デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
9款 アメリカ陸軍大臣ウイリアム・タフト歓迎
■綱文

第25巻 p.560-564(DK250045k) ページ画像

明治38年7月27日(1905年)

是日、京浜間実業家主催ノ米国貴賓招待会紅葉館ニ開カレ、アメリカ陸軍大臣ウイリアム・タフト(William Howard Taft)及ビ同国大統領セオドル・ルーズヴェルト(Theodor Roosevelt)ノ息女ヲ招待ス。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK250045k-0001)
第25巻 p.560-561 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年    (渋沢子爵家所蔵)
七月十八日 晴 風涼
○上略 午前十時桂総理ヲ官舎ニ訪ヒ、米国来賓歓迎ノ事ヲ談話ス ○中略 四時日本銀行ニ抵リ、松尾・園田・良川《(豊川)》・近藤諸氏ト来国来賓歓迎ノ事ヲ協議ス ○下略
七月十九日 曇 風涼
○上略 午後二時銀行倶楽部ニ抵リ、米国来賓歓迎ノ事ヲ協議ス、珍田次官・松尾・益田・園田・相馬・大倉等ノ諸氏来会ス ○下略
   ○中略。
七月二十一日 曇 冷気
○上略 午後ヨリ兜町事務所ニ於テ書類ヲ調査ス、午後高橋・益田・田中三氏来リテ米国貴賓歓迎ノ方法ヲ協議ス、明後日同志会同ノ事ニ決ス ○下略
   ○中略。
七月二十三日 半晴 冷気
○上略 四時銀行集会所ニ抵リ、米国貴賓歓迎ニ関スル協議会ヲ開ク、高橋義雄・益田英作・田中常徳氏等来リ、其手続ヲ陳述セラル、来会者概略十四五名、歓迎ノ方法ヲ協議ス ○下略
七月二十四日 曇 冷気
午前七時起床、朝来歯痛強クシテ出務ヲ得ス、褥中ニ於テ治療ス、堀井医師来診ス、午前十一時松平隼太郎来ル、米国貴賓歓迎ノ事ニ関シ種々ノ指揮ヲ為ス、接待委員ノ人々ヘ電話ニテ打合ヲ為シ、且松尾氏ニ照会シ遣ス
七月二十五日 曇 冷気
午前六時起床、歯痛ノ為メ外出ヲ得ス、褥中ニ在テ新聞紙ヲ一覧ス、午前十時戸田宇八・松平隼太郎来リ、米国来賓ニ関スル事務ヲ談話ス ○下略
   ○中略。
七月二十七日 曇 蒸暑
○上略 午後四時米国公使館ノ園遊会ニ出席ス、兼子同伴午後六時紅葉館ニ抵リ米国貴賓歓迎ノ事ヲ取扱フ、午後八時ヨリ続々来会ス、外人九十名余、邦人六十名余、合計百五十余名ニシテ、ルースベルト嬢・陸
 - 第25巻 p.561 -ページ画像 
軍長官タフト氏等来会ス、夜飧後種々ノ余興アリ、且歓迎趣旨ヲ以テ一場ノ演説ヲ為シ、タフト及上下院議員ヨリ一場ノ謝詞アリ、賓主歓ヲ尽シ、夜二時ニ至リテ散会ス
七月二十八日 晴 暑強シ
○上略 食後 ○午後米国陸軍長官タフト氏ヲ芝離宮ニ訪ヒ、又ルーズベルト嬢ヲ公使館ニ訪ヒ○中略 夜十一時王子ニ帰宿ス
   ○中略。
八月一日 晴 暑
○上略 午前十時日本銀行ヲ訪ヒ、松尾総裁ニ面会シテ米国貴賓歓迎ノ費途分担ノ方法ヲ協議ス○下略
   ○中略。
十月七日 晴 秋冷
午前 ○中略 米国公使館ヲ訪問シテミラー氏ニ面会シ、ルーズベルト嬢ニ名刺ヲ呈ス ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK250045k-0002)
第25巻 p.561 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
七月廿五日 曇 涼シ フラネル
○上略
ルースベルト令嬢・タフト卿等一行入京歓迎ニテ大ニ賑ハヒシ由 ○下略
七月廿七日 曇
例刻出勤ス、本日ハ午后五時ヨリ銀行集会所ノ戸田宇八氏等ト共ニ紅葉館ニ至リ、渋沢男爵以下実業家二十八名ノ催ニカヽル米国佳賓招待会ノ用係リヲナス、午后八時ヨリノ招宴ニシテ来客百数十名、階下ヲ重ニ婦人席トシ、階上ヲ男子席トシ、何レモ玄関ニテ靴ヲ脱セシメ、宴室ニテハ日本風ニ布団上ニ坐セシメ、本膳ヲ供ス、何レモ純粋日本流ノ風俗ニヨリ待遇サレタシトノ希望ニ基ツクモノニシテ、中ニ一人ノ紳士ハ日本服ヲ着用セシモノナドアリキ、カクテ膳ヲ引キテ後一同ヲ階下ニマトメ、玆ニハ椅子ヲ供シ取設ノ舞台ニ於テ種々念入ノ余興アリ、其番組ハ英語ニテ印刷シ、又料理献立ハ団扇ニ印刷シテ坐席ニ席札ト共ニ配付スル等、中々趣向ヲコラセリ、余興ハ其他ノ設備ト共ニ画策尽力セシ高橋義雄・益田英作・田中常徳三氏ノ考案ニナリシモノニシテ、紅葉踊・元禄踊・コマ蔵ノ芝居・大小妓ノ活惚等何レモ来賓ノ大喝采ヲ博シタリキ、其間一端ニバーヲ設ケ喫煙飲酒等ノ自由ヲ来客ニ与フ、只男女手伝人多ク混雑シタルト、上リ下リニ靴ノ面倒アリシ雑沓トハ不得已トスルモ、其他ハ大成功ナリシ、余興尚三四組残レルニ、已ニ十二時トナリ来客弗々帰リ始メ、只日本ノ客人伊藤侯等居据リ飲ミ続ケラレシタメ、益更深クナレリ、予ハ一時帰宅
主人側ノ人々モ多クハ着席セズ、然カモ空腹ニテ大ヨワリノ様子、而シテ会費ハ一人三百円ツヽノ支出ナリ
男爵ノ挨拶、添田寿一氏ノ反訳、タフト陸軍卿其他上院議員・下院議員各一名ノ答辞、何レモ聞キモノナリキ


