デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
1節 儒教
1款 孔子祭典会
■綱文

第26巻 p.5-13(DK260001k) ページ画像

明治40年1月16日(1907年)

是日孔子祭典会発起人会開カレ、栄一評議員ニ選バル。越エテ四月二十八日、湯島聖堂ニ催サレタル第一回ノ祭典ニ出席ス。爾後当会ノ為ニ尽力ス。


■資料

孔子祭典会々報 第一号・第三八頁 明治四〇年一〇月刊 第四 会員氏名住所(明治四十年十月一日調)(DK260001k-0001)
第26巻 p.5 ページ画像

孔子祭典会々報  第一号・第三八頁 明治四〇年一〇月刊
    第四 会員氏名住所 (明治四十年十月一日調)
○上略
      しノ部
          府下北豊島郡滝野川村
 発起人・評議員           男爵 渋沢栄一
○下略


孔子祭典会々報 第一号・第一―四頁 明治四〇年一〇月刊 孔子祭典会報告(DK260001k-0002)
第26巻 p.5-6 ページ画像

孔子祭典会々報  第一号・第一―四頁 明治四〇年一〇月刊
  孔子祭典会報告
    第一、本会ノ発起及ビ役員ノ会合
 東京市神田区湯島《(マヽ)》ナル大成殿ハ、徳川幕府ノ建設ニ係リ、昌平黌ノ存在セシ間ハ毎年春秋二季ニ釈奠ヲ挙行シ来リシ所ナリ、明治維新ニ至リ昌平黌廃シ、爾来殿堂ハ保存セラレタルモ祭典久シク廃絶シ、孔子四子ノ神像在レドモ開扉スルコト稀ナリキ、現今堂宇ハ東京高等師範学校ノ保管ニ属シ、構内ニ其ノ附属東京教育博物館ヲ置ケリ、昨明治三十九年東京高等師範学校職員中有志ノ者、孔子ノ我国ニ於ケル教化ヲ感謝スルノ意ヲ表センガ為ニ、其ノ祭典ヲ大成殿ニ於テ挙行センコトヲ企テシガ、更ニ同志ヲ世間ニ募リ可成其ノ祭典ヲ盛ニセントノ議アリテ之ニ決シ、之ヲ有志ニ謀リ其ノ賛成ヲ得テ、同年十月十日初メテ同志ノ会合ヲ開催シ、大体ノ方針ヲ定メテ、更ニ発起人ヲ勧誘スルコトヽシ、十一月二十八日ニ至リ発起人会ヲ開キテ規約及ビ祭典ノ方法ヲ議シ、四十年一月十六日又発起人会ヲ開キテ左ノ評議員及ビ委員ヲ選挙セリ、当時発起人ノ数四十七人ナリキ
        評議員(二十人)
   文学博士 井上円了   文学博士 井上哲次郎       伊沢修二
     男爵 細川潤次郎  文学博士 星野恒         富田鉄之助
 文学博士
     男爵 加藤弘之        嘉納治五郎       芳野世経
 法学博士
     子爵 谷干城      伯爵 宗重望    文学博士 那珂通世
        南摩綱紀        牧野伸顕   法学博士 阪谷芳郎
   文学博士 三島毅    文学博士 重野安繹     男爵 渋沢栄一
 - 第26巻 p.6 -ページ画像 
     伯爵 土方久元        関義臣
        委員(十人)、
        市村瓚次郎       細田謙蔵        嘉納治五郎
        吉田静致        棚橋源太郎       桑原隲蔵
        安井小太郎       溝淵進馬   文学博士 三宅米吉
        塩谷時敏
 委員ハ更ニ委員長ヲ互選シ、嘉納治五郎氏当選セリ、又委員中常務ノ主任ヲ定メ、溝淵進馬氏ハ庶務ヲ、棚橋源太郎氏ハ会計ヲ担任スルコトトナリタリ、其ノ後委員会ニ於テ左ノ三氏ヲ評議員ニ推薦シ、三月十七日ノ評議員会ニ於テ決定シ、尋テ三氏ノ承諾ヲ得タリ
   辻新次   股野琢  伯爵 松浦詮
 委員ハ初メ先ツ本会細則ヲ議定シ、其ノ後屡会合シテ本会ノ拡張及ビ祭典ノ準備ニツキ協議ヲ尽セリ
 本年四月ニ至リ、委員桑原隲蔵氏清国ニ留学セラルルコトトナリ、委員ヲ辞セラル、由テ会員平田盛胤氏其ノ補欠トシテ委員ニ選挙セラレタリ
 本年四月二十八日即祭典当日マデニ入会セシ会員総数ハ六百九十三人ナリ


