デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
11款 カナダ駅逓総監兼労働事務大臣レミュー歓迎
■綱文

第25巻 p.592-607(DK250048k) ページ画像

明治40年12月3日(1907年)

是日、東京市有志主催ニヨルカナダ駅逓総監兼労働事務大臣レミユー歓迎会、華族会館ニ開カル。栄一出席シ有志総代トシテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

加奈陀駅逓総監兼労働事務大臣レミユー氏歓迎会報告書 第一―六四頁 明治四一年三月刊(DK250048k-0001)
第25巻 p.592-604 ページ画像

加奈陀駅逓総監兼労働事務大臣レミユー氏歓迎会報告書
           第一―六四頁 明治四一年三月刊   (見山正賀氏所蔵)
    (一)発起
明治四十一年十月《(衍)》、東京市長尾崎行雄・東京商業会議所会頭中野武営男爵渋沢栄一其の他の有志諸氏東京市役所内に会合して、当時来朝中なりし加奈陀駅逓総監兼労働事務大臣レミユー氏の為に、東京市及市内商工業有志者協同して歓迎会を開催せむとの議を決し、尚ほ先例に拠り右三氏を総代に挙げ、且つ同時に本会一切の事務を市役所に依託すること、及左の各項を協定したり
      協議事項
 一挙行期日 十二月三日午後七時三十分
 一方法   晩餐会
 一場所   華族会館
 一来賓   レミユー氏一行、英国大使館員、関係の大臣及次官、東京府知事・警視総監並に各令夫人等
 一会費   一人金弐拾円とし、不足を生したるときは、前に市に保管を託したる伊藤統監歓迎会等の費用の残金を以て之を補充す
    (二)会場の確定
本会の会場は前記の決議に基き華族会館使用の義、渋沢男爵の名を以て同館事務所と交渉の結果、其の認諾を得たるに依り玆に確定し、食堂其の他適宜の装飾を施すこととせり
    (三)会員及案内状
      (イ)会員
本会の挙行を賛せし会員の氏名並に其出金高左の如し
                東京市参事会
 一金五百円也
                 東京市長 尾崎行雄
                       (いろは順)
 一金弐拾円也 男爵 岩崎久弥  一金弐拾円也    服部金太郎
 一金弐拾円也    早川千吉郎 一金弐拾円也    大橋新太郎
 一金弐拾円也    大倉喜八郎 一金弐拾円也    渡辺専次郎
 一金弐拾円也    渡辺夫人  一金弐拾円也    田村利七
 一金弐拾円也    田村新吉  一金弐拾円也    高橋新吉
 一金弐拾円也    高田真蔵  一金弐拾円也    高松豊吉
 - 第25巻 p.593 -ページ画像 
 一金弐拾円也    添田寿一  一金弐拾円也    中野武営
 一金弐拾円也    中沢彦吉  一金弐拾円也    牟田口元学
 一金弐拾円也    村井吉兵衛 一金弐拾円也 男爵 松尾臣善
 一金弐拾円也    朝吹英二  一金弐拾円也    雨宮敬次郎
 一金弐拾円也    佐竹作太郎 一金弐拾円也    三井三郎助
 一金弐拾円也 男爵 渋沢栄一  一金弐拾円也    渋沢夫人
      (ロ)案内状(西洋紙活版刷)

図表を画像で表示(ロ)案内状(西洋紙活版刷)

  拝啓、今般来朝ノ加奈陀駅逓総監兼労働事務大臣レミユー氏夫妻ヲ招待シ、来ル十二月三日午後七時三十分麹町区内山下町華族会館ニ於テ晩餐会相開キ度候間、御賛成被成下度、尚会費其他左ノ通ニ御座候、此段得貴意候 敬具    明治四十年十一月二十六日         尾崎行雄                        中野武営                     男爵 渋沢栄一     一準備ノ都合モ有之、御賛否並御出席ノ有無共来二十八日迄ニ東京市役所ヘ宛御一報相願候     一会費ハ御一名金弐拾円ニ御座候     一御服装男子ハ燕尾服(佩勲章)女子ハ「ロープデコルテー」又ハ白襟紋付ニ候 



    (四)賓客及招待状
当日の正賓たる加奈陀駅逓総監兼労働事務大臣レミユー氏夫妻に発せし招待状及陪賓人名並に其の招待状左の如し
      (イ)正賓招待状(奉書紙)
 拝啓、今般御来朝に付来る十二月三日午後七時三十分、麹町区内山下町華族会館に於て晩餐会相開き候間、御光臨の栄を得度、此段御案内迄敬意を表し候 頓首
  明治四十年十一月二十七日
                 有志総代
                             尾崎行雄
                             中野武営
                          男爵 渋沢栄一
  アール・レミユー閣下
  同令夫人
      (ロ)陪賓人名
  レミユー氏随行員
加奈陀国務次官 ジヨセフ・ポーフ
秘書官     ビー・ベレット
        ベーカー
  加奈陀人
        プレストマン                同夫人
        マックリアン                同夫人
 - 第25巻 p.594 -ページ画像 
        イー・ヱフ・クロー             同夫人
  英国大使館員
大使    サー・クロード・マクスウヱル・マクドナルト   同夫人
一等書記官 ジヨン・ハーリングトン・ガビンス        同夫人
二等書記官 フランシス・オスワルド・リンズレー       同夫人
三等書記官 ロバード・ヘンリー・クライブ          同夫人
武官中佐  アール・ダブーリユー・ボーカー
同     シー・ゼー・ドーマー              同夫人
  大臣
内閣総理大臣侯爵  西園寺公望               同夫人
農商務大臣     松岡康毅                同夫人
逓信大臣      山県伊三郎               同夫人
外務大臣 伯爵   林董                  同夫人
  宮内省
宮中顧問官     長崎省吾                同夫人
  外務省
次官男爵      珍田捨己                同夫人
秘書官       吉田要作                同夫人
同伯爵       寺島誠一郎               同夫人
通商局長      石井菊次郎               同夫人
同心得       中村巍                 同夫人
書記生       本部岩彦
  警視庁
警視総監      安楽兼道                同夫人
  東京府
知事男爵      千家尊福                同夫人
  其他
華族会館長公爵   徳川家達                同夫人
日本大博覧会長子爵 金子堅太郎               同夫人
      (ハ)陪賓招待状(金縁カード活版刷)

