デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.151-154(DK260033k) ページ画像

明治26年2月25日(1893年)

是日栄一、当社月次会ニ出席シ「竜門社員ニ告グ」ト題スル演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第五八号・第三九―四〇頁 明治二六年三月 ○二月の月次会(DK260033k-0001)
第26巻 p.151 ページ画像

竜門雑誌  第五八号・第三九―四〇頁 明治二六年三月
○二月の月次会 同会は二十五日午後六時より、兜町渋沢邸に開きたり、会するもの、青淵先生・同令夫人・渋沢社長・尾高惇忠君・大川修三令夫人・佐々木勇之助君・白石元次郎君《(白石元治郎君)》・諏訪万吉君・大亦信吉君・岩田豊朔君其他数十名にして、客員は木村清四郎君・岩下清周君等十数名なり、七時開場、社長に代り斎藤峰三郎氏開会の旨趣を陳べ次に(日本近海の潮流)桃井健吾君・(時勢)大沢佳郎君・(心の説)渋沢篤二君・(日本戦国時代の商業)八十島親徳君・(法律の必要)白石元次郎君・(横浜の商業)諏訪万吉君・(製糸の沿革)尾高惇忠君・(竜門社員に告く)青淵先生等の演説あり、それより例に依り茶菓の饗あり歓談して散会したるは十二時頃なりき


