デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
3節 保健団体及ビ医療施設
6款 社団法人東京慈恵会
■綱文

第24巻 p.552-562(DK240064k) ページ画像

明治40年7月22日(1907年)

是ヨリ先十一日、東京慈恵医院ハソノ組織ヲ改メ、社団法人東京慈恵会ノ設立ヲ申請シ、十九日許可セラル。是日栄一、理事・副会長ノ辞令ヲ受ケ、爾後理事会・評議会ニ屡々出席シ、財務主任トシテ尽力ス。尚、当会ノ資金募集額ハ四十一年三月末、三十三万余円ニ達シ、栄一モ亦金一万円ヲ寄附セリ。


■資料

明治四十年二月ヨリ同年七月三十一日マテノ慈恵院拡張ニ付おほえかき 写 (威仁親王妃慰子殿下御撰) 【○上略 一同日 ○六月一日午後渋沢来邸、…】(DK240064k-0001)
第24巻 p.552-554 ページ画像

明治四十年二月ヨリ同年七月三十一日マテノ慈恵院拡張ニ付おほえかき 写 (威仁親王妃慰子殿下御撰)
                   (渋沢子爵家所蔵)
○上略
一同日 ○六月一日午後渋沢来邸、副会長ヲ依頼ス、承諾セリ、井上ノ談話モ自分ヨリ申セシニ同人曰ク、是ヨリ松方・井上伯ヘ参リ相談シ、早速実業家人員取調ヘ、何日頃御召ヲ戴ク事伺ヒニ出ツ可シトノ事
一六月二日午前徳川公爵来邸、慈恵院会長御受ヲ致ス事、自分曰ク安心セリ、渋沢副会長御受ノ事、顧問ノ人名、理事ノ事等ヲ談話ス、徳川曰ク、私モ会長御受ノ上ハ早ク渋沢ニ面会シ相談致シ度ニ付、ドウソコナタヨリ渋沢ニ徳川家ヘ参ル様御沙汰願タシトノ事
○中略
一六月廿一日顧問井上伯・桂伯・阪谷蔵相・香川大夫・穂積博士、会長徳川家達公・副会長渋沢男・高木院長・実吉次長・近藤廉平・早川千吉郎来邸、宮殿下ニモ御出席、渋沢ヨリ理事十名以内ノ草按ニ付、会長・副会長・院長・次長モ理事ナレハ、残リ六名撰定ノ事申出ル、其時自分ハ理事多キ方希望ノ理由ヲ述ブ、高木不同意ニテ理事多数ヲ好マズ、理由ヲ述ブ、顧問一同其他ノ人モ理事多数ニ同意シ、理事ハ二十五人以内ト決定ス、此席ニテ自分ヨリ顧問ニ云テ曰ク、会長・副会長ハ承諾セリ、理事ハ先ツ大倉・原・近藤・早川・安田ハ是非理事ニ致シタシ、一同賛成、此日出席ノ近藤・早川ハ理事直ニ承諾、出席セサル人ハ不日呼寄セ、自分ヨリ談話ノ事ニ決定ス、穂積博士モ此日顧問承諾ス、徳川公爵ヨリ鍋島・蜂須賀ヲ理事ニ致シ度ト申出承諾ス、井上伯曰ク、此度拡張ニ付実業家尽力セシ上ハ勲章等ノ恩典位ナケレバ中々六ケ敷云々ノ談話、宮殿下ニ言上ス、同伯又香川大夫ニモ前文ノ事ヲ繰返シ申サレタリ、宮殿下ニハ
 - 第24巻 p.553 -ページ画像 
