デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.213-228(DK260043k) ページ画像

明治30年10月17日(1897年)

是日栄一、当社第十九回秋季総集会ニ出席シ「経済界ノ三疑問」ト題スル演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第一一四号・第三七―四〇頁 明治三〇年一一月 ○竜門社第十九回秋季総集会記事(DK260043k-0001)
第26巻 p.213-216 ページ画像

竜門雑誌  第一一四号・第三七―四〇頁 明治三〇年一一月
    ○竜門社第十九回秋季総集会記事
明治三十年十月十七日、我竜門社第十九回総集会を王子曖依村荘に開く、時はこれ小春の好季節、処はこれ幽邃の一仙境、恰も善し当日天気晴朗風塵揚らず真に集遊の良日なり、況や伊藤侯爵閣下を聘して一場の演説を乞ふと云ふに於ておや、宜なる哉、午前九時開会の時刻に先ちて既に早く来賓並に社員諸君は或は車を飛し或は杖を伴とし、陸続来会せられ、午前十時の頃には既に四百余名に達しぬ、蓋し未曾有の盛会なりとす、偖総集会は午前十一時伊藤侯の来着を以つて荘内の広間に於て開かれぬ、先つ渋沢社長は起て開会の辞を述られ、竜門社か年一年に隆盛の域に赴きつゝあるの状況を報し、併せて今回更に倶楽部日を設けたれば、会員諸君が充分に之れを利用して益々親睦を温められんことを望まれたり、社長壇を下れば喝采の声は添田寿一君を演壇に導きぬ、同君は明快の弁を以て「国勢及ひ国是」なる演題を講せられ、商工業立国の方針は我邦の国是たらざる可らず、総ての政策あらゆる手段は之を中心として算出せざる可らずと叫破せられ、抱負濶大、気焔万丈当る可らさるの慨あり、我社員を啓発したること少々なりとせず、同君の演説終るや続て演壇に現はれたるは、総社員満腔の熱情を以て敬愛する我青淵先生なり、先生は三個の疑問を掲け来られ、即ち現今の政費は国力に比して過大に失せさるや否や、外資輸入の得失、通貨の多寡、この三疑問は啻に我社員の慎重なる攻究を必要とするのみならず、我経済界のため、学者たり識者たるものゝ大に考慮を煩はさゞる可らざるものなりと述られたり、先生この言をなすや諄々として、説を粛々として弁せられ、深く聴く者の感を惹けり、社員たるもの豈先生の提出せられたる三問に対して、深く思を回らさゞる可んや、先生の演説終るや大々的喝采の中に伊藤侯爵閣下は徐々に椅子を離れ演壇に上られたり、侯爵流暢の弁を以て説き去り説き来り滔々数万言、満堂之れ傾聴して恰も人なきか如し、談は数岐に分れ論は内外に渉り、縷々として尽きざること糸の如し、其演説に至りては請ふ之を我誌上の論説欄に徴せられよ、侯爵の演説終れば正に午後二時是に於て来会者に支那料理の午餐を供し、これより直ちに園遊会に移れり、彼処に甘酒屋あれば此所におでん屋あり、前に天麩羅店あれば後に寿司屋あり、上なる菓子屋は下なる煎茶店と相対応し、店頭御客を以て充満し、忽ちの中に売切れとなる、其盛況目下物価騰貴の時節に不似合の事と云ふべし、余興には柳川一蝶斎の日本手品、三遊亭円遊の落語、市川粂八一座の演戯あり、前なる者は児的にして巧妙児童を楽ましめ、中なる者は男的にして滑稽百出、人の頤を解き、殊に
 - 第26巻 p.214 -ページ画像 
伊藤侯の口吻に仮ねて軽弁を弄ひたるときには大喝采を博したりき、後なる者は女的にして艶麗妙舞人目を眩したり、委員諸氏が余興の配合に迄しかく注意したるの労、実に多とすべし、斯くて一同歓を極め楽を尽して散会に告けたるは晩鴉塒に急くの午後五時半の頃なりき
此日来会者の重なる人々は、青淵先生・同令夫人・阪谷芳郎君・同令夫人・尾高惇忠君・同令夫人・大倉喜八郎君・島田三郎君・中野武営君・田口卯吉君・添田寿一君・穂積八束君・土子金四郎君・矢野二郎君・佐々木慎思郎君・佐々木勇之助君・皆川四郎君・佐々木和亮君・角田真平君・横山孫一郎君・成瀬隆蔵君・渋沢喜作君・渋沢作太郎君木村清四郎君・江南哲夫君・大川平三郎君・星野錫君・谷敬三君・田中栄八郎君・浦田治平君・和田格太郎君・福岡健良君・朝山義六君・山中譲三君・猿渡常安君・白石元治郎君・堀井卯之助君・清水釘吉君原林之助君・田中元三郎君・笹瀬元明君・阪田丈平君・朝倉外茂鉄君津田束君・山田昌邦君・早速鎮蔵君・土肥脩栄君・石川卯一郎君・竹田政智君・蘆田順三郎君・坪谷善四郎君・萩原源太郎君・野崎広太君等無慮四百余名にして、来賓には侯爵伊藤博文君・仏人アルバート・カン、ユルカン・イーカン等の諸氏なり、其中アルバート・カン氏は仏国の富豪、遠来の珍客にして、駕をこゝに抂けて本会に一光彩を添へられたるは本会の感謝に堪へさる所なり、又左の諸氏は特に本会のために物品金員を寄贈せられたり、本会はここに之を記して深く鳴謝の意を表す
  一金二百七十円          青淵先生
  一金十円             同令夫人
  一金三十円            渋沢篤二君
  一金七円             同令夫人
  一金十円             穂積陳重君
  一金五円             同令夫人
  一金十円             阪谷芳郎君
  一金五円             同令夫人
  一金十五円            大倉喜八郎君
  一金十五円            浅野総一郎君
  一金十円             大川平三郎君
  一金五円             同令夫人
  一金十円             佐々木慎思郎君
  一金十円             佐々木勇之助君
  一金十円             谷敬三君
  一金十円             清水満之助君
  一金七円             尾高惇忠君
  一金三円             同令夫人
  一金七円             藤山雷太君
  一金三円             同令夫人
  一金七円             田中栄八郎君
  一金三円             同令夫人
