デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
5款 イギリス前海軍大臣伯爵スペンサー歓招会
■綱文

第25巻 p.551-553(DK250041k) ページ画像

明治29年4月11日(1896年)

是日、東邦協会主催イギリス前海軍大臣伯爵スペンサー(John Poyntz Spencer)歓招会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、演説ヲナス。


■資料

青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第六二七頁 明治三三年六月再版刊(DK250041k-0001)
第25巻 p.551 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第六二七頁 明治三三年六月再版刊
 ○第五十八章 公益及公共事業
    第七節 外賓接待
○上略
明治二十九年四月十一日、東京帝国ホテルニ於テ有志者ノ発起ニテ、当時来遊ノ英国政府前海軍大臣スペンサー伯ノ歓招会アリ、先生之ニ加ハリ、席上左ノ演説ヲナセリ ○下略


竜門雑誌 第九六号・第一―七頁 明治二九年五月 ○青淵先生の演説(DK250041k-0002)
第25巻 p.551-553 ページ画像

竜門雑誌  第九六号・第一―七頁 明治二九年五月
    ○青淵先生の演説
 左に掲くるは去月十一日英国の貴賓スペンサー伯歓招会に於て先生の演説せられたるものなり、此に其大要を筆記して読者に紹介す
                         編集識
閣下、諸君、私も東邦協会の末班に在るを以て、今夕此歓招の宴に参列して英国前海軍大臣スペンサー伯に謁するの光栄を得たるは、欣喜の至りと存します、依て一言の蕪詞を呈して、玆に陳謝の微意を表し諸君の清聴を煩はします
諸君、伯か此度我日本に来遊せられたるは朝野挙けて之を歓迎し、政事家も軍人も学者も教育家も、皆喜て伯の我日本及び東洋に対する高説を聞くを望むでありませう、併し私は商工業家として殊に之を喜ひ之を謝するのであります、何となれは我日本の商工業は開国以来概ね其方法を欧米諸国に摸倣する所にして、就中英国との関係は最も多く常に其誘掖幇助を受けて今日に至りたるものであります、故に今其英国に於て名声顕著、然かも博学にして経歴に富みたる伯の如き名士か我日本の現況を目撃せられて、其実際に付て高案を指示せらるゝは、我々商工者に在りては恰も妙齢の学生が日頃敬慕する教師に対して平生修学せし課程を試験せらるゝの想ありて、此間無限の情意は言語文章も之を尽し能はさるものであります
諸君、私は今伯に対して我商工業の為めに一言の謝詞を呈するに付ては、先つ第一に我日本の商業沿革を叙して、我商工業は今日までに如何なる順序を以て進歩し来りしやを明かにし、第二に我々が将来の企望を略陳して、以て伯の教示を請はんと存しまする、故に事の冗長を顧みるに遑あらすして、爰に維新以前に於ける我日本の商工業の概況を述べます
 - 第25巻 p.552 -ページ画像 
元来私は学者てもなく、又著作家てもありませねば、我日本の商業歴史を調査せしこともありませぬゆへ、充分の見解を以て論断することは出来ませぬが、我日本は建国の大体往古より尚武を専一とするの風あるより、商工業の発達は海外の国々よりは比較的に遅緩なりしと思はれます、殊に旧幕府時代に在ては、封建制度の常として、幕府も諸藩も皆其貢物を自ら運搬販売することを勉めて、商人には其小売を為さしむるの姿でありました、其上、海外貿易は徳川政府三代の時より厳禁せられて、商業の区域は此日本の小版図内に限られました、又工業とても学術の発明少く、器械の進歩も稀れにして、只た個々自営の手職業でありました、故に私は此時代の商工業を評して、自活的の経営換言すれば其日稼の仕事でありしと断言するを憚りませぬ
全体の景状斯くの如くでありますから、一般の社界が商工業者を見るは頗る之を軽蔑し、商工業者も亦自ら卑屈に安んして居りました、凡そ猛獣は幽谷を愛し大魚は深淵を求むるの道理にして、前に述へたる如き区域も小にして利益も少く、且名誉抔と云ふものは思ひ寄られぬ境界には、智識ある人は之に住居せぬと云ふ有様に成り行きまして、終に商工業には学問上の教育は有害無益なりとの妄説あるも、誰も之を怪しむ者なき迄に至りました
天運循環して明治の時代となりまして、政府も民間も皆な商工業の振興せさるへからさることを論する様にはなりましたれとも、因襲の久しき官尊民卑の風は遽かに消除することは出来ませぬ、加之維新の革命は諸藩士の力に依りしものとも云ふへき程でありましたから、天下の人士は皆強く政治思想に傾むきまして、有為の人物は勿論、一芸一能ある人までも悉く官途を企望するの有様にして、我日本の商工業の衰頽を憂ひて之を隆興せんと企図せしものは、実に落々晨星の姿でありました
