デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
14款 其他ノ外国人接待
■綱文

第25巻 p.667-669(DK250086k) ページ画像

明治38年10月21日(1905年)

是日、東京在住実業家主催イギリス東洋艦隊司令長官海軍中将ノーエル以下乗組士官歓迎会歌舞伎座ニ開カル。栄一其委員総代トナリシモ、病ニヨリ出席セズ。


■資料

(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK250086k-0001)
第25巻 p.667-669 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
十月九日 晴
○上略 男爵微恙出勤無シ、英国艦隊実業家側ニテノ歓迎会ナドノ相談ノ件ニ付、男爵ノ電命ニテ郵船会社ニ至リ、田中常徳氏ニ面会ス
十月十日 晴
○上略 男爵出勤無シ ○下略
十月十一日 半晴
王子ニテ男爵風邪引籠ニ付、電命ニ依リ朝同邸ニ至リ、昼兜町ヘ帰リ午後養魚会社重役会、郵船会社ヘ田中常徳氏ヲ訪問シテ、明日集会ニ男爵不参ノ申訳 ○中略 明日ハ愈英国艦隊員入京 ○下略
 - 第25巻 p.668 -ページ画像 
十月十二日 快晴ノ好天気
今明両日ハ英国艦隊員ニ対スル東京市民ノ歓迎会日ナルガ、其第一日タル今日ハ無類ノ快晴、何ヨリ目出度コト也 ○下略
十月十三日 快晴
○上略
青淵翁去八日以来風邪引籠リ、昨日ヨリハ発熱、昨夕三十九度アリシトノ事ニ付、今午后王子ニ拝訪、高木博士モ来診アリ、所謂インフルエンザニシテ、余症ヲ認メズトノ事、夕六時半帰宅ス
   ○中略。
十月十八日 雨
○上略 午后ハ来廿一日歌舞伎坐《(座)》ニ於ケル実業家ノ英国艦隊員歓迎ノ件ニ付、郵船会社ニ近藤社長及田中常徳氏訪問ス ○下略
   ○中略。
十月廿日 少雨
例刻出勤、午后四時ヨリ武田屋(歌舞伎坐茶屋)ニ至ル、明夜ノーエル大将大歓迎演劇《(中カ)》ハ、各大会社・銀行等ノ代表者三十二人ノ発起ニ係リ、渋沢男病中ニ付他ノ委員総代二人、即近藤廉平・園田孝吉二氏専ラ総理シ、実務ハ郵船会社ノ田中常徳氏主任トナリ、之ガ協議ニ応スルモノハ成瀬正恭・串田万蔵・戸田宇八・藤瀬政次郎諸氏ナリ、過日来夫等諸氏ノ尽力ニテ大概ノ準備出来ニ付、今夕ヨリ愈ノ打合ノ為玆ニ会合セシナリ、即近藤・園田両氏始メ前記諸氏、其他渡辺専次郎・飯田義一・木村清四郎・小脇源次郎以下十数名会合ス、歌舞伎坐装飾ハ壁ハ一切杉青葉、柱・仕切板等凡ヘテ白布ヲ以テ蔽ヒ床・廊下ハ、一切ガマ蓆敷ツメ、無数ノ電灯ヲ点スル等、万事大切掛《(衍カ)》ノ装飾(費用五千円)今夜已ニ出来シ、園田氏ハ舞台ニテ祝辞英文朗読ノ試験ヲナシ、又新橋芸妓踊リノ下稽古等ヲモナシ、夜半一時漸クスミ帰宅ス
十月廿一日 曇
○上略
今夕ハ愈英国東洋艦隊招待ニ付、準備旁三時過ヨリ歌舞伎坐ニ至ル、場内ニハ昨記ノ如ク空前ノ装飾ヲ施シ、電光輝々、加之階上・階下スベテ皮ノ椅子ヲナラベ、而カモ午后ヨリ入場シ来ル処ノ正賓ノーエル中将始、英国海軍士官以上・京浜在留ノ英国紳士・同夫人・令嬢・我元老・大臣・次官、外務・宮内ノ高等官、聯合艦隊ノ将校・陸海軍将校、何レモ夫人・令嬢同伴、主人側卅二人、之ガ輔助数十名《(補)》、何レモ礼装(平民ハ燕尾服)ニシテ、出方ノ如キモノハ一名モ入場セシメズ実ニ満場キラキラトシテ得モイワレヌ景色也、予ハ小脇源次郎氏等ト共ニ玄関ニアリテ、近藤・園田両氏ノ傍ニ在リテ来客ニプログラムヲ呈スルノ役割ニ当リ尽力ス、ヤガテ八時半トナレバ来客男女七百余名場内ニ充満ス、園田氏惣代トシテ歓迎ノ辞ヲ読ミ、ノーエル中将ノ答辞アリ、終テ演劇開始、連獅子・芸妓手踊・日英同盟踊(大妓三十人ソロイノ着物・襦袢、三越ニテ急コシラヘ)ニテ両花道ヨリ出デシトキハ屡シ喝采ヤマザリキ、尚小妓三十名ソロイノ衣物ニテカツポレ踊モアリ、次ハ二人道成寺、夫ニテ卅分間立食ノ饗応、之ハ三階及下階ノ庭ニ立食場ヲ設ケアリタレハ、客人分レ分レニ随意ニ飲食シ、互ニ
 - 第25巻 p.669 -ページ画像 
万歳ノ三唱アリ、海軍楽隊三階ニアリテ興ヲ助ク、芸妓、立食場及バ ニアリテ酌ヲナス、英国軍人ウツヽヲヌカシ大恐悦ナリ、立食后又席定マリ、時代的史劇八島ノ戦、之ハ日本古代ノ海戦及鎧兜ノ出デ立チ、渡リ合ヒヲ示ス趣向ニテ、大受ナリシ、カクテ何事モ順序ヨク十一時半閉会、客人大満足ニテ退散、此日門外ニモ歓迎ノ大アーチヲ作又幕モ三越ニテ意匠ヲコラシタルモノ二種ヲ製スル等、百事大ニ意ヲ尽シ、無慮一万七八千円ノ費用ヲ投セリト云フ、予等モ先応分ニ助勢尽力ヲ終ヘ、三階ニテ尽力者一同慰労ノ一酌アリ、終テ帰宅セシハ一時半頃ナリシ