現今ノ場合ハ申出シテモ六ケ敷カル可シ、兎モ角モ目的ヲ達セシ上ノ事トノ御返答、此度慈恵医院ヲ慈恵会トナス可ク、民法上ヨリ定款ニ決定ノ事ヲ高木不同意ニテ云々ト論セシモ、結局慈恵会ニ決定ス、渋沢男ヨリ東京実業家ヲ招集ノ事申出、先ツ屈指ノ人々二十二名ヲ廿六日午後ニ召集シ、自分ヨリ慈恵院拡張ノ件ヲ談話シ、応分ノ寄附ヲ依頼ノ事ヲ談ス、一同賛成ス、其他ノ実業家総体モ不日召集ノ事ニ決ス、華族一同ヲ二十七・八日午後一時半、廿九日ハ午前十時ニ召集ノ事ニ決ス、各地方ヨリ実業家上京ノ節ハ招キ慈恵院拡張云々ノ件ヲ談示ノ事、又他日地方ヘ自分旅行ノ際ハ地方有力者ニ談示ノ事、藤田・住友ハ追テ理事ニ推撰ノ事、周布神奈川県知事ヲ招キ横浜有力者ヲ勧誘ノ事、以上ニテ此日ノ会議終レリ
○中略
一六月廿六日、午後一時半実業家廿二名ヲ招キ、慈恵院拡張ノ件大略談話シ、応分ノ尽力ヲ依頼云々、此日横浜実業家モ来レリ、右談話ノ後自分ハ退座、茶菓ヲ出ス
一同廿七日、午前原六郎来邸、慈恵院理事ノ御内命ヲ談ス、異議ナク承諾セリ
一同午後一時華族百七十四名ヲ招ク、来邸ノ人七十四名、慈恵院拡張云々、応分ノ寄附ニ付尽力云々ノ件ヲ談話シ退座ス、随意茶菓ノ饗応アリ
一同日渋沢来邸、曰ク慈恵会書記云々ノ件ヲ談ス、自分曰ク財務ノ書記ト医務ノ書記トハ別人ニスベシ、高木ハ望マズト雖モ、夫レデハ慈恵院関係者又々議論アルベシ、渋沢曰ク御沙汰当然、何トカ高木ノ心持アシクナキ様ニ相談ヲ致シ、書記ハ別々ニ致スベシ、ト答ヘタリ
○中略
一七月一日、午後二時幹事会ヲ開ク、是ヨリ先宮殿下・自分、香川ニ面会、評議員推選云々ニ付宮殿下ヨリ香川ヘ御相談、実業家ヲ御推選有タキ御希望、香川ハ充分御取調ベノ上ナラデハ不公平ニナル可シトノ事、殿下御談話ニ定款登記前ニ会長・副会長・理事推選ノ御裁可ヲ、幹事長参内シ 皇后陛下ノ思召ヲ伺ヒ其上ニテ登記ストノ事、香川曰ク何日ニテモ御参内差支ナシト申上グ
一前文ノ談話済ミ幹事会ヲ開ク、来会ノ幹事二十八名、香川大夫・徳川公・渋沢男・高木院長モ来会ス、自分来会者一同ニ向ツテ曰ク、御承知ノ通リ各位ヲ二月六日ニ案内シ、慈恵院拡張ノ件ヲ幹事方ト謀リ、各幹事方ハ会員募集ニ尽力サレシ結果会員モ多数トナリタリ又同院ヲ社団法人トナス事ヲ相談セシニ、幹事一同賛成セリ
 其後松方・井上両伯ニ謀リ将来ノ事ヲ相談云々、総会モ近年稀ナル盛会、是レ全ク幹事方尽力ノ結果ト存ス、就テハ顧問ニ松方・井上両伯・桂伯・阪谷蔵相・香川大夫・穂積博士ニモ内意ヲ申セシニ皆承諾、三井・岩崎ニモ顧問依頼ノツモリ、又会長ニハ公爵徳川家達副会長ニハ渋沢男、理事ニハ大倉・安田・原・近藤・早川・森村、又鍋島侯ヲ依頼セシニ承諾、蜂須賀侯ニモ依頼ノツモリ、場合ニ依リ顧問増加、理事ハ追々二十五名位ニ増加ノ筈、本日ハ其吹聴ヲ致
 - 第24巻 p.554 -ページ画像 
シ、又幹事方ニモ何カ気付タル意見等アレバ遠慮ナク申出ヲ乞フト云ヒシニ、一同意見ナク承諾セリ、自分曰ク、猶此後モ不撓不倦慈恵会医院ニ尽力セラレン事ヲ希望ス 皇后陛下ニモ各位ノ尽力御満足ニアラセラル、是レ又合セテ申置ク」香川大夫ヨリモ 皇后陛下ニ度々各位ノ尽力云々言上セシニ御満足云々ノ談話アリ、近々年内定款ニ付 思召ヲ伺ヒ、登記ノハコビニ致ス可シ、其他定款ノ細則ノ事ニ付渋沢ヨリ談話アリ、右終テ食堂ニテ茶菓、随意退散
