デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
3節 寺院及ビ仏教団体
1款 高野山興隆会
■綱文

第26巻 p.57-62(DK260017k) ページ画像

明治33年5月17日(1900年)

是ヨリ先高野山興隆会創立ノ企図アリ、是日東京華族会館ニ於テ小松宮彰仁親王殿下ヲ総裁ニ戴キ当会発会式挙行セラル。栄一之ニ出席シ賛成ノ意ヲ述ブ。次イデ同年六月二十一日、評議員兼会計監督ニ推サレテ四十二年六月六日ニ至ル。


■資料

東京日日新聞 第八一六六号 明治三二年一月一日 高野山興隆会創立に付広告(DK260017k-0001)
第26巻 p.57-59 ページ画像

東京日日新聞  第八一六六号 明治三二年一月一日
    高野山興隆会創立に付広告
夫れ高野山は弘仁開基以来、法灯連綿として一千百有余年の今日に至り、八朶の蓮峰巍然塵外に超出す、豈日本帝国の一大名区ならずや、然るに其間幾多の世変を経て亦栄枯転変なき能はず、之を往昔の壮厳に比すれば刻下の衰頽寔に言ふに忍びざるものあり、故に吾人は奮て当山を興隆し、世を済ひ民を利し吾人の本分を尽し、以て国家に報いんと欲す、是れ本会を設立する精神の存する所なり、本会は主として当山を興隆するの方法を講ずるに於て、学徳修養の道、建造物の復興宝物の保存等 聖代の進運に伴ひ着手すべきもの一にして足らず、吾人は三地両所の冥護を仰き、志士仁人の翼賛に依り、以て当山を興隆し国威発揚せんことを期す、愛国護法の諸士冀くは本会に加盟あらんことを
      会則
第一条本会は高野山興隆会と称す○第二条本会は高野山金剛峰寺に置く○第三条本会は当山金剛峰寺永遠維持の基礎を定め興学布教済世利人を以て目的とす○第四条本会は愛国護法の志士を以て組成す○第五条本会々員を分て左の三種とす 名誉員・特別員・正会員○第六条募集寄附金は当山の基本財産として政府の保管を請ふものとす○第七条本会基本金より生ずる利子を以て左の費途に充つ○一、高野山建造物の修理及再興○二、高等学校の創立維持及布教の振張○三、当山特格たる古来勅願の法会法談を厳修すること○四、宝物館の建設○五、二十七八年役の紀念塔及明治中興諸名士の碑碣○第八条本会は総裁一名会長一名を推戴す○第九条本会には左の役員を置き会務を処弁す 主任・幹事若干名・評議員若干名○第十条本会は毎年一回本部に於て評議員会を開き本会諸般の要件を討議せしむ、但し時宜に依り臨時会を開くべし○第十一条本会には会員名簿を掲げ一山大衆をして日日大師の宝前に於て現当二世勝益の祈願をなさしむ
○御入会被下候御方々は本部又は東京出張所へ御申込被下度候○御寄附被下候御方々は本部又は出張所並に取扱銀行へ御払込被下度候○御入会被下又は御寄附相成候に付御用有之候時は御申越次第本部又は出
 - 第26巻 p.58 -ページ画像 
張所より直に会員罷出可申候○御入会者並に御寄附者の御姓名は時々新聞紙に広告可仕候
  明治三十二年一月
              高野山金剛峰寺
                     興隆会本部
              東京本郷区新花町霊雲寺中
                     興隆会東京出張所
      取扱銀行
              東京日本橋通一丁目
                   森村銀行
              同同小舟町三丁目
                   第三銀行
              同同阪本町
                   田中銀行
              同同日本橋区伊勢町
                   第二十銀行
              大阪市東区高麗橋四丁目
