デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.14

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

9章 一般財政経済問題
1節 金本位問題
■綱文

第23巻 p.645-646(DK230064k) ページ画像

明治30年2月(1897年)

是ヨリ先栄一、伯爵井上馨ト会談シ金本位制実施ノ疑問ナル旨ヲ述ベシガ、是月皇太后御大葬参列ノ為メ京都ニ赴キシ際モ、同地ニ於テ侯爵伊藤博文ト面談シ同様ノ趣旨ヲ主張ス。


■資料

竜門雑誌 第一〇五号・第四六―四七頁 明治三〇年二月 【青淵先生には御大葬参列…】(DK230064k-0001)
第23巻 p.645 ページ画像

竜門雑誌  第一〇五号・第四六―四七頁 明治三〇年二月
○青淵先生 には御大葬参列の為本月五日京都へ出発せられ、帰途四日市・名古屋を経て去十一日帰京せられたり


渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第四六五―四六六頁 昭和八年一二月刊(DK230064k-0002)
第23巻 p.645-646 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著  第四六五―四六六頁 昭和八年一二月刊
 ○第三篇『夏』
    四、金本位制の実施
○上略 動機論は此辺で打切り、子爵 ○栄一の追懐談を記して置かう。
『そこで本位貨幣を定めて置かうと云ふので、貨幣制度調査会を組立て、松方《(マヽ)》さんが会長となり、二十幾人かの人々が委員となつた。主として実際の仕事をしたのは、阪谷・添田等大蔵省に居た人たちで、それ等が調査会の係であつたと思ひます。そして実業家・学者等、従来貨幣制度を論ずる人々が委員に命ぜられた。其顔触はよく覚えぬが、実業家としては益田孝君・荘田平五郎君・私など、学者としては田口卯吉君・金井延君等も居たと思ふ。会はさう度々でなく、月一回位で大蔵省が首脳に居り、愈々制度をどうするかに就て論じた。此時の説は、松方さんは大蔵省を代表した人として金本位制を主張したのに対して、田口卯吉君などは、支那が銀本位であるから、日本としても全然金本位とするよりは、金銀半々の複本位制を採用してはどうかと論じた。荘田君は金本位論であつたと思ふ。私はよく解らぬが、純粋の金本位論者ではなかつた。とは云へ果して斯うすればよいと云ふ思案もなく、提案もしなかつた。それは兎に角、遂に金本位と云ふことに定まり、三十年から実施せられることになつた。その基礎は支那から取つた償金で、之を準備としたのであります。丁度三十年一月に英照皇太后が崩御になつて、京都で御葬儀が行はれた。私もそれに参列したが、其時伊藤さんに会つて、「松方さんは斯うやらうと云ふが、実施に当つて多少の疑ひがある。前に井上さんにもその事は話して置いたが」と話した処、「よく丁寧にきいて見よう」と云うて居たが、其後松方さんと話合つたと見えて、「松方の思案はよいやうだから私も賛成した」と云つて来ました。それで日本の金本位制も定つたので、その後変化なく継続して居り、真正な兌換制度として運用せられつゝある
 - 第23巻 p.646 -ページ画像 
のであります。たゞ兌換券に対する正貨準備の割合に就ては、果して適当であるかどうか、私としては軽率に云へませぬが、今日のやり方は左様に間違つて居るとは思はれません。此金本位のきまつたのは松方さんの功績であるとして、私たち銀行者仲間で、松方さんに頌徳表と記念品を贈つたことがあります。』


竜門雑誌 第四三七号・第八七頁 大正一四年二月 ○青淵先生説話集其他 故松方公に就て(DK230064k-0003)
第23巻 p.646 ページ画像

竜門雑誌  第四三七号・第八七頁 大正一四年二月
 ○青淵先生説話集其他
    故松方公に就て
○上略
更に敬服に堪へないのは金貨制度の確立に公の果断が与つて力あつたことであります。維新匆々は我邦は貨幣に制度はなかつたが、明治五年金貨本位制に定めて其条例も当時私が調査した。爾後二・三十年存続したが、今日のと異つて註釈つきの長々しいものであつた。併し金貨本位と云ふても形式の上だけのことで実質が之に伴はない憾がありましたが、日清戦争後支那から償金が入りましたから、年来虚名の金貨制度を慊らずとして居られた松方公は、この機会において金貨制度の実を備へしめたいと決心されたのであります。其頃阪谷(芳郎)男や添田(寿一)博士抔も大蔵省にあつて熱心に公の原案を支持されたものである。殊に大蔵省内に貨幣制度調査会と云ふのが設けられ、委員には田尻次官・阪谷・添田等の人々、其他田口卯吉・荘田平五郎・園田孝吉・益田孝・金井延の諸氏、私も其一人にて約三十人ばかりの実業者・学者等が集つて盛んに討論した。私抔は今直に之を実施するは或は経済界を混乱する虞ありとして大に懸念しましたけれども、公は断乎として遂に之を実行せられた。明治三十年 英照皇太后の崩御によりて私が京都に行つた時、伊藤公の意見を問ふて見たら、伊藤公も亦私と同憂を有つて特に早く帰京されて松方公と会談されたが、その後私に言はるゝには松方公と種々論議したが、特に懸念する事もなからうと思ふて自分も同意したとの事で、私も稍々不安が薄らいだ次第である。之れは私の浅薄なる知見の致す所ではあるが、松方公が卓乎として金貨制度の実施に邁進せられた先見と勇気とは現代稀に見る所であります。
○下略
   ○本文ハ栄一ノ談話ナリ。