一幹事会済ミシ後香川ヲ別室ニ招キ、新評議員任命ノ事ニ付宮殿下ノ御意見ヲ申セシニ、大夫曰ク、人名書出来ノ上高木・私両人ヲ召サレ度、高木ハ年来院ノ事ハ心得ル故、同人ト相談致度存ズ、右宮殿下ヘ御申上ヲ乞フト
一此夜新評議員抜擢名簿出来ニ付、殿下ノ御覧ニ供ス
 殿下御意見ニ、此度ハ実業家ヲ依頼セシガ目的、華族ハ渋沢ガ申セシ故始マリシ事故ニ、新評議員ハ成可ク寄附金多キ実業家ノ妻ヲ撰抜スル事、奨励ニモ成ルベシ、此人名書ハ華族・官吏多キ故、ヨクヨク取調ノ上思召ヲ伺ハネバ 皇后陛下ニ恐入次第、実業家モドノ位寄附スルヤ分ラズ、金額ノ多キヲ評議員ニスル方然ルベシトノ御沙汰」香川・高木ヲ明二日ニ招キ、評議員云々ノ件ヲ談話ス可ク言上セシニ、夫ハ宜シ、其時御出席ニナリ殿下ヨリモ御談話ニナルトノ御沙汰ナリ
○中略
一六日来邸実業家九十九名案内、来邸者三十八名
一同日渋沢来邸、曰ク、高木ト熟談ノ上書記二人、妃殿下ノ思召通リ雇入ルヽ事ニ決セリ、定款ハ内務省・文部省認可次第登記前ニ、会長・副会長・理事ニ辞令書総裁ヨリ御渡シヲ願フトノ事
○中略
一七月廿二日、午後四時徳川家達初来邸ニ付会長・副会長・理事任命ノ辞令書ヲ渡ス、徳川家達同一族ヨリノ寄附金ノ書付ヲ持参シテ曰ク、妃殿下御満足ノ金額ニ達セズ、恐入次第ナガラ是レニテ御免ヲ願フトノ事、自分披見セシニ如何ニモ少ナク且前ニ聞キタル事モアリ、旁渋沢ニ前文ノ事ヲ談話シ、今一応奮発ヲ依頼セント思フ、自分ヨリモ会長ニ談話スルカ、渋沢ニモ頼ムト云ヒシニ、渋沢曰ク私モ何トカ致ス可シ云々、同人曰ク、明日(則チ廿三日)裁判所ニテ申請致ス可シトノ事云々
○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK240064k-0002)
第24巻 p.554-556 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
六月一日 晴 暑              起床七時 就蓐十二時
○上略 午後一時半有栖川宮御邸ニ伺候ス、両殿下ニ謁シ慈恵医院ノ事ヲ上申ス ○下略
   ○中略。
六月二十一日 曇 冷            起床七時 就蓐十二時
○上略 午後一時有栖川宮邸ニ抵リ、慈恵医院ノ事ニ関スル会同ニ出席ス井上・桂両伯、徳川公爵其他来会ス、種々ノ討議アリ ○下略
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   ○中略。
六月二十四日 曇 涼            起床七時 就蓐十二時
○上略 三時事務所ニ抵リ、周布神奈川県知事ノ来訪ニ接シ慈恵医院ノ事ヲ談ス、畢テ有栖川宮家令ニ書状ヲ送リ ○下略
   ○中略。
六月二十六日 雨 冷            起床六時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 午後一時半有栖川宮御邸ニ抵リ、慈恵会寄附金勧募ノ事ニ関シ実業家ノ会同ニ参列シテ、勧誘ノ事ヲ処理ス、畢テ慈恵医院ニ抵リ、高木・実吉二氏ト共ニ院内ヲ一覧シ、事務取扱ヨリ金銭出納手続・医務順序マテ細大説明セラル、事務員其他薬剤掛・看護婦等ニモ面会ス、午後七時過王子ニ帰宿ス