                   第三十四国立銀行
              同市西区土佐堀通一丁目
                   加島銀行
      賛成各位芳名
公爵近衛篤麿君○公爵二条基弘君○侯爵蜂須茂韶君《(賀脱)》○侯爵黒田長成君○侯爵西郷従道君○伯爵東久世通禧君○伯爵佐々木高行君○伯爵大隈重信君○伯爵戸田氏共君○子爵福岡孝悌君○子爵田中光顕君○子爵中牟田倉之助君○子爵杉孫七郎君○子爵芳川顕正君○子爵伊東祐麿君○男爵九鬼隆一君○男爵高崎正風君○男爵本田親雄君○男爵伊東巳代治君○男爵高崎安彦君○正三位曾禰荒助君○正三位松田正久君○正三位福原実君○正三位松平正直君○正三位御純造君《(郷純造君)》○正三位永山盛輝君○従三位高島信茂君○従三位中村元雄君○従三位周布公平君○正四位高木兼寛君○正四位小原重哉君○正四位寺島秋介君○正五位山本達雄君○正五位小倉久君○正三位前田正名君○従五位藤田健君○早川周蔵君○色部義太夫君○田村耕平君○天春文衛君○三木与吉郎君○野口褧君○荒野由次郎君○従七位中西光三郎君○正六位斯波淳六郎君○従四位星亨君○従五位鳩山和夫君○広瀬定文君○正八位朝倉親為君○元田肇君○井上角五郎君○田中平八君○雨宮敬次郎君○高島嘉右衛門君○正五位栗原亮一君○従四位杉田定一君○河野広中君○江原素六君○堀内賢郎君○石塚重平君○大三輪長兵衛君○秋岡義一君○浅香克孝君○有馬要助君○中村栄助君○雨森菊太郎君○恒松隆慶君○朝吹英二君○稲垣示君○新井章吾君○藤金作君○伊藤徳三君○中野広太郎君○阪野耕三君○竜野周一郎君○高津雅雄君○植木致一君○千田軍之助君○山口熊野君○根本正君○菅原伝君○門脇重雄君○田村順之助君○石黒涵一郎君○片岡久一郎君○脇坂行三君○野尻岩次郎君○山本幸彦君○井手毛三君○斎藤卯八君○正六位長坂重孝君○新井啓次郎君○内藤守三君○磯田和蔵君○従六位滝口帰一君○林彦一君○宮崎栄治君○武市庫太
 - 第26巻 p.59 -ページ画像 
君○野田卯太郎君○五十野譲君○関信之助君○奥野市二郎君○渡辺勘十郎君○伊藤文三君○赤土亮君○中田弥平君○金田平五郎君○大滝伝十郎君○林喬君○桜井駿君○井上甚太郎君○重野謙二郎君○久保田貫一君○太田信一君○上野勘助君○清水清十郎君○征矢野半弥君○佐伯誠一郎君○徳差藤兵衛君○津野常君○永江純一君○草刈武八郎君○浅田治郎君○横山通英君○内田雄蔵君○多田通君○小崎義明君○小林乾一郎君○内藤正義君○佐々友房君○飯島正治君○杉下太郎右衛門君○大塚常次郎君○三輪伝七君○磯部八五郎君○井上源衛君○後藤文一郎君○山田武君○高須賀穣君○有村連君○西村新太郎君○山口定省君○熊谷五右衛門君○近藤善助君○森田助右衛門君○清水静十郎君○村松愛蔵君○斎藤安雄君○安藤亀太郎君○河口善之助君○徳増源太郎君○石谷董九郎君○梶野敬三君○石松昇一君○土居貞弥君○正六位熊代慊三郎君○古谷新作君○西村虎太郎君○正七位武弘宜路君○薬袋義一君○阿部弥左衛門君○国重政亮君○鮫島相政君○林元俊君○佐藤通代君○正八位長谷場純孝君○出水弥太郎君○林純佑君○松本正友君○横瀬文彦君(以下続出)
○高野山興隆会 高野山金剛峰山《(寺カ)》は旧幕時代に在ては 皇室の従由緒を始とし、公家武家大小名に至るまで縁故ある者多く、元朱印地禄高二万千石を領地し森林五千町歩を有し、堂塔伽藍荘厳にして有信の道俗幾千万人の渇仰する所たりしが、維新以後財源を失ふと共に山勢頓に衰頽し、加之其間数次火災に罹り寺数頗る減少して復旧時の観なきに至り、随つて教学の資に乏しく碩徳高僧養成の道絶えて以て今日に至りたるが、今回一山大衆奮て同山永遠維持の方法を講究し、興隆会なるものを組織し、総持院住職竜池密雄師を創立主任に選み、爾来東奔西走の結果多数人士該会の旨趣を賛成するに至りたる由、同山の為に賀すべきなり


