四・     皮類    一噸    二・ 燐寸  五十グロツス ・六    紅花    一担     ・四 雑貨  一噸    三・五    麻及紙   同      ・二五                  雑貨    一噸    四・ (附言)貨物運賃ハ会社ノ秘スル所ニシテ其詳細ヲ知ルニ由ナシ、唯タ玆ニハ其重ナルモノヲ示スニ止ム 


 依是観之、航行距離ニ比較シ貨物ノ運賃不廉ナルヤ言ヲ俟タス、加之我商人ニシテ上海・当地間ヲ往復セントスルニ於テハ往航四十四両、復航七十二両ノ賃銭(往復切符ニハ相当ノ割引アリト雖トモ日数ニ制限アリ)ヲ要スルヲ以テ其往来容易ノ業ニ非ラス、旅費ヲ要スル多キニ随ヒ足跡稀ナルヘキハ必然ニシテ之レカ結果ハ此地ノ貿易ヨリ延テ沿岸諸港ニ於ケル我貿易ノ消長ニ大関係ヲ及スヘキハ明カナル所タリ、其今日ニ至ルマテ沿岸諸港ニ我商業者ヲ見ル稀ニ(戦争前ニ在リテハ漢口・蕪湖ニ店舗ヲ開クモノアリタリト雖トモ今ハ片影ヲ見ス)我商貨ノ輸入セラルヽ寥々タルモノ他ノ因由ナキニシモ非ラサルヘシト雖トモ、究竟汽船ノ不便ト不廉ナルニ由ラスンハアラス、今ヤ已ニ馬関条約ニ依リ我ニ航行ノ権利ヲ穫得シタルニ於テハ、之ヲ利用シ、其不便ト不利トヲ破却シ、商業者ノ来往ヲ便ナラシメ、且ツ我商貨ノ販路拡張ヲ期スルコト最先ノ急務タルヲ信ス、若シ夫レ我汽船ノ航行ヲ見ルナクシテ依然小数会社ノ独占ニ放任センカ、長江沿岸ニ於ケル我貿易ハ萎靡振ハスシテ止ミ、戦勝ノ結果トシテ得タル開港場而モ将来有望ノ地ハ、空シク他ニ帰シ去ランコト敢テ杞憂ニアラサルヘシ、是レ大ニ当業者ノ注意ヲ乞ヒ他ノ航路拡張ト共ニ此航路ノ開始ヲ切望シテ止ム能ハサル所ナリ
 而シテ此航路ヲ試ムルニ当リテハ、直ニ普通船ヲ使用スル能ハスシテ、現在汽船ノ如キ吃水浅キ特別構造船ヲ要シ、又長江沿岸諸港ハ江岸浅ヲ以テ桟橋ヲ架設シ倉船ヲ設置セサルヘカラス、現汽船会社ニ在リテハ各其ノ桟橋・倉船ヲ有シ共ニ好位置ヲ先占シタリト雖トモ、未タ余地ナキニアラサレハ之ヲ得ル難キニアラス、当地ノ如キモ亦タ江岸浅キニヨリ桟橋・倉船ノ必要アルヲ以テ、先ツ此等ノ準備ヲナサヽルヘカラスシテ、創業費ヲ要スル尠ナカラサルヘシト雖
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トモ、春夏ノ候ハ貨物輻輳各船常ニ満載ニシテ、冬季ニ在リテモ尚ホ貨物ノ欠乏ヲ告クルコトナク、収益甚タ多シトノ事実ヨリ考察スレハ、更ニ数隻ノ汽船ヲ増加スルモ航行業トシテ充分ノ利益アルヘキヤ疑ヲ容レサルナリ、唯タ玆ニ一ノ覚悟ヲ要スル点ハ、現汽船会社ハ他船ノ航行ヲ恐ルヽ甚シキヲ以テ、我ニシテ航行ヲ開始スルトキハ勢ヒ之ト競争セサルヲ得サルコト是レナリ、然レトモ我ニ於テ快速ナル新造船ヲ航行セシメ、能ク漢口ニ於ケル上下ノ連絡ヲ取リ可及的貨主ノ利便ヲ計リ暫ク対抗ヲ試ミルニ於テハ遂ニ勝ヲ制シ得ヘキハ予測スルニ難カラス、現今航行スル船隻ノ漢口下流ニ在ルモノハ一船大抵十人以上ノ外国人アリ、又上流船ニ在リテモ七人以上ノ乗組ヲ見ルヲ以テ其経費少ナカラサルヘク、而シテ其職務ヲ執ル甚タ熱心ナラサルモノアルカ如シ、是レ我ノ大ニ乗スヘキノ点ナリトス
 今左ニ昨年中漢口出入ノ汽船々数・噸数及ヒ漢口・上海間諸港輸出入額ヲ掲ケ、以テ両地間輸送額ヲ知ルノ便ニ資ス

          入港                出港
      船数      噸数        船数      噸数
 英国船  五〇二   四七九、一一六     五〇三   四七九、九二七
 露国船    七    一八、四四八       七    一八、四四八
 諾威船    五     四、四六六       五     四、四六六
 清国船  一六三   一八一、八八五     一六二   一八〇、八八七
  計   六七七   六八三、九一五     六七七   六八三、七二八

      漢口港ニ於ケル輸出入

                  輸入          輸出         再輸出
                     海関両
 宜昌            七、一八八、九六六     三〇五、八六九   六、九八五、四一八
 九江            三、五一九、一七七      一七、七一〇      一〇、四三三
 蕪湖              二六〇、一五一     六一八、五四七      三六、九九〇
 鎮江              二三二、九四七   二、五五九、五四〇      五五、三六〇
 上海            三、四四三、五四八  一二、九八二、六八七   八、〇九一、二四九
 天津               五二、八〇三   五、三二三、一一七     四四三、四〇六
 芝罘               一五、一五一
 寧波              三五八、〇二〇     三四一、三二四      三二、一三三
 温州                  一一八
 福州              一六三、八二二
 厦門                一、二九六
 汕頭            一、三七〇、二〇一
 広東              七〇〇、四六八
 南京                           二二、一〇八     四五〇、五七九
 英国              五一二、九二一     一〇一、五九八   一、〇八七、二五八
 露国                  一九七   三、〇五六、三九二
 欧大陸露ヲ除ク         一二九、七三〇
 日本               三九、三四三
 清国諸港ヨリノ外国品輸入 一八、四七二、五七三
  計           三六、四六一、四三二  二五、三二八、八九二  一七、二八二、八二二

      九江港ニ於ケル輸出入

 漢口             二二、三四六  四、七八五、三六七     一、三二八
 蕪湖              七、〇一七     九九、七七八       一八九
 鎮江             一七、三一五    四五六、九九七       四九九
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 上海            二九四、二四一  三、六九〇、八五七     三、一八一
 天津                七五六
 寧波             九三、〇一四
 福州                四一二
 厦門                一七一
 汕頭             一四、三九一
 広東             一七、六一三
 清国諸港ヨリ外国品   四、七二九、八七一
 日本              七、五〇〇
  計          五、二〇四、六四七   九、〇三二、九九九    五、二九二

      蕪湖港ニ於ケル輸出入

 漢口            九〇八、一三〇     二六一、六四四      七九五
 九江            一一五、五八八       五、三六三
 鎮江             一四、六〇七      一八、八九七
 上海            七五六、一七五   一、〇九三、九五八
 寧波             二〇、八六九
 汕頭             四三、三六〇     一九三、九七一
 広東             一四、五〇五     五九八、五二〇
 厦門                         一一、六七七
 天津                        一七二、五九二
 外国ヨリ外国品         三、六一八       三、八六八
 清国諸港ヨリ同     三、七四五、四六四
  計          五、六二二、三一六   二、三五六、五五九   二三、二六一