竜門雑誌 第五九号・第一―九頁 明治二六年四月 ○竜門社諸子に告く(青淵先生演説)(DK260033k-0002)
第26巻 p.151-154 ページ画像

竜門雑誌  第五九号・第一―九頁 明治二六年四月
    ○竜門社諸子に告く (青淵先生 演説)
先刻からして追々引き続き、学理若くは実際上の思想を極く強めるとか、利益を増すとか云ふ、多くは経済に渉つての御説が出ましたが、
 - 第26巻 p.152 -ページ画像 
私は智識を増すとか、金を増すとか云ふ方の御話でなしに、竜門社員の思想を堅固にしたい、徳義を高めたい、と云ふ希望を一言申述べやうと思ひます、且つ其申述べるに就いては少し過去つたことを御話する様ですが、丁度好い引例として玆に申し述べたいと思ふ事柄がござります、で其事を御話して併せて将来に斯様な心得を持たなければならぬと云ふことに申し及ぼさうと考へます
其申述べやうと云ふ事柄ハ、即ち皆さんも大変に心配して下すつた、私が昨年十二月の十一日に兇行者の要撃に遭つたに就いての事でありますが、其折に幸にして無難に免かれました、それに就いて京浜の同盟銀行者諸君が其災難を無事に免かれたと云ふことを祝して、十二月廿四日に帝国ホテルに宴会を開いて私を饗応して呉れました、其饗応の席に於て、同盟銀行者諸氏の総代として、横浜正金銀行頭取園田孝吉君が私に対して演説を致された、之に対して私が一言の答辞を致しました、併ながら其時の記録は未だ出来て居りませぬ、唯其処から帰つて、それを一寸筆記致したものがありますから、読みます
今夕京浜同盟諸銀行及各地方より来京せられたる銀行の諸君か、友愛の厚情を以て、過日小子が不慮の凶変に遭遇して幸に其難を免かれたるを祝して、此盛宴を開かれたるは誠に小子の光栄にして深く感謝する所なり
然れとも小子か此凶変に遭遇せしは、畢竟小子か不徳の致す処なるを以て中心窃に慙愧に堪へざるなり、然るに諸君は此不徳の小子を棄斥せられすして、却て之を祝して此盛宴を張り且諸君の総代として園田君か演説せられたる趣旨の如きは実に過誉溢美にして小子ハ甚だ恐悚に堪へさるなり
蓋し小子か身を商業界に投せしは、実に明治六年にして爾来一念唯公衆と共に公利を図らむと欲し、苟も一個の営利に従事せし事なし、而して其公共事業諸種の間に於て或は其計を失ひ、或ハ其籌を誤りたる者無きを保たすと雖も、未だ曾て言を食み約を違へ信義を失し詭譎の行を為したる事無きは自から神明に誓ひ俯仰天地に愧さる所なり、殊に銀行の事業に於ては掛冠の後直に之に従事せしより、斯業の功用をして益々広大ならしめむと欲し、孜々として已む時なし、想ふに銀行の営業は経済社会に於て至重至大の関係有るを以て、斯業の発達を図り斯業の完全を求むるは実に国運振興の本を務むるものといふべきの理あればなり
凡そ商工各種の事業は皆国家の福祉を裨補すべしといへとも、殊に銀行業・運輸業の如きは殆んど経済社会の共有物ともいふべきものにして、単に一個人又は一会社の利益のみを顧念して其業を営むべきものにあらす、故に今此席に来会せらるゝ諸君は皆共有の業に従事するものにして、其友情交誼に於けるも亦共有の意念なかる可らず、果して然らは今諸君か小子を優待せられたるは、小子一個人に於てせらるゝにあらずして、経済社会に至重至大の関係ある銀行者其人の凶変に遭ひて難を免かれたるを公共の情義に拠りて祝さるゝ者といふべし、玆に於て小子ハ喜て此盛饗に当り恭しく諸君の盛意を領すべきなり
今此答辞を呈するに当り恰も臆起する所の一話あり、請ふ諸君の清聴
 - 第26巻 p.153 -ページ画像 
を煩はさむ、明治十四年に於て小子は独逸人某氏と面晤せし事あり、蓋某氏は先是抄紙事業の為めに米国に赴きし時、王子製紙会社より製紙法研究として派遣したる社員と相識るに因り、我邦を経て帰国の途次同社員の紹介を以て面会したる所なり、而して某氏は尋常の工業者にして深く学識あるにもあらず、又哲理家・宗教家にもあらざりしか大に我邦の哲理上に感ずる所ありて乃ち小子に質疑して曰く、日本皇政維新後の進歩は極めて長足痛快にして之を欧米に考ふるに未だ其比を見す、驚歎敬畏に堪へざるなり、而して欧米諸国の如きは古今概して其開明進歩に応して必ず奸悪害毒の風相伴て長生するを免れす、然るに日本の如きは利有りて害なく、未だ其弊風の生する処を見ず、果して何の理由ありや、願くは教へを聴かむと、小子之に対ふるに、我邦は開闢以来皇統一系連緜相承るを以て、皇室は神器侵すべからざる者と為し之を崇敬すること神明に等し、故に戊辰の際東北諸藩連衡の時の如きも終に朝命を奉して皇猷に従ふ、是れ外交以来制度文物豹変すると雖ども欧米諸国の如く弊害随て生せさるなりとの言を以てす、然るに某氏は未だ此言に了意せす尚問て曰く、聞くか如きハ是其政治上に関係する者なり、其社交上に於て一般国民の心思を維持する所の原素莫かる可らず請ふ之を教へよと、小子又対て曰く、我邦は古来士農工商の四民に別ち、而して士は皆儒道即孔