デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 養育院其他
1款 東京市養育院
■綱文

第24巻 p.186-195(DK240023k) ページ画像

明治39年6月(1906年)

是月、当院院資増殖ノ目的ヲ以テ市参事会員・市長・当院常設委員・院長及ビ感化部顧問等ノ発起ニヨリ、東京市養育院資増殖会設立サレ、栄一、会長ニ就任ス。


■資料

東京市養育院月報 第六四号・第一四―一六頁 明治三九年六月 ○本院資金増殖会(DK240023k-0001)
第24巻 p.186-188 ページ画像

東京市養育院月報  第六四号・第一四―一六頁 明治三九年六月
○本院資金増殖会 本院々資を増殖するの目的を以て、今回市参事会員・市長・助役・本院常設委員・本院々長・感化部顧問等の諸氏発起人となり、東京市養育院資金増殖会《(マヽ)》なるものを創設し、会長を本院々長に、会計監督を東京市会計課長及庶務課長に、事務長を本院幹事に嘱托する事となり、本月より愈々会員募集に着手せり、左に其設立並に規則書を掲げたれば、江湖同情諸君の之れを一読して、成るべく多く賛助を賜はらんことを希望す
    △東京市養育院資金増殖会設立趣意書《(マヽ)》
 予輩同志玆に胥謀て、東京市養育院資増殖会を起こし、謹て江湖諸賢の賛助を仰がんと欲す、諸賢希くば本趣意書を一読せられ、予輩同志が微意の存する所を察して、幸に深厚なる同情を寄せ給はらん事を
 抑も我東京市養育院は明治五年十月の創設に係り、市内在住の窮民を救ふを以て其目的とし、兼て東京府及市の委托を受けて府下の行旅病人・棄児・遺児及迷児を救済する一大慈恵機関なりとす、而して右の行旅病人以下の受托収容者に対しては、府及市より費用の弁償を受るを以て特に玆に言ふべきの必要を見ずと雖、同院本来の目的たる市内在住窮民の救済に就ては、従来蓄積し来りたる同院基本金の利子を以て全然之れが支弁をなさゞる可らず、而して此基本金は、年々畏も至仁至愛なる
 皇后陛下の御手許より賜はる御下賜金と、大方慈善家諸氏の寄附とにより、逐次増殖して今や殆ど参拾万円の多額に上りたりとは云へ然も此基本金の利子を以て救助し得る所の窮民の定員は、目下僅かに二百八十名の少数に過ぎずして、現今市内に於ける憐むべき多数の窮民に対し、遺憾なき救助を施行し能はざるは言ふ迄もなく、現に幾多の入院出願書は常に院事務局の卓上に堆をなすにも拘はらず当局の吏は熱涙を呑みて空しく彼等の情願を容るゝ能はざるを悲しむの状態に在り、目下の現状洵に此の如し、而して将来我東京市に於ける社会経済各方面の発達膨脹は、殆ど其底止する所を知るべからざると共に、生存競争場裡の敗衂者たる無告窮民の増加も、亦決して少なからざるべきは明かなり、之れ豈我等市民の軽々看過すべき問題なりとせんや、刻下の状態右の如く、而して今後の趨勢亦此の如しとせば、即ち当面の急務は、我東京市の救済機関たる養育院の為めに資金調達の方法を講じ、因て以て其本来の目的たる市内窮民の救助を遺憾なく施行せしむるを得るの途を開くに在り、之れ実に予輩同志が本会設立を企つるに至りし第一の理由なりとす
 - 第24巻 p.187 -ページ画像 
 然り而して救助の目的物たる窮民の増加に伴ふて、我東京市養育院の事業が愈々拡張を要するに従ひ、之れをして真に都市救済機関たる職能を完うせしめんと欲するには、須らく今後同院の施設の上に幾多の改良を加へずんばあるべからざるの必要に迫まられつゝあるなり、而して其第一の必要は、収容者の別異法を完全に施行するの一事にありとす、抑も救済場舎に於ける収容窮民の種類なるものは之れを男女に依り年齢に依り性情に依り健康に依り、厳密なる区分を立てゝ截然たる別異法を施すを要するなり、特に年少者をして厳に之を他の年長窮民と離隔し、互に相接触するの機会なからしむる設備の如きは、彼等幼少者をして、年長窮民の悪感化より免かれしむる最も緊切の手段なりとす、然と雖現在の東京市養育院は、未だ此設備を完ふし能はざるの状態にあり、而して此別異の法を完成せんと欲するには、従つて収容場舎の増築を要すと雖、然かも其建築費を支出するの財源なく、若し又基本金の利子を以て強て之れに充てんとすれば、窮民収容費は為めに空乏となりて、救助の施行を一時中止せざるべからざるの苦境に陥るを免かれず、之れ予輩同志が該院事業翼賛の目的を以て院資調達の為めに特に本会を設立するに至りし第二の理由なりとす