  一金五円             穂積八束君
 - 第26巻 p.215 -ページ画像 
  一金五円             同令夫人
  一金五円             福岡健良君
  一金三円             同令夫人
  一金七円             星野錫君
  一金五円             渋沢市郎君令夫人
  一金五円             横山孫一郎君
  一金五円             木村清四郎君
  一金五円             佐々木和亮君
  一金五円             田中元三郎君
  一金五円             笹瀬元明君
  一金五円             白石元治郎君
  一金五円             山田昌邦君
  一金五円             竹田政智君
  一金五円             清水釘吉君
  一金五円             三俣盛一君
  一金五円             内海三貞君
  一金三円             皆川四郎君
  一金三円             成瀬隆蔵君
  一金三円             朝山義六君
  一金三円             猿渡常安君
  一金三円             朝倉外茂鉄君
  一金三円             神谷義雄君
  一金三円             原林之助君
  一金三円             早速鎮蔵君
  一金三円             山口荘吉君
  一金三円             八巻道成君
  一金三円             野崎広太君
  一金三円             諸井恒平君
  一金三円             諸井時三郎君
  一金三円             布施藤平君
  一金三円             尾高幸五郎君令夫人
  一金三円             磯長令夫人
  一金二円             蘆田順三郎君
  一金二円             本山七郎兵衛君
  一金二円             萩原源太郎君
  一金二円             山中譲三君
  一金二円             津田速君《(津田束君)》
  一金二円             荒木民三郎君
  一金二円             斎藤平太郎君
  一金二円             土肥修策君
  一金二円             青木孝君
  一金二円             鈴本徳次郎君
  一金二円             坂倉清四郎君
  一金二円             尾高次郎君令夫人
 - 第26巻 p.216 -ページ画像 
  一金二円             鈴木金平君
  一金二円             高山信爾君


竜門雑誌 第一一八号・第一―五頁 明治三一年三月 経済界之三疑問(青淵先生)(DK260043k-0002)
第26巻 p.216-218 ページ画像

竜門雑誌  第一一八号・第一―五頁 明治三一年三月
    経済界之三疑問 (青淵先生)
○上略
今日竜門社秋季の総会を開くに当りまして、私は会員諸君と共に大に喜ぶことがあります、此会の起り始めましたのは、明治二十一年十月の今日であつたと思ひますから、最早十年の歳月を経て漸く成長したものと云つても宜からう、然るに今日に於ては幸に伊藤侯爵の如き名誉ある方の尊臨を得ると云ひ、又一方には仏国豪商アルベルト・カン氏の一行我邦に来遊の機会を以て此所に臨場せられたと云ふ事柄であります、殊に兎角に雨勝の時期にも拘らず、幸に好天美日を得たのは是も一の幸福の中に算入せられるものであります、夫れ故に客員諸君に於ても平日来会せぬ方々までも盛んに臨場せられましたのは、会員諸氏一同も定めて満足に存ずるでございませう、私も甚だ之を悦ぶのであります、斯様に竜門社が年と共に進んで参りますのは、会員の人達が孜々勉強される功績にして、其初めに涓滴の如く流れ出した水が十年の月日を経て、遂に一の江河と成り、巨船大舶を泛べると云ふ程の場合に至つたのは経済社会に於て大に喜ぶべきことと考へます、偖て左様に此会が世の中に名誉を負ふと同時に、併せて責任が来ると云ふことを会員諸子に考へて貰ひたいと思ふのです、其責任と云ふのは即ち此会員が経済社会に対して如何なる意見を有し、如何なる働きを為すかと云ふことである、初め名もなき時のことならば思慮もなくて宜からう、分別もなくて宜からう、併ながら聊か人に見られるやうになつたならば、相当な思慮分別がなくてはならない、即ち今添田君が国として方針がなければならぬ、又其方針は間違ふてはならぬと言はれたが、国家固より然り、此会も亦然らざるを得ぬであらうと思ふのです、依て私は会員諸氏に経済上の現象に就て、或は方針ともなるべく、又は研究の材料ともなるべき二三の要件を申述べて、能く御攻究を請ひたいと思ひます、否な会員諸君のみの攻究を請ふのでございませぬ、幸に尊臨せられた侯爵閣下、及び大方の諸君にも共に御攻究を願ひたいと思ふので有ます
経済社会の現状に就て、私が今玆に申述べやうと云ふ事柄は多々ございますが、之を約せば三ツの要件であります
 第一今日の政費の程度は商工業の実力に照して如何なる度合であるか、相当を得て居るか、或は過当と云ふまでに立至つて居らぬかと云ふのであります
凡そ国家が一日増しに進むと云ふことは何れの国もさうあるべき筈のものであらうと思ふ、併し我日本の如きは一層激しき進度を有つて居る――三十年以前の御一新が従来の旧慣を皆な打摧いて、一瀉千里の勢を以て政治上に経済上に総て進歩し来つた、故に世人が望む所のものは何時も其実力に超過すると云ふことは、進む場合に於ての常態である、例へば小児が能く走る時分には必ず其頭が先になつて中心を失
 - 第26巻 p.217 -ページ画像 
