デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.163-168(DK260036k) ページ画像

明治27年4月29日(1894年)

是日栄一、当社第十二回春季総集会ニ出席シ「竜門社員ニ望ム」ト題スル演説ヲナシ、又、九月ノ月次会ニ出席ス。


■資料

竜門雑誌 第七二号・第四〇―四六頁 明治二七年五月 ○竜門社春季総集会の記(DK260036k-0001)
第26巻 p.163-165 ページ画像

竜門雑誌  第七二号・第四〇―四六頁 明治二七年五月
    ○竜門社春季総集会の記
明治廿七年四月廿九日王子曖依村荘に於て竜門社春季総集会を開く、之より先き数日、在京及近県の社員に報して曰く
 謹啓、春和の候に御座候処、益御清祥奉欣喜候、陳は本社春季総集会の義来る二十九日午前九時より王子曖依村荘に於て開会いたし、諸大家の演説を請ひ、引続き園遊会を催ほし、面白き余興等有之候間、御家族御同伴御来会被下度、此段御案内申上候 草々拝具
  明治廿七年四月廿三日            竜門社
かくて委員は専ら其準備に従事し、当日は門前に第十二回竜門社春季総集会と大書したる建札をなし、門には国旗を交叉し球灯を左右に連ね、園の入口には同総集会々場といふ案内札を設け、園中四方には各国信号旗及球灯を懸け連ね、円庭の中央には撃剣場を作り、又各処に掛茶屋・小休所等を設け、竜門塾の諸君は凡て十数名接待員として各其受持を定め来会者を待受けたり、午前九時より続々来会するものは渋沢社長を始め青淵先生・同令夫人・令息・令嬢・穂積陳重君・同令夫人・令息・令嬢・阪谷芳郎君・同北堂・令夫人・令息・令嬢・尾高惇忠君・同令夫人・穂積八束君・同令夫人・浅野総一郎君・同令息・令嬢・谷敬三君・同令息・佐々木勇之助君・佐々木慎思郎君・大川修三君・大川平三郎君・同令夫人・田中栄八郎君・同令夫人・令嬢・笹瀬元明君・星野錫君・朝倉外茂鉄君・山中譲三君・萩原源太郎君・清水貞吉君《(清水釘吉君)》・原林之助君・村井清君・尾高幸五郎君・土岐僙君・布施藤平君・水野錬太郎君・西園寺亀次郎君・佐々木清麿君・斎藤峰三郎君其他二百八十余名の会員にして、客員には角田真平君・大橋新太郎君坪谷善四郎君・吾妻健三郎君・堀井卯之助君、及帝国大学・高等商業学校の学生諸君等数十名なり、来会者には都て左のプログラムを渡し
  午前九時
      開会
  午前十時
      演説
  右終て
      園遊会
 - 第26巻 p.164 -ページ画像 
      少年運動会
      撃剣
                落語茶番  三遊連
                講談    伊藤痴遊
      余興
                琵琶    山下利助
                音楽    少年音楽隊
園中随意の逍遥に任す、此間奏楽あり、十時過る頃より会堂に於て演説会を開き
  開会の辞           社長 渋沢篤二君
                文学士 阪谷芳郎君
  名古屋土産             布施藤平君
  朝鮮のお祭             土岐僙君
                    青淵先生
順序に演し終り、喝采の内に場を閉づ、之れより例の支那料理にて午餉を饗し、各処の店舗を一時に開く、おでん・天麩羅・煮込・甘酒・団子・菓子・すし・酒・ビール・茶何れも随意の求めに応す、暫くして再び会堂にて痴遊の講談、円遊の落語、遊三・花遊のステヽコ、三遊一座の茶番へご作住家の段等を演し、更に円庭に移り少年の競走運動数番あり、次て撃剣を催す
    ○三本勝負  六番
    ○野試合   両負
    ○飛入三本一回勝負
    ○好試合   二番
此間会員一同採影す
    ○野試合   赤勝
次に山下利助は薩摩琵琶数曲を奏し、終て散会す、時に午後六時なり又本会へ金円物品を寄附せられたる諸君は左の如し
  金七拾五円             青淵先生
  金五円               同令夫人
  金拾円               浅野総一郎君
  金五円               渋沢篤二君
  金五円               佐々木勇之助君
  金五円               熊谷辰太郎君
  金五円               谷敬三君
  金三円               穂積陳重君
  金三円               同令夫人
  金三円               阪谷芳郎君
  金三円               同令夫人
  金三円               穂積八束君
  金三円               同令夫人
  金三円               大川平三郎君
  金弐円               同令夫人
  金三円               田中栄八郎君
  金弐円               同令夫人
 - 第26巻 p.165 -ページ画像 
  金三円               西園寺公毅君
  金三円               笹瀬元明君
  金三円               福岡健一郎君
  金三円               星野錫君
  金三円               佐々木慎思郎君
  金三円               朝倉外茂鉄君
  金三円               清水満之助君
  金弐円               清水釘吉君
  金弐円               尾高惇忠君令夫人
  金弐円               渋沢市郎君令夫人
  金弐円               磯長得三君令夫人
  金壱円               尾高幸五郎君令夫人
  金壱円               大井保次郎君令夫人
  金壱円               朝山義六君令夫人
  金壱円               加福喜一郎君
  金壱円               西園寺亀次郎君
  金壱円               村井清君
  麦酒金ダース            三俣盛一君
      以上