 而して第三の理由に至りては、更に一層重大の問題なり、蓋し救済の事業なるものは単に窮民に衣食を給して其生存を保障するのみに止まらず、他日再び社会の競争場裡に復帰して、自営独立の生活を成さしむるの準備を与ふるを要するなり、況して年少者の救助に就ては、特に此方面の素養を与ふるを以て最要の目的とせずんばあるべからず、而して目下我養育院に於ける此種の設備如何と言ふに、未だ全く其組織を欠如し、其手工と称するものも唯纔に袖手座食の弊を防がんが為に課する所の作業にして、未だ之を目して完全なる工業教育の科程と称するを得ざるなり、若し夫れ窮民救助、特に年少者の救助をして有終の美を済さしめんと欲するには、須く工業教育の設備を救済場舎に併置して、彼等年少窮民に独立自営の生計を営むに足る技能と熟練とを習得せしむるの教育機関を作るを要するなり、而して此目的を成就せんが為には、新に工業教育の校舎を設け機械器具を整備して、以て遺漏なき設備をなすを要すと雖、然かも其創立及維持に要する多大の経費の如きは、該院目下の経済に於ては未だ之を支出し得るの方法なく、憾を忍びて今尚其設備の空しきを嘆じつゝあるの状態に在り、之れ実に予輩同志が養育院事業翼賛の為に本会設立を企つるに至りし最も重大の動機なりとす
 然り而して、本会の趣旨は別紙規則書に述ぶるが如く、世人何人と雖敢て苦痛を感ぜざるべき少額の義捐を広く江湖の同情に仰ぎ、多数者の力を籍りて、以て巨額の資金を得んと欲するにあり、即ち涓滴を集めて大海と成さんと欲するの主義に外ならず、而して若し夫れ幸に江湖同情諸賢の賛助を得て、如上の希望を完ふする事を得ば啻だに之れ予輩同志の本懐たるのみに止まらず、世上無告の窮民の当に被るべき其恩恵亦洵に極りなきものあるべきなり、敢て数言を陳じて予輩同志の微衷を披瀝したる所以のもの、蓋し区々惻隠の情
 - 第24巻 p.188 -ページ画像 
に動されたるのみに非すして、同時に亦邦家百年の前途に一片の憂心を懸くればなり
    △東京市養育院資増殖会規則
 第一条 本会は東京市養育院資増殖会と称す
 第二条 本会は東京市養育院資本の増殖を謀るを以て目的とす
  但委員会の議決を経て、同院と直接関聯せる事業に寄附することあるべし
 第三条 本会の事務所は東京市養育院内に設置す
 第四条 本会の目的に同意する篤志家は、何人にても会員たるものとす
 第五条 会員は毎月規定の会費を納むるものとす
  但会費は一口一箇月金五銭一人幾口にても自由とす
 第六条 本会に会長・委員・会計監督・事務長及事務員を置く
  但会長は東京市養育院長に、委員は同院常設委員に、会計監督は東京市会計課長及庶務課長に、事務長は同院幹事に之を嘱托し、事務員は会長の選任する処による
 第七条 本会の成績は毎年一回会員に報告するものとす
                     発起人
                      渋沢栄一
                      中島行孝
                      渡瀬寅次郎
                      内山平三郎
                      関幸太郎
                      丸山名政
                      江間俊一
                      中鉢美明
                      江崎礼二
                      稲茂登三郎
                      肥塚竜
                      森久保作蔵
                      大倉喜八郎
                      尾崎行雄
                      渡辺勘十郎
                      河田烋
                      三好退蔵
                      中沢彦吉
                      古川孝七
                      原亮三郎
                      中井高生
                      角田真平