ふ故に悪るくすると躓くと云ふことがある、然るに此両三年戦争の結果からして、其望む所のものと進む所の勢が強きに過きたと云ふことは、事実に於て諸君も御承知の通りである、併し若し其程度が国の富の即ち農工商業の実力に超過して其権衡を誤つたならば、恰も小児の走る時に中心を失ふ如き弊害を其国の全体に来さないとは断言が出来ぬであらうと思ふ、此事に就いては私は一昨年竜門社の会に於て度々申して居るのではあります、既に千八百七十二三年独逸の事柄抔を例証として申したこともございました、又竜門社以外にも当春貨幣制度改正のことに就て、松方総理大臣と近衛公爵の御邸に会合致した時にも此疑を申述べたことがございました、故に今日始めて申述べることではない、去りながら其以来熟々考へて見まするに、私の所存ではどうも国の実力から比較すると、今の政費の程度と云ふものは少し過大である、当を失て居ると云ふ疑があるのではあります、仮りに一二外国との比例を取調べて見ましたから申述べますが、大に其割合が違ふのであります、但し是は一つの例であるからして、渋沢の浅薄な考から間違つて居ると或は言はれるかも知れませぬ、けれども其疑は私は解くことが出来ない、例へは輸出入の総計と歳出の総計とを日本と他の国とを較べて見ますると、日本は二十九年度に於て貿易の輸出入総額に対して、歳出入の割合が六割七分になつて居る、即ち十に対して六、七と云ふものである、然るに英吉利は殆と百分の九――一割にならない、独逸はいくらかと云ふと一割六分、仏蘭西は三割六分になつて居る、唯た輸出入の合計と歳出の総高とを以て全体の標準とする訳にはなりますまいが、他に真の国力と云ふものを見出す材料のございませぬ為めに、仮りに一の例を以て比較して見ても、今の通りの相違をなして居る、故に自分の考へる所ではどうも此程度は、果して其宜しきを得たものであるとは申兼ねる、即ち其度が超へて居ると云ふことは、殆と疑ふへからざるものではないかとまで思ふのであります、若し果して私の卑見が事実であつたならば、或は此不生産的の政費の為めに、国の商工業を大に衰頽せしむると云ふことがなきを保つ訳には参りますまい、果して然らば今添田君の述べられた、此日本の国是が事実には行はれて居るとは言はれぬのであります、故に此点に就ては商工業要地に居る竜門社の会員は熟々考へ篤と調べて、如何にも左様と考へたならば、我々の主とする工業商業に就て、国家の政策が誤て居ると云ふことを論する丈けの、地位を有つて居るものと言つても宜からうと考へる、否な自分達が言はいでも又言ふべき機会が沢山あるでありませう、是が私の経済社会に於て最も懸念し最も論究して見たいと云ふ一項でございます、次に此経済社会には今の憂があるけれども
 第二、一方に日本の商工業を愈々益々進歩せしめて行きたいと云ふ希望を達するには、全体此国柄て己れの資本にのみ依頼し他の力を藉らず進め得られる度合であるかと云ふことを攻究したい
前に申す通り、事物はどこまでも進むと云ふことは人類の常である、其進むを望むに就ては、例へば或事業或る事柄に就ても、力の為し得られる限りは総て進む方に傾いて来るけれども、場合によりては資力
 - 第26巻 p.218 -ページ画像 
が足らない為めに、挫折すると云ふことは経済社会に偶々あることである、殊に今日は左様な時機に遭遇して居ると云ふて宜からうと思ふ故に私は今後日木の富みを進め、日本の実力を増さうと思へば、どうしても外国の資本を輸入し得られるやうな場合に至らねばならぬと考へるのである、或有力なる経済家の説に依ると、どうも日本の各種の事業は甚だ膨脹して居る、此際斯様な空想なる事物の拡張は務めて抑制せねばならぬと云ふ説を主張されて居る、成程若し私の懸念する如く政費の膨脹が商工業の実力に過きて居る、又一方には商工業の設備が自分の力に比へて過度であるとするならば、今俄に此事業の成立つことを望むと云ふことは、余程危険であると云ふことは御尤千万である、若し夫が事実であるとすると、今日の場合に外資輸入抔を務めるのは、之を抑制する手段に於て、却て背馳すると云ふことを懸念せねばならぬ、但し私は若し人為を以て此衰頽を助けると云ふ如き方策を執るも又は遽かに之を抑制するの制度を設くるも是の甚だ喜ふへきことではない、唯自然に任せて僅かに其の妨害を除くと云ふことを務めたいと考へる、併し是も一の疑問で其考が間違て居るならば十分に研究をして見たいと思ふのです
 第三、通貨の流通高ではあります、何時も此貨幣の額の多い程物価に影響を与へるやうに考へる、そこで今日の通貨の程度は相当なる度合であるか、或は業に既に其当を過ごしたと云ふ嫌があるか、若し過ごしたと云ふ嫌があるならば此上に尚ほ其度を増すと云ふことは経済社会の大に憂ふへき点である
果して右様なことに考及ぼすならば、之を抑へると云ふ企望を有つと同時に、又此貨幣流通の間に、成るべき丈け不利益な働きのないやうにと云ふことを共に攻究して見たいと思ふ、例へば政府の租税に属する金額の如きも、若し悪るい取扱法があるならば速に之を改正し勉て通貨の高を減して用を達せられる途を需めたいと思ふ、又此中央銀行首め各銀行の事業が十分に進み、其扱ひの宜きを得るやうに行つたならば、自ら此通貨の額に於て大に節減し得られると云ふこともあるであらうと思ふ、然らば此事に就ては十分なる攻究を致して、斯る方案はまだ宜きを得ない、斯る制度は大に害をなすものであると云ふことがあつたならば、之を矯正すると云ふのが即ち経済上に於ての大なる要務であると考へるのであります
私が此に願ひます所は、此竜門社諸氏に於ては今私の申述べました三問題は、今日の一場の話しに止めず、向後十分御注意なすつて、調査の上如何にも斯うと云ふ考案が立ちましたならば、其望みを果たすやうな相当な働きがありたいと思ふのであります、是は独り竜門社のみの責任ではない、国家の商工業者としての務めと申しても宜からうと考へるのであります、今日此最も喜ぶへく最も記念すへき好機会に際して、経済社会に対する二三の要項を申述へて、満場諸君の御考慮を請ひます


竜門雑誌 第一一四号・第一―一九頁 明治三〇年一一月 ○明治卅年十月十七日竜門社秋季総集会に於て(侯爵 伊藤博文君演説)(DK260043k-0003)
第26巻 p.218-227 ページ画像