      鎮江港ニ於ケル出入

 漢口          二、九三七、八五九     二〇二、三三七    七、〇二四
 九江            四四六、二八九      一三、五七三    一、九七八
 蕪湖             二七、九六五      一二、〇七六    七、六八一
 上海            八四八、四五六   一、四八五、二二二   六一、四三一
 寧波             六二、二九〇
 温州                四七七
 淡水              一、四二五
 厦門             二五、二四一     二七七、四七六
 汕頭            九六三、九一〇   三、二七〇、九一九    三、〇六六
 広東             五二、七六二   三、八三四、一三五      二八一
 天津              三、〇四七   一、七二八、八二四
 芝罘                 五三
 香港            四〇四、六九二   一、〇四七、七七八
 日本              三、四三〇
 牛荘                         二一、七八六
 清国諸港ヨリ外国品  一二、二六〇、三七〇
  計         一八、〇三八、二六六  一一、八九四、一二六   八一、七四四


      上海港ニ於ケル長江沿岸諸港トノ輸出入
 宜昌       八七、二四三         五二四       九一、三三二
 漢口   二八、一三九、九一三   二、二二三、五五四   一九、一二七、八八八
 九江    三、八八七、六五一     一〇七、七七二    四、八四一、八七七
 蕪湖    一、三六一、一一六      二九、六二一    三、九五五、九三二
 鎮江    一、八四七、九〇二     一四四、一一七   一二、〇九〇、六六四
  計   二五、三三三、八二五   二、五〇五、五八八   四〇、一〇七、七〇三

 又昨年中宜昌ニ出入ノ汽船及ヒ輸出入額ヲ示サンニ
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          入港                出港
       船数    噸数          船数    噸数
 英国船   六六   三六、六二二       六六   三六、六二二
 清国船   三七   二四、四七三       三七   二四、四七三
  計   一〇三   六一、〇九五      一〇三   六一、〇九五


         輸入          輸出         再輸出
            海関両
 漢口   一、三四〇、四六四  四七〇、一〇四   五、六一三、二九一
 上海         二五五      四三四       七、八七二
 重慶   五、八三二、七二六    八、一九六   六、二五六、六一七
 他諸港  五、七二一、六三三        〇           〇
  計  一二、八九五、〇七八  四七八、七三四  一一、八七七、七八一

 又漢口・宜昌間汽船ハ特約ヲナスニ非ラサレハ、石油・燐寸ノ如キ危険物ヲ塔載セサルヲ例トスルヲ以テ、此等貨物ハ支那船ヲ以テ輸送セラルヽモノ多シ、其内漢口税関ヨリ昨年中半税証書(Transit Pass)ヲ得テ上流沿岸地方ニ輸送セラレタル重ナルモノヲ挙クレハ(釐金局ヲ経ルモノハ甚タ多キモ之レヲ知ル由ナシ)
        荊州及荊門州    宜昌       重慶夔州
              瓦
 米石油   二五六、八一〇    六、四六〇    四三三、七三一
 露石油   一三六、一九〇    三、三八〇    一四九、三八〇
 燐寸     三三、二七五      四〇〇     六〇、二五〇
 以上ハ其概要ヲ記述シタルニ過キサルヲ以テ、未タ尽サヽル所アルヘシト雖トモ、要スルニ現在汽船ノ如ク運賃ノ不廉・不権衡ヲ以テセハ、到底江口九百哩ノ上流ニ在ル当地ノ商権ヲ我ニ先占スル難キノミナラス、下流沿岸ニ於ケル我貿易モ亦萎靡振ハサルノ結果ヲ見ルヘキハ今日マテノ事実ニ照シ予想ニ難カラサルヘキニ依リ、我汽船ノ航行開始ヲ必要トスルニ在リ、而シテ本航路ハ現在汽船ノ状態ヨリ考察スルニ決シテ損益償ハサルカ如キ不利益ノ航路ニアラスシテ、他ニ優ルモ劣ルナキノ利潤アルヘシトハ一般ノ認ムル所タルヲ以テ、我航業者ニ対シ他ノ航路拡張ト共ニ此航路ヲ試ミンコト切ニ望ム所ナリ
  附言 宜昌貿易ハ四川ノ咽喉ニ当リ、又漢口上流ニ於ケル航業ニ直接ノ関係ヲ有スル以テ、同港ニ於ケル昨年中ノ輸出入表ヲ別紙ニ掲ケ参考ニ供ス
    明治二十九年七月      在沙市 日本領事館

