デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 養育院其他
7款 横浜監獄小田原分監
■綱文

第24巻 p.317-318(DK240040k) ページ画像

明治39年3月3日(1906年)

是日、横浜監獄小田原分監ノ落成及ビ開庁式行ハル。栄一、田中太郎ニ托シ、祝辞ヲ送ル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK240040k-0001)
第24巻 p.317 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
三月三日 雪 寒
○上略 田中太郎氏ヘ托シテ小田原幼年監獄開庁式ノ祝辞ヲ送致ス ○下略


竜門雑誌 第二一四号・第三七―三八頁 明治三九年三月 ○横浜監獄小田原分監開庁式祝詞(DK240040k-0002)
第24巻 p.317-318 ページ画像

竜門雑誌  第二一四号・第三七―三八頁 明治三九年三月
○横浜監獄小田原分監開庁式祝詞 本月三日開庁式を挙行せられたる幼年囚特別処遇の為め設けられたる同監の施設を賛せられ、当日内閣統計属にして斯業に熱心なる田中太郎氏を遣はし、左の祝詞を朗読せしめられたりと云ふ
    祝詞
 幼年囚特別処遇の施設として、本邦嚆矢の事業たる横浜監獄小田原分監の開庁式に際し、玆に謹で蕪言を呈するの機会を得たるは余の光栄とする所なり
 抑も犯罪の増加は文明の進歩に伴なふ一種の現象にして、避くべからざるに似たりと雖ども、然かも此傾向は到底昭代の一不祥事たるを免かれず、而して欧米先進諸国に於て犯罪の予防及救治に関する方策が、前世紀の後半以来特に切実の講究と実施とを見るに至りし所以のもの、蓋し謂れなきに非ざるなり
 本邦行刑司獄の制度に於ける、未だ必ずしも泰西諸国の後へに位すと云ふべからざるも、其実際的施設の点は遥かに及ばざるものあるを免かれず、之れ朝野有識の士の夙に憂慮に堪えざりし所なり、夫れ刑は刑なきに期す、犯罪救治の目的をして其遺憾なき成果を得せしめんと欲せば、須らく斧を其根幹に下ださざるべからず、之れ感化事業及幼年犯罪者特別処遇の最も重要視せらるゝ所以にして、曩には感化法の発布となり、次で行刑猶予制度の施行となり、今又た玆に幼年囚感化獄の開設を見る、之れ皆な犯罪救治の根本的解決手段にして、吾人の特に喜びに堪えざる所なりとす
 蓋し人の幼年時代に在るや、其行為は主として盲目的衝動の支配に属し、生活の状態は寧ろ動物的たるを免かれず、故に道義の観念、理解の能力は此時代に於ては未だ其萌芽を認め得るに過ぎざるなり従つて斯くの如き年少者に対して厳格なる刑罰の適せざるは固より論なしとす、而して泰西諸国が夙に感化学校の設立に努め、或は特別処遇の幼年監獄を設くるに至りし所以のもの、蓋し此点に着眼したるに外ならず、退て本邦の現状を察するに、感化法の発布以来既に六星霜を経たりと雖ども、目下其実施を見るは全国中唯だ僅かに三・四の地方に過ぎずして、其施設の規模も亦頗る狭小の憾みある
 - 第24巻 p.318 -ページ画像 
を免かれず、然るに今日此文明主義の方法を採用せる幼年囚感化獄の設立を見る、真に之れ空谷の跫音、本邦監獄行政の歴史上特筆大書すべき紀念的事業と云はざるを得ず
 余や東京市養育院の事業を監督すること既に三十余年、附属感化部の創立及其経営に焦慮すること亦た玆に年あり、客歳十月宿年の希望を達して、該感化部を府下井ノ頭の地に別置するに至りし以来、更に一層其設備を完成して事業の効果を収めざるべからざるの責任を感じ、一念此に及ぶ毎に常に寝食を安んぜざるの思あり、是を以て余は此幼年監獄の当局者に対し衷心私かに深厚の同情を抱くを禁ずる能はず、蓋し制度は死物にして之れを活躍せしむるは其人に存す、幼年監獄の制をして生命あらしめ、効果あらしめ、以て多大の貢献を社会に寄与する所以のもの、一に当局者の方寸に存すと云ふべし、当局の責任夫れ重且つ大なる哉
 頃日典獄有馬四郎助君書を載して、小田原分監開庁式の為め余に一言を求めらる、乃ち玆に平素懐抱せる所見の一端を述べ、敢て開庁を祝するの微意を表すと云爾
  明治三十九年三月四日       男爵 渋沢栄一



〔参考〕開国五十年史 同史発行所編 上巻・第五一六―五一七頁 明治四〇年一二月刊 【監獄誌 法学博士 小河滋次郎 留岡幸助】(DK240040k-0003)
第24巻 p.318 ページ画像

開国五十年史 同史発行所編  上巻・第五一六―五一七頁 明治四〇年一二月刊
    監獄誌
                 法学博士 小河滋次郎
                      留岡幸助
○上略
 越えて明治三十九年三月、横浜監獄小田原分監の建築落成式及び開庁式挙行せられたり。該分監は本邦に於ては最新主義に基き設立せられたる初年囚特別処遇の感化監獄にして、曩に川越其他に設置せられし初年監獄に比すれば、其設備固より同日の談にあらず。是より先き久しき以前より当局者の脳裏に在りしが、種々の事情に妨げられしに三十七年時の典獄有馬四郎助が熱心なる努力に由り、小田原附近蘆子村に設立せらるゝを得たり。此に収容すべきものは十二歳より十六歳までの男囚のみにして、収容地の範囲は東京・埼玉・千葉・群馬・静岡・神奈川の一府五県なり。定員は二百名の予定なれども、当分約五十名を収容することゝせり。其建築の如きも監獄と言はんよりは、寧ろ学校と称するの勝れるを見る。
○下略