竜門雑誌  第一一四号・第一―一九頁 明治三〇年一一月
    ○明治卅年十月十七日竜門社秋季総集会に於て
 - 第26巻 p.219 -ページ画像 
                   (侯爵 伊藤博文君演説)
諸君、私は今日渋沢君の御案内に依て此所に出ましたが、此竜門社と云ふ会の成立つて居ると云ふことも始めて承知致した位のことで、如何なる性質のものであるやと云ふことも存ぜぬのでありますから、諸君の中には或は識面の御方もあるかも存じませぬが、多くは始めて御目に掛ることゝ存じます、さて今日此所に出て何か諸君に御話をするやうにと云ふ、予て渋沢君からの御依頼でありましたが、格別是ぞと云つて諸君の利益するやうな御話が出来やうとも存じませず、又其覚悟用意も致して居らぬが、併し渋沢君とは殆ど二十六七年間の交誼もあります故に、無碍に御断り申すことも出来ぬのである、私は昨年御承知の通り官途を辞して、今では全く政界以外に居つて、唯だ自分の好む所の読書を為し、閑遊自適楽んて居るに過ぎませぬ、それで私が今日諸君に御話を申すに就き、縦令諸君を利するや利せざるやに拘はらず、私の陳述する所は、悉く皆私の赤心より御話を申す訳であります、又玆に一つ御依頼申して置きたいことは、私は世間に名を衒ふて售ることを好まない、それ故にどうか新聞などに出して貰ふことは御免を蒙りたい、それで成丈け政治上の可否得失に就ては申さぬ積りでもあり、申すことを好まぬのである、又今日私の地位と申すものは唯だ今申す通りに閑散の身分であつて、今日の日本の有様に就て政府を攻撃するとか、反対すると云ふ如きことは私の良心の敢て許さゞる所故に左様なことを致すことも好まず、又私の出身と云ふものは先輩の引立に依て今日の境遇にまで立至つたものでありますが、爾来は 至尊の御親任を辱ふして、常に私は 天皇の御下問に答ふべき地位を保つて居る者でありますから、私は進退去就を自ら世間普通の人と倶にすることが出来ぬと云ふ制限を受けて居る者である、私の徳義上に於てどうしてもさう云ふことは出来ぬ、故に政界に出て働くと云ふことも独り好まぬのみならず、良心も亦許さゞる所である、して見れば私は今日は政治社会上からは全く自ら退去した身分のものである、併し人間と云ふ者は不思議なもので、縦令閑散の地位に居つても、所謂国家とか或は社会とか又は同胞の為めとか云ふことに就ては、決して之を忘るゝことの出来るものではない、故に心窃かに憂ふる所のものは沢山ある、其心窃かに憂ふる所のことに就て今日此所で御話を申すに過ぎぬのでありますが、或は此なかには学者の御方も沢山あり、吾々如き浅薄なる学問よりもつと高尚なる学問を為さつて御出の御方もあることゝ御見受け申す、故に或は学術的に適はぬとか、或は道理的に適はぬことを申すかも知れぬから、是は予め御断りを申して置く、且又私は漸く一ケ月余り前に欧羅巴から帰つて来たので、現在の事情に就ては多少暗い所があるかも知らない、熟々今日の日本の有様を見まするに、昨今の形勢と云ふよりは寧ろ戦争後の形勢でありますが、どうも日本の人気は、兎角物に驕ると云ふことが余程附て来はせぬかと私は甚だ憂慮するのである、其驕りと云ふことは、或は一個人的とか或は合同的とか云ふ資格を定めるので、一体の風儀がさうなつて来たのではないかと云ふことを甚だ憂ふるのである、是に就て一寸御話を申して置きますが、是は多少経済の上に余程の関係をすることである
 - 第26巻 p.220 -ページ画像 
昨年私が台湾に行つて帰り掛けに大坂を通過した節、大坂の人から是非来て大坂の連中に面会して呉れ、且つ御馳走をしたいから自由亭に招ぐと云ふことであつたから断つて置きましたが、再応の要求でありますに依て、数時間程話さうと申してやつた、所が大坂の人気を見るに、独り大坂の人気のみではないが、各地の人気に照応して、大坂の人気も余程引立つて居る、是は何であるかと云ふと、実業の進歩と云ひ実業の膨脹と云ひ、頻りにさう云ふ議論が起つて居て、而して大坂の築港或は各種事業の拡張をすると云ふことである、それは独り大坂のみではない、私は長崎を経過し或は筑前・馬関・神戸辺を経過して大坂に参つたのであるが、何れも皆同様の形成であつた、其実業家なり其仲間の者の話を承つて見ると、皆非常な過大な計画である、故に大坂で招かれた時に一言其事に就ての所見を私は述べたいと考へて居つたのであるが、それはどうも宜しくなからう、人気に障るからさう云ふことは仰しやらぬ方が宜しいと云ふ、段々忠告も受けたやうな訳でありましたから然らば止めやうと云ふので止めたが、後とで有志の士が二十名ばかり別席で私に会ひたいと云ふことで、其席で今日の日本の有様を見ると、仕事をするのに多くは力を量らずしてなさるゝじやないか、此日清戦争の結局に当つて、日本の財力と云ふものは如何なる増加を為したかと云ふことを考へなくちやならない、此戦争の結果に依て寧ろ財力を消費したる欠点はあるとも、決して財力を増加して居ると云ふ道理はない、然るに諸君の企てる所は、非常なる資本を加へなければ皆其目的を達することが出来ぬと云ふ有様である、斯う云ふことは、一般の風儀として独り日本のみではない、何れの国でも動もすれば免れ難きことであるが、他の国の過失を見て、之を殷鑑とすれば、己れの国の事情も解釈することが出来るのである、孛仏戦争後は独逸に於て丁度日本同様に、戦勝の結果に依て各種の事業を拡張することになつた、所で七十年の戦争後七十七年に至つた所が、余り過大な拡張を仕過ぎたものであるから、事業は半成らざるに、資本が全く竭尽したと云ふ有様である、新規に起した事業の半成るに至つてそれが一つや二つなら宜しいけれども、各種の事業を皆拡張を仕始めたものであるから、資本の供給に大いに苦んだのである、而して是が如何なる方法に依つて回復をされたかと云ふと、欧羅巴の有様と云ふものは、国の境域は別れてあつても経済社会は共通のものである、故に決して仏蘭西の資本が独逸に這入ることはならぬと言つて防ぐことも出来ず、独逸の資本が英吉利に這入つてはならぬと言つて防ぐことも出来ない、其国に行つて其国法に従つて其資本を委ねるのであります、故に独り資本のみではない、人の智力技術の点に至つても皆同じことであるから、其国に之を容れることは輒い話である、故に例へば一千万円の事業を起し掛けて金を五百万円費してあつて、後ともう五百万円加へれば事が成就する、成就すれば将来の見込も立ち利益もあると云ふ時には、其資本不足の国に他国の資本を輸入してやることも出来る、又容易に之を補ふて弥縫する方法が、欧羅巴諸国に於ては自由に立つのである、そこで日本の今日の形勢を見るに、総て各種の事業が今日までに進歩して来たと云ふものは、誠に結構なことである、
