デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.141-145(DK260031k) ページ画像

明治25年4月17日(1892年)

栄一、引続キ当社一月・三月ノ月次会ニ出席シテ演説ヲナシ、是日、春季総集会ニ出席シ「竜門社諸君ニ告グ」ト題スル演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第四五号・第五〇頁 明治二五年二月 ○一月の月次会(DK260031k-0001)
第26巻 p.141 ページ画像

竜門雑誌  第四五号・第五〇頁 明治二五年二月
○一月の月次会 本年の初会は去る廿三日午後六時より兜町渋沢邸に開会したり、来会するもの青淵先生・同令夫人を始め、穂積陳重君・同令夫人・阪谷芳郎君・同令夫人・穂積八束君・浅野総一郎君・熊谷辰太郎君・江南哲夫君・原林之助君・村尾智実君其他七十余名にして斎藤峰三郎君先つ登壇して来会者に謝し開会の旨を告け、次に八十島親徳君(商業と農業)・韮塚次郎君(鉄道に就て)・吉岡新五郎君(鉱業に就て)・尾高次郎君(陰徳)・阪谷芳郎君(朝鮮国新貨条例に就て)・穂積陳重君(感情と道理)と順序に演説あり、続て食堂に会し茶菓の饗応あり、然して後余興として松林伯知丈ハ臼井六郎の仇討、赤垣源蔵の伝を演述し、一同歓を尽して散会せしは午後十一時過る頃にして実に盛会なりし


竜門雑誌 第四八号・第四〇頁 明治二五年五月 ○竜門社三月々次会(DK260031k-0002)
第26巻 p.141-142 ページ画像

竜門雑誌  第四八号・第四〇頁 明治二五年五月
    ○竜門社三月々次会
三月十九日午後六時より例に依りて兜町渋沢邸に開く、会するもの青淵先生・同令夫人・阪谷芳郎君・穂積八束君・原林之助君・村井清君其他数十名にして、斎藤峰三郎君開会の旨を告け、桃井健吾君(勤倹貯蓄)・松平隼太郎君(境遇)・八十島親徳君(瀬戸物の話)・斎藤峰三郎君(普通の説)・韮塚次郎君(困つたもの)・吉岡新五郎君(鉱山談)・兼子初太郎君(遊嬉談)・小金沢久吉君(商人と賽銭)・村井清君(感情は奮発の基)・阪谷芳郎君(目的と手段の軽重を誤る勿れ)・青淵先生(才は大ならんを要し、志は小ならんを要す)等の演説あり、終て茶
 - 第26巻 p.142 -ページ画像 
菓の饗応ありて、散会せしは午後十一時頃なりき
   ○栄一ノ演説筆記ヲ欠ク。