斯文六十年史 斯文会編 第三〇四―三〇六頁 昭和四年四月刊(DK260001k-0003)
第26巻 p.6-7 ページ画像

斯文六十年史 斯文会編  第三〇四―三〇六頁 昭和四年四月刊
    第三十章 孔子祭典会
湯島聖廟の釈奠は、慶応三年八月を最後として廃絶せり。明治元年六月、昌平黌を復興すと雖も、釈奠を行はず。二年八月大学校新講堂に於いて学神祭を行ひ、聖廟は之を閉鎖せり。三年七月大学を閉鎖し、四年七月遂に之を廃して文部省を置く。四年九月博物局を文部省に置くや、大成殿を以て博物局観覧場となし、孔子及び四子の像を撤去して物産局の蒐集品を陳列し、五年三月より之を公開す。同月明治天皇臨幸し給ふ。六年三月博物館即ち博物局観覧場を、書籍館と共に幸橋内元鹿児島藩邸内博覧会事務局に合併して、大成殿を閉鎖す。八年二月、再び博物書籍二館を大成殿内に移す。四月博物館を東京博物館と改む。九年三月東京博物館を上野山内車坂上東四軒寺町に移し、孔子四子の神龕を復置す。翌年一月教育博物館と改め、十四年八月東京教育博物館と改む。書籍館は浅草米蔵に移す。即ち浅草文庫なり。九年三月以後、大成殿は之を閉鎖せり。二十二年七月教育博物館を高等師範学校に附属し、大成殿左右の廊を以て陳列場の一部に充当したり。是より大成殿は高等師範学校の所管となれり。明治三十九年に至り、東京高等師範学校職員中に釈奠復興の議あり。十月十日、同志を会して大体の方針を定め、発起人を勧誘して四十七人を得たり。依りて四十年一月十六日発起人会を開きて、規約を制定し、祭典の方法を協議し、評議員及委員を選挙せり。之を孔子祭典会の起源と為す。会の目的は孔子を崇尚し、我国に於ける其教化を感謝せんが為に祭典を挙行するに在りて、祭典後講演会を開き、或は展覧会を開くことゝし、評議員若干名・委員十人(後二十人と改む。)を置くことゝなせり。最初に選挙せられたる評議員及委員左の如し。
 - 第26巻 p.7 -ページ画像 
 評議員、井上円了・井上哲次郎・伊沢修二・男爵細川潤次郎・星野恒・富田鉄之助・男爵加藤弘之・嘉納治五郎・芳野世経・子爵谷干城・伯爵宗重望・那珂通世・南摩綱紀・牧野伸顕・阪谷芳郎・三島毅・重野安繹・男爵渋沢栄一・伯爵土方久元・関義臣
 委員、市村瓚次郎・細田謙蔵・嘉納治五郎・吉田静致・棚橋源太郎桑原隲蔵・安井小太郎・溝淵進馬・三宅米吉・塩谷時敏
明治四十年四月二十八日第四日曜を以て第一回祭典を行ふことゝなし、其の祭儀は本邦神祭の儀式に準じて行ふことゝなし、祭器は旧大成殿の簠簋籩豆等を使用することゝなし、祭官は東京市内神社の神官を聘することゝなし、伶人は宮内省式部職伶人を聘することゝなせり。当日午前九時祭典を開始す。其の次第左の如し。
 一、奏楽乱声 二、祓主祓戸神座ノ前ニ進ミ祓詞ヲ奏ス 三、大麻行事 四、祓戸神座ヲ撤ス五、迎神式ヲ行フ 奏楽平調音取越天楽 六、奠幣 七、奠饌 奏楽三台塩 八、祭主祝文ヲ奉読ス 奏楽五常楽 九、幣饌ヲ撤ス 奏楽還城楽 十、送神式ヲ行フ 奏楽越天楽 十一、奏楽長慶子 祭官伶人退出ス
式後、分胙及び記念品を頒つ。此の日までに会員となれる者六百九十三人、此の祭典に参列したるもの約四百人に及べり。維新以来廃絶せし釈奠の復興せられたるは、斯文の未だ地に墜ちざるを証するもの。且其の入会者中に有力者の多きを見れば、大に意を強くするに足るものあり。是より年々四月第四日曜を以て釈奠を挙行することゝなし、大正八年四月二十七日、其の第十三回の祭典を挙行せり。此の時新に斯文会の成立するありて、其の主義目的を同じうするを以て、祭典会を解散して、之を斯文会に合併し、斯文会祭典部となせり。時に大正八年九月十五日なり、孔子祭典会として特筆すべきは四十三年四月廿四日の第四回祭典に、久邇宮邦彦王の台臨ありし事なり。爾後年々皇族の台臨あり、斯文会に合併後に至りても渝ることなし。