高野山興隆会会員規定 高野山金剛峰寺興隆会編 刊(DK260017k-0002)
第26巻 p.59-60 ページ画像

高野山興隆会会員規定 高野山金剛峰寺興隆会編 刊
    高野山興隆会々員規定
第一条 本会員を分て左の四種とす
    名誉会員  特別会員
    正会員   翼賛員
第二条 古来当山に縁故ある名族其他本会に対し特に功労ある貴顕紳士及び金壱千円以上の寄附者を名誉会員に推選し、功労之に亜くもの及び金壱百円以上の寄附者を以て特別会員とす
第三条 金拾円以上の寄附者を正会員として金壱円以上の寄附者を翼賛員とす
第四条 会員には左の持念票を贈る
                     高野山
            表面    高祖 大師尊像
    径一寸金剛峰寺
            裏面    梵文
    金製   (名誉会員)
    銀製   (特別会員)
 - 第26巻 p.60 -ページ画像 
    銅製   (正会員)
    木版摺  (翼賛員)
第五条 本会員登山の際は伽藍の案内宝物の拝観等特に接待す
第六条 毎日奥院大師の廟前に於て会員二世の冥福を懇祈す
第七条 会員志す所の先亡聖霊の為毎年春秋両彼岸並に孟蘭盆会には金堂に於て特に回向をなす、但該法会期日に参詣せる会員は法席に参列し随意に焼香をなす
第八条 奥院墓地に於て本会の一大紀念碑を建設し、正会員以上の姓名を彫刻し芳志を不朽に伝ふるものとす
第九条 正会員中より評議員若干名を選定し会長之を嘱托す
第十条 特別会員は何時にても評議員会に出席し意見を開陳することを得
    但評議員並に評議会に関する規定は別に之を定む
      以上


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260017k-0003)
第26巻 p.60 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
五月十七日 曇
○上略 華族会館ニ抵リ ○午後五時過高野山興隆会ニ付テ九条公爵其他ノ人々ニ面話ス、小松宮殿下臨席セラレテ高野山保存ノ事ニ関スル趣旨ヲ口演セラル ○下略


高野教報 第三二号・第前五―前七頁 明治三三年六月 興隆会録事(DK260017k-0004)
第26巻 p.60-61 ページ画像

高野教報  第三二号・第前五-前七頁 明治三三年六月
    興隆会録事
  ○発会式
高野山興隆会発会式を五月十七日東京華族会館に於て挙行せり。先是九条会長公の名を以て貴顕・紳士・名士・豪家及新聞記者等へ招待状を発したるに、当日来会者の重立たる人々は、二条公・徳川頼倫氏・大隈伯・長谷信篤子・本多忠敬子・加藤泰秋子・秋元拘朝子・中牟田倉之助子・大河内正質子・本荘宗義子・榊原政敬子・大関増勤子・本荘寿臣子・牧野忠良子・九鬼隆一男・花房義質男・渋沢栄一男・三井家・蜂須賀正韶氏・関直彦氏・稲垣示氏・早川竜介氏・菊地武夫氏・滝口帰一氏・村田保氏・遊座真方氏(諏訪子代)・改野耕三氏・石塚重平氏・安河内麻吉氏・新井晋氏・大橋新太郎氏・江原素六氏・雨宮敬次郎氏・小倉久氏・恒松隆慶氏・井上角五郎氏・其他有名の士都合三百余名なり。
午後五時開会、一同席定まるや発起人総代井上角五郎氏先づ開会の主意を述べ、本会総裁小松宮殿下親臨御令旨を賜ふ。其文左の如し。
    御令旨
 予は宗教以外に本会の成立せるを観て、実に邦家の一大美事と為す者なり。且此成立と共に予を推して此名誉ある本会総裁たらしめしは予の深く満足する所なり。抑も旧物の美を保存し、報本反始の実を挙ぐるは、宜しく後人の尽すべき徳業にして聖明の世に立つものの当務なりと信ずるが故なり。今や文明の諸国此類の美事例挙に遑あらず。会員諸氏、冀はくは博く内外国の人士と共に相謀り相愛し
 - 第26巻 p.61 -ページ画像 
教法宗派の如何を問はず、貴賤貧富の別なく、僧侶職守の如何を論ぜず、善男善女皆其心を同うし、相信じ相寄りて、最も円満に此美事の始終を完うするに努力せよ。玆に本会の開始に臨み、祝辞に代へて敢て一言す。諸氏請ふ之を諒せよ。
               高野山興隆会総裁
                  大勲位 彰仁親王
次に会長九条公爵閣下式辞を朗読せらる。左の如し。
    式辞
 今や帝国の進運と共に、古来の文明を裨補したる国内一切の事物は随て其光輝を倍せり。是時に膺り帝国の光威を発揚すべき歴史上の遺物旧蹤は、努めて之れが護時保存の道を講ずるを要す。顧ふに高野山は帝国著名の霊場、而かも其開基遠く弘仁の御宇に属し、爾来一般国民に於ける信仰は史乗に炳焉たり。乃ち今日に方り、之が基礎を鞏固にし興隆の計を永遠に画するは、国民たるものゝ一大美挙なり。興隆会を創設するの要旨実に玆に存す、本日親しく之れが発会式を挙ぐるに際し
 総裁小松宮殿下の親臨を辱うし、剴切なる令旨を奉ず。道孝之を本会長に承け、則ち謹んで令旨を服膺し、本会賛助の諸士と倶に力を竭さんことを期す。
 聊か一言を述べて式辞に換ふ
  明治三十三年五月十七日
               高野山興隆会々長
                 大勲位公爵 九条道孝
次に井上角五郎氏演説す、其要旨は天下の霊場たる高野山を保存せざるべからざる必要を説き、列席の各位は賛成せられたる者と認むと云ふにあり。来賓中よりは渋沢栄一男賛成演説をなし、参列諸士に於て無論不賛成はなかるべしと述べ、終りに会主金剛峰寺座主大僧正原心猛師礼辞を述ぶ、曰
 只今は総裁宮殿下より御令旨を賜はり、会長閣下より式辞を辱うし且つ来賓諸氏の御賛成を得て、芽出度発会式を挙行することを得ました、実に高野山の光栄之に過ぎませぬ。拙老も高野一山の僧侶を率ゐ奮て本会の成効を図り、御一同の厚意に報います、玆に謹んで御挨拶を為し、御礼申し上げます。
これにて式了り、それより立食の宴に移り、同七時散会せり。
一山大衆総代として参会せしは少僧正竜池密雄・権少僧正小早川慶道同重松寛勝・同山県玄浄諸師なり。
○下略
   ○栄一ノ演説筆記所伝ナシ。