竜門雑誌 第四八号・第四〇―四三頁 明治二五年五月 ○竜門社第八回春季総集会(DK260031k-0003)
第26巻 p.142-143 ページ画像

竜門雑誌  第四八号・第四〇―四三頁 明治二五年五月
    ○竜門社第八回春季総集会
廿五年四月十七日竜門社総集会を府下王子村曖依村荘に開く、これより先き左の案内状を発す
 拝啓、来る十七日午前九時より王子村曖依村荘に於て本社第八回春季総集会を開き、有益なる演説会と勇壮なる運動会と快活なる園遊会とを相催ほし候間、御差繰の上御知人御同伴御光臨被下度候、此段御案内申上度 草々敬具
                竜門社長代理者
  廿五年四月九日         文学士 阪谷芳郎
当日は曇天なるにも拘らす、定時より来会するもの極めて多く、青淵先生・同令夫人・穂積陳重君・同令夫人・阪谷芳郎君・同令夫人・尾高惇忠君・同令夫人・穂積八束君・同令夫人・浅野総一郎君・佐々木勇之助君・熊谷辰太郎君・谷敬三君・大川平三郎君・同令夫人・朝山義六君・同令夫人・尾高幸五郎君・星野錫君・田中栄八郎君・同令夫人福岡健良君・萩原源太郎君・山中譲三君・清水釘吉君・原林之助君・渡辺譲君・村井清君・尾高次郎君・同令夫人・斎藤峰三郎君・山崎繁次郎君・小金沢久吉君其他百五十余名にして、客員には文学士土子金四郎君其他諸氏の来会あり、午前十時演説会を開き
  米国銀貨条例に就て     文学士 阪谷芳郎君
  金の使ひ方         文学士 土子金四郎君
  殖林談               尾高惇忠君
  竜門社諸君に告く          青淵先生
等の演説あり、右終りて支那料理の午餉を饗し、午後一時より庭園の傍なる馬場に於て、福岡君携帯の消火器の試験をなしたり、之れより園遊会を開き、庭園各所に設けたる掛茶屋には団子店あり、あまざけやあり、煮込みの売店又ハ茶菓子を供へたる休憩店あり、各散歩して思ひ思ひに飲むもあり、食ふもあり、三遊亭園遊丈の一座五十余名は西洋庭にて種々の芸尽し又は茶番狂言あり、午後三時より運動会を催ほし十数番の勝敗あり、特に幼年競争三組は尤も面白かりき、番外として三遊連の運動会数番を催ほし、滑稽交りの競走などハ喝采を極めたり、右終りて直に賞品授与の式を挙け、貴婦人より各勝者に賞品を授与したり、それより再ひ三遊連の余興となり、忠臣蔵三段返しの茶番を演す、次に穂積重遠君・穂積律三君の剣舞あり、二子の巧妙衆をして感賞せしめたり、最後に三遊連の総踊りを催ほし、散会せしは午後六時頃なりき
 因に記す、同会へ寄附せられたるは
  一金五拾円            青淵先生
  一金五円             浅野総一郎君
  一金三円             穂積陳重君
  一金三円             阪谷芳郎君
 - 第26巻 p.143 -ページ画像 
  一金三円             渋沢篤二君
  一金三円             穂積八束君
 又特に運動会へ寄贈せられたるは
  一金五円          青淵先生   令夫人
  一金三円          穂積陳重君  令夫人
  一金三円          阪谷芳郎君  令夫人
  一金三円          穂積八束君  令夫人
  一金三円          浅野総一郎君 令夫人
  一金弐円          尾高惇忠君  令夫人
  一金弐円          谷敬三君   令夫人
  一金弐円          大川平三郎君 令夫人
  一金弐円          田中栄八郎君 令夫人
  一金弐円          渋沢市郎君  令夫人
  一金弐円          福岡健良君  令夫人
  一金壱円          尾高次郎君  令夫人
  一金壱円          吉岡新五郎君 令夫人
  一金壱円          渋沢信吉君  令夫人
  一金壱円          大井保次郎君 令夫人


竜門雑誌 第四八号・第一―五頁 明治二五年五月 ○竜門社諸君に告く(青淵先生演説新井田次郎君速記)(DK260031k-0004)
第26巻 p.143-145 ページ画像