○七番(益田孝君) 当局ノ御方ニ伺ヒマスガ、此案ハ何所カラカ此航路ヲ開キタイカラ、一体ノコトヲ御調ヲ願ヒタイトデモ言ツテ、技師ヲ派遣シヤウト云フコトニナツテ居ルノデスカ、又ハドツカノ商業会議所カラサウ云フ建議デモ別ニアツタコトハナイデスカ、ソレ等ニ依テ大ニ考案ガ違ヒマセウト思ヒマス
○幹事(有賀長文君) 唯今七番議員カラノ御質問ニナツテ居ルコトニ関シマシテハ、沙市ノ領事カラ此処ヘ航路ヲ開クコトハ最モ必要トスルト云フ報告、即チ其希望ヲ述ベタ報告ガ参ツテ居リマス、且ツ昨年本省ヨリ清国ノ新開港場視察ニ派遣致シマシタ所ノ委員モ、亦帰ツテ、其必要ヲ大臣ニ具申致シマシテ、其結果今日大臣ヨリ御諮問案ヲ提出スルニ至リマシタ次第デゴザイマス、外ニハ別ニアリマ
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セヌ
○七番(益田孝君) 今伺ヒマスル通リニ、農商務省デ是ハ必要ト思召シ、沙市ニ開イテ呉レヽバ宜イト云フダケデ、別ニ人民会社デ此航路ヲ条約ノ結果ニ依テ開カウト云フ希望ヲ有ツテ居ル者ハ申出テハナイ、サウシテ見マスルト私ハ尚早シ、マダ幾ラモ必要ナル所ガアル、之ヲ更ニ悉シク御調ベナサル必要ハナイト云フコトヲ申上ゲタイト思ヒマス、長々シク其理由ヲ申上ゲヌデモ、大抵前ニ御出張ニナリマシタ御方ノ報告モ大分世間ニ出テ居リマスル、又実業者ノ方デモ人ヲ出シテ追々一帯ノ実況ヲ見タ人々モアリマス、中ニ此四百哩ノ間ニ百哩乃至百二十哩ノ処ハ七哩位ノ速サノ船デアリマシテモ急流ヲ越ヘテ往クコトガ出来ルガ、成程先年芝罘条約ニ因テ、英吉利人ガ初メタ時ニ、余リ土地ノ支那人ガ喧マシク言ツタガ、馬関条約ガ出来テ汽船ノ往復スルコトガ出来ルニ相違ナイ、是カラモウ条約ノ権利ニ因テ汽船ヲ以テ運送ヲ開クト云フコトガ出来マスガ随分困難デ、成程千万両程ノ貿易ガアルカラ、荷物モ沢山ゴザイマセウガ、数千ノ支那人モアリ、或ハ外国人モアリマシテ運送ヲヤツテ居リマス、ソコデソレ等ノ者ヲ相手ニシテ日本人ガ条約ノ結果ト云フタ所ガ、此運送業ヲ開キマシタラ一方ニハ支那人ト大葛藤ヲ起スニ相違ナイ、ソレ程迄ニマダ日本ガ支那ニ対スル貿易ハ近辺ノ開港場デスラ行届イテ居ラヌノニ、態々重慶マデ四百哩モアル所ヲ十二・三哩ノ速力ノアル船ヲ以テヤツタラ、ドウカ知ラヌト云フ位ノコトデアル、大層此処ヘ人ヲ出シテ御調ナサル程ノ必要ハナイ、併ナガラ何ゾ是非此事ヲヤツテ見タイト云フ者ガアル場合ニ至ツタナラバ必ズ其時ハヤラヌデハナイ、其時ハオヤリナサルガ宜シカラウト思ヒマスガ、マダ其位マデニハ程度ガ進ンデ居リマスマイシ、随分幾ラモ他ニ為サナケレバナラヌコトガアルト存ジマスカラ、尚此事ハ早シト申上ゲルヨリノ外ハナイト思ヒマス
○幹事(有賀長文君) 一応当大臣ヨリ此案ヲ御提出ニナリマシタ趣旨ヲ簡単ニ申陳ベヤウト存ジマス、勿論唯今ノ七番議員ノ御説ニ対シテ敢テ反対ヲ試ミルト云フコトハゴザイマセヌノデゴザイマス、唯時機ガ遅レマシタカハ存ジマセヌガ、一応趣旨ヲ弁明致シマセウト存ジマスノデゴザイマス、其初ニ当リマシテ、唯今ノ七番議員ハ或ハ此文章ハドウデゴザイマシタカ、必ズシモ宜昌カラ重慶ノ間ニ航路拡張ト云フバカリノ趣意デハゴザイマセヌノデゴザイマス、或ハ日本カラ宜昌ニ至ルマデ、或ハ沙市或ハ漢口ニ至ルマデ、或ハズツト上ボツテ又重慶ニ至ルマデトカ、ソコノ処ハ皆サンノ御熟議ノ後ノコトデゴザイマスガ、兎モ角モ長江航路ト云フ趣旨デゴザイマス唯今七番ノ御趣意ヲ窺ヒマスト、唯宜昌カラ重慶ニ至ルノ間トノミ思召サレルヤウデアル、或ハ文章ノ前後ハサウ云フヤウニ取ラレルカモ知レマセヌガ、サウ云フ趣旨デハゴザイマセヌノデ、即チ長江航路ハ今日ノ処デ先ヅ上海カラ宜昌、即チ宜昌ノ領事ヨリノ参考書類ハ御配布致シマシタ通リニ上海カラ宜昌マデ、尤モ上海マデハ既ニ日本ノ航路ガ開ケテ居リマスカラ、其上海カラ宜昌マデ、他ニ於テ宜昌カラ上ニ溯ボルト云フコトニナルカ知レマセヌガ、其辺ノ処
 - 第23巻 p.317 -ページ画像 
ハ極メテゴザイマセヌノデゴザイマス、チヨツトソコハ、第一問ニ就テ弁明致シテ置キマス、ソレカラ皆サンニ別ニ深ク申スマデモゴザイマセヌガ、長江ハ先年即チ小官ガ他ノ同僚ト命ヲ拝シマシテ調査ニ参リマシタ所デゴザイマス、勿論其調査ノ日時モ短ウゴザイマシタ故ニ、各種ノ専門ニ係リマスルコトヲ深ク調査スル暇ハゴザイマセヌデゴザイマシタガ、兎モ角モ長江ハ此諮問ニ認メテゴザイマスル通リ、清国ノ最モ殷富ナル即チ中央清国ノ腹部ヲ横ニ断ツテ居リマシテ、此河ニ依テ清国ノ殷富ナル部分ニ這入ツテ、又此部分ヨリ出ル所ノ貨物ハ多クハ此河ニ依ツテ集散致シテ居リマス、唯今御面倒デゴザイマセウガ、チヨツト仮リニ其数ヲ申シマシテモ、鎮江デモ、九江デモ、又蕪湖デモ、漢口デモ、宜昌デモ、船ノ数ヲ申シマスルト、是ハ二十七年ノ統計デゴザイマスガ、出入ヲスル船数ガ鎮江デハ、四千三百余艘、噸数デ申シマスト、三万噸、又貨物ノ集散デ申シマシタナラバ沙市ヨリ鎮江ニ這入リマスル貨物ノ高ハ千万両以上デゴザイマス、又鎮江ヨリ出マスル貨物ガ五百万両以上モゴザイマス、又其他九江・蕪湖・漢口殊ニ漢口抔ハ、御承知ノ通リ要用ノ地デゴザイマスカラ、其出入ノ船数ヲ申シマスト数千、噸数カラ申シマスト、数万噸、貨物ノ集散額カラ申シマスト何千万、若クハ何百万両ノ集散ヲ致シ居リマス、実ニ参リマシテ之ヲ目撃致シマスト、我横浜・神戸、若クハ長崎位ヲ見慣レタ眼ヲ以テ見マスルト其貨物集散ノ隆盛ナルニ喫驚致シマスル次第デゴザイマス、申スマデモナク清国ハ我日本ノ大花主場デゴザイマス、七番議員抔ガ平素御懐抱ノ御意見ヲ窺ヒマシテモ、清国ヲ我大花主ニスルト云フコトハ、十分ニ御熱心ノ御一人ノヤウニ小官ハ承知致シマス、則チ其清国ヲ我花主先ニスルト云フ点カラ、此長江ノ航路ヲ日本ノ汽船デ往復シタイト云フ念慮ガ勃々興リマスルニ因テ、帰朝致シマシテ当省大臣ニ復申ヲ致シ、今日此諮問案ヲ見マスルニ至リマシテ小官ハ私カニ欣喜措ク能ハザル所デゴザイマス、所ガ七番議員ノ御説モゴザイマスガ、ドウモ此処ニ申陳ベマシタル通リニ、又沙市ノ領事カラノ報告ニモ明ニゴザイマスル通リ、外国汽船会社ハ五会社モゴザイマスルガ、或ハ日本人ハ上等デナケレバ載セナイ、日本官吏ノ旅行デモ致シマスルナラ兎モ角、日本ノ商人ガ貨物ヲ以テ往復ヲスルノニハ、成ルベク質素ニヤラナケレバナラヌ、入費ヲ省カナケレバナラヌト云フノニ、上等デナケレバ載セラレナイト云フヤウナ点モゴザイマス、其他ドウシテモ外国人ノ所有ノ汽船ナレバ、競争上、日本商人ハ十分ノ便利ヲ得ラレマセヌ点モゴザイマス、詰リ熱心ニ清国ヲ戦争場ニシタイト云フ点カラ、此長江航路ヲ開キタイト云フノ希望デゴザイマス、其他御質問ノコトガゴザイマスレバ、伺ヒモ致シマセウシ、又航海ノ専門ノ事ニ関シマシテハ幸ニ逓信省ヨリノ議員モ居ラレマスコトデゴザイマスシ、又外交上ノコトニ関シマシテハ外務省ヨリノ議員モ居ラレマスルコトデゴザイマスカラ、ドウカ御審議ヲ遂ゲラレマスコトヲ希望致シマス