中外商業新報 第七〇八〇号・附録 明治三八年七月二八日 ○実業家の歓迎会(DK250045k-0003)
第25巻 p.561-562 ページ画像

中外商業新報  第七〇八〇号・附録 明治三八年七月二八日
    ○実業家の歓迎会
 - 第25巻 p.562 -ページ画像 
      (紅葉館に於て米国貴賓タフト氏一行)
府下実業家の重なる諸氏二十四名《(マヽ)》の発起に係る米国の貴賓タフト陸軍卿及ルーズヴィルト嬢の一行八十余名の歓迎招待会は、予報の如く昨二十七日午後七時芝公園紅葉館に開かれたり、流石に粋を抜きし錚々たる帝都富豪の催しに係る事とて、館内の装置・装飾・接待の趣向等別項の如く、一として善尽し美尽さゞるはなく、軈て定刻に達し貴賓一同の来着あるや、館の階上・階下の両大広間に案内し、小憩の後将に八時を報ずるの時日本料理の精華を集めし配膳は順次に進められ、約一時間と半にて予定の饗応終るや更に一同を階下の大広間に案内し玆に予て設けの余興は開始せられ、先づ紅葉狩りの一番を演じ、終るや当夜の主人側を代表せる男爵渋沢栄一氏は、氏が通訳の任に当れる法学博士添田寿一氏と共に場の中央に進み出で、一楫の後満場の拍手に迎へられ左の挨拶を、男が得意の雄弁を以て最も流暢に陳述せり