竜門雑誌  第四八号・第一―五頁 明治二五年五月
    ○竜門社諸君に告く(青淵先生 演説 新井田次郎君 速記)
皆様、今日ハ竜門社の春季総会で、幸に降りも致しませんし、風も吹かないで、誠に仕合せなことであります、竜門社の沿革は先刻阪谷氏から概略を述べられました、即ちモトの起りは一滴の水の如き有様であつたのが、遂に今日では大なる河までに立至つたのは、社員御一同もお悦びで御坐いませう、私も誠に大慶に存じます、別に是と申して此演壇に登る程の用意も御坐いませんけれども、丁度総会の今日で御坐いますので、一言を申上げねばなるまいと考へて、暫時皆様の御耳を煩します
既に時事若くは学理又ハ実際的のことは諸君の御演説が御坐いましたから、私は左様なことを云ふよりは、寧ろ先輩諸君へは暫くお耳を煩すに止めて、社員御一同への教訓とも申すべき一・二言を申上げてそれで御免を蒙らうと考へます、申さば「竜門社諸君に告く」と云ふ演題に致して宜からうと思ふ、其告ぐべき事柄は、即ち処世上或は修身上の二・三の心得方で御坐います、第一人といふものは事を処するには、総て本を務めねば相成らない、漢語で申しましたらどふ書きませうか、此本を務めると云ふことに就ては、論語に「君子務本、本立而道生、孝悌夫為仁本乎」と云ふ警語がある、併し悪くすると本と云ふことの取違ひをする、或は方針だとか、或は目的だとか、大層に本を高く且つ遠く取る恐れがある、凡そ人と為つて世の中に出ると云ふと天下国家を治める、大なる政事家になる、之が本であると云ふ様に、極く末の方を本と誤ると云ふことは、ドウも近来の書生連中に余程多いので御坐います、遠きに行くには近きよりす、高きに登るは卑きよりすといふ、此の卑近な所が即ち本といふべきものにて、それで「孝
 - 第26巻 p.144 -ページ画像 
悌夫為仁本乎」と云はれたは、中々孔子と云ふ人も余程旨く考へてあるよふに思はれます、花の咲く桜も其本は木である、其木の最う一つ本は根である、其根が充実して居なければ美い花は咲きはしない、然るに方針を強く立てるとか、志を高く留めるとか、本末の顛倒と云ふことに陥ると、其務むべきを務めずに、未だ求むべからざることを求めると云ふ様に行走る恐れがありますから、此本を務めると云ふ所に最もよく注意をしなければなるまいと思ふ、第二に物に接するにハ、総て満身の気力を以てすると云ふことを心掛けなければならない、人間の万事に接するには大なる事もあり小さい事もあり、決して全身の気力を以て注がないでも宜い様に見える、左りながら一事一物たりとも、全身の気力を注がないでは、其功を奏すると云ふことは出来ない一寸人に接するにもそふです、充分な気力を注いで話したことは感応力が甚だ強い、戯れ事でも遊び事でも其通りで、事々物々、満身の気力を注いでやると云ふことに心掛けて行くは、人の世の中に於て発達するに大変必要なことであらうと考へる、苟且な考へを持たず、なぐさみに物をせず、例へバ快楽を取るとか遊戯に走るとか云ふにも、苟且にせぬよふに心掛けるを専一と思ふ、総して事物に就て多く過ちの生ずるは、其全身の気力の注がぬ所に於て果してあるものである、最う一つにハ此世の中に居るには、宜しく権衡を失はぬ様に考へなけれバならない、此権衡を失ふと云ふのハ、誰も自ら求めて失ふ人もあるまじく、又甚だ漠然たる言葉なれども、凡そ古来の歴史に就て見ても又は目に触れた現在の人物に就ても、又ハ世の物事に就ても、必ず其権衡を失つたことに、全きを得たことはないと申しても宜い位であらうと思ふ、例へば志は甚だ高尚である、遠大であるが、働きが一向ないといふのは、之は其精神と技倆との権衡を失つて居るのである、其権衡を失つた弊害ハ人から疎ぜられる、嫌はれる、自分は世間の人が自分を疎じ嫌ふのを憤り、遂に世に不平の徒となつて、其身を終らなければならぬと云ふことになります、又人の身体でも、片足短く片足長かつたならば、ドウしても権衡を得ないのである、手ばかり無暗に長かつたならば、それこそ手長猿で「手が長いと云ふのは悪るい言葉だが」総て体格上でも或は心の上でも、物事に自分の位置に相当を得ると云ふことを心掛けて行かなければならない、之を平易に云ふと、分外に走らぬと云ふ様に心を用ひて行かなければならない、本を務めるとか、若くは全身の気力を以て物事に接するとか、或は己れの権衡を始終失はぬ様に務めると云ふことは、細かく理由を論じますと、一ケ条に就ても随分長くお話の出来る事柄で、或は其引証も沢山あらうと考へます、併し今日は余り教訓ケましい長物語をして、折角の総会の時間をお妨げ申すも却て益のないことと考へますから、詰まり私の責を塞いで、其要点を御注意までに申して置くのであります、即ち先輩諸君に申上げることではない、竜門社壮年の諸士は今の三ケ条に付いて、心に任して遺失せぬ様に致したいと考へる、或は仁義忠孝の道とか、孝悌敬愛の勉とか徳育上のことに就ては、時々自分の所見を皆様にお話してある、今申す三ケ条などは、即ち世に処する一の目的として、大なる誤りがなからうと考へます、ドウぞ必ず御忘却ない様に
 - 第26巻 p.145 -ページ画像 
希望仕ります



〔参考〕竜門雑誌 第五四号・第九―一〇頁 明治二五年一一月 ○殖林談(竜門社第八回総集会に於て)(尾高惇忠君演説)(DK260031k-0005)
第26巻 p.145 ページ画像

竜門雑誌  第五四号・第九―一〇頁 明治二五年一一月
    ○殖林談(竜門社第八回総集会に於て)
                   (尾高惇忠君 演説)
私を御存じのお方も過半お出でゞ御坐いませうが、私は明治十年に第一銀行の徴しに応じ、岩手県へ銀行支店の支配人として参りまして、岩手県に十年…正味九年居りました、続いて仙台に正味五年足らず居りまして、昔しハ前九年・後三年と云ふことが御坐いましたが、私のは前九年・後五年で、大分年も取りますし、イロイロ煩を覚えまして昨年銀行の方を辞し、当時仙台に滞寓して居りまして、漸く本月一日帰京致し、今日此会の御招待に預りまして……、尤も竜門社開設の儀は、明治十九年の春でしたか冬でしたか、青淵公の門下に教育を受けた者の名簿を拵へて、後世に伝へた方がよからう、又……もあらうと云ふ趣意より社名を付けることに及び、益々盛大に至つて、例会・春秋両季に総会を見るに至りましたのハ、御同様賀すべきことで、最も私に於ては本懐に存じます ○下略