東京市養育院資増殖会勧誘状 明治三九年六月刊(DK240023k-0002)
第24巻 p.188-189 ページ画像

東京市養育院資増殖会勧誘状  明治三九年六月刊
拝啓、時下益御清穆被遊御座候段奉抃賀候、陳者我東京市養育院は明治初年の創立以来、季を閲する玆に三十有五、其間種々の変遷有之候
 - 第24巻 p.189 -ページ画像 
にも拘はらす終始帝都の救済機関として善く其職を尽し、幾分の貢献を社会に寄与し得たる所以のもの、偏に帝室の御庇護と、江湖同情諸君の御賛襄とに依るものと、直接同院経営の任に当る拙生等の深く感佩に堪へさる所に御座候、然るに輓近社会進歩の結果として、市内窮民の増加は頓に其甚しきを加へ、飢餓を陋巷に訴え病苦を道途に叫ふの老幼婦女、其数殆と幾何なるを知る能はさるの有様となり、従つて我養育院裡の収容者の如きも、之を十季以前に比すれは実に三倍の多きに達し、昨季十月初の現在に依れは其数一千四百余名に垂むとするに至り、之れか救済の道を講すると収容法の設備を完整するとは、一日も緩ふすへからさるの急務と相成り、乃ち這般同志数輩と胥謀り、玆に同院の拡張及ひ設備の完成を幇助するの目的を以て、東京市養育院資増殖会なるものを設立し、敢て大方同情諸君の御賛助を仰き候、就ては別紙設立趣意書及ひ規則書御一覧の上、奮て御入会被成下、適宜之口数御引受相成候ハヽ是れ実に拙生等の本懐のみならす、本市の幸慶と奉存候、右拝願まて、乍略儀以書中奉得貴意候 敬具
                東京市養育院資増殖会
                      渋沢栄一
   ○右ハ前掲「設立趣意書」並ニ「規則書」ト共ニ各方面ニ宛テヽ発送シタル印刷物ナリ。


東京市養育院月報 第六八号・第一二―一三頁 明治三九年一〇月 ○院資増殖会に関する協議会(DK240023k-0003)
第24巻 p.189 ページ画像

東京市養育院月報  第六八号・第一二―一三頁 明治三九年一〇月
○院資増殖会に関する協議会 九月二十二日午前十時本院事務室楼上に於て院資増殖会の発会式を兼て協議会を開けり、該会よりは予て本院委員・市参事会員・各区長及び各新聞社へも夫々招待状を発し置きたる事とて、夜来の降雨にも拘はらず定刻に達する頃には続々参会せられ、已に数十名に充ちぬ、来賓者は本院長及び幹事の案内にて先づ院内各室を巡覧し、終て楼上に於て会長渋沢男爵より会の趣旨に就て一場の演説あり、それより協議に移り、午餐後再び座談を試みられしが午後三時に至て散会せり
因に各新聞記者中には、本院の現状に対し少なからず同情を寄せられたることゝて、翌日以後の紙上に於て、現下の状態及び将来の希望をも詳細社会に紹介するの労を執られたり、玆に記して其の厚意を深謝す、尚ほ渋沢男爵演説の大要は論説の部に掲げあれば、就て閲覧せられたし


東京市養育院月報 第六八号・第一―二頁 明治三九年一〇月 ○院資増殖会の旨趣に就て(渋沢院長演説)(DK240023k-0004)
第24巻 p.189-191 ページ画像