図表を画像で表示(ハ)陪賓招待状(金縁カード活版刷)

 拝啓、今般来朝ノ加奈陀駅逓総監兼労働事務大臣レミユー氏及令夫人ヲ招待シ、来ル十二月三日午後七時三十分、麹町区山下町華族会館ニ於テ晩餐会相開キ候間御臨席ノ栄ヲ得度、此段御案内申上候 敬具   明治四十年十一月二十七日       有志総代            尾崎行雄            中野武営         男爵 渋沢栄一     乞貴答 



    (五)晩餐会
晩餐会場は、華族会館階下の食堂を以て之に充て、室内を装飾するに「モール」・国旗・造り紅葉等を以てし、此の外又談話室・待合室・喫
 - 第25巻 p.595 -ページ画像 
煙室・婦人化粧室等孰れも適当の装飾と設備とを施したり、予定の時刻に先立ち主人側先つ参会して賓客の到るを待つ、暫くして正賓・陪賓相次て臨場し、階上設備の談話室に集合せらる、而してレミユー氏令夫人俄かに病気の故を以て欠席ありしは本会の最も遺憾とせし所なり、頓て定刻に及び食堂を開くや、全員斉しく此所に相集りて盃を挙げ、食事将に終らむとする頃、渋沢男爵は会員一同を代表して挨拶を述べ、レミユー氏之に対して答辞を演ぶ、次で来賓の一人たるプレストン氏の演説あり、左に以上を列記すべし
      (イ)渋沢男爵の挨拶
 加奈陀政府駅逓総監労働事務大臣レミユー君閣下、及臨場の諸閣下淑女・紳士、今夕は吾々東京市内商工業有志者協同して、閣下の我が国に来遊せらるゝを機として玆に歓迎の宴を開きたるに、幸に閣下諸君の賁臨を辱ふし、相共に一堂に款談するを得るは吾々の光栄として欣喜措く能はざる所なり、依て小生は会員を代表して一言を述べ、以て感謝の意を表せんとす
 加日両国が密接なる友情及交通の連鎖に依りて、政事上並に社会上に相合致する事の相互の利益たるは、吾々の常に確信したる所なり蓋此連鎖は又実に二大国間通商の発達上最も確実なる保証たるや論を竢たす
 吾々商工業者は久しく此関係の発展を企図するの念切なりしが、幸に加奈陀政府に於ても玆に見る所あつて、千九百三年我大阪に開設したる内国勧業博覧会の視察として時の農務大臣フイシヤー氏を派遣せられ、遂に昨年七月を以て日英条約を加奈陀に適用するの機運に遇ひ、初めて日加両国民の素志を達し、爾来貿易の関係大に見るべきの吉兆を呈したるは、実に歓躍に堪へざる所なり
 今夕の貴賓たる駅逓総監労働事務大臣閣下は、加奈陀政府の重要なる大任に膺り、此条約の成立に対し大に貢献せらるゝ所ありしを信ずると共に、今後益日加貿易の増進に就て指導せらるべきを疑はず故に吾々商工業者は鋭意、日加の貿易を月に進み年に伸び、互に無限の幸福を博し益両国の交誼を鞏せら固ならしめむと欲す、願くは閣下、吾々の衷情を諒察せられ、帰国の後之を貴国民に伝致して、両国民の情意に齟齬矛盾の憾なからしめられむことを、吾々は今夕の会合を好機として此満腔の熱誠を吐露し、併せて閣下及貴一行の健康を祈る
      (ロ)英訳 ○略ス
      (ハ)レミユー氏の答辞
  ○英文略ス。
      (ニ)和訳
 男爵閣下並淑女・紳士諸君
 私をして東京市長・市民各位の御熱誠なる歓迎に対し、一言私の深厚なる感謝の意を表するを得せしめられんことを希望致します
 爰に諸君が私に賜はりし光栄を私自身御受け致しますことは、素より思ひも寄らんことでありまして、諸君の御誠意は私の郷国即ち加奈陀に対する御厚情なることを知ります、今般日本帝国へ特使とし
 - 第25巻 p.596 -ページ画像 
て参る時機を得ましたことは、誠に幸運の次第であります、私は此精神を以て諸君の御歓待を拝受し、且衷情より誠実なる感謝の意を表します、貴国に来遊せし旅客は、何れも風光の明媚壮大なることを賞讚して措かんのでありますけれども、尚此等以上に置かざることを得ない一つのもののあるを認めます、之れは外ではありません貴国民の礼節正しく接待の慇懃なることであります、私が横浜上陸以来貴国の上下貴賤より受けましたる無上の歓待と御注意とは、永く名誉として誇り、世に在らん限りは決して忘るゝこと能はざる所であります、又私は官吏として加奈陀人民を代表し、貴国の
 皇帝陛下・内閣諸大臣及東京市民諸君に対し熱誠なる感謝の意を表します
 過般、我加奈陀に於きましても 伏見宮殿下を御歓迎申上ぐるの光栄を得ましたが、殿下が英米を御通過遊ばさるゝや、我国民は日本が、輓近発展の隆々たることと、近年世界列強の中に得たる等級とを確認致しました、日本国と其同盟国にして且私等の母国たる英国との間には、友交上の新関係将又新鏈鎖を生じました、又英国の殖民地中最も緊要の国なる加奈陀は東西両洋間の最捷径路で、且最も便利な通路に当り、仮りに一切の国民的関係の考慮を離れ単純なる通商上の見地よりするとき、日加両国は相互共通の利益と責務のあることを世に知らしめました
 数年前大阪博覧会の開かるるや、日本は大に実業上の能力を発揮し其成功に対して加奈陀は衷情より貢献する所ありましたが、是ぞ御互の国が通商上の交通を実際に始めたる第一着歩でありまして、日英条約の締結は、両国間に商業上の関係を尚一層密接ならしめんとの希望の結果であります、元来通商なるものは、唯公平の精神を以て実行致しますれば両国間に交換せらるる物産の価額を高め、単に金銭上正当の利益を保護するの結果を来すのみならず、更に進んで世界同胞なる一段高尚の意味に於て、相互を益すべき所の友誼を創造する傾向のあるものであります
 人皆知つて居ます如く、何事でも完全を望むは不可能のことでありまして、交情最も密なる親友間に於てすら、時ありて異説の起ることは免れません、それで、よしや些少の衝突を生じましても、智徳に基ける常識は結局是が解決を不能ならしむるものでないことを示します、又最初には甚だ困難なる如く見ゆる事件であつても、経世の材は唯々御互に相信頼し、道理と相互の自信力とを以て之れに臨み、必ず円満なる解決を期し得べきことは、私等が実験に由つて学ぶ所であります、先つ近世大外交家の一人とも云はるる或方が
  「国際上ノ問題ニシテ解決ヲ見ザルモノナシ、事態ノ解決ヲ告ゲスシテ終ルモノナシ」
 と申されましたが、即ち媾和的政略は必ず便宜なる調和法を発見し之れに由て漸次一切の誤解を一掃し、総ての善意ある人を団結せしめます、秩序ある自由及国法に対する永久不変の尊敬、並に他の権利を尊重致しますことは、洵に理想的正義の真髄であります
