デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
3節 保健団体及ビ医療施設
3款 社団法人同愛社
■綱文

第24巻 p.446-454(DK240054k) ページ画像

明治17年3月25日(1884年)

是ヨリ先明治十二年三月、高松凌雲外十三名発起人ト為リ、施薬救療ヲ目的トシ、同愛社設立サル。是日栄一、当社慈恵社員幹事トナリ、同二十三年四月之ヲ辞ス。


■資料

(高松凌雲) 書翰 渋沢栄一宛 (明治未詳年)五月七日(DK240054k-0001)
第24巻 p.446 ページ画像

(高松凌雲) 書翰  渋沢栄一宛 (明治未詳年)五月七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝見仕候、陳ハ兼而願上置候同愛社之儀ニ付、明八日参殿仕候様被仰下、委細拝承仕、何れ明八日午後第二時頃迄ニ第一国立銀行江罷出可申、先ハ右拝答如此ニ御坐候也
  五月七日                高松凌雲
                        拝答
    渋沢様
         侍史


日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編 第三―五頁 昭和三年一一月再版刊(DK240054k-0002)
第24巻 p.446-447 ページ画像

日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編  第三―五頁 昭和三年一一月再版刊
 ○第一編 総論
    第二章 第一期創業及発達期事業ノ大観
 我国ノ慈善事業史ガ聖徳太子御建立ノ四天王寺ノ悲田院・療病院・施薬院ニ始マルモノトセバ、明治ノ民営救療事業史ハ我ガ同愛社ニ於テ其第一頁ヲ占ムルモノト謂フベキカ、明治十一年ノ頃ハ白河楽翁公ノ遺志ニヨリテ成立セル東京府養育院(明治五年)ノ存スルノミニテ仏教徒ノ手ニ依リテ設立セラレタル明治時代最初ノ育児事業タル福田会育児院モ十二年六月ノ創業ニ過ギズ、明治二十一年英船「ノルマントン」号沈没義捐金ノ剰余金ヲ東京五大新聞社ガ慈善事業ニ分配スルニ当リ、養育院・福田会・感化院(明治十八年創立)及ビ本社ノ四団体ヲ選ビタルニ徴シテモ其実情ヲ想フニ足ル、本社ハ斯ル時代ニ於テ空拳空手貧民救療ノ為ニ奮起セルモノナリ。
 今稽フルニ、本社ガ比較的迅速ニ其組織ヲ完ウスルニ至リタルハ、事業ノ性質ガ社会ノ欠陥ニ適応シタルニ依ルベシト雖モ、又発起者タル高松凌雲ノ地位声望ニ負フ所少シトセズ、明治ノ初年世人ノ脳裡ニ深ク印セラレタル事件中「函館脱走」ハ其ノ尤ナルモノナリキ、函館脱走ノ中心ハ榎本武揚ナリ、榎本将軍ハ人モ知ル如ク、函館五稜廓ニ拠リテ官軍ニ抗シ、降ヲ朝廷ニ乞ヒテヨリ、更ニ、海軍中将ノ重職ニ任ゼラレタル程ノ名将ナリキ。此ノ名将ト並ビ称セラレタル高松凌雲ハ徳川十五代将軍慶喜公ノ奥御殿医ヲ勤メ、五稜廓ノ役ニハ、東軍ノ函館病院長トナリ、彼此ノ戦傷病者ヲ収容シテ之ヲ治療シ、日本赤十字事業ノ始祖トモ称セラレタル名医ナリ。此経歴ト此人格トヲ以テ救療事業ニ従事ス、都下ノ医師翕然トシテ集リタルハ、蓋シ当然ノコト
 - 第24巻 p.447 -ページ画像 
ナラム。
 此期間ニ於テハ毎月十日社員ノ集会ヲ開キ、其会場ハ輪番トシ、下谷区上野桜木町鶯渓医院ヲ本社ト定メ、社員ノ自宅ヲ分社トスル制度トシ、後本社ヲ下谷区竹町ニ移シ、再ビ鶯渓医院ニ転ジ、更ニ日本橋区檜物町川崎銀行内ニ移レリ、明治十一年東京府《(十四年)》ガ府立病院ヲ鎖シ又郡区医ノ施療ヲ廃セラルルヤ、施療ノ事業ハ殆ド本社ニ独占セラルルニ至レリ。 ○中略 同二十五年九月榎本武揚ヲ社長ニ推薦シ其承諾ヲ得、二十七年日清役ノ起ルヤ出征者ノ家族ノ疾病ニ罹ル者多キヲ以テ之ヲ救療スル必要ヲ痛感シ、臨時施療券ヲ発行シ奉公ノ誠ヲ致セリ ○下略