六月二十七日 雨 冷            起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 一時半有栖川宮御邸ニ抵リ、慈恵医院ノ事ニ関シ種々ノ談話ヲ為ス ○下略
   ○中略。
七月一日 曇 暑              起床七時 就蓐十二時
○上略 午後二時有栖川宮御邸ヘ伺候シ、慈恵会ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
七月二十三日 晴 暑            起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 高木男爵来リ慈恵会ノ事ヲ談ス
○下略
   ○中略。
七月二十七日 晴 暑            起床七時 就蓐十二時
○上略 午後六時華族会館ニ抵リ徳川公爵ノ招宴ニ出席ス、鍋島・高木・実吉・大倉・安田諸氏来会シ、慈恵会ノ事ヲ協議ス、夜十時帰宿ス
   ○中略。
八月三日
○上略
午飧後高木博士・堀井医師来診セラル、高木博士トハ慈恵会ノ要務ヲ談ス ○下略
   ○中略。
十月十一日 晴 冷             起床六時三十分 就蓐十二時
○上略 午後一時半慈恵会ニ出席ス、徳川・蜂須賀・鍋島・高木・実吉・長崎・大倉・早川諸氏出席ス、種々ノ協議ヲ為ス ○下略
   ○中略。
十月十三日 雨 冷             起床六時三十分 就蓐二時
○上略 午前十時霞ケ関有栖川宮御邸ニ抵リ、徳川・高木・実吉諸氏ト共ニ妃殿下ニ謁シ、慈恵会ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
十月十七日 晴 冷             起床七時 就蓐十二時三十分
○上略 午後一時半有栖川宮御邸ニ抵リ、徳川公爵ト共ニ妃殿下ニ謁シ、慈恵会ノ事ニ関シ種々ノ協議アリ ○下略
十月十八日 晴 冷             起床八時 就蓐十二時
○上略 午後三時慈恵会ニ出席シ、理事会ヲ開キ要件ヲ議決ス ○下略
 - 第24巻 p.556 -ページ画像 
   ○中略。
十月二十二日 晴 冷            起床七時 就蓐十二時
○上略 午後二時ヨリ有栖川宮御邸ニ抵リ、慈恵会評議会ニ出席シ要件ヲ議決ス ○下略
   ○中略。
十月二十四日 曇 冷            起床七時 就蓐十二時
○上略 十二時半午飧シ、一時慈恵会ニ抵リ
皇后陛下行啓アリテ特ニ拝謁シテ優渥ノ令旨ヲ賜ハル、午後三時還御午後四時王子ニ帰宿シ ○下略
   ○中略。
十一月十日 晴 冷             起床七時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 午飧後有栖川宮御邸ニ伺候シ、慈恵会ノ事ニ関シ妃殿下ヨリ種々ノ御談話アリタリ ○下略