 日加両国間に最も親密なる関係の存すべきは、明瞭で申すまでもな
 - 第25巻 p.597 -ページ画像 
い事でありまして、当今日本には英国の夫れと酷似せる憲法を
 陛下の御統治の下に於て允許せられて居りますが、是れ人間智識無窮の模範として仰ぐべき所でありまして、我加奈陀政府の組織も亦之れに基礎を置ひて居ります
 日本は感服すべき軽快なる速度を以つて、近世我等の標準とする所のものに準拠せるのみならず、其の隆起するや又古代文明の宝庫を天下に啓示し、其中、技芸に就ては遥に世に超越することを認めらるるに至りました、其陸海軍は一度ならず数度の試験を経て、其成績たるや世人の熟知する所でありまして、其の法律は世界の最も著名なるジヤステイニアン帝の法典より撰択編成せられ、法の執行も亦泰西諸国民間に行はるるものと均しく仰望すべき性格を有し、貴国の大学及諸学校の教育制度は広く各国の信用を博し、洵に教育は日本政府の暗号なるが如く感ぜられます、彼の祝祭日毎に捧読せらるる
 天皇陛下の教育勅語に至つては、誰か賞讚せないものがありましようか
  「爾臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭倹己ヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、学ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ、常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、云々」
 天皇陛下より御国の青年に賜はりて其脳裡に印せられたる此尊厳なる勅語は、彼等の心念に及す影響に於て非常なるものが無からざるを得ない訳であります、之れを知るものは日本の勃興せし所以を知り、尚進んで当二十世紀に於て天職として大に為さんとするものあるを予知するに難くありません
 我加奈陀も亦、当世紀に於て自己の勇飛を期待するものであります英国 皇帝の下に在て、吾等は一国家を北米大陸に建設しました、之れ英国自己が海洋を隔てて発展したるものでありますれば、其友は我友、其同盟は我同盟、其仇敵は我仇敵であります、我等加奈陀国民の目前に逼れる事業は、万事を措ひて唯々平和の諸技芸を啓発し我広濶なる領土に於ける無限の富源を開発し、以て世界の各方面に国内過剰の物産の市場を発見するのにあります、今や交通の便は昔日の如くではありません、距離の問題と云ふても、一国と他国との間を通ふ新式の快走汽船に由て実際的に打破せられて居ります
 加奈陀国民は、既に大陸横断の三大鉄道を布設して陸運の問題を解決しました、之れは東洋貿易の利益を分享しようとの目的に外ならんのであります、加奈陀は東洋の市場に対して泰西諸国が有せない便益を有するのみならず、日加両国間地理上の好位置は他に比類なきことを念頭に留められんことを希望致します、続いて叙べんと致します距離の表は、能く熟知せられたる所でありますけれども、斯く実業家諸君の多く御列席あるを見れば、全く興味のないことでもありますまい、即ち
  ヴアンクーヴアー・横浜間   四、二八〇哩
  シヤードル・横浜間      四、三八〇哩
 - 第25巻 p.598 -ページ画像 
  サンフランシスコ・横浜間   五、五二〇哩
 以上述べました太平洋横断航路哩数の差は、全く加奈陀線の大利益を示すに余あると思はれます、又米国より英国リヴアープールに達する距離も、加奈陀線が他線より近きこと数百哩なるを記臆していただかねばなりません、通商上運輸の快速の如き勢力ある要素は、最も注意すべき点であります、故に日本の機敏なる商業家は必ず最短最速の径路に依らるるならんと思ひます
 日本が加奈陀の消費者に対し供給し得る特種の物産に就いては、私の喋々するを要せない所であります、然しながら私は農工及鉱産物に就いて、加奈陀の富源が如何に大なるものであるかを知つて居ります、日本の消費者四千五百万人(但し朝鮮を除きまして)に対し加奈陀は幾何の多量でも燕麦及燕麦粉・木材・パルプ・銀・銅・アスベスト・アルミニユム・柔皮・牛革・牛酪・乾酪・魚介類・牛馬家畜・鑵詰の肉・鑵詰の乳・鑵詰の果実・羊毛・燻肉・塩肉其他各種の農具機械類の供給を為すことが出来ます、さりながら私が只今述べました各種の物品にも越へて諸君の御注意を請ひたいのは、我領土より産出します穀類の優等なることは国家の名誉とする所であります、尚今爰に述べようと思ひます一事は、御列席の諸君に多大の興味があるかも知れませんが、我マニトベ小麦が有して居ります非常の価値は、実に西部加奈陀成熟の期節に於きまして、他の小麦産地よりも毎日平均二時間丈多く日光を受くると云ふ事実に帰して居ることであります、目下広く認めらるる加奈陀穀類の優秀なること、及加奈陀の小麦が世界最良の標準である所以は、以上天候の影響であります、仮りに日本に由り、此事実を評価せられますならば近き未来に於て加奈陀の穀類貿易が東洋市場の主位を占めなくても私は決して驚かさるることはありません、尚日本に於きまして此小麦輸入は十年間に八倍の増進を来して居るのを見ますれば、堅固なる足掛を得たものと云ふて差閊ありますまい、日本国にも年に月に麺麭を常食と致します傾向が見えますが、其結果や加奈陀の硬質小麦粉の品質が優等で経済上利益である事実は、数年前に証明せられて居りますから、若干年の後には日本に於けるのみならず、東洋一般に対して非常なる巨額に昇るでありませう
 教年前《(数年前)》、加奈陀農務大臣フヒツシヤー閣下の御尽力で、我硬質小麦粉の見本を日本主要の製造場に試験の為めとして配付致しましたが従来太平洋岸冬期小麦粉として知られて居りますオレゴンの品と比較致しましたのに、其結果は如何でありましたか、何れの報告に由つても加奈陀の小麦は品質及粘力に於て優等であることを証明せられました、劣等な製品が東洋市場に於て専ら使用せられつつありましたのは素より驚くに足りません、近来迄加奈陀の物産は毫も亜細亜諸国の知る所となりません、商業家たるものは又最も抵抗少き線路を採りますのは、是れ自然の勢であると推惻致します
 さりながら、東洋人が相異りたる部類に属する数多の小麦粉の関係的価値・滋養其他の点について智識を得られましたならば、我加奈陀産の小麦を先つ御選択なさるは受合であります、尚東京市内は云
 - 第25巻 p.599 -ページ画像 