東京経済雑誌 第四一巻第一〇三一号・第一〇八二頁 明治三三年五月二六日 高野山興隆会(DK260017k-0005)
第26巻 p.61-62 ページ画像

東京経済雑誌  第四一巻第一〇三一号・第一〇八二頁 明治三三年五月二六日
    ○高野山興隆会
高野山興隆会は、高野山建造物の修理及再興・宝物館の建設・二十七八年役の紀念塔及明治中興諸名士碑碣建設の目的を以て、組織せるものなり、頃日其の発会式を華族会館に於て挙げたるに、二条公・大隈
 - 第26巻 p.62 -ページ画像 
伯・長谷・中牟田・榊原・秋元・加藤・大河内・大関・本荘・諏訪・牧野の諸子、九鬼・三井・渋沢の諸男、小倉和歌山県知事・村田・菊池・田村の三貴族院議員、江原・恒松・早川・根本・星(松)・伊藤の各衆議院議員、蜂須賀正韶・徳川頼倫・浅野総一郎・雨宮敬次郎・岡田重衛武・金沢三右衛門・薩摩治兵衛・改野耕三・石塚重平の諸氏及び全国商業会議所聯合出席《(会脱カ)》の為め上京中の人々等百数十名来会し、総裁小松宮殿下には別当花房男爵を随へて御臨場あらせられ、左の令旨を賜へり
   ○令旨前掲ニツキ略ス。
次に会長九条公爵の式辞あり、次に井上角五郎氏は発起人総代として替成を求むるの演説を為し、渋沢栄一氏は本会の主旨に賛同する旨を述べ、其れより高野山座主原心猛氏の謝辞あり、畢て総裁宮殿下には食堂へ成らせられ、来賓亦食卓に就く、終りて散会せり


竜門雑誌 第一四五号・第三八頁 明治三三年六月 ○高野山興隆会評議員(DK260017k-0006)
第26巻 p.62 ページ画像

竜門雑誌  第一四五号・第三八頁 明治三三年六月
    ○高野山興隆会評議員
青淵先生には、此の程高野山興隆会評議員兼会計監督を嘱托せられて承諾せられたり


青淵先生公私履歴台帳(DK260017k-0007)
第26巻 p.62 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    民間略歴(明治二十五年以後)
一高野山興隆会評議員兼会計監督 卅三年六月廿一日 四十二年六月六日辞任


竜門雑誌 第二五三号・第四八―四九頁 明治四二年六月 青淵先生の各種関係事業引退(DK260017k-0008)
第26巻 p.62 ページ画像

竜門雑誌  第二五三号・第四八―四九頁 明治四二年六月
    青淵先生の各種関係事業引退
我青淵先生 ○中略 本月六日 ○中略 同日附を以て左記の如き辞任書及書状を発送せられたり
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何々役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
    書状
拝啓時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及ひ候に付ては関係事務を減省致度と存し、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間、事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共、向後とて従来の御交誼上必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度候、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及職任左の如し
○中略
  高野山興隆会評議員兼会計監督
○下略