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是を全く日本の自力でやつて来たので、少しも外債にも依らずして今日までやつて来たと云ふのは誠に幸なことである、今日は外国の資本を入れるとか入れぬとか云ふ議論もあるのでありますが、今までは這入つて居らぬのであるから、随分是から入れる工夫もあるだらうし、這入りもするであらふ、併し今迄は十分人が資本を注入して居ると思ふ、今日の有様になつて、其事業が廃頽すると云ふたならば、他国の資本を誘導するなどゝ云ふ余地はないのである、所が昨年大坂で私が所見を述べた時には、日本の形勢と云ふものは、資本の一点に於ては鎖国主義であつて、決して外国の資本を入れやうと云ふ考へもなければ、又外国の人に利益を持たせやうと云ふ考へを持たない、而して諸君は斯の如く戦後の経営に於て驕つて、大層大きな事業をさう資本の有無を顧みずして企てゝ、さうして若し彼の独逸の形勢を再演する如きことに至つたならば、如何なる方法を以て之を救護するのであるか凡そ国内に資本の不足する時に当つては、資本の余裕ある所の国より之を移して加ふるより外に仕方がないのである、然らば外国の資本を入るゝか、入れざれば此事業は廃頽に属すると云ふ結果が出来るであらうかどうかと云ふことは、どうしても算を立て見て、而して後に仕事を始めなければならぬ、殆ど其算も立てずに新規の事業に取掛ると云ふことは、取りも直さず戦に勝て驕ると云ふ文字を附るより外はないと考へる、是は多衆集合の席に於ては言はぬ方が宜からうと云ふことから言はなかつたのである、併しながら無言にして止むは甚だ自分の良心に反く訳であるから一言申して置かなければならぬが、後悔をせぬやうにしなくつちやいかぬ、斯う其時に言つて置いた、然る処本年の一月に至つて 皇太后陛下崩御の節、私も京都に参つて、神戸にも参つた所が、大坂の連中が二三人出て来て昨年あなたの仰しやつたのは、大変早く来ましたと言ふから、今日来た位なことを以て驚くことはない、私の来るだらうと云ふことは尚将来にある、今から能く注意をしたならば、或は以て之を防ぐに足りるかも知れぬ、斯う言つて置いた、所が段々それが進んで来て、今日は余程資本不足と云ふことになつて来たに相違ない、又政府に於ては、丁度一昨年の冬から昨年の春に掛けての議会には、即ち私が総て案を提出したのであるが、当時海陸軍の要求などゝ云ふものは非常に大なるものであつた、併し海陸軍の計画する所のものは、経済の上を見るよりも寧ろ防禦的或は又非常の不虞に備ふると云ふことの、国防の完全を望むが故に、経済の方には注目せずして計画を立てゝ来たのであるから、私は之を海陸軍の人に諸君の計画は海軍なり陸軍なり軍事上の目的、即ち防禦上の目的より来たものであるから、必ず之を破るとは言はぬけれども、併しながら経済に適応しない――、国家の歳入に適応しない計画は容るゝことが出来ない、故に新計画は半減に削ると言つて半減に削つて、即ち其半減したるものを議会に要求したのである、随分其時にも議論は喧しかつたのでありますが、併しながら私は出来ないことはどうしても出来ないとして、折合を付けてやつたのであります、さうして置いて尚将来に於て、此国家の経済歳入などゝ云ふものは如何様に進歩さるゝかと云ふことを見て、是に依て後との計画を継続し得るや否やと
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云ふことを定める積りで居つた、其中に段々内閣の変動や何かもあり又或は変動と云ふが――、即ち外交上に於ては病人が出来たり、或は辞職すると云ふ者が出て、到底私の力に依て――、又私の責任が国家の重みを負担して居ることは得策でないと考へました、故に辞職を致したやうな次第であります、所で唯今渋沢君の御話もありましたが、此竜門社の諸君のみではない、一般に於て均しく攻究しなくちやならぬと云ふのは、此財力と一体の貿易の上や、或は財力と歳出入の適応して居るや否と云ふ問題に就て、日本に一つの欠点がある、此欠点を補ふてからでなければ、如何程何を御攻究になつても分らう道理がないのである、それは即ち一国人民の資力を知ると云ふことであります他所の国の調べを見ると云ふと、皆其国々に於て一と通りの調べを付けて居る、一国の財産なるものは総体どれ丈けのものであるか、之を統計表に見現はすことが頗る必要である、然るに日本には未だそんなものはない、其統計表の拵へ方などゝ云ふものは、国々で多少違つても居り、是は中々六かしいことであるけれども、先づそれを根拠とするより外に仕方はない、例へば亜米利加に於て十年毎に人口の調べをするが、其調べと同時に、人民の財力の高を調べるのである、故に人口が十年毎に何割増した、此年には何程増した、此年には何程増した従つて人口に対する財産力の増したのは幾ら幾らと云ふ、人口との比例で財産力の調べが出来て居る、其統計を見ると、亜米利加が建国の時に当つては三百万内外の人口であつて、其時には僅かに七億何千万円と云ふ財産力であつたと記憶して居る、之を一人別にして割当て見ると、百八十弗位にしか当らなかつた、所が段々十年毎にやつて来た計算の備つて居るのを見ますると、千八百八十年に至つては、殆ど六千万の人口に達して、人民の財産が四百七十億万円になつた、之を一人別に平均すると、八百弗の資産となつて居る、又伊太利の調べを見ると、確かに私は統計を今記憶しては居らぬが、何でも人口一人に就ての財産と云ふ物が、是も七百何十円か八百円である、向ふでは金貨の勘定であるから八百弗位になつて