デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
14款 其他ノ外国人接待
■綱文

第25巻 p.630-631(DK250053k) ページ画像

明治12年6月13日(1879年)

是日栄一、福地源一郎・益田孝・岩崎弥太郎・三野村利助ト共ニ香港領事ヘンネシーヲ深川大工町三井家ノ別業ニ請ジテ午餐会ヲ開ク。参議内務卿伊藤博文・参議大蔵卿大隈重信・参議工部卿井上馨等出席ス。


■資料

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一二年(DK250053k-0001)
第25巻 p.630 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一二年    (芝崎猪根吉氏所蔵)
六月十三日 天気
例刻出頭、本夕ハ三井別荘ニテ香港領事ヘンネツシー夫人共御招待ニ付、参議・諸省長官参集ニ付増田 ○啓蔵同所ヘ世話役ニ罷越 ○中略 主君・奥様十一時半ニ御帰館相成候
六月十四日 晴
例刻出頭、増田氏ハ三井別荘片付ニ参リ、頭取ハ午後五時御外出、六時退社


東京日日新聞 第二二五六号 明治一二年六月一四日 香港知事ヘンネツシー来朝(DK250053k-0002)
第25巻 p.630-631 ページ画像

東京日日新聞  第二二五六号 明治一二年六月一四日
    香港知事ヘンネツシー来朝
昨日の午後二時より香港知事ヘンネツシー氏は、東京商法会議所議員の需に応じて木挽町なる同会所に来られ、貿易の趣意を演説せられ、益田孝君是を訳述せらる、其大旨は、日本と支那との貿易の次第に昌盛に赴くべき理由より、終に東洋の貿易の益々昌盛して、併せて大英国の繁昌を致さんことを冀望するとの事なり、右終りて議員福地君答詞を述べらる、其の大略は、まづ氏の来臨ありて最も緊要なる忠告を忝したる段を謝し、併せて将来全地球の貿易を昌盛ならしむるは、現今の利己主義を捨て、他を利し且つ己を利するの主旨に基きて、交通するに外ならざるを信ずるとの意なりき(この演説は何れも詳しき書取を得て次号に掲ぐべし)同夜六時より渋沢栄一・福地源一郎・益田
 - 第25巻 p.631 -ページ画像 
孝・岩崎弥太郎・三野村利助の五君が主人となられ、深川大工町の三井の別業に於てヘンネツシー氏を饗応せらる。相客の貴紳には伊藤・大隈・井上の三参議、松方大蔵大輔・楠本知事・安藤領事・英国公使館一等書記官ケンネージー氏(この諸君は何れも夫人を伴はれ、中に井上君は令娘、大隈君は令息を伴はれたりと)ピツトマン氏・アルビン氏及同氏妹・渋沢喜作・小室信夫・大倉喜八郎・米倉一平・三井八郎右衛門の諸君にて、亭主の人々も悉く其令室を伴はる。此日の料理は浜町常盤屋の調進にて、二ノ膳付の日本料理なれば座食は勿論なり酒間盲人の三曲を簾の中に奏し、外に長唄下方三味線ひく者ども十六人、給仕は妙選の芸妓を用ゐられたりとぞ。何れ詳しき次第は明後日の紙上に於て報道せん。
   ○本資料第十七巻所収「東京商法会議所」明治十二年六月十三日ノ条参照。



〔参考〕青淵先生伝初稿 渋沢同族会編 第八章・第二五―二六頁 刊(謄写版)(DK250053k-0003)
第25巻 p.631 ページ画像

青淵先生伝初稿 渋沢同族会編  第八章・第二五―二六頁 刊(謄写版)
                    (渋沢子爵家所蔵)
 ○第三編 第一期 第八章 総説
    国民外交に関する先生の努力
我国に国民外交の端緒を開きたるも亦先生による。明治十二年一月、先生等相謀り、東京商法会議所・東京府会主催の下に、官民合同の大夜会を三井銀行の楼上に開きたるは、これ社交史上一新紀元を開けるものにして、天長節の夜会は此年より行はれ、爾来長く恒例となれるは、蓋し先生の此挙に促されしなり。同年香港太守ヘンネツシーの来朝するや、之を蜂須賀侯爵邸に招きて饗応し ○下略