孔子祭典会会報 第三号・第三二―三四頁 明治四二年九月刊 孔子祭典会規約(明治四十年一月定)(DK260001k-0004)
第26巻 p.7-8 ページ画像

孔子祭典会会報  第三号・第三二―三四頁 明治四二年九月刊
    孔子祭典会規約(明治四十年一月定)
第一条 本会ハ、孔子ヲ崇尚シ我国ニ於ケル其教化ヲ感謝センカ為メニ、祭典ヲ挙行スルヲ目的トス
第二条 本会ハ毎年一回(四月第四日曜日)本郷湯島聖堂ニ於テ孔子ノ祭典ヲ挙行ス、但祭典ノ後講演会ヲ開クコトアルヘシ
第三条 本会ノ目的ヲ賛成スルモノハ、委員会ノ承認ヲ経テ会員タルコトヲ得
第四条 会員ハ、本会ニ要スル費用ヲ負担スル義務アルモノトス
第五条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク(四十年十月改正)
      評議員  若干名
      委員   二十名
      地方委員 若干名
第六条 役員ノ任期ハ無期限トシ、欠員ヲ生セシトキハ委員会ニテ選定補欠ス
第七条 委員ハ委員会ヲ組織シ、本会ノ事務ヲ処理ス、但委員ノ互選
 - 第26巻 p.8 -ページ画像 
ニヨリ其一人ヲ委員長トス
第八条 評議員ハ、委員会ノ請求ニヨリ本会ノ重要ナル事項ヲ評議ス
第九条 本会ノ費用ハ、会員ノ会費及有志者ノ寄附金ヲ以テ之ヲ支弁ス
  附則
第十条 最初ノ役員ハ、発起人会ニテ之ヲ選定ス
    孔子祭典会細則(明治四十年一月定)
第一条 本会ハ事務所ヲ東京市本郷区湯島二丁目東京教育博物館(聖堂構内)内ニ置ク
第二条 入会セント欲スルモノハ、氏名・住所・職業ヲ記載シ、其旨ヲ本会事務所ニ申込ムヘシ
第三条 本会ハ入会ヲ承認シタルトキハ、其旨ヲ申込人ニ通知スヘシ
第四条 会員ハ毎年三月十五日迄ニ会費トシテ金壱円ヲ本会事務所ニ納入スヘシ
第五条 会員ニシテ会費ヲ納入セサルモノハ、退会者ト認ム
第六条 本会ノ経費ニ剰余アルトキハ之ヲ積立保管シ、其使途ハ評議員会ニ於テ之ヲ定ム
第七条 祭典ノ儀式ハ神官ニ依頼シテ之ヲ行ハシム
第八条 会員ノ代表者一人祭文ヲ捧読ス
第九条 祭典執行ノ日時及祭典ノ次第ハ、予メ会員ニ通知ス
第十条 前条通知書ヲ接受セシモノニシテ当日参列セント欲スルモノハ、直チニ其旨ヲ回答スヘシ
第十一条 参列者ハ必ス通知書ヲ携帯シ、入場ノ節掛員ニ提出スルヲ要ス
 通知書ヲ提示セサルモノハ入場ヲ謝絶スルコトアルヘシ
第十二条 会員以外ニ参拝セントスルモノアルトキハ、式後之ヲ許ス
第十三条 参拝者ハフロツクコート・羽織袴、若クハ制服ヲ着用スヘシ、但女子ハ白襟・紋付又ハ袴ヲ用フヘシ
第十四条 講演ハ公開トス
第十五条 寄附ハ金銭ノ外物品ヲモ受納ス
   ○規約ヲ決定シタル一月十六日ノ発起人会ニハ栄一欠席シタルモノノ如シ。「渋沢栄一日記」明治四〇年、同日ノ条ニハソノ事記載ナシ。


