デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
1節 儒教
3款 孔子教会
■綱文

第26巻 p.32-33(DK260006k) ページ画像

明治42年2月11日(1909年)

是日栄一、孔子教会評議員ニ推薦セラル。


■資料

斯文 第三編第二号・第七八―七九頁 大正一〇年四月 孔子教会の歴史(DK260006k-0001)
第26巻 p.32-33 ページ画像

斯文  第三編第二号・第七八―七九頁 大正一〇年四月
    ○孔子教会の歴史
      (一) 教会の成立
明治四十一年五月二十七日、同志神田青年会館に相会し孔子を中心とし論語を経典とし、二十世紀の思潮精神を以て解釈の根本となし、儒教の新生面を開き以て現代の風教を振粛すること、此の目的を達する為め研究会及演説会を開催すること、会名を孔子教会とすることを協定し、越て六月二十日大隈侯爵邸に、七月三十日島田三郎君邸に、九月二十一日日本倶楽部に相会し、本会の拡張策・雑誌発行・会計事務等に付協議を重ね、十月五日付を以て京浜間に於ける知名の学者・実業家・政治家約三百名に宛て、教会設立の趣旨を明記したる案内状を発し、其月十日を卜して第一生命保険相互会社へ参集を促したり、当日の会合にて会則を定め、広く同志を糾合する為め入会勧告書を発送することゝせり、東京市内千二百十九通・郡部百四十七通・各地方及清韓二百十七通に対して、維持会員九名・通常会員九十四名の入会申込を得たり、翌年二月十一日第一生命に於て総会を開き、評議員を設けて最高機関とすることを決し、夫々推薦状を発して其承諾を求む、三月三十日日本倶楽部に於て第一回評議員会を開き、今後の孔子教会を発起者の手より評議員会の手に移し、同会の意見によりて行動すること、及び常務委員三名を挙げ、一切の事務を引続き、本会の成立及機関の整頓を見るに至りたり。
   ○発起人と尽力せられたる諸君
   市村瓚次郎君     戸川安宅君   侯爵 大隈重信君
   川合信水君      高島平三郎君     中野勝生君
   村上俊蔵君      村岡素一郎君     山本邦之助君
   矢野恒太君      松村介石君      小柳司気太君
   荒木真弓君      青柳篤恒君      三宅雄二郎君
   島田三郎君      広部精君
   ○評議員たることを承諾せられたる諸君
   井上哲次郎君     市村瓚次郎君     故池辺吉太郎君
   服部宇之吉君     早川千吉郎君     服部金太郎君
   萩野由之君      故星野恒君   侯爵 大隈重信君
   大村彦太郎君  男爵 小沢武雄君  故男爵 加藤弘之君
   故柿沼谷雄君     高島平三郎君     山口宗義君
   松村介石君      三宅雄二郎君      三宅秀君
子爵 渋沢栄一君      故重野安繹君     島田三郎君
   広部精君   故男爵 森村市左衛門君
 - 第26巻 p.33 -ページ画像 
  ○常務委員
  市村瓚次郎君       戸川安宅君     矢野恒太君
  大正三年十月戸川君病気を以て辞職、爾後松井廉君を常務委員に推薦せり。
      (二) 本会の事業
(イ)論語輪講会、明治四十二年四月二十三日第一生命保険相互会社楼上に於て第一回論語輪講会を開き、爾後恒例として毎月(八月を除く)一回宛開催し今日に及べり、其方法は会場を公開し、一般に傍聴は勿論、飛入講義・質疑をも許せり、大正七年十月二十四日迄八十九回の講筵を重ね論語全部講了せり。
(ロ)公開演説並に出張伝道、明治四十二年五月二十日神田青年会館に於て第一回演説会を開く、市村瓚次郎君・島田三郎君・三宅雄二郎君・故池辺吉太郎君・矢野恒太君の演説あり ○同年十二月五日高等商業学校講堂に於て第二回演説会を開く、清人李滋然君・小柳司気太君・服部宇之吉君・矢野恒太君の演説あり ○四十三年六月十二日同所に於て第三回演説会を開く、宇野哲人君・遠藤隆吉君・高木兼寛君・井上哲次郎君の演説ありたり。明治四十三年十二月栃木県足利町に於て、大正二年六月七日静岡県浜松に於て市村瓚次郎君・矢野恒太君出張講演を開かる。同年七月会員村岡素一郎君東北地方へ孔子教講演の為め巡回せらる、同年十一月十二日日本橋新乗物町東京織物同業組合の依頼により、市村瓚次郎君・矢野恒太君出向演説せらる。
      (三) 現在会員
 現在の会員は東京府在住七十八名、地方在住二十九名、計百七名なり。
      (四) 斯文会と合併
 大正九年十二月二十三日臨時総会を開き、本会を斯文会に合併の件を可決す。