竜門雑誌 第二〇七号・第四―六頁 明治三八年八月 ○米国貴賓歓迎会に於ける青淵先生の演説(DK250045k-0004)
第25巻 p.562-563 ページ画像

竜門雑誌  第二〇七号・第四―六頁 明治三八年八月
    ○米国貴賓歓迎会に於ける青淵先生の演説
 本編は去七月二十七日芝紅葉館に於て重なる京浜銀行家及実業家の催されたる米国貴賓タフト卿及ルーズヴヱルト嬢歓迎会席上に於て会員を代表して青淵先生の演述せられたる歓迎の辞にして、中外商業新報の速記に係れるものなり
閣下及淑女紳士諸君、今夕は当市の銀行・会社に従事する吾々有志者相寄り、今般北米合衆国陸軍長官タフト閣下・及ルーズヴヱルト嬢其他御一行の諸君が我日本に御渡来相成りましたのを機として、玆に歓迎の小宴を張りました所が、幸に淑女・紳士諸彦の御尊臨を賜はり、且我内閣諸公及元老諸公の尊臨を辱ふ致しましたのは、実に吾々一同に取り無上の光栄と存じ、深く感謝の至りに堪へませぬ、依つて私は玆に吾々一同を代表致し式辞を一言陳述致さうと存じます
北米合衆国と我日本との国交の始まりました年月を計算致しますると僅に五十有余年に過ぎませぬので、世の歴史の上から考へますると決して長いものとは申されぬのであります、併しながら両国、国交以来の事跡に付て熱々考へ見ますれば、其親交の次第に厚くして其関係の頗る深く相成つたと云ふことは、実に私如き不弁なる者の言語を以ては到底言ひ現はすことが出来ぬのでございます、蓋し吾々には今日に至る迄各種の賓客を迎へましたこと一にして止まんので、特に今回の如き斯くも多数なる佳賓を迎へると云ふことも又其親交が如何に深いかと云ふことの之が一証であると云ふことは、玆に申上げることが出来ると考へるのであります、而して諸君が今回我日本に御渡来相成りましたに付ては、此佳賓諸君を歓迎致しますことが決して一方面のみではございませぬ、或は政治上に於て或は社交上に於て、其他各般の関係に於て実に歓迎措く能はざる所で、之れは私の申す迄もございませぬ、何となれば抑北米合衆国は我日本国を開いて下すつた国であるのみならず、五十年来の関係は政治上に於て将た貿易上に於て、将た又各種の関係に於て非常なる扶掖誘導を与へられたと云ふことは、片時も忘れんとして忘るゝこと能はざるからでございます、而して斯る
 - 第25巻 p.563 -ページ画像 
非常なる関係ある内に、最も吾々実業家が肝銘致して居りますは、吾吾の従事致します商工業に対して北米合衆国の与へてくれた扶掖誘導と云ふものが一通りでなく、其感化の実に広且大なるものあるの点でございます、夫故居常吾々は深く之を感激して止まんのでございます今回諸君が我日本に御渡来相成りましたに付て、特に吾々実業家が相寄り実業家として諸君を歓迎する所以も、亦如上の次第に外ならぬのでございます、依つて佳賓諸君に於てもどうか吾々実業家微志の存する所を御諒察あつて、吾々の誠意を御受け下されんことを懇望の至りに堪へぬのでございます
是に付て尚申述べたいことは甚だ数多いことでありますが、所謂下手の長談儀は佳賓諸君に対し却て御迷惑と恐察致しますに依つて、最早此辺に止め置きますが、玆に唯一言の言葉を添ゆることの御許しを請ひたひのでございます、私は三年以前佳賓諸君の御本国なる北米合衆国に遊びまして、当時幸に華盛頓の「ホワイトハウス」に於て大統領閣下に拝謁するの光栄を得、其時大統領閣下と種々の物語り致し、大統領閣下が色々と御話し致されました内に、特に我日本の軍事及美術に付て、非常なる称讃の辞を賜はたのでございます、私は其時大統領閣下へ御答へ申すに、私は日本の商工業に付て閣下より今日は御褒めを頂戴致すの資格を持ちませぬが、吾々日本の商工業者も借すに数年の歳月を以てしたならば、漸次之が進歩を来し発達を見るに至りますから、他日は必ず軍事並に美術と同様に、閣下より御褒めを戴くやうになりますと申した所が、大統領閣下には笑を浮べてさうかと云はれた一談がございます、今日に至りて之を想ひ起しますれば、其時より丁度三年を経過致しますが其以来歳月も未だ短いことでございますから、尚今日と雖も決して此商工業に付て御褒めの言葉を頂戴する迄の状態には立ち至りませぬが、爾来私自身は勿論、私共同志者相寄ると互に相計つて商工業の発達を、孜々汲々と努めて止まぬのでございます、而して唯之が効験の多少あつたかと考へまするは、例へば昨年以来種々なる出来事に際しまして、幸にも我経済社会は別に斯様な困難があつたとか、斯様な不都合があつたとか云ふやうなことは未だないと私に於ては信じて疑ひませぬので、是丈は聊か申上げて宜からうかと考へるのであります、特に海外に対する信用に至りても、日に益々加り来りましたこと抔を考へますれば、今日に於て未だ決して御褒めの言葉を頂戴致す迄の域には達しませぬけれども、段々に進みつゝあるといふことは申上げて宜からうかと考へるのでございます、仰ぎ願くはタフト閣下に於かれましては、御帰国の上大統領閣下に御会の節どうか此ことを御伝へ下さるやう懇願して止まぬのでございます
終に臨んで私は来賓の淑女紳士に向ひ、重ねて当夜の尊臨を賜りたる厚意を深く感謝致します、尚甚だ不束なる催しではありますが、ゆるゆる御遊びあらんことを希望致します