(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK240064k-0003)
第24巻 p.556 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四〇年   (八十島親義氏所蔵)
七月八日 雨
朝主用ニテ慈恵病院ニ高木 ○兼寛院長ヲ訪ヒ、新社団法人ノ事等打合セ山田事務員ヲ伴ヒ高木豊三氏方ヲ訪ヒナドシタル上、十一時出勤 ○下略


東京慈恵会総裁威仁親王妃慰子殿下御事蹟 東京慈恵会編 第六四―六七頁 大正一五年六月刊(DK240064k-0004)
第24巻 p.556-557 ページ画像

東京慈恵会総裁威仁親王妃慰子殿下御事蹟 東京慈恵会編  第六四―六七頁 大正一五年六月刊
    其四 威仁親王妃慰子殿下と東京慈恵医院の拡張
○上略
 殿下は東京慈恵医院が社団法人となりたる場合の会長・副会長・理事の人選に就き夙に御配慮あらせられ、五月二十五日 ○明治四〇年 香川皇后宮大夫の手を経て社団法人の定款草案を 皇后陛下に奉呈して御思召を奉伺し、また会長として公爵徳川家達を、副会長として男爵渋沢栄一を御推薦あらせられたり。「おほえかき」にはこの事に就き、「自分の考へには会長は公爵徳川家達に、副会長は渋沢に致し度。併思召如何や。大夫より言上を依頼す。理事は未だ判然とせず。内定次第思召を伺ふ筈。兎に角会長・副会長は前文の人にて御差支なきや、伺の上返答を依頼す。大夫曰く、何れ伺の上返答致すべくとのこと。大夫の談語に二十日総会、芝離宮にて幹事奔走、幹事・会員とも非常の満足引続き招かずとも続々入会者あるべしとのこと言上したりとのこと」を記されたり。同二十七日香川皇后宮大夫来邸ありて、「会長は徳川、副会長は渋沢にて宜敷との 皇后陛下思召なり」と御返答申上ぐ。此の如く徳川会長・渋沢副会長の就任は、全く殿下の御思召より出でたり。
 是より後、同年七月十九日、社団法人東京慈恵会成立に至るまで、相続いて起れる大小幾多の故障を取除かれつつ、朝夕御心を労して、事業のために努められたまへる御熱誠は、人をして自ら敬慕の念を起さしむるものあり。また其熱誠より溢れ出づる御辞令の御巧妙にわたらせられしことは、当時親しく御言葉を拝聴せし人々の耳底に深き印象を残して、今も追懐の情に堪へざらしむといふ。社団法人の設立と
 - 第24巻 p.557 -ページ画像 
寄附金の募集とはかくして滞りなく捗りたり。
 是より先き、東京慈恵会定款草案は、五月二十日の総会において全員一致を以て可決せしに由り、同年七月十一日、設立者徳川家達・鍋島直大・高木兼寛・渋沢栄一・大倉喜八郎・安田善次郎・近藤廉平・原六郎・森村市左衛門・早川千吉郎の十名より、内務大臣及び文部大臣に宛て、社団法人の設立許可を願出で、同月十九日民法第三十四条に依り許可する者の指令あり ○下略


東京慈恵会定款 第一二―一五頁 刊(DK240064k-0005)
第24巻 p.557-558 ページ画像

東京慈恵会定款  第一二―一五頁 刊
    社団法人設立許可願
                     東京慈恵会
今般私共儀民法第三十四条ニ依リ前記ノ如キ社団法人設立仕度候間御許可相成度、別紙定款相添ヘ此段奉願候也
  明治四十年七月十一日
        東京府豊多摩郡千駄ケ谷村五百六拾弐番地
                  設立者 徳川家達
        東京市麹町区永田町弐丁目壱番地
                  同   鍋島直大
        同市京橋区西紺屋町拾番地
                  同   高木兼寛
        同市深川区福住町四番地
                  同   渋沢栄一
        同市赤坂区葵町参番地
                  同   大倉喜八郎
        同市本所区横網町弐丁目七番地
                  同   安田善次郎
        同市牛込区市ケ谷左内坂町弐拾壱番地
                  同   近藤廉平
        東京府荏原郡品川町元品川宿参百弐拾五番地
                  同   原六郎
        東京市京橋区木挽町九丁目参拾番地
                  同   森村市左衛門
        同市麹町区永田町弐丁目六拾九番地
                  同   早川千吉郎
        同市同区内幸町一丁目参番地
                 右代理人 高木豊三
    内務大臣 原敬殿
    文部大臣 牧野伸顕殿
 内務省東戊第三六号
                東京慈恵会
                  設立者 徳川家達
                          外九名
 明治四十年七月十一日附申請社団法人東京慈恵会設立ノ件
 右民法第三十四条ニ依リ許可ス
 - 第24巻 p.558 -ページ画像 
  明治四十年七月十九日
                内務大臣 原敬
                文部大臣 牧野伸顕


