デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.155-161(DK260034k) ページ画像

明治26年4月16日(1893年)

是日栄一、当社第十回春季総集会ニ出席ツ「商人ノ本分」ト題スル演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第六〇号・第二九―三五頁 明治二六年五月 ○第十回竜門社春季総集会景況(DK260034k-0001)
第26巻 p.155-157 ページ画像

竜門雑誌  第六〇号・第二九―三五頁 明治二六年五月
    ○第十回竜門社春季総集会景況
明治廿六年四月十六日竜門社春季総集会を王子村曖依村荘に開く、これより先き数日、在京及近県会員に通知したる書状は左の如し
 拝啓、来る十六日午前九時より王子曖依村荘に於て本社第十回総集会を開き、桜花爛熳の中に園遊会相催候間、御家族御同伴御来会被下度、此段御案内申上候也
  明治廿六年四月十日
                        竜門社
かくて当日ハ早天より園中の準備・会場の装飾等、諸事漸く整ひたる頃は生憎に細雨霏々として風さへ加はり、可惜桜花を散らしたり、かかる天気工合なりけれは来会者も如何あらんかと案したれとも、九時頃より追々に集い来る人は、青淵先生・同令夫人・坂谷芳郎君《(阪谷芳郎君)》・同令夫人・浅野総一郎君・同令嬢・穂積八束君・同令夫人・谷敬三君・尾高幸五郎君・朝山令夫人・星野錫君・田中栄八郎君・同令夫人・原林之助君・蘆田順三郎君・広瀬安七君・斎藤峰三郎君、其他百余名にして来賓にハ角田真平君・矢野次郎君・原田貞之助君、其他帝国大学及高等商業学校の学生諸氏等数十名なり、会場の入口には竜門舎の学生諸氏接待員として控へ居り、各員に左のプログラムを渡したり
  第十回竜門社春季総集会事目
    午前九時
      演説
                文学士 坂谷芳郎君
                    角田真平君
               法学博士 穂積陳重君
               法学博士 岡村輝彦君
                    青淵先生
                    其他
    右終て
      園遊会
       少年運動会   数番
       撃剣      十数組
      余興
       三遊亭 遊三 猫遊軒 伯知 三遊亭 円遊
    撃剣会組合人名
             福留矢太郎   村井光智
             長尾国太郎   長坂忠哉
             宮里仲太郎   渡辺楽之助
             沢崎初太郎   内藤高治
 - 第26巻 p.156 -ページ画像 
             矢田貝弥三郎  夏見又之進
             篠崎仁平    千葉之胤
             加藤寔明    後藤利直
             大里成已    兼松直廉
             崎田美実    坂部大作
             矢部庸徳    三橋鑑一郎
         得能関四郎
    木太刀形
         梶川義正
       其他好み数組
会場に入れは各国信号旗及球灯等を掛け連ね、園中各処に床机を置きたれは、三々五々各其適く所を恣にしたり、やかて演説会を開くへき時となりたれども、演者の未た来会せさる者あれはとて、先つ支那料理の午餉を喫し、右終て演説会を開き、坂谷学士・角田代議士・青淵先生等の演説ありて閉場し、雨の小止みなれば直に園遊会を催し、茶店・団子店・菓子店・すし店・酒店・煮込店・天麩羅店・田楽店等を開きて其好む所に任せ、庭の善き処に高坐を設けて円遊・伯知・遊三の三丈は、代る々々得意の艶舌を以て人の頤を解かしめたり、次に会員一同写真を採り、それより少年運動をなし、次に撃剣会を催ほしたり、撃剣場は西洋庭の中央に設けたりしに、雨降り来りたれは更に舞台に転し、十数組と好みとあり、後に宮城野信夫の茶番ありて、一同散会せしは午後六時頃なりし
 因に記す、本会へ寄附せられたるは
  一金六十円             青淵先生
  一金三円              穂積陳重君
  一金三円              坂谷芳郎君
  一金三円              渋沢篤二君
  一金三円              穂積八束君
  一金十円              浅野総一郎君
  一金五円              佐々木勇之助君
  一金五円              熊谷辰太郎君
  一金三円              谷敬三君