竜門雑誌 第二二五号・第四五―四六頁 明治四〇年三月 ○孔子祭典会(DK260001k-0005)
第26巻 p.8-9 ページ画像

竜門雑誌  第二二五号・第四五―四六頁 明治四〇年三月
○孔子祭典会 重野・南摩・三島等諸鴻儒の発起に係る孔子祭典会は毎年一回(四月第四日曜日)本郷湯島聖堂に於て之を挙行し、祭典の後講演会を開くことに決し、事務所を本郷区湯島二丁目東京教育博物館内に設置し、評議員及委員を選定したるが、其氏名は左の如くにして、先生は初より深く此会の設立を賛助せられしが、今回其評議員に当選せられたり
      評議員
     文学博士 井上円了  文学博士 井上哲次郎
          伊沢修二    男爵 細川潤次郎
     文学博士 星野恒        富田鉄之助
 - 第26巻 p.9 -ページ画像 
     文学博士
          加藤弘之       嘉納治五郎
     法学博士
          芳野世経    子爵 谷干城
       伯爵 宗重望   文学博士 那珂通世
          南摩綱紀       牧野伸顕
     法学博士 阪谷芳郎  文学博士 三島毅
     文学博士 重野安繹    男爵 渋沢栄一
       伯爵 土方久元       関義臣
    委員長              嘉納治五郎
      委員
       市村瓚次郎  細田謙蔵   嘉納治五郎
       吉田静致   棚橋源太郎  桑田隲蔵
       安井小太郎  溝淵進馬   塩谷時敏
       文学博士 三宅米吉


各個別青淵先生関係事業年表(DK260001k-0006)
第26巻 p.9 ページ画像

各個別青淵先生関係事業年表     (渋沢子爵家所蔵)
    斯文会
 明治四十年二月
孔子祭典会成立ス、創立者ハ重野安繹・三島毅・南摩綱紀等ノ儒学者ナリ、青淵先生ハ評議員ニ挙ゲラル


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK260001k-0007)
第26巻 p.9 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年    (渋沢子爵家所蔵)
二月三日 晴 寒              起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 午後二時嘉納治五郎氏ヲ訪ヒ、聖廟保存会ノ事ヲ談ス、又谷子爵ヲ訪ヒ、同シク保存会ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
三月十七日 晴 寒             起床六時四十分 就蓐五時三十分○翌朝
○上略 午後一時師範学校内ニ催フセシ孔子祭ノ協議会ニ出席シ、中坐シテ ○下略


竜門雑誌 第二二八号・第二四頁 明治四〇年五月 ○孔子祭典(DK260001k-0008)
第26巻 p.9 ページ画像

竜門雑誌  第二二八号・第二四頁 明治四〇年五月
○孔子祭典 孔子祭典会の創立、及先生が同会の評議員の一人となられしことは、本年二月の誌上に記せしが、其祭典は四月二十八日午前九時より湯島旧聖堂に於て挙行せられ、当日は先生にも来会せられたり