実業之世界 第一八巻・第一二号 大正一〇年一二月一日 米国十大実業家の印象(承前)(子爵渋沢栄一)(DK250045k-0005)
第25巻 p.563-564 ページ画像

実業之世界  第一八巻・第一二号 大正一〇年一二月一日
  米国十大実業家の印象(承前)(子爵 渋沢栄一)
○上略
 - 第25巻 p.564 -ページ画像 
    □記憶の好いタフト氏
 前々大統領のタフト氏は、誠に好い人であると思ふ。先年タフト氏が一行五六人で我国に来遊された時、私共が主催で紅葉館で歓迎会を催した。其時陪賓として故伊藤博文公を始め皆で二十人許り列席し、純日本式の饗応をなしたが、私は主人側を代表して、設備其他の行届かぬ事と、料理も特に純日本式であるから或は口に合はれぬかも知れないと挨拶した処が、タフト氏は、今席は純日本式の接待の上に、大政治家伊藤公爵を相客とされ、主人公は渋沢男爵始め有名な実業家諸氏である。私は斯かる有力な人々と会見するの機を造られた事が第一の御馳走と心得るといふて、非常に満足の意を表されてあつた。之れがタフト氏との始めての会見である。
 其後、タフト氏の大統領時代に渡米して、ホワイトホースで接見会《(ミネアポリス)》があつた際に、私は、東京商業会議所会頭であつた中野武営氏・横浜商業会議所会頭であつた大谷嘉兵衛氏等と共に再度の会見をしたのであつたが、能く私を記憶して居つて、私を見ると、バロンシブサワといつて直ちに握手をなし、久濶を叙して、曾て渡日の際の好意を謝し且つ種々談話をしたが、記憶の好い人で、中野・大谷氏等をも知つて居つた。
 政治家としてのタフト氏に就ては深く知らぬが、個人としての氏は如才のない親切な人で、誰にでも好感を与へる応待振りは流石に大政治家であると思つた。
○下略
   ○Taft(一八五七年―一九三〇年)ハ千九百九年共和党ヨリ選出セラレテ第二十七代ノ大統領トナリ千九百十三年任期満チテ退ケリ。Henry W. Taftハ彼ノ弟ニシテ紐育日本協会会長タリ。(富山房編「国民百科大辞典8」ニヨル)