ふに及ばず其他日本の大都市に於きまして、加奈陀麺麭製造場の永久的設備と維持とをなしましたならば、相当の年月間に此の絶へず増加する市場に於て、加奈陀の穀類に対する有利なる需要を得ることは疑がありません
 諸君よ、私が加奈陀小麦粉の広告に就て斯く喋々致しましたのは一重に御宥恕を願ひます、さりながら両国間の通商は非常に好望でありますのを見て、商業家諸君と談ずるに此事を以て致しますのは、我の責務であるを感ずるが故であります、千八百九十五年の頃迄は日本に対する加奈陀の輸出高は殆ど云ふに足りません、其次年には輸出の総額八千弗でありまして、爾来漸々一般の商品が増加致しましたが、千九百〇三年大阪博覧会の際、農務大臣フヒツシヤー閣下の監督の下に於きまして、実際上の証明の結果として加奈陀小麦粉十四万弗の輸送を促し、遂に其年内には輸出総額三十四万二千弗に達しました、千九百〇四年以来加奈陀の輸出は殆ど五十万弗以上に達しましたが、新条約の結果として、今後少くとも五ケ年の内には二倍乃至三倍の数量に上ることを信じて疑はないのであります、終りに〓み、日本及加奈陀実業家が相互に好機会を逸せざらんことを希望して止まざる次第であります、即ち吾人は太平洋を隔つる隣国でありまして、私は両国民の商業上に於ける増進的商業交換が、相互に感情的ならざる批評と評価とを為すに至らしめ、而かも之れは二島帝国間に存在する幸福なる同盟の力を鞏固ならしむるに至ることと思考致します、此の日英同盟は全英国領地内の一般国民が熱心に歓呼して措かざる所でありまして、又此同盟は順風の便に乗じて渡来致しました私の如き旅行者が、今は昔西暦一千六百年に訪問致せし最初の英国人老ウイリアム・アダムス氏が実に「性質善良にして礼儀正しく、一朝事あれば勇往邁進的なる国民」として描写的に説明致されし所のものを、幸にも目の当り実見致しまする所の此貴国の新紀元を創成する手初めであると信じます
      (ホ)プレストン氏の演説
  ○英文略ス。
      (へ)和訳
 男爵貴顕閣下、淑女・紳士諸君
 只今加奈陀政府を代表せらるる労働大臣閣下より述べられたる諸種の御所見、並に今晩諸君の御尽力に依て加奈陀領に為されたる大なる光栄に関しての御所感とに附け加へ、且被歓迎者が受けられたる諸君の御厚情と相和して、一言私よりも感謝の意を申し述べたいと存じます
 今日御招待を蒙りましたるに付きまして申述べたいことは山々でありますなれども、加奈陀労働大臣にて郵便総監なる此善良なる友と雄弁を競ふことは希望致しませぬ、さりながら私は幸ひ此機会に際しまして、先刻労働大臣閣下より御演説になりました此東洋帝国に関し尚数言附加して見たいと思ひます
 先きにレミユー閣下より私に、日本と加奈陀間の通商関係を拡張するの可能なる事実を充分に取調ぶべきに就き、加奈陀政府よりの特
 - 第25巻 p.600 -ページ画像 
別使命として責任を以て其任に当る様にとの仰せかありました、若し之れが不肖倫敦に於きまして責任ある職務上加奈陀政府を代表すべき時に於て、且欧洲諸強国の経済状態に関して数年間公務上調査研究を為すべき地位に在りました時てでもありますれば、好都合でありました、さりながら私は多少世界の事情を承知して居ると思ひしにも拘らず、東洋及其国民の状況に就きましては種々の出版物の上で読んだ位の事で、実際上のことは不案内故、速かに私の読書学問は何の準備とも為すに足りませんで、見るもの聞くもの、尽く意外ならざるはないので驚嘆する外はないと云ふ有様でありました
 日本帝国政府の状態・商業上の経営・工業上の発展・教育上の設備其他日常生活に至る迄実に私の予想外で偶然の様に感ぜられます、実に貴国は巧みに欧洲思想の最優良の点のみを選択して自国の制度に能く消化適応せしめて、吾人並貴国自身に無くもがなと思慮せらるる点は毫も手を触れずにあると云ふ事実は、之れを発見するに長時間を要しませんでした
 今日の日本帝国は、西洋歴史が数百年を要しました文化の度を悉く消化し、之れに加ふるに尚東方文明に於て独特なる高き模範を以てして、世界各国の従来実験せし文明の進歩を阻害せられたる難関危険を巧みに避けて居ります、数月前初めて貴国に参りし時は、国民内部の生活状態の閃光なりとも瞥見するの機会を得ることもやと、静かに観察を怠りませんでしたが、私は実験に由て世人の熟知する「我来り、我見、我勝てり」と云ふ語の応用し難きを認め却て「我来り、我見、爾勝てり」と読替ふるの正当なることを悟りました
 私は日本に到着致しまして後に、日本の経済状態及経済力とに就て専ら注意を以て研究を加へました、故に此席に於きまして、日本帝国の地位及此趣味あり且進歩的なる貴帝国の将来に就き、聊か断案を公表致して見たいと思ひます
 扨日本帝国は、現今世界列強国の具備して居る経済的能力の全部を掌握して居ると私は信じて居ります、又国民として卓絶して居りまする地位は他に比類が無いと云ふことは、最早私が喋々致す必要は無いと存じます
 抑々日本帝国の全面積は、広大なる我英国に比較して見ますれば全領土中に散在して居りまする一・二洲の面積よりも尚狭く、耕地のみを云へば最小なる一郡の面積にも如かざる程でありますけれども貴帝国は近世無類の剛毅と勇敢なる事の公正なる結果に由り、現世紀に於きまして強国の一として世界に公認せられて居ります、又短期間に於て、世界列強国が数百年間の憂慮と奮闘とに由つて漸く獲得しました地位と等級とを同じくするに至つて居ります、又国家の承認及猛烈なる闘争と愛国的犠牲との下に得られたる地位は、平和の径路を経て商業界に於ても必然達せらるべしと私は信じます、今日の日本帝国の様な偉大なる国民として名声の頂点に到達するの好機会は、何れの国も未だ嘗て例の無い所であります、此の如きは総ての成功の要素を直ちに応用致したからであらうと思はれます
 国の偉大なりや否やを公論が判断しますとき、国民は先づ才能の啓
 - 第25巻 p.601 -ページ画像 
発と国家的利源の発達とに依つて、富国強兵の実を挙けねばなりませぬ、貴国は戦争の結果に由り強勢となつたのでありますが、平和場裡に於きましても富裕に成ると信じます、何故なれば国民的の膨脹と云ふものは免るべからざるものであります