○二十一番(添田寿一君) 伺ヒマスガ、此調査費ハ大概何程位ノ御見込デゴザリマスカ、又其金ノ出所ハ本年ノ本省ノ経費カラ出ルノデ
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スカ、是レガ可決ニナリマスレバ来年度ノ予算ヲ以テ要求セラルヽノデアリマスカ、伺ヒ置キタウゴザリマス
○幹事(有賀長文君) 唯今廿一番議員ノ御質問デゴザリマスガ、調査費ト申シマシテモ、此調査ハドウ云フ方法デスルト云フコトハ、本省ニ於テ定案ガゴザリマスル次第デモゴザリマセヌ、例ヘバ造船ノコト其他取調ベノコトナドモ、ドウ云フ専門ノ技師ヲ遣ツタラ宜カラウカト云フヤウナコトモ、若シ此案ガ御可決ニナリ、又其方法マデ御議決ニナツテ後予算ヲ組ミマスル次第デ、初メカラ予算ヲ組ンデ居リマセヌノデゴザリマス
○二十番(広瀬宰平君) 御諮問ノ趣旨ハ、宜昌ヨリ重慶ノ間ニ船ヲ往来サスノニ、日本ノ専門ノ技師ヲ派遣サレタイト云フ御趣意デゴザリマスカ、他ノ商売上ニ係ル取調ベヲスルノデゴザリマスルカ
○幹事(有賀長文君) 本案ノ趣旨ハ即チ御説ノ通リ、種々ノ目的ヨリ長江ニ日本ノ船舶ヲ往復セシムルヤウニシタイ、所ガ此長江ト云フ河ハ時々非常ニ霧ガ深クナリマシテ、殆ント咫尺ヲ弁セナイヤウナコトモアリマス、又此河ハ時ニ依ツテ深ク、時ニ依ツテ浅ク、誠ニ変遷極マリナイコトデゴザリマシテ、始終砂ガ流レテ今日ハ浅ク明日ハ深クナツテ、随分航路ニ困難ナル所ガゴザリマスカラ、造船ノ術ナドモ唯今仰ツシヤツタヤウニ、通常ノ船デハ行カヌ、或ハ船ノ底ノ造リ方等モ特別ニシナケレバナラヌト云フヤウナコトモ、聞及ンデ居リマスルヤウナコトデゴザリマスカラ、第一主眼ト致シマスル所ハ、造船専門ノ技師ナゾモ、先ツ上海カラ宜昌ニ至リマスルマデノ間モ造船上ノ工風ヲ余程要シマセウガ、況ンヤ宜昌カラ重慶ニ至リマスル間ハ、先程七番議員ノ仰ツシヤル通リ余程急流モアリマスルカラ、特ニ造船上ノ技術モ入リマスルノデ、来ヅ第一ニ造船上ノ事柄、第二ハ経済上ノコトモ調査スル、一方カラ云ヘバ経済上ノ調査ト、一方カラハ技術上ノ調査ト、双方ノ調査ガ必要ト存ズル次第デゴザリマス
○二十番(広瀬宰平君) 幹事ノ御説明ノヤウニ、私ハ技師ヲ派遣シテドウゾ調査アランコトヲ望ミマス、如何トナレバ清国ニ船ヲ流スニシテモ、地理ヲ能ク知ラネバナラヌ、其地理ガ分リマスレバ商売人ハ突込ンデ参リマスカラ、私ハ派遣サスコトヲ賛成致シマス
○二十一番(添田寿一君) 唯今金額ヲ伺ヒマシテ、明瞭ニ承ハルコトガ出来マセヌデ、少シク賛否ニ苦シミマスガ、先ヅ必要ト見レバ金額ニ係ハルコトデゴザリマスカラ、金額ガ少ナケレバ尚更賛成ノ念ハ強クナルノデゴザリマス、兎モ角調査スルト云フコトハ利益ガアツテ少シモ害ノ無イコトデゴザリマスカラ、私ハ矢張リ派遣サルヽガ宜カラウト思ヒマス
○一番(大倉喜八郎君) 調査ヲサレマシタ委員ニ質問致シタウゴザリマス、此諮問ニナリマシタ御趣意ハ航海奨励法ナドモゴザリマスル為メニ、或ハ新航路ヲ開イテモ引合フダラウ、然ラバ是レハ民間ニ起スベキコトデアルト、斯ウ云フ次第デ御調ベニナツタノデゴザリマスルカ、唯々領事ノ報告ニ依ツテ、成ルベク一港デモ余計ニ開ケルガ宜イト云フ御考ヘデ、御調ベニナツタノデゴザリマスルカ、伺
 - 第23巻 p.319 -ページ画像 
ヒタイ
○幹事(有賀長文君) 段々御説モアリマシタ如ク、清国ハ殊ニ隣国デアツテ四億ノ人口ヲ控ヘ、富ニ於テハ世界ニ並ビナキ殷富ナル清国ヲ我市場ニシタイト云フガ、大眼目デゴザリマシテ、夫レニハ種々ノ手段モアリマセウガ、先ヅ航路ヲ開キ我船ヲ以テ我貨物ヲ持ツテ行クト云フコトガ最モ必要デアラウ、其航路ノ中デモ長江航路ガ最モ先ニ開キタイト云フ趣意カラデゴザリマス
○十四番(金子堅太郎君) 段々皆サンノ御話ヲ伺ヒマシタガ、私ハ一通リ此原案ニ賛成スル理由ヲ述ベテ、諸君ノ御参考ニ供シヤウト思ヒマス、開会前ニ愚見ノ大体ヲ申シマシタ通リ、今ヤ日本ノ発達シツヽアル製造品、及ビ従来ノ水産物ハ是レハ重ニ支那ガ得意場デアル、其支那ノ得意場ハ何処ガ重カト云フト、香港地方ヨリ寧ロ上海及ビ長江ノ沿岸ニ在ルト云フコトハ、支那ノ外国貿易表ニ拠ツテモ明カデアル、又視察ニ来リマシタ者ノ報告ニ拠ツテモ明カデ、此長江沿岸ノ製造物及水産物ハ、多クハ我国ノ物産ニシテ、其売買セラルヽ方法ハ、支那人及ビ外国人ニ依ツテ居ル、今ヤ我工業・商業ハ支那ヲ以テ大得意トシナケレバナラヌ、マタ夫レガ最モ利益デアル而シテ航海奨励法ノ結果トシテ、欧州・亜米利加・濠太剌利ニ郵船会社ヨリ航路ヲ開カレテ居ルガ、其処ニ行ク荷物ト此長江ニ行ク荷物トヲ比較スレバ優劣ハ無イト思フ、故ニ是レ等ノ航路ハ郵船会社モ調査ヲシテ貰ツテ著手スルト云フコトハ、数年ヲ出デズシテ其時期ニ達スルデアラウト思フ、既ニ河口ヨリ宜昌マデノ間ハ、支那人及ビ欧米人モヤツテ居ルカラ、一葦帯水ヲ隔ツル我邦ニ於テハ、固ヨリ之ニ着手シナケレバナラヌ、愈々宜昌ヨリ先キハ難ヲ避ケテ易キニ就クニハ、航海者ヲ送リ、造船者ヲ送リ、商売人ノ経験アル人ヲ送ツテ、此地方ノ航海ノ難易・貨物集散ノ状況ヲ調ベテ、後日航海奨励ノ為メ参考ニ供スルト云フコトハ、政府ニ於テ目今必要ノ仕事ト思ヒマス、勿論調査ノ報告ニ依ツテ、今支那及英・独アタリデ航海シテ居ル船等ト競争ガムツカシイ、利益ニナラナイト云フナラバ当分止メルノモ宜シイガ、欧羅巴ノ如キ遠キ所ニ航海ヲ初メヤウト云フ今日ノ日本ノ有様デアルカラ、近キ所ヲ調ベルト云フノハ、最モ適当ノコトデアラウト思ヒマス、何卒本案ノ成立ツコトヲ希望シマス