竜門雑誌 第七六号・第一―八頁 明治二七年九月 ○竜門社員に望む(青淵先生演説)(DK260036k-0002)
第26巻 p.165-168 ページ画像

竜門雑誌  第七六号・第一―八頁 明治二七年九月
    ○竜門社員に望む (青淵先生 演説)
第十二回の竜門社総会に就て、私にも一言を諸君に呈するやうにと云ふ社長及幹事の嘱托でございます、私が玆に申上けやうと思ふことは竜門社諸君に属するの希望、即ち竜門社員に望むと云ふことを申さうと思ふのでございます、此会の成立は先刻阪谷氏から、既に十二回に及ひ、六年を経過し、其起りは明治十九年若くは二十年頃であつたと云ふ、簡単な歴史も申述べられたやうでしたが、実に偶然な成立で追追盛大に相成つて、今日は我日本の経済社会の或一部分の勢力を保有し得ると諸君も御信じなさるであらう、私も左様認めて誠に慶賀に堪へぬのでございます、此起りは詰まり日本の商工業の発動より生れ出たものでございます、其発動の……機運に薫陶されて追々成長して行くのであります、例へは僅かの水でも泉源竭きざれば、遂に大河を成し、一寸芽生へた一本の樹も培養が宜ければ大樹になると云ふやうなものでございます、又大きく目を注いて見ると、我竜門社の発達と共に、此十四・五年間の日本の商売の進歩は、大に喜ぶべきことが多いと申されるやうです、斯々る場合でございますから竜門社諸士が此経済社会に対して、行末どう云う考を持たねばならぬと云ふことに就いては、大に心を用ひて行かなければならぬと私は考へる、私は常に申して居ります、日本の商売と云ふものは維新の前までは殆ど商売として見られる有様でなかつた、僅か二十年の間に全然其面目を改めたるは商工業者の勇敢精励の効である、左りながら此発達は、総て政治的に引立てられて居ると云ふことは免れぬのです、商売自身が発達したと云ふよりは、政治の誘導を以て商売が進んだと云ふ事実である、自
 - 第26巻 p.166 -ページ画像 
動でなくて他動であると云ふことを諸君は能く考へなければならない果して他動のものとせば目前は繁昌して行くやうなものゝ、尚ほ鉢植の樹のやうな恐れがありますから、少し培養の悪るいと云ふやうな為めに、思ひの外に凋衰することがないとは申されぬものである、其証拠は、全体日本人と云ふものは、英語のハドリウト――愛国心が余程強い、又団結の力も万更ないではない、併し国家的観念と云ふものは日本人の思想では唯た政事上に於てのみあると申しても宜い有様である、商売人が生マ中、国家的観念と云ふやうなことを口にすれば、大方身代限をするであらうと云ふ誹謗は今日は免れぬのである、此鉢植の商売社会で、御互に此国をして、真正なる商業国としやうと思ふには、竜門社員の将来の希望と云ふものは、甚た気強くなければならぬと云ふことを考へなければならない、翻つて現今の日本の商売の有様を見るに、それそれの機関の組立は先つ整ふたと云ふて宜いです、先つ己れの本業から申上けても欧羅巴・亜米利加と比較は出来ませぬが銀行の事業は当坐預りの仕組も、割引の仕組も稍々形は出来た、又外国の為換事業もさうである、それから昔は千石船に云ふと大層大きな船であつたが、今日は何千噸と云ふ船を航漕する場合に至つて居る、又荷車を挽いて居たのが、鉄道が出来て既に二千哩に近いと云ふまでに進み、海外に向つて貿易を開くと云ふことも、其端緒を啓いて居る斯様に算へて見ると喜ぶべき有様に見へるが、併し此御一新後十四・五年若くは二十年の間の経過は、丁度先刻布施君が名古屋人に就て、兎角保守の念が強いと言はれたが、全国の商工業者にも亦た免れぬ話しであつて、種々の事業に就ても今日は其端緒を開いた迄にて誠に微微として、見るに堪へぬ有様と申しても宜からうと思ふのです、日本の国を将来相当の国柄にしやう、商工業に就いて外国と対比するやうにしやうと云ふならば、今日少しく進んで来たと言つて、之を以て満足する場合ではなかろうと思ふ、併し今まで成行いた跡を見ると……然らしむる訳もあり、又却つてそれが宜しかつたかも知れない、総て事業は初めに過つと云ふことは決して喜ふべきことでない、もしも初歩に一着を過つときは進んで行くことが出来ない、去りながら此後我日本の商業をして此位で安心して居らうに云ふならばいざ知らず、更に進んで……朝鮮と言つたら悪るい……、国と云ふ観念を持つて、欧米と対比しやうと云ふ考へになるならば、どうしても此姿では行けないと思ふ、如何にして宜いか、即ち進んで取る考へで自分の力を以て商売を開かねはならぬ、或は殖民地を拵へるも宜い、亜米利加辺には進んで見世を出し、或は亜米利加の工業を日本人がやると云ふ位にならねば迚も行かない、又或は製造品の如きも紡績糸抔は、亜米利加なり印度なりで綿を買つて、之が日本の物だと云ふ位にして支那地方へ売り出す程にならなければ、迚も欧羅巴と対比することは出来ない、故に今日の商売と云ふものは、決して土台の据つたものでないと云ふことは、諸君も能く御記臆がなければならない、そこで此竜門社諸君に望むには、商売の位地は今日の所は前に申述べる通り、又後の希望は即ち今述べました如くで、日本をして欧米と同一の地位を保たせやうと云ふことは、勿論希望しなければならぬ、又御互にやり抜けなけ
 - 第26巻 p.167 -ページ画像 
ればならない、我々の企望は斯の如く広大にして、我々商業者の地位志操は未た其度に達せぬに付ては、竜門社諸君は飽迄も其気力を逞ふし、請ふ隗より始めよと云ふ勇気を出さねはならぬと私は考へる、幸に是から竜門社から有為な人も出て来ると同時に、此竜門社と云ふ一の団体が大に世の中に現れるやうに、諸君に希望したいと思ふ、即ち国家的観念を以て、日本の商売を欧米と相競ふには此位の気象は持たねばならない、諸君は前に述る所の観念を以て、往々竜門社風と云ふ一種の気風を拵へる位の御見識がなければ、今の希望を将来に達することは私は出来まいと思ふ、即ち今日の位地、将来の希望、及ひ之に対する竜門社員の心は、斯くありたいと云ふことを玆に申述べて置くのでございます、進んで尚ほ青年諸子に一言教訓の言葉を申述べて置きたい、即ち才と徳の弁――才徳の区別及ひ其働きでございます、凡そ世の中の事を処するに就ては、政治であれ学問であれ、商工業は勿論のこと才と云ふものがなければ、決して世の事物を工合能くやつて行けるものではない、実に才は貴いものである、併し此才と云ふものには悪名が付いてある、小才子・チヨコ才……余り宜い方ではない、勿論愚鈍と云ふ方ではない、怜