東京慈恵会総裁威仁親王妃慰子殿下御事蹟 東京慈恵会編 第六八―七七頁 大正一五年六月刊(DK240064k-0006)
第24巻 p.558 ページ画像

東京慈恵会総裁威仁親王妃慰子殿下御事蹟 東京慈恵会編
                           第六八―七七頁 大正一五年六月刊
    其四 威仁親王妃慰子殿下と東京慈恵医院の拡張
○上略
 寄附金の募集に就いては、侯爵松方正義・侯爵井上馨の意見に依るところ頗る大なりき。侯爵桂太郎・男爵阪谷芳郎等も亦尽力するところあり。古河虎之助・安田善次郎・貝島大助・麻生太吉等それぞれ応分の寄附をなすこととなりしも、殿下は遍く実業家並に華族の参加を希望したまひ、六月二十二日には二十二名の実業家を、同二十七日には七十四名の華族を、六月二十八日には七十七名の華族を、同二十九日には四十二名の華族を、七月五日には三十九名の実業家を、同六日には三十八名の実業家を相続いで宮邸に召され、東京慈恵医院拡張の趣旨を述べて尽力を依頼せられ、或時には個人々々に懇談あそばされなどして、殆ど休息の御暇すらとらせられず、恰も御帰京あらせられたる威仁親王殿下も、屡々席を共にして御意見を仰せ下さるることもありき。その御熱誠と御努力との結果、同年七月より翌四十一年三月末日までの寄附金払込人員二百二十六名・申込金額参拾参万参千四拾円に達し、会員数も亦大いに増加し、同四十一年三月末現在名誉会員六名・正会員八百八十四名を算するに至れり。 ○下略


竜門雑誌 第二三一号・第三七―三九頁 明治四〇年八月 ○東京慈恵会の組織(DK240064k-0007)
第24巻 p.558-560 ページ画像

竜門雑誌  第二三一号・第三七―三九頁 明治四〇年八月
○東京慈恵会の組織 東京慈恵医院にては五月二十日 皇后陛下親臨の日を以て総会を開き、従来の会員組織を改めて東京慈恵会と称する社団法人を設立することを議定し、爾来其筋へ申請中の処、去る七月十九日設立の許可を得、引続き其登記を了り、目下会員の募集及有志者の寄附金勧誘中なりと云ふ、而して青淵先生には当初以来大に同会に力を尽されたるが、過日同会成立を告ぐると同時に、理事兼副会長に任命を受けられ、引続き会務に尽力せられつゝあり
尚前記青淵先生の任命と共に、総裁有栖川宮妃殿下より 皇后陛下の旨を奉じて新に任命あらせられたる同会の職員は左の如し
              顧問
                   伯爵 松方正義
                   伯爵 井上馨
                   伯爵 桂太郎
                   子爵 香川敬三
               正四位勲一等 阪谷芳郎
               従三位勲二等 穂積陳重
                   男爵 三井八郎右衛門
                   男爵 岩崎弥之助
                   男爵 岩崎久弥
 - 第24巻 p.559 -ページ画像 
              理事
                   公爵 徳川家達
                   侯爵 鍋島直大
                   男爵 渋沢栄一
                   男爵 高木兼寛
                   男爵 実吉安純
                  正五位 原六郎
               従五位勲三等 大倉喜八郎
                  勲四等 森村市左衛門
                  勲三等 近藤廉平
               従五位勲五等 早川千吉郎
               正六位勲四等 安田善次郎
               評議員(略之)
              会長
                   公爵 徳川家達
              副会長
                   男爵 渋沢栄一
              医院長
                   男爵 高木兼寛
              医院次長
                   男爵 実吉安純
              商議医員
                   男爵 池田謙斎
                   男爵 橋本綱常
                   男爵 石黒忠悳
               従三位勲二等 大沢謙二
               従三位勲二等 岩佐純
               正四位勲二等 三宅秀
               従四位勲二等 佐藤進
                  従七位 松山棟庵
尚同会に対しては 皇后陛下より特に金拾万円の御下賜あり、又組織変更後今日までに申込済の寄附金中重なるものは左の如しといふ
      一金参万円           三井家
      一金弐万円        男爵 岩崎久弥
      一金壱万円        男爵 岩崎弥之助
      一金壱万五千円         藤田伝三郎
      一金壱万五千円         古河虎之助
      一金壱万円           貝島太助
      一金壱万円        男爵 渋沢栄一
      一金壱万円           大倉喜八郎
      一金壱万円           安田善次郎
      一金六千円           麻生多吉
      一金五千円           鴻池善右衛門
      一金五千円           近藤廉平
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      一金五千円           原六郎
      一金五千円           早川千吉郎
      一金五千円           川崎金三郎
      一金五千円           村井吉兵衛
      一金五千円           浅野総一郎
      一金五千円        公爵 徳川家達
      一金五千円        侯爵 徳川頼倫
        以下略之


