デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
14款 其他ノ外国人接待
■綱文

第25巻 p.648-650(DK250075k) ページ画像

明治32年5月19日(1899年)

是ヨリ先、ロンドン日本協会副会頭アーサー・デオシー来朝、是月十三日新宿御苑ニ歓迎園遊会催サレ、栄一参列ス。更ニ是日、洲崎養魚場ニ招ジテ釣魚ヲ試ミ、後、深川本邸ニ於テ晩餐会ヲ開ク。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK250075k-0001)
第25巻 p.648-649 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十三日 曇
○上略 午後 ○中略 外務省ニ抵リ林通商局長 ○権助ニ面会シテ ○中略 テオシー接待ノ事ヲ談話ス ○下略
   ○中略。
五月十三日 晴
○上略 午餐後新宿植物御園ニ於テ開ク所ノ、英国人アーサーデオシー氏歓迎ノ為園遊会ニ参列ス ○下略
   ○中略。
五月十九日 晴
 - 第25巻 p.649 -ページ画像 
午前十一時洲先養魚場ニ抵ル、十二時銀行ニ出勤シテ事務ヲ視ル、午後二時英国人デオシー夫妻来ル、同族一同ト共ニ洲先ニ同伴シテ垂釣ヲ為シ、更ニ養魚会社ヲ一覧シ、午後五時深川宅ニ抵リテ招宴シ、各歓ヲ尽シテ夜十時散会ス、此夜謡曲・狂言・琴・円遊ノ落語等ノ余興アリ、夜十二時兜町ニ帰宿ス


中外商業新報 第五一七九号 明治三二年五月一三日 ○倫敦日本協会員の園遊会(DK250075k-0002)
第25巻 p.649 ページ画像

中外商業新報  第五一七九号 明治三二年五月一三日
    ○倫敦日本協会員の園遊会
倫敦日本協会其他曾て英国に遊べる人々申合せ、今十三日午後二時より新宿御料地に於て園遊会を催し、英国公使並に今回来朝のアーサ、ヂオシー氏を招待する筈にて、其発起人は蜂須賀侯・鍋島侯・三宮男園田孝吉・菊地大麓等の諸氏なりといふ


竜門雑誌 第一三二号・第四〇頁 明治三二年五月 ○同先生 ○栄一の「デオシイ」氏招待(DK250075k-0003)
第25巻 p.649-650 ページ画像

竜門雑誌  第一三二号・第四〇頁 明治三二年五月
○同先生 ○栄一の「デオシイ」氏招待 同先生は去る十九日を以て目下来遊中の倫敦日本協会副会頭「アーサー・デオシー」氏を其自邸に招き、懇到なる待遇を以て同氏夫婦を饗応せられたり、当日「デオシー」氏夫妻は午后二時先づ兜町の邸に於て、青淵先生及び渋沢社長を始め当日の陪賓なる浅野総一郎・岡村輝彦・穂積八束・西園寺亀次郎・穂積陳重・阪谷芳郎の諸氏に迎へられ暫く対話の後、一行は洲崎西平井町なる先生の別邸(養魚池)に誘はれ、小憩の後池中小島の緑蔭に垂綸の遊を試みられたり、当日は満空一片の浮雲なく池中の遊鱗小大群をなして磯頭に喁々たり、其状恰も遠来の珍賓を歓迎するものゝ如く従て糸を投すれは従て之に上り、鮮鱗溌剌須臾にして其器に満つ、而して「デオシー」氏夫妻の獲るところ最も多しと称す、氏は顧眄して其熟練を誇り喜色面に満ちしといふ、夫より一同は車馬を駆りて福住町の本邸に到り、玆に純粋の日本料理を以て晩餐を供せられ、其間円遊の落語(素人の車屋)及ひ梅若以下の仕舞並に狂言の催しあり、就中円遊の落語はデ氏最も喝采して之を嘆賞せり、時移りて歓尽きず、深更に及びて分袂辞し去れりといふ、デ氏の我国情に通ずるは世人の許す処なりといへども、当日の天気を称して「日本晴れ」なりと祝し垂鉤の時、大魚先つ青淵先生の糸に上りしを見て「魚も主を知て居ます」と言ひ、又深川邸に於ける五月人形を観ては個々に之が説明を試み、或は壁間に掲けられたる青淵先生の書幅を評して「弘法大師の様にうまう御座り升」と賞し、殊に其帰るに臨み、馬車を以て送られんとするを謝して「円遊の素人の車で沢山です」とシヤレ、分るゝに際し「今日は誠に有りがたう御座り升、又御目にかゝり升」又馬車に乗りて「皆様左様なら」と謝し、越へて翌日自ら兜町の邸を訪ふて、前日の款待を陳謝し、且「私の奥様からも渋沢サンの奥様へ宜しくオツシヤリマシタ」といはれしが如き、我邦語を用ふるの円転自在なることに至りては、聞くものをして覚えず舌を捲かしたりといふ
   ○アーサー・デオシーハ、ロンドン日本協会名誉書記ナリ。明治二十四年(一八九一年)九月四日万国東方会議第九回大会席上ニテ「日本魂論」ナル演説ヲナス。其訳文ハ下記ノ書ニ収録セラレタリ。大日本文明協会編「欧米
 - 第25巻 p.650 -ページ画像 
人の日本観」上編、第一〇三二―一〇四四頁、明治四一年一〇月刊。