デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
1節 外遊
1款 清国行
■綱文

第25巻 p.5(DK250001k) ページ画像

明治10年1月26日(1877年)

是ヨリ先、清国政府ハ我政府ニ一千万円ノ借款ヲ要請ス。栄一之ニ応ゼンコトヲ大蔵卿大隈重信ニ慫慂シ、政府ハ第一国立銀行頭取タル栄一ト、三井物産会社長益田孝トニソノ交渉ヲ委任ス。更ニ清国招商局ヨリモ借款ノ交渉アリ、政府ハ合セテ之ヲ両人ニ委託セリ。

是日栄一、益田孝ト共ニ上海ニ赴キ、二月十二日調印ヲ了セシモ、招商局ノ借款ハ不調ニ終リ、二十六日帰朝ス。後清国政府モ前約ヲ破棄ス。


■資料

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第25巻 p.5 ページ画像

〔参考〕追補 自叙益田孝翁伝 長井実著 第一九五―一九六頁 昭和一四年一一月再版刊(DK250001k-0001)
第25巻 p.5 ページ画像

追補
自叙益田孝翁伝 長井実著  第一九五―一九六頁 昭和一四年一一月再版刊
    対支借款
 明治九年の冬大隈大蔵卿から、支那へ金を貸したいと思ふ、あちらからもだんだん云ふて来て居る、銅だの海産物だの、品物で貸すのである、どうか御苦労だが渋沢と一緒に上海へ行つて呉れまいかと云ふ話があつた。
 其の年の十二月〔註・実《(原註)》は十年一月二十六日〕に渋沢さんと大蔵省の岩崎小次郎と云ふ銀行局長と私と三人で上海へ出掛けた。北海道の産物なぞを商売して居る笠野熊吉と云ふ人の家で泊つた。当時日本人で上海に店を持つて商売をして居たのは此の人一人であつた。領事は品川〔註・忠道〕と云ふ長崎人であつた。
 此の借款の借主は閩浙総督で、領事が勧めたものであるが話が充分に出来て居なかつたので色々面倒があつてとうとう不成立に了つた。
 長崎まで帰ると西郷の騒動が起つて居つた。今夜西郷方が四・五十人島原から長崎へ来ると云ふので非常な騒ぎをやつて居る。川村純義さんが海軍を率ゐて来たが、之れが官軍だか賊軍だかわからぬと云ふ風で、大変な混雑であつた。其の間に品川弥二郎さんが警視庁の巡査隊を率ゐて、之れから熊本へ行くのだと云ふてやつて来た。吾々は上野屋に泊つて斯う云ふ模様を見て神戸へ来ると、山県さんが参軍で神戸へ来て居て、之から熊本へ攻め入るのだと云ふことであつた。上海から吾々と一緒であつた福原と云ふ陸軍大佐が、神戸で山県さんと一緒になつて九州へ行つたが、行くと間もなく討死した。之れはなかなか立派な人であつた。