  一金三円              大川平三郎君
  一金三円              星野錫君
  一金三円              清水満之助君
  一金一円              加福喜一郎君
  一ビール三ダース          田中栄八郎君
 又運動会其他の諸費ヘ寄附せられたるハ
  一金五円          青淵先生   令夫人
  一金三円          穂積陳重君  令夫人
  一金三円          坂谷芳郎君  令夫人
  一金三円          穂積八束君  令夫人
  一金二円          渋沢市郎君  令夫人
  一金二円          谷敬三君   令夫人
  一金二円          大川平三郎君 令夫人
 - 第26巻 p.157 -ページ画像 
  一金一円          尾高幸五郎君 令夫人
  一金一円          大井保次郎君 令夫人
  一金一円          湯浅徳次郎君 令夫人
  一金一円          磯長得三君  令夫人
  一香竄葡萄酒一ダース    田中栄八郎君 令夫人


竜門雑誌 第六二号・第一―一二頁 明治二六年七月 ○商人の本分(於竜門社春季総会)(青淵先生演説)(DK260034k-0002)
第26巻 p.157-161 ページ画像

竜門雑誌  第六二号・第一―一二頁 明治二六年七月
    ○商人の本分(於竜門社春季総会)(青淵先生 演説)
今日の竜門社春季総会に、一場の演説を為せと云ふ社長からの依頼でござりまするが、もう大分時も後れて居りますから、余り長い御話は見合せませう、御案内の通り何時も新奇の説とか、或は又学問上御一同の心得になると云ふ様な宜い話がありませぬ、世話敷いと云ふ様な申訳で、詰り本職でないから、いつもなから、一本調子のお箱と云ふものより外申せぬのであります、今日お話しやうと云ふ題は、商人の本分と云ふことである、蓋し是等のことに属しては前々に申したことがありますから或は重複する場合もござりませうが、竜門社員の方々は総て商売人にして、商業で安心立命の地を求めるお人達であるから商売人は斯るものであると云ふことを、何度お聴きなさるのも決して無用にハなるまいと考へる、丁度先刻社長の言はれました如く、言ふも義務なり聴くも義務なりと云ふことで、暫くの間お互に義務の尽し合をしませう、私が今云ふ商売人と云ふのは、単に物を売買する者を指して云ふのでなくして、法律の言葉を以て云ふと、商法第四条の商人とお心得なさい、扨其商人の本分と云ふものは、何う云ふものであるかと云ふと、即ち之を文字上に言へば、如何なる維れ之を商人と云ふべきか、斯う云ふ問が起る、其如何なる維れ之を商人と云ふべきかと云ふ問に答ふるに就いて、何うしても言はなければならぬのが、今迄の商人の有様と、今からの商人の有様とは大変段楷の違うと云ふことを此処に概略にも説明かさなければならぬ、商売と云ふ区域も低くすると、何んなにも低くなる又之れを高くして云ふと殆ど天下は商売で治まる、国家を富強にするのは商売である、国家と云ふものは商売と云ふ実力に拠りて、生活するとも言へるだらうと思ふのです、昔日の商売の有様と云ふものは、有無を通ずると云ふ中にも、僅に日本中の国々に産する所の品物の細かい売買に属するので、極く区域の狭い範囲の低い所のものであつた、併しながら本来の商人と云ふべきは左様の商人を申すのでは無いのです、西洋各国は勿論近く英吉利とか亜米利加とか云ふ所の商売人と云ふ丈の責任もあれば権利もある、それ程の商人でなければ日本の国を維持して、大層に言へば万国と国光を共にして行くとか或は各国を凌駕するとか云ふ様なことは決して為し得られぬである、即ち商売人と云ふ者の尽す所の務、心掛ける所の思入が実に二十年以前とハ雲泥霄壌の差を為し来たと云ふことを先づ考へなければなりませぬ、商売人の位置と云ふものは、今申す通りである、扨其商売人の本分を其中にて何う尽して行つたら宜いかと云ふことに付此処に二三のお心得となるへきお話をしなければならぬことに相成るのでござります
 - 第26巻 p.158 -ページ画像 
