デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 災害救恤
4款 凶作救恤
■綱文

第24巻 p.605-608(DK240079k) ページ画像

明治35年(1902年)

是年ノ青森県外四県ノ凶作ニ際シ、栄一、罹災者ヘ金三百円賑恤ス。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK240079k-0001)
第24巻 p.605 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳        (渋沢子爵家所蔵)
    賞典
同 ○明治四十三年一月廿日 明治卅五年凶作ノ際、青森県外四県罹災窮民ヘ金参百円救恤候段、奇特ニ付為其賞木杯壱組下賜候事        賞勲局総裁


東洋経済新報 第二六四号・第一二―一三頁 明治三六年四月 飢饉救済法に就て(渋沢栄一氏談)(DK240079k-0002)
第24巻 p.605-606 ページ画像

東洋経済新報  第二六四号・第一二―一三頁 明治三六年四月
    飢饉救済法に就て (渋沢栄一氏談)
 記者曩に東北飢饉の報伝はるや、渋沢男を東京商業会議所に訪ひ之れが救済に関する男の所説を聞くことを得たり、今其梗概を記して諸君の参考に資す。
東北地方飢饉の情報 は、近年未聞の惨状を伝へり、余輩は之を聞て被害人民の不幸誠に憫察に堪えざる所、此際当局及世人の適当なる救済方法を施し、今後来るべきより多くの惨状を免れしめんことを切望せすんばあらず。而して余輩は今回の飢饉に就て聊さか所感の一・二を陳し、世の注意を促がさんとするものあり、そは他なし、之れか救済方針と、一般人士の覚悟是れなり、而して此二者たるや、敢て事新しき説にあらすと雖も、時節柄世の一考を煩はすの必要ありと信ず。然らば
救済方針 とは何ぞや、当局及世の飢饉地方被害者に対し救済の目的を遂行するに就ての方針なり、被害者の前に直接に金銭又は衣食を恵与するも救済なり、被害者に相当の職業上の便宜を開き、之れによりて間接に生活の困難を救ふも亦救済なり、而して此二者は救済の目的に於ては一致せりと雖も、其被害者に及ぼす影響に至りては多少の利害の別かるゝ所なきに非す、故に苟も之を救済せんとするものは、当局たると一般人士たるとを問はず、予め此二方針に就て撰択する所なかるべからす、惟ふに多くの場合に於ては此二者並行せさるべからざるを勿論なるべしと雖も、而かも其間亦自ら軽重の存することを忘るべからず。之を今回の飢饉に徴するに常に赤貧洗ふが如きものにして此飢饉に遇ひ、之に衣食を給与せざれば生活の力なきもの、又疾病の為めに医薬の急に迫れる飢饉《(マヽ)》の如きは、是非之を直接の救助に役たざるべからず、然りと雖も、尚ほ辛くも衣食し、衰弱せる身体ながらも未だ相当の職業を採り得るものに対しては、直接の方法よりは間接の方法を以て救助するを至当となすべし、是れ被害民をして如何に飢饉と雖も坐して救助を仰くべからさることを知らしめ、勤勉の風を失は
 - 第24巻 p.606 -ページ画像 
しめず、飢饉後に於て惰民となるの弊を防くの効あればなり、而して又此間接の方法は地方の土木を起し、殖林を作し、製品を奨励する等種々ありて、中には健全なる労力と低廉なる賃金を以て、平時に於て行ふ仕事に比し成績甚不十分なる者多々あらんも、而かも只直接に坐食の救済方をなしたるものに比すれば、一般社会に及ぼす効能遥かに多きを見るは疑を容れざる所なり。それ然り、苟も之が救済に志すものは単に窮民を憐むと云ふの一念より乞食に金銭を与ふが如き手段を取らず、可成其窮民にも有利に、一般社会にも有益なる間接の救済方法を撰ふこと肝要なりと云ふべし。之を聞く、今回の飢饉も餓死に瀕するの窮民は比較的少なくして、其余は不完全ながらも職業を採り得るものなるが故に、青森県の如きは之れに対し主として間接の救済策をとるの方針なりと、当局既に此方針に出づ、其地方の交通運輸及殖産等に関係を有するもの、会社・己人たるを問はず、出来得る丈け此地方窮民に便利を与へ其職業を奨励し、間接の救済方針をとらば、其困難を救ひ且つ実益を挙ぐるに於て大なる効あるべし、故に一般人士の救血金の如きも、飢餓に瀕する貧民直接の救助は之を別問題として可成間接の方策を以て救済するの資に供せんことを希ふものなり。
一般人士の覚悟 と云は他にあらず、今回の飢饉はヨキ戒めなれば、常に此飢饉の何時襲来するかも測られざることに意を用ゐ、万一に処する相当の貯畜をなし、其時に臨て狼狽し猥りに哀を世人に請ふが如きことをなさざるの心掛けあるを肝要とす、而して貯蓄の機関としては、都市と地方とを論ぜず、それそれ設備せるが故に、努めて奢侈・贅費を戒め以て之れに備ふべし、其他隣保相謀り組合を起すも可、之れを救済する基金を蓄積するも亦可なり、苟も其地方適当の方法を講ずること必要とす、蓋し今回の飢饉の如き、近年飢饉絶無なりしに安心して平素の用意なかりしに由り此惨状に陥る、豈に戒めざるべけんや。言ふ迄もなきことなから各地方当局も亦今後此点に注意し、県に郡に市町村に、各備荒儲蓄の方法を今一層確実なる基礎に措くの途を講ぜられんことを望む。云々。