各個別青淵先生関係事業年表(DK260001k-0009)
第26巻 p.9 ページ画像

各個別青淵先生関係事業年表     (渋沢子爵家所蔵)
    斯文会
 明治四十年四月二十八日
第一回孔子祭典会ヲ湯島旧聖堂ニ於テ行フ、青淵先生出席


孔子祭典会々報 第一号・第四―二三頁 明治四〇年一〇月刊 第二、祭典報告(DK260001k-0010)
第26巻 p.9-12 ページ画像

孔子祭典会々報  第一号・第四―二三頁 明治四〇年一〇月刊
    第二、祭典報告
      (一) 祭典ノ準備
 祭典ノ方法ニツキテハ、初メ或ハ釈奠ノ再興ヲ唱道スルモノアリ、
 - 第26巻 p.10 -ページ画像 
或ハ質素簡易ノ方法ヲ主張スルモノアリシガ、発起人会ニ於テ祭典ハ本邦神祭ノ儀式ニヨリテ挙行シ、祭器ハ祭官ト相談ノ上、可成簠簋籩豆等ヲ使用スベキコトニ決定シタリ
 其ノ後委員中ヨリ細田謙蔵・三宅米吉・塩谷時敏ノ三氏ヲ挙ゲ、会員平田盛胤氏ト協議シテ其ノ儀式方法ヲ立案センコトヲ委任シ、四氏数回ノ討議ヲ重ネテ詳細ナル祭典次第書ヲ起草シ、之ヲ委員会ニ提出シタリ、委員会ニ於テ之ヲ可決シ、更ニ評議員会ニ提出シテ其ノ賛成ヲ得タリ、抑徳川時代ニ於ケル釈奠ハ、殆我国神祭式ニ一致セルガ故ニ、今回挙行ノ神祭式ハ之ヲ釈奠ニ比シテ、唯祭酒飲福ノ儀ヲ欠クノミナリ
 祭典ノ時日ハ毎年四月第四日曜日ト決定セリ、本年四月第四日曜日ハ二十八日ニシテ、偶丁未ニ当レリ、釈奠ハ丁日ヲ用ヒシ例ナリ
 祭典ノ式場タル大成殿ハ現時東京教育博物館陳列場ノ一部ナルヲ以テ、之ヲ式場トナスニハ一時其ノ陳列品ヲ他ニ移サザルベカラズ、之ガ為大ニ博物館員諸氏ヲ煩ハシ、且少カラザル費用ヲ要セリ、又当日挙行ノ講演会ハ大成殿附近ニ適当ノ会場無キニヨリ、東京高等商業学校講堂ニ於テ之ヲ開催スルコトトセリ
 祭官ハ賛礼一人・献長一人・祓主一人・伝供兼大麻行事一人・伝供兼幣篚役送一人・伝供八人・執尊二人、都合十五人トシ、当日聘請セシ諸氏左ノ如シ
○中略
      (二) 祭典次第
 四月二十八日午前七時、委員・祭官・伶人等東京高等師範学校附属中学校ニ参集ス、七時三十分委員等大成殿内外ノ設備ヲ巡検シ、畢テ開扉式ヲ行フ、委員等香案前ニ整列シ賛礼、孔子及ビ四子ノ神櫝ヲ開扉スルヤ、委員長焼香シ委員一同礼拝ス、此ノ時神剣ヲ孔子神櫝内ニ置ク、此ノ剣ハ元禄四年将軍徳川綱吉ノ製置スル所、金銀装ニシテ越前康継ノ作ナリ、旧時釈奠ニハ、必ス之ヲ神櫝内ニ置クヲ例トセシナリ。
 午前八時仰高・入徳両門ヲ開ク、会員漸次参集シ、或ハ休憩所ニ入リ或ハ直ニ会員席ニ着ク、此日会員ノ参集セシモノ凡四百余名ナリ
 八時四十分祭官・伶人殿上座位ニ就ク、是ニ於テ委員長嘉納治五郎氏殿前石階ニ立チ、会衆ニ向ヒ挨拶ノ辞ヲ述ブ、委員長ノ復席スルヤ直ニ楽作リ祭典始マル、時ニ午前九時ナリキ、其儀式次第左ノ如シ
 一、奏楽 乱声
 二、祓主、祓戸神座ノ前ニ進ミ、祓詞ヲ奏ス