○七番(益田孝君) 今幹事サンノ御答弁ニ依レバ、サウモ読メマスガ此御諮問案ヲ私ガ読ミマシタノハ、宜昌マデハ外国人ガ頻リニ数会社デ往復シテ居ルケレドモ、宜昌・重慶ノ間ハ未ダ汽船ノ来往ヲ見ズ、ソコデ我邦ハ馬関条約ニ依ツテ此河川ニ於ケル航路拡張ノ特権ヲ得テ居ルカラ、此航路ノ収利ヲ得タイ、夫レニ就イテ専門ノ技師ヲ派遣シヤウト云フヤウニ、私ハ宜昌カラ重慶マデノ航路ノマダ開イテナイ所ヲ開クト云フヤウニ読ミマシタガ、是レハ読ミ方ガ悪ルカツタカモ知レマセヌ、勿論此長江筋ノ宜昌マデノ間ニ尚ホ日本ノ汽船会社ガ出来テ商売ニ便利ヲ与ヘナバ、利益ニハ相違ナイ、又支那ヲ市場ニスルト云フヤウナコトニ吾々ガ斯ンナ御調ベハマダ早イト云フタデハナイ、勿論市場ハ求メナケレバナラヌコトデアルカラ
 - 第23巻 p.320 -ページ画像 
吾々ハ刻苦経営シテ居ルコトデゴザリマス、其事ハ別段御断リ申スマデニモ及バヌガ、其処マデノ長江筋ノコトナラバ、最早ヤ分リ切ツテ居ル、勿論長江ノ模様ヲ調査スルト云フコトハ、是レハ誠ニ結構ナコトデ直グニ賛成スルガ、サウ云フ事ヲ御勧メナサルナラバ、航海奨励法ハドウナサルカト云フコトヲ能ク承ハリマセネバ、農商務省ハ御勧メナサルコトハ出来ヌト思フ、彼ノ航海奨励法ハ事実決シテ、金ハ下サラヌモノヽヤウニ疑ヒヲ懐イテ居ル、尤モ夫レハ夫レ、是レハ是レト仰ツシヤレバ仕方ハナイガ、私ハ宜昌ヨリ重慶マデノ間ハサウ熱心シナクテモ宜カラウカト思フ、夫レハ貿易ノ都合バカリカラ云フノデハナク、必ラズ大葛藤ヲ起スニ相違ナイ、サウ云フコトヲ恐レテ言フニモ及バヌガ、是レカラ先ハ支那ト情誼ヲ厚クシテ商売ヲシナケレバナラヌト思ヒマスガ、サウ奥マデヤラナイデモ、先ヅ近イ所カラヤツテ行キタイト思フ、併ナガラ宜昌マデモ航路ヲ開ク企テモシテ居ル者ガアレバ、航海奨励法ノ補助ヲ受ケルヤウニ致シタイ、又別段他ノ航路ト同シヤウニ幾分保護ヲ与フルヤウニナルノヲ希望スル、話ハ、先ヅサウ二ツニシタイト思ヒマス、先ツ夫等ノコトハ唯々取調ベルバカリデナク、其航路ノ開ケルコトヲ御望ミナサルト云フナラバ、世ノ人ニ航海奨励法ニ対スル疑ヒヲ能ク晴シテヤラナケレバナラヌト思ヒマス、夫等ノ所モ此会デ一ツ議題トシテ、是レハ建議シナケレバナラヌナラバ、更ニ建議案ヲ具ヘテ出スデゴザリマセウガ、丁度之ニ連帯シタコトデスカラ、序ナガラニ申シマス、唯々一図ニ宜昌・重慶ノ間ト思フタノガ誤リデゴザリマスカラ、夫レハ訂正致シテ置キマス
○幹事(有賀長文君) 航海奨励法トノ関係ノコトデゴザリマスガ、航海奨励法ノコトニ就キマシテハ、幸ニ逓信省カラモ御出席ノ委員モゴザリマスカラ、篤ト御説明ヲ願ヒタウゴザリマスガ、唯々一言致シマスノハ、船ノ造リ方或ハ速力ナドノ点カラ、ドウモ長江ノ航路ノコトニ就キマシテハ、特別ノ御制定ヲ願ハンケレバナラヌカト私共ハ考ヘマス、彼ノ航海奨励法ハ長江航路ニハ適用ハ出来ナイデハナイカト疑ヒマスノデ、是レハ速力ナドモサウ早クハ行クマイ、先程云フ通リ河底ガ変遷常ナイト云フノデ、十「のつと」位ノ速力デハ行キカネマス、其他噸数ナドモ一般ノ航海奨励法ノ適用ハ如何カト存ジマス、ソコノ所ハ逓信省ノ委員モ幸ヒ御出席デゴザリマスカラ、宜シク御相談ヲ願ヒマス
○十五番(浜岡光哲君) 本員ハ兎ニ角御諮問案ヲ賛成シテ、調査委員ヲ派遣スル方ガ宜カラウト思ヒマス、先ニ七番ノ述ベラレタル如ク既ニ宜昌ヨリ重慶ノ間ト云フモノハ、曩ニ英国ガ航路ヲ開キ其航路ヲ開イタ者モ迷惑ヲシ、又支那政府モ其為メニ葛藤ヲ起スト云フコトヲ憂ヒテ船ヲ買上ゲタ場合モアル、併シナガラ到底此重慶ノ間モ支那政府ガ開クカ、或ハ日本ノ人民デ開クカシナクテハナラナイ、幸ヒ此時ニヤルノガ極宜イ機会デアラウ、尚ホ早シト云フテ置ク訳ニハ行クマイト思ヒマスガ、ソコラニ至ツテハ尚ホ河ニ沿フタ所ノ景況モ、一層能ク調査シテ、唯今一万余ノ船頭ガ生活ヲシテ居ルカラ、其者ヲ害スル、夫レハドウ云フ方法ヲ以テ、其抵抗ヲ防ゲバ宜
 - 第23巻 p.321 -ページ画像 
イカト云フコトモ、調査ノ中ニ加ヘテ宜カラウト思ヒマス、十五番ハ此際取調ベハ必要トスルモノデアリマス、尚ホ又愈々取調ベタ上デ、是レヲ必要ト見タ以上ハ、別段其方法ナドハ研究ノシヤウモアラウカト思ヒマス、兎ニ角今日ハ取調ベヲ必要ト認メマスカラ、御諮問案ヲ賛成致シマス
○一番(大倉喜八郎君) 吾々ノ考ヘモ、清国ノ富ハ南部ニ在ルト云フコトモ承知シテ居リマス、戦争ノ余力ヲ以テ航路ヲ開クト云フコトガ出来マシタノハ、余程ノ好機会デアラウト存ジマスルデ、兎ニ角ニ実地ヲ明瞭ニ調査ヲスルノハ必要ト考ヘマスカラ、原案ニ賛成致シマス
○議長(伯爵佐野常民君) チヨツト七番ニ御尋ネ致シマスガ、最前ノ御話デハ少シ解釈ガ違ツテ居ツタト申サレルノデゴザイマスカ
○七番(益田孝君) 併シ今ノ解釈ニシテモ、マダ不必要ト云フノハ同ジコトデゴザリマス
○議長(伯爵佐野常民君) アナタノ御説デハ、其不必要ト云フコトハ分ツテ居ルガ、ドウ云フノデアリマスカ、支那人ニ衝突スルヤウナコトヲ初メカラシテハ行カナイト云フノデアリマスカ
○七番(益田孝君) 宜昌カラ重慶ノ間ハ、開カヌ方ガ宜カラウト思ヒマス、併シ人ガ開クト云ハバ仕方ハナイガ、此方カラサウ勧メテ開キタクハナイト思ヒマス
○議長(伯爵佐野常民君) 夫レハ宜昌カラ重慶マデノ間デスカ
○七番(益田孝君) サウデゴザリマス、既ニ上海カラ宜昌ノ間ハ数会社ガ成立ツテ居ルガ、尚ホ日本カラヤルト云フナラバ、尚ホ宜イガ夫レバカリナラバサウ大層ラシク人ヲ遣ツテ、取調ヲセヌデモ宜カラウ、大概先ニ行ツテ調査ナスツタ方デモ、其間ヲ始終航海シテ居ル者デモ能ク分ツテ居リマスカラ、大袈裟ニ宜昌マデノ調ベヲスル為メニ、技師ヲ派遣スルト云フコトニハ及ブマイト云フコトヲ申上ゲタノデゴザリマスガ、別ニ賛成者モゴザリマセヌカラ、ドウデモ宜シウゴザリマス