第一に此の商売人の最も考へなければならぬのは、公益と私利と云ふものゝ差別を明かにしなければならぬと思ふ、一寸云ふと訳の無いことで雑作なく判断し得らるゝ様ですが、能く考へて見ますると時々迷ふ、殊に商業営利的の事業に就いて、此私利公益の差別と云ふものを混淆する、もうずつと昔の話で私が大蔵省に居つた時分です、或る地方で……米沢の人であつたかと覚えて居る、養蚕の事に就いて頻りに養蚕を進ませなければならぬ、製糸を改良しなければならぬ、養蚕製糸を改良するには一己人に任せて居つては行かぬ、一つの組合を立つて其組合で一つの試験事業をやらなければならぬ、去れとも斯かる国家の特産とも申すべきもので、未だ果して利益のあるものか何ふか分らぬものに力を合せ資本を投じて其事業を試むるのであるから、政府も大に之を助けてやつて宜しい、是丈の無利息貸下金を請願するとか或は安利の貸下金をして宜しいとか、いふ企望て其取次の為に県官が参つたことがあります、其時私は其人に向つて其請求を大に論破し、私利公益の区別を詳に申聴けてやつた覚があります、併しながら今日は学問も大に進み智識も追々に発達して参りましたから、今申す様な説を為す人は甚だ少なくなつたではありますけれども、即ちさう云ふ見誤りを生ずることか間々あるです、私は是に答て云ふに、お前方は大層此米沢の蚕業のことを憂いられると云ふことは感心の様に聞えるけれども若し事を代へて同じく地方で譬へて云ふならば、三陸の米穀商人が若し三陸の人が米を一切造らなかつたならば、東京の人は餓死ぬであらう、又三陸の米を一切買ふ人が無かつたならば三陸の百姓ハ米が売れずして皆腐つて仕舞ふであらう、其腐つて仕舞ふ米を買つて百姓に田地を耕させることを為し、餓死すへき東京に米を持つて行て之れを活かす、故に此米を売買すると云ふ程国家に大層な公益を与へるものは無いから、我々米屋に対して只金を貸せ、若くは安利で金を貸せと云ふたら其言葉を何と聞くか、米屋抔といふものは大変慾張つた奴で米を売て金を儲ける賤しい商売である、そんな者に対して安利の金を貸すは扨置き高い金でも貸すには及ばぬ、斯う論ずるであらう米はさう言ひながら蚕は何で国家の公益だと云ふ、国家の公益と云ふことは総てある、人力牽か車を牽くのも国家の公益である、若し此の人力車を牽かなかつたならば足で歩かなければならぬ、若し此人が足で歩く為めに其時間を費やしたならば、国家にそれ丈の損害があるだらう、或は又人力車が無い為めに其用を足し得られぬと云ふ場合があるかも知れぬ、果して人力車が無かつたならば国家の事業は退却するであらう、依て人力牽には只金を貸せ酒手を多く遣れと云ふたら誰か之を尤もとする者があらう、凡そ正経の事業は皆公益と私利とは相聯繋するものにて、私利は即公益、公益は即私利といふへきものなり、其公益とならざる私利と云ふものは賭博か泥坊である、然らざる以上は皆公益と申して宜しいのであるから、此公益と私利を混淆して今云ふ如き考を以て通常の営業に対して国家の公益だと云ふことは抑も誤つた話である、又前の論理を反対して、各人其執り居る一身の事業を単に一己の慾得ばかりてやつて居るものと思ふも比しく誤謬の甚しきものてある、総して国家の公益を誤ると同時に一己の私利を大変賤し
 - 第26巻 p.159 -ページ画像 
いものであると誤解する、是も丁度古くから日本の国に凝り固まつたる慣習である、或は自分の利益以外に学術上の発明を為すとか、或は公益の為めに或る学校を建てるとか、或は慈恵医院を建てるとか、云ふ如き事柄を以ては、単に営利に拘はらぬ公益と云ふものも無いのではない、併し是は或る場合の取除けで、今日の生計に属する事柄は総て私利公益一つである、公益は即ち私利、私利能く公益を生ず、私利から出た公益でなければ役に立たない、公益となるべき程の私利でなければ真の私利とは言へぬのである、又公益たるべきものは果して其一家一家の其従事する者までも併せて補益すべきものである、兎角誤り易いものですから、今の学問の進んだ世の中に於ては、竜門社員諸子抔は思違はありますまいけれども、甚だしきは公益の見誤りから、我務むる業体我働く生計が甚だ卑しきものだと云ふ様な考を惹起して唯営利に汲々として居るものであると云ふ卑屈心を生せぬ様に、此公益私利の別を明晰して置くのでござります
もう一つお話しなければならぬのは、商人の本分を尽して行くには、今日では実際と学問の応用を益々進めて行くと云ふより外ありませぬです、嘗ても此竜門社の総会に実業と学問の関係と云ふ題で一場の演説を致しました覚がありますが、詰りそれを重複するに過ぎぬのであるが、御覧なさい、此程時事新報の社説に多分福沢先生の筆でありませう、実業論と云ふものを出して編を重ねて論しましたが、老生の見解と少しも違はぬ、今迄の商売人の有様は斯様斯様であつた、丁度見世番頭或は丁稚から段々に成り上る、といふ振合を精はしく書き、又維新後の有様は斯うなつて居る、是から先きは斯うならなけれはならぬと云ふ、即ち第二世の商人になる者を、丁度今日此処に御列席になつた竜門社員の如き人達を目的として論が立てられて居る、されは福沢先生の如き学者も又聊か実際に経歴せし老生の如きも共にこれを望む、のみならず是は殆ど世の中の確なる道理と見ても大なる間違はなからうと思ふ、併し此学問と実際を程宜く密着して、益それを進めて行くと云ふことは余程難いことです、一寸口では