日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編 第五五―六三頁 昭和三年一一月再版刊(DK240054k-0003)
第24巻 p.447-450 ページ画像

日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編  第五五―六三頁 昭和三年一一月再版刊
 ○第二編 第一章 第一期創業及発達期
    明治十七年
一月 幹事ノ集議ヲ以テ左ニ登録スル書状ヲ草稿シテ、之レヲ社員ノ衆評ニ付シ、其可決ヲ得テ後チ上梓シ、華族ノ諸侯ニ贈呈ス、蓋シ客年十二月ノ発議ニ係ル。
      書状ノ写
 拝啓、同愛社ナル者ハ明治十二年三月府庁ノ免許ヲ得テ開設セシ貧民病者ヲ無代価施療ヲ為スノ社ナリ、当時本社ノ成立ハ開業医師十有余人ノ協同慈愛ニ出ツ、故ニ其施療区域モ僅ニ五・六区ニ止マレリ、然ルニ明治十四年東京府ニ於テ府立病院ヲ鎖シ、尋テ又郡区医ノ施療ヲモ廃セラレタリ、於此全府下ノ貧民病者ヲ施療救治スル者ハ、一ニ我同愛社員ノ手ニ帰セシガ如シ、是ヲ以テ其業ヲ普及センカ為メ、更ニ其規模ヲ拡張シ、明治十五年一月、社則ヲ改正シテ慈恵・救療ノ二社員ヲ分ツ、慈恵社員トハ同愛慈恵ノ仁人、一時或ハ毎月金員ヲ本社事務所ヘ納レ、救療ノ資トナス者ノ称也、救療社員トハ同愛同盟ノ医師、自宅ニ於テ貧困ナル病者ヲ救療スル者ノ称ナリ、此二社員漸次ニ増加シ其施療区域ハ十二区二郡ニ及ヘリ、是年八月金盃下賜ノ栄顕アリ、於此積年寸屈セル社員等ノ衷情モ遂ニ世間ニ尺伸スルヲ得タリ、爾来二社員ノ日ニ月ニ愈益増加シ、慈恵社員二百八十二人・救療社員五十六人ノ多キニ至リ、府下十五区六郡尽ク救療社員アラサルノ地ナク、貧民病者ニシテ同愛社員ノ救療ヲ受ケサル者ナキニ至レリ、今般忝クモ 思召ヲ以テ金千円ヲ本社ヘ下賜セラル、抑モ本社ノ此恩典ニ遭遇セシハ非常ノ特典ニシテ、社員等ノ年来実施セシ救療事業ハ、世益ノ幾分ヲ与ヘテ、徒労ニ属セサルヲ表章セル無比ノ名誉ナリ、且ツ以テ本社ノ信任ヲ世人ニ証明スルニ足レリ、此 恩典ヲ蒙ル以上、社員等ノ思想ハ救療ノ普及ニ急ニシテ、貧病院ノ設置ニ汲々タリ、然レトモ奈セン、社員等微力ニシテ資財ニ乏シク、限アルノ資力ヲ以テ、限リ無キノ貧民病者ヲ救療シ、今復タ併セテ貧病院ヲモ設置セントスル、甚ダ難事ニシテ僅々数百ノ社員等、到底力ノ及フ能ハサル事知ルベキナリ、抑華族諸公閣下、地位四民ノ上位ヲ占メ 皇室ヲ翼戴シ、治安ヲ補助シ且ツ仁心仁聞アルコトハ、世ノ遍ク知ル所ナリ、因テ請求スル所以ハ多少ノ資財ヲ本社ニ義捐セラレ 朝廷恩賜ノ金トヲ併セテ、以テ救
 - 第24巻 p.448 -ページ画像 