      祓詞
    落多芸津速川乃瀬爾座須瀬織津比咩大神荒潮乃潮乃八百会爾座須速秋津比咩大神気吹戸爾座須気吹戸主大神根乃国底乃国爾座須速佐須良比咩大神四柱乃祓戸乃大神等乃神霊乎乞祈美奉里弖畏美畏美毛白佐久今日波之毛是乃斎場爾之弖孔丘顔回曾参孔伋孟軻五所乃祭典為之行布爾因里弖式乃随々祓乃神式仕奉良久乎聞食弖祭官乎始米弖関係留人々諸賀身爾触礼率里弖在良武罪穢乎滝津速瀬乃淀美無久天津菅曾乃須々賀々之久麻乃安
 - 第26巻 p.11 -ページ画像 
佐風佐々夜々爾祓比給比清米給比弖祭乃本末過良受乱礼受仕竟之米給閉刀畏美畏美毛白須
 三、大麻行事
 四、祓戸神座ヲ撤ス
 五、迎神式ヲ行フ
   奏楽  平調音取越天楽
 六、奠幣
 七、奠饌
    奠幣ハ伝供先篚案ヲ安置シ、次ニ幣篚ヲ献長ニ伝ヘ、献長之ヲ献ス、奠幣畢テ然ル後、伝供饌案ヲ安置シ、簠簋籩豆爼ヲ順次仮厨ヨリ伝送シテ献長ニ授ケ、献長之ヲ献ス、唯爵ハ献長自ラ執尊ノ処ニ到リテ之ヲ受ケ、神前ニ復シテ自ラ之ヲ献ス、四配ノ爵ハ他ノ供物ト与ニ都テ伝供ニ依ル
   奏楽  三台塩
 八、祭主祝文ヲ奉読ス
    奠饌畢リテ、祭主会員総代男爵細川潤次郎君殿ニ上ル、是時会衆一同起立ス、祭主香案前ニ至リテ焼香礼拝シ、伝供ノ授クル所ノ祝版ヲ受ケ祝文ヲ奉読ス
      祝文
    維明治四十年丁未四月二十八日丁未潤次郎等謹ミテ祭ヲ至聖先師孔子神座ノ前ニ致ス、窃ニ以ミルニ洙泗ノ水長ヘニ流レテ瀾ヲ東海ニ増シ、扶桑ノ樹弥茂リテ輝ヲ西邦ニ揚グ、猗嗟盛ナルカナ、夫子道ハ天地ニ侔シク、徳ハ日月ニ並ブ、過化存神功徳百王ニ踰エ、生栄死哀声誉万代ニ垂ル、洵ニ曠古ノ師表億兆ノ儀範ナリ潤次郎等祀典ノ近ゴロ闕ケタルヲ慨ミ、盛徳ノ諼レ難キヲ念ヒ、玆ニ同志ト与ニ聊蘋藻ヲ薦メ、以テ景仰ノ誠ヲ申ベ、且感謝ノ意ヲ致ス、配スルニ顔子・曾子・子思・孟子ヲ以テス、尚クハ饗ケヨ
             従二位勲一等男爵 細川潤次郎
   読ミ畢テ礼拝復席シ、会衆着席ス
    奏楽  五常楽
 九、幣饌ヲ撤ス
    撤饌畢リテ後撤幣ス、幣饌皆献長之ヲ撤シテ伝供ニ授ケ、伝供之ヲ仮厨ニ復送ス、饌案幣案ハ殿ノ西壁ニ沿ヘル故位ニ復置ス
   奏楽  還城楽
 十、送神式ヲ行フ
    奏楽  越天楽
 十一、奏楽  長慶子
    祭官・伶人退出ス
 右ニテ儀式終ハル、時ニ午前十一時ナリキ、直ニ饌案上ニ薦品ヲ盛リタルママ祭器ヲ陳列シ、会衆ヲ殿内ニ導キテ陳列礼器ト与ニ之ヲ観覧セシメタリ
      (三) 分胙及ビ紀念物
 - 第26巻 p.12 -ページ画像 
 分胙及ビ紀念物ハ会員退場ノ際杏壇門ニ於テ之ヲ分与セリ、分胙ハ黒白餅ニシテ配分ノ為特ニ製シテ一タビ孔聖座前ニ供ヘシモノ、紀念物ハ大成殿孔聖尊像ノ写真版ナリ、別ニ当日会員島田蕃根氏等、木版孔聖画像四百枚ヲ寄贈セラレシヲ以テ、其ノ数ノ限リ之ヲ紀念物ニ添ヘテ配分セリ
○下略