東京経済雑誌 第五五巻第一三九〇号・第九六二頁 明治四〇年六月一日 ○慈恵会の新組織(DK240064k-0008)
第24巻 p.560 ページ画像

東京経済雑誌  第五五巻第一三九〇号・第九六二頁 明治四〇年六月一日
    ○慈恵会の新組織
東京慈恵医院にては、皇后陛下御臨場の上二十一日総会《(マヽ)》を開き、財団法人慈恵会と改称することとなり、陛下よりは特に金十万円を下賜せられ、其定款も直に満場一致を以て可決し、左の役員を選定したり

図表を画像で表示--

 会長  公爵 徳川家達    副会長  男爵 渋沢栄一 理事  侯爵 蜂須賀茂韶   同    侯爵 鍋島直大 同   侯爵 黒田長成    同    男爵 渋沢栄一 同      早川千吉郎   同       森村市左衛門 同      近藤廉平    同       安田善次郎 同      原六郎 顧問  伯爵 井上馨     同    伯爵 松方正義 法律顧問                法学博士 穂積陳重 医院長 医学博士 高木兼寛  医院次長 同  実吉安純     男爵              同 




東京慈恵会総裁威仁親王妃慰子殿下御事蹟 東京慈恵会編 第七一―七六頁 大正一五年六月刊(DK240064k-0009)
第24巻 p.560-562 ページ画像

東京慈恵会総裁威仁親王妃慰子殿下御事蹟 東京慈恵会編
                           第七一―七六頁 大正一五年六月刊
    其五 総裁慰子殿下と東京慈恵会
 総裁慰子殿下以下の非常なる努力に由りて、東京慈恵医院はその組織を改め、明治四十年七月十九日、社団法人東京慈恵会の設立を見るに至れり。その定款の初めに「東京慈恵医院は明治十五年の創立に係る施療病院にして、皇后陛下慈仁の懿旨を奉じ、陛下の至高至貴なる眷護の下に其事業を経営すること玆に年あり。今や時勢の進運は、其規模の拡張を促すに至れるを以て、其会員の組織を改めて東京慈恵会を設立し、之を社団法人と為し、倍々其基礎を永遠に鞏固ならしめんことを企図し」とあるは、本会設立の要旨を、最も簡明に述べたるものなり。次に本会の目的を明かにして「本会は貧困にして医薬を得る資力無き病者に施療する」ところなるを述べたり。本会はこの目的を達するために、施療病院を置きて之を東京慈恵会医院と称し、更に附属医学専門学校及び附属看護婦教育所を置きて医員並に看護婦の養成をなすこととせり。総裁は 皇后陛下の御特選に依り、旧幹事長威仁親王妃慰子殿下御就任あらせられたること嚮に述べたるがごとし。尚殿下の御奏請により、明治四十年七月二十二日より同年十月二十八日に亘り御裁可を経て、任命せられたる顧問及び諸職員は左の如し。
顧問
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 侯爵 松方正義   侯爵 井上馨   侯爵 桂太郎
 男爵 阪谷芳郎   伯爵 香川敬三     穂積陳重
 男爵 岩崎弥之助  男爵 岩崎久弥  男爵 三井八郎右衛門
理事
 侯爵 蜂須賀茂韶  公爵 徳川家達  侯爵 鍋島直大
 侯爵 徳川頼倫   子爵 実吉安純     長崎省吾