 日本の農業状態は最早其極度迄発達して居りまして、此以上の発展を予期することは不可能であると思ひます、又鉱業の発達は今尚進歩の最中であると思ひます、然しながら将来貴国の大発展に有力なるものは工業であります、年々五十万人の人口増加は、工業の発展の余地を存せるのみならず、又絶対的必要ならしむるのであります此の如き適当なる方法を以て国家を発達致さしめます時は、其発展に伴ひまして国家の期待せざる個人又国民の富は、制限なく進歩することに成ると存じます
 彼の穀物条例廃止後の英国・普仏戦争後の独逸、又は南北戦争後の北米合衆国の歴史上の状態は、今亦日本帝国に正に表現せんとしつつあるので有ります、然しながら此等の歴史は、巨額の資本を放下するにあらざれば相当の期間に遂げられ得ざることゝ、各個人としても将又国民全般としても資本には限ありと云ふことゝは云はるゝかも知れません、而して貴国が投機的性質にあらずして、正当なる企業に投資せんことを希望して居る外国資本家に対して充分信頼するに足るべき誘因は完全に具はり、西洋の先進諸国が為すよりも却て容易に為し得べきことを信じます
 抑々貴国は如何に工業上に労力の要求がありましても、無限に之れを供給することが出来るのであります、殊に日本の労働者は勉強力あり、又工業上に適当で着実で、且智識に富んで居る事実は、軽々に看過すべからざる事であります
 労力に此特色があります故に、之れに加へて資本が一朝外国より融通せられたならば、労力・資本二つ乍ら兼備して、日本工業の発達に必要なる要素は悉く掌中に具備する訳であります、而して工業発達に対して労力の供給が単に充分と云ふばかりでなく、他に義務的教育制度が与つて大に国民的教養を振起し、尚其上に軍隊の教練は国民の体力を維持して居ります
 若し此等の事実が、確実なる事業に投資せんと希望して居る泰西諸国の大資本家に理解せらるゝならば、此日本帝国をして将来繁栄なる工業巣窟地たらしむるに必要なる資本は、直に利用せられ得ることゝ信じます
 私は日本の重要工業地を自ら攻究しまして、其工業生活に就て実見しました所を、独逸・仏蘭西・米国及我英吉利に於ける同じ特色と比較研究して、日本は世界で最も成功せる工業国の一たる各理由を発見しました、而して此成功の結果として、ここ三十年間の内に日本は個人として、又国民としても現在の最も富裕国の一たるに到るであろうと存じます、故に私の攻究に基きますと、日本は他の諸国よりも有利的の投資を為すに安全であると信じて居ります
 私は楽天者と云はるゝかも知れませんが、隔意なく左様であることを白状致します、併し私の信じて居ります楽天観には、相当の根拠
 - 第25巻 p.602 -ページ画像 
があるのであります、私は加奈陀に於きまして、自分の少年時代に見ました寒村が、今日では北米大陸の中で最も重要都市の一と成つて居るのを見ました、又自国の富と勢力が其発達の状態に於きまして極めて小説的に増進して居る事を、或僻鄙の地方の発達に就て実際に目撃致しましたが、自国の彼様な有様は迚も貴国の夫れには及びません、之れが私の日本の将来に付て楽天観を主張するに到つた論拠であります
 泰西諸国は貴帝国の顕著なる発達と実に抵抗すべからざる潮流の如き強き勢力の発現とを、驚愕と沈黙の態度とを以て注意しました、世界は過去・将来共に東洋に於ける日本国力の進歩と増進とを大に歓迎する所でありまして、泰西諸国は平和の時に於ても危急の場合に於ても、日本が東洋関門の維持者たる事を認めて居ります、若しも幸に平和の場合とするならは国民の一般が信ずる如く、貴帝国は自国の進歩発達に貢献せられたる利益を幾千倍に致して、西洋の文明と思想界とに報ゆる事は確かであります
 泰西諸国は日本が富国強兵になることを一重に祈つて居ります、いや悦ばざるべき理由がありません、殊に英国及其領土、就中加奈陀の希望する所であることを私は断言して憚りません、西に富強なる大英国と、東に偉大雄勢なる且同盟国なる大日本国とに依つて、世界の平和は維持せられます、而して之れは他の諸外国の同盟を形成する事に依つて平和が維持せらるゝよりも、一層強固の保証なるを確認致します
 此室内を飾られたる日章の旌旗は、将来日本の成功の自然の前兆でありませんか、即ち新しき光輝を以て世界を飾る科学・美術及工業界に於て、一種の光明が日本より放たるるではありませんか、而して諸君の御精神には、万民同胞主義に対する永久不変の信仰と留意とを燃されつゝあることを存じます
 貴国が国際関係に参与するに到りし事は偶然のことではありません併し乍ら世界の最高文明の採用に就て、他の東洋国民を誘掖するの責任は重大になつて参りました、前に申しました通り、私は貴国の工業状態を熟知致しました、而して又貴帝国商業の将来は有望であると云ふ予想を加奈陀政府に上申して置きました
 終りに〓み、私は私の確信的希望を一言せんと思ひます、それは来るべき十年間に於て日本及加奈陀が驚くべき進歩をなすと同時に、両国間に双方の利益ある通商貿易が発展して愈々隆盛となり、尚交通機関の著しき増加をなすに足る程の商業関係が生ずるに到らむことであります
右終りたる後、主客歓を尽して撤宴したるは十時三十分を過くる頃なりき
    (六)奏楽
晩餐会開会中は、陸軍戸山学校より派遣せられたる軍楽生徒隊適宜に音業《(楽)》を奏して興を添へたり、今其の曲目を挙ぐれば左の如し
      奏楽曲目
 一行進  タンホイゼール       ワグネル作
 - 第25巻 p.603 -ページ画像 
 二歌劇  リゴレット         ヴエルデ作
 三大序  帰国            メンデルソン作
 四舞曲  「コルネビール」ノ鐘ワルス ブランケット作
 五接続曲 英国歌集          ヱッケルト編作
             Programme
 (1) Marsch Tannhauser..........................Wagner.
 (2) Fantaisie sur Rigoletto......................Verdi.
 (3) Ouverture du Retour au Pays............Mendelssohn.
 (4) Les Cloches de Corneville Valse.........Planquette.
 (5) Fantasie uber Britische Lieder.............Echert.
    七献立
当日晩餐会の献立左の如し
                   Menu
              Diner du 3 Decembre 1907.

