デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 養育院其他
1款 東京市養育院
■綱文

第24巻 p.180-185(DK240020k) ページ画像

明治34年6月14日(1901年)


 - 第24巻 p.181 -ページ画像 

是ヨリ先、栄一東京市参事会員再選ヲ辞退シ、当院委員長ノ資格自ラ消滅セシガ、是日、更ニ東京市長ヨリ当院院長ヲ嘱託セラル。


■資料

東京市会史 東京市会事務局編 第二巻・第五二一―五二二頁 昭和八年三月刊(DK240020k-0001)
第24巻 p.181 ページ画像

東京市会史 東京市会事務局編  第二巻・第五二一―五二二頁 昭和八年三月刊
 ○明治年間 第四章 明治三十四年
    第拾節 救育事業
○上略
▽養育院事務委任廃止ノ件  市参事会員ニシテ養育院委員長タリシ男爵渋沢栄一君、六月 ○明治三四年ノ半数改選ヲ期トシ再選ヲ辞退シタルヲ以テ、従来委員長ニ委任シタル養育院事務ノ委任ヲ廃止スル為メ、六月十四日左ノ議案提出アリ、満場異議ナク原案通可決セリ。
 第七十六号
    養育院事務委任廃止ノ件
 東京市告示第  号
 明治二十三年四月四日東京市告示第十五号、本市養育院事務委任ノ件ヲ廃止ス。
同時ニ第七十七号案ヲ以テ養育院入院規則中改正(第三条委員長ヲ削ル)及ビ第七十八号議案ヲ以テ養育院感化部入院規則中改正(第三条委員長ヲ削ル)ノ両案提出アリ、何レモ読会省略、直チニ原案通可決セリ。
○下略


東京市会史 東京市会事務局編 第二巻・第五八〇―五八一頁 昭和八年三月刊(DK240020k-0002)
第24巻 p.181-182 ページ画像

東京市会史 東京市会事務局編  第二巻・第五八〇―五八一頁 昭和八年三月刊
 ○明治年間 第四章 明治三十四年
    第拾九節 渋沢・末吉両君功績表彰
六月三日ノ会議ニ於テ、市参事会ヨリ左ノ報告アリタリ。
 名誉職市参事会員中、来ル六月七日ヲ以テ任期満了ノ者左記ノ通ニ候条、為念此段及通牒候也。
   明治三十四年六月一日
               東京市参事会
                 東京市長 松田秀雄
    東京市会議長 星亨殿
  渋沢栄一 末吉忠晴 高山権次郎 中沢彦吉 西沢善七 加藤佐兵衛
次イデ六月十四日ノ会議ニ於テ、市参事会員半数改選ノ際、星議長ヨリ、六月七日市参事会員ノ任期満了セル渋沢栄一・末吉忠晴両君ハ今回再選ヲ辞退サレタルヲ以テ、此際報告シ置クベシ。尚渋沢君ハ本市ノ為メ種々尽力サレ、特ニ養育院ニ就イテハ非常ニ尽力セラレタリ。今後モ同氏ハ養育院ニハ十分力ヲ致サルヽコトヽナリ居レバ、之モ同時ニ報告スト告グルヤ。吉田幸作君、渋沢君ハ数々市参事会員ニ選バレタル人ニシテ、且ツ養育院ノ事業ニ付テハ、最モ熱心ニ尽力サレ、憐ムベキ鰥寡孤独ノ保護ニ就イテハ、衷心感服ノ外ナク、又末吉君ハ高年ニモ拘ハラズ、是レ亦幾度カ市参事会員ニ選バレ、本市ノ為メニ
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多大ノ尽力アリタリ、因テ此際両氏ノ其功労ヲ謝スル為メ、議事録ニ其趣特筆大書サレンコトヲ望ムト。満場異議ナク之ヲ可決シタルヲ以テ、議長ハ渋沢・末吉両君ニ対シ、左ノ書状ヲ贈レリ。
     (其一)
 市制施行以来、毎ニ名誉職参事会員トナリ、多年養育院委員長トシテ其経理ニ尽心シ、克ク実績ヲ挙ケテ今日アラシメタル閣下ノ功労ヲ感謝シ、之ヲ議事録ニ特書シタリ。玆ニ本会ノ決議ヲ具シ、謹ミテ此ノ書ヲ呈ス。
   明治三十四年六月  日
                 東京市会議長 星亨
    男爵 渋沢栄一殿
○下略
   ○後掲「竜門雑誌」第一五七号ニヨレバ右感謝状ノ日付ハ六月二十一日ナリ。