風俗画報 第三六四号 第一六―一七頁 明治四〇年六月一〇日 孔子祭典(DK260001k-0011)
第26巻 p.12 ページ画像

風俗画報  第三六四号・第一六―一七頁 明治四〇年・六月一〇日
    ○孔子祭典
四月廿八日午前九時より湯島聖堂に於て孔子祭典を執行したり、大成殿内には孔子の肖像を中央に、左に顔子思に、右に曾孟二子の像を安置し、其左側には伶人座を占め、右には神職列を正して居並び、殿前には天幕を張り、椅子を列べ、来会者の席に充てたり、扨予定の時刻となるや嘉納委員長は一場の挨拶を為し、我国の文化が孔子に負ふ所莫大なるに拘らず、今や其祀典をさへ行ふものなきは遺憾の次第なるを以て、今回再興するに至りたること、並に其祭式は釈典《(奠)》の古例に拠らんか、或は風水の神を祭るの式に則らんかとの説もありたれど、結局神道の式を取り、但祭器のみ釈典の物を使用するに至りたる次第を述べ、奏楽の後祓詞を奏し、更に奏楽の間に神職は簠(中に粢)・簋(白餅)・籩(香橙、乾栗)・豆(鳥肉)・爵(酒)・爼(鯛)の供物を順次に各聖の前に陳設したり、其数孔子は各三案、其他は一案なり、右終りて祭主細川潤次郎氏は聖像の前に進みて祝文を朗読し、更に楽を奏し香を薫じ、此間参列者各諸聖の徳業を黙想すること宜くありて後、前の順序に拠り、饌を撤し十一時式を終りたり、式後祭器並に聖堂附属の古器を陳列して観覧せしめたるが、是等は徳川氏の盛時諸侯の奉納したる所とて、精功を極めざるなく、特に天球は天保十四年の製作にして、漆塗りに金泥を以て天の川並に諸星の位置を画きありて、巧緻眼を奪ふ許りなるに、星の位地命名如何にも奇妙にして、今人よりは到底理解すべからざるなど、当時の人の智識を窺ふべき好記念なりき尚来会者一同には孔子像の銅版並に分胙を配布したり、来会者の重なるものは、松岡・牧野・阪谷の三大臣、楊清国公使、谷・芳川諸子・浜尾総長・渋沢男・富田・三島・加藤の諸氏、其他六百余名にして、尚婦人連・清国人も数名見受けたり
    祝文 ○前掲ニツキ略ス


新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一三巻・第二四九頁 昭和一一年五月刊(DK260001k-0012)
第26巻 p.12-13 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一三巻・第二四九頁 昭和一一年五月刊
    湯島聖堂の孔子祭典
〔四・二八 ○明治四〇年 東朝〕本日の孔子祭典 ○今二十八日午前九時より、晴雨に拘らず湯島聖堂に於て孔子祭典を行ひ、宮内省伶人の奏楽ある筈、一般公衆の参拝は午後一時より三時迄の内に許す事に定め、会員の式場に参列するもの約五百名以上の見込みなりと、同廟は元徳川氏より春秋二季に祭典を行はれ、往時は頗る荘厳の式を以て諸侯の参拝ありしも、維新以来不祀の姿となりしを以て、嘉納治五郎氏等の主唱にて、本年より毎年一回宛同志を募りて祭典を行ふ事とたりなる
 - 第26巻 p.13 -ページ画像 
ものにして、古老の今昔の感に堪へずして参拝を申込むもの頗る多しと云ふ、猶午後一時よりは高等商業学校講堂に於て、会員谷子爵・加藤文学博士等の公開演説ある由。


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK260001k-0013)
第26巻 p.13 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年    (渋沢子爵家所蔵)
十月十七日 晴 冷             起床七時 就蓐十二時三十分
○上略 嘉納治五郎氏ヲ訪ヒ聖廟保存会ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
十月十九日 晴 冷             起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 午後二時半学士会ニ抵リ、孔子祭ニ関スル評議会ニ列ス、嘉納治五郎・谷子爵・三島中洲氏等来会ス ○下略


各個別青淵先生関係事業年表(DK260001k-0014)
第26巻 p.13 ページ画像

各個別青淵先生関係事業年表     (渋沢子爵家所蔵)
    斯文会
 明治四十年九月
旧聖堂維持法ニ就テ青淵先生斡旋シ、其管轄ガ従来文部省所属デアツタノデ、東京市ニ移管セラルベク交渉ス


孔子祭典会々報 第一号・第三〇頁 明治四〇年一〇月刊 第四、会計報告(DK260001k-0015)
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孔子祭典会々報  第一号・第三〇頁 明治四〇年一〇月刊
    第四、会計報告
○上略
      (二) 寄附
○中略
 金壱百円             男爵 渋沢栄一
○下略