○十一番(渋沢栄一君) 此御諮問ハ、一読会デ以テ即決スルノデゴザリマスルカ、或ハ大体議シテ、第二読会デモ御開キニナルノデゴザリマスカ
○議長(伯爵佐野常民君) 左様デゴザリマスナ、夫レハ……
○十一番(渋沢栄一君) 本案ニ就イテ十一番ノ意見ヲ申シマスルト、先ヅ七番ニ略ボ同意デゴザリマシテ、果シテ不必要トハ申シマセヌガ、唯々景況ヲ本会ニ於テ取調ベテ、夫レヲ世ノ中ニ知ラセテ望ム人ヲ誘導スルト云フコトハ、或場合ニハ学術上ノ研究トシテハ結構ナコトデスガ、営業トシテハ却ツテ要ラザルコトヽ云フ場合ニナラヌトモ申サレヌト思ヒマス、例ヘバ確カニ成立ツト云フヤウナ望ミヲ持ツテ居ルコトナラバ宜シウゴザリマスルガ、支那ノ貿易ハ必要デアルト云フ一般ノ誘導的ノ考ヘカラシテ、世ノ中ニ示スト云フコトハ望マナイ、此航路ヲ開クト云フテモ、既ニ最前カラ仰ツシヤル通リ、招商局ナリ其他立派ナ会社ガ段々競争シタ末今マデ営業シテ居ルト云フ所ニ、日本ノ或会社ガ出テ行クト云フコトハ、遂ニ競争
 - 第23巻 p.322 -ページ画像 
ト云フコトハ免カレナイ結果ニナル、是レダケノコトニ対シテ奨励シテ、特別ノ保護デモセネバナラヌト云フ見定メノ附クカ附カヌカハ、余程考ヘナケレバナラヌコトデアリマス、支那貿易ニ重キヲ置クト云フコトニ就イテハ、先刻金子サンモ詳ハシク述ベラレマシタ通リ、私共モ誠ニ賛成デアリマシテ、吾々モ銀行以外ニ紡績ノ仕事ナドニモ手ヲ出シテ居リマスカラ、稍々尽力ヲ致シテ居リマスルガ今申スヤウナ次第デ、果シテヤリ得ルカト云フコトハ余程熟考モノデアラウカト思ヒマス、吾々今即答ハ出来ナイ、夫レハ航海奨励法ナドニモ関係シテ居リマスガ、唯普通ニ調ベテ来タノデハ為シ得ルト云フコトヲ表白スルノデアツテ、学術調査抔トシテハ宜イカモ知レヌガ、唯今申ス営利トシテハ如何デアラウカト思ヒマス、郵船会社ニ於テモ、曾テ支那ノ事情ニ通暁シテ居ル者ト此航路ノコトニ就イテハ一日討論会ヲ開イテ、吾々共モ共ニ打寄ツテ論ジタコトモゴザリマシタガ、ドウモ難イカト云フコトカラ、郵船会社デハマダ早シト云フコトヲ見タノデゴザリマス、私ハ航海事業ハ甚ダ不経験デゴザリマスガ、此事ニ就イテハ、若シ是レト云フ十分ナル目的ヲ持タヌ以上ハ、尚ホ後ニシテモ宜カラウト思フ、七番ノ尚ホ早シ論ヲ賛成主張シマス
○十四番(金子堅太郎君) 唯今渋沢君カラ御説モアリ、又七番カラ御説モアリマシタカラ、実ハ私ハ其点マデハ講究セヌ積リデゴザリマシタガ、已ムヲ得ズ申シマスガ、吾々モ航海奨励法ニ就イテハ如何カト云フコトハ、当時彼ノ案ノ出タ時カラ、疑団ヲ懐イテ居リマシタ、彼ノ航海法ニ就イテ批難スルデハナイガ、彼レデ実際航路拡張ト云フ事実ニ当篏マルカドウカ、彼レデハ到底実際ニハ当篏ルマイト云フコトハ、当初カラ多少考ヘテ居リマシタ故ニ、先ツ第一ニ考ヘマスルノハ、航海奨励法ハ例ヘバ欧洲線路ノ如キ長イ航路ニハ、海哩ニ付イテ幾ラ、噸数ニ付テハドノ位、速力ハ此位ニスル、サウシテ幾ラ、又太平洋ノ如キ穏カナ海ハ斯ウト云フ、其航路ノ種類ニ依ツテ、特権モ違ハネバ本統ノ航路拡張ト云フ訳ニ行クマイト思フテ居リマシタ、此長江航路ハ余程困難デアルカラ、速力ハ十「のつと」以上トカ、噸数ハ何噸以上ト云フヤウナコトニセズシテ、小サイ船デモ速力ハ遅クテモ、航路拡張ニハ特別ノ規定ヲ設ケナケレバ行クマイト云フ考ヘヲ持ツテ居リマシタ、丁度益田君ノ云ハレタヤウニ最モ殷富ナル支那ノ中腹、殊ニ日本ノ物産ノ集散スル所デアルガ、航海奨励法ノ適用ハドウデアラウカト云フ疑点ガアルカラ、之ヲ調査シテ、彼ノ航海奨励法ヲ改正若クハ追加シテ特別ノ法案ヲ出スト云フコトハ、日本ノ海運奨励・航路奨励、総テ物品ヲ海外ニ売込ムコトニ必要デアラウト思ヒマス、私ハ之ヲ煎ジ詰メレバ、航海奨励法デ若シ長江航路ノ如キ殷富ナル最モ必要ナル処ニ、船ガ遣ラレヌト云フ郵船会社当リノ御考ヘデアルナラバ、此奨励法ヲ改正シタイト思フノデアリマス、果シテ今ノ航海奨励法デイカネバ、招商局ナリ英国ノ船ナリガ行ツテ居ルカラ、日本ハ迚モ其間ニ立ツテ競争スルコトハムツカシイ、モウ彼等ガ先鞭ヲ著ケテ居ルカラ、吾々ハソンナ困難ナ所ニ頭ヲ出スヨリハ、出サナイ方ガ宜イト云フヤウ
 - 第23巻 p.323 -ページ画像 
ナコトニナルカ、私ハ此調査ヲスルガ宜イト思フ、今ノ奨励法ハ長江航路ヲ眼中ニ置カズシテ出来テ居ルカラ、兎モ角モ取調員ヲ派出スル必要ガアラウト思フ、其辺ニ就イテ渋沢君・益田君・近藤君等ガ郵船会社トシテ御考ヘガアレバ、十分私共ニ御教示ヲ請ヒタイト思ヒマス
○十三番(近藤廉平君) 唯今此長江筋ノ調査ノ意見ニ就キマシテ、段段皆サンノ御説ガ出マシタ、郵船会社モ引合ニ出マシタカラ、一通リ、私ハ郵船会社ノ意見デナクシテ、私ノ意見トシテ申上ゲタイト思ヒマス、此長江筋ノ航海事業ト云フモノハ、丁度海トハ違ヒマシテ、全ク別デアル、無論其辺ノコトハ御調ニナツテ居リマシテ御承知デゴザイマセウガ、船ノ構造モ別ニシナケレバナラヌ、又上海ト漢口アタリノ船トカ、若クハ鎮江マデ行ク船ノ構造トハ、是モ異ルダラウト思ヒマス、兎ニ角貿易上ノコトハ先刻カラ御話ガアリマス通リ、支那ヲ大花主トシテ大ニ発達ヲ計ルニハアソコニ船ヲヤラネバナラヌト云フ方ノ御考カラシテ之ヲ調ベルト云フナラバ、モウ別ニ調ベナクテモ大抵ノコトハ分ツテ居ラウト思ヒマス、ト云フモノハ、河船デアツテ、一艘或ハドレ程ノ速力ガ必要デアルカ、急流ハ七浬カラ、十二・三浬ノ速力ガナケレバ通ゼヌト云フコトハ、大抵造船家ニ就テ調ベマシタナラバ、其位ノコトハ分リマセウト思ヒマス、日本ト支那トノ貿易ノ品物ハ、上海以上ハ船デ送ラナケレバナラヌ、貿易ヲ発達シナケレバナラヌト云フニハ、此航路ニ十分ナル助成ヲ与ヘテ、特別航路トシナケレバナラヌ、今航海奨励法ニ就テ段々御説ガ出マシタガ、私ハ現ニ営業者デ、航海奨励法ニ就テハ、既ニ一年ノ間ニ郵船会社ハ欧羅巴・亜米利加・濠太剌利亜ノ三大航路ヲ開イテ、其中亜米利加ト欧羅巴ハ航海奨励法ニ拠テ彼ノ航路ヲ開イテ居リマス、随分其航路ニハ、有力ナル先進ノ会社ハ皆競争ニ陥ラヌモノハナイノデアリマス、此航路ハ苦ンデ居ル、此苦ンデ居ル所ヘ往ツテ又此処ニ一ツ開クトスレバ、他ノ会社ト競争シナケレバナラヌ、此三・四ノ会社ヲ相手ニスルト、自然航海奨励法ノ方針ニ依テ船ヲ制限スルト云フ恐ガアル、況ンヤドレ程マデノ程度ヲ以テスルカ、実ハ保護金ヲ呉レルノヤラ呉レナイノヤラ分ラヌト云フヤウニ世ノ中ノ人ガ疑ヲ懐イテ居ルノニ、其処ヘ這入ツテ競争ヲシナケレバナラヌト云フ必要ハ、私ハナイト思ヒマス、開カセルノガ必要ナラバ、寧ロ一哩ニ付キ幾ラト云フ金ヲ出シテ、相当ナ助成ヲシテヤルヨリ外ナカラウト思フ、殊更ニ人ヲヤツテ調ベサセル必要ハナイト私ハ認メマス、ヤラセルト云フ方カラ考ヘマスレバ――寧ロ今カラ特別ニセイト云フナラバ、アノ航路バカリ別ニ助成スルト云フ風ニシテヤラナケレバナラヌ、ソレデ航路ハ調ベレバ分リマセウト思フ、渋沢君モ言ハレタル如クニ、殊更ニ人ヲ遣ツテ調ベサセル必要モアルマイカト思ヒマス