養育院六十年史 東京市養育院編 第三二四―三二六頁 昭和八年三月刊(DK240020k-0003)
第24巻 p.182-183 ページ画像

養育院六十年史 東京市養育院編  第三二四―三二六頁 昭和八年三月刊
 ○第五章 東京市営時代
    第二節 入院規則及処務規程の改正
○上略
 翌明治三十四年(一九〇一)六月に至り、養育院事務委任廃止となり、委員長の外に、新たに院長を置くことゝなつた。
 第七十六号
    養育院事務委任廃止の件
 明治二十三年四月四日東京市告示第十五号本市養育院事務委任の件を廃止す
   明治三十四年六月十四日提出
               東京市参事会
                 東京市長 松田秀雄
 この提案は市会の議決を経て、玆に渋沢委員長は養育院長に選任し委員長には中沢彦吉選任された。中沢委員長選任に付、市長より渋沢院長及養育院委員会宛、左の通り同文の報告があつた。
      報告
 市参事会員より出つる委員長左の通選任候条、此段及報告候也
   明治三十四年六月十八日
               東京市参事会
                 東京市長 松田秀雄
    東京市養育院長 男爵 渋沢栄一殿
          委員長 中沢彦吉
右の結果として、翌十九日、処務規定の改正となり、明治三十二年規定の幹事の権限は常規に復し、院長が一切の院務を掌理するに至つたのである。
 東京市訓令甲第三六号
                     東京市養育院
 東京市養育院処務規程左の通り改正す
   明治三十四年六月十九日
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               東京市参事会
                 東京市長 松田秀雄
    東京市養育院処務規程
 第一条 院長は院務を掌理し幹事以下の職員を監督す
 第二条 院長は左に掲くる者の進退を専行し市参事会へ報告すへし幼童世話掛・看護人・炊夫・小使
 第三条 院長事故あるときは幹事其職務を代理す
 第四条 幹事及書記は院長の指揮を受け院務に従事す
 第五条 教員は教務に従事す
 第六条 医員は医務に従事し、調薬手は調薬に従事す
○下略


東京市養育院月報 第五号・第一一頁 明治三四年七月 院長の新任と委員長並委員の変更(DK240020k-0004)
第24巻 p.183 ページ画像

東京市養育院月報  第五号・第一一頁 明治三四年七月
    院長の新任と委員長並委員の変更
本院委員長渋沢男爵は此程市参事会員を退かれたるに付、委員長の資格自から消滅せしが、去月十四日市長より更に養育院長を嘱托せられたり、而して委員長の後任には従来の委員中沢彦吉氏当選せられ、同氏の後任として高島徳右衛門氏委員に当選す


竜門雑誌 第一五七号・第五〇頁 明治三四年六月 ○青淵先生養育院長となる(DK240020k-0005)
第24巻 p.183 ページ画像

竜門雑誌  第一五七号・第五〇頁 明治三四年六月
    ○青淵先生養育院長となる
青淵先生には従来市参事会員たりしも、今回の改選期に際し、之れを辞任せられたれば、東京市に於ては養育院の職制上、同院の常設委員長は市参事会員より之を兼ぬることとなり居り、青淵先生其任にあられしも、今回此制度を改めて別に院長を置くこととし、市参事会よりは同院の創立以来始終院の為めに尽力せられたる先生に院長の職を嘱托せるを以て、先生には之を歓諾し、従前の通り院務を統轄鞅掌せらるゝ由なり


