デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
1款 アメリカ前大統領グラント将軍夫妻歓迎
■綱文

第25巻 p.501-502(DK250034k) ページ画像

明治12年8月1日(1879年)

是日横浜居留外国人主催グラント将軍招待夜会横浜山手公園ニ開カル。栄一臨席ス。


■資料

東京日日新聞 第二二九八号 明治一二年八月四日 【○去る一日の夜ハ、兼…】(DK250034k-0001)
第25巻 p.501-502 ページ画像

東京日日新聞  第二二九八号 明治一二年八月四日
○去る一日の夜ハ、兼て噂ある横浜居留の外国人の催したる横浜山手公園の園会にして、案内ハ午後九時よりの申込みなれバ同時より案内を受たる中外の男女ハみな追々に集会し、其数ハ凡そ四百人に及べり(但し日本の婦人ハ貴紳の夫人数名に過ぎざりき)公園の入口よりして各国の旗を画きたる毬灯もて行路を照し、全園処として灯を掛けざる所なく、中央に高く電気灯を燃したるハ実に眩き程に輝きたり、歩行の路ハ板割を横に敷き列らねて歩行を便にし、委員ハ自から諸所に配布して来客を迎へ中央の面会所に案内せり、此面会所ハ四分板普請の手軽き仮屋にて左まで広きにあらねども、室内ハ各国の旗にて粧飾し、室内ハ葉付きの青竹もて押椽となしたれバ、夜目にてハ如何にも趣ありて面白し、程なく正客たるグラント君夫妻一行とも来られけれバ、委員ハ其人を設の椅子に座せしめ、夫より来客一同を紹介して挨拶の式を行ハしめ、凡そ半時間ばかりにて来客を案内して舞台に至りぬ、此舞台と申すも同じく板囲の仮屋にて、其粧飾等も面会所に異ならねども、前に比すれバ余ほど広大なり、中央の処を酒場となし、其左を舞場とし、音楽の雍々に連れて舞踏を初め、十時半ごろに至りて来客を食堂に導きたり、食堂ハ一ツ仮屋中にて即ち酒場の右の方なり尤も儼然たる夜食と申すにハあらざれども、頗る意を用ひたる点心食
 - 第25巻 p.502 -ページ画像 
法にて、テーブルの周囲にハ皆椅子を配列し、尋常の立食に比すれバ丁寧なりと謂ふべし、酒酣なる頃に委員長たる米国総領事ワンビユーレン氏ハグラント君を祝するの詞を述べ、三歓喚を行ひけれバ、グラント君ハ立て左の答詞を致されたり
 諸君及び外国人よ、余が今諸君と此邦に相会し、且つ今晩諸君の賓客となりて此の盛会に与かるの栄を得たるハ寔に千載難遭の奇運なり、余ハ世界一週の旅行中に於て曾て日本に於けるが如く最も其歓を極めたる事なし、余ハ玆に多言を費やさず、唯日本在留の外国人及び日本の政府・人民の為めに此の酒杯を傾け、在留外国人の為めにハ相ひ親睦して其好意を破らざらんことを祈り、日本の為めにハ愈々富み益々強くして其国力を増さんことを祈るのみ
来客みな三歓嘻して此答詞を喜び合ひ、夫より再び舞踏を催し、限り無きの楽を尽したり、尤も東京より来会せし人々ハ十一時十五分の汽車、および十二時半の別仕立汽車にて両度に帰られしか、此夜会も十二時過に散じたり
此夕の重立たる客員ハグラント君夫妻・三条・岩倉・伊藤・井上・西郷・吉田・榎本・上野・中牟田・小沢・野村・本野・伊集院の諸公、英・米・西班牙・支那の諸公使、米国の海軍中将パットルソン氏にして、紳士ハ渋沢・福地・益田・岩崎・小室・三野村・渋沢 ○喜作カ・原善三郎等の諸君なりしとぞ