○四番(男爵鈴木大亮君) 此長江航路ノ諮問案ニ就キマシテ、航海奨励法ガ数々引合ニ出マシテ、少シ諸君ガ御間違ニナツテ居リハセヌカト云フ疑念ガゴザイマスカラ、一応御参考マデニ申上ゲテ置ク方ガ便利ダラウト思ヒマス、扨テ七番ナリ十三番ナリガ御述ベニナリ
 - 第23巻 p.324 -ページ画像 
マシタル事柄ノ中ニ、世上ノ人ノ奨励金ト云フモノハ、政府ガ呉レルカ呉レナイカモ知レヌト云フ懸念ヲ懐イテ居ルト云フ御趣意ノヤウナ御口上ガゴザイマス、ソレハ今日ノ場合少シモ御懸念ニハ及ブ訳ノモノデハナカラウト思ヒマス、ナゼナレバ既ニ法律トナツテ、国民ガ認メテ居ル航海奨励法デアリマスカラ、法律ガ改正ニナツタル以上ハイザ知ラズ、然ラザル以上ハ必ズ受ケベキ権利ハ享ケテ居ルノデ、聊カ御懸念ハナカラウト思ヒマス、又十四番金子君ノ御説ニ、或ハ調査ヲシタ以上ハ、航海奨励法カラシテ、長江ノ航路ニ用ヰル船ニ効力ヲ及ボス改正ヲ呼起スヤウナコトガアルカモ知レヌト云フ御趣意ノヤウニ考ヘマシタ、扨テ此航海奨励法ハ全ク此等ノモノニ当篏マラナイヤウナ性質ニナツテ居リマス、詰リ航海奨励法デ補助致シマス船舶ハ、遠洋ニ向ツテ一般ノ航路ヲ航漕スル船ダケデアリマス、ソレハ御承知ノ通リ船ノ大キサ・速力、此等ニ依テ補助ノ程度ヲ極メテゴザイマス、デ此長江筋ノ航路ノ如キモノ若クハ開港場デゴザイマシテモ、何ノ港カラ何レノ島ト云フヤウニ、発着地ヲ極メテ其間ノ時日ヲ指定シマスルモノハ、所謂指定航路ト称ヘマス、是ハ其航海奨励法以外ニ特別ノ補助ヲ以テ航海ヲサセテ居ルノデ、即チ本日申シマスル濠州航路・孟買航路・浦塩航路ト云フモノハ航海奨励法以外ノ保護航路ニナツテ居リマス、若シヤ此長江航路カ他日何等カノ補助ヲ必要トスル場合ガゴザイマシテモ、航海奨励法ニ拠リマスルト、特別指定航路ノ補助ト云フモノガゴザイマスカラ、此調査上ドウ云フ結果ガ起ツタニセヨ、航海奨励法ニ当篏マル性質ノモノデナカラウト思ヒマス、今御述ベニナツテ居ル所ヲ承ツテ見マスルト、混淆シテ居ルヤウナ恐ガゴザイマスカラ、一言御参考マデ申上ゲテ置キマス、且又此諮問案ノ調査ヲスルシナイト云フコトハ、余リムヅカシク論ズルマデモナカラウト思ヒマス、是ハ何カゴザイマセヌカ知ラヌト思ヒマスガ、幹事ノ御方ニ伺ヒマス、海外貿易拡張費デ、此年度内ニモ出スコトニナリマスカ、サウ云フヤウナ余裕ハゴザイマセヌカ
○幹事(有賀長文君) 唯今ノ御尋ノ海外貿易拡張費ト云フモノハ、夫夫支途ヲ定メテ、其方ヘ向ケテゴザイマス、是ガ愈々必要ト云フコトデゴザイマスレバ、尚追ツテ予算ヲ出スヨリ外ニ致シ方ゴザイマセヌ
○四番(男爵鈴木大亮君) デハ已ムヲ得マセヌデゴザイマスガ、矢張調ベテ見ルノハ一向害ガナカラウト思ヒマス、諮問案ノ通デ宜カラウト思ヒマス
○幹事(有賀長文君) 先程カラ十一番・十三番ノ御説ガゴザイマスガ実ハ御説ノ通リ此諮問案ノ書方ハ余程控目ニ書イテアルノデ、十一番又ハ十三番ノヤウナ疑ガゴザイマスル、此諮問案ヲ提出致シマシタ趣意ハ、即チ一般ノ航海奨励法デハ長江航路ヲ奨励スルニハ足リナイダラウ、必ズヤ特別ニ保護ヲ与ヘナクテハナラヌダラウト存ジマス、果シテ保護ヲ与ヘナケレバナラヌカ、又保護ヲ与ヘルナラバドレダケ位ノ程度ニシナケレバナラヌカト云フ、其程度抔モ則チ此調査委員ノ報告ヲ俟ツテ定メタイ、即チ調査委員ノ調査スル目的ハ
 - 第23巻 p.325 -ページ画像 
極ク平タク申シマスルト、報告ガ必要デアルノデアリマス、九分ガ九分マデ必要デアラウ、必要ナラドレ程ノ程度デアルカ、其程度ヲ定メルト云フノガ目的デアリマシテ、唯調査委員ヲ派遣スルト云フ此文面上ダケヨリハ少シ深イ、即チ十一番・十三番御説ノ通リノ意味ニアツテ居マスノデゴザイマス
○十三番(近藤廉平君) 唯今幹事ノ御説明デハ、派遣ヲサセル所ノモノハ航路ヲ開クニ就テ、其保護ノ程度ヲ調ベル為ニト云フ、御趣意デアリマスナラバ、私共モ賛成デゴザイマス、又船ヲ造ルトカ云フコトデゴザイマスレバ、造船家ニ調ベサセタラ容易ニ分ルダラウト思ヒマス
○五番(原善三郎君) 先刻カラ色々御論ガアリマスガ、尤モ七番ノ御説ハチヨツト私共ノ御同意ノ御説デアルヤウデゴザイマスガ、併シ是ハ唯今調査委員ヲ派遣シテドウ云フ工合カ見ルト云フコトハ何カラ起ツタカト云ヒマスト、馬関条約中ノアノ沙市トカ重慶トカ云フ所ハ兎モ角モ、ソコハ難場デアル、迚モ並ノ船デハ往復ガ出来ナイ或ハ別ニ船ヲ造ラナケレバナラヌ、其沿道ト云フモノハ、大層ナ山ガアツテ、人民ガ害ヲ加エル様子デ、大変ニ是ハ不利益ダト云フヤウナコトデ、チヨツト困難デハナカラウカト聞キマシタ、併シ此条約ノ趣意ニ拠リマスレバ、一旦是ハ無駄カモ知レマセヌガ、調査委員ヲ派遣シマシテ御調ベナスツタ方ガ、私共ハ当然ダラウト思ヒマス、其上是ハ御開キナサルトモ御開キナサラヌトモ、調査ノ結果トシテ兎モ角モ一応日本政府デ調査シテ見ルノガ必要デゴザイマス、若シソレデ利益ガアルナラバ、何レノ奨励ヲナサルトモ、又アノ貿易ニ就テ人民ニ行ヒ得ラレルダケノ保護ハナスツテモ宜シイ、又損ガ行キサウナラ決シテ保護ナサラヌガ宜イ、一体此海外貿易ノコトニ就テモ保護ト云フコトハ私共ハ大嫌デス、保護ヲシタラ保護倒レニナリマス、是ニ就テモ調査ノ上保護ヲスルコトハ、決シテ好ミマセヌガ、一旦御調ニナルコトハ御調ナスツタ方ガ宜カラウト思フ、ソレデ私ハ十四番デシタカ、十五番カ、前ノ二十番ノ調査委員ヲ派遣スルト云フ説ニ御同意致シマス