居る、然るに是に対照する国債はどうであるかと云ふと、伊太利は非常に国債が多くつて、其国債が人口一人に就て百五十弗ばかりの国債を負つて居る勘定に当つて居ると云ふ様な統計が皆出来て居る、それで其統計が何等の用になるかと云ふと、国債の高を勘定することや、それから或は又歳入を稍々適度に得たるものであるや否や、と云ふことを勘定するに、統計がなければ勘定の出来やう筈がない、併し又国家の歳出入などゝ云ふものは、多くは学術上や統計上に基いて出来るものであるかと云ふと、さう一概には行かない、其歳入の殖えなければならぬと云ふことは、国の政務を執つて行く上から、已を得ざる事情に依つて増加もしなければならない、又或場合に於ては之を整理して其歳入を減削することもしなくちやならぬ、故に国債などは誰も国債を多くすることを好みはしないが、已むことを得ずして国債を増す訳であつて、大概今日欧洲諸国では国債の多きは六十億万、少きは三十・四十億万円になつて居る、それであるからして統計に就ては一つ経済社会に於ては、余程研究にならなければ根拠が私は立たぬと考へる、即ち多いとか少いとか云ふ標
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準を見出すことは、そこに拠らなければならぬと思ふ、故にどうしても此統計は必要なものではありはしないかと思ふ、一体経済上の御話は私は甚だ不得手な人間であつて、又商売上の実際などは能くは知らぬ、併しながら又商売上の事も察するに日本の今日の有様で見ると、経済学者などにしても、多くは主義を唱へ、而して其合計した所を以て言ふけれども、之を事業上で見た時には、一の会社を起すにしろ、一人で事業を起すにしろ、之を起すと云ふ時には、資本がいくら要る如何なる計画に依てやる、如何なる人物を以て経営して、而して其利益の歩合はいくら位に回るだらうと云ふ算盤から来なければならぬ、其一個人の算盤が合体して、以て一国の商売なり工業なりに現れて来るのでありますから、是又一の主義とか何とか云ふことに依て定むることは甚だ六ケしいのである、詰る所今日はどう云ふ有様かと云ふと理屈は暫く措きました所が、今計画して居る中の事業が、幾分か資本に不足を生じたとか何とか云ふ際に当ては、止めるものも沢山あるだらう、又止め能はざるものは存在するであらう、又止めては大いに不利益なものもあるであらう、然るに此一般の風潮風儀と云ふものは妙なもので、資本がないと云ふことになつて、愈々ないと云ふ声が起れば、各種の事業に影響して以てどうしても資本を集めやうと云ても集まらない、そこで外国の資本を注入しやうと云ふ説も起る、是も其仕方方法に依ては随分行けるだらうと思ふ、併しながら此事に就ては単純に資本を注入するとか何とか云ふ御考へならば、私は成功は六ケしいと認めるのである、是に就ては如何なることが必要であるかと云ふと、立法的の術も必要であらう、行政的の術も必要であらう、又それを注入する方法も必要であらうが、同時に此外国の資本家などゝ云ふものが其国に資本を入れて、其国の法律で鞏固に其利益を保護さるゝや否やと云ふことである、又其保護さるゝと云ふことは唯口でばかりではいかぬ、事実の上に於て証明されなければ役に立たぬと斯う云ふことになる、併し其辺は敢て深く立入つて御話をする必要もなからうと考へる、それで今日此切迫の場合に於ては中々大きな事は六ケしいと思ふ、それ等の道行を付けるのも、条約改正なるものが実行されなければ本統のことにはいかぬ、而して其資本注入と云ふことは要するに其利益と伴はなければならぬ、利益と伴ふと云ふならば其責任は何者にあるかと云つたら、資本を持出す者が其眼力で利益があると見立つて、而してそれが安全に保護さるゝと云ふことの安心を付けなくちやならぬ、是は決して珍らしいことではなくして、欧羅巴諸国なり、亜米利加の諸国なり、或は又近来アラスカ地方などに金山が続々起り或は露国の中亜細亜・西伯利亜辺に至るまで、何所の資本でも這入て来るが、資本は独りでは這入て来ない、其人間の材能・技術・見識・責任と共に移つて行くのである、どうしてもそれ丈けのものが揃つて這入らなければ、外債も同じことである、此外債と云ふものは、政府が外国から金を借りるのであると云ふことは看易いことであるが、是は全く国家が負ふ責任である、故に貸すものも国家を引当にして貸すので、其利害得失を攻究する必要はないけれども、只単純に民間の事業に資本を入れやうと云ふ時には、何時も其保護を求めて訴へて出る
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所は裁判所より外にはない、人に金を貸して借主が之を払はないと云ふと、其国の法律に訴へるより仕方がない、然らば其法律自らが監督するのである、故に其人の利益を鞏固に護つてやる法律もなくてはならぬ、然るに今日の所では、現在の条約ではさう云ふことは皆絶ち切つて居ると云ふ有様であるから、つまり進んで改正条約の実行されると云ふことにならなくては、十分成功する時機には達せぬと思ふ
而して又日本の人気が今日驕つては居ないかと思はれることは、是は最も重大なことゝ考へるのであるが、頻りに戦勝戦勝と云ふことを唱ふるが、たつた一度支那と戦争をして是に勝つたからと云つて、さう之を以て日本の国を立てゝ行くのに満足すべきことでもなければ、傲るべきことでもない、欧羅巴諸国から之を見ると、日本が支那に勝つたと云ふことに就ては、成程驚いたに違ひはない、又其仕方方法も意外に文明主義を執つてやつた故に、唯兵力一遍を以て勝つと云ふのではないから、幾分か賞讚さるゝ所がある、併しながら日本の文化は戦争に勝つたと云ふことを以て、百の学術的の進歩を掩ふに足りると云ふものではない、又財力も日本の各種事業の進歩の上に於て、戦に勝つたと云ふことを以て、皆それ等のものを掩ふ訳には行かない、故にどうしても日本の文明的の事業をもう少し進めやうと云ふには、教育ももつと進めなければならない、又教育の仕方方法も考へなければならぬ、而して一方には、欧羅巴の資本を入れて、欧羅巴人にも倶に利益を与ふると云ふことであれば、それに適応