療事業ヲ遐邇ニ普及シ、貧民病院ヲ中央ニ設置スルノ資トナサントスルニアリ、果シテ然ラハ、府下百万ノ蒼生中貧困病者、殊ニ重症ニシテ凍餒ニ迫リ衣食住ノ給スル能ハサル者モ、亦救フ事ヲ得ヘシ是レ社員等同愛ノ本旨ニシテ 朝恩優渥ノ無疆ナルヲ、万民ニ拝戴セシムルニアリ、依テ本社規則書並ニ五ケ年間実施ノ成績表等、各一部ヲ捧呈シテ、閣下ノ閲覧ヲ煩ス、伏シテ乞フ上ハ 朝恩優渥ノアル所ニ副ヒ、下ハ貧民社会罹病ノ窮状ヲ愍諒セラレ、且ツ社員等鄙衷ノ愛情ヲ察シ、猛ニ惻隠ノ仁心ヲ惹起サレ、貧民救療ノ普及方法、並ニ貧民病院設置等ノ義挙ヲ翼賛アリテ、多少ノ資財ヲ慈恵義捐アラン事ヲ、切ニ懇願請求スル所ナリ謹言。
  明治十七年一月            同愛社
               救療社員幹事 高松凌雲
                      桐淵光斎
                      蓮沼誠造
                      原履信
               慈恵社員幹事 天野仙輔
                      大槻修二
                      芳川俊雄
                      青木庄太郎
○中略
      同愛社規則
第一条 本社ハ救療・慈恵ノ両社員相共ニ力ヲ合セテ、貧民ノ病苦ニ罹ルモノヲ施療シ、且後来貧病院ヲ設立スルニ在リ。
第二条 救療社員トハ貧民患者ニ治療ヲ加フル医師ヲ云フ、慈恵社員トハ、貧民患者ニ施療ノ為メ本社ヘ財貨ヲ施入スル慈善者ヲ云フ。
第三条 慈善者ヲ分テ甲乙丙ノ三種トナシ、施入ノ手続ヲ定ム。
第四条 毎月本社ノ施療券若干宛買取ル約束ヲナシ、或ハ毎月若干金ヲ出ス約束ヲ為タル慈善者ヲ甲社員ト為ス、但施療券ハ、各自直ニ貧民ヘ与フルモ、各区役所衛生委員ニ托スルモ、又ハ本社事務所ヘ托シ、各区役所ヘ送附施与スルモ随意タルベシ。
第五条 若干ノ施療資金ヲ一時本社ヘ寄附スル慈善者ヲ乙社員ト為ス但寄附金ハ数回ニ施入アルモ妨ケナシ。
第六条 本社ノ施療券一枚以上ヲ臨時買取リテ貧民ヘ与フル慈善者ヲ丙社員ト為ス、但本社事務所及第二十四条ニ記シタル銀行ニ於テ買取ルベシ。
第七条 本社ノ施療券ハ一日分金五銭ノ定価ニシテ、患者一日ノ薬価トス、但シ薬価ノ二割ヲ以テ之レヲ本社ノ諸費ニ充ツ。
第八条 貧病院設立マテハ各救療社員ノ自宅ニ於テ貧民ノ施療ヲ行フヘシ、但救療社員ハ必ス其門戸ニ同愛社ノ標札ヲ掲クヘシ。
第九条 乙社員一時ノ捐金ハ締約アル銀行ヘ預ケテ後来貧病院設立ノ資金トス。
第十条 各区衛生委員ノ手ヨリ出ル施療券ハ、該券面ヘ衛生委員ノ記名捺印ヲナシ、且患者ノ職業・族籍・姓名・年齢等記入スベシ、慈善者ヨリ直ニ出ルモノモ亦タ然ルヲ要スト雖トモ、其記名ヲ厭フモ
 - 第24巻 p.449 -ページ画像 
ノハ記入セザルモ妨ケナシ。
第十一条 貧民患者本社ノ施療券ヲ得ント欲セハ、慈恵社員、及各区衛生委員ニ就テ之レヲ乞ヒ、同愛社ノ札アル医師ノ許ヘ携ヘ往キテ其治療ヲ受クヘシ、但本社施療券申受ケ手続ヲ知ラザル者ハ、同愛社ノ標札アル医師ニ就テ問フモ妨ケナシ。
第十二条 各慈恵者ノ施入金ハ末項ニ記スル銀行ニ於テ取扱ヲナサシム、但甲社員ノ施入金ト施療券トノ請渡ハ、本社事務所ヨリ約束通帳ヲ以テ月々事務員ヲ差出ス可シ。