○九番(山本亀太郎君) 先刻ヨリ此長江航路拡張ノコトニ就キマシテ諸君ノ御名説ヲ拝聴致シマシタガ、実ハ本員ハ色々迷ツテ居リマス何レノ説ヲ窺ヒマシテモ則チ此諮問案ノ通リ調査委員ヲ派遣スルト云フコトハ宜カラウト思ヒマスカラ、簡単ニ賛成ヲ致シマス
○二十番(広瀬宰平君) 私ハ先刻調査員ヲ派遣スルト云フ丈ガ主眼デ格別陳ベマセズ之ヲ賛成致シマシタガ、私ハ是ハ総テノコトヲ調査員ニ調査サセルコトハ大変ニ必要ナコトト思ヒマス、我々デモ余所ヘ往ケバ見テ来ル丈ノ効能ガアル、随分面白イコトデ、人ニ対シテ自慢スル、若イ人モ老人モ皆其コトヲ言ツテ居リマス、是ハ奥山ノ話ニナリマスルト、此山ハドウデアルトカ、此河ハドウデアルトカ云フ悉ハシイコトヲ話ヲスルコトガ出来ル、是ハドノ位ドウシナケレバナラヌト云フコトハ、ソレハ調査委員ヲ出シタ所ガ差シタル金モ要ルマイ、又我々ハドウゾ有志ガアレバ、是ハ往ツテ調ベサシタラ、清国トノ貿易ヲ十分ニ盛ンニスルト云フコトガ出来ル、サウス
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レバ調査スル入費ト云フモノガ僅カナコトデ出来ルト思ヒマス、私ノ願ヒマスル所ハ、其上ニ於テ調査ヲシタ結果ニ依テ、是ハ船ヲ造ツテモイカヌ、ドウシタラ宜イゾト云フコトハ、又後ノ第二ニナル私ハ冀クハ早ク隣国ノコトデハアルシ、日清戦争ノ結果デアリマスカラ、兎モ角各商業会議所抔モ斯ウ云フ所ニ各員ガ出テ調査スルコトハ、彼ト相対シテ外国貿易上極必要ト思ヒマス、簡単ニ是丈ヲ陳ベマシタノデ、私ハ極必要ナコトヽ思ヒマスカラ調査委員ヲ派遣スルコトニシタイト思ヒマス
○十番(中上川彦二郎君) 先刻カラ色々御説ガアリマスガ、此長江航路ヲ調ベルガ宜イカ悪ルイカト云フコトハ、無論調査シテ然ルベシト考ヘマス、併ナガラ我々ハ何ニシロ農商工高等会議々員トカ云フ大層ヱライ名ガ付イテ居リマスガ、高等会議ハ大切ノモノデアルカラト言ツテ、此処デ決議ヲシマシテモ、ソレハ金ガ幾ラ要ルカ知レマセヌ、一会社・一私人デモ事ハ足リル、我々ハ斯ウ云フ案ヲ拝見セヌ前ニ既ニ人ヲ重慶マデモ遣ツタ位ノコトデアル、是ハ所謂国家ノ事業トシテ態々人ヲ遣ル程ノコトデハナイ、是モ余ツタ銭デモアルカラ、ヤラウジヤナイカト云フコトナラバ宜ウゴザイマセウガ、先程カラ段々承ツテ見ルト、前途是カラ高等会議ノ議決ニ因テ更ニ議案ヲ組ンデ議会ニモ出スト云フ、何カヱライ大袈裟ナコトニナルヤウデゴザイマスガ、是シキノコトヲサウ騒動スルニモ及ブマイ、世ノ中ニエライ評判ヲ立テサセルト云フ事柄デハ私ハアルマイト思ヒマスカラ、先程十三番議員モ言レル通リ、愈々幾ラ銭ガ要ル、補助ハ何ボヤルト云フ其調ナラバ、其御調モ要リマセウカナレドモ、アノ河筋ハドウ斯ウ抔ト云フコトヲ、斯ウ仰々シク此会議デ議決シテ、サウシテソレヲ議会ニ出スト云フヤウナコトハ、私ハ少々気恥シク考ヘマス、是ハ七番其他御説モアリマシタガ、先ツ尚早イ位ノ処デ御止メニナツタ方ガ宜イト思ヒマスカラ、私ハ是ニ反対ヲ致シマス
○幹事(有賀長文君) 此長江航路ノ調査ノ為ニ要シマスル所ノ金額ハ或ハ少額カモ存ジマセヌガ、本会ニ当大臣ヨリ此案ヲ提出シタ趣意ハ、則チ日本政府ナリ日本国ハ清国貿易ニ重キヲ置クト云フ、即チ清国貿易奨励ト云フ目的デゴザイマスル、戦争ヲ致シマシタ其敵愾心モ貿易ニ依テ互ニ利益スルト云フ観念ヲ増進シテ、之ヲ融化スルト云フ大ナル目的ノ方カラ提出シマシタノデゴザイマシテ、唯今ノ議員ノ如キハ其調査費ノ少額ト云フ点カラ御議論デゴザイマスガ、当省ヨリ本案ヲ提出致シマシタ趣旨ニハ少シ背キマシテ遺憾ト存ズル所デゴザイマス
○十五番(浜岡光哲君) モウ既ニ賛成シテアリマスルカラ、言ハナクテモ宜イヤウデゴザイマスガ、ドウカ是ハサウムヅカシクセズニ結了セラレムコトヲ望ミマス、成程唯今申サレル通リ、是ハサウ余計ナ金ハ要ラヌデゴザイマセウ、大抵ハヤツタ方ガ宜カラウト云フノデ、先刻カラヤツタ方ガ宜イニ違ヒナイト云フコトノ次第デ御賛成ニナツテ居ル御方モアルヤウニ見ヘテ居リマス、サウスル以上ハ少少ナ細目、或ハ是ニ就テ愈々ソレヲ政府ガ特ニ奨励シテヤラセルト
 - 第23巻 p.327 -ページ画像 
云フコトハ、是丈ノ補助ヲシテヤルトカ、或ハモウ手ヲ付ケテモ駄目デアル、日本デモウ手ヲ付ケテモイケナイカラ、将来此航路ニ付テハ殊ニ此宜昌カラ重慶ノ間ハ、何処ノ国カラモ手ヲ付ケルコトガ出来ナイト断定シタ以上ハ、将来ハ製造上ニ就テモ余程考ヘテ見ナケレバナラヌ、他ノ方法・手段ヲ執ラナケレバナラヌト云フ、自ラ結果ヲ生ズル、此事バカリデナク他ニ結果ヲ及ボスコトモ広イ、此丈ヲ出スコトハ段々諸君モ御賛成ガアリマスカラ、其辺デ決議ヲトラレテハドウデゴザイマセウカ
○議長(伯爵佐野常民君) 段々御討論ニナリマシタガ、本案ヲ賛成スル方モアリ、尚早シト云フ方ノ説モアリマスガ、之ヲ否トスル御意見ニモ少シヅヽ異ツテ居ルガ、併シ先ツ今暫ク見合セルト云フコトニ帰著スルヤウデアル、ソレデ可否ヲ決シマスルニハ多数ニ依テ決シマス、サウシテ本案ガ宜イト決シマシタナラバ、所謂一読会見タヤウナ体裁デ、委員デ更ニ答申案ヲ拵ヘルヤウニナリマスカ、チヨツト伺ヒタイ
○四番(男爵鈴木大亮君) 簡単ナ問題デゴザイマスカラ、決シマシタラ幹事ノ方デ答申案ヲ拵ヘルヤウニシタラ、便利デアラウト思ヒマス
○二番(藤田四郎君) チヨツト中ニ弁明セラレマシタ所ヲ見マスルトドウ云フヤウナ方法ニ依テトカ云フコトガ、見エタヤウデゴザイマスガ……
○議長(伯爵佐野常民君) 此大体サヘ決シマスレバ、方法ノ処ハ御説ガゴザイマスレバ問題ニナリマスガ、御説ガナケレバ幹事ノ方デ答申ヲ拵ヘサセマスカラ、ソレデハ御起立ヲ請マス
  起立者  多数
 多数デゴザイマス、モウ尚早シト云フ方ノ決ハ採リマセヌ
○二十番(広瀬宰平君) 此会議ハ時限ガアリマシテ、終リハ何時ト云フコトデアリマスカ、又ハ議長ガ御定メニナリマスカ
○議長(伯爵佐野常民君) ソレハ御相談ヲスル積リデゴザイマスガ、皆サンノ御都合モゴザイマスルカラ、明日カラハ午前九時ヨリ十二時マデ開会スルコトニ致シマス