デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 災害救恤
2款 水害救恤
■綱文

第24巻 p.573-574(DK240071k) ページ画像

明治18年6月(1885年)

是月及ビ同二十三年七月・同三十年夏、埼玉県大里郡八基村ニ利根川出水ニヨル水害アリ。栄一、各回トモ金品ヲ送リ之ガ救済ヲ為ス。


■資料

渋沢治太郎氏談話(DK240071k-0001)
第24巻 p.573 ページ画像

渋沢治太郎氏談話            (財団法人竜門社所蔵)
               昭和十二年十二月三日 於埼玉県血洗島諏訪神社 松平孝聴取
    青淵先生の血洗島に於ける公共事業関係
一、血洗島水害救済
 当地の水害は明治十八年六月十五、六日頃・同二十三年七月・同三十年八月頃・同四十三年八月十一日の四回ありましたが、其の中でも最後のは最も被害が大きかつたのです。先生はこのやうな時は被浸水家族に見舞として金品を頒たれました。又此の水害に就ては水場(被浸水地域)に治水計画を起して今後に於て水害から免れるやうにしなければならぬと早くから治水計画に指導精神を持たれ、当村の人々も之に依つて絶えず治水を怠らず遂に水害からはのがれるやうになりました。
○下略


青淵先生公私履歴台帳(DK240071k-0002)
第24巻 p.573 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    賞典
同 ○明治廿四年十一月三十日 明治二十三年中、埼玉県下洪水ノ節罹災者救助トシテ金三百円施与候段、奇特ニ付為其賞木杯一組下賜候事  同 ○賞勲局



〔参考〕埼玉県誌 埼玉県編 下巻・第四三九―四四二頁 大正元年一一月刊(DK240071k-0003)
第24巻 p.573-574 ページ画像

埼玉県誌 埼玉県編  下巻・第四三九―四四二頁 大正元年一一月刊
 ○第四編 第九章 第六節 土木
    三 洪水
○上略
一、明治二十三年の出水 八月上旬来驟雨荐に臻り、各河川の水量漸次増加し、二十二日正午頃より風力次第に加はり、風位は初め巽なりしか後に南方に転し、黒雲漠漠頻りに利根川・荒川の水源地方に向つて飛行し、風雨益々劇烈となり、同日午後六・七時頃より頻頻河水を高め来り、翌二十三日遂に洪水と為れり。加ふるに其出水の未た全く減退せさるに先ち、同月三十日に至り再ひ暴風雨襲来せる為、諸川重て暴漲し作物を浸潤して被害に一層を加ふるに至れり。
二十二日利根川の水量隄九合乃至十合に達し、隄塘は孰れも湿潤して軟弱となりしを以て、刻一刻に危険に迫り、遂に二十三日午後十一時に至り、北埼玉郡須加村大字下中条地先の隄防五十九間潰決し、為に
 - 第24巻 p.574 -ページ画像 
北埼玉郡・南埼玉郡・北足立郡・北葛飾郡等の四郡に氾濫し、次て同郡麦倉村大字飯積及ひ川辺村大字栄地地先の隄防を潰決して、北川辺領に氾濫し、他方には妻沼村地内及ひ男沼村大字出来島・長井村大字善ケ島地先に於て破隄ありて、幡羅郡内に氾濫し、又権現堂川通に於ては、北葛飾郡行幸村大字外国府間高須賀地先の破隄の為、北葛飾郡島中領に氾濫したり。其他に破隄の為一部落に氾濫せしものは、枚挙に遑あらす。又内郷河川用悪水路は、各脈路を追ひて決水奔注し、殊に見沼代用水路元荒川古利根川の如きは、下中条決潰箇所よりの瀉水の流身に衝きしを以て、其被害最も劇甚なりき。本流域内に於ける隄防の決潰二百五十一箇所・延長三千二百九十四間、損所九百三十四箇所・延長七万千七十五間、道路の毀損六百七十一箇所・延長七万八千五百十九間、橋梁の流失九十六箇所・毀損六百七十三箇所、河岸の崩欠四百二箇所樋閘の流失三十七箇所、用悪水路等の破損一千二百四箇所とす。
荒川の水量隄九合乃至十合に達し、入間川其他の支流悉く暴漲し、遂に隄塘の崩潰欠損大小数十箇所に及へり。大里郡吉見村大字玉作地先二十八間破隄せし為、和田吉野川に逆水激行し、更に其堤塘を破壊して大里郡の南部に氾濫し、横見郡東吉見村大字荒子地先荒川隄決潰の為同郡に氾濫し、入間郡古谷村大字古谷本郷地先隄四十間の隄潰は同郡東部一円に浸水せしめ、其他の部分亦小破壊の為損害を蒙らさるなし。本流域内に於ける隄塘の決潰百二十五箇所・延長三千三十九間、欠損千五十三箇所・延長二万八千二百九十九間、通路の毀損六百四十七箇所・延長五万三千五百三十六間、橋梁の流失百十六箇所、毀損五百十箇所、河岸の崩欠四百八箇所、樋閘の流失九箇所、用悪水路の破損三百十二箇所とす。
此洪水は前述の如く再度に及ひたるを以て被害甚た多く、町村数三百二十六・大字数千二百三十七に渉り、死亡者十六人・負傷者一人を出し、家屋流亡七百二軒・毀損倒壊二千三百七十五軒、浸水家屋は六万九千六百五十軒に達し、田畑作毛は概ね収穫皆無に帰せり。加之耕宅地の亡滅せるもの六十町歩、荒蕪地と変せしもの百二十四町歩、其他貯蔵雑穀・船舶貨物等の流失少からす、此等の損失額を積算せは四百五万三千七十八円に達し、内三百九十五万四千四百四十五円は作毛の被害に属せり。土木復旧工事費の県営に係るものは五十四万五千六十六円四十七銭五厘、内十八万二十九円は国庫の補助に係り、町村費に属するものは六万六千百六十八円五十六銭にして全部県費を以て補助支弁せり。
○下略