第十三条 丙社員ノ臨時買取施療券ハ、末項ノ銀行ニ於テ代金引換ニ渡スヘシ。
第十四条 施療券ヲ以テ施療ヲ請フ者ハ先ツ一枚ヲ持チ来リ、初診察ノ時ニ、救療社員ノ診断予定ノ期日書ヲ乞ヒ受ケ、施療券ヲ与ヘラレタル人ニ報知シ、以テ期日ノ枚数ヲ申受クヘシ。
第十五条 本社施療セシ人員、及ヒ更ニ入社セシ救療社員ノ姓名・住所等ハ新聞紙ヲ以テ之ヲ広告スベシ、但慈恵入社員姓名・捐金モ同時ニ広告ス、若シ姓名ヲ出ス事ヲ厭フ慈善者ハ、寄附金送致ノ節ニ断リアルベシ。
第十六条 救療社員ハ、本社ノ証券ヲ持チ来ルモ、貧民ト認定セザルトキハ、其療治ヲ謝絶スル事ヲ得ヘシ。
第十七条 救療社員ハ別ニ規約ヲ設ケ以テ之ヲ固守スヘシ、其入社セント欲スル者ハ必ス保証人ヲ要シ、本社幹事ノ承認ヲ受クヘシ、而シテ妄リニ退社スルヲ許サス。
第十八条 毎年一回総集会ヲ開キ、両社員ヨリ幹事十二名ヲ選挙スヘシト雖トモ、救療社員ヨリ挙クルハ慈恵社員之ヲ選ヒ、慈恵社員ヨリ挙クルハ救療社員之ヲ選フヘシ、而シテ幹事長正副二名ヲ互選スヘシ。
第十九条 幹事ハ本社事務ヲ総轄シ、別ニ書記ヲ置テ庶務ヲ分担セシムヘシ。
第二十条 幹事及救療社員ハ、毎月第一月曜日ニ集会シ、各救療社員一ケ月間ニ救療セシ患者ノ数及ヒ病状等ヲ申報スヘシ、但甲乙慈恵社員此会ニ臨マルヽハ随意タルヘシ。
第廿一条 救療社員ハ、毎月集会ノ時、得ル所ノ施療券ヲ持参シテ、幹事ノ撿印ヲ受ケ、而シテ其薬価ハ二ケ月送リニ左ノ三款ニ従テ之ヲ請取ルヘシ。
  第一款 施療薬価ハ毎月収入ノ甲慈恵金ヲ以テ、施療券ノ総数ニ割付仕払フヘキ事
  第二款 薬価ノ不足額ハ救療社員各自ノ寄附金ト為シ、甲慈恵金ニ算入スヘキ事
  第三款 甲慈恵金収入多額トナリテ薬価ノ配当一日分ニ超ルトキハ、其超過額ヲ乙部ニ納レ、之ヲ積立金ノ内ニ加フヘキ事
第廿二条 総集会ノ時、一ケ年間救療社員ニ於テ治療セシ患者ノ数及其状況ヲ衆社員ニ報告スベシ。
第廿三条 本社ノ事務ハ貧病院設立マテノ間日本橋区檜物町十四番地ニ於テ取扱フモノトス。
 - 第24巻 p.450 -ページ画像 
第廿四条 慈善者施入金及施療券取扱約定銀行
      日本橋区兜町     第一国立銀行
      同小舟町       第三国立銀行
      同蠣殻町       第五国立銀行
      同新右衛門町     第三十三国立銀行
      同小舟町       第六十国立銀行
      同万町        第百国立銀行
      同南茅場町      第十三国立銀行支店
      神田区佐久間町    第四国立銀行支店
      京橋区南伝馬町    第三十二国立銀行支店
      日本橋区駿河町    三井銀行
      同大伝馬町      丸家銀行
      同檜物町       川崎銀行
    明治十七年二月      大日本 東京 同愛社
○下略