竜門雑誌 第一五七号・第五一頁 明治三四年六月 ○青淵先生に対する東京市会の感謝状(DK240020k-0006)
第24巻 p.183 ページ画像

竜門雑誌  第一五七号・第五一頁 明治三四年六月
    ○青淵先生に対する東京市会の感謝状
東京市会に於ては、先頃前参事会議員たりし青淵先生及末吉忠晴氏に感謝状を送付する件を可決せしが、本月二十二日愈々左の感謝状を同会議長星亨氏より送付せられたり
 市制施行以来毎に名誉職参事会員となり、多年養育院委員長として其経理に尽心し、克く実績を挙げて今日あらしめたる閣下の功労を感謝し、之れを議事録に特記したり、玆に本会の決議を具し、謹みて此の書を呈す
   明治三十四年六月二十一日
                 東京市会議長 星亨
    男爵 渋沢栄一殿
   ○当院ハソノ後業務拡張ニ伴ヒ、明治三十五年度・明治四十年度・明治四十一年度・大正二年度・大正五年度・大正九年度ノ各年度ニ、処務規定改定サレタリ。(養育院六十年史第三二七―三四四頁)
 - 第24巻 p.184 -ページ画像 



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三四年(DK240020k-0007)
第24巻 p.184 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
三月六日 曇
○上略 長屋□次郎来ル、養育院医員ニ関スル評議書ヲ持参ス ○下略
   ○中略。
三月十二日 晴
○上略 午後帝国大学ニ抵リ、菊地総長ニ面会シテ養育院医員ノ事 ○中略 等ヲ談話ス ○下略
   ○中略。
五月十一日 雨
午前入沢達吉氏来リ養育院医員ノ事ヲ談話ス ○下略
   ○中略。
五月十三日 曇又雨
午前安達憲忠来リ養育院ノ事ヲ談話ス ○下略
   ○中略。
六月三日 雨
午前安達憲忠氏来ル、養育院ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
九月二十八日 曇
○上略 午後一時養育院ニ抵リ購入スヘキ家屋ヲ一覧ス ○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三五年(DK240020k-0008)
第24巻 p.184 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十二日 晴
○上略
十一時髪ヲ理シ、畢テ東京ヘ書状ヲ発ス
○中略
 一養育院月報材料ヲ田中太郎ヘ返却スルニ付、修正セシ理由通知ノ一封
○下略
   ○中略。
一月十四日 晴
○上略
養育院常設委員ノ事ニ関シ、安達憲忠氏ニ書状ヲ送ル ○下略
   ○中略。
四月廿九日 雨
○上略 九時養育院ニ抵リ、幹事以下ノ事務員ヲ会シテ旅行留守中事務取扱ニ関スル注意ヲ訓示ス ○下略
   ○中略。
十一月十七日 晴
○上略 朝飧後直ニ家ヲ出テ小石川大塚養育院ニ抵リ、留守中ノ事務ヲ聞キ院内ヲ一覧ス ○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三六年(DK240020k-0009)
第24巻 p.184-185 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
一月五日 晴
 - 第24巻 p.185 -ページ画像 
○上略 午前養育院医長橋本某来訪ス ○下略
   ○中略。
三月三十一日 曇
○上略 又東京市ニ抵リ、市長ニ、浦田氏等ニ面会シテ養育院ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
六月二十七日 雨
○上略 十二時兜町事務所ニ抵リ ○中略 安達憲忠氏来リ、養育院ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
八月九日 晴
午前八時朝飧ヲ畢リ ○中略 安達憲忠来リ、養育院ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
八月十三日 晴
午前八時朝飧ヲ畢リ ○中略 十時東京市役所ニ抵リ、尾崎市長ニ面会シテ養育院ノ事ヲ談ス ○下略



〔参考〕竜門雑誌 第一九七号・第三六頁 明治三七年七月 ○渋沢家の養育院寄附(DK240020k-0010)
第24巻 p.185 ページ画像

竜門雑誌  第一九七号・第三六頁 明治三七年七月
○渋沢家の養育院寄附  渋沢家には本月十四日、青淵先生の先室宝光院殿廿三回忌相当に付、同日上野寛永寺に於て法要挙行の処、親戚其他一般知人に対する供養の茶菓配贈の先例を廃し、金三百円を東京市養育院に寄付せられたりと云ふ