する教育の方法も執らなければならない、近日聞く所に依て見ると、小学校の教師が近来子供を教育する仕方などは多いに間違て居ると思ふ、それはどう云ふことかと云ふと、今に条約改正が実行されると外国人が這入て来る、それに負けてはならぬと言つて居る、それでは全くプリンシプルに立ろに撞着をして、却て日本の困難を増すと云ふことになる、私は御承知の通り欧羅巴主義を好む人間であると云ふことは世間一般に知つて居るが、私は欧羅巴主義ではない、世界文明主義である、それは何所に重に行はるゝかと云ふと、欧羅巴に行はれて居る、それを欧羅巴主義と言はうがどう言はうが構はない、唯文化を進めて社会の進歩を図らなければ役に立たない、それでなければ活動した国を造ることは出来ないのである、私は近頃欧羅巴に行つて見て来ましたが、欧羅巴の進歩と云ふものは実に非常なものである、所で此社会の進歩するのは、主義があつて出来るが、どう云ふ方法であるかと言つた所が、中々総て人民の動作と云ふものは一概に規則立つて居るものではない、併しながら其現はれて来る形の上に於て、斯うであると云ふことを表することが出来る、即ちそれに就ては社会が進化して行く以上は、経済的などのことも其社会の進歩して行くのと倶に進で来たのである、併しながら、そんならば経済的を除く外は進まないかと云ふならば、学術上に於ても其他の各種の事業に於ても皆進んで居る、それはどう云ふ工合であるかと云ふと、総てのことは皆合同力で成立つて行くのである競争の他国と起つた時には個人的の働きでは役に立たぬ、皆合同力に拠るより外にない、而して此合同力の結果は政治社会に迄も影響が及んで居る、社会進歩の上にも合同力が大いに勢力を持つて居るのであ
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る、此勢力を持つて居るが故に、是に依て政治社会に人物も現れて来る、「グラッドストーン」が二度目の政府を形くる時には、他の党派も非常な変体を来したと云ふことである、それは何故かと云ふと、社会の進化が非常に進歩して、或は器械学的の進歩や商業的の進歩もあり農業的の進歩もあり、航海・運輸の事もある、又学術社会の進歩も著く進んだと云ふ人物が中には勢力を持つ、其勢力を有つから、即ちさう云ふ仲間の人物を採つて政府にも入れなければならぬと云ふ必要が起つたのである、それで私はどうしても独り此政治社会の人間にのみ重きを置くことは出来ぬ、各種の事業事業に於て熟達して、熟練もありさうして鞏固なる人物でなければ役に立たぬ、それで政治と云ふものはどうであるかと云ふと、社会の反射であると考へなければならぬ政治なるものは社会を外れて独立して行ける道理のものではなく、是は社会活動の上に反射であると考へなければならぬ、故に人物も亦然らざるを得ない、それに就ては、私は深く自分の衷情より我日本人に向つて望を属せざるを得ぬことは、今方さに日本は条約改正を実行しなければならぬと云ふことは、近日に迫つて居るのである、そこで今日の形勢を見ますると、外国人が日本内地に這入つて来て居住をし、方々に製作所などを拵へる、又或は日本に各種の工業を起すと云ふことを甚しく心配して、中には壮士的の人間は、外国人が来て利益を壟断するならばぶつたゝかうではないか、我より葛藤の種を播くやうなことがあれば結局はどうなるかと云ふと、仕方がないから外国人は公使に向つて之を訴へる、そこで即ち国際問題となる、国際問題となると当局者は右に立つても左に立つても申訳が立たない、其為に人民の頭を抑へやうとすれば、反抗を受けて政府を顛覆さるゝと云ふことになる、若し愈々日本人の方が非であつて外国人の方が理であるならば彼等に道理があると云ふことになつて困りはしないか、さう云ふことになつてはならぬと思ふならば、子供等の教育の基礎から能く正して無暗に外国人に悪く感情を起させるやうなことをしないやうに注意せねばならぬと考へる、日本は今日欧羅巴から文明と認められて居る所はどう云ふことであるかと云ふと、条約改正まで出来ると云ふ位置に立つて文明の政治をすると云つたからである、既に文明の政治をすると云ふ以上は、其国に来て其土地に居住しても、生命財産は安固に保護せられると云ふことになるから、此条約改正にも同意したのである是に信用を置かなければ誰も条約改正に同意をする者はありはしない所が此条約改正の事業も、近日に至つて稍々結了すると云ふ今日の場合でありますが、私は此結了を喜ぶと同時に、一方に於ては其実行の上に於て、それが旨く行かなければ大いに国家に災害を醸す基になりはしないかと思ふ、殊に此戦争後の形勢に就て考へて見ると、それを懸念するのである、それはどうかと云ふと即ち驕ると云ふことである例へば近来日本の労力者が亜米利加や加奈多地方などに出掛けて行くが、亜米利加海岸に居住する日本人の有様に就て私が領事などに聞いて見ると、実に困つたものである、支那人の方が遥に宜しいと云ふことを領事なども言つて居る、日本人は彼地へ行つてどうするかと云ふと、近来行つた普通の労力者は多く漁業に従事する、彼所で魚が漁れ
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ると云へば其所に行き、それから又移転して何所に行くと云ふやうに段々漁業をして、そうして稍々金が取れたと思ふと、甲州や上州の博徒が出掛けて参つて、賃銀を儲けた者に日本でやつて居る賭博を教いて、己等は働かずに其金を皆奪ひ取ると云ふ有様である、又淫売なども実に怪しからぬ、其世話をする者がちやんと組合を立つて居る、さうして又貧乏書生などが沢山彼地に行つて何を言つて居るかと云ふと此所は自由国である、自由国に来れば何をしても宜しいと言つて、他国の風俗を破り、他の妨げをしても済むやうに心得て居る、それ故に日本人排斥論が起るのである、此日本人排斥論の起るに就ては領事なども実に困切つて居る、斯う云ふ塩梅式では実に領事が勤まるものではないと言つて、種々尽力して其国の政府に言つて、排斥論の成立せぬやうにしやうと思ふが、其傍から今の通りの乱暴をやつて居るので余程困つて居る、それからもつと甚しきは、戦争に行つた奴は支那人さい見れば頭を打擲すると云ふやうな乱暴をやるので、警察などは実に困つて居る、是はどう云ふ訳であるかと云ふと、即ち教育が未だ普く及んで居らぬからである、凡そ社会に教育の普く及んで居らぬ程危険なものはない、丁度昔の江戸の火消人足が集つて威張るのと同じやうなことになつて来る、そう云ふことでは迚も文明社会の仲間入などの出来るものではない、今に於て予めそれ等を制することが出来なかつたならば、遂に日本人は文明社会の害物となりはしないかと思ふ、是は実に憂慮に堪へない次第であります