日本救療事業資料同愛社五十年史 同愛社編 第六三―七七頁 昭和三年一一月再版刊(DK240054k-0004)
第24巻 p.450-453 ページ画像

日本救療事業資料同愛社五十年史 同愛社編  第六三―七七頁 昭和三年一一月再版刊
 ○第二編 第一章 第一期 創業及発達期
    明治十七年
○上略
三月二十五日 例ニ依リ総集宴会ヲ江東ノ中村楼ニ於テ開設シ、朝野ノ慈悲慈善ノ諸氏ヲ招待ス、席上坐定マリテ後、慈恵・救療二社員ノ幹事ヨリ、客年度ノ患者表ヲ展ジテ、其施療・救治ノ状況ト慈恵捐金ノ収入、及ビ本社ニ係ル一切ノ支出額トヲ申報セリ、更ニ幹事副長天野氏進ミ、本社ノ事業タルヤ創立当時ヨリ今年ニ至ル歳已ニ六回ヲ閲シ、其救療ノ功績年一年ニ顕著ナルハ、世上ニ囂然タリ、是レ寔ニ救療社員諸氏ノ尽力スル所ナリト雖ドモ、畢竟慈恵諸君ノ相生相愛ノ篤志ニ依附スルニ外ナラザルトコロナリ矣、然ル所以ナレバ、尚ホ之レヨリ幾多ノ賛助ヲ垂レ、且ツ我社員熱望スル処ノ貧病院設立ノ一大目的ヲ遂ケシメヨト演請セリ、次ニ大槻氏ハ、今般宮内省女官方十有余名ヨリ、金若干ヲ救療資ニ施入セラレタル事ヲ報道ス、右了テ内務省衛生局長長与氏・東京府衛生課長長谷川氏ノ演述アリ、次ニ渋沢氏・仏人務毅歟児氏ノ祝詞アリ、皆ナ本社既往ノ成績ヲ賛賞シ、将来ヲ祝シテ、必ズ社員諸君ガ壮懐ヲ伸暢スルノ後チモ、其光栄ハ日月ト共ニ永遠不朽ナルベシト云フニナンアリケル、此日幹事十二名ヲ投票ス、其選ニ当ル者左ノ如シ。
               救療社員幹事 高松凌雲
               同      桐淵光斎
               同      原履信
               同      森安信平
               同      高須保
               同      竹村公友
               慈恵社員幹事 長谷川泰
               同      天野仙輔
 - 第24巻 p.451 -ページ画像 
               同      大槻修二
               同      松平太郎
               同      渋沢栄一
               同      川村正平
右幹事中ヨリ幹事正副長二名ヲ左ノ通選定ス
               幹事長    高松凌雲
               同副長    天野仙輔
○中略
    明治十八年
○中略
三月二十四日 総集宴会ヲ江東ノ中村楼ニ催シ、大ニ慈善有志ノ諸氏ヲ招キ、十七年度ノ施療患者表ヲ掲掛シ、其救療ノ情況ヲ申報ス、又タ表中半治ノ数最モ多キ所以ハ、月一月ニ施療ヲ乞フ者増加スルニアリト雖モ、其施療ヲ乞フ者多クハ衣食ニ欠乏シ、氷寒ノ候ニテモ身ニ断続タル襀䘢ヲ纏ヒ、口僅ニ䊰粥ヲ噈ニ過ズ、之ニ滋養ノ品類ヲ与ヘ治療ヲ施サンニ亦タ奈セン、我輩等有限ノ資力ヲ以テ、済フ能ハザル救療上寔ニ、困難ナル事屡々アリ、是ニ由テ、貧病院設立ノ一事ニ汲汲タリ、希クハ慈恵諸君ノ賛助ヲ得テ将来斯ノ好結果ヲ看ルノ宿望ヲ遂ゲシメラレン事ヲ、演請シテ高松氏席ヲ起ツ、次ニ客年貧民救療ニ係ル一切ノ費額ト、慈善者ノ施入金ノ総額勘定トヲ、天野・大槻ノ二氏ヨリ、各慈恵社員ニ報知シ、且ツ幹事ヲ改選シテ、之ヲ告グ、此日来会スル者、長谷川警視医長・渋沢栄一・廬高朗・松平太郎・福地源一郎・川崎八右衛門・町田今亮ノ諸氏ニシテ、其他朝野ノ縉伸百有余人《(紳)》ナリ、何レモ杯ヲ挙ゲ、相謂テ本社ノ事業ヲ賛賞シ、歓喜ノ眉ヲ開キ、興ヲ尽シ夜ニ入リ散ス、此日幹事ニ当選スルモノ左ノ如シ。
               救療社員幹事 高松凌雲
               同      桐淵光斎
               同      高須保
               同      原履信
               同      森安信平
               同      竹村公友
               慈恵社員幹事 渋沢栄一
               同      松平太郎
               同      長谷川泰
               同      天野仙輔
               同      大槻修二
               同      堀江小十郎
 右幹事中ヨリ幹事正副長二名ヲ定ム。
               幹事長    高松凌雲
               同副長    天野仙輔
○中略
    明治十九年
○中略