言へるが事実にそれ丈の効能を見ると云ふことは、即ち其人達の厚い考、強い務でなければ為し遂げることが出来ぬ、何ぜ其様に学問が要るかと云ふと凡そ一つの事物でも学理と云ふものに依らぬでは割出すことが出来ぬ、或は金融の事を論じやうが、或は運送の道を説かうが、或は工業の得失を観察しやうが、総て根拠とする所は此学問と云ふものに依らなければ決して其事業の真正なる道理な見ることは出来ぬ、去らば学問ばかりで往くか、決して学問ばかりでは行かぬ、今朝も丁度セメントに就いて時事新報が頻りに講じて居りましたが一体セメントの性質は何う云ふ訳のものである、何う云ふ訳の作用で出来ると云ふても、その事業を達するのには学者丈では果して立派な工事を為し得るか、此席上には浅野君も参会されてありますからセメントのことを老生がお話するはちとお恥かしい位のことでござりますが、果して此事業を練磨して行く間の工場の経済と云ふものも其工業を成し遂げしむるの大なる助である、大なる助と云ふよりは、寧ろ本であるとも言はなければならぬ、之を要するに学問と実際を共に進めて行くと云ふことでなければ
 - 第26巻 p.160 -ページ画像 
決して商売なり工業なり若くは運送なり鉱山なり、前に申す商法第四条の商人と云ふ者の真の進を計るには、両様何うしても必要欠くべからざるものである
又もう一つは此商人は責任が重い為に尚更考へて行かなければならぬのが徳義でござります、誤つた言葉に商売人ハ嘘で固まると云ふ、ことがあります、実に是は大なる間違、情ない有様で涙が溢れる様に思はれます、然るに是は商人の当り前の言葉だと云ふ様に、人にも言はれますし、商人自身も又さう思ふて居るは実に歎息に堪へませぬ、元来嘘と掛引とはまるで違ひます、商人の秘事商事の機密と云ふものを嘘と同様にされて居るのは大変な間違であります、所が前に申す通り糶呉服か小間者商見《(物)》た様な商人より成立つて居るものだから、それが風習になつて遂に商人と云ふ者は嘘で固まるとか、商人は嘘を以て一つの資本にするとか云ふ様な情ない言葉が、此商売社会に行ハれ各自身も皆それに安じて居る、全体商人は何で成り立つものでありませう信用の本は何でありませうか、商人に信用がなくて商売が出来ませうか、信用と云ふのは嘘をつくのであると言つたならバ殆ど辻褄の合はない話で、日輪が夜る出ると云ふのと同じ様な話になりませう、総して商人と云ふ者は、信用と云ふものが根源だと云ふ言葉を推広めて論ずるならば、商売人の徳義と云ふものは、何にしても今日より尚ほ二層も三層も五層も高めて行くと云ふことは、吾人共に商売に従事する者が平常心懸けなければならぬことゝ考へる、若も此徳義が追々に衰へて行く様になつたならば、殆ど商売と云ふものは成立たない、頽廃して仕舞うものと申さなければなりますまいと思ふ、それ故に此商売人と云ふ者が、信用と云ふものを尚ほ拡張すると云ふことゝ、学問と事業とを共に進めると云ふことに、厚く心懸けなければならぬと思ひます
尚ほ此外に商人が事に当つて詳細に其事実を悉す事を心掛けねはならぬとか、又事を起す時に慎重に其道理を調査せねはならぬものであるとか、事を起した時には必ずやり遂げなければならぬとか、又能く我力を量り其物を量つて身の処置を為して行かなけれはならぬと申す様な修身上に就いても、お話申すことが数々ござりますが、前に申しました三要件抔は別して能くお心得なさらなければならぬことゝ考へる詰る所商人の本分が本当に立つ様になつたならば、日本の国ハ外国と併立することも出来ませう、若し又商人の本分が今老生の申す如くになり得られぬならは政治家が如何様にお騒ぎなすつても、国務大臣か倒さに転倒つても日本は何時も貧乏国を免かれませぬぞ、条約改正も何も出来ませぬぞ、然るときは我々商人の力に依らなければ日本の国を盛にして行くことも出来ないのである、詰り政府のお役人でも国会議員でも皆我々の実力に依つて立つものである、恰も彼等は影の様なもので、皆我々の反照によつて余光を増すものである、されは平日国務大臣や国会議員を軽蔑しても宜しいと云ふのじやない、相当の礼を以て尊敬しなければならぬが、我々の思入はさう覚悟しなければならぬと考て居る、竜門社員も一同にさう思ふてもらいたい、藤田東湖の正気の歌に凝而為百錬鉄、発而為万朶桜といふ句かありましたが諸君
 - 第26巻 p.161 -ページ画像 
の正気も何卒さう云ふ様にありたい、人間の名誉は学術とか政治とか云ふものに悉く取られて仕舞つて、商人は嘘で固まつたものである、鄙劣至極なるものてある、と評論されるのはなんと残念千万てはありませぬか、竜門社員の方々も思想を固めるには凝而為百錬鉄、又翻つて事を為し遂げる時には発而為万朶桜と云ふ様に致したい、是から御一緒に庭中の桜を見て其鋭気を養ふとしませう(拍手)