悧に働くけれども浮薄である、心術が明かでない、或はずつと先きが見へぬと云ふやうな類を称してチヨコ才と唱へる、併し此才と云ふものは、多く己れから働き掛つて行くものに形容されて居る文字である、徳と云ふものはさうでない、徳は其生れ立を評するやうな言葉になる、人間は決して今申すチヨコ才若くは小才子と云ふことは甚た好ましくない、併し徳望若くは道徳とか徳義と云ふ方のことのみで、若し此働きの才、智恵と云ふものが完全しなかつたならば、其徳は決して徳と称し得られぬと云ふことを能く記臆せねばならない、即ち徳と云ふものが其全きを為すのは、徳に依らすして寧ろ才に依る、才徳の区別は、余程翫味せねばならぬものである、而して自分の心で、才徳の適合を量ると云ふことが甚だ肝腎である、己れの心掛はどの辺に居るか、己れの働きはどの辺に居るかと云ふことである、人として所謂自惚と云ふものは誰も免れぬものであるが、其分量を見分けると云ふことを常に心掛けて、其才徳の程好く進んで行くやうにしなければならない、将来に望み多い所の此商売社会に於て、国家を富強にせしめやう、文物を盛んにして行かうと云ふには……、政治家も軍人も我々が働かせる人間である、我々が原素であるから、彼等に我々の力を拵へて貰はうとは決して思はない、果して我々商工業が隆盛なる国家を是から造出すと云ふ気力でやるならば、商人が国家の観念があるのないのと云ふことは抑も間違つた話で、国家観念抔と云ふことは朝飯前である、それでなくて何になりませう、即ち一挙一動―一の商売、一の事業、皆な国家を富ますと云ふ趣意から行かねばならないのである、故に此希望の多い世の中に於て、私は此竜門社諸子をして、どうぞ才徳兼備ならしめたいと厚く望むのであります、竜門社諸子の将来は甚た望み多い、又竜門社諸子は此望み多きときに於て才徳兼備の人とならなければならない、いつもながら自分の不能なるにも拘らず、教訓の言葉を以て諸子に告くるも、平生自分の希望の篤きによりて衷情禁する能はさる為めなれは、竜門社諸子
 - 第26巻 p.168 -ページ画像 
も此希望を容れて、竜門社の希望として下さるであらうと信じます故に、此一言を為しましたのでございます(大喝采)


竜門雑誌 第七七号・第二六―二七頁 明治二七年一〇月 ○九月の月次会(DK260036k-0003)
第26巻 p.168 ページ画像

竜門雑誌  第七七号・第二六―二七頁 明治二七年一〇月
○九月の月次会 は其廿二日午後六時より兜町渋沢邸に開会したり、会するもの社長を始め青淵先生・尾高惇忠君・朝倉外茂鉄君其他数十名にて、客員には角田真平君・志田鉀太郎君及帝国大学・高等商業学校等の学生諸氏十数名なり、社長は開会の辞を述へ、次に斎藤峰三郎君(兵と商)・桃井健吾君(古代の商業)・志田鉀太郎郎君(兵学と商学)・朝倉外茂鉄君(那翁の伝を読む)・角田真平君(征清戦争に就て実業者之用意)・尾高惇忠君(経済)等の演説あり、終て社長か丹精を凝らしたる幻灯の余興あり、成歓・牙山の戦況及び日本帝国軍艦並に支那軍艦、又は朝鮮人の風俗等は時節柄尤も喝采を得たり、其他内地名勝の景色等も極めて鮮明に出来たり、右終りて例の通り食堂に於て茶菓の饗あり、散会は午後十一時過る頃なりき