一月中ヨリ幹事ノ評議ヲ以テ、貧病院設立ノ為メ、願書ヲ認メ、府庁
 - 第24巻 p.452 -ページ画像 
ニ出ス、左ノ如シ。
同愛社ハ、貧民施療ノ趣意ニテ、明治十二年三月府庁ノ認可ヲ得テ、設立致候、当初ハ医師自ラ薬価ヲ償ヒ、診察投剤共ニ主治医之ヲ担任シ、二年十ケ月ノ間患者二千余人ヲ療シ、薬価ハ五千円ニ上レリ、因テ十五年八月十五日、金盃ヲ賞賜セラレ申候、其前府立病院ヲ鎖サレ郡区医ノ施療ヲモ廃サレ候間、府下貧民ノ疾病ニ罹ル者ハ、悉ク治療ヲ本社ニ乞ハザル者無之、同ク十五年一月ニ社則ヲ改正シ、慈恵・救療ノ両社員ニ分チ、療病ハ医師ノ任スル処ニシテ、薬価ハ慈恵者ノ喜捨スル処ト相成申候、爾来救療社員其数ヲ加ヘ、府下十五区六郡ノ内ニ在ラザル所無之、慈恵社員モ三百余名ニ超エ、十六年九月二十六日忝クモ宮内省ヨリ金壱千円ノ恩賜ヲ蒙リ、社員等 御聖恩ヲ感戴シ、尚一層ノ心力ヲ尽シ、四ケ年間ニ救療致候患者、八千五百六十五名ニテ、薬価ハ八千三百四十八円余ヲ施与致候、本社創設以来、七ケ年其功績既ニ斯クノ如クニ付、尚ホ貧病院ヲ設置シ、衣食看護ニ乏シキ患者ヲモ療養セント欲シ、其場所ヲ選ヒ申候ヘドモ、適当ノ地無之候間日本橋区坂本町四十番地旧臨時避病院跡、有形ノ儘本社ヘ御貸渡シ被下度奉懇願候、然ル上ハ此地ヲ以テ、本社ノ基礎ト定メ、上ハ 天恩ノ優渥ニ報ヒ、下ハ府民ノ貧ニシテ、病ム者ヲ救助致度候間、社員ノ精神御諒察被下、多年ノ希望貫徹仕候様、特別ノ御詮議ヲ以テ、前条御聞済被成下度、別紙本社施療表相添此段奉願候也
  明治十九年二月
        深川区福住町四番地
                同愛社幹事 渋沢栄一
        本所区相生町三丁目二十二番地 東京府士族
                同     天野仙輔
        浅草区北富坂町二十五番地 東京府平民
                同     大槻修二
        深川区東六間堀町十二番地 東京府士族
                同     原履信
        芝区桜田本郷町十四番地 鹿児島県士族
                同     竹村公友
        浅草区向柳原町一丁目三十九番地 静岡県士族
                同幹事長  高松凌雲
    東京府知事 渡辺洪基殿
○中略
本社貧病院ヲ設立センコトヲ再ビ、幹事ノ評議ヲ遂ゲ、左ノ如ク府庁ニ出願セリ。
      願書
 曩日同愛社幹事、高松凌雲以下、五名連署シテ、本社創立以来施療実施ノ情ヲ陳ヘ、以テ貧民施療病院設立ノ為メ、日本橋区坂本町四十番地拝借仕度旨、出願候処、三月五日御聞届相成難キ旨、御指令相成謹デ拝承仕候、該貧民施療病院設立ノ挙ハ、社員多年ノ宿志ニシテ、報国ノ一端トモ考候間、敢テ忌憚セス、今般更ニ出願仕候ハ神田区和泉町元養育院地所悉皆同愛社ヘ御払下被下度、此段御聞届
 - 第24巻 p.453 -ページ画像 
ノ程、偏ニ奉懇願候也。
  明治十九年四月十日
        本所区相生町三丁目二十二番地 東京府士族
                同愛社幹事 天野仙輔
        下谷区練塀町三十五番地 東京府士族
                同     桐淵光斎
        深川区福住町四番地
                同     渋沢栄一
        深川区東六間堀町十二番地 東京府士族
                同     原履信
        浅草区北富坂町二十五番地 東京府平民
                同     大槻修二
        芝区桜田本郷町十四番地 鹿児島県士族
                同     竹村公友
        牛込区船川原町十四番地 東京府平民
                同     松平太郎
        浅草区福富町十一番地
                同     高須保
        日本橋区坂本町二十六番地 東京府平民
                同     堀江小十郎
        牛込区上宮比町五番地 岡山県士族
                同     森安信平
        本郷区湯島四丁目八番地
                同     長谷川泰
        浅草区向柳原町一丁目三十九番地 静岡県士族
                同幹事長  高松凌雲
    東京府知事 高崎五六殿
○下略
   ○右ハ聴許サレズ。仍ツテ更ニ五月一日坂本町四十番地ノ旧避病院跡ノ建物ノ払下ゲト同地所悉皆拝借ノ儀ヲ願出デシモ許サレズ。