東京市養育院月報  第六八号・第一―二頁 明治三九年一〇月
    ○院資増殖会の旨趣に就て (渋沢院長演説)
本日は、生憎雨天なるにも拘はらず特に遠路御足労下された段は、厚く御礼を申上ます、扨本院の起りと云ふは、遠く百年前の昔しであつて、即ち旧幕府の老中松平越中守定信が政務を執られし時に萌したのでありまして、其後幾多の星霜を経て明治五年十月頃より具体して現はれたのであります、故に創立以来殆ど四十年に垂なんとする年月を継続して今日に至つたので、即ち市内在住の窮民を救ふを以て目的と致したのですが、後に東京府及び市の委托を受けて府下の行旅病人、
 - 第24巻 p.190 -ページ画像 
又は市府の棄児・遺児・迷児をも救済すべき一大機関となつて、玆に一大発展を為したのであります、而して院の基本をば年々畏くも
皇后陛下の御手許より賜はる御下賜金と、大方慈善諸氏の寄附金とにて逐次増殖して今日は三十四・五万円と云ふ巨額に上つてゐる、尤もその内五万余円は井の頭感化部の維持基本金としてあるので、残り約三十万円より生ずる利子を以て年々救助し得る窮民は目下二百八十二名に過ぎません、之にては到底市内に於ける多数の窮民に対し遺憾なき救助を行ふことは不可能なるのみならず、元来本院の建築は、其当時の見込は総ての窮民の数概ね六・七百人を収容する予定で構造致したのであるのに、現在は千三百八十余名と云ふ大多数に達し、健康者の室の如きは畳半畳に一人と云ふ割当となつて居る位で、実に狭隘を告げつつあるにも拘はらず、一方に於ては社会各方面の発達膨脹は非常なるもので、同時に生存競争場裏の敗衂者たる無告の窮民は益々其増加を来たし、殊に戦役後は著しく其数を増し来た次第でござります殊に現今の有様は如何なる種類のものたるを問はず、悉く収容しつゝあるが、元来窮民救済の方法としては責めては収容者の別異を完全にし、年齢に依り、性情に依り、病症の種類に依り、厳密なる区劃を立つるの必要があります、殊更年少者をして他の普通窮民及び行旅病人との接触を杜絶し、彼等の間における悪感化の影響を免かれしむるは最も緊切の事でありますが、此別異法を完成ならしめやうとすれば、収容すべき建物をば別に建築するの必要があるのであります、然るに目下の基本財産を投ずれば此目的を遂行し能はざるではない、併し斯く致した場合には窮民収容の範囲を縮めざるを得ぬ、而して其救済の事たる、老癈者は暫く措き、幼少年者に至ては単に衣食を給し生存を保障するに止まるものでなく、必ずや独立自営の途に就かしむる為め相当の技能を与ふるの設備を要するのであります、目下の所に於ては其設備の充分ならざるが為め、僅に座食の弊を防ぐに過ぎぬ迄の事でありますが、将来は是非とも完全なる工業教育の設備を併置し、年少収容者に他日出院の後自ら生計を営むに足る技能と熟練とを習得せしむる教育機関を造り、彼等を教養して社会に立ちて自活し得らるゝの途を開かねばなりませぬ、若し是等救済の途を講ぜず今日の儘に放棄し置きたらんには、出院後彼等は自暴自棄の民となり、一歩過つ時は所謂貧の盗みなるものとなりて、玆に犯罪者の数を殖すと云ふに至るのであらうと思ひます、左なくとも野に餓莩ではなく、市に餓莩を横ふるやうでは、世界の大都と謳はるべき東京市の恥辱不面目であります故に、私は不肖を顧みず率先して市長・市参事会員・本院常設委員等の諸氏と協議の結果、こゝに院資増殖会なるものを設立して広く江湖の同情に訴へ、以て院の拡張を計るに立ち至りたる次第であります今日より四・五年の間に少なくとも三十万円以上の資金を募らうと云ふ決心であります、故に多少に拘はらず総ての方面より喜捨を願ふべく玆に諸君の御来臨を煩はして、併せて御助力を請ふ所以であります又此会費は一口一ケ月金五銭で、一人幾口でも御志に任せて自由に応じ得らるゝ規定でありまして、決して御無理は願はないのでありますから何卒応分の義捐を成し下されて、本会の趣旨を貫徹させて戴きた
 - 第24巻 p.191 -ページ画像 
いもので御座ります
 右は男爵の演説を速記したるものにはあらずして、僅に其趣旨を摘録したるに過ぎざるものなれば、もとより完璧と称すべきものに非らざるは勿論なり、読者幸に之を諒せよ