               Hors d'oeuver Diplomate.
            Consomme tortue a la Fran,caise.
             Amadai farci, sauce a l'aurore.
              Pain de volaille au supreme.
               Filet mignon a l'Antonins.
            Chaud-froid de Cailles a la moderne.
                 Sorbet riolette.
          Gigot de Pre-sae roti,sauce a la menthe.
                 Dindonneau pique.
                Salade a la comtesse.
             Asperges froides,sauce Remoulade.
               Pouding a la Tyrolienne.
          Colbert de Nougat a l'lmperiale Friandises
    (八)接待
来賓の接待は、各会員に於て専ら其労を執られたり、而して東京市の河田・山崎両助役、市参事会員中鉢美明・渡瀬寅次郎・丸山名政諸氏並に尾崎市長・渋沢男爵・渡辺専次郎氏等の令夫人亦特に接待方尽力せられたるは、深く其労を多とし感謝する所なり
    (九)収支精算
一金九百八拾円也        収入
   内訳
  金五百円             東京市出金
  金四百八拾円           会員会費
一金壱千八百九円九拾八銭也   支出
   内訳
  金四百五拾六円五拾銭       会場設備費
  金壱千参拾九円五拾銭       接待費
  金五拾参円四拾五銭        楽隊費
  金九拾円九拾九銭         郵便及印刷費
 - 第25巻 p.604 -ページ画像 
  金百拾九円五拾四銭        雑費
  金五拾円             報告書費
 差引金八百弐拾九円九拾八銭   不足額
 右不足金額は、前歓迎会等の残余金より補足するものとす
以上は十一月二十九日の発起人会に於て予め之が認定を得たり
    (十)附言
本会に付ては其の終了後単に収支の報告を為すに止むる筈なりしも、之が顛末は他日の参照に値すべきものありと信じ、其の遷延を顧みず爰に一冊子と為し会員諸氏に頒つ、幸に一読の労を吝みたまはざらむことを希望す、叨りに一言を裁して巻末に附す