〔参考〕農村史 小野武夫著 現代日本文明史第九巻・第五三九―五四二頁 昭和一六年四月刊(DK240079k-0003)
第24巻 p.606-608 ページ画像

農村史 小野武夫著  現代日本文明史第九巻・第五三九―五四二頁 昭和一六年四月刊
 ○第二篇 第八章 明治後半期の農業災害
    第二節 東北地方の冷害
○上略
(2)明治三十五年の冷害 明治三十五年度の冷害に関し、被害の特に甚しかつた青森・岩手・福島の諸県に就いて見るに、当時餓死人を出した事によつても其の惨状が窺はるるのである。凶荒の状況を先づ青森県に就いて云へば、同県では其年の春期の播種期から、冷やかなる『やませ』が吹き続き、気温平年に比し遥かに低く、天気は曇り勝ちで強風があり、挿秧期には降雨甚だしく、漸く植附を終へたけれども冷気去らず、稲の分蘖不十分で、七月中旬から八月中旬にかけて多量の降雨があつた為め、冷気益々加はり、暴風吹き荒み、九月初旬一時暑熱があつたけれども、又もや再変して冷気が訪れ、遂に凶作となつた。其の被害状況を見るに、青森県下の上北・下北・三戸の三郡は大
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害を被つたが、津軽地方の被害は割合に軽微であり、全県を通ずる時は約半作であつた。即ち同年の米収穫高は三十四万七千九百八十三石であり、平年と比べ五割二分四厘の減収で、皆無作の面積一万六千六百三十六町歩であつた。此の外、麦・大小豆・蕎麦・粟・稗・黍等十八万九千八百石の減収となつて貨幣に換算すれば百四十一万余円となり、之を稲の被害高と合すれば実に六百六十万円の被害高であつた。窮民として数へられた者四万五千四百八十人に達し、上北郡では餓死者一人を出し、八戸附近の者で餓死に迫られ縊死した者一族六人あつたとのことである。蕨の根・木の皮を食ひ、馬を屠殺し、甚しきは藤や『タラノ木』の根の澱粉や『アモ』(澱粉の残糟)・河骨の根・「メノコ」(昆布を細末にしたもの)・野老・藁餅・松皮餅を食するに至り、可なり惨憺たるものがあつたと云ふ。(附註第一・附註第二)
 岩手県では、四・五月頃は晴天多く、気候順調であつたが、七月から冷気が加り、雨量多く、温度は平年に比して五度低かつた。八月に入つてからも冷気去らず、平年より五度低く、且つ日照り日数が少かつた。九月に入つても冷気と降雨が続いて、雨量は平年の二倍に上り且つ出穂の時に暴風雨が襲つたので遂に凶作となるに至つた。本県下で被害最も激甚であつたのは海岸地方で、とりわけ九戸郡の如きは水田全滅の悲運に際会した。全県下の米の減収六割に上り、水田一万七千五百十八町歩即ち全反別の三割四歩と、畑一万三千百八十六町、即ち全反別の一割五分は皆無作で、実際の減収額三十四万石に達し、同じく大豆は七万一千石、稗は十三万九千石、粟は五万三千石、蕎麦は三万五千石、馬鈴薯は三百二十九万五千貫で、畑作物の収穫歩合は三割乃至五割九歩であつた。斯て窮民は干葉粥・「シダミ」(栖の実)で作つた餅・野老・蕨・山牛蒡・薊の葉・海浜の貝類を以て僅かに露命を継ぐ有様であつた。
 福島県にても、明治三十五年は気温が例年よりも低く、雨量も平年以上に多く、日照日数も少なかつた。斯て全県下の平年米収穫高百二十九万三千八百石余に対し、明治三十五年は僅かに七十四万八千七百石の収穫で、四割二分の減収率を示した。
 宮城県でも、明治三十五年の六月下旬には曇雨日数が十日間に六日の多きに上り、七月中は雨天日数二十日あり、然も最高気温が二十五度以上に上つた日数は僅か三日に過ぎずして、平均気温は例年より二度三分低かつた。八月に入つても上半月は毎日多少の雨を見、全月の雨天日数は半月以上であつた。之と同時に、最高気温三十五度以上の日は僅かに六日であつて、平均気温の二十五度以上は一日もないのみならず、二十度以上の日と雖も唯僅かに十六日で、月平均気温は平年より三度低かつた。此のやうに日照時数不足し、且又低温であつたので、稲の生育が甚だしく阻害せられた。九月に入つて気温は高かつたが、雨天多く、且つ暴風があつて、稲の被害を大ならしめた。斯て水田作付反別七万七千三百町歩のうち四万七千百町歩が被害を受け、七千四百五十町歩程は皆無作であつた。結局同年度の県下の収穫米は僅かに五十七万余石に過ぎず、平年の半ばにも及ばなかつた。
 今明治三十五年度に於ける東北六県の米作減収高を、平年度に比較
 - 第24巻 p.608 -ページ画像 
して示せば左の如き数字となる。

         三十五年収量       平年収量   平年に比し減   減収率
              石          石        石
 宮城県    五七三、二一九  一、一五一、一四二  五七七、九二五  五〇・二
 福島県    七四八、七〇八  一、二九三、八二三  五四五、一一五  四二・一
 岩手県    二一九、六二〇    五三六、七二六  三一七、一〇六  五九・一
 青森県    三四七、九八三    七二九、六八八  三八一、七〇五  五二・三
 山形県    九九三、一〇七  一、三一三、六一二  三二〇、五〇五  二四・四
 秋田県    九六六、三〇八  一、一五〇、九〇一  一八四、五九三  一六・〇
                (門前弘多、東北古今凶歉誌、九五頁)

○下略