時事新報 第八二七四号 明治三九年一〇月二八日 養育院の窮民救助(DK240023k-0005)
第24巻 p.191 ページ画像

時事新報  第八二七四号 明治三九年一〇月二八日
    養育院の窮民救助
東京市養育院にては、既記の如く窮民救助の目的を以て渋沢栄一氏外二十一名発起となり、院資増殖会なるものを設立して度々資金の募集中なるが、其後之に応募したる者は渋沢一家の四千百口、岩崎一家の二千五百口、穂積陳重夫妻の四百五十口、阪谷芳郎夫妻の四百五十口等なるよし、此増資は其利子を以て窮民を救済し、又委員会の決議を以て同院と直接関係ある事業に寄附せんが為めにして、応募者は何人にても会員となる事を得、会員は五箇年を以て一期とし、毎月規定の会費即ち一口一ケ月金五銭を出し、一人にて幾口をも寄附するを得る定めなり、同会の会長は養育院々長之を兼ね、会計監督は市当局者之を掌り、毎年一回事業の報告を為す筈なりとぞ


東京市養育院月報 第七一号・第一一頁 明治四〇年一月 ○東京市養育院資増殖会の決算報告(DK240023k-0006)
第24巻 p.191-192 ページ画像

東京市養育院月報  第七一号・第一一頁 明治四〇年一月
○東京市養育院資増殖会の決算報告 去る三十九年六月中東京市長・助役・市参事会員・本院常設委員及本院々長等発起となり、本院資金の増殖と共に、其設備をして一層完全ならしめんことを欲し、院資増殖会なるものを設立せしは已報したる所なるが、爾来会員の募集に着手したるに、忽ちにして江湖慈善家の同情を博し、爰に左記の如き好成績を発表するの光栄を得たり、尚本会は将来益々事業の発展を計り以て素願を遂げんことを期するものなれば、本年に於ては一層諸君の厚情を煩はさんこと切に希望に堪えざる所なり
明治三十九年中に於ける会員加入口数及収支決算左表の如し
    会員数及口数
      口数 二万三百三十一口
 会員
      人員 二千九十五人
      金額 弐千百壱円八拾銭
 一時寄附
      人員 百五十二人
      収入
 一金四千六百参円六拾五銭 (明治三十九年六月十五日より十二月末日に至る)
      支出
 一金八百四拾六円四拾五銭
  内訳
  金弐百六拾壱円弐拾五銭 勧誘員二名、集金員二名の給料
  金百四拾六円      同上車代及弁当代
  金百拾壱円       報酬及手当金
  金百弐拾六円      発会式費用
  金百五円五拾八銭    印刷費
 - 第24巻 p.192 -ページ画像 
  金六拾四円六拾弐銭   備品及消耗品費
  金参拾弐円       創立準備費
 差引残
  金参千七百五拾七円弐拾銭
   内
  金参千五百円      東京市養育院へ寄附