 男爵 高木兼寛      近藤廉平  男爵 渋沢栄一
    大倉喜八郎     原六郎      森村市左衛門
    早川千吉郎     安田善次郎
評議員
 公爵夫人 伊藤梅子   公爵夫人 大山捨松   侯爵夫人 松方満佐子
 侯爵夫人 井上武子   伯爵夫人 東郷鉄子   侯爵夫人 野津登女子
 伯爵夫人 伊東美津子  子爵夫人 寺内多喜子  男爵夫人 斎藤春子
 男爵夫人 阪谷琴子   男爵夫人 牧野峰子   伯爵夫人 林操子
 伯爵夫人 大隈綾子   伯爵夫人 樺山登茂子  子爵夫人 井上光子
 男爵夫人 柴山琴子   男爵夫人 鮫島峰子   子爵夫人 青木エリザベツト
 子爵夫人 田中須磨子  侯爵夫人 蜂須賀随子  公爵夫人 岩倉久子
 子爵夫人 金子弥寿子  子爵夫人 末松生子   子爵夫人 花房千鶴子
 男爵夫人 伊集院繁子  公爵夫人 鷹司順子   公爵夫人 徳川泰子
 公爵夫人 島津田鶴子  公爵夫人 一条悦子   公爵夫人 九条恵子
 公爵母堂 毛利安子   公爵夫人 近衛貞子   侯爵夫人 鍋島栄子
 子爵夫人 実吉連子   男爵夫人 周布貞子   男爵夫人 珍田岩子
 男爵夫人 川口直子   伯爵夫人 戸田極子        穂積歌子
      長崎多恵子  侯爵夫人 黒田清子   侯爵夫人 徳川久子
 侯爵夫人 前田渼子   侯爵夫人 西郷清子   侯爵夫人 前田朗子
 男爵夫人 高木富子        三好寿代子  伯爵夫人 大村憲子
 伯爵夫人 川村春子        近藤従子   男爵夫人 岩崎早苗
 男爵夫人 渋沢かね子  男爵夫人 岩崎寧子   子爵夫人 三井苞子
      大倉徳子   子爵夫人 仁礼寿賀子  男爵夫人 三宮八重野
      三井照子        原登美子        森村菊子
      三井捨子        三井暁子        三井五十子
      早川里子        三井栄子        安田房子
      三井楢光
会長    公爵 徳川家達
副会長   男爵 渋沢栄一
医院長   男爵 高木兼寛
医院次長  子爵 実吉安純
商議医員
 子爵 橋本綱常  男爵 石黒忠悳  男爵 池田謙斎
    大沢謙二  男爵 岩佐純      三宅秀
 男爵 佐藤進      松山棟庵
医員
 日高昂    金杉英五郎  高木喜寛  樋口繁次
 松山陽太郎  石川詢    野村虎長  石黒宇宙次
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 隈川基


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一三頁 昭和六年一二月刊(DK240064k-0010)
第24巻 p.562 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
                  竜門雑誌第五一九号別刷・第一三頁 昭和六年一二月刊
    明治年代
 年  月
四〇  四 ―東京慈恵医院相談役兼委員長―明、四〇、七、社団
      ―法人東京慈恵会理事、副会長―昭和六、一一。