孟の学を以て徳義を養成し、農商に於ても稍其高尚なる者は多く儒教を尊ひ五倫五常の道を講し、忠孝節義を以て性命よりも重しと為す、又下流社会は一般仏教を奉して因果応報の説に帰依し、是を以て稗史・小説・演劇・謡曲歌唱の属に至るまで凡て忠臣孝子・義士節婦の事蹟に非ざれば人皆之を尚はさるの風を為し習慣性を成す者今日尚存生するを以て、今や其政体変更し人文劇進すると雖ども、未だ以て奸悪害毒の風を生せさるなりと某氏之を聴き拍案悟る処ありて曰く、果して此の如くなるや玆に至て疑団初て氷解せり、然れども其儒道仏法は今尚拡張して已まさるか其固有の美風良俗は永遠存有して廃滅せざる者と為すか、恐くは漸次衰却するを免かれざるべし、若し今の時に当り旧時の教育に代り別に新教法を養ひ民心を覊束する者の興らさるよりは、弊害漸く生し悪俗随て成り、早晩欧米諸国の開明進歩と均しく利害相半するに至らむとす、憂国者宜しく注意すべきなりと、当時小子は此言を聴き頗る玩味すべき説なりと思惟せしも、前に所謂其人たる尋常の工業者に過きざれば惟一種の説話として記存せしのみ、然るに今や某氏の予言は既に実際に徴すべくして、美風良俗は年に消滅し去りて、娼疾猜悪の弊日に長し、今回小子に対する兇行の如きも是亦其一分子たるに外ならず此風漸々瀰蔓するに至れば生命財産を危険にして社会の公益を残害し其底止する処知るべからず、故に今小子は諸君と共に我同業者の徳義を養成し営業の進路を戒慎し、害毒の侵凌を防遏することに怠らずして以て我業の功用を益盛大ならしめむと欲す、願くは諸君明察諒納せられむことを、謹で答辞を呈し伏して諸君の万福を祈る(以上朗読)斯う云ふ言葉で以て答辞を致しました、是は独逸人フリンスとか申す人です、其人は三十ばかりの人で、之と同行したのは大川平三郎氏であります、此談話は別に敷演したことでもありませぬ、其通りを書列
 - 第26巻 p.154 -ページ画像 
ねましたが、最後の一言に至つては所謂百尺竿頭一歩を進めたものであつて、貴下の言ふ倫理若くは廉恥が果して今の如くに引続いて進んで往くものであるか、又日本の美風良俗が追々衰微する有様はないと信ずるか、凡そ気運の変転する際にハ、悪いことを破壊すると同時に善いことを破るのは免かれぬことである、即ち此機械とか若くは理学と云ふ様なものゝ輸入と共に、昔の哲理や何かは縦令善いことでも、古いと云ふ感想を起して、或は故老の教訓父母の誘導などと云ふものを迂遠とし野暮とし、之を廃滅することになつて、是れから成長する人の智育上に於て、進めば進む程徳義抔は今日の如き有様はない様になりハせぬか、若しさうなつて智育のみ進んで徳育が伴はぬならば、今憂ふる事柄が、是れから先き十年若くは二十年の後にはあるぞよと云ふ言葉です
併し私も其時にはまさかにさう云ふことはあるまいと思つたが、今日はどうやら世の中にさう云ふ機会が生じはせぬかと思はしむる……勿論なければ仕合せ……果してあるのを好む訳ではない、無いを好まなければならぬが、世間一般の傾が然う云ふ有様てあると老人の私が思ふばかりでなく、竜門社の青年諸子にも自から同様の感想があるであらうとおもふ、私ハ銀行者諸君と共にどうぞ商売社会の徳義を進めて此の狂瀾を未だ倒れざるに回さねばならぬと希望したのです、他の同業社員に望む尚ほ然り、況んや我竜門社員に於てハ深かく之れを望まざるを得ませぬ、私は我竜門社の青年に於ては徳義上斯く心掛けねばならぬ、修身上斯う心得なければならぬと云ふことに就いては、今夕のみならず是迄も屡々御話申した、是れからも又申すでありませう、今晩は長いことは申しませぬが、詰り此竜門社員諸氏に対して、此私が同業諸君に望んだ希望を、尚ほ強く嘱望すると云ふ訳でありますから、どうぞ諸君は宜しく御注意のある様に致したい、孟子の「恒の産なき者は恒の心なし恒の心なければ放僻邪恣至らざる所なし」と云ふ言は、多くハ事業上に係る産業を称へたか知りませぬが、私はもう一歩強く之れを論して、苟も人たるものゝ其心に堅く守る所があるのは其人の身体に資産があるのと同じである、常に一身を守ると云ふ丈は取り押へて置かなければならぬぞよ、其身の境遇は何れの地に置かうとも、決して此守る所を取遁さぬと云ふ心を持てよと云ふことであらうと思ひます、之を大きく用ゐる人もあらう、小さく用ゐる人もあらう、それは位置・才不才に依るから、其分界を何処と定めることは出来ませぬ、一升宛の飯を食へとか、十斤宛の肉を喰へとか云ふことは縦令其身体を健全にする滋養物にても常人の出来ぬことである、唯守る所を一つ持てよ、必ず守る所がなければならぬと云ふは、誰も覚悟すれば必す出来る、そうして此の守るの一字は決して停滞も食傷もせぬ安全の滋養物であります、書経に人心維危道心惟微云々とあるも即ち此の守る所を示したものである、若し守る所がないと放僻邪恣至らざる所なし、願くは竜門社員にしては、此言は必ず遺れぬと云ふことを将来の為めに御約束致したいと思ひます、今晩ハ唯誡の言で此席を降ります