東京市養育院月報 第八三号・第一九―二〇頁 明治四一年一月 ○院資増殖会報告(DK240023k-0007)
第24巻 p.192-193 ページ画像

東京市養育院月報  第八三号・第一九―二〇頁 明治四一年一月
○院資増殖会報告 東京市養育院資増殖会は創立以来玆に一ケ年半を経過し、幸にも有志諸君の賛同を得ること多大にして、義捐の金額已に壱万九千弐百八拾参円余に達し、稍や其素志を貫くを得べきの吉兆を示しつゝあり、これ実に本会の光栄にして、同情者諸君に対し深謝に堪えざる所なり、而も退て一方を顧みれば都市の膨脹は勢ひ貧民の増加を来たし、養育院収容者の数は年一年に増加を見るも、資金の増殖は未だ以て之れと並行する能はず、これ本会の大に苦心する所にして、尚進んで諸氏の同情を要求する所以なり、爰に明治四十年中に於ける収支決算を報告するに当り、今後益々本会をして其発展の機会を与へられ、市の救済機関を完備し、以て帝都の面目を全ふせられんこと切に希望に堪えざる所なり
 口数 壱万弐千八百九拾五口
 人員 壱千弐百六人
         (四十年中加入口数及人員)
 口数 弐万参百参拾壱口
 人員 弐千九拾五人
         (卅九年中加入口数及人員)
    口数 参万参千弐百弐拾六口
 合計
    人員 参千参百壱人
         (四十年末現在)
 一時寄附金
  金額 五千九百七拾壱円六拾銭
  人員 壱百拾四人
         (四十年中)
    明治四十年中会費収支決算
 金弐万壱千弐百九拾四円参拾五銭
          四十年中総収入金高
 金弐千参百九拾七円参拾銭
          四十年中総支出金高
   内訳
 金壱千参百五拾四円四拾八銭四厘 諸給料
 金参百七拾参円弐拾参銭     諸手当
 金四百四拾四円六拾銭      勧誘員三名・集金員三名の車代及弁当代
 金四拾円拾八銭六厘       備品消耗品費
 金参拾八円五拾銭        集金員被服代
 金百四拾六円参拾銭       印刷費
 - 第24巻 p.193 -ページ画像 
残金壱万八千八百九拾七円五銭
  内
 金弐拾円   振替貯蓄口座帖一部養育院へ寄附
差引残金壱万八千八百七拾七円五銭
 金弐百五拾七円弐拾銭      前年より越高
 金百四拾八円九拾五銭      諸利子
合計金壱万九千弐百八拾参円弐拾銭
                 四十年末現在


東京市養育院月報 第九五号・第二三頁 明治四二年一月 ○院資増殖会決算報告(DK240023k-0008)
第24巻 p.193-194 ページ画像

東京市養育院月報  第九五号・第二三頁 明治四二年一月
○院資増殖会決算報告 東京市養育院資増殖会は、創立以来玆に二箇年半を経過し幸にも有志諸君の賛同を得ること多大にして、義捐の金額既に四万千七百弐拾七円六拾九銭に達し、素志を貫くべき吉兆を示しつゝあり、之れ実に本会の光栄にして、同情者諸君に対し、深謝に堪えざる所なり、而も反顧すれば都市の膨脹は勢ひ貧民の劇増を来たし、養育院収容の数は年一年に増加を見るも、資金の増殖は未だ以て之れと並行する能はず、これ本会の大に苦心する所にして、尚進んで諸氏の同情を要求する所以なり、爰に明治四十一年中に於ける収支決算を報告するに当り、今後益々本会をして其発展の機会を与へられ、市の救済機関を完備し、以て帝都の面目を全ふせられんこと切望に堪えざる所なり
右に関する収支決算は左表の如し
 口数 五千〇五十七口
 人員 千〇二十一人
         (四十一年中加入口数及人員)
 口数 三万三千二百二十四口
 人員 三千三百〇一人
         (前年ヨリ越口数及人員)
 口数 六千七百十二口
 人員 七百七十四人
         (四十一年中退会口数及人員)
 口数 三万千五百七十一口
 人員 三千五百四十八人
         (四十一年末現在口数及人員)
 一時寄附金
  金額 六千六百四拾壱円八拾五銭
  人員 九百七十一人
         (四十一年中)
    明治四十一年中会費収支精算表
 金弐万四千四百六拾九円弐拾五銭
          四十一年中総収入
 金参千九百拾弐円六拾四銭
          四十一年中総支出
   内訳
 - 第24巻 p.194 -ページ画像 
 金千八百五拾参円八拾六銭   諸給料
 金六百弐拾九円        勧誘員・集金人出張手当
 金六百六拾五円九拾銭五厘   備品消耗費印刷費其他諸雑費
 金四百弐拾九円拾銭      諸手当
 金弐百八拾六円七拾七銭五厘  委託勧誘手数料
 金四拾八円          集金人被服代
金弐万五百五拾六円六拾壱銭   差引残
 金壱万九千弐百八拾参円弐拾銭 前年ヨリ越高
 金千八百八拾七円八拾八銭   諸利子
計金四万千七百弐拾七円六拾九銭
  内
 金参万八千円         養育院へ寄附
 金参千七百弐拾七円六拾九銭  越高