日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編 第九七―九八頁 昭和三年一一月再版刊(DK240054k-0005)
第24巻 p.453-454 ページ画像

日本救療事業史料同愛社五十年史 同愛社編   第九七―九八頁 昭和三年一一月再版刊
 ○第二編 第一章 第一期 創業及発達期
    明治二十年
○上略
五月十八日 本社ノ総集会ヲ浅草須賀町ナル鷗遊館ニ開キ、榎本逓信大臣ヲ首メ、東京府知事・書記官・衛生課長・各区長ト、紳士・豪商ト数十名ヲ招待シテ、客年度救療セシ実況、及ビ施入金ノ出納計算ヲ満場ニ報告シ、了テ、舞妓ノ余興アリ、酒肴ヲ饗応ス。
此日出席シタル、救療社員ノ評議ニ決シ、社則第二十一条ヲ取消シ、従前ノ如ク、毎月八日ヲ以テ、集会スルコトニ定ム、亦タ例ニ依リ、役員ヲ更選スル左記ノ如シ。
 幹事  渋沢栄一   福地源一郎  松平太郎
     川崎八右衛門 大槻修二   天野仙輔
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     竹村公友   鈴木万次郎  原履信
     片山秀亭   桐淵光斎   高松凌雲
 幹事長 高松凌雲    幹事副長 天野仙輔
 協議員 長谷川泰   長谷川清   堀江小十郎
     今村清之助  沢簡徳    堀田正養
     町田今亮   岡本益道   原鼎
     伊藤正誠   山本安達   蓮沼誠造
     田中玄達   峰千尋    森安信平
     磐瀬玄策   村上伯栄   多田真碩
     宇山道朔   益田魯
○下略


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第三頁 昭和六年一二月刊(DK240054k-0006)
第24巻 p.454 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調
              竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第三頁 昭和六年一二月刊
    明治時代
 年  月
一七  三  ―同愛社幹事―明、二三、四 ○下略



〔参考〕日本社会事業名鑑 中央慈善協会編 第二輯・第一二七頁 大正九年五月刊(DK240054k-0007)
第24巻 p.454 ページ画像

日本社会事業名鑑 中央慈善協会編  第二輯・第一二七頁 大正九年五月刊
 ○関東方面 東京府之部 施療救療並妊産婦保護事業(イ)施薬救療之部
      ○
    社団法人同愛社  下谷区上野桜木町二(社長 子爵 前田利定)
 事業 施療
 組織 社団法人、慈恵社員醵金・臨時寄附金・基金利子及其他の収入に依りて維持経営し、職員として社長以下副社長及常務理事各一名監事二名・事務員一名外に施薬救療に従事する社員五十二名を置く。
 沿革 明治十二年三月、高松凌雲外十三名発起人となりて之を設立す。始め発起人各自宅に於て施療を為せしが、十五年社員を救療・慈恵の二種に分ち、前者は直接医療に当り、後者は資金を醵出して之を援助することゝせり。超えて三十一年十一月社団法人組織の認可を受け、四十三年四月以降泉橋慈善病院と協定して本社患者の入院を同病院に託し、同病院の外来患者にして市内遠隔の地に在る者の救療及死亡者の検案を本社に委託するに至れり。
○下略