然りと雖とも、世に必要のものは終に堙滅する能はすして、爾来年一年に商工業の拡張を論するもの多くなりまして、又其区域も昔日とは全く其趣を異にして、利益も多く随て名誉も之に伴ふの有様なりしゆへ、追々に智者も能者も学者も技術家も、商工業家となる様に相成りました、又一方には教育の方法も、普通教育の外に商工業の特別学校を官私共に多く設立する迄になりました、斯く申上けますと、我仏尊しと云ふ自称説になりませうが、実に其進歩は頗る急激にして、自身にも驚く程にありました、試に其重要の事項に付て二三の実例を摘示すれは、明治五年頃始めて其法制を設けられたる銀行は、今日全国を通計して九百五十行の数に上り、其資本金高一億三千三百万円以上になり、其東京に設立する銀行中僅かに十六行の申合にて手形交換所を備へ置きますが、其手形交換の高は昨年の総計が二億八千九百万円余に上りました、又海外貿易の有様は二十八年の高が輸出入合計二億六千五百万円余にして、十ケ年前に比較しても殆と四倍の増加になります、船舶の数も昨年は頓かに増加しまして、現在の商船(西洋形蒸汽船・帆前共)は其噸数三十六万噸以上になりました、鉄道は布設工事に時間を費す為に、未た充分発達しませぬか、官私設を合計して既成の線路が二千二百五十哩以上になりまして、十ケ年前に比較すれは、
 - 第25巻 p.553 -ページ画像 
六倍以上であります、又紡績工業は二十八年迄に設置せし紡錘の数九十八万錘余にして、是は十ケ年間に十五倍以上も進みました
右の統計は皆其事実に就て調査せしものにして、寧ろ減少に見積るも決して誇大にせしものにはありませぬ、併しなから是は只東洋の一小国たる日本に於て僅々十数年間の進歩でありますから、聊か観るに足る者もあろうと存しますれ共、之を欧米諸国、殊に英国抔に向つて自負する次第ではありませぬ
偖現況は今叙述したる通りでありますか、我々商工業者は決して是等の小成に安んする者てはありませぬ、我日本は国土小にして境域狭しと雖とも、四囲環海、恰も英国と其形を同ふしますから、東洋の商工業に対して向後充分に其力を展はすの余地があろうと存します、而して其振興の順序は、勉めて海運を拡張し工業を増進するを以て第一の要務と考へます、斯く申しますれはとて、我々は決して他を侵し人を凌き、我利是貪るの主義を取ることは好みませぬ、又軽佻浮誇俄に盛にして忽に衰ふ、尚庭前の桜花今日は満開にして明日は其跡を留めさるが如きことは好みませぬ、飽迄も着々実を占めて、徐々歩を進むるの方法に拠るの所存てあります、願くは伯爵スペンサー閣下、其高見を吐露して、以て我々に垂教する所あれよ
終りに臨て更に一語の伯に申告するものあり、凡そ世間先達者若くは教師たる者が其後進者又は子弟を誘導するの有様を見るに、子弟・後進者が仔々教師の与ふる課程を修得するの際は、其交情頗る懇切なりと雖も、其子弟卒業して或は其師と同業を取るのことあるに当りては識ちす知らす其情疏隔して相親密ならず、甚たしきは相反目するの場合なしと云ふへからず、是れ社交上に於ても最も嫌ふへきことと存します、今或る日本と英国との商工業の位地は、或は前に云ふ処の情態に類することもあろうかと思はれますれとも、英国人民の度量の宏大なる、其学問の真摯なる、其主義の博愛なる、決して我を疎んじ若くは我を憎むか如きことありますまいと信しますなれとも、伯に於て能く我々の微衷を諒納せられて、此際に注意あらんことを願ひます、謹て伯爵スペンサー閣下の健康を祝します
   ○右ノ歓招会ガ東邦協会ノ主催ナル事ハ栄一ノ演説ノ初部ニ見ユ。
   ○John Poyntz Spencer.伯爵、英国ノ政治家。(一八三五―一九一〇年。「エンサイコロペジア・ブリタニカ」第十一版ニヨル)


御口授青淵先生諸伝記正誤控 並御談話控附日記 第七三頁 昭和五年―六年(DK250041k-0003)
第25巻 p.553 ページ画像

御口授青淵先生諸伝記正誤控 並御談話控附日記  第七三頁 昭和五年―六年
                     (渋沢子爵家所蔵)
○上略
御注 ○栄一ノ注ナリ六三三頁 ○青淵先生六十年史第二巻スペンサ伯に対する歓迎御演説に付『其末項の師匠と弟子の話をしたのは、一言一寸気付かせてやらうと思つて申した事である、何かといふと英吉利の態度が癪にさはつてゐたものだからね。――演説はチヤンと記録して本国へ持つて帰るからと思つて、特に一言申加へたのだ。』と仰があつた。
仰 ○栄一ノ言ナリ『此辺 ○中略 の演説は敢て自分の演説を褒める訳ではないが中々よく出来てゐるよ、ね、さうだらう。』 ○下略