東京市養育院月報 第一〇九号・第一六頁 明治四三年三月 ○東京市養育院資増殖会決算報告(DK240023k-0009)
第24巻 p.194-195 ページ画像

東京市養育院月報  第一〇九号・第一六頁 明治四三年三月
○東京市養育院資増殖会決算報告 本院の資金を増殖し、救済機関の完備を速かならしめんとするの目的を以て、去明治三十九年六月に創立せられたる東京市養育院資増殖会は、幸にして市民諸氏の優渥なる同情を博し、為めに年々多大の寄附を本院へなすを得たるが、昨四十二年中の如きは同会の収入合計三万七百余円にして、内二万七千二百余円を本院へ寄附せられたり、今同年の収支決算報告を掲ぐれば左の如し
    明治四十二年一月より同十二月に至る会員加入口数及収支決算
  会員加入口数及一時寄附金額人員表
 口数 三千三百二十四口
             (四十二年中加入口数及人員)
 人員 一千二百四十四人
 口数 三万千五百七十一口
             (前年より越口数及人員)
 人員 三千五百四十八人
 口数 七百九十一口
             (四十二年中退会口数及人員)
 人員 六百七十八人
   口数 三万四千百四口
 差引          (四十二年末現在口数及人員)
   人員 四千百十四人
       金額 壱万弐千弐百八拾五円五拾六銭
 一時寄附金                  (四十二年中)
       人員 千十八人
      収入の部
 一金参万七百五円弐銭      四十二年中収入高
      支出の部
 一金四千百四拾四円参拾六銭五厘 同上支出高
   内訳
  金弐千五百八拾七円八十八銭  給料及諸手当
  金七百弐円          外勤諸手当
  金弐百六拾七円拾五銭五厘   備品消耗品及印刷費
  金五百八拾七円参拾参銭    筆耕料及人夫賃其他諸雑費
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   差引残高
 一金弐万六千五百六拾円六拾五銭五厘
 一金参千九百弐拾七円六拾九銭  前年より越高
 一金五百拾四円七拾六銭     利子
  計金参万千参円拾銭五厘
収支右の如くにして、内金弐万七千弐百拾円五銭を本院へ寄附し、残参千七百九拾参円五銭五厘を四十三年へ繰越せり



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三八年(DK240023k-0010)
第24巻 p.195 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年      (渋沢子爵家所蔵)
二月八日 晴 風ナシ
○上略
安達憲忠氏来リ養育院医員ノ事ヲ談ス
   ○中略。
七月二十日 曇 蒸暑
○上略 八時 ○午前安達憲忠来リ養育院ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
八月十七日 雨 冷気
○上略
安達憲忠ニ養育院ノ事ヲ書通ス、田中太郎ヘ書状ヲ遣ス
○下略
   ○中略。
九月二十六日 晴 秋冷
○上略 午前八時養育院ニ抵リ安達・山本二氏ト会話ス、山本身上ニ付種種ノ論弁ヲナセシモ其決意ヲ翻ス能ハサルヲ以テ、終ニ同氏ノ辞意ヲ承認スル事トシ、後任ノ人ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
十一月十一日 晴 風寒シ
○上略 九時養育院ニ抵ル、十時頃英人リデル嬢・頭本元貞・金沢久・山根正次諸氏来会ス、共ニ各室内ヲ一巡ス ○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三九年(DK240023k-0011)
第24巻 p.195 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
一月二十八日 晴 風寒シ           起床七時 就蓐十二時
○上略 八時過朝飧ヲ喫シ、安達憲忠・田中太郎・山本徳尚ノ諸氏来訪ニ接シ養育院ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月二十一日 雨 軽暖            起床八時 就蓐十二時
○上略 安達憲忠氏ノ来訪ニ接シ養育院ノ事ヲ談ス
○下略
   ○中略。
三月十一日 雨 軽暖             起床七時 就蓐十二時
○上略 安達憲忠氏来リテ養育院ノ事ヲ談ス ○下略
三月十二日 晴 軽暖             起床八時 就蓐十二時
○上略 安達憲忠氏来リ養育院ノ事ヲ談話ス ○下略