東京日々新聞 第一一一一九号 明治四〇年一二月四日 労働大臣歓迎会(DK250048k-0002)
第25巻 p.604 ページ画像

東京日々新聞  第一一一一九号 明治四〇年一二月四日
    ○労働大臣歓迎会
東京市及び実業家の聯合に係る加奈陀労働事務大臣兼駅逓総監ルミユー氏歓迎会は、予定の如く昨三日午後七時半より華族会館に於て開催せり、当夜の光景は談話室を階上に、食堂を階下に設け、食堂には紅葉と蔦葛を以て、又入口及び室内には日英両国の国旗に万玉を吊し、盆栽を陳列する等、各等の装飾を施せり、来会者は七時前後より弗々参着し、主賓ルミユー氏亦七時二十分頃馬車を駆つて到着し、談話室に於て少時歓話の後、八時頃食堂を開きルミユー氏を正席に、其左右に渋沢男夫人・尾崎市長夫人・又ル氏の向側にはマグドナルド大臣、其左右に林外相・渋沢男等各陪席し、宴酣にして渋沢男は起ちて歓迎の辞を述べ、次にプレストン氏の演説あり、次いでルミユー氏起ちて数十分に亘る演説(別項参照)を試み、夫れより三鞭《シヤムペン》の杯を挙げて互に健康を祝し、九時過ぎ散会せり、当日の出席者は林外相・山県逓相金子大博覧会長・珍田次官・長崎式部長・千家知事・安楽総監・石井通商局長・中村外務書記官・渋沢男・尾崎・中野・添田・高橋・大倉早川・牟田口・雨宮氏等、主客を合し五十八名なりき


竜門雑誌 第二三五号・第五一―五二頁 明治四〇年一二月 ○アール・レミユー氏歓迎会(DK250048k-0003)
第25巻 p.604-605 ページ画像

竜門雑誌  第二三五号・第五一―五二頁 明治四〇年一二月
○アール・レミユー氏歓迎会 過般渡来せる加奈陀労働事務大臣兼駅逓総監アール・レミユー氏に対する歓迎会は、三日午後七時半より華族会館に催ふされたり、来賓はレ氏を始め国務次官ジヨセフ・ポープ氏、加奈陀商業事務官及同夫人・秘書官ベレツト氏・英国大使マクドナルド氏及同夫人・一等書記官ガビンス氏・二等書記官リンスレー氏及同夫人・武官ボーガー中佐・ドーマー中佐及同夫人並に林外相・同夫人・山県逓相・金子子爵・珍田外務次官・同夫人・長崎宮中顧問官同夫人・千家知事・安楽警視総監・同夫人・中村通商局長心得・寺島吉田両秘書官等にして、主人側の重なる人々は青淵先生及同夫人・尾崎市長及同夫人・渡辺専次郎・同夫人・大倉喜八郎・添田寿一・早川千吉郎・雨宮敬次郎・高田慎三・中野武営・牟田口元学の諸氏以下四十余名にして、一同着席の後青淵先生は主人側を代表し起て歓迎の辞を述べ、之に対してレミユー氏の挨拶あり、次に商業事務官ブレストン氏も亦一場の演説を試み、宴終りて主客胸襟を披き歓談に時を移し
 - 第25巻 p.605 -ページ画像 
散会せるは九時過なりき、当日先生の述べられたる歓迎の辞左の如し
    歓迎の辞 ○略ス


東京日々新聞 第一一一三〇号 明治四〇年一二月一五日 ル氏晩餐会(DK250048k-0004)
第25巻 p.605 ページ画像

東京日々新聞  第一一一三〇号 明治四〇年一二月一五日
    ○ル氏晩餐会
目下帝国ホテルに滞在中なる加奈陀駅逓兼労働大臣ルミユー氏は、来朝以来我が官民よりの厚き歓迎に対し謝意を表する為め、明後日十七日午後七時三十分より西園寺首相以下各大臣、尾崎市長・渋沢男・各国代表者其他朝野の紳士約二百名を旅館帝国ホテルに招待し、盛大なる晩餐会を催す由