又もう一つには此条約改正が実行せられて、外国人が這入り込んで来たならば、我国の利益を壟断されはせぬか、されば之に負けてはならぬから其用意をしなければならぬなどゝ云ふものがあるか、其様な用意の必要はない、若し其用意をしなければならぬと云ふて狼狽する位ならば、初めから万国の社中に入るなどゝ云ふ大看板を掛けぬ方が宜しい、今日は既にさう云ふ大きな看板を掲げて万国の社中に入ると云ふやうに、文明が進んで来て、稍々人にも認められるやうになつた際に、又逆戻りに野蛮的の行為をすると云ふことは実に言語同断であるから、是は宜しく教育家の注意を願はなければならぬことゝ私は考へるのである、それから又私が伊太利で調べて見たが、伊太利は古い国であつて、古物なども沢山あり、旧跡も沢山あり、又景色も好い所であれ程好い所であるから、旅行する人も沢山あり、居住する外国人も多いに違ひない、然るに居住して居る外国人の数を調べて見ると六万人位しかない、さうして見ると条約改正が実施せられても、日本にさう沢山外国人が来て仕舞ふなどゝ云ふことはないに違ひないから、日本の国を取られやうとか、雑居するのは怖いと云ふことは誠に無用な話である、そこでどうか玆に於ては条約改正が完全に行はれて、外国人が安着するやうにしなければならぬと思ふ、それには一つ一体の主義と云ふものが能く明かでないといかぬ、今の有様で見ると外国人と日本人が喧嘩をする、其時に日本人の方が先きに手を出して悪いことをしても、どうも之を西洋人に勝たせては日本の国辱であるから、此方の人間が仕たことは包隠しても外国人の方を負かす、又さうしないと攻撃を受けると云ふやうな観念が、警察官や裁判官にありはしまい
 - 第26巻 p.227 -ページ画像 
か、若しひよつとさう云ふことであつたならば、一国公正の裁判は到底行はれない、裁判の前には一個人的なり法人的なり、国と云ふものを除いた社会上に於ては公平な裁判と云ふものが必要であつて、内外の人を見ず中正を執て裁判するから、始めて人も安心して其国の法権の下に従ふと云ふことが行はれるのである、然るに今日苟くもさう云ふことを奨励して、若し将来国を破るやうなことがあると、実に容易ならぬと考へます、是等は私が深く近日の形勢を見て憂慮に堪へぬ所であるから、一と通り此所で御話を申して置くのであります、さうして近来は非常に何所も彼所も進歩をして来て、丁度或は英吉利人が出て来るとか、仏蘭西人が出て来るとか、独逸人が出て来るとかして、好い事業があれば手を出して見やう、資本を植付けやうと云ふことは皆是は学術や技芸的のことゝ相関聯して居らなければ出来るものでない、此川向を――川ではない「ベーリング・シイー」此海を一つ渡て行つて見ると、アラスカ地方などには非常な金山があるが、其形勢は実に驚くべき有様である、所で之を開発する人間は如何なるものかと云ふと、或は「インヂネール」と云ひ資本家と云ひ、悉く皆文明国の者が行つてやらなければ、中々開かれない、何れの国でも資本には限りがあるから、或は英吉利人が仏蘭西に資本を卸し、或は仏蘭西人が英吉利に資本を卸し、又は自国から資本を持つて他国に行つて事業をするとか云ふやうに、近来学問の進歩した結果と実際の経験と合体して、其力に依て働きをなして、世界中の資本を共通して、而して是等の開発をなすと云ふやうに欧羅巴人がやつて居る、日本でもさう云うやうにやらうと云ふならば、他の国に行つても働う、他の国に資本も卸さうと云ふやうにし、縦令一方に於ては外国の資本を入れても、さう云ふ又利益のある事業に就ては、即ち相混同してやつて行きたいと云ふ考へが段々起つて来なければならない、唯一概に之を限界して行くと云ふことは到底出来る世の中ではない、まだ段々御話申したいことは沢山ある、私が欧羅巴の形勢を見たことに就て種々御話したいが余り長くなりますから今日は是丈けで御断りを申して置きます



〔参考〕竜門雑誌 第一一三号・第二九頁 明治三〇年一〇月 ○竜門社倶楽部日の開始(DK260043k-0004)
第26巻 p.227 ページ画像

竜門雑誌  第一一三号・第二九頁 明治三〇年一〇月
○竜門社倶楽部日の開始 竜門社に於ては、社員相互の交誼を温め智識の交換を計らん為め、毎月一回倶楽部日を定め一堂に合し随意談話することとし、左の方法に依り来十一月より愈々実行するよし、社員の便益蓋し大なるへし
 一開会日 毎月第二土曜日午後五時より
 一会場  日本橋区小網町吾妻亭
 一会費  徴収せす、但各自飲食の費用は自弁たるへし



〔参考〕竜門雑誌 第一一五号・第七一―七二頁 明治三〇年一二月 ○十一月及ひ十二月の本社倶楽部(DK260043k-0005)
第26巻 p.227-228 ページ画像

竜門雑誌  第一一五号・第七一―七二頁 明治三〇年一二月
○十一月及ひ十二月の本社倶楽部 本社の倶楽部は予告の如く去十一月十三日を以て発会の式を挙げしが、此日来会者無慮数十名にして非常の盛況を呈したりき
 - 第26巻 p.228 -ページ画像 
又第二回十二月の倶楽部 は去十一日午後五時より定会場なる小網町吾妻亭に於て開会せり、来会者は渋沢社長を始め和泉栄・新井幸吉・布施藤平・井上雅之助・韮塚次郎・伊藤登喜造・松平隼太郎・木暮祐雄・武沢与四郎・八十島親徳の諸君其他数十名にして、食卓を共にして各自随意に晩餐を喫し、夫より参々伍々卓を囲みて和気靄々の裡に互に相談笑し、或は囲碁・将棋・玉突等意に任せて輸贏を争ふあり、一同充分の歓を尽して散会せしは午後十時過る頃なりし、尚ほ次回の倶楽部は来る一月八日なり