〔参考〕北米の日本人 末広重雄著 第一〇八―一一三頁 大正四年二月刊(DK250048k-0005)
第25巻 p.605-607 ページ画像

北米の日本人 末広重雄著  第一〇八―一一三頁 大正四年二月刊
 ○第二章 加奈陀の排日
    第二節 ルミユー協約
 明治四十年転航禁止に関する米国大統領の命令が発布せられてから布哇在住日本人の加奈陀に転航する者が非常に増加した結果、ビー・シー州にも排日論が起つた。晩香坡の労働者は米国排日派の煽動を受けて、同年九月石井通商局長が太平洋沿岸視察の途次、晩香坡に著した当日、日本人町を襲うて暴行をした。此の事件は加奈陀政府の尽力に依り、間もなく無事落著したけれども、其の結果加奈陀政府は我が政府に対して条約を以て移民の制限を為さんことを求め、此れが為労働大臣ルミユーが来朝した。我が政府は之に応じなかつたけれども、交渉の結果我が政府自ら移民渡航に制限を加ふることになつて、之に関する保障を与へた。所謂ルミユー協約は是である。
 当時林外務大臣とルミユー労働大臣との間に、左の文書が交換された。
 以書翰致啓上候、陳者本官著京以来、日本移民加奈陀入国ノ件ニ付外務省ニ於テセシ数次ノ会見ニヨリ、日本帝国政府ハ右移民数限定方ニ関スル本官ノ希望ヲ容ルヽコト能ハサル義ト本官ハ推定致候、就テハ本件交渉上、此際加奈陀政府ノ希望カ何故容ラレサルヤニ関シ、本官ニ於テ此上更ニ論弁ヲ試ムルコトハ全ク不必要ノコトニ被存候、然レトモ右友好的会見中日本政府ハ此上英領哥倫比亜ニ於テ如何ナル動乱発生ヲモ有効ニ防止セラルヽヲ欲スル旨ノ、誠実ナル希望ヲ表明セラレタルモノト被相察候、而モ此目的ニ資スル為メ、相当ノ限度内ニ於テ移民ノ渡航ヲ帝国政府ノ注意ヲ以テ制限セントノ御趣旨ナルヤニ了解セラレ候ニ付、本官ノ帰国復命ニ先チ、閣下ニ於テ本件ニ対スル帝国政府ノ意志ニ関スル公然ノ保証ヲ与ヘラレンコトヲ致希望候、貴我両国ニ存在セル好誼ノ関係カ毀損セラレサランコトハ、加奈陀政府ノ特ニ切望スル所ニシテ、帝国政府ニ於テモ亦本官ノ既ニ陳述シタル英領哥倫比亜州ニ於ケル難局ノ解決方ニ付切ニ配慮セラルヽ所可有之ハ、本官ノ深ク信スル所ニ有之候、此段申進旁爰ニ閣下ニ向ヒテ敬意ヲ表シ候 謹言
  千九百七年十二月二十二日
             東京英国大使館ニ於テ
 - 第25巻 p.606 -ページ画像 
                    ロドルフ・ルミユー
    外務大臣 林伯爵 閣下
 以書柬致啓上候、陳者現行日加条約ハ、日本国民ニ対シ加奈陀領土ノ何レノ部分ヲ問ハス入国シ旅行シ、並ニ居住スヘキ十分ノ自由ヲ絶対ニ確保スルモノニ有之候、左リナカラ同条約ノ規定ニ依リテ以テ確保セラレタル権利及特権ハ、時々加奈陀ニ於テ発生シ得ヘキ特種ノ事態ト全ク相容レサルカ如キ場合ニ於テマテモ強テ之ガ完全ナル享受ヲ主張スルハ、帝国政府ノ意志ニ無之候、如斯精神ニ基キ、且英領哥倫比亜ニ於ケル近時ノ出来事ニ伴フ事情ヲ酌量シ、帝国政府ハ加奈陀行移民ヲ制限スル為メ有効ナル手段ヲ執ルコトニ決定致候、帝国政府ハ右ノ目的ヲ遂行スルニ当リ、条約ノ精神ト国家ノ威厳トニ反セサル限リ加奈陀政府ノ希望ニ応スル為メ、加奈陀ニ存在スル地方的状態ニ対シ、前記ノ方針ニ従ヒ慎重ナル考量ヲ与フル積リニ有之候、貴柬中御開陳ノ通、貴官カ加奈陀政府ニ代リ提供セラレタル事項ノ全部ニ対シテハ、本大臣ニ於テ御同意ヲ表シ能ハサリシ所ニ有之候得共、本信開陳スル所ニ徴スレハ帝国政府ハ百方力ヲ尽シ、両国間ニ存スル懇親ニシテ相互ニ有利ナル関係ヲ増進シ、以テ益々之ヲ鞏固ナラシメンコトヲ切望スルモノナルコト御承知相成義ト信シ申候、且今回ハ十分互ニ所見ヲ交換シタルニ由リ、右望マシキ結果ヲ得ルニ於テ大ニ益アルヘシト存候、又貴政府ノ態度及希望ニ関シ御腹蔵ナク鄭重ナル説明ヲ加へラレタルハ、本大臣ノ殊ニ感荷ニ堪ヘサル所ニ有之候
 右同日付ノ貴柬ニ対シ御回答旁、玆ニ閣下ニ向テ敬意ヲ表シ候
                          敬具
  千九百七年十二月二十三日
                  外務大臣 林董
    ロドルフ・ルミユー閣下
 ルミユー協約の効力を持続する為、加奈陀が現行日英通商航海条約に加入した時、我が政府は加奈陀オツタワ在勤中村総領事をして、加奈陀政府に対して左の宣言を為さしめた。
    宣言
 オツタワ在勤日本国総領事タル下名ハ、本国政府ノ意見ヲ承ケ左ノ通リ宣言スルノ光栄ヲ有ス
 日本帝国政府ハ、労働者ノ加奈陀移住ニ関シ、千九百八年以来実行シ来リタル制限及取締ヲ、従来ト等シク有効ニ維持スルノ覚悟ナリ
  千九百十三年四月十一日
                      中村巍
 此の協約は紳士的協約に頗る類するところがある。旅人・商人・学生の渡航は無論自由であるが、労働者の渡航を我が政府が厳重に取締り、(一)呼寄せの家族、紳士的協約と少しく違つて妻子の呼寄せを意味し、親の呼寄せは原則として許さぬ。(二)日本人の家内に働く奴婢。(三)定著農夫即ち農業地所有の日本人が使用する農業労働者。(四)再渡航者此等四種の者だけが渡航を許される。此等の者に就て、更に新渡航者を一ケ年四百五十人に制限してあるが、此四百五十人の中には、呼寄
 - 第25巻 p.607 -ページ画像 
せの妻及十八歳以下の子供は加へぬから、結局紳士的協約に比較して制限が寛である。此の協約成立後、我が政府が厳重に之を履行する結果、明治四十一年以後日本人の加奈陀入国数が、非常に減少した、米国同様減少して、将来の発展は殆んど絶望の姿である。
   ○小島憲著「植民政策綱要」第四版。第三〇三―三〇四頁。(昭和九年一一月二五日)ニモ、ルミユー協約ノ由来ヲ叙セリ。
   ○カナダニ於ケル排日ノ事情ハ左ノ書ニ詳ナリ。「人種問題研究」第二一七―二三三頁。(大正一四年二月二〇日)
   ○ルミユー協約ノ成立ニ関スルThe London Timesノ評論ハ下ノ書ニ訳載セラレタリ。「欧米人の日本観」下篇、第五四四―五四七頁。(明治四二年四月二五日)
   ○カナダニ於ケル排日ニ関スル評論ハ下ノ書ニ訳載セラル。「欧米人の日本観」下篇、第五三八―五四四頁。